「社会学講座」アーカイブ(大食い特集・3)
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講義一覧
2005年度第5回講義 |
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◎前回までのレジュメはこちらから→ 第1回 お待たせしました。「大食い王決定戦」の大会後半のレポートをお届けします。 それでは、レポートへ移ります。今回も少々ドライな“大食い競技解説者”モードに入りますので、文体は常体、人物名は原則として敬称略となります。 ☆3回戦(本戦2日目朝)・水戸 納豆巻き30分勝負 ※ルール:1本20cmの納豆巻き(100g)を、30分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。 赤阪尊子VS藤田操の伝説の名勝負でもお馴染み、「大食い選手権」時代からの定番食材・巻寿司で争われる3回戦。具が好き嫌いの極端に分かれる納豆だったが、主催者側の目論みは外れて(?)、極端に納豆が苦手そうな選手は居なかった。 スタート良く飛び出したのはやはり藤堂。今大会のペースメーカー役がすっかり板について来た。他の選手も自分のペースで順調に本数を重ねてゆく。
上位3人は終盤完全にクルージング状態に入っていたが、いつの間にか山本がトップ通過。競輪の番手チョイ差しのような余裕綽々の戦い振りで、この辺り、自分の胃容量を知り尽くしている人間は強い。 ☆準決勝(本戦2日目夜)・江ノ島「江之島亭」しらす丼45分勝負 ※ルール:1杯300gの釜揚げしらす丼を、45分でどれだけ完食出来るかを競う。下位2名が失格。 準決勝は、これも「大食い選手権」以来の定番である、御飯物・丼勝負。毎回好記録が飛び出すラウンドとあってか、山本の口から「20杯(6kg)完食宣言」が飛び出した。 序盤のペースを握ったのは、やはり藤堂で、このラウンドでも最初の「おかわり」コール。以下1杯完食は、泉、嘉数、山本、山口の順。
ようやくリミッターを外したか、山本が5kgオーバーの好記録で堂々のトップ通過。とはいえ、かつては楽々クリアしていた6kgにまるで辿り着けなかったのは少々不満ではある、長期ブランクが影響しているのだろうが……。
☆決勝(本戦3日目)・神奈川「なんつッ亭」ラーメン60分勝負 ※ルール:規定の具をトッピングされたラーメンを、60分でどれだけ完食出来るかを競う。なお、火傷防止の名目で、スープ及び少量のネギは残しても良いことになっている。 決勝は伝統の丼物麺類60分勝負。競技の見栄えといい、積み上がった丼の壮観さといい、やはり決勝はラーメンでないと盛り上がらない。 ──では、決勝の競技の模様をお送りする。
優勝は大本命・山本卓弥。あの忌まわしきドクター・ストップの悪夢から3年、あの日に置き忘れた栄冠を漸く頭に戴いた。全ラウンドを通じて余裕綽々の戦い振りで、意気盛んなルーキー達を横綱相撲で寄り切った。 準優勝は泉拓人。最後は完敗に終わったが、それでも新人戦の平均的な優勝者とほぼ同格のパフォーマンスを見せてくれた。今後も出場者のレヴェル次第では好成績が期待出来る逸材であると言える。 3位の藤堂敬太は、胃容量の限界もあったが、序盤のハイペースが後になって大きく響いたようだ。いくら何でも01年のオールスター戦の白田、射手矢以上に飛ばしていては、後が続くはずも無い。 ……こうして、復活第1回となった今大会は山本卓弥の優勝で幕を閉じた。中断前最後の大会の優勝候補筆頭が、再開第1回目の優勝者となる…という連続性は、不可抗力の産物とは言え、我々コアなフードファイト・ファンにとって非常に感慨深いものであった。前回のレポート冒頭で述べた通り、主催者側のスタンスに不満は多々あれど、全体的に見れば成功の部類に入る大会だったのではないだろうか。 我等が愛する大食いは永遠に不滅なり。こう高らかに宣言し、今回のレポートのまとめとさせて頂こう。 ……というわけで、3年ぶりのTV関連レポート、如何でしたでしょうか。楽しんで頂けたら幸いです。 |
2005年度第3回講義 |
