「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

6/30 スポーツ社会学(ニュース解説特別編)「2002年W杯・韓国についての諸問題(続)」
6/29 
競馬学概論「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”(15)」
6/28 
スポーツ社会学(ニュース解説特別編)「2002年W杯・韓国についての諸問題」
6/27 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(6月第4週分)
6/25 文化人類学「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権展望」
6/24 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(5)
6/23 文献講読(小説)『夏、雲ひとつ無い夜に─』(4・最終回)
6/22 
競馬学特論「G1予想・宝塚記念編」
6/21 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(4)
6/20 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(6月第3週分)
6/18 
メディアリテラシー特論「『探偵ファイル・電脳探偵マル秘レポート』に対する論題・その後」(6/19に追加講義あり)
6/17 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(3)
6/16 文献講読(小説)『夏、雲ひとつ無い夜に─』(3)

 

6月30日(日) スポーツ社会学(ニュース解説特別編)
「2002年W杯・韓国についての諸問題(続)」

 ※お断り※ 今日の講義は「ニュース解説」との連動企画であり、駒木ハヤト本人の主観的意見が中心の内容となります。客観性を欠く部分があるかと思いますが、コンテンツの性格をご理解ください。また、文体は常体(で、ある調)となります。

 ※本日付講義は6/27付ニュース解説、及び6/28付講義(特別編)の続きになります。未読の方は、まずそちらをどうぞ。


 さて、本国で文字通り熱狂的なパフォーマンスを繰り広げた韓国サポーターたちの話である。

 “レッドデビル”の異名をとる、赤いTシャツに身を包んだ彼らの行動は、まず真っ先に当の韓国国内で賞賛を受けた。曰く、「秩序だった行動」、曰く「サポーターの鑑であった」……などなど。
 なるほど、ロシアみたいに敗戦後の暴動は起きなかったとされるし、ドイツ戦直後に観られた爽やかにエールを交換する風景や、朝鮮戦争時代の同盟国とあって戦前から友好ムードに満ち溢れていたトルコ戦での応援風景は、TVを通じて観ていても気持ちの良いモノではあった。そこだけをピックアップすれば、そのような高評価もあながち嘘ではない。

 だが、W杯会期中の韓国サポーターたちの行動を俯瞰してみると、その行動のどこが「鑑」なのかと、思わず首を捻じ切らんばかりにひねりたくなる出来事が続発している。
 ハッキリ言おう。彼ら、韓国サポーターたちの行動は、ホスト国のサポーターとして、サッカーファンとして、スポーツファンとして、そして人間として恥ずかしい愚行の連続であったと。
 普通、このような場合には「ごく一部の心無い人のために、全体の印象が悪くなってしまった」とするべきなのであろう。しかし、今回に関してはその「ごく一部」の人が余りにも多すぎたし、時には全サポーター揃って粗相を働くというケースまで出てしまっては、このような過激な表現を使わざるを得ない。
 それでは、彼らの問題行動がどんなものであったか、時系列に沿って主なものを紹介してゆこう。

 まずは1次リーグが行われた時期の問題行動、それはリーグ緒戦・ポーランド戦の前夜から始まった。

 試合まで24時間を切った真夜中のポーランド宿舎前、場違いな格好をして彼ら・韓国サポーターはやって来た。
 彼らはそこがポーランド選手が英気を養うために眠っている宿舎の前であると確認すると、突如としてドンチャン騒ぎを始めた。鳴り物を鳴らし、叫び声をあげる。1人や2人ではない。少なくとも2ケタ人数の集団でのバカ騒ぎである。たちまち、ポーランドの選手たちは寝入り端を起こされる形となり、何事かと慌てふためいた。
 たちまち警備員がやって来て、その時はそれで収まったが、執念深い連中は再び朝5時に宿舎前へ襲来した。今度はお馴染み・「テーハミングク」の大合唱である。やっと熟睡することが出来たばかりのポーランド選手たちはまたしても安眠を妨害されて頭を抱えた。迷惑な輩は出動した警察が追い払ってくれたが、もう疲れを癒すだけの時間は残されてはいなかった。
 当日の韓国×ポーランド戦、ポーランドの選手たちは明らかに精彩を欠く動きで韓国に圧倒され、完敗を喫した。それが睡眠不足によるものだったのかどうかでは定かではないが、それを抜きにしても卑劣な行為と言って然るべきであろう。
 ちなみに、この安眠妨害作戦は1次リーグを通じて行われたと言われる。

