「社会学講座」アーカイブ(大食い特集・3)

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講義一覧

4/20 文化人類学(大食い関連) 「祝・大食い復活! テレビ東京系『大食い王決定戦』TV観戦レポート」(2)
4/15 
文化人類学(大食い関連) 「祝・大食い復活! テレビ東京系『大食い王決定戦』TV観戦レポート」(1)
↑2005年分 /↓2004年分

7/4 
文化人類学 「頂上決戦再び! 04年ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・直前展望(2)」
6/30 
文化人類学 「頂上決戦再び! 04年ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・直前展望(1)」
↑2004年分 /↓2003年分

9/10 
文化人類学 「2003年度フードファイター・フリーハンデ・中間レイト」
7/6 
文化人類学 「第88回ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・結果報告」
2/7  文化人類学 「2002年度フードファイター・フリーハンデ」(2)
1/31
 文化人類学 「2002年度フードファイター・フリーハンデ」(1)

 

2005年度第5回講義
4月20日(水) 文化人類学(大食い関連)
「祝・大食い復活! テレビ東京系『大食い王決定戦』TV観戦レポート」(2)

 ◎前回までのレジュメはこちらから→ 第1回

 お待たせしました。「大食い王決定戦」の大会後半のレポートをお届けします。
 TV中継放映後の巷の反応を見ていると、良くも悪くも関心度が低いのが寂しい限りではありますが、この講義がフードファイト復興に僅かでも役立てば……と思う次第です。

 それでは、レポートへ移ります。今回も少々ドライな“大食い競技解説者”モードに入りますので、文体は常体、人物名は原則として敬称略となります。


 ☆3回戦(本戦2日目朝)・水戸 納豆巻き30分勝負

 ※ルール:1本20cmの納豆巻き(100g)を、30分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。

 赤阪尊子VS藤田操の伝説の名勝負でもお馴染み、「大食い選手権」時代からの定番食材・巻寿司で争われる3回戦。具が好き嫌いの極端に分かれる納豆だったが、主催者側の目論みは外れて(?)、極端に納豆が苦手そうな選手は居なかった。

 スタート良く飛び出したのはやはり藤堂。今大会のペースメーカー役がすっかり板について来た。他の選手も自分のペースで順調に本数を重ねてゆく。
 5分経過。1位・藤堂(10本)、2位・泉(9本)、3位・山本(8本)、4位・嘉数(7本)、5位・山口(6本)
 このラウンドは野外ロケという事で、周囲には偶然居合わせた一般人のギャラリーが。中村有志レポーターが「本当に食べてるでしょう?」と定番のアオりを入れる。各選手もそれに応えて相変わらず各々のペースを維持しており、積み重なった木ゲタは選手の姿を隠してしまうほど。
 20本一番乗りの時点で暫定首位は泉に交代。以下、1本以上の差で山本、藤堂。
 15分経過。1位・泉(23本)、2位グループ・山本・藤堂(21本)、4位・嘉数(18本)、5位・山口(15本)
 20分を過ぎた辺りで、勝負の行方は、上位グループと下位グループの二手に分かれた格好。まず上位グループでは7本強/5分のペースを維持する泉に、徐々にペースを上げて来た山本が追いついて共に30本突破。藤堂はクルージング気味にペースを落として3本差の3位。一方の下位グループでは、嘉数22本に対して山口20本と、にわかに差が詰まり始めた。
 25分経過。上位グループはクルージング状態でペースダウンだが、下位2名は嘉数25本、山口24本となって予断を許さない状況へ。
 そして残り時間50秒の時点で、山口が28本目を先に完食して遂に逆転。嘉数も僅差で追いすがり、両者懸命のラストスパート。ここに来て早食い状態になったのを見て、中村レポーターが「焦らないで!」「負けても帰るだけなんだから!」と、3年前では到底考えられない叫びを投げかけるが、競り合う選手2人はますますヒートアップ。
 残り10秒で山口が29本完食したが、5秒後には嘉数も29本完食し、更には終了間際運ばれて来た30本目にすかさず1口齧り付いた。99年のオールスター戦決勝の岸義行を髣髴とさせる土壇場での大逆転劇に、山口はただただ呆然とするばかり。
 だが、ここでオフィシャルによる物言いが入ってVTR判定に。リプレイ映像には、中村レポーターが試合終了の太鼓を叩いた一瞬後に巻寿司を食い千切っている嘉数の姿が映し出されていた。これにより嘉数の“1齧り”は無効と判断され、記録は山口と同じく29本ジャスト。オフィシャルの現場判断により、この3回戦は単独最下位無しにより全員通過となった。

1位通過 山本卓弥 36本(3.6kg)
2位通過 泉拓人 34本(3.4kg)
3位通過 藤堂敬太 30本(3.0kg)
4位通過 嘉数千恵 29本(2.9kg)
山口尚久 29本(2.9kg)

 上位3人は終盤完全にクルージング状態に入っていたが、いつの間にか山本がトップ通過。競輪の番手チョイ差しのような余裕綽々の戦い振りで、この辺り、自分の胃容量を知り尽くしている人間は強い。
 もっとも、2位・も、ペースを落とさなければ、もっと記録を伸ばせていたであろうし、この結果にもショックは全く無いはずだ。3位の藤堂も同様だが、ただ彼の場合はペースの落ち方がやや急で、後半戦の戦い方も消極的に過ぎた印象もあるのが気になるところ。
 そして、辛うじてラウンド通過を果たした嘉数、山口の2人だが、上位3人との差は明確になる一方で、準決勝での苦戦がひたすら懸念される結果となってしまった。

 ☆準決勝(本戦2日目夜)・江ノ島「江之島亭」しらす丼45分勝負

 ※ルール:1杯300gの釜揚げしらす丼を、45分でどれだけ完食出来るかを競う。下位2名が失格。

 準決勝は、これも「大食い選手権」以来の定番である、御飯物・丼勝負。毎回好記録が飛び出すラウンドとあってか、山本の口から「20杯(6kg)完食宣言」が飛び出した。
 これには周囲からも感嘆の声が漏れるが、3年前に彼の「6.7kg完食→リタイヤ」を目の当たりにしている中村レポーターだけは、やや渋い顔(笑)。
 一方、3回戦では渋太い粘りを見せた山口は、ここに来て欲が出て来たか「脱・一般人」宣言。元々は山口が使い始めた「一般人」というフレーズだが、今大会では敗北を悟った選手がこの言葉を口にするのが定番化しており、山口のこの宣言は、即ち勝利宣言という事になる。

 序盤のペースを握ったのは、やはり藤堂で、このラウンドでも最初の「おかわり」コール。以下1杯完食は、泉、嘉数、山本、山口の順。
 しかし3杯完食の時点で、早くも泉、山本が藤堂に追いついて2人によるトップ争いへ。どうやら準決勝に至って藤堂の3番手格が定着してしまった様子。
 22分30秒(ハーフタイム)経過。1位グループ・山本、泉(9杯)、3位・藤堂(8杯)、4位・嘉数(6杯)、5位・山口(5杯)
 各選手の地力の差が如実に完食量に反映されて来た。山口は「満腹とまでは行かないが、胃が疲れて(食が進まない)……」と苦しい胸ならぬ腹の内を告白。これまでにも数多の強豪選手の箸を止めて来た準決勝の“魔力”が遂に牙を剥き始めたか。
 10杯完食一番乗りは山本。泉もこれに続くが、藤堂は完全に流れに乗り遅れた。
 35分経過。1位・山本(14杯)、2位・泉(12杯)、3位・藤堂(10杯)、4位・嘉数(8杯)、5位・山口(7杯)
 各選手間の差が広がって勝負の妙味は失われたが、山本は「20杯完食宣言」を守るべくペースダウンせず。そして他の選手たちも箸を止めようとせず、大食い競技のセオリーである「スローペースで確実に量をこなす」を地で行く競技姿勢で最後まで戦い抜いた。この見事なクリーンファイト&フェアプレイには心から賞賛を送りたい。

1位通過 山本卓弥 17杯(5.1kg)
2位通過 泉拓人 14杯(4.2kg)
3位通過 藤堂敬太 12杯(3.6kg)
4位落選 嘉数千恵 9杯(2.7kg)
5位落選 山口尚久 7杯(2.1kg)

 ようやくリミッターを外したか、山本が5kgオーバーの好記録で堂々のトップ通過。とはいえ、かつては楽々クリアしていた6kgにまるで辿り着けなかったのは少々不満ではある、長期ブランクが影響しているのだろうが……。
 はこのラウンドでも山本に明確な差を付けられての2位。放映された映像からでは、どこまで本気でマークした記録か判らないのだが、山本がこの直後に「準決勝で他の2人の力は見切った」という旨の宣言をしていた事を考えると、少なくとも当事者からは胃容量の限界を窺い知れるような食べっぷりだったのだろう。
 3位の藤堂は、このラウンドも序盤こそ快調に飛ばしたものの中盤以降は3位を無難にキープしただけで終わった。決勝進出は果たしたものの、優勝争いからは数歩後退した感がある。
 敗退の2人は、やはりと言うか3回戦で最下位争いを演じた嘉数山口。ハッキリとした実力差を見せ付けられたためか、両者悔しがる素振りも見せずサバサバと敗戦の弁を述べていた。
 なお、嘉数はこの後、4月に行われたローカル系の蕎麦大食い競技会で見事に女性の部優勝を果たしている。今後も精力的な活動を続けていくようだ。

 

 ☆決勝(本戦3日目)・神奈川「なんつッ亭」ラーメン60分勝負

 ※ルール:規定の具をトッピングされたラーメンを、60分でどれだけ完食出来るかを競う。なお、火傷防止の名目で、スープ及び少量のネギは残しても良いことになっている。

 決勝は伝統の丼物麺類60分勝負。競技の見栄えといい、積み上がった丼の壮観さといい、やはり決勝はラーメンでないと盛り上がらない。
 さて、今回は決勝前夜に選手インタビューが行われた。山本は先述したように「準決勝で他の2人の実力は見切ったので、優勝できると思います」と早くも勝利宣言。これを聞かされた泉は、さすがに不快感を隠さず「自分はまだ本気を出していない」と反論。藤堂も山本の力を認めつつも「山本さんは猫舌なので、熱いラーメンは苦手のはず。こちらにもチャンスはある」と虎視眈々であった。

 ──では、決勝の競技の模様をお送りする。
 1杯目を真っ先に完食したのは、やはり藤堂。2分20秒のラップタイムは過去の大会と比較しても好記録の部類だが、ややオーバーペースか。以下、32秒差で山本、更に7秒差で泉が続く。
 2杯目も藤堂がトップ通過。しかしこの1杯には3分36秒を要しており、瞬く間に差が縮まって来た。2位・山本とは3秒差、3位の泉とも6秒差しかない。
 10分経過。完食杯数は3者とも3杯。
 4杯目完食時点のトップも辛うじて藤堂が守り抜く。2位は泉で僅か3秒差、山本は猫舌を誤魔化すためのお茶をペットボトルからコップに注ぐ時間がロスとなって、藤堂から29秒差開いた。
 5杯目、ついに泉が藤堂に5秒差を付けてトップ逆転。山本も急追して藤堂と同タイムの2位につける。
 6杯目、泉が1杯2分30秒のラップタイムで山本との差を20秒に広げる。藤堂はこの1杯に4分を費やすスローダウンで、早くも泉とほぼ1杯の差が開いた
 7杯目も泉が快調に飛ばして首位キープ。山本との差は28秒。
 20分経過。1位グループ・泉、山本(9杯)、3位・藤堂(8杯)。山本は早くも2リットル入りペットボトルのお茶を飲み干した。いくら飲料とはいえ、胃容量的には大きなハンデキャップになってしまったか。
 10杯目完食も泉がトップ。山本との差は37秒まで開いた。11杯目完食時でも31秒差をキープする。
 40分経過。1位グループ・泉、山本(12杯)、3位・藤堂(9杯)。藤堂は完全に勝負権を失った。
 13杯目の完食時点でも相変わらずトップは泉で、山本との差は28秒差と膠着模様。しかし、山本はここでズボンのベルトを緩めると突然スパートを開始。差が急激に詰まり始め、風雲急を告げた。
 14杯目を先に完食したのは何と山本。この1杯を2分59秒でまとめ、泉を逆転して更に11秒の差をつけた。
 15杯目、山本のリードは20秒に広がる。泉はサングラスを外して“本気モード”に入るも、ペースを乱された上に胃容量が遂に限界へ。この1杯は何とかクリアしたものの、16杯目のラーメンを前にしてピタリと箸が止まった。
 大勢は決し、残り時間は山本のウイニング・ラン状態。ややペースを落としつつも競技終了間際には17杯目を完食して笑顔で「おかわり
」コール。終了数秒前に卓上に運ばれたラーメンのチャーシューを1枚口に入れた所で、全ての終わりを告げる太鼓の音が響き渡った。

優勝 山本 卓弥 17杯
準優勝 泉 拓人 15杯
3位 藤堂 敬太 10杯

 優勝は大本命・山本卓弥あの忌まわしきドクター・ストップの悪夢から3年、あの日に置き忘れた栄冠を漸く頭に戴いた。全ラウンドを通じて余裕綽々の戦い振りで、意気盛んなルーキー達を横綱相撲で寄り切った。
 特に決勝は相手の胃容量を把握した上で勝負処まで力を温存しておき、一気のスパートで逆転して大勢まで決めてしまうという見事な戦い振り。昨年、お好み焼き大食い大会で射手矢侑大にしてやられた“先行チョイ差し”を、相手を変えて意趣返しして見せた辺りには、このメンバーでの格の違いを見せつけた感がある。
 過去の彼の成績と比較すると、(ペースを抑え気味にしていたとはいえ)記録はやや平凡で、本人も大会終了後に「久々の大食いで、思ったよりも食べられなかった」と語っていたが、衰えてなおこのパフォーマンスかと逆に感嘆させられてしまう。

 準優勝は泉拓人。最後は完敗に終わったが、それでも新人戦の平均的な優勝者とほぼ同格のパフォーマンスを見せてくれた。今後も出場者のレヴェル次第では好成績が期待出来る逸材であると言える。

 3位の藤堂敬太は、胃容量の限界もあったが、序盤のハイペースが後になって大きく響いたようだ。いくら何でも01年のオールスター戦の白田、射手矢以上に飛ばしていては、後が続くはずも無い。