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今週初めに開講当初風の講義をお届けしましたが、今日は開講当初の看板講義であった大食い番組のTV観戦レポートをお届けします。時間の都合で2回に分けての実施となりますが、何卒ご了承下さい。 なお、レポート中の駒木は“大食い競技解説者”モードに入りますので、文体は常体、人物名は原則として敬称略となります。 レポート本文に先立って、今回の大会についての概要と雑感を記しておこう。 まず、今大会は「TVチャンピオン」枠を外れ、大会名称も「大食い選手権」ではなく「大食い王決定戦」となったが、競技の内容や進行フォーマットは「選手権」とほぼ同様のものだった。放送当日午後に「選手権」時代の出来事も絡めた番組宣伝も行っており、事実上の“続編”という認識で良さそうだ。 「選手権」時代からマイナーチェンジを施された点としては、これまで前半ラウンドを中心に採用されていた完食勝負方式──制限時間内に規定量を完食した全員がラウンド通過となる──が事実上廃止された事が挙げられる。今回は全てのラウンドで、そのラウンドの記録下位1〜2名が脱落していく形式となった。大食い版の「アメリカ横断ウルトラクイズ」とでも言うべきだろうか。 ただ、番組全般に、いかにも腫れ物に触るようにして大食い競技という“火種”を扱っているような雰囲気が漂っていたのは、仕方ない話とは言えやや興醒めであった。「健康第一」「(死亡事故の原因となった)早食いは禁止」というアナウンスはともかくとして、一生懸命頑張っている選手に対し、「焦らないで」「負けてもいいじゃない」と水を差すのは、さすがに……。 ◆東京地区予選◆ ☆「桃太郎すし本店」寿司大食い(30分) ※ルール:2カン1皿の寿司を30分でどれだけ食べられるかを競う。寿司は2カン1皿単位で、ネタを自由に注文できる。 3年ぶりの大食い競技会の幕開けは、やはり東京は高円寺にある「桃太郎すし本店」から。大食い競技の歴史に名を残した“英雄”の殆どが、この店から巣立って行った、大食い競技会の聖地とも言うべき店である。 さて、競技中の様子だが、スタート当初こそ“賑やかし担当”のタレント・プロレスラー勢がハイペースで寿司を頬張り気勢を上げたものの、10分もすれば当然のように失速。中盤以降は、平均ペースでうずたかく皿を積み重ねてゆく“本物”のルーキー達に主役が移った。 ──東京予選からの本戦出場者は以下の通り。なお、個々に付けたコメントは映像資料を参考に駒木が独断で記した。
※参考記録:名選手の「桃太郎すし」予選通過記録 ◎泉拓人…年齢非公開、170cm42kg。 ◎土屋智子…21歳。 ◎山口尚久…30歳。 ◎横森弘一…38歳。 ◆大阪地区予選◆ ☆「十八番」たこ焼き大食い(30分) ※ルール:6個1皿のたこ焼き(150g)を30分でどれだけ食べられるかを競う。完食個数上位3名が本戦に進出。 3年前の前回大会に続いて2度目の開催となった大阪予選。正確な出場者数は不明だが、ゼッケン番号が90番台まで確認出来たので、賑やかしのタレント勢を含めて最低でも100人弱の参加者があったのではないか。
◎山本卓弥…21歳。3年前のデータでは169cm56kg。 ◎藤堂敬太…21歳。 ◎嘉数千恵…3年前のデータでは155cm50kg。 ◆大会本戦◆ ☆1回戦(本戦初日午前)・宇都宮「みんみん」ギョーザ30分勝負 ※ルール:6個1皿(150g)のギョーザを30分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。 スタート直後から各選手勢いよくギョーザを口に運んでゆくが、中でも土屋、泉、藤堂の3選手が速い。目まぐるしく順位を入れ替えながら皿を重ねてゆき、10分も経たない内に藤堂が10皿1番乗り。土屋、泉も続く。
藤堂・泉の東・西ルーキー2人が1、2位を分け合った。30分でギョーザ3kg台は極めて平凡な記録ながら、終盤のスローペースを見る限りでは、まだまだ余裕残しの戦い振り。この時点では能力の底が知れない。
☆2回戦(本戦初日夜)・前橋「とんとん広場」キャベツ千切り45分勝負 ※ルール:本来は豚カツの付け合せとして出されるキャベツ(1皿150g)を、45分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。なお、キャベツと一緒に豚カツも供されるが、こちらはいくら食べても記録には無関係。 大量に食べている所を観ても、全く羨ましく思えない食材を…という、「日曜ビッグスペシャル」時代からの伝統を受け継いだテーマ食材で争われる2回戦。各選手、豚カツには目もくれず、ひたすらキャベツを塩やドレッシングで味付けしてバリバリと噛み砕いてゆく。