 また、スタジアムの中でも、ポーランド選手に対する敵意に満ちた振る舞いがなされ、通信衛星を通じて世界中にその様子が放映された。
 ポーランド国歌斉唱の際に、観客席の大半を埋め尽くした韓国サポーターが、下品にもブーイングを投げかけたのである。これはもう国家に対する侮辱と言っていいだろう。幸いにも、その後の試合では国歌斉唱へのブーイングは影を潜めたが、これはこれで拭い去れない汚点である。
 これに関しては、“サポーターとしての世界標準のマナー”に無知であった故のミステイクであったと弁護する声もある。日本サポーターも、相手チームの選手紹介の時にブーイングを飛ばして、一部外国人記者の顰蹙を買ったりした。スタジアムでの振る舞いについては、選手のレヴェルだけ高度成長中のサッカー発展途上国である東アジア諸国共通の課題なのかも知れない。だが、どんな時であれ、他国の国歌が演奏されている時にそれを侮辱する行動をとるというのは、サポーターとしてのマナーとか、そんな範疇をはみ出していると思うのだが、どうか。

 しかしこれだけでは収まらない。さらにこの時期、直接試合に関係無いところでも様々な醜聞が伝えられている。
 ポルトガル代表を警備する係員に「どうして敵国の味方をするのか」と暴言を吐いた、などの細かい話は数多いし、無いことになっていた暴動が、実は危うく起こりかけていたという場面もあった。
 1次リーグ最終戦、ポルトガル戦に勝利して決勝トーナメント進出が決まった瞬間、市街のパブリックビューイングで試合を観戦していたサポーターの一部が暴走し、車道を占拠。通行していたバスを集団で取り囲んで走行不能にし、その屋根に登ってバカ騒ぎを始めたという。また、その一方でパトカーをひっくり返そうとまでした集団もあったらしい。
 なるほど、確かに集団で一致団結。秩序立ったサポーターたちである。ただ、その目的が暴動まがいであってはどうしようもないのだが。

 こうして、韓国サポーターの1次リーグは終了した。来るべき決勝トーナメント1回戦の相手はイタリア。波乱の1次リーグを象徴するように、強豪イタリアは、リーグ2位の枠に入ることとなった。
 今になって思う。この時の対戦相手がイタリアでなく、メキシコかクロアチアであったら良かった、と。もし、イタリアが“憎き”アメリカを倒すために韓国へやって来たのなら、彼らは最高の歓待を受けたであるに違いないからだ。
 しかし、現実の彼らは韓国の対戦相手である。
 そんなアズーリに用意されていたのは、およそ考えられる限りで最低の“寒待”であった。

 韓国戦を控えた最終調整のためにスタジアムを訪れたイタリア選手団は、その前に広がる光景に、思わず我の目を疑った。
 まだ誰もいないスタンド、その空席状態となっていた数千のイスに、白いペンキで人文字ならぬ“椅子文字”が描かれていたのだ。

“1966 AGAIN”

 1966年のW杯、当時から強豪国であったイタリアは、アジアの小国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の前に不覚を喫し、1次リーグ敗退の屈辱を味わった。
 そんな失意のドン底に叩き落されたまま帰国した選手たちに、イタリアの熱狂的なサポーターは「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに生卵を投げつけ、空港はまさに修羅場と化した。まさにそれはイタリアサッカー史上最悪の年。それが、1966年なのである。

 それを、もう一度だと───?

