「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

1/31 政治学(一般教養)「田中外相更迭までの舞台裏」
1/30 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(1月第5週分)
1/29 
環境社会学「漂流クジラの行方(2)」
1/27 環境社会学「漂流クジラの行方(1)」
1/26 競馬学概論「90年代名勝負プレイバック」〜“あの日、あの時、あのレース”(4)
1/25 
教育原論(教職課程)「塾講哀歌(2)〜家庭教師会社・教材の実態」
1/24 
社会統計学「長生きするための新・標準体重」
1/23 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(1月第4週分)
1/22 
現代国際情勢「アフガン暫定機構・カルザイ議長、護衛車に追突される」
1/21 
教育原論(教職課程)「塾講哀歌(1)〜バイト講師の給料」
1/19 競馬学概論「90年代名勝負プレイバック」〜“あの日、あの時、あのレース”(3)

1/18 
スポーツ社会学「W杯日本代表のニックネーム公募」
1/17 特別講座「7度目の1月17日」
1/16 演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(1月第3週分)

 

1月31日(木)政治学(一般教養)
「田中外相更迭までの舞台裏」

 いや、どうも。
 学園祭の準備でバタバタしてまして、講義が遅れ気味です。
 なにせ、職員が駒木と珠美ちゃんしかいませんから、大変なんですよ。外部から応援をお願いして、ようやく目処が立った次第でして……。
 まぁ、学園祭明けからは、多少落ち着くと思いますんで、どうぞよろしく。

 さて、今日の講義は、一般教養で政治学
 「政治」と聞いただけでアレルギーを起こしそうな人もいそうですが、専門的な話をするわけじゃありませんので、安心してください。

 山奥や離島で隠遁生活をしていない限りは、皆さんも「田中眞紀子外相更迭」のニュースをご存知だと思います。当講座の「ニューストピックス」でも採り上げましたしね。
 あの一連のニュースを、TV等で観ていますと、


外相と官僚の国会答弁が食い違う

 野党側議員が「やってられねえ」と、
予算委員会・本会議をボイコット

与党側が説得に回るも、野党側応ぜず。
結局強行採決

 国会混乱の責任を問うて、田中外相他が更迭

 ……と、いうお馴染みの「与党・野党どっちもどっち」な構図が描かれてしまいますよね?

 ですが、この件に関して、ちょっと面白い資料を入手しました。
 この混乱の発端となった衆議院予算委員会には、理事会というものがあり、そこで委員会の日程調整などにあたります。本会議でいうところの議院運営委員会みたいなものですね。あの北海道のハゲが委員長やってたアレです。

 で、その予算委員会理事会の野党筆頭理事(野党側責任者)を務めていた人は、民主党の枝野幸男代議士でした。
 この枝野さんは、弁護士出身の若手代議士。偉そうぶったところが無い上に弁も立ち、なおかつ政策通という人でして、知る人ぞ知る民主党の秘密兵器的な存在です。控えめに言っても、大橋巨泉よりは数倍以上有能な人と申し上げておきましょう。

 さて、実は駒木、この枝野さん発行のメルマガに登録しておりまして、週1のペースでメールを受信しています。
 そして、今週のメルマガにおいて、その予算委員会の報道されなかった裏側が描かれていました。これがなかなかに面白い
 もちろん、野党の立場にたった一面的な発言ですので、完全に信頼するかどうかは別問題です。が、このメールの内容が、先に挙げた“定番の構図”とはかなり違っているのです。

 そこで、今日の講義では、そのメルマガから委員会について書かれた部分を全文引用・紹介します。皆さんを情報操作したくないので、コメントは最小限に留めたいと思います。とにかく、知りようが無かった議会の裏舞台を知ってもらえれば、と思います。

 ※引用先は全て「えだのEメールニュースレターvol.52」です。ただし、読みやすいように、多少改行等を調整してあります。
 引用部分の著作権等は枝野代議士にありますので、ご承知おきくださいませ。

 田中外務大臣が更迭されました。
 この間の経緯について、報道では、必ずしも実態が伝わっていない部分があると感じています。

 そもそも発端となった予算委員会は、月曜日の審議で紛糾し、その深夜に強行採決されました。一部の報道では、野党が出席を拒否したとされていますが、明らかに事実と異なります。

 この日は、NGO参加問題で田中外相と外務省官僚の答弁が食い違い、何度も審議が止まって紛糾しました。野党側の主張は、「けしからんから審議できない」といういわゆる審議拒否ではありません。
 外相と官僚のどちらの答弁を前提に質問すればよいのかをはっきりさせてほしいというものです。合理的な主張ですから、与党もこれを受け入れ、午後9時半をめどに政府の統一見解を出すことになりました。これが午後7時ころのことです。
 それまでの間にNGO問題以外の審議を進め、統一見解を待って残り2時間20分の審議を行うことで合意しています。

 …まぁ、客観的に見ても「上手い事やるな」って感じでしょうかね。
 もっとも、この手の事は、いつもの国会空転でも同じなのかもしれませんけど。

 ところが、午後9時半ころ委員会を休憩し、理事会に切り替えて統一見解を待ちましたが、「もう少し待ってくれ」というのみでなかなか出てきません。
 この時点で私から、
「統一見解が出たら、各党で中身を検討するので、
 党に持ち帰る時間をください。」
と申し上げています。
 結局、与党側から統一見解が出たのは、2時間半も待たせた午後11時ころ。しかも、持ち帰ろうとする私たちに対して、
「15分で検討結果を持ち帰れ。」
と言います。

 うはは。何様でしょうか、与党側。
 一時期の広末涼子を思わせる奇行ですな。

 とてもそんな時間で検討し、かつ、野党間の意見をすり合わせるなんて無理ですから、
「もう少し時間を下さい。ただ、時間切れで日付がかわるようなことは、筆頭理事の私の責任で絶対にしません。」
と申し上げて、理事会室を後にしました。国会のルールでは、日付を超えて審議することができずに、その直前に「延会」と呼ばれるような手続きを取る必要があるからです。すでに午後11時で残り2時間余の審議時間ですから、当然こうした手続きになることを覚悟していました。

 私たちは、約束にしたがって検討を急ぎ、11時40分すぎには回答すると与党に通知して理事会室に戻りました。政府見解は「統一」見解になっておらず、とうてい納得できるものではありませんでしたので、延会手続きの上、さらに統一見解を求めて協議するつもりだったからです。
 ところが与党側は回答を聞きにこないばかりか一方的に委員会を再開し、予算案の採決を強行したのです。
 延会手続きが間に合わないといってそれだけを強行するのならともかく、野党が審議に応じないと言ってもいないのに残り審議時間を無視して採決するのは、どう考えても不当です。
 しかも、こんな深夜に及んだのは、政府与党の回答が遅れたためであって、私たちが意図的に引き伸ばしたのではありません。

 駒木は「与党3党全員・横山やすし」と思いましたが、どうでしょうか?
 まぁ、「そうなるの分かってて言ってんだろ」という人もいらっしゃるとは思いますけどね。

 予算委員会として、残され、奪われた審議時間の回復を求めるのは当然であり、審議が空転した原因は、なぜか審議拒否もしていないのに強行採決した
与党理事と予算委員長の責任です。

 それなのに、国会を理由として田中外相を更迭するのは明らかに筋違いです。
 私たちは、NGO排除で圧力をかけた鈴木宗男議員とその圧力に屈した外務官僚の責任を問題にしてきたのであって、田中外相の責任問題なんて予算委員会では一言も出てきません。

 審議が混乱した責任問題と言うのなら、予算委員会の津島委員長と藤井孝雄与党筆頭理事こそが
その職を辞すべきです。
 ちなみに藤井理事は昨日の理事懇談会で、「結果的に野党の約束や信頼を裏切ることとなったことは、自分の責任であり、深くお詫びする」旨を認めています。

 結局、小泉首相は、鈴木議員とその背景にいる橋本派の圧力に屈し、田中外相よりも橋本派を選んだということです。田中外相にはいろいろと問題がありましたが、少なくとも今回の問題で更迭する理由はありません。

 就任から9ヵ月の間にじりじりと守旧派に妥協し、
問題はあっても外務省改革を目指していた田中外相を切ったということは、小泉改革の本質が明らかになったと評価すべきだと思います。

 まぁ、最後の部分は民主党議員の主張だから当たり前としまして。

 ……どうですか? ちょっと印象が変わったでしょう?

 これをどう解釈するかは、受講生の皆さんの自由ですが、何か、少し政界が変わってきてるなってのが感じられたら、講義をした甲斐があったというものです。

 それでは、今日の講義を終わります。学園祭をお楽しみに。(この項終わり)

 


 

1月30日(水)演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(1月第5週分)

 今週は「ジャンプ」「サンデー」ともに新連載も読み切りがありませんでした。「ジャンプ」は来週あたりから読み切りラッシュが始まりそうな感じがしますが、今週は結果的に“谷間”となってしまった感がありますね。

 しかし、「週刊少年チャンピオン」では高橋陽一氏の新連載が始まり、「週刊コミックバンチ」でも、10週連続の新人作家コンペテイションがでスタートしました。今週は、この2つの動きについてレビューをしておこうと思います。 

 また、現在、当講座では「週刊少年マガジン」、「週刊少年チャンピオン」など、主要マンガ雑誌の新連載・読み切りレビューを担当して頂ける非常勤講師を募集中です。謝礼等は出せませんが、協力して頂ける方はメールでご連絡を。

《その他、今週の注目作》

 ※文中の7段階評価はこちらを。

 ◎新連載『ハングリーハート』(週刊少年チャンピオン9号掲載/作画:高橋陽一

 先週の講義で「記号化とその再現」というお話をしましたが、この高橋陽一氏も、それが異様に下手なんですよね、正直言いますと。
 「365歩のユウキ!!!」の西条真二氏は、説明的なセリフを羅列する方法で下手さを誤魔化そうとして、無残に失敗しているわけですけど、高橋氏の場合は何でもかんでもオーバーに表現すれば良いと思ってるんですね。失笑されてるとも知らないで。
 主人公のライバルを設定するにしても、全員分の個性を編み出せないから、どうしても必殺技に頼ってしまう。主人公の設定ですら、内的心理とかを表現する技術が皆無なので、いつの間にか“友達をドライブかけて蹴り飛ばす主人公”とか、“ボクシングジム行く前に、医者に身長低すぎる事相談しろよ的な主人公”とか、そんなのになっちゃうわけですよね。
 で、今回も「んな歌、唄ってる暇あったらドブでもさらっとけ」とか、「女子サッカー部のコーチする前に、信号壊した事で、とりあえず自首しとけ」とか、「主人公の前に、作者の才能がハングリーだ」…などというツッコミが入ってしまう。で、主人公のキャラが立ったかというと、立ってない。とりあえず駒木は、“ジャイアンみたいな芸風のガキ”と判断しましたが、どうでしょうか。

 ……まぁ、ちょっと茶化し気味の評論になってしまいましたが、大きく的は外れていないと思います。
 結局のところ、高橋氏の最大の問題点は、
 「自分の才能を過信している」
 この一点
ですね。
 誰だろうが、絵描きだろうが文章書きだろうが、表現活動をする以上は、「これは面白いはずだ」と思って作品を発表するんですが、まぁ大抵の人は同時に、「でも果たして、この作品は面白いんだろうか?」と自問自答をする。その謙虚さというか疑心暗鬼的なものが作品にも反映されるんですね、普通は。
 ところが、ちょっとヒットをかっ飛ばしたマンガ家さんに多いんですが、「俺の描く作品は面白いに決まってる!」と、根拠の無い自信を抱いて突っ走る人が、まま見受けられるんですね。誰とは言いませんが、複数いらっしゃる。
 これで面白い作品だったら、それはそれで結構なんですが、そうじゃなかった時の悲惨さは目を覆うべき状態になります。さりげなく具体例を挙げますと、「キックボクサー」とか「サイレントナイト」とか「フォワード」とかですね。謙虚さが無い寒い芸人──西川のりおとか、ぜんじろう──が持つような雰囲気が漂ってしまうんです。
 で、この「ハングリーハート」も、おそらくそんな感じかな、と。もう一度3回目まで読んだ時点でレビューしますが、期待をするのは酷かと。
 いや、色んな意味で楽しめる作品なんですけどね、このレビューは真面目な作品レビューですので……。
 7段階評価は
B−。この作品、噂によるとアニメ化するらしいですが、それこそ『ホイッスル』をアニメ化したほうが、まだマシかと。ええ。

 ◎読み切り(世界漫画愛読者大賞・最終審査エントリー作品)『満腹ボクサー徳川。』(週刊コミックバンチ9号掲載/作画:日高建男
 
 「コミックバンチ」で、賞金総額1億円という前代未聞の大規模新人マンガ賞・「世界漫画愛読者大賞」の、最終審査シリーズが始まりました。
 最終候補者10人の読み切りを掲載してアンケートを採り、それでグランプリを決定すると言う方式のコンペテイションですが、この方式、「週刊少年ジャンプ」で2回やって大失敗してるんですよね…
 「ジャンプ」の時は、話作りが上手い人よりも、絵が小奇麗な新人が上位に食い込んでしまって、結局連載させた時に長続きしなかったんです。才能が図抜けていたかずはじめ氏だけは生き残りましたけど。
 今回は男性向青年誌での試みということで、「ジャンプ」の時とは少し状況が違いますが、果たしてどうなることやら。

 ……さて、今週はそのトップバッターとなる日高氏の作品ですが…。
 この日高氏、マンガ家を目指して上京してから修行すること15年という、前座12年の落語家・立川キウイ氏を髣髴とさせるような経歴の持ち主ですが、修行歴が長いだけあって、さすがに話作りや絵の基本は出来ています。問題点はありません。ただ……