今度は東西の予選トップの2名、山本と泉が首位を分け合った。特殊な食材だったために記録は伸び悩んだが、このラウンドも余裕綽々の通過といったところ。特に山本は、3年前に大会初日で無理をし過ぎてリタイアに追い込まれた経験から、意識的にセーブしているようにも見受けられた。 ……といったところで今日のところは時間切れ。また週明けに3回戦から決勝までの模様をお届けします。どうぞお楽しみに。(次回へ続く) |
2004年第29回講義 |
※第1回の講義レジュメはこちらから 他の講義の準備に手間取っている間に、いよいよ大会本番まで数時間となってしまいました。急いでお話を進めなければいけませんね。 さて、2人のうちフードファイト・シーンに登場したのは小林選手の方が一足先でした。今から約4年前、00年秋に開催された「TVチャンピオン・大食い選手権」のオールスター戦(=過去のチャンピオンも含めた国内最高レヴェルの競技会)から、彼の華々しいキャリアがスタートします。 ちなみに、この00年の秋大会には、当時の日本フードファイト界を代表する名選手がズラリと顔を揃えていました。 前年(99年)度の「大食い選手権」で、春の新人戦と秋のオールスター戦で優勝し、フードファイト界No.1大食い選手となった、“皇帝”岸義行選手。 94年のデビュー以来、「大食い選手権」で優勝2回・準優勝2回、「甘味大食い選手権」で優勝1回(いずれも当時)にしてディフェンディングチャンピオン、更には00年ネイサンズ国際で3位と、6年にも及ぶ競技歴の中で常にフードファイト界の中枢に君臨し続けた、“女王”赤阪尊子選手。 そして、この年(00年)のネイサンズ国際チャンピオンで、99年「TVチャンピオン・早食い日本一決定戦」優勝、「大食い選手権」3位2回という、“超特急”新井和響選手。 ……戦績を見ても分かるように、彼らはただ卓越した実力を持っているだけでなく、非常に安定感のある競技姿勢にも定評がありました。1日に何度も30〜60分の大食い系競技を繰り返す「大食い選手権」では、そうでもなければ好成績を残す事が出来なかったわけですが、これは別の見方をすれば、競技経験の無い新人選手がオールスター戦で活躍するためには大きなハンデを背負っているという事を意味します。事実、大会前の下馬評では、「予選から立ち上がって来た新人選手は、1人残らずベテラン勢の前に屈服させられるだろう」…という声が有力でありました。 しかしそんな逆境の中で、新人・小林尊は経験不足を補って余りある実力の高さで、この難関を1つ1つクリアしてゆきます。ただし、1、2回戦の成績はあくまで“並の新人クラス”に甘んじていました。 そんな小林選手が次に選んだ活躍の場は、TBS系の「フードバトルクラブ」。1000万円という破格の優勝賞金もあって「大食い選手権」出身のタイトルホルダーをはじめとする豪華メンバーが揃ったこの大会で、完全に開花した小林選手の才能が、眩いばかりに輝き始めます。 こうして国内制覇を達成した小林尊選手の次なる目標は勿論、世界。ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権へのチャレンジです。 ──しかし、フードファイト界が小林尊一色に染まろうとしていたこの時、既に彼の終生のライバルとなる一人の選手がに既にデビューを果たしていました。そう、そのライバルこそが、身長193cmという巨体から後に“ジャイアント”の異名を取る事になる、白田信幸その人でした。 白田信幸選手のデビューは、小林選手から遅れること半年。01年春に開催された、「大食い選手権」の新人戦でした。 そういうわけで、01年春シーズンは有り余るポテンシャルを開花させ切れずに終わってしまった白田選手でしたが、十分な調整期間を置いた秋シーズンになって、彼の才能がバックドラフト的な大爆発を果たす事になります。 その“バックドラフト”最初のターゲットとなったのが、「フードバトルクラブ2nd」。春に小林尊選手が第1回大会を圧勝した競技会の第2回大会でした。 この後、間を置かずに「大食い選手権」のオールスター戦が開催されました( 王者・挑戦者の立場を入れ替えて両雄の再戦が実現したのは、01年末に収録された「フードバトルクラブ」の年間王者決定戦「キング・オブ・マスターズ」。過去2回の大会で優秀な成績を挙げた招待選手を中心に争われた“グランドチャンピオン戦”でした。 ──が、小林選手の白田選手との直接対決の場となった決勝で、我々は再び“あの光景”を見せ付けられることになったのでした。 決勝は1皿500gのカレーライス20皿完食タイムレース。ノルマ10kgという超ド級の早食い競争でした。 ……こうして言い訳できない完敗を2つ並べた小林選手でしたが、まだ白田選手にアドバンテージを持っているポイントが残っていました。 そうして、このまま“白田時代”は長期安定に入り、7月にはネイサンズ国際でも王座交代が観られるのか…と思われた所で、あの忌まわしい事件が起き、日本のフードファイト界はあっという間に空中分解してしまいます。 そして04年。前回お話したように、ネイサンズの日本進出に伴ってネイサンズ国際の日本予選再開がアナウンスされると、遂に白田選手が復帰を決意。3年遅れでネイサンズ国際へのチャレンジが実現しました。 また、ここ2年はアメリカでもフードファイト選手のレヴェルアップが著しく、決して油断ならない所まで実力差が迫って来ています。ここで主なアメリカ代表選手を紹介しておきましょう。 ◎エドワード=ジャービス ◎エリック=ブッカー ◎ソーニャ=トーマス ◎リチャード=レフィーバー ◎チャールズ=ハーディ ◎オレッグ=ツォルニツキー ……さて、いつの間にか時間が迫ってきました。そろそろ講義を引っ張るのも限界ですね。最後に簡単な大会展望をして締め括りたいと思います。 地の利もある(この時期のニューヨークは猛暑)アメリカ勢の躍進も目が離せませんが、個々の記録や過去の実績を考えると、日本勢の優位は揺るがないでしょう。特殊な事情でリタイアや記録が30本台前半以下に低迷しない限りは、小林・白田のワン・ツーフィニッシュが濃厚と思われます。 競技開始時間が迫ってまいりました。この後は駒木も一フードファイト・ファンに戻って、2人の戦いを心待ちにしたいと思います。それでは、大会後にお会いしましょう。ではでは。(この項終わり/大会回顧に続く) |
2004年第27回講義 |
ここしばらくは週1ペースの講義で、受講生の皆さんに物足りない思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。しかし高校講師の仕事も一段落つき、漸くこちらの方に時間とエネルギーを注げる態勢が整いました。今日からしばしの間平常モードに“復活”です。 さて、“復活”第1回目の今回は、実に約1年ぶりに文化人類学──フードファイト競技関連の講義をお届けする事にしました。 ここ1年の日本フードファイト界の衰微は激しく、正直申し上げて当講座でフードファイト関連講義をする事はもう無いだろうと思っていました。しかしこの度、今年のネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権において、この大会3連覇中の王者・小林尊選手と、かつて国内メジャータイトルを総ナメし、最強のフードファイターの呼び声も高かった白田信幸選手が対戦する事が決定的となり、「うひゃあ、こりゃあ放っとけんぞ」…という事になった次第であります。 ──と、閑話休題。前置きと余談がやたら長い本来の講義スタイルが戻って来て我ながら感慨深かったりするのですが、とりあえず本題へ。まずはこの小林・白田の両雄が相見える事になる競技会・ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権についてのお話を、少々時間を取ってしておきたいと思います。以前からの受講生さんにとっては過去の講義の内容と重複する部分も多いと思いますが、今回の講義はこれまでフードファイトに興味があまり無かった方のためのものだという事で、どうか何卒。 ……さて、このネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権(以下、ネイサンズ国際)は、第一次世界大戦が激化しつつあった1916年の7月4日──つまりアメリカ合衆国独立記念日──に、4人のヨーロッパ移民たちが「我こそが愛国者だ」という気持ちをアピールするため、ニューヨークにあるホットドッグ店・ネイサンズで、アメリカ人の国民食であるホットドッグの食べ比べをしたのが起源とされています。そして、それ以来1941年と1971年にそれぞれ戦争激化と政情不安に抗議する意味で中止されたのを除いては、世界恐慌で失業者が溢れていようと、ソ連と核戦争の危機に瀕していようと、毎年必ず7月4日の独立記念日に大会が実施されています。さすがはブッシュを大統領に選んでしまうアメリカ人、シャレが利くんだか馬鹿なんだか判りません。 そんなネイサンズ国際が日本のフードファイト界と深い関わりを持ち始めたのは90年代後半のこと。この大会を事実上運営しているIFOCE(国際大食い競技連盟)に「大食い選手権」のテレビ東京が加盟し、ネイサンズ国際の日本予選開催権を取得した事から、番組の企画を兼ねて日本人選手が派遣されるようになったのでした。 ──というわけで、今日はネイサンズ国際と、この大会における日本人選手の活躍についてお話したわけですが、これだけではまだ今回の小林VS白田がどれだけ魅力的なカードなのかを伝えるには不十分。やはり両選手がこれまでどのような道を歩んで来たかを紹介してこそ、今回の対戦の重要さが分かるというものでしょう。 |
