珠美:「さて、ご覧のように今日は番外編となります。しかも『懺悔番外編』(苦笑)。どうしてこんな事になったかは、博士から直接説明して頂きましょう」
駒木:「え〜、談話室(BBS)によくいらっしゃる受講生の方は、もうご存知だと思いますが、問題の発端は先週の競馬学講義でした。
駒木:「(前略)……3歳馬の挑戦と言うと、ここ10年ではたった1度、6年前にマル外牝馬のヒシナタリーが挑戦してる。この時は斤量52kgで、13頭中10番人気の4着と健闘してるね。3着のダンスパートナーとハナ差だから、この4着は価値が高いと言っていいんじゃないかな……(以下略)」 |
……頭ボケボケの未明に行った講義とはいえ、とんでもないボーンヘッドでした。
この箇所に関して、講義の直後から受講生の方たちの指摘が相次ぎました。3歳馬(注:以下、旧表記時代の馬齢も新表記で統一します)の挑戦はもっとたくさんあるじゃないか、そんな指摘でした。
そうです。宝塚記念における3歳馬の挑戦は、ヒシナタリー以外にも、まだたくさんありました。その中には駒木が実際に競馬場で生観戦した年のレースもあり、まったくお恥ずかしいばかりであります。
そこで今回は、そんなチョンボの罰符代わりに「宝塚記念3歳馬挑戦史」をお送りする事になりました。どうぞよろしくお願いします」
珠美:「……というわけで、今日はいつもの競馬学概論講義とは違うスタイルでお送りしますね。普通なら、私がレースの概要や出走馬の紹介をして、それを博士に解説して頂くんですが、今日はそれも博士にやって頂くことになります。そういうわけで、私は単なる進行役に徹させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。
では博士、まずは宝塚記念の概要を、3歳馬の出走条件のお話を中心にお話して下さいますか?」
駒木:「うん。宝塚記念が創設されたのは1960年(昭和35年)のこと。4年前に創設されたグランプリ・有馬記念の成功を見て、「これはイケる」と思った競馬関係者が、その関西版を作ってみようって思ったという、ある意味安直なアイディアだったらしい(笑)。ファン投票による出走馬選定、というのもそういう理由からだね。
で、創設当時の条件は、阪神競馬場の芝1800m。距離は徐々に延長されて第7回から2200mになった。そして気になる年齢上の出走条件は、意外な事に当時から3歳以上なんだよね」
珠美:「えっ、第1回から3歳馬に門戸が開かれていたんですか?」
駒木:「そうなんだ。ただその時は、1968年の第9回から出走条件が4歳以上に変わってしまう。レースの施行時期がダービーの翌週とか翌々週になってしまったからなんだ。それまでの8年間で3歳馬が勝ち馬になった事もなかったし、それなら古馬のローテーションに合わせて、春の天皇賞から狙いやすい涼しい時期に施行しようということになったんだと思う。今と逆の発想だね。今は3歳馬が挑戦しやすいように、ダービーから狙いやすい時期に施行してるわけだから」
珠美:「なるほど……。同じレースでも、考え方次第によって、随分とスタイルが変わってくるものなんですね。
あ、ところで博士、その第1回から8回までは、3歳馬の挑戦はあったりしたんですか?」
駒木:「え〜とね、とりあえず手元に第1回から第5回までの出走馬全成績表があるんだけど、それが結構挑戦してる3歳馬は多いんだよね。
まず第1回は3頭で、第2回は4頭立てだったんだけど、それでも1頭出てる。その後も第3回に1頭、第4回に4頭、第5回も1頭。第4回に出走が多かったのは、この年から第8回まで斤量が賞金別定になったんで、軽量で出走できる二線級の3歳馬が集まったんじゃないかと思うよ。
