いきなりですが、一夜限りの歴史学講義復活です。
実は今回の講義内容は、講師先の高校で必要に迫られて作ったレジュメなんですが、時期的にタイムリーな話題ですし、そこだけで使い捨てるには余りに勿体無いので、こちらでも講義を実施し、アーカイブに収録させておく事にしました。
まぁそういう事情ですので、いつもとは若干違う雰囲気の講義に違和感を感じる方もいらっしゃるでしょうが、気楽に聞いてもらえればと思います。本音を言えば、こちら用にもう少し加筆修正したいんですが、それはまた別の機会に増補版をやるということでご勘弁ください。
──では、最後までどうか何卒。
☆1800年/制度の欠陥が生んだ軋轢と悲劇
主要候補者名
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政党
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選挙人
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下院票
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トーマス・ジェファーソン
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反連邦
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73
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10
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アーロン・バー
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反連邦
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73
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4
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ジョン・アダムズ
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連邦
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65
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─── |
アメリカ独立以来4度目の大統領選。当時は州議会で大統領選挙人を指名する方式が一般的で、選挙人は各2票を投じ、得票数1位が大統領、同じく2位が副大統領に選出されるルールだった。
しかしこの制度では、政党制度が整備されると大統領候補と副大統領候補が組織票によって同票数で並んでしまうので、混乱を引き起こす原因となった。事実、この時は反連邦派の代表2人が同票数で並び、勝敗の帰趨は国会議員らによる決選投票(州ごとに意見を統一して1票を投じる形式)に委ねられる事に。本来なら副大統領候補だったバーは決選投票を辞退すべきであったが、彼もここに至って野心を抱いたため、状況は更に混迷の度を深めた。
野党・連邦派が優勢の州ではバーを当選させようという動きもあったが、結局、秩序を重んじた連邦派の大物・ハミルトンの「連邦派もジェファーソンを支持すべき」という鶴の一声で大勢は決し、決選投票はジェファーソンが10対4の大差で勝利するところとなった。これ以後、バーは政界内で徐々に孤立し、1804年には因縁のハミルトンと深刻な対立の末、決闘で彼を射殺してしまう。当時はこれで罪に問われる事はなかったが、バーは世論の支持を失い事実上失脚する。挙句の果てには流れ着いた西部で反乱未遂まで起こして晩節を汚した。
この時の混乱を受け、選挙制度は次期大統領選を前に、副大統領候補は大統領候補と別枠で扱われるように変更されたが、もしもこの改正が4年前に行われていれば、1800年の選挙が生んだ諸々の軋轢と悲劇も避けられたに違いない。
☆1824年/空前絶後のバトルロワイヤル
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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下院票
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ジョン・Q・アダムズ
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反連邦
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113,112
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84
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13
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アンドリュー・ジャクソン
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反連邦
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151,271
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99
|
7
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ウィリアム・クロフォード
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反連邦
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40,856
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41
|
4 |
ヘンリー・クレイ
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反連邦
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47,531
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37
|
0
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連邦派が崩壊し、二大政党制が崩壊。ところが今度は反連邦派内の派閥争いから主要4候補が乱立する事態となった。この頃から導入された一般投票(注:導入当初は制限選挙制で、段階的に普通選挙制へ移行。19世紀までは一部州で一般投票を実施せず、州議会で選挙人を選出するところもあった)の結果はジャクソンが1位だったが、獲得選挙人数が全体の過半数(131人)に達しなかったため、24年ぶりに下院議員による決戦投票が実施された。
決選投票の行方は、一般投票上位の2人、ジャクソンとアダムスが下位候補の票をどれだけ吸収出来るかにかかっていたが、クレイ派の議員が政策の近かったアダムスを支持。これが決め手となって史上唯一の
“ワイルドカード”からの逆転当選が実現することとなった。
☆1844年/それは“自明の運命”のままに
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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ジェームズ・ポーク
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民主党
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1,339,494
|
170
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ヘンリー・クレイ
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ホイッグ党
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1,300,004
|
105
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当時のアメリカは、アメリカ人による独立国が作られていたテキサス地方をはじめとする西部地方の併合・領土拡大が最大の関心事で、当然のようにこれが大統領選の争点となった。
ホイッグ党(現在の共和党に繋がる、反民主党の政党)の候補者は知名度抜群の大物政治家・クレイ。一方の民主党は現職大統領のビューレンを引っ込めて、当時無名の領土拡大論者・ポークを擁立してイチかバチかの勝負に出る。ホイッグ党は「ポーク? それは誰だい?」という対立候補を小馬鹿にしたような、それでいて的確なキャッチフレーズをぶつけたが、フタを開けてみれば史上に残る大番狂わせに。結果として獲得選挙人数では大差がついたが、一般投票は僅差の接戦だった。
こうして大統領になったポークは「マニフェスト・ディスティニィ(自明の運命)」のフレーズの下にテキサスをはじめ、オレゴン、カリフォルニアなどを次々と併合。この領土拡大は現在のアメリカ領の基盤を築き、多くの歴史的出来事の遠因となった。まさにこの国の「自明の運命」を象徴する選挙戦だと言える。
☆1860年/国民の選択は“南北分裂”
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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エイブラハム・リンカーン
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共和党
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1,865,908
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180
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ジョン・ブレッキニリッジ
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南部民主党
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848,019 |
72
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ジョン・ベル
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連合