 ……こうして、復活第1回となった今大会は山本卓弥の優勝で幕を閉じた。中断前最後の大会の優勝候補筆頭が、再開第1回目の優勝者となる…という連続性は、不可抗力の産物とは言え、我々コアなフードファイト・ファンにとって非常に感慨深いものであった。前回のレポート冒頭で述べた通り、主催者側のスタンスに不満は多々あれど、全体的に見れば成功の部類に入る大会だったのではないだろうか。
 フードファイト界を取り巻く環境の厳しさは相も変わらず、メジャー系競技会が復活してなお3年間の“暗黒時代”の重みを痛感する現在ではある。が、とりあえず今は復興の第一歩を踏みしめた事を喜びたいというのが、この厳しい3年間を乗り越えて来た関係者やファンの偽らざる気持ちであろう。

 我等が愛する大食いは永遠に不滅なり。こう高らかに宣言し、今回のレポートのまとめとさせて頂こう。


 ……というわけで、3年ぶりのTV関連レポート、如何でしたでしょうか。楽しんで頂けたら幸いです。
 次回の文化人類学講義は、7月のネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権の前後になると思います。では、また。(この項終わり)

 


 

2005年度第3回講義
4月15日(金) 文化人類学(大食い関連)
「祝・大食い復活! テレビ東京系『大食い王決定戦』TV観戦レポート」(1)

 今週初めに開講当初風の講義をお届けしましたが、今日は開講当初の看板講義であった大食い番組のTV観戦レポートをお届けします。時間の都合で2回に分けての実施となりますが、何卒ご了承下さい。
 しかし、これだけ大掛かりなフードファイト系番組のレポートとなると、02年春以来、実に3年ぶりとなりますか。駒木もテンションが上がるやら、当時のノウハウをサッパリ忘れていて戸惑うやら…なんですが、どうぞ最後までお付き合いをば。

 なお、レポート中の駒木は“大食い競技解説者”モードに入りますので、文体は常体、人物名は原則として敬称略となります。


 レポート本文に先立って、今回の大会についての概要と雑感を記しておこう。

 まず、今大会は「TVチャンピオン」枠を外れ、大会名称も「大食い選手権」ではなく「大食い王決定戦」となったが、競技の内容や進行フォーマットは「選手権」とほぼ同様のものだった。放送当日午後に「選手権」時代の出来事も絡めた番組宣伝も行っており、事実上の“続編”という認識で良さそうだ。
 司会のみのもんたを始め、出演タレントの大半が「大食い選手権」シリーズに馴染の薄いメンバーだったものの、放映時間の大部分で実況・レポート役の中村有志が出ずっぱりという事もあって、「選手権」時代からの視聴者にも大きな違和感無く映ったのではないだろうか。この他でも、必要最低限の“弄ってはいけない部分”には絶対に手を加えなかった制作サイドの意識の高さは、大変に好もしいものであった。

 「選手権」時代からマイナーチェンジを施された点としては、これまで前半ラウンドを中心に採用されていた完食勝負方式──制限時間内に規定量を完食した全員がラウンド通過となる──が事実上廃止された事が挙げられる。今回は全てのラウンドで、そのラウンドの記録下位1〜2名が脱落していく形式となった。大食い版の「アメリカ横断ウルトラクイズ」とでも言うべきだろうか。
 この件について公式なアナウンスは無かったが、完食勝負方式では、無用の早食いを助長するだけでなく、制限時間ギリギリになって限界を超えた量を無理に胃に詰め込む選手が現れる可能性があり、その場合は様々な面でリスクを伴う…と制作サイドが判断したためではないだろうか。良く言えば選手の安全管理の行き届いた施策という事になろうか。

 ただ、番組全般に、いかにも腫れ物に触るようにして大食い競技という“火種”を扱っているような雰囲気が漂っていたのは、仕方ない話とは言えやや興醒めであった。「健康第一」「(死亡事故の原因となった)早食いは禁止」というアナウンスはともかくとして、一生懸命頑張っている選手に対し、「焦らないで」「負けてもいいじゃない」と水を差すのは、さすがに……。
 また、選手公募の際は「過去に大食い番組の本戦出場経験なし」という条件を付けておきながら、何故か大阪予選に3年前の「大食い選手権」本戦出場選手が参加していて、しかも不自然なまでに過去の経歴に触れない…という、すぐバレる嘘(演出?)をカマす悪癖まで「選手権」時代と変わりなしだったのも残念だった。特に今回出場した山本&嘉数の両選手は、前回出場時には共に不本意な過程で敗退しているだけに、“リベンジ組”としてドラマティックに扱えば、もっと自然な形で話題が盛り上がったはずである。この辺のセンスの悪い所もテレビ東京流と言ってしまえばそれまでなのだが……。 

◆東京地区予選◆

 ☆「桃太郎すし本店」寿司大食い(30分)

 ※ルール:2カン1皿の寿司を30分でどれだけ食べられるかを競う。寿司は2カン1皿単位で、ネタを自由に注文できる。
 出場者75人(一般参加69人+タレント6名?)を3班に分けて競技を行い、各班最上位者と女性最上位1名は無条件で本戦出場。また、その他に成績優秀者数名から面接審査をして1名が選ばれたとのこと
(※「夕刊フジ」紙のレポートによる)

 3年ぶりの大食い競技会の幕開けは、やはり東京は高円寺にある「桃太郎すし本店」から。大食い競技の歴史に名を残した“英雄”の殆どが、この店から巣立って行った、大食い競技会の聖地とも言うべき店である。

 さて、競技中の様子だが、スタート当初こそ“賑やかし担当”のタレント・プロレスラー勢がハイペースで寿司を頬張り気勢を上げたものの、10分もすれば当然のように失速。中盤以降は、平均ペースでうずたかく皿を積み重ねてゆく“本物”のルーキー達に主役が移った。
 特に今回は、大食い向きの体型である痩せ型選手の台頭が目立った。来るべき本戦の好パフォーマンスが期待出来そうな、充実した予選会だったと言える。

 ──東京予選からの本戦出場者は以下の通り。なお、個々に付けたコメントは映像資料を参考に駒木が独断で記した。
 なお、今回の予選では「寿司1皿100g」と表記されたが、過去の「桃太郎すし」の記録と、その記録を残した選手の胃容量・スピードが余りにも噛み合わない事などから、例外的に参考外とさせて頂いた。デビュー間もない時期の高橋信也・立石将弘が、7kg以上の固形物を30分で完食出来たとはとても考え難いのだ。

1位通過 泉 拓人 60皿
2位通過 土屋 智子 50皿
3位通過 山口 尚久 49皿
4位通過 横森 弘一 46皿

 ※参考記録:名選手の「桃太郎すし」予選通過記録
 白田信行85皿/高橋信也78皿/立石将弘74皿/射手矢侑大69皿/藤田操63皿/赤阪尊子62皿/小林尊60皿

 ◎泉拓人…年齢非公開、170cm42kg。
 1食あたり米5合、しかも土鍋を茶碗代わりに使うという豪快な食生活をしているが、体脂肪率は何と8%。
 いかにも「バンドやってます」な容姿で自称アーティストを名乗り、本戦にもギター持参でサービス精神旺盛(しかも空回り?)な所を見せるが、素性は謎のまま。いかにも「大食い選手権」的なキャラクターばかりが目に付くが、予選記録はかつての名選手と遜色の無いもので、能力的には新人戦では上位クラスと言えよう。

 ◎土屋智子…21歳。
 「呉服屋の箱入り娘」という触れこみだが、競技中の質問に対する受け答えを見ていると、やや大人しい“普通の素人さん”といった感じ。好物は菓子パン類で、2時間ドラマを観ている内に軽く15個は平らげてしまう。

 ◎山口尚久…30歳。
 元は肥満児だったが、体質の変化か、今は食欲は衰えぬままで一般人と変わらぬ体型に。「自分は一般人」と自称するが、予選記録と体型などを考えると明らかに普通ではない(笑)。選手紹介VTRでも巨大なカツ丼、カツカレーを楽々平らげていた。

 ◎横森弘一…38歳。
 現役レスキュー隊員。見た目大食い体型ではあるが、記録最下位の上に30代後半という年齢は、やはりネックになるだろうと思われた。

◆大阪地区予選◆

 ☆「十八番」たこ焼き大食い(30分)

 ※ルール:6個1皿のたこ焼き(150g)を30分でどれだけ食べられるかを競う。完食個数上位3名が本戦に進出。

 3年前の前回大会に続いて2度目の開催となった大阪予選。正確な出場者数は不明だが、ゼッケン番号が90番台まで確認出来たので、賑やかしのタレント勢を含めて最低でも100人弱の参加者があったのではないか。
 競技は玉石混交のレベルを反映して、中盤以降は実力差がクッキリと分かれる展開となった。(恐らくは主催者側の要請で)紛れ込んでいた前回「大食い選手権」本戦出場者の2名・山本卓弥、嘉数千恵の2名が余裕を持って抜け出す中、新人の藤堂敬太が懸命に食い下がって好パフォーマンスを見せつける。終わってみれば東京予選よりもレヴェルの高い記録水準となった。 

1位通過 山本卓弥 30皿+2個(4.55kg)
2位通過 藤堂敬太 30皿(4.5kg)
3位通過 嘉数千恵 24皿+1個(3.425kg)

 ◎山本卓弥…21歳。3年前のデータでは169cm56kg。
 放送では触れられなかったが、3年前の「TVチャンピオン・全国大食い選手権・日本縦断最強新人戦」の出場者。各ラウンドで完食重量5〜6kg台の記録を連発し、他の選手を寄せ付けない実力を見せ付けるも、消化器系のトラブル(緊張の余り胃が働かず、7kg以上の食材が一晩経っても消化されなかった)に見舞われて無念の途中棄権を余儀無くされた。
 大会後も1年に1度のペースでローカル系大会に出場し、昨春には、大阪のお好み焼き屋「ゆかり」の1時間お好み焼き大食い選手権「お好みアタック」で、19枚3/4完食の好記録を残している。今回でも選手紹介VTRで、オムライス3kgとパフェ2kgを完食するなど、衰えない能力の一端を見せつけた。

 ◎藤堂敬太…21歳。
 大食いという事を除けば、大阪のどこにでもいる普通の大学生…といった感じ。選手紹介VTRでは2kgの巨大カレーうどんを20分以内で完食というパフォーマンス。

 ◎嘉数千恵…3年前のデータでは155cm50kg。
 山本と同様、3年前の「大食い選手権」の本戦出場者。福岡予選を悠々1位で通過するも、本戦1回戦で競技中に体調不良のため途中棄権となってしまった。
 彼女もローカル系フードファイト大会に出場するなど精力的な活動をしており、今回は万全の体調で3年前のリベンジを期す。

◆大会本戦◆

 ☆1回戦(本戦初日午前)・宇都宮「みんみん」ギョーザ30分勝負

 ※ルール:6個1皿(150g)のギョーザを30分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。

 スタート直後から各選手勢いよくギョーザを口に運んでゆくが、中でも土屋、泉、藤堂の3選手が速い。目まぐるしく順位を入れ替えながら皿を重ねてゆき、10分も経たない内に藤堂が10皿1番乗り。土屋、泉も続く。
 10分経過。1位グループ・藤堂、土屋、泉(11皿)、4位・山本(9皿)、5位グループ・嘉数・山口(8皿)、7位・横森(7皿)
 中盤戦に突入しても上位3選手は快調。1皿1分のペースを崩さない。15分直前で藤堂は15皿完食。間もなく土屋、泉も皿数で並んで追いすがる。スロースターターの山本は1皿差の4位と伸び悩むが、美味そうにギョーザを食べる笑顔には「余裕」の2文字が浮かんでいる。最下位争いは嘉数11皿に対して横森9皿。
 20分経過。1位・藤堂(19皿)、2位グループ・土屋、泉(18皿)、4位・山本(17皿)、5位・山口(15皿)、6位・嘉数(13皿)、7位・横森(12皿)
 20皿一番乗りは、やはり藤堂。それに土屋、泉、山本の順で続く。この辺りから上位陣はクルージングに入ったか、ややペースダウン。逆に最下位を巡る嘉数・横森の争いが激しくなって来た。しかし、一時は1皿差にまで迫った横森も、嘉数がラストスパートをかけると全く対応出来ず。残り1分で再び2皿差にビハインドを広げられ、無念の表情で競技終了の合図を聞いた。

1位通過 藤堂敬太 24皿(3.6kg)
泉拓人 24皿(3.6kg)
3位通過 山本卓弥 22皿(3.3kg)
4位通過 土屋智子 21皿(3.15kg)
5位通過 山口尚久 19皿(2.85kg)
6位通過 嘉数千恵 18皿(2.7kg)
7位落選 横森弘一 15皿(2.25kg)

 藤堂・泉の東・西ルーキー2人が1、2位を分け合った。30分でギョーザ3kg台は極めて平凡な記録ながら、終盤のスローペースを見る限りでは、まだまだ余裕残しの戦い振り。この時点では能力の底が知れない。
 実力最右翼の山本は3位に甘んじたが、どう考えても全く本気を出していない様子で、ここは「とりあえず軽食を済ませた」といったところか。4位の土屋も最後は殆ど箸を止めているくらいのクルージング状態だった。
 この上位4人には多少離されたものの、山口、嘉数も危なげなく皿数を重ねていった。
 不名誉な失格者第1号となってしまったのは横森とはいえ、このスローペースで“追走一杯”ではどうしようもないだろう。地力の差としか言いようが無い。

 

 ☆2回戦(本戦初日夜)・前橋「とんとん広場」キャベツ千切り45分勝負

 ※ルール:本来は豚カツの付け合せとして出されるキャベツ(1皿150g)を、45分でどれだけ完食出来るかを競う。最下位1名が失格。なお、キャベツと一緒に豚カツも供されるが、こちらはいくら食べても記録には無関係。

 大量に食べている所を観ても、全く羨ましく思えない食材を…という、「日曜ビッグスペシャル」時代からの伝統を受け継いだテーマ食材で争われる2回戦。各選手、豚カツには目もくれず、ひたすらキャベツを塩やドレッシングで味付けしてバリバリと噛み砕いてゆく。
 このラウンドもスタートを決めたのは藤堂。スピードの違いで押し出されるように先頭に立つ。しかし泉、山本も大差なく追走し、この3人がトップグループを形成。またしても順位を絶え間なく入れ替えながら、早くもラウンド通過は安泰の様相だ。
 15分経過。1位・藤堂(7皿)、2位グループ・山本、泉(6皿)、4位グループ・土屋、山口、嘉数(5皿)
 「豚カツの熱でキャベツをしならせて食べ易くする」という奇策を披露した泉が8皿完食の時点でトップに立ち、逆に藤堂はペースに翳りが見えた。山本はトップに立つ事こそ無いが、余力残しのまま少差で2〜3番手をキープしている感じ。
 前半戦はカヤの外に置かれていた感のあった山口、嘉数もいつの間にかペースを上げ、10皿完食時点では藤堂をも射程圏に捉えた。その一方で、固い食材が苦手な土屋がこの辺りからスローダウン。豚カツを口にして歓喜の声を上げる他の5名とは対照的に、2皿差の最下位となって早くもピンチに立たされた。
 35分経過。1位グループ・泉、山本(13皿)、3位グループ・藤堂、嘉数、山口(12皿)、6位・土屋(10皿弱)
 既に大勢は決し、興味はトップ争いに移行。残り5分になると山本が一旦は泉をかわして暫定首位に立つ場面もあったが、このラウンドも最後まで余力残しで無理せず自重。結局は泉とラウンド1位の座を分け合って45分の競技を終えた。