 「ただ、それだけ」なんですよね。

 あまりにも教科書通り過ぎて、訴えてくるものが無いのです。15年間で苦い汁ばかり吸ってきたのでしょうか、思い切りが無いんですよね。本当に小さくまとまり過ぎてる気がします。
 例えば、この作品の敵役はプロレスラー上がりのボクサーなわけですが、そのプロレスラーを、どうして超巨漢の外国人レスラーや、無敵の格闘技世界チャンピオンなどの“大物”にしなかったのか。連載を見越して、設定を控えめにしたのかもしれませんが、いくらなんでも控えすぎのような気がします。

 ここまで苦労した人ですから、一度くらいは連載を持たせてあげたいな、とは思います。が、多額の賞金を上げて鳴り物入りでデビューさせるほどじゃないかな、というのが正直なところです。評価はB

 ………

 と、いうわけで今週のレビューは終わりです。

 そういえば、今週の「365歩のユウキ!!!」。最終目標が「中学生名人」という、マンガとしてはスケールの小さいところに落ち着いてしまって、ますますトホホです。
 マンガじゃ「中学生名人は、プロへの登竜門」なんて言われてますが、違います。登竜門は小学生名人です。中学生の時には奨励会か、その下部組織の研修会に入ってないと間に合いません。プロ試験一発勝負の囲碁とは違い、将棋は奨励会で6級(特例入会の年長者は3級や1級)から三段まで登りつめて、そこからリーグ戦を勝ち抜かないといけないので、とにかく時間がかかるんです。
 ……まったく、勉強不足にも程があるぞ。

 では、また来週。

 


 

1月29日(火)環境社会学
「漂流クジラの行方(2)」

※この講義の1回目はこちら

 昨日は突然の休講、申し訳ありません。
 どうやら、年末年始から、高校の仕事、講義、競馬競輪と体を痛めつけて来たツケが回ってきたようです。背中の筋肉が引き攣ったまま動かなくなり、ずっと悶絶してました。目の疲れが、体中に浸透する恐ろしさ。皆さんもご注意下さい。

 さて、それでは講義再開です。
 前回では、漂着して死んだクジラの肉を求める人が殺到、というところで終わったのでしたね。
 なにせマッコウクジラは、今では年間10頭の調査捕鯨が認められているのみ。それが13頭も水揚げされたのですから、穏やかな話ではありません。嫁候補不足にあえぐ農村にモーニング娘。が移住して来たような騒ぎになるのは必然と言えましょう。村の青年が保田圭以外の12人に群がるのが目に浮かぶようです。
 加えて、マッコウクジラの皮は、卸値で1キロ5000円以上となる超貴重品。尾の部分も1頭200〜300万円にもなるといい、1頭丸々の価値は1000万円以上にもなるという話。都合、1000万×13頭=1億3000万円…というわけで、これは海岸に札束が埋もれているようなものです。
 ……と、いうわけで、“札束の揚がった町”大浦町は、大変な騒動になったのです。

 まず、一般住民の方々はこんな感じで↓

 今回打ち上げられた直後から「鯨は食べられないのか」という電話が役場にかかり始めた。22日夜には現場にチェーンソーを持った住民も姿を見せたという。(毎日新聞より)

 レザーフェイスか、ジェイソンか、といった様相。
 暗闇の中、チェーンソーを振りかざす男性の光景なんて、どう考えてもシャレになりません。

 そして、業者の方々も負けてはいませんでした。

 役場には住民のほか、鯨を扱っているとみられる業者から「入札はいつするのか」「腐った肉でも欲しい」「1頭何百万円でも引き取る」などの電話もかかり、25日夕までに合計100本以上には上るという。(同上)

 わはは。「腐った肉でも欲しい」直球過ぎます。
 しかし、腐った肉をどうするんでしょうか? 食わされる身にもなって頂きたいものですが…。
 ひょっとして、アレですかね。腐った鯨肉を箱詰めして、牛の肉のラベルを貼り付けて国に売りつける予定だったのかもしれませんな……と、これがブラックジョークにもならないのが一番怖いんですけど。

 とまぁ、まさに引く手あまた。これなら懸案の死骸処理もアッサリ解決か…と思われたのですが、そうではありませんでした。

 その水産庁はどう指導しているのか。同庁の捕鯨班の担当者は「地元には食用にしないように指導しています。法律的な規制はないですが、どんな病気に汚染されているか分かりませんから。現に以前、北海道で打ち上げられたクジラを食べた人が食中毒になったことがあったと思いますよ」と注意を喚起する。

 ただ、このクジラ食中毒事件はちょっと事実が違っていた。北海道庁に取材すると、担当者は「それは、打ち上げられたクジラでなくて、網に掛かったクジラです。一九八八年の話です」と説明した。

 網に掛かったクジラは、死後二日後に市場を通して販売され、刺し身などで食べた道内の消費者約二百五十人が食中毒になった。クジラを捕獲した船長や、漁協の責任者らが、刑事責任を問われている。
(中日新聞より)

 ……と、いうわけで、せっかくの“札束”も腐ってしまって使い物にならないという次第。
 それでも「腐ってても欲しい」人がいる以上、町側としても対応に追われているようです。

「戦前は食べていたようですが、今は食べません。町も(肉を持っていく)不心得者が現れないように、二十四時間態勢で寝ずの番をしています」(同)と食用に転用することには消極的。「すでににおい始めてますし…」とも言い、食用にするのであれば、“早期決断”が必要だ。 (同上)

 チェーンソーを持った男VS大浦町職員。なんだか、学生プロレスでありそうな組み合わせですが、こちらはプロレスではなくリアルファイトです。クジラの前に、職員が解体されなかった事をお祈り申し上げたい次第です。

 結局、これらのクジラがどうなったかと言いますと……

 鹿児島県大浦町に打ち上げられて死んだマッコウクジラ13頭のうち1頭は27日、骨格標本にするため加世田市小湊の砂浜まで運ばれた。だがこの搬送作業が予想以上に難航したため、大浦町は残る12頭の砂浜への搬送は断念、海洋投棄することを決めた。

 大浦町は13頭を砂浜に約2年間埋め、標本にする予定だった。27日未明、加世田市の小湊漁港から25トントラックで砂浜を目指して陸送を始めた。ところが鯨は約40トンと予想以上に重く、トラックへの積み上げや搬送作業が難航。1頭を約1・5キロ離れた砂浜に運ぶのに約10時間かかった。

 町はトラック搬送をあきらめ、砂浜まで台船で運ぶ方法を目指したが、砂浜は遠浅で台船が近づけず、海上輸送も困難と判断した。

《中略》

 砂浜まで運んだ鯨は専門家の調査終了後、埋める。残る12頭はしけが収まるのを待って町が海洋投棄する。 (毎日新聞より)

 ……と、ミもフタも無い結果になってしまいました。
 せめて腐るまでに何とかしてもらえれば、TV東京あたりが「大食いオールスターズ、クジラ1頭に挑む!」とか番組を作ってくれたでしょうに、残念としか言いようがありませんね。

 とにかく駒木は“クジラ肉のノルウェー風”が食べたいです。どこか食べさせてくれる店があれば、情報をよろしく。…というところで今日の講義を終わります。

 病み上がりでは良いオチも浮かびませんでした。(この項終わり)

 


 

1月27日(日)環境社会学
「漂流クジラの行方(1)」

 わが国・日本は島国だけありまして、たびたび“海からの来客”のニュースが世間を騒がせる事があります。
 中でも最近増えたのが、クジラが浅い海岸に漂着し、動けなくなってしまうというニュースです。
 一説によりますと、これは一連のクジラ保護施策の結果、クジラが増え過ぎて餌が無くなり、その結果、餌を求めて彷徨ったクジラが漂着する……といった理由によるものだそうです。人間が生態系を変えるのは、何も乱獲ばかりではないという事を、動物愛護団体の方々には知ってもらいたいものですね。……まぁ、こんな事、オーストラリアあたりで喋ったら人非人扱いされそうですが、生まれて間もない子羊を美味そうに食ってる連中に批判される筋合いはないと断言しておきます。

 さて、この2002年も、新年早々クジラの漂着がありました。しかも今回は14頭同時というデラックス版。同時に12人の妹に萌える事のできる今日この頃を、如実に反映した事件と申しましょうか。
 その漂着した14頭のクジラの内、無事、海に還って行ったのは1頭だけ。残りの13頭は、手の施しようが無く、そのまま衰弱死してしまいました。TV番組では、ワイドショーを中心にこの話題を連日報道していましたが、唯一助かったクジラが海に還って行くシーンでは、コメンテーターが「感動しました」と涙ぐむ一幕も。
 駒木などは、常日頃から松葉ガニを虐殺・解体して貪り食ってる人たちの言うセリフではないと思った
のですが、そのあたり、いかがでしょうか?
  
 ところで、今回クジラが漂着したのは、鹿児島県は大浦町の海岸でした。大浦町は人口約3000人で、島嶼部を除けば最も小さい町。普段はひっそりとした過疎の町なのですが、この事件以来、まるで「ちゆ12歳」「俺ニュース」で紹介されたマイナーサイトのようなお祭り状態となり、職員わずか60人の町役場が24時間態勢で対応に追われているとの事です。日頃はスポーツ新聞読みながら、滅多に来ない印鑑証明の請求をダラダラ待っている主任さんも休日返上ということで、国民や町民の血税を活かす事のできるまたとない機会になっているようです。

 で、そんな大浦町が、今一番困っているのが、死んでしまった13頭のクジラの処理に関しての問題です。今回は骨格標本にするという話が出ましたが、そうするにしても、海岸まで死骸を曳航したり、それを一度砂浜に埋めて白骨化させたりしなくてはなりません。安上がりに焼却するにしても、そのために必要な費用はバカにならないようです。

 水族館から「骨格標本にしたい」という申し出があったものの、職員は「焼却か埋めるということになりそう。海上投棄ということも考えられます。いずれにしろ一頭あたり百万円の費用はかかるようで」と財政難の折、頭を抱える。漂着したクジラなどの処理には水産庁の補助制度もあるが、全額は負担してくれない。

 町の予備費は二百万円程度なのに、クジラ十三頭の解体、処理、運搬で千五百万円はするとみられ、町の負担は少なくない。(中日新聞より)

 ──よりによって、どうしてウチみたいな小さな町に……
 …などといった町長さんの呪詛が聞こえてきそうですね。確かに、野村沙知代に襲来されたハワイの宝石店に似た悲哀が感じられる話ではあります。
 クジラは、生きている間こそ、グリーンピースがテロまがいの実力行使で命を守ってくれますが、死んでしまえばさっさと撤収してしまいます。なんだか、ブレイクしたアイドル歌手の“突然増えた親戚”のような話ですが、何はどうあれ、“かわいいクジラさん”も、あっという間に数トンの肉隗と化してしまうわけです。海のアイドルも、あっという間に粗大ゴミ。…このフレーズの「海」を「ジャニーズ」に変えると、田原俊彦の事になってしまうのは、恐らく気のせいではないでしょうが、ここではノーコメントにしておきましょう。

 閑話休題。
 そんな中で、にわかに色めきたったのが、食肉業者でありました。

 受講生の方も大半はご存知でしょうが、かつて日本人は、クジラの肉を“安価な動物性タンパク源”として大量に消費していました。日本の商業捕鯨が禁止された14年前までは、学校給食でも献立表にクジラ料理が名を連ね、子どもたちの健やかな成長に一役買っていたのは印象深いエピソードです。駒木も“クジラ肉のノルウェー風”が大好きで、「大盛イモだく、これ最強」などと言いながら、スプーン片手にがっついていたのを思い出します。
 今でもクジラ肉は、調査捕鯨で水揚げされたものを中心に市場に出回っていますが、現在は需要と供給のバランスが崩れて高級食材になっています。そんな中で、13頭の大型マッコウクジラが揚がったというのですから、これは穏やかな話ではありません。大浦町は、一転して1849年のカリフォルニアを思わせる異様な事態に晒される事になったのでした──

 ……と、いい所まで講義したのですが、まだまだ講義は長くなりそうなので、続きは明日に回したいと思います。それでは、今日の講義はここまで。 (続く) 

 


 

1月26日(土)競馬学概論
「90年代名勝負プレイバック」〜“あの日、あの時、あのレース”(4)《サイレンススズカ三番勝負・2》
1998年宝塚記念/1着馬:
サイレンススズカ