2003年第58回講義 |
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本日より、かねてからお約束しておりました、“積み残し講義精算キャンペーン”を始動させて頂きます。 そして、本日お送りするそのキャンペーンの第1弾は、当講座開講以来の主要講義の1つであります、文化人類学(フードファイト関連)講義。半年毎にお送りし、今回で4回目となる「フードファイター・フリーハンデ」をお送りします。 ──さて、それでは講義の本題に入ってゆきましょう。 なお、この「フードファイター・フリーハンデ」についてご存知無い方は、以下の説明を一読された上、過去3回の講義レジュメを通読される事をお薦めします。(左フレームの「大食い関連」からどうぞ)
なお、今回の「03年中間レイト」のレイティング対象競技会は、
……の以上5競技会です。 それでは、これから「スプリント」と「早食い」のフリーハンデ値とその解説をお送りします。なお、解説文では人物名を敬称略とし、文体を常体に変更させて頂きます。 「2003年度・フードファイター・フリーハンデ中間レイト」
※03年上半期の競技会とレイティング※
さて、そんなFFAの中にあって独自の活動を展開しているのが小林尊である。彼はTV局主催のメジャー系競技会が休止になって以来、活動の場を専らアメリカに求めており、今年も小林の競技会出場は、2年前からタイトルを保持している「ネイサンズ国際」のみとなっている。 このようにエースが国内不在という特殊な状況にあって、見事にその“名代”の役目を果たしたのが山本晃也であった。 そして、その山本と共に、ここ最近急成長を遂げているのが小国敬史だ。彼も昨年末の「Q-1グランプリ」で躍進を遂げた1人であるが、今期もその好調さを維持し続け、『FFA Formula battle』では2戦2勝の好成績を挙げた。 ところで、“暗黒時代”に喘ぐ日本のフードファイト界とは対照的に、アメリカのフードファイト界はここに至って“高度成長期”に突入した。アメリカ国内のフードファイト競技を統括するIFOCE(国際大食い競技連盟)のリーダーシップの下、東海岸地方を中心に様々な食材をテーマにしたフードファイト競技会が開催され、続々とニューヒーローが登場しているのだ。 この他、今回のレイティング対象になった選手には、射手矢侑大、高橋信也、立石将弘、山形統といった日本人選手の“安定株”に加え、以前「フードバトルクラブ」に参戦したカーリーン=ドーン=レフィーバーの夫・リチャード=レフィーバーがいる。特にレフィーバーは58歳という年齢を考慮すると、その活躍ぶりは驚嘆に値するものである。 ……というわけで、今年上半期の「フードファイター・フリーハンデ」をお送りしました。このフードファイト関連講義に関しては、今後とも、業界に大きな動きがあれば随時実施してゆく予定です。 |
2003年第41回講義 |
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恐らく数十人はいるであろう文化人類学(フードファイト関連)専攻の受講生の皆さん、お待たせしました。約半年振りの文化人類学講義です。 ──さて、既にマスコミ各媒体で報じられていますように、去るアメリカ独立記念日の7月4日午後(=アメリカ東海岸時間。日本時間7月5日未明)、ニューヨークはホットドッグの老舗・ネイサンズにおいて恒例のホットドッグ早食い選手権が開催され、日本の早食いカテゴリでのエース・“プリンス”小林尊選手がアメリカの強豪を大差で退け、見事に“ホットドッグ早食い世界一”の栄誉に輝きました。 このネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権は、今年でなんと88回を数える、世界で最高の歴史と格式とグレードを誇るフードファイトの国際大会です。 そして日本からは唯一、“前年度優勝者枠”として、先に紹介しました小林尊選手がエントリー。 閑話休題。 そんなわけで今年のネイサンズ国際ですが、ここでベスト3までに入った選手と記録を紹介しておきましょう。