1位通過 山本卓弥 16皿(2.4kg)
泉拓人 16皿(2.4kg)
3位通過 藤堂敬太 15皿(2.25kg)
4位通過 嘉数千恵 14皿(2.1kg)
山口尚久 14皿(2.1kg)
6位落選 土屋智子 11皿(1.95kg)

 今度は東西の予選トップの2名、山本が首位を分け合った。特殊な食材だったために記録は伸び悩んだが、このラウンドも余裕綽々の通過といったところ。特に山本は、3年前に大会初日で無理をし過ぎてリタイアに追い込まれた経験から、意識的にセーブしているようにも見受けられた。
 後半失速して3位となった藤堂は、スピードの持続力にやや難があるのだろうか、競技時間を持て余しているようだ。嘉数山口はこのラウンドもマイペースに皿を重ねて、ラウンド通過自体は楽に決めた。ただ、上位3人とは明らかな実力差が窺え、翌日の3回戦と準決勝に不安を残す結果となった。
 2回戦敗退となったのは土屋。1回戦での快調な食べっぷりとはまさに好対照で、固めの食材に泣かされて胃を余して負けた格好だった。


 ……といったところで今日のところは時間切れ。また週明けに3回戦から決勝までの模様をお届けします。どうぞお楽しみに。(次回へ続く

 


 

2004年第29回講義
7月4日(日) 
文化人類学
「頂上決戦再び! 04年ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・直前展望(2)」

 ※第1回の講義レジュメはこちらから

 他の講義の準備に手間取っている間に、いよいよ大会本番まで数時間となってしまいました。急いでお話を進めなければいけませんね。
 前回はネイサンズ国際の概要と成り立ちについて、簡単なところをお話しました。フードファイトについて余り知識の無い方でも、この競技会が必要以上に歴史と伝統と格式を持った大イベントである事がお分かり頂けたかと思います。
 そして今日は、今回の大会で激突する2人の日本人フードファイター・小林尊選手と白田信幸選手についての理解を深めてもらって、今回の大会の重要性を把握して頂くと共に、有力アメリカ代表選手の動向なども含めた、今大会の展望などをお送りしたいと思います。駆け足気味の講義内容になると思いますが、最後までどうかご静聴の程を。

 さて、2人のうちフードファイト・シーンに登場したのは小林選手の方が一足先でした。今から約4年前、00年秋に開催された「TVチャンピオン・大食い選手権」のオールスター戦(=過去のチャンピオンも含めた国内最高レヴェルの競技会)から、彼の華々しいキャリアがスタートします。

 ちなみに、この00年の秋大会には、当時の日本フードファイト界を代表する名選手がズラリと顔を揃えていました。

 前年(99年)度の「大食い選手権」で、春の新人戦と秋のオールスター戦で優勝し、フードファイト界No.1大食い選手となった、“皇帝”岸義行選手。

 94年のデビュー以来、「大食い選手権」で優勝2回・準優勝2回、「甘味大食い選手権」で優勝1回(いずれも当時)にしてディフェンディングチャンピオン、更には00年ネイサンズ国際で3位と、6年にも及ぶ競技歴の中で常にフードファイト界の中枢に君臨し続けた、“女王”赤阪尊子選手。

 そして、この年(00年)のネイサンズ国際チャンピオンで、99年「TVチャンピオン・早食い日本一決定戦」優勝、「大食い選手権」3位2回という、“超特急”新井和響選手。

 ……戦績を見ても分かるように、彼らはただ卓越した実力を持っているだけでなく、非常に安定感のある競技姿勢にも定評がありました。1日に何度も30〜60分の大食い系競技を繰り返す「大食い選手権」では、そうでもなければ好成績を残す事が出来なかったわけですが、これは別の見方をすれば、競技経験の無い新人選手がオールスター戦で活躍するためには大きなハンデを背負っているという事を意味します。事実、大会前の下馬評では、「予選から立ち上がって来た新人選手は、1人残らずベテラン勢の前に屈服させられるだろう」…という声が有力でありました。

 しかしそんな逆境の中で、新人・小林尊は経験不足を補って余りある実力の高さで、この難関を1つ1つクリアしてゆきます。ただし、1、2回戦の成績はあくまで“並の新人クラス”に甘んじていました。
 ところが、大会初日3つ目のラウンドとなる準決勝・ジンギスカン45分大食い勝負で、突然小林選手の才能が開花します。この日これまでジャガイモ2.7kgとウニイクラ丼3.8kgを胃に収めていた小林選手は、並の新人選手なら胃がキツくなるはずのこの準決勝で、岸・赤阪・新井の“3強”を相手にして堂々たるトップ通過して見せたのです。
 これは並の新人どころか、明らかなチャンピオンクラスの実力。現場でこの出来事に立ち会った選手・関係者の驚きは相当なものだったでしょう。
 そして、この準決勝で勢いに乗った小林選手は、翌日の決勝でも赤坂・岸という2人の元チャンピオンを抑え、デビュー戦でオールスター戦優勝という偉業を達成します。端正なマスクから“プリンス”の異名を与えられた小林選手は、こうしてフードファイト界の寵児として幅広い活動を展開してゆく事になります。

 そんな小林選手が次に選んだ活躍の場は、TBS系の「フードバトルクラブ」。1000万円という破格の優勝賞金もあって「大食い選手権」出身のタイトルホルダーをはじめとする豪華メンバーが揃ったこの大会で、完全に開花した小林選手の才能が、眩いばかりに輝き始めます。
 1回戦の寿司早食いマッチレースで「3人連続勝ち抜き」という過酷な条件を難なくクリアすると、2回戦の45分間の体重増量競技「ウェイトクラッシュ」では流動食中心ながら8.9kgの記録をマークしてトップ通過。そして準決勝の早食い一騎討ち3本勝負「シュートアウト」では当時の早食い系競技第一人者・新井和響をセットカウント2-0で完封し、やや格下相手となった決勝の60分ラーメン大食い勝負では、他の2選手に5杯差という問答無用の大差をつけて優勝。文句無しの“二冠達成”を果たします。
 またこの頃は、小林尊選手のビジュアルやパフォーマンスに惹かれた女性ファンが急増し、フードファイト業界が大いに賑わいを見せ始めた頃でもありました。この時の隆盛を単なるバブルにしてしまった業界の無策さには未だに失望の念を禁じ得ませんが、それは今ここで述べる事ではないでしょう。

 こうして国内制覇を達成した小林尊選手の次なる目標は勿論、世界。ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権へのチャレンジです。
 先述の通り、当時のネイサンズ国際チャンピオンは新井和響選手。既に新井選手を2度倒した国内二冠王とはいえ、世界レヴェルにおける実績の無い小林選手は「TVチャンピオン」が開催する予選会からのスタートとなりました。
 が、その結果は当然の如く予備予選ラウンドからオールトップ通過。準決勝ラウンドの寿司早食い競技では「寿司を呑んでいる」と形容される常人離れした早食いパフォーマンスを披露し、本大会前にして優勝候補の交代を印象付ける事となりました。
 そして01年7月4日に開催された第84回ネイサンズ国際。情報不足ゆえに現地では全くノーマークであった小林尊選手ですが、新井選手の持っていた大会記録(25本1/8)をほぼ倍増(!)させる50本(/12分)のレコードをマーク。同じく自らの持つ大会記録を更新して食い下がる前王者・新井和響選手に20本弱の大差で圧勝して、僅かデビュー9ヶ月にして早食い世界王者のタイトルを手中に収めたのです。
 これで小林選手の保持するタイトルは「大食い選手権」、「フードバトルクラブ」、「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」の“メジャー三冠”。頂点を極めるとはまさにこの事でありました。小林尊時代の到来です。

 ──しかし、フードファイト界が小林尊一色に染まろうとしていたこの時、既に彼の終生のライバルとなる一人の選手がに既にデビューを果たしていました。そう、そのライバルこそが、身長193cmという巨体から後に“ジャイアント”の異名を取る事になる、白田信幸その人でした。

 白田信幸選手のデビューは、小林選手から遅れること半年。01年春に開催された、「大食い選手権」の新人戦でした。
 「大食い選手権」では、参加選手のマンネリ化を避けるために、春には同大会未出場の選手ばかりを集めたルーキーのみによる大会を実施しているのですが、白田選手もこの時、初めてのフードファイト競技会参加を果たしたのです。
 この01年春の新人王戦はかつてないハイレヴェルな戦いとなりました。例えば、高円寺の「桃太郎すし」を会場に行われた予選の30分寿司大食いでは、上位4人が過去の予選最高記録である67皿(134カン)を更新するという“異常事態”に。しかも、そんなかつてない水準の予選会をトップ通過したのが、この白田信幸選手で、この時マークした記録は何と85皿(170カン)。まさにその場にいる誰もが我が目を疑う光景が展開されたのでありました。いや、その記録を出した白田選手だけは疑う余地も無かったでしょうが……。
 ※ちなみに、この時叩き出した記録は、後に新井和響選手が86皿をマークして更新されている模様です(03年8月現在)。
 ……こうして豪快なデビューを飾った白田選手ですが、この「大食い選手権」新人戦は決勝で射手矢侑大選手に小差届かず、準優勝に終わります。しかしその敗因が、「経験不足のために早く食べる技術が未開発で、60分間で満腹になるまで食べられなかった」という恐ろしいもので、それでも記録がラーメン(スープ抜きで)20杯1/5というものなのですから、まったくもって空恐ろしい話です。

 そういうわけで、01年春シーズンは有り余るポテンシャルを開花させ切れずに終わってしまった白田選手でしたが、十分な調整期間を置いた秋シーズンになって、彼の才能がバックドラフト的な大爆発を果たす事になります。

 その“バックドラフト”最初のターゲットとなったのが、「フードバトルクラブ2nd」。春に小林尊選手が第1回大会を圧勝した競技会の第2回大会でした。
 当然の事ながら下馬評は圧倒的に“小林尊有利”。デビュー以来無敗のプリンスが、どれくらいの大差をつけて2連覇を果たすかが興味の中心だったと言っても過言ではなかったでしょう。
 事実、小林選手はこの大会でも圧倒的なパフォーマンスを見せ付けます。1回戦の寿司60カン早食いのタイムレースでは1分25秒81という当時としては常識外の杯レコードでトップ通過。2回戦ではカレー6.37kgを6分6秒で完食、3回戦の「ウェイトクラッシュ」では45分で体重増11.8kgの新記録でこれもトップ通過。準決勝でも01年春新人王の射手矢侑大選手に競り勝って、文句無しの決勝進出を果たします。
 一方の白田選手は1回戦で小林選手から30秒以上遅れの5位。2回戦ではケーキ68個(4.76kg)を16分52秒で完食し、3回戦も体重増11.08kgの記録で2位通過を果たすものの小林尊越えはならず。準決勝は加藤昌浩選手に完勝して決勝進出を果たしましたが、小林選手に比べるとインパクト不足は明らかでした。
 そうして迎えた決勝戦。これが小林・白田両選手による初の直接対決の場でした。戦前の周囲の興味は勿論、「王者・小林尊がどれくらいの差をつけて勝ち、挑戦者・白田信幸はどこまで善戦するか」。しかし、現実は我々に全く想像もしなかった光景を見せ付けてくれました。
 決勝の食材は吉野家の牛丼並盛。悠々と牛丼を口に運び、次々と空の丼を重ねてゆくのは挑戦者。一方のチャンピオンは、白田選手が作り上げるハイペースの前についていくのが精一杯の様子。口一杯に丼の中身を頬張りながら苦悶の表情を浮かべていました。
 初めて公の場に晒される小林尊の大ピンチ。誰もが目を疑う光景の中、時間ばかりが過ぎていき、序盤に作り上げた白田選手のリードは最後まで縮まる事はなく、遂に60分の試合終了を告げるブザーが会場に鳴り響きました。
 王座移動。
 無敵の“プリンス”の敗北。
 ──一夜にして、全ての状況が一変したのです。

 この後、間を置かずに「大食い選手権」のオールスター戦が開催されました(テレビ放映は「フードバトルクラブ」より先でしたが、収録は後だったようです→後から調べましたところ、収録も「大食い選手権」の方が先だったそうです。前後の文章は現実とそぐわない文面になりますがご了承下さい。また、小林選手は体調不良ではなくテレビ東京とのトラブルで欠場したというのが業界内の話としてあるそうです。謹んで訂正させて頂きます)。
 白田選手をはじめ、新人王の射手矢選手、更には赤阪・岸の前年度ファイナリストを交えた超豪華メンバーによるハイレヴェルなメンバー構成になりましたが、敗戦のダメージで体調不良に悩まされたディフェンディング・チャンピオン・小林尊選手は苦渋の選択の末に欠場。これまで小林尊選手のために回っていた歯車は、この僅かな間で明らかに空回りをするようになっていました。
 そして、不戦敗を喫した小林選手とは全く対照的に、この大会で白田選手は1回戦から好パフォーマンスを連発。制限時間の比較的短い準決勝ラウンドまでは射手矢選手に遅れをとったものの、決勝ラウンドの60分ラーメン大食い勝負ではスープ抜きながら30杯1/5という空前絶後の大記録をマークして優勝。白田選手はこれで二冠達成。名実共に日本フードファイト界の盟主交代が果たされた瞬間でありました。

 王者・挑戦者の立場を入れ替えて両雄の再戦が実現したのは、01年末に収録された「フードバトルクラブ」の年間王者決定戦「キング・オブ・マスターズ」。過去2回の大会で優秀な成績を挙げた招待選手を中心に争われた“グランドチャンピオン戦”でした。
 この大会では、懸命な再調整をこなしてリベンジに挑んだ小林尊選手の好調ぶりが目立ちました。3回戦の4種食材個人メドレータイムトライアル・「バースト・アタック」では、白田選手をはじめとするトップクラスの選手を相手に大差圧勝。早食い系競技での強さを見せつけると共に、王座奪還への力強いアピールを果たしたのです。