駒木:「今週はサイレンススズカ三番勝負の2回目。唯一のG1勝ちになった宝塚記念を振り返ってみるね」
珠美:「こんな事言っては失礼なんですけど、不思議と印象に残ってないレースですよね」
駒木:「宝塚記念って、どうもそんなレースらしい(笑)。勝った馬は有名どころが多いんだけどねぇ。ここ10年でも、メジロのパーマーとマックイーン、ビワハヤヒデ、マヤノトップガン、マーベラスサンデー、グラスワンダー、テイエムオペラオー、メイショウドトウ。比較的マイナーなのはダンツシアトルくらいだもの。
 まぁ、あれだろうね。強い馬なら、他にもっと印象深いレースがあるし、このレースで大駆けした馬は、本当にこの場限りの活躍で終わっちゃって、僕たちの記憶から消えてしまうってことだろうね
珠美:「そうですよね。サイレンススズカにしても、このレースよりむしろ金鯱賞とか毎日王冠の方が印象に残ってますし……」
駒木:「そうだねぇ。まぁだからこそ、今回は毎日王冠じゃなくてこちらを採り上げたんだけどね。
 ……と、いうわけで、早速レースの紹介をしてくれるかな?」
珠美:「……ハイ。このレースは1998年の7月5日に行われました。宝塚記念は1959年に創設された重賞レースで、『冬の有馬記念のような、ファン投票で出走馬を決めるグランプリレースを、春に関西で』という、中央競馬会(現:JRA)の意向で始まったとされています。グレード制導入と共にG1に格付けされ、春競馬の最後を飾る中距離馬ナンバーワン決定戦として、年間スケジュールの中でも重要な位置を占めています。なお、この前年の1997年より国際競走となり、2001年より国際G1競走の格付けを認定されています。
 あと、距離は芝の2200m。競走名の“宝塚”にもあるように、改装時などを除いて阪神競馬場で施行されます。
 この年の有力馬ですが、サイレンススズカも有力馬の1頭として名を連ねています。これは後で博士に解説していただきましょう。他の有力馬としては、前年の秋に天皇賞・秋1着、ジャパンカップ2着、有馬記念3着という好成績を残していたエアグルーヴや、年末のステイヤーズSから春の天皇賞まで4連勝でやって来たメジロブライト。さらには前年の有馬記念覇者・シルクジャスティスに、この年の天皇賞・春2着で、いよいよシルバーコレクターの活動を開始したステイゴールド、そして前走・鳴尾記念(G2)でエアグルーヴ相手に大金星をあげたサンライズフラッグなど、錚々たるメンバーが名乗りをあげていました。
 ……私からは以上です、博士」

駒木:「はい、ありがとう。…それにしても凄いメンバーだよね。この他にもメジロドーベルとかローゼンカバリーとかいるんだよ。古馬の有力どころは、ほとんど全部揃ってる。こんなレースがあったのに、競馬雑誌の投稿欄では『毎年、宝塚記念はメンバーが揃わないので、時期を変えたらどうだ』みたいな文章が載るんだからねぇ。どれだけ宝塚記念が皆の記憶に残ってないか、よく分かる(笑)」
珠美:「最近は有馬記念まで『ファン投票が反映されてない』って言われてるみたいですけどね」
駒木:「頭数が揃わなかったのは大昔から一緒だよ。要は良いメンバーが集まって良いレースになればO.K.なわけでね。
 ……でもさ、ジャパンカップも海外遠征も無かった頃と比べて文句を言ってる方がナンセンスだよ。僕たちはあくまで外野なんだから、与えられたモノで如何に楽しむかを考えてればいいのさ。文句を言うのは、根本的な間違いがある時だけでいい。
 ……っと、なんで説教じみたことを言ってるんだ(苦笑)。あ、そうそうサイレンススズカの話だったね」
珠美:「ハイ」
駒木:「先週の講義では、サイレンススズカがまだ二流馬だった頃の話をしたんだけど、それから約半年で、この馬は全く違うレヴェルまでに成長していたんだ。
 サイレンススズカは、あの惨敗したマイルCSの後、無謀にも香港国際カップに遠征。どう考えても惨敗するパターンだったんだけど、それが果敢に逃げて0.3秒差の5着に健闘。今から考えると、騎手が武豊JKに替わったのが良かったんだろうね。後のステイゴールドの時もそうだったけど、この人、気性の悪い馬を手なずけるのがとても上手い。
 で、帰国した後が凄かった。エイプリルS、中山記念、小倉大賞典、金鯱賞と逃げ切りで4連勝。しかも最後の2つはレコード勝ちで、さらに金鯱賞は勝った着差が『大差』。1.8秒差だから、約11馬身ってところだろうか。しかもその時の2着馬が、G2勝ちを含む4連勝中のミッドナイトベット。後に香港国際カップを勝つ馬だね。…まぁ、この時にサイレンススズカの能力は完全に開花されたと言っていいんじゃないかな」
珠美:「何がどうして、こんなに変わっちゃったんでしょう?」
駒木:「ムキになって走って、スタミナを浪費する癖が影を潜めたのが大きいね。多分、武豊JKに走り方を叩き込まれたんじゃないかと思うんだけど。後は、気性の成長と能力の完成が同時に訪れたって事だろうか」
珠美:「…なるほど、分かりました。このレースもサイレンススズカは1番人気だったんですが、これは実力が評価されて、と解釈して良いんですか?」
駒木:「それはちょっと微妙かな。実績ならエアグルーヴ、メジロブライト、シルクジャスティスの方が数段上だしね。ただ、この時は実績上位の3頭が揃ってスランプか調整途上でねぇ。100%キッチリ仕上がってたのはサイレンススズカくらいなものだった。まぁ、勢いとツキも加味しての1番人気ってところだったね。
 サイレンススズカの不安点と言ったら、騎手が武豊JKから南井JKに乗り替わってた位かな。武豊JKは先約を優先してエアグルーヴに乗っていたんだ。南井JKも下手な騎手じゃないけど、サイレンススズカの全てを知っている武豊JKを敵に回したのは、正直大きな懸念材料だったよ。でも、それを考えても、この時は『サイレンススズカで仕方ないかな』って感じはあった。何せ、僕もサイレンススズカを軸に流し馬券を買ってたくらいだからね。僕がこの馬を初めて本命にした時だったよ(笑)」
珠美:「なるほど、よく分かりました(笑)。 それでは、レースの回顧に移りますね。
 まず、メジロブライトがゲート内で暴れて外枠発走になってしまいました…」

駒木:「これでメジロブライトは終わっちゃったね。これじゃあ、どうしようもない。レースの方でも不利を受けちゃったし、この時は運が無かった」
珠美:「ハイ。そしてスタートです。やはりハナを切ったのはサイレンススズカ。他に競り合う馬もいませんでしが、ハイペースでグングン差を広げて逃げます。離れた先行グループにはメジロドーベルなど。他の有力馬は、脚質の問題もあって中位より後方に位置します。
 サイレンススズカのペースは前半1000mで58秒6。折り合いはついていたみたいですが、やっぱり速いペースです。向正面では大逃げの形になりました」

駒木:「サイレンススズカにしてみれば、普通の“形”だね。……今から考えてみると、南井JKにしてみれば、負けても言い訳の出来る乗り方を選んだみたいだね。良い意味でも悪い意味でも“代打”精神というか。あ、これは責めてるわけじゃないよ。いかにもプロらしい騎乗ということだね」
珠美:「前走の金鯱賞では最後までリードを縮めさせなかったサイレンススズカですが、さすがにG1レースですね、4コーナーから後続との差が詰まり始めます。中でも目立った動きを見せたのがステイゴールドでした。中位から一気に捲り上がって行きます」
駒木:「微妙に違うけど、これってステイゴールドの引退レースの香港国際カップと似てる展開だよね。で、この時でも香港でも、4コーナーで動いたのが熊沢JKで、我慢したのが武豊JK。どっちがどう、という評価は避けるけど、意味深長な話ではあるよね」
珠美:「直線の攻防ですが、メジロブライトとシルクジャスティスの2頭は伸びを欠いて失速。早めにスパートしていたステイゴールドと、脚を貯めていたエアグルーヴがサイレンススズカを懸命に追う形になりました。でも、序盤から中盤で作った“貯金”が大きかったみたいですね。差は3/4馬身差まで詰まったんですが、結局サイレンススズカが逃げ切りました。2着はステイゴールが粘り込み。エアグルーヴは馬込みを捌くのに手間取ったために3着に終わりました。シルクジャスティスは6着、メジロブライトは11着でした」
駒木:「着差を考えると、ちょっと危ない勝ち方だったんだろうけど、勝てば官軍だよね。2着争いは、思わず『ぎゃあ』と叫んだのを今更ながらに思い出す(苦笑)」
珠美:「(笑)」
駒木:「いいメンバーの割には、ちょっと締まらないレースだったかな。勿体無いレースだよね、色んな意味で。
 ただ、もしもこのレースのメンバーが100%の力を出していたら、サイレンススズカは勝てなかったんじゃないかな。それを考えると、これはこれで良かった気がするけどね。まぁ、勝負事ってのは因果なモノだよね」
珠美:「タラ・レバの話は尽きませんものね。……それでは、出走馬のその後についてお話してください」
駒木:「サイレンススズカは、例によって次回にね。
 で、エアグルーヴは、どうやらこの辺りを境にピークを過ぎたらしくて、徐々に成績の方もフェードアウトしていった。それでもジャパンカップでエルコンドルパサーの2着があるんだから、大したもんだよね。
 あと、メジロブライトとシルクジャスティスの2頭は、下の世代からの突き上げに遭ってチャンピオンの座を追われることになる。まぁ、もともとG1馬にしては地力に問題のある馬だったんだけれども。
 結局、このメンバーの中で一番出世したのはステイゴールドということになるのかな。物凄く遅咲きだったけれども、その分出した結果も凄かったよね」
珠美:「……ハイ、博士、ありがとうございました」
駒木:「珠美ちゃんもお疲れ様。さて、来週は1998年の天皇賞・秋。このレースについて講義するのは、かなり心苦しい作業になるんだけど、避けるわけにはいかないからね。…まぁ、来週もどうぞよろしく、ということで」(来週に続く)

 


 

1月25日(金)教育原論(教職課程)
「塾講哀歌(2)〜家庭教師会社・教材の実態」

 さて、今週月曜日に続いての、シリーズ2回目です。しかし、今日は番外編的に家庭教師の話題をお送りします。

 今日のニュースに、こんなものがありました。

 札幌の観光名所の一つ、サッポロビール園(札幌市東区)が昨年2月まで、営業終了後に各ビールタンクから注ぎ口につながるホースに残ったビールを保存し、翌日の客のビールジョッキに混ぜて出していたことが25日、分かった。
 同園を経営する新星苑(本社東京)=サッポロビールとニユートーキヨーなどが出資=によると、ホース内に残るビールは1日平均約20リットルに上り、このビールを容器に集めて冷蔵庫に保存。翌日「飲み放題」コースの客のジョッキに少量ずつ混ぜ、新しいビールをつぎ足すことが慣習化していたという。

(中略)

 サッポロビール園は1966年、できたての生ビールが飲めることを売り物に、サッポロビール札幌工場の敷地内に開業した。(共同通信より)

 …どんな業界でも、舞台裏に一歩足を踏み入れると、部外者なら誰でも絶句する光景に出くわすものですよね。受講生の皆さんも、様々な体験をされていることでしょう。勿論、駒木も複数のアルバイトを体験しましたが、やはりどの職場でも、その手の“舞台裏”というものが存在しました。
 そんな“舞台裏”の中でも、特にエゲツなかったのが家庭教師業界のそれでした。

 家庭教師の派遣会社にも様々なタイプがありますが、最も悪質なのは、家庭教師派遣と教材販売がワンセットになっている会社です。
 そもそも家庭教師の派遣にしてからがインチキ寸前です。素人の大学生を高い時給で釣って集めて、僅か1時間程度の事前研修でデビューさせ、“家庭教師派遣”と謳っているのです。これは喩えるならば、成人式当日の若者に5000円を握らせて、新宿歌舞伎町に放り出すようなものでして、ハッキリ言って無謀な事この上ない。駒木のように4年間塾で“揉まれた”人間ならまだしも、右も左も分からない若造に、他人様の子どもの家庭教師が、そうそう簡単に勤まるはずがないのです。
 事実、駒木は2年間で、都合3家庭4人の生徒を担当しましたが、いずれも1日でクビになった新人家庭教師からの引継ぎでした。1日でクビになった新人クンには、三者三様の解雇理由がありましたが、中でも笑えた、いや笑うに笑えなかった解雇理由は、「近くにある高校を全く知らず、進路の話が出来なかった」というものでありました。この事を聞かされた時、駒木の頭には、「土地勘の無いタクシー」、「ドンペリを知らないホスト」、「高所恐怖症の鳶職」、「体の鈍った中山きんに君」…など、様々な喩えが頭に浮かんでは消えたものでありました。
 そんなフザけた新人にでも、1日分の指導料を支払わなくてはいけないのですから、親御さんも災難というものです。これならまだ、「チェンジ」の利くホテトルの方が、まだ10倍以上良心的な商売です。 

 しかし、こんな事はまだ序の口です。

 全ての家庭教師派遣会社がそうであるとは言いませんが、それでも多くの会社が、家庭教師派遣と同時に教材販売をワンセットで行っています。
 確かに、ただでさえ指導力の心許ない家庭教師に教材作成まで委託していては、指導する側・される側双方にとって負担になる事になってしまいます。ですから、指導用や宿題用の教材を派遣会社が提供すると言う事は、考え方としては間違っていません。
 しかし、駒木が登録していた派遣会社の教材は、それはもう酷いシロモノでした。
 表紙だけは豪華な装丁なのですが、それにしたって革張りのように見えて、実はビニール製。かさばる上に重量感だけ増した、張子の虎のようなテキストが9冊もありました。ド派手な結婚披露宴の引き出物でも、ここまで酷くはありません。せいぜい新郎新婦の写真がプリントされた大皿と、砂糖で出来た鯛くらいなものです。しかしこの教材は、そんな大皿と鯛が3セットあるようなブツでした。
 中身が、これまた酷い。一応、5教科の総合テキストにはなっているものの、内容は各教科20ページソコソコで、それも内容スカスカ。これに申し訳程度の問題集がセットになっているものでありました。
 一番酷いのが値段で、こんなモノが30万円以上もするのです。同じようなボリュームで、もっと優れた内容の参考書と問題集ならば、本屋で5000円もあれば買えます。これだけでも、いかにこの教材がボッタクリか分かろうかというものです。
 駒木、このテキストを初見した時、図らずも絶句いたしました。阪神の監督に就任し、いざキャンプに望んだ時の野村克也前監督の気持ちが痛いほど良く分かった瞬間でした。
 こんなテキスト、指導の足を引っ張るだけですので、駒木は毎週半泣きになりながら、自作のテキストを用意する羽目になりました。まぁ、駒木は短いながらもキャリアがありましたので、自家製テキストを作成できたわけですが、これも経験も才能もない家庭教師が担当した家庭ならば無理な話です。坂本ちゃん&出川哲郎主演のホモ映画のようなトホホ感の漂う指導風景が目に浮かびます。
 しかも、これだけで話は終わりません。
 なんと、指導が始まってから数ヵ月後に、派遣会社の営業社員が“個人面談”と称して生徒宅に出向き、「このままではいけない」とか、「さらなる点数力アップを」などと言って、更に教材を買わせるのです。で、この新教材も、歯の抜けたバアサンが「エエことするの、シャンマンエン」と言って来る風俗店のようなシロモノでして、ますます駒木は偏頭痛に悩まされる事となったのでありました。
 …結局のところ、駒木の登録していた家庭教師派遣会社は、家庭教師派遣をスケープゴートにした、悪徳・教材訪問販売業者だったわけです。そして、この手の会社は、家庭教師派遣会社の中でもかなりの割合に及ぶものと思われます。
 ですので、お子さんを持つ社会人受講生の方にご忠告申し上げますが、家庭教師派遣会社と係わり合いになるのは避けた方が無難であります。避けた方が良いです。良心的な会社も有るでしょうが、お年玉付き年賀ハガキで「ふるさと小包」が当選するくらいの確率と自覚しておいてください。