──小林選手は圧勝&3連覇を果たしたものの、最大の目標であった自己記録(50本1/2)更新はなりませんでした。記録もここまで来ると、「どれくらい食べられるか」というより、「どれくらい効率良く食材を飲み込むか」という方が問題になって来ますので、これが1年ぶりの公式戦参加になる小林選手にとっては、さすがに今回ばかりは酷な条件だったかも知れません。 さて、今回は、優勝した小林選手には遠く及ばなかったものの、地元アメリカ勢の健闘も光りました。 余談ですが、IFOCE認定の食材別記録は実に25を数えます。その中には、今回のハンバーガーやホットドッグ、フライドチキンといったオーソドックスな食材も有れば、バターやマヨネーズといった、競技の様子を想像するだけで身悶えそうな代物もあります。 なお、今大会では女性選手の活躍もありました。これまで無名だったソーニャ=トーマス選手が25本の記録をマークし、00年に日本の“女王”赤坂尊子選手がマークした22本1/4の女性最高記録を3年ぶりに更新。これにより事実上、早食い系競技における女性フードファイター世界一の座に就いた事になります。 |
2月7日(金) 文化人類学 |
※第1回(早食いの部・確定レイト)のレジュメはこちらから。 先週の第1回に引き続いて、「2002年度フードファイター・フリーハンデ(以下「FFハンデ」とする)」をお送りします。 ではまず、ハンデ一覧表から。レイアウトの都合上別ページとなりますので、リンク先を辿ってご覧下さい。 こちらをクリックして下さい では、以下より総括文です。文中では敬称略・文体を常体に変更してお送りします。 既に何度も述べた事ではあるが、何度でも繰り返さねばならないだろう。02年春以降のフードファイト界は、未曾有の氷河期と言うべき状況に晒された。 ──さて、そういうわけで、テレビを主体とした活動を封印されてしまったフードファイト界ではあるが、そんな厳しい環境の中でも地道な活動を続けている選手たちもいる。 そんな選手たちの中で、1人代表的な存在を挙げろと言われれば、加藤昌浩の名前を真っ先に挙げねばならないだろう。 勿論、この他にもトップクラスの選手たちによる地道な活動は数多く見られた。02年秋以降、沈黙するテレビ界と対照的に、全国各地では徐々にローカル系競技会や“大食いイベント”の数が増えており、そこへトップクラスの選手が司会やゲストとして出向き、ある種の普及・啓蒙活動を行うというケースが多く見られている。 しかし、一たびフードファイト界全体の様子を俯瞰してみれば、その勢力がピーク時に比べて退潮著しいのは明白である。どれだけ地道に活動を続けようと、一般の認識からすればフードファイトは既に“過去のモノ”となっており、今では最もマスコミ媒体に露出の多い小林尊ですら、夕刊紙の手にかかれば“あの人は今”である。やはり失われたものは非常に大きかったのだ。 この活動停止劇はまさに青天の霹靂であった。ある日、突然岸の、そして「日本大食い協会」の公式ウェブサイトである「大食いワンダーランド」から、メインコンテンツであったBBSを含む大半のコンテンツが削除されたのである。しかもこれは何ら予告する事無しに行われた。岸の周辺の事情を知る人物によると、このコンテンツ削除はBBSの管理人である別府美樹にも無断で行われたそうで、どうやら岸の独断専行で実施された“暴挙”のようである。 ……それにしても、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。また、「全日本大食い競技選手権」の開催が遅延し、その理由が開示できない訳は何か? その部分を解き明かすためには、岸のフードファイト業界における活動と他の関係者との関わりについて語らなければならない。 そもそもの話、この岸義行ほど、業界の内と外で評判が異なる人物も珍しかった。彼はフードファイト・ファンの間では絶大な信頼を得ているにも関わらず、業界内での評判は外でのそれと全く対照的であったのだ。 この確執の出発点は、いみじくも新井が語ったように、第1回の「全日本大食い競技選手権」にあったそうだ。 そして、この芽生えた確執にトドメの一撃を打ち込んだのが、その直後に実施された「フードバトルクラブ2nd」であった。そう、フードファイト・ファンの間では未だに解決されていない論争が燻っている、あの競技会である。 ……ここまで述べても、まだ「それでは100%クロとは言えない」と思われる方もいるだろう。