 ──が、小林選手の白田選手との直接対決の場となった決勝で、我々は再び“あの光景”を見せ付けられることになったのでした。

 決勝は1皿500gのカレーライス20皿完食タイムレース。ノルマ10kgという超ド級の早食い競争でした。
 競技前半から力強く抜け出した白田選手は、平然とした顔でカレーを次々と胃袋に収めてゆきます。そのスピード、1皿あたり50秒。一方の小林選手は4皿目から70秒/皿のペースにダウンし、その気迫のこもった顔とは対照的に、トップとの差は広がる一方に。
 競技開始から僅か8分にして両者の差は3皿、実に1.5kg。もはや態勢は決しました。その後10分もの間、我々は、いつの間にか我々の想像を絶する実力を誇るようになっていた偉大なる王者のパフォーマンスを、ただただ見つめる他無かったのです。
 最終結果は白田選手が5皿以上、量にして2.5kg以上の差をつけての優勝。3つ目のメジャータイトル獲得となりました。短すぎる小林尊時代の終焉、そして白田信幸時代の到来でした。

 ……こうして言い訳できない完敗を2つ並べた小林選手でしたが、まだ白田選手にアドバンテージを持っているポイントが残っていました。
 それは早食い系競技における強さ。胃袋の大きさを競う「大食い」とは違い、短時間で多くの食材を胃袋に流し込むスピードを競う「早食い」に関しては、小林選手は白田選手に敗れた事は無かったのです。
 そして02年春、そんな小林選手に打ってつけの競技会が開催されました。その名も「フードバトルクラブ3rd 〜The speed」。全競技が早食い系または早飲み系で構成された、フードファイター・スピードNo.1決定戦でした。
 この特殊な構成の競技会の性質上、下馬評はやはり「小林尊有利」。しかし、またしてもその下馬評は大会が始まると覆される事になりました。何と、白田選手がこの大会に時を合わせるように、眠っていた早食い能力までも開花させていたのです。
 その成果は本戦1回戦の寿司20皿(40カン)タイムアタックで早速発揮されます。ここ数ヶ月で更に磨きをかけた早食いスキルと持ち前の巨体ならではの口の大きさを利して、白田選手は36秒14をマーク。36秒60の小林尊選手を抑え、見事、早食い系競技で初の“小林越え”を果たします。
 決勝で白田選手は小林選手と三度相見えますが、ここでも結果は意外過ぎるほどのワンサイド・ゲーム。白田選手の猛烈な“早食い瞬発力”に小林選手は対応できず、持ち味を発揮したのかどうか分からない内に勝負は決してしまっていました。
 小林尊、三度目の完敗。それはこれまで積み上げた全てを失ったとも言える、痛恨の三敗目でした。

 そうして、このまま“白田時代”は長期安定に入り、7月にはネイサンズ国際でも王座交代が観られるのか…と思われた所で、あの忌まわしい事件が起き、日本のフードファイト界はあっという間に空中分解してしまいます。
 白田選手は4つのタイトルを持ったままセミリタイヤ状態に隠退し、02年末に富士急アイランドで開催された競技会に参加したものの調整不足か3位に敗退。03年にはファン向けのメッセージで「最近大食いをしていないので胃袋が縮んでしまいました」という内容のコメントを述べ、往時とは程遠い状態にある事を告白してしまいます。
 一方の小林選手は、フードファイト番組の休止に伴う試合枯れに苦しみながらも現役生活を続行。虎の子となったネイサンズ国際のタイトルを02年、03年と2度防衛し、“最強の暫定王者”の地位を守り続けました。実利の小さい、しかし確かな価値を持つ偉業でありましょう。

 そして04年。前回お話したように、ネイサンズの日本進出に伴ってネイサンズ国際の日本予選再開がアナウンスされると、遂に白田選手が復帰を決意。3年遅れでネイサンズ国際へのチャレンジが実現しました。
 この予選会には、同じく現役復帰を果たした元ネイサンズ国際王者・新井和響選手ら、「TVチャンピオン」のタイトルホルダー3人が名を連ねていましたが、白田選手も調整途上とは言え小林尊選手以外には負けられないところ。12分でホットドッグ31本という好記録で優勝し、本大会出場権を獲得したのです。
 この31本という記録は、今年全米各地で行われた予選会の記録と比較しても堂々のトップスコア。しかも日本支店のホットドッグは、パン部分の材質がアメリカ製の物に比べると随分と食べ難いらしく、実質上はもっと価値のある記録であるとのこと。
 しかし、受けて立つ立場の王者・小林選手は01年に50本、02年には51本1/2、試合枯れの影響を受けた03年でも44本1/2の記録を残しており、これはさすがにパンの材質差だけでは埋められない差でしょう。白田選手が本大会で優勝するにはかなりの上積みが必要になりそうです。

 また、ここ2年はアメリカでもフードファイト選手のレヴェルアップが著しく、決して油断ならない所まで実力差が迫って来ています。ここで主なアメリカ代表選手を紹介しておきましょう。

 ◎エドワード=ジャービス
 昨年のネイサンズ国際で30本1/2のアメリカ国内新記録で準優勝。本来の得意食材は甘味系で、アイスクリームを12分で1ガロン9オンス(約4リットル)完食の記録を保持している。
 今期はボストン予選を25本の記録で優勝。

 ◎エリック=ブッカー
 ネイサンズ国際では02年準優勝・03年3位と、安定した実力を発揮しているアメリカフードファイト界の第一人者。今期もニューヨーク・ベルモント競馬場予選で27本のアメリカ今期最高記録をマークし、堂々たる本戦進出。狙うは小林&白田の一角崩しか。

 ◎ソーニャ=トーマス
 03年のネイサンズ国際で5位に入賞し、赤阪尊子が保持していた女性記録を更新した“女傑”。
 ネイサンズ国際優勝を最大の目標に、今期もフィラデルフィア予選を26本1/2の自己最高・女性歴代最高記録で優勝し、初の女性王者へと挑む。

 ◎リチャード=レフィーバー
 御年59歳にして昨年のネイサンズ国際で4位入賞を果たした、アメリカ、いや世界フードファイト界の大御所。60歳となった今期もハリウッド予選で25本の記録を残し、衰えは全く見せない。
 また、「フードバトルクラブ」出場経験のある妻・カーリーン=レフィーバーもアリゾナ予選で優勝(記録16本)して、夫婦出場が実現している。

 ◎チャールズ=ハーディ
 01年のネイサンズ国際3位。ニューヨークはサウスストリート・シーポート予選を勝ち抜いて来たが、最近の記録インフレに対応しきれていない印象。苦戦か?

 ◎オレッグ=ツォルニツキー
 02年のネイサンズ国際3位で25本1/2の自己記録を持つ。今期はニューヨーク・ロングアイランドダックススタジアム予選で優勝したが、記録は19本と伸び悩み。スランプか?

 ……さて、いつの間にか時間が迫ってきました。そろそろ講義を引っ張るのも限界ですね。最後に簡単な大会展望をして締め括りたいと思います。

 地の利もある(この時期のニューヨークは猛暑)アメリカ勢の躍進も目が離せませんが、個々の記録や過去の実績を考えると、日本勢の優位は揺るがないでしょう。特殊な事情でリタイアや記録が30本台前半以下に低迷しない限りは、小林・白田のワン・ツーフィニッシュが濃厚と思われます。
 となるの問題は日本人両者の“アトサキ”になるわけですが、これがまた難解です。ネイサンズ国際日本予選の模様は、駒木の住む関西エリアでは未放映で、白田選手の仕上がり具合も未確認ですし……。
 ただ、12分という競技時間はどちらかと言えば胃袋勝負になるため、白田選手が若干有利です。もっとも小林選手にも完成されたテクニックがあり、決定的な差にはならないでしょうが、やはりフィジカルで上回る白田選手の方がポジティブな材料で勝ります。当日のコンディション次第ではありますが、白田選手が大一番に強いという要素も加味して6:4から7:3で白田有利としておきましょう。

 競技開始時間が迫ってまいりました。この後は駒木も一フードファイト・ファンに戻って、2人の戦いを心待ちにしたいと思います。それでは、大会後にお会いしましょう。ではでは。(この項終わり/大会回顧に続く)

 


 

2004年第27回講義
6月30日(水) 
文化人類学
「頂上決戦再び! 04年ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・直前展望(1)」

 ここしばらくは週1ペースの講義で、受講生の皆さんに物足りない思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。しかし高校講師の仕事も一段落つき、漸くこちらの方に時間とエネルギーを注げる態勢が整いました。今日からしばしの間平常モードに“復活”です。
 夏場は教員採用試験のシーズンですし、社会学講座以外の文筆活動も色々考えていますので、そうは言ってもなかなか時間の割けない事も出て来るでしょうが、その辺りも含めてどうか何卒宜しくお願いします。

 さて、“復活”第1回目の今回は、実に約1年ぶりに文化人類学──フードファイト競技関連の講義をお届けする事にしました。
 02年頃からの受講生さんはご存知と思いますが、この文化人類学講義は当講座開講当初の看板講義でした。世間一般ではキワモノ視されていたフードファイト競技を一種のスポーツとしてアプローチする…という趣旨のもと、競技会のTV観戦レポートや、フードファイト選手の能力数値化の試みである「フードファイター・フリーハンデ」などの企画を実施して来ました。実に手前味噌ではありますが、受講生さんたちからも一定の評価を頂いていたように思います。
 ただしそれも02年春にフードファイト番組を真似した中学生がパンを喉に詰めて窒息、後に死亡するという痛ましい事故が起きてからはフードファイト競技会の数も激減し、それに伴ってこちらの講義の方も途絶えがちに。その結果、先述の通り1年近くにも及ぶ休講を経て現在に至る…というわけです。

 ここ1年の日本フードファイト界の衰微は激しく、正直申し上げて当講座でフードファイト関連講義をする事はもう無いだろうと思っていました。しかしこの度、今年のネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権において、この大会3連覇中の王者・小林尊選手と、かつて国内メジャータイトルを総ナメし、最強のフードファイターの呼び声も高かった白田信幸選手が対戦する事が決定的となり、「うひゃあ、こりゃあ放っとけんぞ」…という事になった次第であります。
 この辺りはフードファイト・ファンの方でないとピンと来ない面もあると思いますが、ボクシングで喩えれば坂本一生と工藤兄弟……もとい、全盛期チョイ後あたりの辰吉と薬師寺が再戦するようなものだと申し上げれば、どれだけ「放っとけん」のかが少しは分かっていただけると思います。
 ……それにしても今頃どこで何やってるんでしょうか坂本一生。プロレスの練習生になった直後に速攻逃亡という、余りにも分かり易いヘタレっぷりを見せてくれたのは良いものの、その後は全くの行方不明になってしまいました。プロレス入門直前、中古車センターで洗車のアルバイトをして食い繋いでいた勇姿が忘れられません。まぁ本人からしたら「早いところ忘れてくれ」といったところでしょうが。

 ──と、閑話休題。前置きと余談がやたら長い本来の講義スタイルが戻って来て我ながら感慨深かったりするのですが、とりあえず本題へ。まずはこの小林・白田の両雄が相見える事になる競技会・ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権についてのお話を、少々時間を取ってしておきたいと思います。以前からの受講生さんにとっては過去の講義の内容と重複する部分も多いと思いますが、今回の講義はこれまでフードファイトに興味があまり無かった方のためのものだという事で、どうか何卒。

 ……さて、このネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権(以下、ネイサンズ国際)は、第一次世界大戦が激化しつつあった1916年の7月4日──つまりアメリカ合衆国独立記念日──に、4人のヨーロッパ移民たちが「我こそが愛国者だ」という気持ちをアピールするため、ニューヨークにあるホットドッグ店・ネイサンズで、アメリカ人の国民食であるホットドッグの食べ比べをしたのが起源とされています。そして、それ以来1941年と1971年にそれぞれ戦争激化と政情不安に抗議する意味で中止されたのを除いては、世界恐慌で失業者が溢れていようと、ソ連と核戦争の危機に瀕していようと、毎年必ず7月4日の独立記念日に大会が実施されています。さすがはブッシュを大統領に選んでしまうアメリカ人、シャレが利くんだか馬鹿なんだか判りません。
 そんなわけで、このネイサンズ国際は今年で実に87回目。長い歴史の中で細かいレギュレーションがいつどのように整備されていったのかは不明ですが、現在はアメリカ全土及びカナダやヨーロッパ、そしてアジア各地で予選会を行い、その優勝者が7月4日の決勝大会でホットドッグ早食い世界一を競う…というシステムが確立されています。
 一部を除く予選会及び決勝大会の競技ルール12分のタイムレースで、時間内にとにかく一番多くのホットドッグを完食(=口の中に放り込む)した選手が優勝という単純なもの。それでも大会記録が51本と1/2と聞けば、このネイサンズ国際がただの大食い自慢コンテストではない事がお判り頂けるでしょう。大会の模様は何とCNNを通じて全世界に発信され、下手なプロスポーツ競技よりも大きく採り上げられてしまいます。サッカーW杯のあった02年など、アメリカ代表が決勝トーナメントで8強に進出したニュースよりもネイサンズ国際の方に時間が割かれた…なんていう笑えない話もあったりしました。

 そんなネイサンズ国際が日本のフードファイト界と深い関わりを持ち始めたのは90年代後半のこと。この大会を事実上運営しているIFOCE(国際大食い競技連盟)に「大食い選手権」のテレビ東京が加盟し、ネイサンズ国際の日本予選開催権を取得した事から、番組の企画を兼ねて日本人選手が派遣されるようになったのでした。
 そして、当時から世界一の“フードファイト大国”であった日本勢の活躍は目覚しく、97〜98年優勝の中嶋広文選手(引退)00年優勝の新井和響選手、そして01年から昨年まで3連覇中の小林尊選手と、続々と日本人王者が誕生。いつの間にかネイサンズ国際は日本人選手のパフォーマンス大会の様相を呈するようになったのです。しかし、先述の中学生の死亡事故の影響でテレビ東京が日本予選会の開催権を放棄してしまった02年からは、小林尊選手がディフェンディング・チャンピオンの権利で出場するのみという、往時を知る者にとってはやや寂しい状況が続いていました。
 ……が、今年になって状況が漸く好転します。昨年開店したネイサンズ日本支店において、今年からネイサンズ国際の日本予選が開催される事になったのです。
 しかも、今年の再開第1回目となる日本予選にはフードファイト・ファン垂涎の豪華メンバーが集結しました。その模様については、また次回の講義で改めて詳しくお送りしますが、この予選を白田信幸選手が制し、遂に小林尊選手とのドリームマッチが実現する事になった…という次第です。