 そもそも、家庭教師というのは、教育費用に糸目をつけない資産家とその子息のためのものです。月に何十万も費用を注ぎ込み、複数のプロ講師を雇って、初めてその威力を発揮するという、ジェット燃料並に燃費の悪いのが家庭教師なのです。月数万で、週1回2時間の家庭教師を雇うくらいなら、同じ費用で塾に通わせた方が余程マシと言えるでしょう。
 もしも、どうしても塾ではなく家庭教師を、というのであれば、知人経由で塾講師をしている大学生を紹介してもらいましょう。腕は確かですし、月謝も中間マージンがかかりませんので割安で済みます。塾講師をしている大学生は、ほぼ間違いなく家庭教師の口を探していますので、遠慮する事はありません。

 ……と、大学の講座と言うよりも、まるで生活小百科のような話になってしまいましたが、お役に立てたら幸いです。今日の講義はこれまで。(この項続く)

 


 

1月24日(木) 社会統計学
「長生きするための新・標準体重」

 今日の講義は当初、イスラムの戒律を破り、嫁を貰いすぎたために重労働の刑になった男の話をしようと思ったのですが、急遽講義内容を差し替えました。
 駒木の専門分野である世界史の話と絡めつつ講義を展開するつもりだったのですが、イスラム教とムハンマドを茶化すと命まで危ないという事を思い出し、取りやめたのです。
 かといって、同じイスラム教関連でも、日本が誇る墓荒らしエジプト考古学者・吉村作治氏が、イスラムの女性と離婚した理由が「チャーシュー麺食ったのがバレたから」だった……という話題で講義をしても盛り上がりませんので、テーマそのものをガラリと変えることにしました。ご了承を。

 ………

 それでは気を取り直して今日の講義を始めます。

 経済的・物質的に恵まれ、衣・食・住の心配をしなくても良くなった我々にとって、健康問題は非常に重要なテーマとなりました。
 同じ生きるにしても、どう生きるか、ということです。
 
人間誰しも、健康的で文化的な、それでいてある程度の物欲を満たしてくれるような生活を望むものですよね。少なくとも、こうして余暇の時間を利用して社会学を受講されている皆さんは、文化的な生活のために努力を惜しまない方たちとお見受けします。
 しかし話が健康問題となれば、1日平均3時間睡眠の駒木も含めて、どれくらいの方がそれに留意して生活をされているでしょうか?
 高齢化社会を通り越し、もはや高齢社会と言われる現代。長生きするのが当たり前となったこの21世紀の世の中で、いかに健康を維持したまま長生きするかというのは、我々にとって非常に重要なテーマです。

 ……と、こんな事を話していると、なんだか怪しい健康食品のセールスマンをやってるような気分になりますので、前置きは早々にして。

 今日付けのニュースでこのような記事を見つけました。

 男性は、標準体重よりも少し太めの方が長生きできる傾向があることが、厚生労働省の大規模疫学調査(研究責任者=津金昌一郎・国立がんセンター研究所支所臨床疫学研究部長)で確かめられた。肥満の指標「BMI」と早期死亡率の比較で、男性は健康的として推奨されている数値よりも高めの人の方が、死亡リスクが低いことがわかった。「標準体形」を左右する結果だけに、「健康的な体重」論議を呼びそうだ。 (読売新聞より)

 このニュースを簡単にまとめますと、男性に関しては、これまで「やや太め」と言われていた位の体型の方が、病気にかかりにくくて長生きすることが分かった、というお話です。
 普通、この手の統計というものは杜撰なものが多く、報道内容がショッキングな割には信頼性が薄いのがもっぱらなのですが、この調査に関しては、それが当てはまらないようです。

 健康な40、50歳代の男女それぞれ2万658人、2万2482人の健康状態を1990年から10年間追跡調査。 

 標本数も多いですし、調査機関も極めて長い。さすが公式調査と言うか、税金使ったストーキングというか、色々な意味でご立派な調査です。

 さて、この肥満指標の「BMI」なる数値、耳慣れない言葉ですが、内容は至極簡単。体重(kg)を、身長(m)の2乗で割れば、簡単に算出できます。
 例えば、駒木の身長と体重でBMI値を算出してみますと……

 65(kg)÷(1.75×1.75《m》)=21.22……

 と、なるわけです。
 これまでは、男性のBMI理想値は22とされていましたので、駒木の数値はまぁ、ボーダーライン上ということになりますね。むしろ「ちょっとスリムで良い感じ」と、内心嬉しくなったりする数値なわけです。
 しかし今回の結果で、その認識は大きく揺らいでしまいました。

 男性ではBMIが23―26・9の人がもっとも死亡率が低かった。
 
これを基準とすると、21―22・9で1・33倍、19―20・9で1・57倍、それ以下では2・26倍と、やせるにつれて死亡リスクが高まった
 肥満でも、27を超えるとリスクは高い
。27―29・9で1・38倍、30以上で1・97倍だった。 

 いきなり、「キミ、ちょっと早く死ぬよ」と言われてしまいましたご無体な。
 
…これでは、健康診断で「キミ、若いうちはいいけど、30になったら、死ぬよ?」と言われた伊集院光を笑えなくなってしまうじゃないですか。

 参考までに、女性受講者のために、女性の理想数値も紹介しておきましょう。

 女性では、BMI19―24・9が最も死亡率が低い。25を超えると死亡率が上昇し、30以上では1・91倍となる。逆に19未満の「やせ過ぎ」でも1・94倍に死亡リスクが高まる。 

 例えば、身長150cmの女性の場合、体重55kgあたりまでが許容範囲となります。駒木には女性の事情はよく分かりませんが、150cm、55kgというのは、かなり余裕を持った数字と言えるのではないかと思います。
 ちなみに、当講座の助手・栗藤珠美ちゃんのBMI数値は17.33。なんと、講師と助手、そろって早死に確定みたいです。古本屋で「41歳寿命説」でも探して来て回し読みしたい気分ですね。

 まぁ、ちょっと太れば問題は無いのですが、ただでさえ締まりの無い生活をしている駒木ですから、これで体型まで締まりが無くなりますと、「ただの体の緩んだオタク」と思われてしまう可能性が極めて大。それだけは避けたいのです。
 それに、駒木が密かに抱く、「30代後半で10代か20代前半の嫁を貰う」という、人生の中間決算目標のためには、体型維持が命題なのでありまして。……そう、まさにこれは死活問題なのです!(教壇をバン! と叩く)

 ……あ、失礼。個人的に盛り上がりすぎました。

 まぁ、皆さんはダイエットしなくて済む理由が出来たと喜んでください。特に既婚女性の方は、ダンナさんから「お前、最近太ったんじゃないか?」などと失礼な事を言われた時の反撃材料にご活用ください。
 …などと、とんだお節介をかましたところで、今日の講義を終わります。(この項終わり) 

 


 

1月23日(水)演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(1月第4週分)

 さて、演習のお時間です。
 今週は、当講座注目の新連載、『キメラ』(作画:緒方てい)が始まりました。勿論、今日の講義でレビューをやります。お楽しみに。
 『キメラ』関連でお詫びです。先々週のこの時間で、「雑誌の発売は木曜」と書いてしまったのですが、発売日は水曜で、一部地域では火曜日には店頭に並んでいました。全くこちらの手違いでして、心からお詫び申し上げます。

 まず、今週は「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年サンデー」の月例賞が発表になっていますので、受賞者を紹介しておきます。

第64回ジャンプ天下一漫画賞(01年11月期)

 入選=該当作無し
 準入選=該当作無し
 佳作=該当作無し
 審査員・編集部特別賞=2編
  ・『タイムカプセル』(鈴木央賞)
   山根大(23歳・京都)
  ・『ラジコンマン』(編集部特別賞)
   川口幸範(22歳・山口)
 最終候補(選外佳作)=7編

  ・『バウロア氷原騎士団』
   中島諭宇樹(22歳・千葉)
  ・『アニマルハート』
   星野友香(17歳・群馬)
  ・『ZERO』
   小林真依(19歳・大阪)
  ・『TIGER HEART』
   江幡喜之(24歳・東京)
  ・『心争心離学』
   青葉欧彦(17歳・北海道)
  ・『ボウリング☆スター』
   佐藤大輔(22歳・北海道)
  ・『召還士アリカ』
   沢田幸一(21歳・北海道) 

少年サンデーまんがカレッジ(01年11月期)

 入選=1編
  
・『ミリ吉四六』
   ささけん(26歳・東京)

 (選評)
 
絵・話ともに、凄まじいパワーを感じます。貴方のような人が、サンデーを変えていくのかもしれませんね。しかし、パワーだけでは週刊連載作家となるのは、難しいでしょう。これからはパワーだけでなく、絵・話を盛り上げる技術を学んでください。期待してます。

 佳作=2編
  ・『Doppel ganger』
   高枝景水(23歳・東京)
  ・『タイムダイバー』
   森尾正博(26歳・東京)
 努力賞=2編
  ・『僕の魔球』
   蒼志郎(25歳・神奈川)
  ・『マントがナイト』
   遠藤ガク(24歳・東京)
 あと一歩で賞(選外)=4編
  ・『二月刀』
   望田望(19歳・東京)
  ・『キリンがいるよ』
   ガンジー石原(26歳・愛知)
  ・『未確認物語』
   あづち涼(24歳・北海道)
  ・『人魚と金槌』
   國分真(24歳・兵庫)

 「まんがカレッジ」の方では入選作が出ました。しかし即戦力かというと、そうではないみたいですね。
 長期連載が多くて、なかなか新連載を立ち上げられないサンデーですから、なかなか週刊デビューは難しいのかもしれません。それにしても、「まんカレ」の受賞者は年齢が高いですね。そろそろツブしの利かない年齢で、ようやく担当が就いて修行開始というのは、ある意味罪作りのような気もしますが…。

 あと、これは各ニュース系ウェブサイトでも話題になっていましたが、今年度の小学館漫画賞が内定になったようです。判明している受賞者・受賞作リストを掲載します。

◎少年部門
高橋留美子『犬夜叉』(「週刊少年サンデー」連載)

◎一般部門
原作:武論尊&作画:池上遼一『HEAT−灼熱−』「ビッグコミックスペリオール」連載)
特別賞:黒鉄ヒロシ『赤兵衛』「ビッグコミック」「ビッグコミックオリジナル」連載)

◎少女部門
吉田秋生『YASHA−夜叉−』(「別冊少女コミック」連載)
清水玲子『輝夜姫』「LaLa」連載)

◎児童部門
竜山さゆり『ぷくぷく天然かいらんばん』「ちゃお」連載)

 最近は「週刊少年ジャンプ」など、他社の雑誌から受賞する作品が多かったですが、今年は小学館色が強い印象がありますね。
 なお、少年部門で受賞の高橋留美子さんは、『うる星やつら』以来の受賞で、約20年ぶりなのだとか。歌手で言えばユーミンみたいな存在ですよね。マンガ家になるよりも、マンガ家でい続ける方が難しいとされるこの業界で、この息の長さ。いやはや、脱帽です。 

 それでは、レギュラー企画の「新連載・読みきりレビュー」。もうお馴染みですが、文中の7段階評価はこちらを。

☆「週刊少年サンデー」2002年8号☆

 ◎新連載第3回『365歩のユウキ!!!』作画・西条真二《第1回の評価B−

 読めば読むほど、「問題外」という単語が頭をチラつきます、この作品。
 瑣末なものを含めると、指摘すべき点は枚挙に暇が無いくらい集まるのですが、ここはポイントを絞ってお話しましょう。
 この作品の最大の問題点は、「記号化とその復元の失敗」です。
 「記号化(とその復元)」という言葉は、皆さんあまり馴染みが無いでしょうから簡単に説明します。これは、まず初めに、“話を進めるために都合が良かったり、読者に特定の反応を起こさせるための設定”を作り(記号化)、そこからキャラクターやエピソードの肉付け(復元)を行ってゆくことです。
 具体的な例を挙げると、『ドラえもん』がそうですね。

 ・頭が悪くて運動音痴でドジな主人公→のび太
 
・主人公をフォローする存在のロボット→ドラえもん
 
・ガキ大将、いじめっこ→ジャイアン
 
・ガキ大将の腰巾着→スネ夫
 
・マドンナ、優しくて可愛い理想的な女の子→しずか
 ・
主人公とすべて正反対の存在出来杉 

 ……と、まずキャラクターの演じる役割があって、その後に実際のキャラクターが生まれているわけです。さらにその後、「ジャイアンは歌が下手」とか、「しずかちゃんは風呂好き」とか、新たな設定が生まれていますが、それは連載が大分進んで、キャラクターがただの“記号の復元型”から脱皮してからの話になります。