このあたり、もうちょっと詳しい話が分かれば良かったんだけどね。大阪のJRA広報センターまで通えば、もっと詳しい資料が見つかったと思うんだけど、そこまで通う余裕が無かったんだよ。その辺は、また時間が作れたら続編をお送りするという事で」
珠美:「分かりました(笑)。
……それでは、それから次に出走条件が3歳以上に変更されてからのお話をして頂きましょう」
駒木:「はいはい。また条件が3歳以上になったのは1987年の第28回から。でも、時期がダービーから中1週という過酷なローテーションだったことと、古馬の出走馬レヴェルが高めだったのもあって、挑戦する3歳馬はなかなか現れなかったんだ。出走条件の再変更後、実際に3歳馬がエントリーしたのは1991年が初めての事だったよ。
…それじゃ、1991年宝塚記念の出馬表を見てもらおうかな。馬名欄が薄緑になっているのが3歳馬だよ」
枠 |
馬 |
馬 名 |
騎 手 |
1 |
1 |
メジロライアン |
横山典 |
2 |
2 |
イイデセゾン |
田島良 |
3 |
3 |
ホワイトストーン |
田面木 |
4 |
4 |
タイイーグル |
安田隆 |
5 |
5 |
イイデサターン |
村本 |
6 |
6 |
オースミシャダイ |
松永昌 |
7 |
7 |
ミスターシクレノン |
角田 |
7 |
8 |
ショウリテンユウ |
西浦 |
7 |
9 |
バンブーメモリー |
岸 |
8 |
10 |
メジロマックイーン
(単枠指定) |
武豊 |
珠美:「単枠指定っていうところに時代を感じさせますね(笑)。まだ馬券が枠連しかなかった頃に、同枠馬の出走取り消しでトラブルになるのを避けたり、オッズが割れるようにする狙いなんでしたっけ?」
駒木:「そうそう。一定の評価は受けてた一方で、『JRAが強い馬を予想してるのと一緒だ』って批判もあったりした。馬連が定着した今では、もう昔話だけどね」
珠美:「それでは、この年のレースと、出走した3歳馬についてのお話をして頂けますか?」
駒木:「レースの模様は詳しく解説したいところだけど、時間の都合もあるから簡単にね。
この年の宝塚記念はメジロライアンが唯一のG1勝利を飾ったレースとして有名だね。ライアンは、ここまでG1レースを5回走って、2着2回、3着2回、4着1回という典型的なイマイチ系名馬。2回の2着は、ダービーとオグリキャップの引退レースになった有馬記念。もう典型的な引き立て役なんだよね(苦笑)。
でもこのレースは、そんなメジロライアンが主役を務めた数少ない機会だった。なにせ、3コーナーから先頭に立って、先行していたホワイトストーンを競り落とした上にメジロマックイーンを完封だからね。
このG1勝ちが無かったら、引退後の種牡馬としての価値も下がっていただろうし、そうしたらメジロブライトとかの代表産駒は生まれていなかったかもしれない。それを考えると値千金の勝利だよね。
あ、あともう1つ。このレースは杉本清アナウンサーが、始めて『私の夢』、つまり自分の馬券の軸馬を放送中に公開したレースとしても知られてる(笑)。『あなたの夢はメジロマックイーンか、ライアンか、ストーンか。私の夢はバンブーです』ってね(笑)。結局、杉本さんの夢はシンガリ負けだった」
珠美:「(笑)」
駒木:「あと、2頭の3歳馬についてだね。この年挑戦したのは、皐月賞・ダービー3着馬のイイデセゾンと、僚馬・イイデサターン。イイデの冠名を持った馬はこの年3頭ダービーに出走してるんだけど、その内の2頭だね。イイデの馬主さんは、初めて買った馬の中にこの年の3頭がいたらしいんだから、凄い幸運だよねぇ。