 ──というわけで、今日はネイサンズ国際と、この大会における日本人選手の活躍についてお話したわけですが、これだけではまだ今回の小林VS白田がどれだけ魅力的なカードなのかを伝えるには不十分。やはり両選手がこれまでどのような道を歩んで来たかを紹介してこそ、今回の対戦の重要さが分かるというものでしょう。
 そこで次回は、小林・白田両選手のこれまでの競技生活と直接対決の歴史を振り返り、更には今回のネイサンズ国際の展望などをお送りできれば…と思っております。とりあえず、木・金曜はゼミの準備がありますので、こちらの次回講義は大会(日本時間7月5日未明開始)直前の7月3日から4日午後あたりにお届けする予定です。
 それでは次回をお楽しみに。(次回へ続く

 


 

2003年第58回講義
9月10日(水) 文化人類学
「2003年度フードファイター・フリーハンデ・中間レイト」

 本日より、かねてからお約束しておりました、“積み残し講義精算キャンペーン”を始動させて頂きます。
 今年4月の業務縮小の影響により、当講座では人気シリーズの「モデム配り現場報告」をはじめ、最終章を残すのみとなっている「埋もれた(かも知れない)名馬列伝」、さらには当講座のエエ加減さの象徴とも言うべき、今年春に観戦したプロレス興行のレポートなど、様々なジャンルの講義シリーズが頓挫したまま棚上げ状態になってしまっております。
 今回のキャンペーンは、そんな、まるで小腸にこびりついた宿便のような未完の講義シリーズにケリをつけようというモノです。早い話が腸内洗浄です。専用の機械に付属しているチューブを直接肛門に通して洗浄液を……と、そんな話はどうでもよくてですね、とにかく終わってない講義を終わらせてゆくと。まぁ簡単に言えばそういうわけです。

 そして、本日お送りするそのキャンペーンの第1弾は、当講座開講以来の主要講義の1つであります、文化人類学(フードファイト関連)講義。半年毎にお送りし、今回で4回目となる「フードファイター・フリーハンデ」をお送りします。 
 いわゆるテレビの“大食い番組”が姿を消した後は、すっかり“過去の人”になってしまったフードファイト選手たちですが、FFA(フードファイター・アソシエーション)所属メンバーを中心とした一線級の選手たちは、そんな逆境にもめげずに地道な活動を続けています。フードファイト愛好家の皆さんは勿論、そうでない皆さんにも、今回の講義を通じて彼らの奮闘振りを知って頂けると幸いです。

 ──さて、それでは講義の本題に入ってゆきましょう。
 今回お送りしますのは、今年上半期(ただし、7月上旬を含む)のフードファイト競技会における、各選手のパフォーマンスレイト(フリーハンデ値)の発表とその解説です。また、これまではフードファイト業界の動向に関する総括を別にお送りしていたのですが、今回はこれも解説文に含める形でお送りします。

 なお、この「フードファイター・フリーハンデ」についてご存知無い方は、以下の説明を一読された上、過去3回の講義レジュメを通読される事をお薦めします。(左フレームの「大食い関連」からどうぞ)

 元々の「フリーハンデ」とは、競馬の競走馬能力比較に用いられた能力数値化の試みです。その能力比較をしたい競走馬たちを、とある条件で全て同時に走らせた場合、ゴール前で全馬が横一線になるにはどうすれば良いのかを想定して各馬に負担重量を設定し(例:芝2400mでのハンデ…馬A:61kg、馬B:59.5kg、馬C:57kg)、その数値の高さで各馬の能力を測定・比較できるようにするものです。
 この「フリーハンデ」は、同じ条件で凌ぎを削った競走馬同士の実力比較だけでなく、活躍時期の違いや得意とする条件の違いにより直接対決が不可能な馬同士でも、その数値の高さによって実力比較が可能であるという利点があります。
 よって、この「フリーハンデ」をフードファイトに適用する事で、同じ年に活躍した早食い系選手と大食い系選手の実力比較や、直接対決の無い「大食い選手権」系選手と「フードバトルクラブ」系選手との実力比較、さらには昨年の活躍選手と今年の活躍選手との能力比較が可能になるわけです。

 それでは、以下に「フードファイター・フリーハンデ」を編集するにあたっての規定を記しますので、あらかじめよくお読み下さい。

◎数値は本家の「フリーハンデ」に倣って、競走馬の負担重量風のものを使用します。重量の単位は、最近ではポンド換算が主流ですが、ここでは旧来のキロ換算の数値を使用します。ただし、競馬と違って、キロという単位に意味は有りませんので、「〜ポイント」と呼ぶ事にします。数値は0.5ポイント刻みです。
 ポイント設定の大まかな目安としては、
 ・50ポイント……フードファイター(選手)と、大食い自慢(一般人)との境界線
 ・60ポイント……「フードバトルクラブ」「大食い選手権(オールスター戦)」決勝進出レヴェル
 ……と、します。ちなみに、常識外れのビッグパフォーマンスが無い限り、65ポイントを超える事は有りません。
(逆に言えば、65ポイントを超えると、普段から一般人離れしているフードファイトの世界においてでも、常識から外れた物凄いパフォーマンスという事になります)

 また、選手間のポイント差については、
 ・0.5ポイント差……ほとんど互角だが、僅かに優劣が生じている状態
 ・1ポイント差……優劣が生じているが、逆転可能な範囲
 ・2ポイント差以上……逆転がかなり困難な差

 ……と、解釈してください。

最終的に各選手に与えられるポイントは、「フードファイター・フリーハンデ」対象競技会における、ベストパフォーマンスの時の数値を採用します。
 そのため、直接対決で敗れている選手の方が、「フードファイたー・フリーハンデ」では高い数値を得ている場合もあります。その場合は、敗れた選手が他の競技会で、よりレヴェルの高いベストパフォーマンスを見せた、ということになります。

◎ハンデは以下に挙げる7つのカテゴリに分けて設定します。
 瓶早飲み/ペットボトル早飲み(以上、食材が飲料の競技)/スプリント(5分以内)/早食い(5〜15分)/早大食い(15〜30分)/大食い45分(30〜59分)/大食い60分(60分以上)(以上、食材が食べ物の競技)

最終的に各選手へ与えられるポイントは、7つのカテゴリの中で最高値となったポイントを採用します。
 
これにより、早飲み選手、早食い選手、そして大食い選手との間での、間接的な能力比較が可能になります。

◎他、細かい点については、その都度説明します。

 なお、今回の「03年中間レイト」のレイティング対象競技会は、

 ◎ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権
 ◎第2回Q−1グランプリ
 ◎FFA Formula battle 1
 ◎FFA Formula battle 2
 ◎FFA Formula battle 3

 ……の以上5競技会です。
 本来、「フードファイター・フリーハンデ」では、世界最高レヴェルの国際大会である「ネイサンズ国際」とフードファイト競技会としてテレビ中継された大会──いわゆる“メジャー系競技会”のみをレイティング対象とする…という基準を定めていますが、昨今の“大食い番組”自粛の折、それでは資料不足に陥る事が明白であります。そこで、出場選手の実力や記録管理などの競技運営の水準が「大食い選手権」や「フードバトルクラブ」に匹敵していると認められる競技会に関しては、“メジャー競技会に準ずる競技会”として、レイティング対象に加える事としました。
 また、先に挙げた5つのレイティング対象競技会は、いずれも「スプリント」、「早食い」カテゴリに属する競技会でした。ですので、その他5カテゴリ(瓶早飲み、ペットボトル早飲み、早大食い、大食い45分、大食い60分)については、“レイティング該当者なし”として今回の「中間レイト」からは除外させて頂きます。併せてご了承下さい。

 それでは、これから「スプリント」と「早食い」のフリーハンデ値とその解説をお送りします。なお、解説文では人物名を敬称略とし、文体を常体に変更させて頂きます。


「2003年度・フードファイター・フリーハンデ中間レイト」


◎SP(スプリント)…競技時間5分以内の記録
◎早食(早食い)…競技時間5分超15分以内の早食い

順位 ハンデ 選手氏名
(同順位五十音順)
SP 早食
66 小林 尊 66
64 山本 晃也 64 64
63.5 小国 敬史 63.5
62 射手矢 侑大 62 62
  62 エドワード=ジャービス 62
61.5 エリック=ブッカー 61.5
60.5 高橋 信也 60.5
  60.5 立石 将弘 60.5
60 ソーニャ=トーマス 60
  60 リチャード=レフィーバー 60
11 59 山形 統 59

※03年上半期の競技会とレイティング※

第2回 Q-1グランプリ
(試合形式:餃子100個完食競争)
記録詳細はこちらから

ハンデ
()は今期最高値

選手氏名
64《スプリント》 山本 晃也
62《スプリント》 射手矢 侑大
57.5(60.5)《早食い》 高橋 信也
56(60.5)《早食い》 立石 将弘
ネイサンズ 国際ホットドッグ早食い選手権
(試合形式:ホットドッグ12分タイムレース)

ハンデ/記録
(上位5名)

選手氏名
66/44本1/2 小林 尊
62/30本1/2 E・ジャービス
61.5/29本1/2 E・ブッカー
60/25本1/2 R・レフィーバー
60/25本 S・トーマス

FFA Formula battle 1
(試合形式:ハンバーガー10分タイムレース)
記録詳細はこちらから

ハンデ
()は今期最高値

選手氏名
63(63.5) 小国 敬史
60.5 高橋 信也

FFA Formula battle 2
(試合形式:ハンバーガー10分タイムレース)
記録詳細はこちらから

ハンデ

選手氏名
63.5 小国 敬史
60.5 立石 将弘

FFA Formula battle 3
(試合形式:ハンバーガー10分タイムレース)
記録詳細はこちらから

ハンデ

選手氏名
64 山本 晃也
62 射手矢 侑大
59 山形 統


 昨年夏に始まったテレビ各局の“大食い番組”放映自粛方針は、遂に今年2003年上半期にも解消される事はなかった。テレビ局主催のメジャー系競技会が1年以上開催されなかったケースなど、「大食い選手権」がスタートして以来、約15年にわたって皆無であり、フードファイト業界は今まさに未曾有の“暗黒時代”へ突入していると言って過言ではないだろう。
 一部では今秋から“大食い番組”の復活もあるかと噂されたが、業界筋によると、テレビ各局の態度は未だに硬く、『大食い選手権』などの復活は全くメドが立っていない状況であると言う。この事は、現在フードファイト選手がテレビ出演した際に必ず「危険なので真似しないように」という旨のテロップが放映されている事からもよく理解できる。たかがバラエティー番組の1シーンでも仰々しい注意書きが必要なのだから、フードファイト競技会の主催・放映など夢のまた夢である。
 
 そんな状況であるわけだから、フードファイト業界全体の動きも極めて鈍いと言わざるを得ない。特に最近では、選手たちの活動だけでなく、これまで業界を熱烈に支えて来たフードファイト・ファンたちの活動にまでも、明らかな衰微の傾向が見られるようになってしまった。各選手のファンサイトは次々と閉鎖または休止となり、何とか活動を続けようとする所でも、活動の材料が見当たらずに立ち往生を強いられている現状だ。そう言う駒木も、そんな立ち往生をしているフードファイト・ファンの一員である事は言うまでも無い。
 そんな中、かろうじて救いなのは、今や国内唯一のフードファイト関連団体となってしまったFFA(フードファイター・アソシエーション)が、この逆境の中においてなお、地道ながら確かな前進を続けている事だろう。“暗黒時代”到来と共に経済的・社会的な基盤が崩れ去り、本来なら活動停止に追い込まれても仕方の無い中でなお、現時点で出来得る限り精一杯の活動を続けているのは非常に好感が持てるものである。
 そんなFFAの活動の中でも特筆すべきものは、やはり小規模競技会・「FFA Formula battle」の自主開催が挙げられるだろう。これまで何やかんやと言っても結局はテレビ局に“おんぶにだっこ”だった所から、ようやく自らの足でプロスポーツ化への第一歩を踏みしめたのだから、その意義は大きい。勿論、FFAには経済的基盤などのあらゆる面で課題は山積しているのも事実ではあるし、「今後の『Formula battle』実施は未だ白紙の状態(業界筋)」という現状は依然として楽観できる状況ではないのだが、これからも最大限の努力を続けていって欲しいと思う。

 さて、そんなFFAの中にあって独自の活動を展開しているのが小林尊である。彼はTV局主催のメジャー系競技会が休止になって以来、活動の場を専らアメリカに求めており、今年も小林の競技会出場は、2年前からタイトルを保持している「ネイサンズ国際」のみとなっている。
 そして、その「ネイサンズ国際」で小林は、今年も2位以下に大差をつけて優勝し、日本人で初めて3連覇を達成した。しかし、これまで毎年更新を続けていた記録の方は昨年の50本1/2(実際は51本1/2だったそうだが)を6本下回る44本1/2に留まり、これは小林本人にとっても不満の残る結果だったようである。記録後退の理由としては色々考えられるが、長期間実戦から遠ざかった事による影響も多少なりともあっただろう。小林の“大食いイベント”嫌いは以前から有名で、“大食いブーム”時代ですらローカル系競技会には一切出場しなかったくらいであるのだが、せめて『FFA Formula battle』に出場し、最終調整を図るくらいの配慮はしても良かったのではないかと思う。
 今後の小林も、専らアメリカを主戦場にして活動を続けてゆくのであろう。しかし、何と言っても彼をここまで育てたのは日本のフードファイト界とファンたちなのだから、たまには“恩返し”をするのも良いのではないか、とも思うのだが……。

 このようにエースが国内不在という特殊な状況にあって、見事にその“名代”の役目を果たしたのが山本晃也であった。
 以前の山本は、白田信幸(今期レイティング対象外)・小林尊の“二強”に次ぐポジションに長らく甘んじていた節があったのだが、昨年末の「Q-1グランプリ」で圧倒的なパフォーマンスを演じてから、完全に一皮剥けた印象がある。今シーズンでも、射手矢侑大、高橋信也らFFAの主力メンバーを相手に2戦し、それぞれ力の差を見せ付けて完勝している。今期のハンデ値こそ昨年より3ポイント低い64と伸び悩んだが、これは競技に使用した食材に恵まれなかった(「Q-1」では作り置きの餃子、「Formura battle」に至っては、冷えて味の落ちたマクドナルドの80円ハンバーガーが使用された)要因が大きく、決して実力が減退したわけではない。
 もはや山本は、少なくとも早食い系カテゴリに限って言えば白田・小林と肩を並べたポジションに居ると言って間違いなく、“暗黒時代”の日本フードファイト界を支えるエース的存在と言っても過言ではない。その実力が発揮できる場が限られているのはつくづく残念であるが、今後に最も期待を抱かせてくれる選手の1人である。