 で、この時に気をつけなくてはいけないのは、その“記号”が説得力を持つように工夫しなくてはならないということです。
 もしも、ジャイアンがMr.オクレみたいな容姿だったら、どうでしょう? いくらセリフで「あ、乱暴者で、学校の先生も手を焼くガキ大将のジャイアンだ!」とか説明しても、誰も納得しないでしょう。しずかちゃんがジャイ子みたいな容姿でも同じことですね。
 …そして、「365歩のユウキ!!!」の致命的な欠陥はここにあるわけです。
 1月第2週のゼミで、森田みもりというキャラクターに「説得力が無い」と書きましたが、これは「教師も見て見ぬふりをする程の不良少女、将棋が非常に強い」という記号の復元に失敗しているということなのですね。小柄でチャーミングな容姿からは不良少女の印象はほぼゼロですし、将棋に関しても将棋部内で一番強い事は分かっていますが、それがどのくらいのランクになるのかは不明。この辺り、『ヒカルの碁』でプロや院生をモノサシに、登場キャラの棋力をさりげなく説明していたのと好対照ですよね。
 それに、何よりも一番質が悪いのは、作者の将棋に対する不理解・無知が“記号復元”の失敗を悪化させているという事です。
 何せこの作品、監修がいません。通常、囲碁・将棋・麻雀などテーブルゲーム系のマンガには、プロの監修役が就くのが通例なのですが、この作品ではそれが不在なのです。
 その結果、第2回では、ちょっと将棋を知っている人なら思わず絶句してしまうような盤面が誌面を飾るという、最悪の事態になってしまいました。今週の第3回も、7手詰の詰め将棋をひどく大袈裟に扱っていましたが、これなんか野球マンガで言えばショートゴロを捌いてファーストへ送球する程度の事です。それをあんなに大仰に描いても、白けてしまうだけです。「7手詰の詰め将棋を解いた。だから何?」と。
 とにかくこの作品は酷すぎます。何よりも、将棋マンガを描いてるくせに、将棋に対する愛情が全く見えてこないところが許し難いです。評価は1ランク下げて
。根本的なラインでのテコ入れを期待、ですね。

《その他、今週の注目作》

 ◎新連載『キメラ』(スーパージャンプ掲載/作画:緒方てい

 さぁ、期待の新作の登場です。新人賞で準入選を獲ったばかりの新人に、読み切りもナシでいきなり連載という破格の待遇。これは、デビュー作『キカイ仕掛けの小町』の評判の良さと、編集サイドの期待の表われなのでしょう。
 デビュー作『キカイ仕掛けの──』は、第二次世界大戦下の東南アジアが舞台でした。その内容は、看護婦アンドロイドと日本兵たちとの心温まる交流と、その直後にやって来る凄惨な悲劇を、絶妙なバランス感覚で描いたもの。藤子・F・不二雄先生のSF短編を読んだ後と同じようなインパクトと感銘を与えてくれた秀作でした。
 では、新連載作品『キメラ』、果たしてその出来はどうだったのでしょうか?

 ……と、『期待大!』な書き出しをしておいて、何だと思われるかもしれませんが、正直言って、かなりガッカリさせられてしまいました(汗)。
 『キメラ』は、なんとコテコテのファンタジー物でした。今時、少年誌でも流行らない伝奇系ファンタジーを、敢えて成年誌の「スーパージャンプ」に持ってきたわけなのですが、果たしてそれ自体が成功といえるかどうか…。この時点で大きなハンデを背負ってしまったと言ってもいいでしょう。
 また、ファンタジー物の難しいところは、作品固有の世界観と舞台設定を、いかに読者に噛んで含めて伝えてゆくかというところにあります。登場人物同士の会話で巧みに解説を試みたり、話の流れの中でさりげなく設定を小出しにしたりetc…。とにかく説明的にならないよう、独り善がりにならないような努力を惜しんではいけません。
 しかし、この『キメラ』では、かなり説明的なセリフが目立ち、余計に“コテコテのファンタジー”色が濃くなってしまいました。ハッキリ言って大失敗の範疇です。

 では、全く見所が無いかと言うと、そうでもありません。A級アクション映画を思わせる演出の技術などは、既に新人の領域を脱しており、こと演出力に関しては、既成の作家と比較しても相当上位にランクされるのではないかと思います。要は、演出に脚本が追い着いていないという事なのです。
 現時点での評価はB+。それもかなり
Bに近いB+です。とにかく、抜群の才能を持っている作家さんなので、それを持ち腐れにしないよう、頑張って頂きたいものです。
 この作品は、しばらく毎回レビューするつもりです。

 それでは、今週はこれで終わります。ではまた、来週の水曜日に。 

 


 

1月22日(火) 現代国際情勢
「アフガン暫定機構・カルザイ議長、護衛車に追突される」

 東京で開催されていた、アフガニスタン復興支援国際会議が、今日閉幕しました。
 とはいえ、駒木にしてみれば、『死人が生き返った』というニュースに気を取られている隙に始まって、いつの間にか終わっていたような、そんな希薄な印象しか持てないのですが、それでもある程度の成果は上げられたようです。
 しかし、そんな裏で、あわや国際問題に発展しかねない事件が発生していました。

 22日午後4時50分ごろ、東京都渋谷区千駄ケ谷4の首都高速4号で、アフガニスタン復興支援国際会議で来日中のカルザイ暫定行政機構議長(首相)の乗ったハイヤーに、護衛のパトカーが追突した。さらに、後続のハイヤーやパトカーなどが衝突し、計5台が絡む衝突事故となった。随行していたアフガニスタン人男性3人が手足などに軽いけがをしたが、カルザイ首相にけがはなかった。

 警視庁高速隊などの調べでは、カルザイ首相のハイヤーは、計6台の車列の前から2台目を走っていた。車列の前を走っていた一般車が急ブレーキをかけたため、次々と追突したらしい。カルザイ首相はインタビューを受けるため渋谷区のNHKに向かう途中だった。
(毎日新聞より)

 なんだか、欧米の安っぽいコメディ映画のようなお話ですが、立派な交通事故です。一般道路より速度の遅い首都高だから大事には至りませんでしたが、一歩間違えたら新しい聖戦が始まるところだったかもしれませんでした。ゾッとしますね。とりあえずここは、日本の道路行政のおかげだということで、亀井静香と鈴木宗男あたりに、森前首相名義の感謝状でも進呈したいところです。

 しかし、自分をガードしたりフォローしてくれるはずの護衛車に追突されるとは、カルザイ議長もかなりの不運ですよね。こんな人、なかなかいません。
 ですが、上には上がいる、というのがこの世の中です。なんと、我が日本にカルザイ議長を凌ぐ不運の持ち主(?)が存在するのです。
 その名は井上隆智穂。知る人ぞ知る……というよりか、余程の物好きしか知らないであろう、日本人4人目の年間フル参戦F1パイロットです。

 彼のF1での成績は、18戦して完走5回。最高位は8位で、予選最高グリッドは18番手。まさに、絵に描いたようなB級パイロットですね。やたら目立つ“18”という数字が、往年の打ち切りマンガ・『隼人18番勝負』(作画:次原隆二)を想起させるのも物悲しかったりします。
 彼の不運を物語るエピソードが、ウェブサイト・『B級ドライバー研究会』に掲載されています。ちょっと紹介してみましょう。

 中嶋、亜久里、右京に続く4人目の日本人パイロット。会社役員兼任のドライバーで、ユニマット等のスポンサーを引き連れF1に進出した。
 あるレースでリタイアしたとき、マーシャルが引っ張る自分の車に轢かれた経験がある。また、マーシャルカーにも轢かれたことがあり、日本人ドライバーの悲哀を感じさせた。

 ……何だか、往年の稲川淳二を髣髴とさせるような芸風ですね。ちなみに、彼を轢いたマーシャルカーの運転手は、現役のラリードライバーだったそうです。
 にわかに信じ難いというか、何と言うか。健康診断に出かけていって、病気を伝染されたような、笑えそうで笑えないお話です。

 また、涙を誘うのが、彼の所属していたチームです。
 その名もフットワーク・ハート。
 F1ファンからエロゲー系同人誌マニアまでが「おお、なんと!」という声があがりそうです。あ、いまいちピンと来ない人は、最寄のF1マニアかエロゲーオタクに尋ねてみてください。
 しかしこの、バブル経済丸出しのチーム名を眺めていると、駒木の脳裏には、1980年代末のF1グランプリの模様が蘇ってきたりします。
 今では全く考えられませんが、当時のF1グランプリには、40台近くのエントリーがありました。ついには予選に出場できる台数をオーバーしてしまい、前段階として“予選の予選”である予備予選まで実施されていたのです。分かりやすく言えば、「爆笑オンエアバトル」の収録風景みたいなものでしょうか。
 バブルに乗っかって出来た資金を提供し、チームをF1にも参戦させたは良いものの、技術も経験も無かったために悲惨な事になっていたチームたちが繰り広げる後ろ向きのドラマ。それが予備予選でした。
 中でも、特に後ろ向きに凄かったのがコローニというチームでした。このチームが抱えていた最大の懸案が、「車のエンジンがかかって、ガレージから出ることが出来るかどうか」。まともに走る事ができず、日によっては、井出らっきょでも走らせた方がまだマシ、といった時もありました。おまけに、チーム名がアンドレア=モーダに変わってからは、参加料が払えずに戦線離脱という失態を演じてもいます。先述の「爆笑オンエアバトル」で喩えるならば、審査員の支持が0票という、全盛期の荻原健二並の滑りっぷりを見せたグレートチキンパワーズみたいなレーシングチームでありました。
 もっとも、下には下がいるもので、素人目にも車の設計に欠陥があるのが分かったといわれる、ライフというチームもあったそうですが。こちらはさしずめ、帰国後の猿岩石といったところでしょうか。

 それにしても、今、グレートチキンパワーズはどうしてるのでしょう? キンキキッズから歌を下手にし、踊りも出来なくさせ、トークも冴えないようにし、見てくれも中途半端に変えたような彼ら。せめて『進ぬ! 電波少年』くらいで拾ってあげて欲しいものです。

 ……おっと、話が大きく逸れました。カルザイ議長の話をしていたんでしたね。
 このカルザイ議長、今回の会議では、支援金の金額などに対し、「非常に良かった」とのコメントを残しています。
 しかし、駒木が気になるのは「金額など」の「など」の部分です。他にどんな良い事があったのでしょうか?
 ひょっとしたら、事故の後に向かった病院で、美人女医から診察をしてもらったのかもしれません。
 
もしそうならば、小泉首相と経済談義をするよりも傭兵の高部正樹さんとカレー粉談義をする方が得意そうなカルザイ議長の事、
 「何が良かったって、病院で会った女医と看護婦だね。いやはや、非常に良かった」
 …などと言っていたかも知れません。
 そして、彼は最後にニヤリと笑って、こう付け加えた事でしょう。
 「タリバン時代なら、こうはいかないからね」

 女性の肌の露出度が高くなった新生アフガンに、期待大、といったところで、今日の講義を終わります。  (この項終わり) 

 


 

1月21日(月) 教育原論(教職課程)
「塾講哀歌(1)〜バイト講師の給料」

 なんと当「社会学講座」では、今日から教職課程も開始します。ただし、当講座は単位認定や資格取得に関する業務は出来ませんので、これもあくまで聴講のみ、という事になります。悪しからず、ご承知おきください。
 この教育原論では主に、塾講師、特に学生アルバイトの、ちょっと笑えない内情に迫ってみたいと思います。とはいえ、本当に笑えない話を講義しますと、皆さん本気で引いてしまいますので、やりません(笑)。その辺りはオブラートにくるんだ形の講義で、皆さんのご機嫌を伺おうと思います。

 ………

 シリーズ第1回の今日は、アルバイト講師の給与体系についてのお話をしたいと思います。いきなり生々しい話題で恐縮ですが、これを知っていると知っていないでは、この仕事に対する認識が大きく変わってきますのでね。まずは、ここから始めようと思います。

 恐らく、受講生の皆さんのほとんどが、アルバイト雑誌を購入してバイト探しをした経験があると思います。
 そんな皆さんですからご存知でしょう、アルバイト雑誌は様々なカテゴリに分けられて編集されています。で、アルバイト雑誌は複数発行されてますが、その中に必ず『塾・家庭教師』というカテゴリがありますよね。ページが少ないので、ちょっと油断すると見落としてしまいがちなのですが、必ず有ります。今、手元にアルバイト雑誌がある方は、是非、『塾・家庭教師』カテゴリのページを開いたままで受講してください。

 さて、この『塾・家庭教師』カテゴリの求人広告で、とにかく目を引くのは時給の高さです。
 この不景気とデフレスパイラルの昨今、アルバイトの時給は700円でも当たり前で、下手をすれば、それすら割り込もうかという状況です。が、この『塾・家庭教師』カテゴリでは、揃いも揃って時給1000円以上。中には2000円だの3000円だのといった、超破格待遇の募集まであります。とんでもない話ですよね。
 しかし、実はこれ、鵜呑みにしてはいけない数字なのです。この高い時給の影には、カラクリ──“教育産業”独特の給与体系の存在があるのです。