で、中1週で果敢に宝塚記念に挑んだわけだけど、イイデセゾンなんか、これがデビューから19戦目。ローテーションもキツかったし、さすがに上がり目が無かったみたいだね。相手も当時の古馬最強クラスが出ていたわけだから、力関係も厳しかった。イイデセゾンは見せ場無く流れ込みで7着。イイデサターンは逃げ潰れて9着に惨敗しているよ」
珠美:「…ハイ、ありがとうございました。それでは時間もありませんし、次のレースの解説をお願いします」
駒木:「その次に3歳馬が挑戦したのは1994年だね。これも出馬表を見てもらおうか」
枠 |
馬 |
馬 名 |
騎 手 |
1 |
1 |
インターマイウェイ |
田島信 |
2 |
2 |
ナイスネイチャ |
松永昌 |
3 |
3 |
ステージチャンプ |
南井 |
3 |
4 |
ゴールデンアワー |
山田泰 |
4 |
5 |
ダンシングサーパス |
熊沢 |
4 |
6 |
ネーハイシーザー |
塩村 |
5 |
7 |
サクラチトセオー |
小島太 |
5 |
8 |
アイルトンシンボリ |
藤田 |
6 |
9 |
アラシ |
土肥 |
6 |
10 |
マチカネタンホイザ |
柴田善 |
7 |
11 |
ルーブルアクト |
清山 |
7 |
12 |
ベガ |
武 |
8 |
13 |
ビワハヤヒデ |
岡部 |
8 |
14 |
イイデライナー |
岸 |
珠美:「あ、またイイデの馬ですね」
駒木:「そうだね。このイイデライナーも大概なハードスケジュールだよ。ずっと使い詰めで皐月賞、京都4歳特別、ダービーと来て、中1週で宝塚記念。この馬主さん、エグいことするよねえ(苦笑)。まぁ、数を使う事では有名な大久保正陽厩舎だってこともあるけれどもね。
この年は、ビワハヤヒデが単勝1.2倍の圧倒的人気を背負って、それを裏切らずに正攻法で完勝。この頃から弟ナリタブライアンとの兄弟対決が話のタネになって来たりしたね。
で、イイデライナーは良い所無く12着惨敗。ダービーが2ケタ着順だった事もあって最低人気だったし、まぁ仕方ないって所かな」
珠美:「えーと、そして次がヒシナタリーの出走した1996年ですね」
駒木:「そうなるね。じゃあ、このレースは出馬表を見てもらって、あとは最低限の話にとどめようかな」
枠 |
馬 |
馬 名 |
騎 手 |
1 |
1 |
カミノマジック |
菊沢仁 |
2 |
2 |
レガシーワールド |
芹沢 |
3 |
3 |
ヒシナタリー |
熊沢 |
4 |
4 |
サンデーブランチ |
岸 |
4 |
5 |
ゴールデンジャック |
岸 |
5 |
6 |
サージュウェルズ |
大崎 |
5 |
7 |
ダンスパートナー |
四位 |
6 |
8 |
フジヤマケンザン |
村本 |
6 |
9 |
マヤノトップガン |
田原 |
7 |
10 |
ホマレノクイン |
石橋 |
7 |
11 |
オースミタイクーン |
武 |
8 |
12 |
カネツクロス |
的場 |
8 |
13 |
ヤマニンパラダイス |
河内 |
珠美:「一見、豪華メンバーに見えるんですけど、実はそうではないんですよね、このレースは」
駒木:「そうだね。レガシーワールドもヤマニンパラダイスも、故障や年齢的な衰えで力を失ってしまってたからね。この年の出走馬では、純然たるG1級と言えるのがマヤノトップガンだけ。そして結果もトップガンが単勝2.0倍の1番人気に応えて完勝を果たしている。で、ヒシナタリーは4着健闘。この年から7月開催になってローテーションが楽になった事や、恵まれた相手関係を考慮したとしても、よくやったの一言じゃないかなぁと思うよ」
珠美:「それではどんどん先にいきましょう。次は1999年ですね」