 そして、その山本と共に、ここ最近急成長を遂げているのが小国敬史だ。彼も昨年末の「Q-1グランプリ」で躍進を遂げた1人であるが、今期もその好調さを維持し続け、『FFA Formula battle』では2戦2勝の好成績を挙げた。
 今ではもう、デビュー当初のひ弱さは完全に影を潜め、それどころか白田・小林の地位を揺るがす脅威とさえいえる存在にまで成長を遂げている。この小国もまた、下半期に更なる飛躍が望まれる選手と言えよう。

 ところで、“暗黒時代”に喘ぐ日本のフードファイト界とは対照的に、アメリカのフードファイト界はここに至って“高度成長期”に突入した。アメリカ国内のフードファイト競技を統括するIFOCE(国際大食い競技連盟)のリーダーシップの下、東海岸地方を中心に様々な食材をテーマにしたフードファイト競技会が開催され、続々とニューヒーローが登場しているのだ。
 その成果は今年の「ネイサンズ国際」でも如実に現れている。その最たる例が、今回準優勝を果たしたエドワード=ジャービスで、彼は米国フードファイト界の第一人者であったエリック=ブッカーを抑え、30本1/2のローカル(国内)レコードを更新したのだから立派の一言だ。また、この大会で5位にランクインしたソーニャ=トーマスは、赤阪尊子の保持していた「ネイサンズ国際」女性最高記録を更新した事で、こちらも話題を呼んだ。
 これらの記録を見る限り、アメリカのトップクラス選手たちは、既に日本のメジャー系競技会でも十分に通用する実力があるように思われる。長きに渡って“フードファイト大国”の名を欲しいままにしていた日本ではあるが、そうそう胡坐をかいてばかりもいられない時期がやって来たという事なのだろう。

 この他、今回のレイティング対象になった選手には、射手矢侑大、高橋信也、立石将弘、山形統といった日本人選手の“安定株”に加え、以前「フードバトルクラブ」に参戦したカーリーン=ドーン=レフィーバーの夫・リチャード=レフィーバーがいる。特にレフィーバーは58歳という年齢を考慮すると、その活躍ぶりは驚嘆に値するものである。
 また、今回はレイティング対象外になったものの、昨年以来、ローカル系競技会を中心とした地道な活動を続けている加藤昌浩も、日本のフードファイト界を支える重要人物の1人である。本来はここで紹介するのは筋違いではあるのだが、彼の行動力に賞賛の意を込め、敢えてここで名前を挙げさせて頂く。


 ……というわけで、今年上半期の「フードファイター・フリーハンデ」をお送りしました。このフードファイト関連講義に関しては、今後とも、業界に大きな動きがあれば随時実施してゆく予定です。
 それでは、今回の講義を終わります。(この項終わり)

 


 

2003年第41回講義
7月6日(日) 文化人類学
「第88回ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権・結果報告」

 恐らく数十人はいるであろう文化人類学(フードファイト関連)専攻の受講生の皆さん、お待たせしました。約半年振りの文化人類学講義です。
 とりあえず7月には、今回ともう1回、「フードファイター・フリーハンデ」の03年度中間レイトをお送りする予定です。TV局主催の競技会が自粛されたままで“冬の時代”が続くこの業界ですが、それでも懸命に活動している選手たちがいます。彼らの意欲と情熱を評価するためにも、当講座ではこれからもフードファイト関連講義を行って、微力ながら業界の繁栄に助力したいと思っております。今後ともどうか何卒。

 ──さて、既にマスコミ各媒体で報じられていますように、去るアメリカ独立記念日の7月4日午後(=アメリカ東海岸時間。日本時間7月5日未明)、ニューヨークはホットドッグの老舗・ネイサンズにおいて恒例のホットドッグ早食い選手権が開催され、日本の早食いカテゴリでのエース・“プリンス”小林尊選手がアメリカの強豪を大差で退け、見事に“ホットドッグ早食い世界一”の栄誉に輝きました。
 小林選手はこれで大会3連覇。しかも既に次回大会での4連覇と自身が持つ世界記録の更新を目指す旨の発言をしており、頂点を極めてますます意気軒昂といったところでしょうか。

 このネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権は、今年でなんと88回を数える、世界で最高の歴史と格式とグレードを誇るフードファイトの国際大会です。
 この大会については、昨年の6月25日付講義で詳しく採り上げましたのでここでは敢えて重複を避けますが、元々は第一次世界大戦時下で肩身の狭い思いをしていたヨーロッパ系移民が、自分たちがどれだけアメリカを愛しているかアピールするために創設された競技会と言う、まぁいかにもアメリカらしいイベントであります。
 その後、紆余曲折を経まして、現在はアメリカ最大のフードファイト団体・IFOCE(国際大食い競技連盟)が実際の大会運営にあたり、全米や諸外国での予選を含めた競技会の管理・統括を行っています。で、今年もまた、全米各地やカナダで全13回の予選会が開催され、元NFL選手など多彩な顔触れの予選優勝者たちが決勝大会に駒を進めました。(昨年まではイギリスやドイツでも予選会が行われていましたが、例年ヨーロッパ地区代表の選手の成績が振るわないためか、今年から出場枠が剥奪された模様です)
(追記:今年もイギリス、ドイツ、タイで予選会が開かれ、選手が派遣されていたようです)

 そして日本からは唯一、“前年度優勝者枠”として、先に紹介しました小林尊選手がエントリー
 本来ならば日本でも予選会が開かれて、2人または3人の“選手団”が結成されるところなのですが、この日本予選の開催権を握っているのが「TVチャンピオン・大食い選手権」シリーズを企画・制作していたテレビ東京で、ここが番組制作の一環として予選会を開催しない事にはどうにもならないのが泣き所だったりします。派遣した人数の分だけ上位を独占する力のある日本勢ですが、ここ2年はフードファイト番組自粛のために、小林選手以外の参加が実現していない現状なのです。個人的には、フードファイトブームを支えた“黄金世代”が引退する前に、小林選手に白田信幸&山本晃也両選手を交えたドリームチームでニューヨークに殴りこんで欲しいと思うのですが……。

 閑話休題。

 そんなわけで今年のネイサンズ国際ですが、ここでベスト3までに入った選手と記録を紹介しておきましょう。 

優勝 小林 尊 44本1/2
2位 エドワード=ジャービス 30本1/2
(アメリカ新記録)
3位 エリック=ブッカー 29本1/2

 ──小林選手は圧勝&3連覇を果たしたものの、最大の目標であった自己記録(50本1/2)更新はなりませんでした。記録もここまで来ると、「どれくらい食べられるか」というより、「どれくらい効率良く食材を飲み込むか」という方が問題になって来ますので、これが1年ぶりの公式戦参加になる小林選手にとっては、さすがに今回ばかりは酷な条件だったかも知れません。
 ローカル系のフードファイト競技会には出場しないと以前から明言している小林選手ですが、今後は「Q−1グランプリ」のような準メジャー競技会で勝負勘を鈍らせないような配慮が必要になって来るでしょう。
 また記録の面に関しては、小林選手の場合、昨年の大会で危うく口の中のモノを吐き出しそうになるなど、既に能力の限界ギリギリであった感がありました。ですので、本人が今回の競技後に述べた「体調が良ければ60本はいけると思う」という旨の発言は強気に過ぎるような気がします。恐らくは自らのモチベーションを上げるための意味合いも強かったのでしょうが、とりあえず来年は50本を目標に調整を進めてもらいたいと思っています。そこまで行けば4連覇は間違いないのですし。

 さて、今回は、優勝した小林選手には遠く及ばなかったものの、地元アメリカ勢の健闘も光りました。
 2位のエドワード=ジャービス選手は、IFOCE認定のアイスクリーム及びカンノーリ(イタリアのパスタ生地を使った菓子)早食いの記録保持者。中でもアイスクリームの記録12分で1ガロン9オンス(約4リットル)という、日本のトップ選手顔負けのハイレコードです。
 ただ、このジャービス選手、これまではいわゆる甘味系の食材以外ではその潜在能力を表に出す事が出来ず、昨年のこの大会でも目立った記録を残せなかったのですが、ここに来て遂に本格化日本人以外としては初の30本越えを果たしました。
 (追記:ジャービス選手は、この数日前にチャイナタウンでの水餃子早食い大会に出場し、エリック=ブッカー選手を破っていたそうです。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いですね)

 昨年準優勝で、3位のエリック=ブッカー選手も自己記録更新の29本1/2の好記録をマークしました。彼はIFOCE認定の食材別記録を4つ(ブリトー、コンビーフ、ドーナツ、ゆで卵)保持しているアメリカのトップフードファイターで、今大会にあたってはCNNなどのマスコミ取材を受けていました。これ以上の記録更新は疑問ですが、今後も安定した活躍が期待されます。

 余談ですが、IFOCE認定の食材別記録は実に25を数えます。その中には、今回のハンバーガーやホットドッグ、フライドチキンといったオーソドックスな食材も有れば、バターマヨネーズといった、競技の様子を想像するだけで身悶えそうな代物もあります。
 そんな中、今回の優勝者にしてホットドッグ早食い記録保持者である小林選手が、もう1つ保持している記録が有ります。それは何と子牛の脳味噌! これはアメリカのTV番組として開催された競技会の中でマークした記録なんですが、この頃はちょうど狂牛病騒ぎの真っ最中この報せを聞いた全国のファンたちは、喜ぶべきなのか心配するべきなのか迷ったものでありました。

 なお、今大会では女性選手の活躍もありました。これまで無名だったソーニャ=トーマス選手25本の記録をマークし、00年に日本の“女王”赤坂尊子選手がマークした22本1/4の女性最高記録を3年ぶりに更新。これにより事実上、早食い系競技における女性フードファイター世界一の座に就いた事になります。
 これが1年半前までなら、すぐにでも日本のTV局が動いて“日米女王対決”などといったマッチメイクが組まれたと思えるだけに、つくづく現在の状況の悪さが恨めしいところですね。こうなった原因には死亡事故が絡んでいるだけに滅多な事は言えないのですが、本当に惜しい話です。

 
 ……というわけで、今年も日本人の優勝で幕を閉じたネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権。日本人選手の活躍は喜ばしい一方で、来年こそは小林選手の牙城を揺るがすような好敵手が現れる事を祈りつつ、今日の講義を締めさせていただきます。それでは、また。(この項終わり)

 


 

2月7日(金) 文化人類学
「2002年度フードファイター・フリーハンデ(2)〜総括」

 ※第1回(早食いの部・確定レイト)のレジュメはこちらから。 

 先週の第1回に引き続いて、「2002年度フードファイター・フリーハンデ(以下「FFハンデ」とする)」をお送りします。
 今回は総括ということで、まず始めに「FFフリーハンデ」の全選手レイト一覧表を公開した後、例によって蛇足ながら、駒木の視点によるフードファイト界における2002年の動きと今後の展望について一筆お届けします。

 ではまず、ハンデ一覧表から。レイアウトの都合上別ページとなりますので、リンク先を辿ってご覧下さい。

こちらをクリックして下さい
(新しいウィンドゥが開きます)

  

 では、以下より総括文です。文中では敬称略・文体を常体に変更してお送りします。


 既に何度も述べた事ではあるが、何度でも繰り返さねばならないだろう。02年春以降のフードファイト界は、未曾有の氷河期と言うべき状況に晒された。
 そんな文字通り“お寒い”状況を象徴する出来事と言えば、やはりフードファイトを扱ったテレビ番組の激減が挙げられるだろう。「TVチャンピオン・大食い選手権」や「フードバトルクラブ」といったフードファイト競技会中継は中止となり、バラエティ番組においても、フードファイトに関わる企画は皆無ではないがほとんど見られなくなってしまった。
 そしてこの状況は、今のところ全く改善の兆しは見られない。恥ずかしながら、昨夏の「FFフリーハンデ・中間レイト」の総括文では、「秋には『大食い選手権』が復活するのではないか」…という旨の楽観的な展望を述べてしまったのだが、現時点では、昨秋の復活どころか今年での再開すら全くメドが立っていない状況である。
 まさに熱しやすく極端に醒めやすい日本のテレビ業界の性格を体現したような出来事ではある。が、そのような脆弱な基盤に依存する他なかったのがこれまでのフードファイト界だったわけなのだから、これはテレビ業界だけを責めるわけにはいかないだろう。バブル経済崩壊の理由を政府の失策だけに求める事が不毛である事と同様に、フードファイト界にも簡単に“切られる”だけの理由があったという事なのだ。
 これからのフードファイト界にとって大切な事は、まず自らを省みて、修正すべき点を抜本的に改革することである。今の内にやるべき事を完遂しておけば、近い将来、節操の無いテレビ業界が再びフードファイト界に振り向いた時に、業界はこれまでとは比べ物にならない繁栄を実現する事が出来るだろう。
 もっとも、一部では既にそのような考えに至り、改革を始めようとする動きが徐々に持ち上がっているようだ。これはまた後に改めて紹介することにしよう。

 ──さて、そういうわけで、テレビを主体とした活動を封印されてしまったフードファイト界ではあるが、そんな厳しい環境の中でも地道な活動を続けている選手たちもいる。

 そんな選手たちの中で、1人代表的な存在を挙げろと言われれば、加藤昌浩の名前を真っ先に挙げねばならないだろう。
 加藤は件の死亡事故以降も全くモチベーションを落とす事なく、それどころか更に意欲を増したかのような様子で全国各地のローカル系競技会への一般参加を続け、時には1日2大会(!)のペースで一選手としてベストプレイを尽くした。ローカル系の競技会は早食い系競技がメインのため、早飲み・大食いを得意をする加藤にとっては実力がフルに発揮できる環境とは言えなかったが、逆にそれが他の一般参加者と勝負するための絶妙のハンデに働いて勝負の面白さが増し、結果としては競技会を大いに盛り上げる事になったようだ。
 加藤の極めて精力的な、それでいて地に足のついた活動振りは、このフードファイト氷河期に生きる選手たち──特にトップクラス入りを目指している中堅クラスの──にとっては一つの指針と言って良いのではないかと思う。どれだけ苦しい状況に置かれても活動の仕方はいくらでもある。問題はどれだけ本人が「やろう」と思うかである。その事を教えてくれた加藤には心から賛辞を贈りたい。