 イタリアサッカー関係者の憤りは怒髪天を衝いた。この行為がフェアプレー精神、及び対戦国への配慮を欠いたものであると、イタリアサッカー協会は直ちに正式な抗議をFIFAに対して行った。当然の事である。

 どうして韓国サイドはこんな馬鹿な真似をしたのか。どうやら多くの人は、「朝鮮民族が1966年に成し遂げた偉業をもう1度」という意味のキャッチフレーズとして、このフレーズを採用したらしい。まったく無邪気というか、何と言うか。
 世の中、何がタチが悪いといって、無意識に他人を傷つける事ほどタチの悪いものは無い。ましてやそれが国を挙げてのものとなれば、尚更である。自分たちがイタリアに対してやった事が、冬季オリンピックのショートトラックでアメリカ応援団から「ワンモア・ソルトレーク」という横断幕を掲げられるのと同じ事だと知らされたら、彼らはどんな気持ちに至るだろうか。
 しかも更にタチの悪い事に、この“1966AGAIN”を確信犯的に掲げた韓国サポーターもいたようだ。それは、当日の会場に次々と掲げられた、ご丁寧にイタリア語に翻訳した罵詈雑言をレタリングした横断幕を見ればよく分かる。「アズーリの墓へようこそ」、「イタリア、くたばれ」、そしてここでも「1966AGAIN」というフレーズがスタンドを飾った。まったく、禍禍しいデコレーションである。

 ポーランド戦からミソを付けっ放しの、試合中の韓国サポーターの観戦マナー、これはこの日も最悪と言っていいシロモノだった。
 どんな時であろうと、イタリア選手がボールを持った瞬間に野太いブーイングが浴びせられた。それは負傷して苦悶の表情でピッチにうずくまる選手にも関係なかった。
 また、試合中によく見られる、
 “ある選手が負傷したのを見た者が、試合を中断してボールを外に出す→相手チームの選手はスローインで本来ボールを持つべきチームにボールを返還する”
 といった、スポーツマンシップの典型というべきプレイが見られても、拍手1つよこさない。とにかく彼らの頭の中は韓国の勝利だけ。それ以外、何に対する配慮も有りはしなかった。だからこそ、あんな世にも酷い試合を見せられて、自国の“栄誉”に有頂天となることができたのだろう。

 この試合の後、決勝トーナメント1回戦終了時点での“フェアプレー賞”の得点集計中間発表が行われた。
 賞の対象となるのはベスト16に残ったチーム。日本では情報操作を施された結果、ほとんど公にされなかったが、韓国は断トツの最下位であった。
 詳細な採点経過を見ると、その理由は一目瞭然だった。
 1試合につき1000点満点で行われる採点結果、韓国に与えられたその点数は、1次リーグの3試合では700点台だったものの、イタリア戦では300点台という“赤点”を計上した。韓国が最下位となったのは明らかにその“赤点”のためだ。
 フェアプレー賞の採点基準は、警告・退場の数、プレーの積極性、監督・コーチの振る舞い、審判に対する敬意、そして対戦相手に対する敬意と観衆の態度である。どうして韓国チームがイタリア戦で300点台しかつけてもらえなかったのか? それはここまでの話を聞いてくれた全ての人がよくお分かりだろうと思う。

 さて、次なる準々決勝のスペイン戦、ベスト16のイタリアですらああなのだから、準々決勝はどうなるのだろう、と思っていたが、この時の韓国サポーターは、イタリア戦に比べると大人しかった。酷い文句を書いた横断幕も無かったし、椅子文字があったとも聞いていない。もっとも、試合中における節操の無いブーイング攻勢は相変わらずだったので、それを果たして“大人しい”と言って良いのかどうかは微妙なところだが。
 どうして準々決勝で韓国サポーターが相対的に大人しかったのかというと、どうやらサッカーにおける過去の因縁や、戦争で敵対したことが無かったから、という話らしい。
 ご存知の通り、サッカーの世界にはプロレスばりの“因縁の対決”が存在する。これもご存知の通り、最も有名なものはイングランドVSアルゼンチンで、W杯のみならず、本物の戦争(フォークランド紛争)で戦った間柄でもある。今大会の1次リーグ・札幌での両チームの対戦の際には、サポーター同士の衝突を想定して、市内に厳戒態勢が敷かれたのは記憶に新しいところだろう。
 しかし、だ。今大会の韓国サポーターは“因縁の敵国”を作り過ぎる傾向がある。アメリカ、イタリア、そしてこれから述べるドイツ。どれもこれも、サッカーでの韓国との因縁は薄い国ばかりである。
 オリンピックでたった1度だけ生まれた因縁を無理矢理広げてみたり、40年以上前の隣国との因縁に無理矢理便乗して騒ぎ立てたり、第二次世界大戦でのあるようで全く無い因縁を無理矢理蒸し返そうとしたり……。
 どれもこれも韓国側が無理矢理作り上げた“因縁”である。ホスト国のサポーターとあろうものが、いたずらに他国に敵愾心を燃やして、それを煽る。これが果たして賞賛される行為だろうか? 少なくとも駒木はそうは思わない。韓国の“因縁の対決”は韓国VS日本だけで十分だ。もっとも、それだって嫌がる日本を無理矢理引きずり出しての“因縁の対決”なのだが。
 