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590,901
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39
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ステファン・ダグラス
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民主党
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1,380,202
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12
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奴隷制廃止問題や貿易政策を主な原因とする南北対立は年を追うごとに深刻化してゆき、ついに南部諸州が合衆国離脱も辞さぬという最終段階へ突入した。また、この南北対立は政党の分裂・再編成を引き起こし、この年の大統領選は、反奴隷制の旗印の下に結成された共和党や南北に分裂した民主党2派など、有力4者による大混戦となった。
選挙戦は、骨肉相食む分裂選挙を強いられた民主党2派を尻目に、ベル派の共和党離脱の影響を最小限度に留めた共和党のリンカーンが北部諸州を手堅くまとめ、40%に満たない一般投票得票率ながら約6割の選挙人を押さえる効率的な戦い振りで勝利した。
しかしこの直後、この結果に絶望した南部諸州はついに合衆国を離脱してアメリカ連合国独立を宣言。かの『風と共に去りぬ』でも知られる、血みどろの南北戦争へと突入してゆくのである。
☆1876年/19世紀のブッシュVSゴア
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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ラザフォード・ヘイズ
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共和党
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4,034,311
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185
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アミュエル・ティルデン
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民主党
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4,288,546
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184
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史上稀に見る大接戦、そして不手際の重なった選挙として“名高い”大統領選がこれだ。後述する2000年の大統領選との共通点を指摘する向きも多く、まさに「19世紀のブッシュVSゴア」である。
選挙戦は共和・民主両党がそれぞれの地盤を固めていく形で平穏に推移していたが、オレゴン・フロリダなど4州において、選挙人に対する暴力的な干渉による不正投票という前代未聞の不祥事が判明。しかもこの4州の選挙人票の行方が当選を左右するという状況となり、選挙結果は選挙管理委員会がどのような結論を下すかによって決定されるという、これまた前代未聞の事態に発展した。
結局は「民主党はヘイズの当選を認め、そのかわりに共和党は南北戦争後から続く南部諸州への強硬な政治干渉を止める」という“政治取引”で決着。ただ、これにより民主党勢力の揺り戻しが起こった南部諸州では、南北戦争後向上したはずの黒人の地位が再び後退を始めるという“副作用”を引き起こす結果ともなった。
☆1892年/つかぬ間の“三大政党制”
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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グロバー・クリーブランド
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民主党
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5,553,898
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277
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ベンジャミン・ハリソン
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共和党
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5,190,819
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145
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ジェームズ・ウィーバー
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人民党
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1,026,595
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22
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西部開拓も終わりを告げた19世紀末、アメリカは産業革命によって国力を高め、世界の強国としての地位を固めつつあった。しかし、そんなアメリカで無視された存在であったのが西部・南部の農民らで、彼らは既存の二大政党が自分たちの望む政策を採ってくれないと悟ると独自の政治活動へと動き出した。
1890年の中間選挙で複数の国会議席を確保したことに勢いを得た彼らは、大統領選を目前にした1892年7月、ついに共和・民主に次ぐ第3の政党・人民党を結成するに至った。
しかし二大政党制が骨の髄まで浸透した大統領選の壁は厚く、第三勢力としては異例である100万票強の一般票を獲得するが、選挙人獲得数は6州の計22人にとどまり大敗。4年後の大統領選では政策を同じくする民主党と共闘するも、新興勢力の出現に警戒心を強めた大実業家から莫大な経済的支援を受けた共和党の前に敗北してしまう。これで人民党は事実上崩壊し、三大政党制への夢は儚く散ったのである。
☆1960年/テレビジョンが産んだ時代の寵児
主要候補者名
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政党
|
一般投票得票
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選挙人
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ジョン・F・ケネディ
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民主党
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34,220,984
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303
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リチャード・ニクソン
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共和党
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34,108,157
|
219
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40年以上経った現在でも未だに語り草になっている大逆転劇で、当選を目指すために求められる候補者の素質が大きく変化したという意味では、大統領選挙史の画期ともなった選挙でもある。
2期の人気を全うしたアイゼンハワー大統領の後継候補としてスンナリ選出された共和党の候補者はニクソン。対するは、若さと豊富な資金力に恵まれて民主党予備選を戦い抜いたジョン・F・ケネディ。選挙戦前半はニクソンが優勢、しかし史上初めて開催されたテレビ中継の候補者討論会の映像が情勢を一変させる。
テレビ討論当日、若さと情熱を己の体に宿らせてエネルギッシュな印象を振りまいたケネディとは対照的に、ニクソンはテレビ映えするための顔のメイクを拒否し、地味な色の服を身にまとい、さらには直前に故障したヒザの痛みに耐えかねて顔を歪めているという“三重苦”の状態。
果たして、電波に乗って全米中に放映されたニクソンの姿は、対立候補の活き活きとした様子と比べると余りにも無残であった。結局、この日を境に情勢は一変。前半の劣勢を完全に跳ね返したケネディが勝利を収めることとなる。彼は史上初のカトリック教徒の大統領、そして史上初のテレビ討論での好印象が選挙での勝因となった大統領になったわけである。
そして一方、敗れたニクソンは8年後の大統領選に再挑戦し当選するが、この時は徹底してテレビ討論への出演を拒否したことでも知られている。この時の手痛い失敗がよほど懲りたのであろう。
3年後、ケネディは遊説先のダラスで暗殺されるが、その模様は初の衛星中継として日本でも報じられた。大統領の第一歩と最後の瞬間を共にテレビで放映されたケネディは、まさにテレビ時代の象徴といえる人物であった。
☆1992年/政党VS政党VS1人
主要候補者名
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政党
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一般投票得票
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選挙人
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ビル・クリントン
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民主党
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44,909,806
|
370
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ジョージ・ブッシュSr.