 普通、アルバイトの時給計算にはタイムカードを使いますよね。出勤時刻と退勤時刻を記録し、その間の時間だけ時給が発生する、というやり方です。
 ところが、塾業界にタイムカードは存在しません。何故なら、塾業界において、実働時間は時給計算に全く関係無いからです。たとえ24時間ぶっつづけで勤務していても、直接それが収入増に結びつくとは限らないのです。
 では、どのような条件で時給が発生するのかと言いますと、これは単純明快。教室で生徒相手に授業をしている時間だけ、時給が発生する仕組みになっているのです。つまり、授業が1日2時間なら、時給は2時間分支払われる、というわけです。
 逆に言えば、たとえ授業の前後に職員室で細々とした仕事をしていても、その時間に関しては一銭の得にもならないんです。これが、一見高そうな時給に隠された裏事情というわけです。

 例を示すため、駒木が塾講師をやっていた頃の平均的な勤務状況をまとめてみました。下の表をご覧下さい。

時刻 業務内容
18:15

出勤。出勤時刻は個人差があるが、授業開始30分前には出勤する規則。

 

その日に実施する授業の準備や、生徒の宿題ノートチェックなど。保護者からの電話応対を随時。時々、上司から雑用を命じられる事もある。

19:20

授業開始

 

70分授業を2回。間に10分間の休み時間があるが、さすがにその時間まで時給から削られる事は無い。

21:50

授業終了

 

生徒が全員帰途に就くまで目が離せない。生徒が帰った後は、その日に実施した小テスト等の採点など。目処がつくまで続行。

23:30

業務終了。ただし、時には日付が変わるまで仕事が続く日もある。

 

帰宅。しかし、中にはここから呑みに行ったり、徹夜でドライブに出かける猛者もいる。(最高記録:神戸=鳥取砂丘を一晩で往復)

 ……と、まぁこんな感じですが、この勤務の中で時給が発生するのは赤色で塗られている部分(2時間半)だけです。
 駒木がこの時もらっていた時給は1700円でしたから、1日に頂ける賃金は1700円×2.5時間=4250円
 しかし、実際に勤務している時間は5時間15分(5.25時間)ですので、これを基に実質賃金を算定してみますと、4250円÷5.25時間=809.52……。およそ800円ですね。これにスズメの涙みたいな諸手当がつきますが、大差はありません。
 勿論これは、平均的なタイムスケジュールから算出したものですから、仕事が詰まっていたりすると、もっととんでもない事になります。さらに言うと、駒木がその塾を辞めた後、時給が下がったという事ですので、現在の実質時給は750円ソコソコ、といったところでしょう。これでは普通のアルバイトと変わりません。いや、深夜手当がつかない分だけ割安とも言えますよね。

 もう、お分かりですね? アルバイト塾講師という仕事は、ハッキリ言って儲からないお仕事です。将来もこの手の仕事に就く事を前提にしておかないと、とても耐えられるようなものではありません。修行僧みたいなモンですね。
 とはいえ、駒木も初めから修行するつもりでこの道に入ったわけではありませんでした。当時大学1回生だった駒木は、中学時代にお世話になった塾の先生に、ここう勧誘されたのです。
 「時給2000円。ええ仕事やで。やってみいひんか?」
 ……確かに嘘は言ってません。言ってませんが、この時、勧誘の仕方が、
 「女の子のドリンク込みで5000円ポッキリ! ええ店ですよ。ちょっと入ってみませんか?」
 
……と、いうのと似ていた事に気付くべきだったと、今更ながら思ったりする今日この頃です。

 これをご覧の受講生の皆さんに、甘い言葉に騙されて、悲惨な生活を送る羽目にならないようにご忠告申し上げて、今日講義を終わります。(不定期に続く

 


 

1月19日(土)競馬学概論
「90年代名勝負プレイバック」〜“あの日、あの時、あのレース”(3)《サイレンススズカ三番勝負・1》
1997年マイルチャンピオンシップ/1着馬:タイキシャトル

駒木:「今日で3回目の競馬学概論だね。今回からは、『サイレンススズカ三番勝負』として、悲運の名馬・サイレンススズカの競走生活を3回にわたって追いかけていこうと思うんだ」
珠美:「サイレンススズカといえば、私が仁経大付属高校で競馬を習い始めたばかりの頃の馬なんです。大差で勝ったり、最後もレース中に故障を起こしたり……だから、とっても印象深くて」
駒木:「それは他の競馬ファンも同じじゃないかな。この馬は結局、G1レースは1勝しかしてないんだけど、それでも『20世紀の名馬100』で、この馬はナリタブライアンに次いで2位に選ばれたからね。それが果たして正しいあり方かどうかは別にして、それだけその姿が、ファンの印象に残っていたという事なんだろう。そして、それは僕も同じ事だよ。その『名馬100』には別の馬を投票したけれども(苦笑)」
珠美:「あら、じゃあ博士は、どの馬に投票されたんですか?」
駒木:「ええとね、エルコンドルパサー、シンボリルドルフ、イナリトウザイ(微笑)」
珠美:「またマニアックな組み合わせですね(笑)。受講者の方も、ほとんどがポカーンとされてますよ」
駒木:「(笑)……まぁ、分かる人にだけ分かったら良いんだよ、そのあたりはね。
 さぁ、本題に戻ろう。この「三番勝負」では、サイレンススズカのレースを3つ振り返ってみる。ただし、採り上げるレースは、サイレンススズカが勝ったレースばっかりじゃないよ。有名なレースに関しては、ある意味語り尽くされてるからね。“最期”のレースは別格だから、ちゃんと話をするけれども…」
珠美:「具体的に、どのレースを採り上げるのか紹介してくださいますか?」
駒木:「うん。第1回、つまり今日は、サイレンススズカの“下積み時代”として、1997年のマイルチャンピオンシップを振り返ってみる。『名馬』の下に、まだ『候補生』という言葉が付く頃のサイレンススズカの姿を回顧するつもりだよ。
 そして来週の第2回は、1998年の宝塚記念。サイレンススズカが、唯一のG1勝ちを果たしたレースだね。
これは“絶頂期”ということになる。
 最終回は、1998年の天皇賞・秋。これは分かるね? サイレンススズカがレース中に故障を発症して、安楽死処分になってしまったレースだよ。振り返るのは辛いレースだけれども、やっぱり見てみないふりをするわけにはいかないからね」
珠美:「……ハイ、分かりました。それでは、今日は1997年のマイルチャンピオンシップについてのお話になります。
 このレースは、1997年の11月16日に行われました。このマイルチャンピオンシップは、1984年に新設されたレースです。歴史は浅いですが、当初から短距離戦線のチャンピオン決定戦として、重要な役割を占めているG1レースですね。条件は、京都競馬場の芝コース外回り1600m。現在は国際競走ですが、当時はまだ日本調教馬限定のレースでした。
 この年、1997年のマイルチャンピオンシップは、フルゲートの18頭で争われました。主な出走馬としては、まずサイレンススズカがいるのは当然として、後に海外G1制覇を果たすことになるタイキシャトルがいますね。当時はG1未勝利ですけど、前走でスワンS(G2)を勝っています。そして、昨年のこのレースの勝ち馬で、その他に皐月賞優勝や安田記念2着などの実績を持つジェニュイン。さらに高松宮杯(現:高松宮記念)の勝ち馬・シンコウキングや、桜花賞馬で秋華賞2着から転戦して来たキョウエイマーチなど、なかなかの豪華メンバーが揃っていました。……あら、そういえば、単勝一番人気はスピードワールドなんですね。安田記念3着、毎日王冠3着…ですか。今から考えると、ちょっと不思議な気がしますね」

駒木:「うん。このレースは、“人気先行”ってのがキーワードみたいなレースでね。今から考えると、『何、コレ?』って馬が人気になってたりする。……まぁ、競馬ではありがちな事なんだけど、後から見ると滑稽だよね(笑)……いや、失礼。
 例えば、一番人気のスピードワールドね。実績は4歳(旧表記)限定G3が1勝だけ。まぁそれも6馬身の大差だし、他に安田記念3着もあるから、ただのG3馬ではないんだけどさ。でも、今になれば『え? この馬が一番人気?』とは思うよね。
 で、このレースで、人気先行が一番酷かったのが、サイレンススズカだったりする。
 何がいけなかったって、デビュー戦の新馬戦で7馬身差の圧勝。大体、コレが悪かったんだな(苦笑)。その姿を目の当たりにしたトラックマン(競馬記者)の人たちがトチ狂っちゃった。「これは大器だ! 逸材だ!」って。……で、2戦目が格上挑戦の弥生賞(G2)。新馬勝っただけなのに、いきなり2番人気さ(苦笑)。ところがこのレース、サイレンススズカはスタート直後に大出遅れをやって、8着惨敗。まぁ、典型的な『やっちゃった』パターンだよね。でも、これでトラックマンの方たちが諦めたわけじゃない。彼らは口を揃えて言ったね。『出遅れなければ分からなかった』って。いや、そりゃそうだけどさ(苦笑)。
 …そうしたら3戦目の500万条件の平場戦で、また7馬身差の圧勝。またこれで『うわ〜、やっぱり凄いぞ、この馬! G1候補だ!』ってなっちゃった。いや、ちょっと待て、と。この馬まだ、新馬と条件戦しか勝ってないやんか、と(笑)。でも、もう止まらなかったね。いや、サイレンススズカはレースでは止まったんだけどさ(笑)。人気が止まらないんだよ」
珠美:「(笑)」
駒木:「で、続くダービー指定オープンのプリンシパルSは何とか勝った。勝った相手も考えると、まぁギリギリG2クラスってところかな。勿論ダービーへ乗り込んだんだけど、当時は力が足りなかったから、当然のように9着惨敗。秋緒戦の神戸新聞杯でも、春に負かしたマチカネフクキタルにアッサリ差し切られて2着。3着以下はどうしようもない格下だから、自慢にも何にもならない。
 これで人気先行も終わったかと思ったら、天皇賞・秋で4番人気。『おいおいおいおい!』と(笑)。『良いのか、それで』、と思ったよ(苦笑)。で、レースの方は、案の定逃げて暴走した挙句にバテて6着。そして、このマイルCSは……」
珠美:「ハイ、6番人気ですね。売り文句は『このスピードは非凡だから、400m短縮で勝負になる』ですか?」
駒木:「さすが珠美ちゃん。その通り。……と、調子に乗って、ダラダラと喋っちゃったけど、この時のサイレンススズカは、G2クラスの力しかない存在に過ぎなかった。その事をレース回顧の前に頭に入れて欲しいんだ。何せ、レースになったら、ほとんど出番が無いから(笑)。このレースでは」
珠美:「(笑)……それでは、レース回顧に移りますね。
 スタート直後、いきなりタイキフォーチュンが落馬します」

駒木:「初代NHKマイルC優勝馬なんだけどねぇ。この馬は頭が悪い(笑)。天然ボケの馬ってなかなかいないよ」
珠美:「今日の博士は面白いですね(苦笑)。…先行争いは白熱します。キョウエイマーチ、サイレンススズカ、ヒシアケボノといったあたりが先頭に立とうと仕掛けていきました。最終的に、先頭に立ったのはキョウエイマーチでしたが、サイレンススズカは折り合いを欠いて、俗に言う“引っ掛かった”状態になってしまいます」
駒木:「この頃のサイレンススズカは気性が悪くてねえ。すぐムキになって走っては暴走する癖があった。この時も、その悪癖が出たね」
珠美:「その3頭の後ろにタイキシャトルで、あとの有力馬は軒並み後方から。ペースはとても速くて、前半の1000mが56秒5でした。これって速いですよね?」
駒木:「恐ろしいほど速い。今は直線1000mが始まったから、56秒って言っても驚かないけど、これはコーナー回っての数字だからね。ちなみに最初の600mは33秒2。正気の沙汰じゃないよね」
珠美:「…そんなハイペースでしたから、直線入口でサイレンススズカは後退。でも、キョウエイマーチは後続を振り切って独走状態になります」
駒木:「さすがは阪神の大外18番枠から桜花賞を逃げ切った馬だよね。尋常じゃないよ。『テレビの前の良い子は真似しちゃダメだよ』って感じ(笑)」
珠美:「余りにもペースが凄かったせいか、展開有利のはずの後続馬も、追走でスタミナを使い果たして続々と力尽きてゆきます。でも、その中でも1頭、2頭と脚を伸ばす馬もいました。その中でも、一際凄い勢いで伸びたのが、4番手で脚を貯めていたタイキシャトルでした。弾かれたように伸びて来て、一気に先頭に立ちます」
駒木:「もう1頭のバケモノがここにいた(笑)。もうね、この時のタイキシャトルとキョウエイマーチの2頭は全てにおいて抜きん出ていたね。他の馬は相手が悪かった。これしか言い様が無い」
珠美:「最後は、タイキシャトルが2馬身半のリードをつけて1着。キョウエイマーチは後続に1馬身半のリードを守ったまま2着でした。直線でバテたサイレンススズカは15着。完走した馬の中で、後ろから3番目の惨敗でした」
駒木:「気性の悪いところが出て、まともに走ってないってことなんだけど、それを言い出したらキリがない。気性の良さも能力の内と考えると、やっぱり当時のサイレンススズカは二流馬に過ぎなかった。これは確かだね」
珠美:「それでは、このレースに登場した馬たちのその後を簡単に紹介してください」
駒木:「うん。タイキシャトルはこの後、スプリンターズSも完勝して、日本短距離界の“絶対君主”になる。そして翌年、海外遠征でジャック・ル・マロワ賞を完勝して世界のトップにまで昇りつめることになる。キョウエイマーチも、ずっと後までマイル路線で長く活躍したね。残念ながら、もうG1タイトルには恵まれなかったけれども。ジェニュインやシンコウキングも、G1ではその後もあまりパッとしなかった。
 スピードワールドは、このレースで12着に敗れた後、見事にジリ貧。気が付いたら人気も無くなって、普通の馬になってたね。よく考えたら、結構かわいそうな馬だったかもしれないね。サイレンススズカに関しては、また来週、ということで」
珠美:「ハイ、ありがとうございました」
駒木:「お疲れ様。それでは、また来週だね。どうぞよろしく」(来週へ続く)