しかし事実として、この「フードバトルクラブ2nd」を境に、岸は完全に業界内における信頼を失った。これだけは確かである。 ともあれ、こうして岸は業界内で孤立した存在となった。「大食いワンダーランド」閉鎖直前の時点では、彼と親しいフードファイト選手は、主流派から外れた数名だけだったと聞く。これでは第2回の「全日本大食い競技選手権」など開催出来るはずもない。そして、その事情を自分の口から公言できるはずもない。岸と「日本大食い協会」はフードファイト界から消えるべくして消えたのである。 ……やや余計な事を書き過ぎたかも知れないが、これが事の次第である。今後、岸がFFA勢と交わることは全く考えられず、もしテレビ局主催のメジャー競技会が復活したとしても、彼の居場所はどこにもないであろう。岸の大食い系競技における才能は捨てるに惜しいが、ここまでトラブルを起こしてしまっては、フェードアウトするのも致し方ない気がする。 とにかく現時点のフードファイト界はどん底である。だが、どん底になっても業界そのものが消滅しなかったという事は幸いであった。生きている限り、望みはある。望みはある限り、それを自ら捨ててはいけない。今後のフードファイト界に望みあらん事を、幸あらん事を祈りつつ、02年度の年間総括を締め括る事にする。 ……というわけで、本当に長くなりましたが、これをもって「2002年フードファイター・フリーハンデ」を終了します。次回は7月4日のネイサンズ国際終了後の「03年度中間レイト」となります。では、講義を終わります。(この項終わり) |
1月31日(金) 文化人類学 |
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実に5ヵ月半ぶりの文化人類学(フードファイト関連)講義となりました。諸般の事情を考慮すれば致し方ないのですが、去年の今頃はこの分野が当講座の看板講義だったことを考えると、我ながら寂しく思ってしまいます。 そんな今回の講義は、2002年度の「フードファイター・フリーハンデ(以下、『FFフリーハンデ』とする)」の年間総括版です。 では、まずここで、「FFフリーハンデって何?」という受講生の皆さんのために、この「FFフリーハンデ」についての説明を致しましょう。
……というわけで、今回も7つのカテゴリにわたって「FFフリーハンデ」を編集・公開してゆくわけなのですが、皆さんもご存知の通り、昨春にフードファイトごっこで中学生が窒息死したニュースが報道されて以来、テレビ各局はフードファイト関連の番組の製作と放映を自粛してします。 ・食材がグラム単位で正確に計量され、選手間に全く不公平が無いように調整されている。 ……などといった好条件が揃っており、今回は特別に“メジャー系競技会に準じるもの”として「FFフリーハンデ」の対象競技会とすることにしました。 それでは、これから「スプリント」と「早食い」のフリーハンデ値とその解説をお送りします。解説文では人物名を敬称略とし、文体を常体に変更しておりますので、ご承知おき下さい。 「2002年度・FFフリーハンデ」
※02年下半期の競技結果※
〜早食いカテゴリ〜
※02年下半期の競技結果※
しかし、世の中何が起こるか分からない。この大氷河期の最中に実施されたメジャー級競技会・「Q−1グランプリ」において、フードファイト史に残る大記録──カレー3kgを2分04秒で完食──が山本晃也の手(と口)によって叩き出されたのである。 一方、7月のネイサンズ国際で2連覇を達成し、“フードファイト大国・日本”の健在ぶりをアピールした小林尊だが、02年秋シーズンの彼は「Q−1グランプリ」をはじめとする国内競技会には全く出場しないままで年を越した。 さて、先に名前が出た現在の実力ナンバーワン選手にして国内メジャータイトル総ナメ中の王者・白田信幸であるが、彼の「Q−1グランプリ」での成績は山本(晃)から44秒差の3位に終わった。一発勝負の競技会とは言え、久々の敗北である。 話が前後したが、「Q−1グランプリ」では伏兵・小国敬史が白田を上回るタイムで準優勝を果たし、スプリントカテゴリでは小林尊に並ぶ66ポイントのレイトを獲得した。 「Q−1」では、この他にも射手矢侑大、高橋信也、立石将弘といったトップクラスの選手たちがそれぞれ好記録をマークして健在をアピールした。 では最後に、「Q−1」で下位に甘んじた選手にも少し触れておこう。 ……というわけで、今回は早食い部門の年間総括でした。次回はフードファイト界全体の年間総括です。どうぞよろしく。(次回へ続く) |