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共和党
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39,104,550
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168
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H・ロス・ペロー
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無所属
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19,743,821
|
0 |
レーガン時代から通算して12年もの長期に及んだ共和党政権だったが、大統領選を前にして経済の低迷から支持率は低下。以前の勢いは衰えていた。一方、ブッシュ大統領の支持率が高かった湾岸戦争当時に予備選挙を迎えた民主党は、敗戦を恐れた有力政治家が早々にリタイヤしており、候補者に指名されたのはまだ46歳の若きアーカンソー州知事・クリントンであった。
そんな中、テキサスの大実業家・ペローが無所属、つまり単なる一個人として大統領選に出馬表明。莫大な財産を選挙運動に投じ、低迷した経済の立て直しに関する諸政策を公約に引っ提げて強大なる二大政党に挑んだ。
この一見無謀とも言える挑戦は予想外に有権者の支持を集め、なんと世論調査で15%を越える支持率をマーク。通常は二大政党に属する候補しか参加出来ないテレビ討論への出場を果たし、大物2人を相手に堂々と渡り合った。
しかし、州単位で得票第1位を獲らなければ得票が全て死票となる大統領選は、一個人が戦うには余りにも厳しい舞台だった。ペローは全国から約2000万票を得ながらも、肝心の選挙人獲得数はゼロ。結局のところ彼の挑戦は、共和党支持層の票を奪って、民主党に1976年にカーターが当選して以来となる勝利を提供した立役者を演じただけに終わる。ペローは4年後の選挙でも再挑戦するが得票を大きく減らし、2000年の選挙では立候補せず。事実上政界の表舞台から退場した。
☆2000年/そして、歴史は繰り返す。
主要候補者名
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政党
|
一般投票得票
|
選挙人
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ジョージ・ブッシュJr.
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共和党
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50,460,110 |
271
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アルバート・ゴア
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民主党
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51,003,926
|
266
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未だ記憶に新しい前回選挙。2期8年の任期を全うしたクリントンに代わる新大統領を選ぶ戦いは、共和・民主両党とも政策の相違点があまり無く、選挙戦は前半戦から史上稀に見る大接戦ムードのまま投票日に突入した。巷では「ターミネーターとチャーリー・ブラウン(スヌーピーの飼い主の少年)の戦い」と言われ、争点は政策でも政党でもなく「どっちの人物がマシか」であったと言える。
そして選挙当日。開票が進む中でも大接戦は続き、49州とコロンビア特別区の開票結果が確定しても両候補は過半数の選挙人を獲得できず、勝負の行方は残るフロリダ州の開票結果に委ねられた。だが、このフロリダ州の開票結果が数百票差の大接戦であった上、有効か無効かの判断が困難な票が多数見受けられたことから、得票の再審査・再集計を巡って裁判所まで巻き込んだ大騒動となる。
1876年以来の泥仕合となった選挙戦の結末は、約1ヶ月にも及ぶ裁判の末にブッシュの勝利で決着したが、混乱を招くような投票制度の是非を含め、様々な禍根を残す結果になってしまったのは周知の通りである。
……ということで、いかがでしたか? 本当は、20世紀前半からもいくつか採り上げたかったのですが、ワンサイドゲームが多かった時期で、更には物理的な余裕が無かった事から諦めた次第です。
そして2004年の大統領選挙は、日本時間の明日投票・開票されます。アメリカを4年間引っ張るのはアホかアゴか分かりませんが、せっかく日本の祭日に選挙をやってくれるのですから、スポーツ中継を観るように楽しみたいと思ってます。ではでは。 |