 ともあれ、韓国の対スペイン戦は、韓国サポーターの相対的な大人しさと反比例するような酷いイリーガル・ジャッジの恩恵を受け、PK合戦の末に勝利を収めた。そして準決勝で相対するのはドイツと決まった。

 さて、この組み合わせが決まった直後から、日本のサッカーファンの間では、ある1つの懸念が浮かび上がっていた。それは、
 「ひょっとしたら、韓国サポーターはナチスドイツに関連した横断幕を作って、スタジアムに掲げようとするのではないか?」
 ──と、いうものであった。国史の上で、第二次世界大戦が極めて重要な位置を占める韓国がドイツを“因縁の敵国”とみなしてネガティブ・キャンペーンに出た場合、真っ先に考えられるパターンは、ナチス関連の檄文を横断幕にする事だった。
 もちろん、今も昔もナチスやドイツ第三帝国の話はデリケートな問題であり、一部の国や地域によっては一種のタブーとなっている。特にイスラエルとの結びつきの強いアメリカなどでは、便所にカギ十字の落書きをして捕まるだけでも新聞沙汰になってしまうほどだ。
 常識的に考えると、ナチスドイツをネタにした横断幕など、まさしく狂気の沙汰である。しかし、ここまで“相手が本気で嫌がる事”に対する鈍感さを発揮している韓国サポーターの行動パターンを考えると、カギ十字の横断幕などは、いかにもやってしまいそうな事に思えたのである。

 ──そして、その危惧は現実のものとなった。なってしまったのだった。

 試合前、スタジアムへ向かう途中の市街地で、韓国サポーターが誇らしげにプラカードをTVカメラの前に突き出した。そこに大写しになったハングル文字は、こう書かれていた。

「ヒトラーの息子達は去れ!」


 スタジアムの中ではもっと酷い事になっていた。カギ十字に、日本の駐車違反標識のようなマークを被せた「ナチスドイツ禁止」の垂れ幕が掲げられたのである。しかし、これはFIFAサイドが迅速に対応し、垂れ幕はドイツチームが入場する前に強制撤去されて事無きを得た。
 いや、正確には事無きを得ていなかった。愚かな1人の韓国サポーターが垂れ幕をセッティングしている様子がアメリカのマスコミに写真撮影され、yahooを通じて全世界に報道されたのだ。憎きアメリカに己の国民の恥を晒されるこの屈辱!
 もしもこれにドイツのマスコミが反応し、ドイツの政界にまでこの話が及ぶようになれば外交問題にも発展したが、不幸中の幸いでそれは避けられた。
 駒木の知人であるドイツ在住のOliver君──あのスラッシュドット・ジャパンの…と言えばご存知の方も多いと思う──の報告によると、ドイツではワイドショー的な番組も含めてテレビでの報道はゼロだったそうだ。しかしこれは、ドイツ人がこの問題に無頓着なわけではなくて、「大人というものは、馬鹿なガキなど端っから相手にしない」というスタンスのようである。それがどういう事なのか、ということは、実際にOliver君からのメール本文を読んで理解して頂こう。(本人の了解を得ています)

(ナチス関連のプラカードや垂れ幕は、ドイツ人にとってどれくらい“ヤバい”ものなのか、という駒木の問いに対して)