 勿論、この他にもトップクラスの選手たちによる地道な活動は数多く見られた。02年秋以降、沈黙するテレビ界と対照的に、全国各地では徐々にローカル系競技会や“大食いイベント”の数が増えており、そこへトップクラスの選手が司会やゲストとして出向き、ある種の普及・啓蒙活動を行うというケースが多く見られている。
 そういう舞台で活躍しているのは、主にFFA(フードファイター・アソシエーション)勢やタレント事務所に所属する新井和響などで、彼らは個人とは別に外部との交渉窓口を持っている。これは02年春までのフードファイト・ブームで築いた“貯金”であり、彼らはそれをを上手く活用できているようだ。多少意味は異なるが、「備えあれば憂いなし」といったところであろうか。

 しかし、一たびフードファイト界全体の様子を俯瞰してみれば、その勢力がピーク時に比べて退潮著しいのは明白である。どれだけ地道に活動を続けようと、一般の認識からすればフードファイトは既に“過去のモノ”となっており、今では最もマスコミ媒体に露出の多い小林尊ですら、夕刊紙の手にかかれば“あの人は今”である。やはり失われたものは非常に大きかったのだ。
 そして退潮を迎えた業界というのは、ジャンルを問わず大きな“うねり”のようなものが巻き起こる。それまで業界内で大手を振っていた人物や団体が、本当に呆気なくその実力を失い、フェードアウトしてゆく事になってゆく。
 それはこの度のフードファイト界でも例外ではなく、02年秋になって遂にその類の出来事が起こった。岸義行主宰の「日本大食い協会」が突如その活動を停止し、岸本人も表舞台から姿を消したのである。

 この活動停止劇はまさに青天の霹靂であった。ある日、突然岸の、そして「日本大食い協会」の公式ウェブサイトである「大食いワンダーランド」から、メインコンテンツであったBBSを含む大半のコンテンツが削除されたのである。しかもこれは何ら予告する事無しに行われた。岸の周辺の事情を知る人物によると、このコンテンツ削除はBBSの管理人である別府美樹にも無断で行われたそうで、どうやら岸の独断専行で実施された“暴挙”のようである。
 では何故、岸はそのような行いをするに至ったのか。現時点で岸が何らコメントを発していないため、全ては推測で語る他ないのであるが、それでも多くの状況証拠を総合してみると、「(02年秋に開催予定だった)第2回『全日本大食い競技選手権』の開催遅延とその理由が説明出来ず、思い余って隠遁した」…という説に行き着く。
 実は駒木も「大食いワンダーランド」のBBSには度々出入りしていて、以前は積極的に書き込みをする事すらあったのであるが、今回のBBS閉鎖が強行される直前も書き込み内容の閲覧のために件のBBSを“訪問”していた。
 その時点のBBSはかなり荒れ気味で、2ch掲示板でも“荒らし”扱いされるような暴言を連発する輩が現れ、岸や別府に対して「全日本大食い競技選手権」の開催の遅延とその理由の開示を強行に迫っていた。しかし、後で述べるように、その理由は岸らにとっては到底開示できるようなものではないため、彼らは沈黙を守る他無かった。だが、それでは“荒らし”の詰問は止む所を知らないし、やがて早期の事態収拾を望む他のBBS参加者も理由の開示を求めるようになった。状況は末期的局面へと猛スピードで突き進む。そして、間もなくBBSと岸らは忽然と姿を消した。それは、あっという間の出来事であった。

 ……それにしても、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。また、「全日本大食い競技選手権」の開催が遅延し、その理由が開示できない訳は何か?

 その部分を解き明かすためには、岸のフードファイト業界における活動と他の関係者との関わりについて語らなければならない。
 だが、実はこの話題については、何をどう話しても支障が出るという厄介なもので、どこまで詳細に語るべきか非常に迷うところである。だからこそ、駒木も今まで語る事を躊躇し続けていたのであるが。しかしこの度、フードファイト界の将来の事も考慮して、必要最小限の範囲でこの“禁断の地”に踏み込む事にする。どうかご了承を願いたい。

 そもそもの話、この岸義行ほど、業界の内と外で評判が異なる人物も珍しかった。彼はフードファイト・ファンの間では絶大な信頼を得ているにも関わらず、業界内での評判は外でのそれと全く対照的であったのだ。
 特に岸との確執が顕著だったのは、FFA勢や新井和響といったフードファイト界の主力選手たちで、実のところ彼らと岸とは1年以上前からほぼ絶縁状態にあったらしい。
 この事は一般のファンの方たちには信じられない事かも知れない。何しろここ1年の間にも、岸と彼らが同じイベントやテレビ番組に出演していたのだから。が、少なくとも“本番中”以外の時間では、両者の間に接点は全く無かったと言っていい。これは、この度の騒動の中で新井和響──岸とトーク番組で共演した事もある──が残した「岸とは第1回『全日本大食い競技選手権』以来、接点がなかった」という旨のコメントからも窺い知れる事である。

 この確執の出発点は、いみじくも新井が語ったように、第1回の「全日本大食い競技選手権」にあったそうだ。
 この競技会は主催者の岸の他、小林尊、白田信幸、山本晃也ら当時のトップクラスほぼ全員が参加した大規模な大会で、件の新井も司会を務めていた。そして、競技会そのものも極めて盛況の内に滞りなく終了したのであるが、どうやらその直後に問題が発生したらしい。
 その問題の内容は非常にデリケートな部分も含むので詳述は差し控えるが、少なくとも岸が参加選手・スタッフの信頼を失うに十分なトラブルであった事だけはお伝えしておく。

 そして、この芽生えた確執にトドメの一撃を打ち込んだのが、その直後に実施された「フードバトルクラブ2nd」であった。そう、フードファイト・ファンの間では未だに解決されていない論争が燻っている、あの競技会である。
 さて、この「フードバトルクラブ2nd」において、岸は2つの“疑惑の行動”を起こしている。
 1つ目は2回戦で行われた、45分間の体重増加競技・「ウェイトクラッシュ」での計量時に重りを持って体重計に乗ったという疑惑である。かつて写真週刊誌でのインタビューで匿名の指摘がなされた事があったのを覚えている方もいるだろう。ただ、これに関してはあくまで“疑惑”という範疇らしく、“刑事裁判ならシロ”という段階であるようだ。
 そして2点目が、準決勝「シュートアウト」のVS山本晃也戦でのテーマ食材選択の件である。蕎麦アレルギーで寿司嫌いの山本相手に、わんこ蕎麦と握り寿司を指定したあの“ラフプレー”だ。ただ苦手なだけの寿司はともかくとして、下手をすれば死に至る可能性のある蕎麦を食材に選ぶと言うことは、やはり到底褒められたものではないだろう。(事実、この行動は、業界内で岸派とされる選手ですら激しい不快感を抱くものであったと聞く)
 この件についてはファンの間でも喧々諤々の論争がなされ、岸が「私が山本君が蕎麦アレルギーだと知っていたと言ったことがありますか?」という極めて微妙なコメントを発した事もあって未だに結論が出ていないのであるが、実のところ業界内では「岸は山本の蕎麦アレルギーを既に知っていたはずだ」という認識が定説化している。その根拠は、先述の「全日本大食い競技選手権」の際に岸が出場選手に詳細なアンケートを採っていた事、また、山本の蕎麦アレルギーが、この時点で既に大半の主力選手に知れ渡っている“業界内の常識”であった…という事などからである。
 ちなみに、この時放送された内容の中に、小林尊が「知っててやってるから」と言ったものがあったのだが、これは明らかに「岸が山本の蕎麦アレルギーを知っていて、その上で蕎麦を指定したんだから」と解釈すべきセリフである。根拠はもう説明しなくても良いだろう。
 (※蛇足ながら補足:「フードバトルクラブ」では蕎麦アレルギーを持つ選手の参加は禁止されているが、山本晃也の場合は「全日本大食い競技選手権」の際、視察に来ていた番組関係者から出演を打診されたそうである。この件における山本の“自業自得”を責めるのは簡単だが、事はそれほど単純ではないと申し上げておく)

 ……ここまで述べても、まだ「それでは100%クロとは言えない」と思われる方もいるだろう。しかし事実として、この「フードバトルクラブ2nd」を境に、岸は完全に業界内における信頼を失った。これだけは確かである。
 そしてそれ以後、岸と他の主力メンバーとの距離は広がる事はあれど、狭まる事はなかった。空前のブームに乗って多くの選手が派手な活動を繰り広げる中、岸は執拗にブームの火を消そうとする奇妙な役回りを演じたのは記憶に新しいところだろう。
 この後に岸は、業界内で(そんな事が起こっているとは露も知らない)一般ファン向けに研究会を発足させたが、これも間もなくしてメンバーが“岸派”と“反・岸派”に分裂し、やがて研究会そのものも自然消滅に陥ったようである。駒木も“反・岸派”の研究会メンバーからメールを頂いた事があるが、文面の至る所から「失望」の二文字が滲み出ていて胸が痛くなったものであった。

 ともあれ、こうして岸は業界内で孤立した存在となった。「大食いワンダーランド」閉鎖直前の時点では、彼と親しいフードファイト選手は、主流派から外れた数名だけだったと聞く。これでは第2回の「全日本大食い競技選手権」など開催出来るはずもない。そして、その事情を自分の口から公言できるはずもない。岸と「日本大食い協会」はフードファイト界から消えるべくして消えたのである。

 ……やや余計な事を書き過ぎたかも知れないが、これが事の次第である。今後、岸がFFA勢と交わることは全く考えられず、もしテレビ局主催のメジャー競技会が復活したとしても、彼の居場所はどこにもないであろう。岸の大食い系競技における才能は捨てるに惜しいが、ここまでトラブルを起こしてしまっては、フェードアウトするのも致し方ない気がする。

 
 ──さて、ネガティブな02年の回顧はこれくらいにして、03年度の業界展望に話題を移そう。
 
 冒頭でも述べた通り、03年でもまだテレビ業界における“フードファイト復権”のメドは立っていない。恐らくは、どこかが鈴を付けさえすれば、なし崩し的にフードファイト番組の復活が実現するのであろうが、そのようなアテにならない果報を寝て待つのは愚の骨頂である。業界内の関係者たちは、切り株に衝突するウサギを待つ代わりに業界内の地盤固めを地道にこなしていくべきであろう。
 そしてその事は小林尊を始めとする主力選手たちも先刻承知であり、彼らは既にFFAを活動母体にした、テレビに頼らない大規模競技会の実施を構想中であるらしい。つまり、今から他のスポーツと同じような道を歩み直そうというわけである。
 この“道”は決して楽な道程ではない。むしろ、不満を抱きながらもテレビ業界に依存していた以前までの方がどれだけ楽か分からないだろう。しかし、真の意味でフードファイトをスポーツの範疇にまで押し上げるには避けては通れない“道”でもある。これから数多くの障害が待ち受けているだろうが、決して怯む事無く、為すべき事を全うしてもらいたいと思う。
 さしあたって為すべき活動は、昨年末の「Q-1グランプリ」のように、スポンサーや協賛団体を得ながら、純粋なフードファイト選手だけによる競技会を実施してゆく事だろう。イベント色の濃いローカル系競技会と一線を画し、「本当のフードファイトとはこういうものである」という事を多くの人に知らしめ、普及させていく事が大事である。そして可能ならば、数百人規模の小会場でFFA主催の公式競技会を実施し、スポーツ団体としての実績を1つ1つ積んでゆくべきであろう。
 これらの活動における最終目標は勿論、FFA主催競技会をテレビ中継し、それによって得られる放送権料で業界の運営を実現する事である。現時点からすれば夢物語に過ぎないゴールではあるが、「いつか達成すべき目標」を設定するならば、これくらいスケールが大きな方が良いのではないだろうか。

 とにかく現時点のフードファイト界はどん底である。だが、どん底になっても業界そのものが消滅しなかったという事は幸いであった。生きている限り、望みはある。望みはある限り、それを自ら捨ててはいけない。今後のフードファイト界に望みあらん事を、幸あらん事を祈りつつ、02年度の年間総括を締め括る事にする。


 ……というわけで、本当に長くなりましたが、これをもって「2002年フードファイター・フリーハンデ」を終了します。次回は7月4日のネイサンズ国際終了後の「03年度中間レイト」となります。では、講義を終わります。(この項終わり)

 


 

1月31日(金) 文化人類学
「2002年度フードファイター・フリーハンデ(1)〜早食いの部・確定レイト」

 実に5ヵ月半ぶりの文化人類学(フードファイト関連)講義となりました。諸般の事情を考慮すれば致し方ないのですが、去年の今頃はこの分野が当講座の看板講義だったことを考えると、我ながら寂しく思ってしまいます。

 そんな今回の講義は、2002年度の「フードファイター・フリーハンデ(以下、『FFフリーハンデ』とする)」の年間総括版です。
 当講座では昨年8月に上半期(7/4のネイサンズ国際を含む)までの競技会を対象にした「中間レイト」を公開していますが、今回はそれに下半期分の成績を加味した2002年全体のレイティングということになります。

 では、まずここで、「FFフリーハンデって何?」という受講生の皆さんのために、この「FFフリーハンデ」についての説明を致しましょう。
 以下の囲みに記したのは、8月の「中間レイト」のレジュメに掲載した説明文を再録したものです。そちらを既に受講済みの方は読み飛ばしてもらって結構です。

 まず、元々の「フリーハンデ」とは、その能力比較をしたい競走馬たちを、とある条件で全て同時に走らせた場合、ゴール前で全馬が横一線になるにはどうすれば良いのかを想定して各馬に負担重量を設定し(例:芝2400mでのハンデ…馬A:61kg、馬B:59.5kg、馬C:57kg)、その数値の高さで各馬の能力を測定・比較できるようにするものです。
 この「フリーハンデ」は、同じ条件で凌ぎを削った競走馬同士の実力比較だけでなく、活躍時期の違いや得意とする条件の違いにより直接対決が不可能な馬同士でも、その数値の高さによって実力比較が可能であるという利点があります。
 よって、この「フリーハンデ」をフードファイトに適用する事で、同じ年に活躍した早食い系選手と大食い系選手の実力比較や、直接対決の無い「大食い選手権」系選手と「フードバトルクラブ」系選手との実力比較、さらには昨年の活躍選手と今年の活躍選手との能力比較が可能になるわけです。

 それでは、以下に「FFフリーハンデ」を編集するにあたっての規定を記しますので、あらかじめよくお読み下さい。

◎数値は本家の「フリーハンデ」に倣って、競走馬の負担重量風のものを使用します。重量の単位は、最近ではポンド換算が主流ですが、ここでは旧来のキロ換算の数値を使用します。ただし、競馬と違って、キロという単位に意味は有りませんので、「〜ポイント」と呼ぶ事にします。数値は0.5ポイント刻みです。
 ポイント設定の大まかな目安としては、
 ・50ポイント……フードファイター(選手)と、大食い自慢(一般人)との境界線
 ・60ポイント……「フードバトルクラブ」「大食い選手権(オールスター戦)」決勝進出レヴェル
 ……と、します。ちなみに、常識外れのビッグパフォーマンスが無い限り、65ポイントを超える事は有りません。
(逆に言えば、65ポイントを超えると、普段から一般人離れしているフードファイトの世界においてでも、常識から外れた物凄いパフォーマンスという事になります)