 


 

1月18日(金)スポーツ社会学
「W杯日本代表のニックネーム公募」

 2002年に開催されるスポーツの大イベントと聞いて真っ先に思いつくのは、サッカーのワールドカップ日本・韓国大会ですね。ワールドカップと同じ年には、冬季オリンピック・パラリンピックも開催されますが、さすがに今年は影が薄いようです。
 しかしよく考えてみると、4年前の日本は、ワールドカップを一旦頭の中で保留にして、長野オリンピック・パラリンピックに没頭していたのでした。この辺り、我々も含めて現金というか、なんというか……。
 まぁ、ワールドカップもオリンピックよりも、「阪神の新助っ人はやるデ!」とか、「巨人、V間違いナシ!」などといった
誤報を配信する事にご執心だったスポーツ新聞よりは、いくらかまだマシだったような気がしますが。

 さて、それはさておき、ワールドカップです。
 開催国特権で本大会出場を確定させている我が日本代表チームですが、ここに来てサポーターたちの間にある動きが起きています。
 詳しくはこちらを読んでもらいましょう。珠美ちゃん、プリントを配ってくれるかな。うん。

 (プリント)←クリックしてください

 えーと、行き渡ったでしょうか。
 プリントが行き渡らなかった場合のために、内容を簡単に解説しますね。
 えーと、サッカーが盛んな国では、自国の代表チームにニックネームをつけることがあるんですね。例えば、ナイジェリアの「スーパーイーグルス」、カメルーンの「不屈のライオン」などなど。で、日本もそれに倣って、代表チームにニックネームをつけようじゃないか。それにどうせ命名するなら、名前をサポーターから公募しようじゃないか……というわけですね。

 サポーターからの公募で代表チームにニックネームを。なるほど、なかなか意義深い企画ですね。サポーターが代表チームに親近感を持つ事が出来るし、距離感も近くなる。スポーツ振興のお手本というべき企画といえるでしょう。

 ただし、この企画、手放しで歓迎するわけにいかない事情があるんですよね。
 どういう事かと言いますと、この手の「名称・愛称をファンから公募」という試みは、これまでも数多く行われているのですが、これがもう、無残なものばかりだったりするのです。
 中でも分かりやすい失敗例としては、とある球場の名称ファン公募が挙げられます。
 その球場は、新たに建設されるドーム球場で、プロ野球チームの本拠地ともなるものでした。
 せっかくの球場新設です。全ての事を勝手に決めるのはもったいないと思ったのでしょうか。球場の名前は一般公募することになりました。
 そして膨大な数の応募があり、審査の結果、新しいドーム球場の名前が決まりました。その名は──!

 

福岡ドーム

 

 ………………そのまんまやんけ。

 ……あ、いや、この企画にして、この親会社あり、といったところでしょうか。
 それにしても、この無意味な企画を中止する事で、ひょっとしたら1人か2人くらいリストラされなくて済んだお父さんがいるかも知れません。私立大学に行けたはずの息子さんがいたかも知れません。ドムドムバーガーも、あんなに食欲の起こらない新商品を無理矢理開発しなくて済んだかも分からないのです。嗚呼、なんと罪作りな企画でしょうか。

 露骨な失敗例というわけではありませんが、「せっかく公募したのに、ベタ過ぎるで、その名前」という例は他にもあります。しかもそれは当大学とも所縁の深い競馬界での話です。

 現在から遡る事3年、日本競馬界で、待望の新種類馬券が発売になりました。
 その馬券は、上位3着になる馬のうち、2頭を当てれば良いという馬券で、従来は痛恨のハズレだった“1着−3着”や“2着−3着”でも的中になるという、一種のサービス馬券でした。その正式名称を「拡大式馬番連勝複式勝馬投票券」といいます。
 この馬券、以前から諸外国では導入されていて、「この馬券を日本でも」という声も高い、前評判の高いものだったのですが、いかんせん名称が長過ぎます。覚えやすい愛称・略称の併記は不可欠でありました。
 そこで、この馬券を導入予定だった南関東公営競馬と中央競馬会(JRA)は、この新馬券の愛称を一般公募することにしました。詳しくは失念しましたが、命名者には豪華な賞品がプレゼントされるとのことで、11万通を越える応募が集まったと記録にあります。
 何といっても11万通です。同名の応募も多かったでしょうが、膨大な種類の名称が集められたと思います。
 しかし、最終的に決定した名称は、3番目に応募の多かった名前・「ワイド」。分かりやすい事は分かりやすいですが、何だか潰れかけの投資信託みたいで嫌な感じがしたのを思い出します。
 ちなみに、一番応募の多かった名前は「トリプル」。……この人たちは、本当に趣旨を分かっていらっしゃったのでしょうか。まぁ、今となっては永遠の謎ですが。

 …という経緯で、決定した名称・「ワイド」。確かに覚えやすい名前ではあったのですが、今ひとつインパクトが弱い感じがします。そのためでしょうか、「ワイド」馬券の売れ行きは典型的な尻すぼみ。現在では、すっかり影が薄くなってしまいました。
 もしも、もっとインパクトの強い名前だったら、少しは状況は変わっていたかも分かりません。
 例えば、ラジオの競馬中継では、以下のような内容が放送されたりします。

アナウンサー(以下、アナ):「さて、『ワイド3番勝負』の3回戦です。このレースも、担当はO宮トラックマンです。1、2回戦は残念な結果になりましたが、ここで名誉挽回してもらいましょう」
O宮トラックマン(以下、O宮):「いやあ、お恥ずかしい限りで。ワイドで2回連続不発なんて、プロがやっちゃいけませんよね」
アナ:「いやいや、弘法も筆の誤りということで。それでは、この3回戦こそ、バッチリ決めてもらいましょう。早速、O宮さんの狙い目をお願いします」
O宮:「そうですねー、10番のミユキチャンを狙おうと思ってます」
アナ:「お !? これは人気の盲点というか、ちょっと人気薄ですね」
O宮:「この10番は、デビューの時から見てるんですが、今日が一番状態がいいんです。体つきも立派になってきたし、調教での仕上がり具合も良かったですからね。実力は確かに疑問符が付くんですが、ワイドでなら充分チャンスはあると思ってるんですよ」
アナ:「なるほど。それでは組み合わせをお願いします」
O宮:「10番から、1番、3番、4番……ですね。本当は6番まで手を回したいんですが、ワイドですしね。懐具合も考えて、これくらいにしときます」
アナ:「はい。O宮さんの『ワイド3番勝負』3回戦は、10番から1、3、4、以上となりました」

 ……まぁ、何の変哲も無い、競馬中継ではよくあるやり取りですね。有り体に言うと、面白くもなんともありません。これでは、「ワイド」馬券が尻すぼみになってしまったのも、分かるような気がします。
 しかし、もし「ワイド」ではなく、他の名前を採用していたら、どうだったでしょうか。先のラジオでのやり取りも、もっとインパクトのあるものになっていたのではないでしょうか?
 例えば、特に意味はありませんが、「ワイド」を同じ3文字の言葉である「ソープ」に置き換えたら、どうなるでしょうか。試してみましょう。

アナウンサー(以下、アナ):「さて、『ソープ3番勝負』の3回戦です。このレースも、担当はO宮トラックマンです。1、2回戦は残念な結果になりましたが、ここで名誉挽回してもらいましょう」
O宮トラックマン(以下、O宮):「いやあ、お恥ずかしい限りで。
ソープで2回連続不発なんて、プロがやっちゃいけませんよね」
アナ:「いやいや、弘法も筆の誤りということで。それでは、この3回戦こそ、バッチリ決めてもらいましょう。早速、O宮さんの狙い目をお願いします」
O宮:「そうですねー、10番のミユキチャンを狙おうと思ってます」
アナ:「お !? これは人気の盲点というか、ちょっと人気薄ですね」
O宮:「この10番は、デビューの時から見てるんですが、今日が一番状態がいいんです。体つきも立派になってきたし、調教での仕上がり具合も良かったですからね。実力は確かに疑問符が付くんですが、
ソープでなら充分チャンスはあると思ってるんですよ」
アナ:「なるほど。それでは組み合わせをお願いします」
O宮:「10番から、1番、3番、4番……ですね。本当は6番まで手を回したいんですが、
ソープですしね。懐具合も考えて、これくらいにしときます」
アナ:「はい。O宮さんの『
ソープ3番勝負』3回戦は、10番から1、3、4、以上となりました」

 あら、不思議。何というか、深みが出たような感じがしませんか? これなら、「ワイド」、いや「ソープ」馬券は尻すぼみになることなく、好調な売れ行きを続けていたかもしれません。

 ……今回のサッカー日本代表チームへのニックネーム募集、ぜひとも独創的な、インパクトの強い名称を採用してもらいたいものですね。

 と、いったところで今日の講義を終わります。(この項終わり)

 


 

1月17日(木)特別講座
「7度目の1月17日」

 景色はすっかり冬の装いを固め、日に日に鋭さを増した寒気は、防寒具を突き抜けて身体を痛めつけるべく牙を剥く。
 街角では、同じ柄のマフラーを身に着けた少女たちが、白い息を吐き出しながら自転車のペダルを漕いでいる。電車で参考書に視線を落とす受験生の顔には、悲壮感が増して来たような気がする。
 この季節、この日付が巡り来る頃はいつもそうだ。
 そして思うのだ。
 ああ、また今年も──
 今年もまた、1月17日がやって来たのだ、と。

 ………

 この1月17日という日付は、少なくとも僕にとっては非常に重たい存在である。
 その重さは、精神的とか肉体的に、ではなく、人生そのものに乗っかってくるような重苦しさを感じるのだ。少なくとも、いつものような軽いノリの講義やレジュメを、「1月17日」という日付と共に連ねる事は出来なさそうだ。
 そんな今の心境を、とある小説の一節を借りて述べるならば、こうなる。

 「……震災の話は、僕にとってかなり気の重い事である。いまだに心の整理がついていない」

 心の整理がついていないことを多くの人──ウェブサイトのアクセス数としては多いとはいえないが、百人に近い数といえば、やはり相当の数といえるだろう──の前にさらけ出す事は、本当なら間違っているのかもしれない。それに、被災者といえども生命や生活を根底から揺るがされるような被害には遭わなかった自分が、果たして本当に震災の証言者足りえるのかと考えると、大きな躊躇いが心を支配してくる。
 しかし、そんな自分だからこそ語れる事もあるだろう、とも思うのだ。幸いな事に、僕にとって7年前の震災は、“思い出す事すら辛い”という出来事ではない。現実問題として、語り部に相応しい人が語り部になりたがらない、という事はよくある事で、そのために真実が部外者や後の世代に伝わらない事も多い。そんな事になるくらいなら、僕みたいな人間が震災を語るという事も、最善とは行かないまでも次善の策にはなるのではないだろうかと、そう思うのだ。

 だから、今日は震災の事を出来る範囲で語ってみたいと思う。先に述べたとおり、まだ心の整理はついていないけれど、今出来る限りの事をやってみよう。
 難しい事は出来ない。ならば、あの日──7年前の1月17日に起こった事を、ありのままを述べてゆこう。それで伝わる事が、少しはあるはずだ。

 ………

 その日、僕が床に就いたのは朝の5時を回るか回らないか、といったところだった。それまで何をしていたかまでは、よく憶えていない。当時は一浪中の予備校生だったし、私立受験も2週間後に迫っていたのだから、少しくらいは勉強をしていたのだろう。
 そうだ、前日には変則開催の競馬があって、大好きだったビワハヤヒデ号の引退式が行われたのだった。恵まれたようで恵まれない現役生活を過ごしたビワハヤヒデの引退式の様子を、TVごしに寂しく眺めていたのを思い出す。
 何を不謹慎な、と言われるかもしれない。しかし、大惨事の前というのは、えてしてこういうものだ。昨年の全米同時多発テロもそうだったが、青天の霹靂でやって来るのがこの手の出来事である。

 まぁ、そんなこんなで、2階にある自室で就寝したのが5時前後。それから1時間もしない内に、僕は文字通り叩き起こされることになった。
 その時の揺れを、どう表現したら良いのだろう。
 無理矢理喩えてみるならば、“1階で、身長10mの巨人が暴れた時の揺れ”という感じになる。勿論、我が家の1階は、そんなに天井が高いわけではない。
 寝起きの悪いことでは自信のある自分だが、この時ばかりは一発で目が覚めた。しかし、脳味噌の隅々までが覚醒したわけではなくて、頭の中で「大地震が起こっている」と把握したのは十数秒後の事だった。この時は、「何だか判らへんけど、めっちゃエラい事が起こってる!」という“暫定案”が可決されたに過ぎない。まぁ、簡単に言うとパニック状態である。
 大地震の時には、人間、ワケの分からない行動をとると言うけれど、この時僕は真っ暗だった室内をどうにかするため、蛍光灯のスイッチを入れようとした。言っておくが、震度6以上の揺れの真っ最中に、である。で、どうにかスイッチを入れたはいいが、部屋は暗いままだった。そりゃそうだ。地震が起こった一瞬後には送電は完全にストップしていたのだから。
 スイッチを入れ、寝ていた位置に自衛隊ばりのほふく前進で引き返した時になって、ようやく事の次第を理解した。「ああ、これは大地震だ」と。思えば、運命が味方しなかった人は、この時点で家屋や瓦礫の下敷きになってしまっていた。僕は運が良かった。
 地震と判ったからには、身を守らなくてはならない。地震の時の避難先といえば机の下だが、激しい揺れの中で、とてもそこまで辿り着ける自信は無い。それに、すぐ側に落下物らしき物が手や足に触れていた。下手に動くと、自分から怪我をしに行くようなものだという気がしたので、頭から布団を被り、とにかく頭だけには致命傷を負わないようにした。後から判った事だが、それは大正解だったようである。自分が布団を被ってうずくまっていた周りには、無数の落下物が散らばっていたのだ。