駒木:「談話室でも言ったんだけど、この年は現場で見てるんだよなあ(苦笑)。ちょっとしたスランプで7番人気に落ちてたステイゴールドからの勝負馬券を握ってて、絶叫した記憶が生々しく残ってる(笑)。結局、2着から7馬身差の3着だったんだけどね(苦笑)」
枠 |
馬 |
馬 名 |
騎 手 |
1 |
1 |
ステイゴールド |
熊沢 |
2 |
2 |
ヒコーキグモ |
安藤勝 |
3 |
3 |
オースミブライト |
蛯名 |
4 |
4 |
スエヒロコマンダー |
藤田 |
5 |
5 |
グラスワンダー |
的場 |
5 |
6 |
インターフラッグ |
河内 |
6 |
7 |
マチカネフクキタル |
佐藤哲 |
6 |
8 |
スターレセプション |
幸 |
7 |
9 |
スペシャルウィーク |
武豊 |
7 |
10 |
キングヘイロー |
柴田善 |
8 |
11 |
ローゼンカバリー |
菊沢徳 |
8 |
12 |
ニシノダイオー |
村本 |
珠美:「だんだん競走馬として親しみのある馬名が多くなって来ましたね」
駒木:「そうだね。で、この年の宝塚記念は、グラスワンダーがスペシャルウィークを競り落として1着。前年の有馬記念からのグランプリ連覇達成となる。人気の2頭が人気通り走ったんで、馬連配当は200円。ちょっとギャンブルとしてはゲンナリする結果だよね(苦笑)。
このレース唯一の3歳馬・オースミブライトは、テイエムオペラオー・アドマイヤベガ世代だね。皐月賞2着、ダービー4着からの参戦。上位2頭から離されながらも3番人気に推されたんだけどね、やっぱり古馬の壁は厚くて、流れ込みがやっとの6着に負けてる。クラシックの伏兵クラスじゃ連絡みは厳しいメンバーだったよね。今年の出走馬レヴェルだったら、ひょっとしたかもしれないけど、まぁ仕方ないね」
珠美:「そして最後は昨年・2001年ですね。……って、博士、去年の出来事忘れてちゃダメじゃないですか(苦笑)」
駒木:「まったくだよねえ(苦笑)。去年のレースも現場で観てるんだよ。オフ会徹夜カラオケ明けというとんでもないシチュエーションだったんだけど(笑)」
枠 |
馬 |
馬 名 |
騎 手 |
1 |
1 |
ミッキーダンス |
河内 |
2 |
2 |
ダービーレグノ |
幸 |
3 |
3 |
メイショウドトウ |
安田康 |
4 |
4 |
テイエムオペラオー |
和田 |
5 |
5 |
トーホウドリーム |
安藤勝 |
5 |
6 |
ホットシークレット |
柴田善 |
6 |
7 |
ダイワテキサス |
岡部 |
6 |
8 |
エアシャカール |
蛯名 |
7 |
9 |
ステイゴールド |
後藤 |
7 |
10 |
アドマイヤカイザー |
芹沢 |
8 |
11 |
アドマイヤボス |
デザーモ |
8 |
12 |
マックロウ |
藤田 |
珠美:「懐かしいというか、記憶に新しいというか、そんなレースですよね」
駒木:「ホットシークレットが逃げて、それをメイショウドトウが早めに捕まえて優勝。ところがオペラオーがズブくてねぇ。直線半ばからようやく伸びてきたんだけど、最後は2着も怪しかった。メイショウドトウは悲願のG1初制覇。なんか、メジロライアンとちょっと似てるのが面白いね。
ダービーレグノはシンザン記念の勝ち馬。皐月賞でも5着と健闘してたんだけど、やっぱりこの年は、その程度の馬が活躍できるにはレヴェルが高すぎたね。ブービーに負けてるけど、仕方ないと思うよ」
珠美:「……と、これで全部終わりましたね。博士、お疲れ様でした」
駒木:「あー、しんどかった(笑)。こんな事がもう二度と無いように頑張りますので、これからもまたよろしくお願いします。
……といったところで、今日の講義を終わります。ご清聴どうもありがとう」 |