 また、選手間のポイント差については、
 ・0.5ポイント差……ほとんど互角だが、僅かに優劣が生じている状態
 ・1ポイント差……優劣が生じているが、逆転可能な範囲
 ・2ポイント差以上……逆転がかなり困難な差

 ……と、解釈してください。

最終的に各選手に与えられるポイントは、「FFフリーハンデ」対象競技会における、ベストパフォーマンスの時の数値を採用します。
 そのため、直接対決で敗れている選手の方が、「FFフリーハンデ」では高い数値を得ている場合もあります。その場合は、敗れた選手が他の競技会で、よりレヴェルの高いベストパフォーマンスを見せた、ということになります。

◎ハンデは以下に挙げる7つのカテゴリに分けて設定します。
 瓶早飲み/ペットボトル早飲み(以上、食材が飲料の競技)/スプリント(5分以内)/早食い(5〜15分)/早大食い(15〜30分)/大食い45分(30〜59分)/大食い60分(60分以上)(以上、食材が食べ物の競技)

最終的に各選手へ与えられるポイントは、7つのカテゴリの中で最高値となったポイントを採用します。
 
これにより、早飲み選手、早食い選手、そして大食い選手との間での、間接的な能力比較が可能になります。

◎他、細かい点については、その都度説明します。

 ……というわけで、今回も7つのカテゴリにわたって「FFフリーハンデ」を編集・公開してゆくわけなのですが、皆さんもご存知の通り、昨春にフードファイトごっこで中学生が窒息死したニュースが報道されて以来、テレビ各局はフードファイト関連の番組の製作と放映を自粛してします。
 その影響で、2002年の秋と年末にはTV局主催のメジャー系競技会は全く開催されていません。この「FFフリーハンデ」は、原則として競技の模様がTVで放映されたメジャー競技会のみを対象とするものですので、本来ならば2002年度の「FFフリーハンデ」は中間レイトがそのまま横滑りして確定するところでした。
 しかし、去る02年の大晦日に富士急ハイランドで実施された非公式の競技会・「Q−1グランプリ」は、

 ・食材がグラム単位で正確に計量され、選手間に全く不公平が無いように調整されている。
 ・手動計時ながら秒単位でタイムが計測されていて、「TVチャンピオン」と同程度の正確さが確保されている。
 ・出場者がいずれもメジャー競技会で優勝または上位入賞の経験がある選手であった。
 ・叩き出された記録が極めてハイレヴェルであった。

 ……などといった好条件が揃っており、今回は特別に“メジャー系競技会に準じるもの”として「FFフリーハンデ」の対象競技会とすることにしました。
 この「Q−1グランプリ」は早食い系競技会でしたので、記録されたフリーハンデ値も早食い系カテゴリに限られています。よって、今回の年間総括では「スプリント」と「早食い」の早食い系2カテゴリのみを改めて採り上げ、残る早飲み系・大食い系の5カテゴリについては「中間レイト」をそのまま2002年全体の成績として追認する形をとります。
 なお、次回の第2回講義で7カテゴリの確定レイト一覧表を発表しますので、総合成績についてはそちらを参照して下さい。

 それでは、これから「スプリント」と「早食い」のフリーハンデ値とその解説をお送りします。解説文では人物名を敬称略とし、文体を常体に変更しておりますので、ご承知おき下さい。
 
 ※「2002年度FFフリーハンデ」の対象となる競技会は、以下の通りです。
 ・「フードバトルクラブ3rd ザ・スピード」
 ・「TVチャンピオン・全国大食い選手権・日本縦断最強新人戦」(本戦および地方予選)
 ・「『なにコレ!?』なにわ大食い選手権」
(兼全国大食い選手権・日本縦断最強新人戦・近畿地区予選)
 ・ネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権

 ・第1回Q−1グランプリ


「2002年度・FFフリーハンデ」
〜スプリントカテゴリ〜

順位 ハンデ 選手氏名
1 67 山本 晃也
66.5 白田 信幸
66 小国 敬史
  66 小林 尊
65.5 射手矢 侑大
64.5 高橋 信也
  64.5 立石 将弘
62 新井 和響
61.5 山形 統
10 58.5 木村 登志男
11 56.5 ヒロ(安田大サーカス)
12 53.5 加藤 昌浩
13 49.5 山根 優子
  49.5 植田 一紀
  49.5 高橋 明子
16 49 渡辺 勝也
17 48.5 駿河 豊起
18 48 土門 健

 ※02年下半期の競技結果※

Q-1グランプリ
(スプリントカテゴリ関係分)

ハンデ
()は他競技での最高値

選手氏名
67 山本 晃也
66 小国 敬史
65.5(66.5) 白田 信幸
65.5 射手矢 侑大
64.5 高橋 信也
64.5 立石 将弘
61.5 山形 統

 

〜早食いカテゴリ〜

順位 ハンデ 選手氏名
67 小林 尊
60.5 エリック=ブッカー
60 オレッグ=ツォルニツキー
57 山本 卓弥
56.5 河津 勝
56 羽生 裕司
  56 原田 満紀子
  56 近藤 菜々
  56 夏目 由樹
  56 大石 裕子

 ※02年下半期の競技結果※

Q-1グランプリ
(早食いカテゴリ関係分)

ハンデ

選手氏名
57 山本 卓弥


 繰り返し述べて来た事だが、2002年下半期のフードファイト界は、01年から02年春の大ブーム期から一転して未曾有の大氷河期に突入した。
 詳細については次回の総括に譲ることにするが、フードファイトを取り巻く状況は間違いなくここ10年で最悪のものである。しかもそこから再浮上するキッカケすら掴めてはいないのが現状だ。

 しかし、世の中何が起こるか分からない。この大氷河期の最中に実施されたメジャー級競技会・「Q−1グランプリ」において、フードファイト史に残る大記録──カレー3kgを2分04秒で完食──が山本晃也の手(と口)によって叩き出されたのである。
 山本(晃)は以前から早食い系競技のスペシャリストとして活躍し、この「FFフリーハンデ」においても絶えず上位の成績をキープしていた。が、この時の彼は半年間の海外留学から帰国した直後という不完全なコンディションであり、しかもこれまでメジャー級競技会では優勝争い一歩手前に甘んじて来たという経歴がある。それに当日の会場は厳寒の屋外という悪条件だ。そんな中で山本(晃)が乾坤一擲のビッグ・パフォーマンスを見せたのだから、驚きを隠さずにいられない。
 3kgという重量は一般人には到底完食が無理な量であり、いわゆる“素人大食い自慢”でも長時間かけて食べ切るのがやっとのはずだ。そんなまとまった分量を常識外れのタイムで完食したのだから、この記録は非常に価値がある。かつて樹立されたカレーライス競技のスーパー・レコード──小林尊の“6.37kgを6分6秒完食”や、白田信幸の“10kgを18分44秒完食”──に匹敵するものと言って間違いないだろう。
 これで山本(晃)は、スプリントカテゴリでは史上初の、全カテゴリでも小林尊・白田信幸に続く史上3人目の67ポイント獲得者となった。テレビ局主催のメジャー競技会では3位が最高で未だ無冠という減点材料は有るものの、これでフードファイト版パウンド・フォー・パウンドを争う有資格者の仲間入りを果たした事になる。現時点でなかなか活躍の場が作れないのがもどかしい限りだが、今後もスプリント界の第一人者にふさわしい活躍を期待したいものである。

 一方、7月のネイサンズ国際で2連覇を達成し、“フードファイト大国・日本”の健在ぶりをアピールした小林尊だが、02年秋シーズンの彼は「Q−1グランプリ」をはじめとする国内競技会には全く出場しないままで年を越した。
 小林は、以前から“大食いイベント”的なローカル系競技会には出場しない旨の意思表示をしており、それを考慮すればこの“全休”も致し方ないものではあるが、それでもせめてフードファイト競技会としての諸条件が整っていた「Q−1」くらいは出場してもらいたかったというのが正直なところである。
 ところで、ネイサンズ国際のタイトルを獲ってからの小林はたびたびアメリカに渡ってTV番組に出演しているが、つい最近もアメリカのバラエティ番組の中で熊とのソーセージ早食い競争をしたそうである。
 かつて日本のバラエティ番組で新井和響が動物と早食い対決をした時には新井を激しく批判していた小林だが、今回は番組制作サイドの「アスリート代表として参加してくれ」という口説き文句に応じて出演を決めたそうだ。
 しかしながら、アスリートとしてだろうがタレントとしてだろうが、番組の中で実際にやっている事は「さんまのナンでもダービー」的お遊びでしかないのは明らかで(何しろその番組では、小人40人と象の力比べなどという色モノ企画まであったのだ)、恐らくこの番組に出演していた“アスリート”たちも一種の余興として参加したに過ぎないだろう。こう言っては語弊があるかもしれないが、今回の小林は“ブタが上手におだてられて木に登ってしまった”感が否めない。
 高邁な精神的理想を追い求めるのは結構な話かもしれないが、どうも現在の小林は自分を無条件で賞賛してくれる者だけを頼り、その結果視野狭窄に陥って迷走しているように思えてならない。小林には今一度客観的な視点で自分の立場を見詰め直し、フードファイトの普及のために本当は一体何をすればいいのかという事をじっくりと考えてもらいたいと思う。いくら実力ナンバーワンの座を白田信幸に譲って久しいとは言え、彼は未だ特別な存在──日本フードファイト界のシンボル的存在なのである。小林無しにして日本のフードファイト復興はあり得ない。時には耳に痛い苦言も聞き入れて、自分の役回りに相応しい活動をしてもらいたいものである。進むべき道は茨の道である。

 さて、先に名前が出た現在の実力ナンバーワン選手にして国内メジャータイトル総ナメ中の王者・白田信幸であるが、彼の「Q−1グランプリ」での成績は山本(晃)から44秒差の3位に終わった。一発勝負の競技会とは言え、久々の敗北である。 
 白田は現在某有名料理専門学校で“修行中”で、「Q−1」は02年春の「フードバトルクラブ3rd ザ・スピード」以来8ヶ月ぶりの実戦であった。そういう意味では調整不足も敗因の1つに挙げられようが、それでも全ての責任をその1点に負わせるわけにもいかないだろう。
 彼のスプリント競技における最大の武器は寿司8カンを放り込めるだけの大きな口であるのだが、分量3kg・所要時間2〜3分の勝負になると肉体的なアドバンテージだけではトップクラスには通用しなかった…と解釈するのがより妥当と思える。
 これまで弱点を露呈するたびにそれを克服してきた白田だが、この度は一体どうなるのだろうか? 今後とも彼の動向には注目が必要であろう。

 話が前後したが、「Q−1グランプリ」では伏兵・小国敬史が白田を上回るタイムで準優勝を果たし、スプリントカテゴリでは小林尊に並ぶ66ポイントのレイトを獲得した。
 小国は01年秋の「フードバトルクラブ2nd」でメジャーデビュー(2回戦敗退)し、その後も競技会のたびに記録と成績を伸ばして来たのだが、今回ついに超一流クラスの一角に食い込むところまで昇り詰めることとなった。
 ほぼ1年前の「フードバトルクラブ・キングオブマスターズ」では、1回戦で射手矢侑大相手にジャイアントキリングを果たしたものの総合力ではトップクラスとの地力差が目立っていただけに、この成長力にはただただ脱帽の思いである。
 ただ、彼の場合は他の一流選手と違って大食い系競技の経験が皆無に近く、いわゆる胃力が悪い意味で未知数なのが気になるところではある。早食い系競技を中心に活動していくとしても、胃力はフードファイト競技をしてゆく中で重要なバックボーンとなる能力なので、彼の胃容量が果たしてどこまで広げられるものなのか非常に興味深い。フードファイト氷河期の現在では本格的なトレーニングも覚束ないだろうが、更なるステップアップのためにも胃力面の増強を念頭に置いたチャレンジを続けてもらいたいと思う。

 「Q−1」では、この他にも射手矢侑大、高橋信也、立石将弘といったトップクラスの選手たちがそれぞれ好記録をマークして健在をアピールした。
 特に射手矢の早食い能力の向上ぶりはここ最近顕著であり、大食いのスペシャリストから極めてレヴェルの高いゼネラリストへと脱皮を遂げようとしていると言えよう。ただし射手矢にはペットボトル早飲みという大きな課題が残されており、これが「フードバトルクラブ」が復活した際には大きな足枷となる可能性が高い。ペットボトル早飲みは肺活量が要求されるものの、トレーニングで記録を伸ばせる余地の大きな分野ではあるので、今後も第一線で活躍する意志があるのならば、是非とも克服して欲しいウィークポイントである。
 一方の高橋と立石は、他の選手たちに合わせて着実に記録を伸ばしているものの、記録のインフレについて行くのがやっとの現状であるところがもどかしい。永遠のバイプレイヤーと化しつつある彼らにも、先に紹介した小国敬史のような飛躍を果たす可能性はどこかに必ずあるはずである。月並みな言葉であるが、更なる奮闘を期待したい。

 では最後に、「Q−1」で下位に甘んじた選手にも少し触れておこう。
 山形統は、春シーズンでは「フードバトルクラブ3rd ザ・スピード」で1回戦敗退したために瓶早飲みカテゴリでしか記録を残せなかったが、「Q−1」に出場して記録を残し、前年と同じ61.5ポイントのレイトを獲得した。他の選手たちと比べてやや伸び悩みが見られるものの、依然として上位グループの一角を占める存在である。
 「Q−1」出場者の内、唯一ルーキーとして参加した山本卓弥だったが、結果は大差の最下位であった。しかし、観戦者のレポートによると、序盤にカレールーを食べ過ぎて最後はライスだけ残ってしまったとの事なので、これは能力面ではなくてペース配分の失敗が敗因だったと言える。「Q−1」は、山本(卓)にとって初めての早食い系競技会であったし、それも止むを得ないかとも思う。
 しかし、そんな最悪の状況の中でも02年デビュー組の中では最高のレイトを獲得しているわけだから、やはり山本(卓)は、この年のルーキーの中では力が図抜けているのである。03年度での活躍の場は限られて来ようが、せっかくこれだけの才能があるのだから、積極的に競技活動を続けてもらいたいし、またそうすべきだとも思う。


 ……というわけで、今回は早食い部門の年間総括でした。次回はフードファイト界全体の年間総括です。どうぞよろしく。(次回へ続く


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