 しばらくして大きな揺れが止み、断続的な小さい揺れに取って代わった。大地震直後の余震が、短い間に数百回も発生すると知ったのは、この時が初めてだった。
 停電のため、室内も屋外も真っ暗のままだった。この時、少なくとも半径10km以上の範囲で完全に停電していたのだから、人工的な光は全く目に見えなかったと考えていい。その心細さといったら無かった。どうして人類が危険を承知で火を求めたのか、なんとなく分かる気がする。
 何故だか「地震に備えて、枕下には携帯ラジオを」という教えを守っていた僕は、手探りでラジオを手に取り、NHKにチューニングした。何やかんや言って、こういう時はNHKにハズレはない。後から聴いたところによると、この時の“アタリ”は、神戸市内唯一のAMラジオ局・ラジオ関西だったそうだ。スタジオ兼社屋がほとんど機能停止になった状態で、使える機材を総動員して臨時スタジオを作り、現場の声を届けようと一致団結していたそうである。火事場のクソ力ではないが、こういう時は、窮地に陥った人間ほど強くなれるものらしい。
 余震と余震の間隔が秒単位から分単位に変わり、ようやく恐怖心も和らいだ僕は、意を決して自室を出て階下に降りていった。そこでは既に両親が放心状態で座っていて、先刻までの僕と同じようにラジオに耳を傾けているところだった。
 辺りを見回してみると、やはり部屋の様相が大分変わっていた。食器棚からは、駅に着いて満員電車から押し出される乗客のように、皿やグラスが前へ押し出されて無残な形に姿を変えていたし、仏壇ではご先祖様がスカイダイビングを敢行していた。完全にひっくり返っている家具は無かったのは、やはり不幸中の幸いというべきなのだろう。このとき気付いた事だが、地震の時は揺れの方向によって、家具が倒れやすい方角とそうでない方角があるようだ。という事は、何気ない部屋の模様替えが命の有る無しまで決めてしまうことになるわけで、本当に世の中、何がどうするか分からない。
 しばらくして心が落ち着くと、身近な人たちの安否が案じられて来た。「薄情な。今更かよ」と思われるかもしれないが、まぁそんなものだ。悔しかったら修羅場になった時にリベンジしてくれ。余程のスーパーマンで無い限り、まずは自分の命を守るだけで精一杯になる。
 よく、地震の直後は電話がパンク状態になる、と言われるが、実は地震発生から30分前後までは驚くほどスムーズに電話が通じた。そう、それまでは“そんな場合じゃなかった”のである。
 地震から1時間経過。ようやく日が昇り、周囲が明るくなって来た。自宅の周りで、倒壊したり火事になっている家は見当たらなかった。僕の住んでいる地帯は激甚災害地区から10kmと離れていないのだが、どうやら地盤が違っていたことと、地震に強い2×4住宅の密集地だったおかげで、まるで砂漠地帯のオアシス都市のように平穏を守っていたのだった。
 ここまでの話を聞いて、「駒木って本当に運のいいヤツだな」と思われたかもしれない。そう、僕は運が良かった。偶然の積み重ねのおかげで、こうして命が有る。そこには日頃の行いだとか、信心深さだとかは一切関係無い。何をどう考えようと人の勝手だが、この地震と信仰を結びつける輩がいたら、僕はそいつを永遠に軽蔑する。信仰で助かるのなら、無宗教に近い僕は、絶対に助かってはいけなかった。
 話を戻そう。時計の針は6時台が間もなく終わろうとしている事を知らせてくれていた。ラジオ局は必死に被災地の状況を報道しようとするが、何しろ全ての近代装置が麻痺している状況、情報が錯綜するのは仕方の無いところだった。
 「……○○区では、マンション1棟が倒れた、との情報があります…」
 こんな報道を聞いた時、僕と家族は思わず噴き出した。「なんて安普請のマンションなんだ」と。先刻までに述べた通り、自宅の周りは平穏であり、停電が続いていて、外部との接点は電池式の携帯ラジオ以外に無かった。この時、既に数千人もの命が消失しようとしていたなんて、とてもじゃないが想像できなかった。こんな時には、同じ被災地でもここまで残酷な格差があったことをよく憶えていて欲しい。
 7時半頃、送電が再開され、その代わり電話が通じ難くなった。なんて皮肉な事なのだろう。この阪神・淡路大震災のありのままの姿を知る事が出来るようになった瞬間に、今度は安否不明の人との通信が途絶えてしまったのである。ちなみに7年前と言えば、まだインターネットはごく一部の専門家と好事家のためのものであり、携帯電話はまだ高嶺の花だった頃である。もっとも、大地震の時にインターネットや携帯電話が正常に通じるかどうかは極めて疑問であるが。
 それから僕たちは、様々なもので散乱した部屋の片づけをしながら、TVに映し出されていた惨状に釘付けになった。部屋の片付け云々を抜けば、それは被災地以外に住んでいたあなた方と大差は無い。違う点といえば、同じ“対岸の火事”でも本当に狭い対岸だったということと、絶えずやって来る余震が恐怖心を煽っていたことくらいだろうか。
 変な脳内物質が出ているのだろう、1時間と寝ていないはずなのに、頭がやけに冴えた。かといって勉強する気にもなれず、気が付いたら暇つぶし用にキープしていた“イラストロジック”パズルを手にとっていた。とんでもないスピードでパズルが解けていった。不謹慎ではあるが、事実をありのままに書く。
 とはいえ、午後からは安閑としていられなくなった。どうやら水道が間もなく止まるという事が分かったからだ。午前中は水が出ていたから安心していたが、どううやらそれは、水道管に残っていた“残りカス”のようなものだったらしい。
 大慌てで水量の乏しくなった蛇口から水を貯めていく一方、ありったけのポリタンクを台車に乗っけて、近くの公園にあった、災害時でも使える水道施設に水を貰いに行った。僕が着いた時、公園は既にコミケ当日の人気サークルブース前の様相を呈していて、並んでいる人たちは、いつ来るとも知れない順番をずっと待っていた。この時誰一人、列を乱したり、長時間待たされた事に不満をぶつけたりしなかったのは特筆に価する。地震の直後から少なくとも数日は、皆が皆、不思議なくらい親切で心優しかった。これが日本人独特の気質なのか、それとも人間誰しもそうなるのかは、よく知らない。ただ、自信を持って言える事は、人々がこの時の心をもって生きていけるのなら、「世界平和」なんていう空々しい言葉も夢の話では無いということである。ただし、残念な事にそれは一月と続かなかったようではあるが。
 どうにか水を自宅に運び終えたのは夕方過ぎ。途中に自衛隊の給水車が数台割り込んできた事もあって、順番が回ってくるには数時間を要した。自衛隊の人たちが、いかにも肩身が狭そうにしていたのを思い出す。彼らは自分たちの水を運んでいたわけではない。家を無くしたり、水道が完全に破壊されたりした人たちのための水を運んでいたのである。本当なら胸を張ってやるべき仕事だったのだが…。これを右翼チックな思想に結びつけるつもりは無い。彼らは色々な意味で、どこまでも日本人っぽかったということだ。
 夜。この日、何を食べたかは全然思い出せない。とりあえずガスと電気は使えたので、ちょっとした料理は出来ていたはずだ。電気はともかく、ガスはもう少しで止められるところだった。一度止められたら数週間はそのままなので、この点でも運が良かった。僕の周りにも、“ガス抜き”生活を強いられた人がいたけれど、口を揃えて「不便だった」と言う。どうやら、「地震に備えて買っておく道具リスト」には、電気ポットと電磁調理器を加えておく必要がありそうだ。もっともそれは、住んでいる家が無事だったら、の話である。

 気が付いたら、地震から丸一日が経とうとしていた。TVやラジオからは、地震と同時に発生した火事が、未だに延焼を続けながら燃え盛っている事を告げていた。自宅の数km先でガス漏れ事故も起こっていた。真綿で首を絞められるような、じれったい恐怖心が湧いてくる。十数分間隔で襲ってくる余震が、それに拍車をかける。
 チャンネルを変えてみる。とりあえずどこのTV局も同じような震災報道を繰り返していたが、唯一、被災地に居を構えるUHF局のサンテレビは、延々と被災者の安否情報を流していた。時折、判明した死者の名前を放送しているのだが、その数が多すぎてテロップ製作が間に合わない。模造紙にマジックで死者の名前を書いてゆき、それを映してアナウンサーが延々読み上げていた。それは、どんな過激なニュース映像よりもインパクトが強かった。命って何なのだろうと、答の出ない問いを頭に思い浮かべた。

 寝たのは何時ごろだっただろう。もう一度無事に眠れる事を本当に感謝しながら、オフタイマーを設定したTV付けっぱなしにして、部屋の明かりを消した。1月17日は終わった。でも、何も終わってはいなかった。

 ………

 今、こうして思い返してみても、あれから7年経ったなどという実感は湧かない。今の年齢と当時の年齢を引き算して、漸く納得する次第である。その思いは年々強くなってゆくのだろう。いや、それとも薄れていってしまうのか。
 今回の特別講座で、受講生の皆さんがどのような思いに至ったかは分からない。でも、これだけは憶えていて欲しい。世の中、何が起こるか分からないという事。これだけは忘れずに、日常を生きてもらえれば、この講座の存在意義が生じるというものである。(この項終わり)

 追記:そういえば、阪神・淡路大震災の前は、「関西では地震が起きない」なんて迷信が幅を利かせていた。本当に大惨事は青天の霹靂でやって来る。

 


 

1月16日(水)演習(ゼミ)
現代マンガ時評(1月第3週分)

 今週も定例のゼミの時間です。
 しかし今週は、またも合併号の谷間でして、またも内容が薄くなってしまいそうです。申し訳ないですが、今日は短縮授業と言う事でお願いしますね。
 さて、今日は1作品だけのレギュラー企画です。(例によって、7段階評価表はこちらから)

 ☆「週刊少年サンデー」2002年6号☆

 ◎新連載第3回『焼きたて ! ! ジャぱん』(作画:橋口たかし《第1回掲載時の評価:B

 新連載第1回の時点で、この作品を酷評したんですが、駒木の周りの話を聞くと、意外と評判は悪くないようです。まぁ確かに、絵はかなりのレヴェルに達してますし、「バカだね〜、このマンガ!」…などと、気楽に読むだけならば毒にはならんかなあ、という感じもしないではないですね。
 しかし、真面目に読み解いていくと、やはり演出が酷すぎます、この作品。何だか、ハジケ具合が、ますます「ミスター味っ子」アニメ版に近付いていってますし、キャラクターがウンチク垂れる場面も、ただ単に説明的なセリフを連ねているだけで、見苦しいったらありゃしないです。
 さらに、主要キャラクター全員が変人で「ボケ」タイプなので、ツッコミ役不在というのも、この作品のイタさ加減を倍化させています。
 ここまでやられたら、少なくとも自分は楽しめません。正直言って、見るだけでも辛くなって来てます。
 恐らく、多くの人と評価にギャップが発生するでしょうから、敢えて評価は掲載しません。ただ、こんなのをマンガだと思われたら、マンガ界は不幸だなと思う今日この頃です。

 ………

 と、今日やらなくちゃいけない講義の内容はこれで終わってしまいました。
 ただ、これだけじゃあ、さすがにあんまりなので、少々雑談でも。

 マケラレンさんでも話題になってる通り、ついに「コミックバンチ」で不人気作品の打ち切りが本格化して来ましたね。
 既に韓国で発表済みだった『熱血紅湖』は別物として、純粋な意味での“打ち切り”第1号は、にわのまこと氏の『ターキージャンキー』と、池沢さとし氏の『痛快!! マイホーム』でした。
 前者の『ターキー…──」は、プロレスファンの駒木は好きな部類に入る作品だったのですが、他誌でも似たような設定の作品が連載されていて、ちょっとその煽りを食ったかな、と言う感じでしょうか。後者の『痛快!!──』は、正直言って遅すぎるくらいでしたけどね。
 しかし、気になるのが「第一部完」という、これまた政治家の公約並に信用度の低いレトリックが使われている事。よほど、“打ち切り”と言われる事にアレルギーがあるんでしょうかね。所謂“ジャンプシステム”を意識しすぎているような気がします。まぁ、毎週毎週ジャンプに当てつけるようなインタビューを載せているんですから無理もないですが。
 個人的な意見を言わせてもらいますと、ダメな作品は打ち切って当たり前だと思うんですよ。それこそ美少女系マンガ誌のように、連載2回目か3回目で、尻切れトンボのまま打ち切っても構わないと思います。
 問題になっている“打ち切り”というのは、アンケート結果が悪いという理由だけで、実は見どころのある作品が打ち切られてしまう事であって、駄作を打ち切る事とは全く違う話だと思うんですけどね。少なくとも、『痛快!!──』は、20話まで引っ張る理由は無かったと思いますよ。
 まぁそれにしたって、どこで駄作と佳作の判断を付けるかという問題が残っているんですけどね。いやはや、難しい問題です。

 ……と、本当に取り留めの無い雑談になってしまいましたが、今日はコレくらいにしておきましょう。来週からは雑誌も平常スケジュールに戻りますし、ソコソコ充実した講義ができるのでは、と思っています。では。 

 

 

 


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