 そんなことがあったんですか。こっちでは、試合前も試合後もそんな事は国営放送もワイドーショ風っぽい民放でもまったく触れられませんでした。
 勝ったからかもしれないが、ドイツとしては純粋にサッカーを楽しむ面もあり、そんなあからさまに間違った、というか無知をさらけだしたプロパガンダなんて感知するところではありませんし、それで選手がヘコむこともないでしょう。
 逆に鼻で笑われるのがオチ。過去との清算がちゃんと行われ、自己像の確立されたドイツは日本とは違い、そんな間違ったカードで恫喝されたりはしない。

 特に最後の段落は日本人として考えさせられる部分も多いが、それについて述べるのは今ではないだろうから口をつぐむ事にする。
 とにかく救いだったのは、ドイツ人が政治的に歴史認識的に成熟した人たちだったという事だ。こう言ってはアレだが、もしもドイツ人が韓国人のような気質だったら…と想像するとゾッとする話である。
 まったく、ナチスでドイツ人を煽った韓国の人たちは、あれほど自分たちに関する歴史についてナーバスになっているのに、どうして他国のそれに関しては余りにも無頓着なのだろうか。あんまりこういう事は言いたくないのだが、「自分がされて嫌な事は人にするな」と家庭や学校で習わなかったのかと思ってしまう。

 ナチス関連では無かったが、酷いプラカードはまだあった。ドイツ選手の遺影を作り、「敗者の冥福をお祈りします」と記したものを、またしてもTVカメラに掲げていた馬鹿者がいたのだ。不謹慎にも程がある。
 
 ……試合終了後に健闘を称える拍手を送り、「素晴らしいサポーターたちだ」と賞賛された韓国のサポーターたちだが、その直前までの実態は以上の通りである。勿論、この試合でもゲーム中の過剰ブーイングは相変わらずだった。終わりよければ全て良し、とは言うが、果たしてそれで本当に良かったのかどうかは、皆さんの胸の中で考えてもらいたい。

 3位決定戦のトルコ戦については、先に紹介した通り、トルコが朝鮮戦争時代の盟友であることもあって、極めて温和なムードの中で進行した。だが、これがもし、アメリカや日本が相手だったら、恐らくこうはならなかったであろう。この試合も、相手が友好国だったから大人しく応援していただけで、本質的に韓国サポーターが宗旨変えをしたわけではないのだ。

 サポーター問題の最後に、この大会の中での韓国の日本に対する態度についての話、そして今回の2国共催についての意義についての話もしておこう。

 日本のマスコミの“大本営発表”では、さも韓国サポーターが日本に対して友好的な態度で接し、自国と同じように日本を応援していたかのように伝えられているが、それは全く正反対である。日本代表を応援していた韓国人は在日韓国人の方たちくらいであって、少なくとも在韓韓国人の圧倒的多数は“アンチ日本代表”であった。
 日本がマスコミを中心に、不当判定試合にイラ立つ日本人サッカーファンが辟易するほどの“共催国である韓国を応援するぞモード”に入っていたのとは対照的に、韓国は“催国である日本の敗退を願うぞモード”に入っていたのだ。
 日本の試合では公然と相手チームを応援し、日本選手の放つシュートが外れるたびに大歓声が沸き起こった。挙句の果てには韓国のスポークスマンが「今回、我々が横浜の競技場に韓国国旗を掲げる事が出来れば、それは日本に対して屈辱を与える事になるだろう。我々はそれを望んでいる」という旨のコメントを発表する始末である。

 もともと今回の共催は、九分九厘日本の単独開催で内定していたものを、韓国サイドがFIFA内部での政治力を駆使して権利の半分を“強奪”したものである。最初から“仲良く共催”というわけではなかったのだ。その上、韓国が歩み寄る姿勢を全く見せなかったのだから、“友好的な共催”が成功するわけがない。それを自覚せず、もしくは自覚しない振りをして、一人相撲をとった日本のサッカー界とマスコミ。その姿は哀れなほどに滑稽であった。それは理想を追い求めていただけに余計にそう映ってしまった。
 FIFAサイドはコストの面などから、今後の複数国による共催は行わない方針だと発表した。的確な判断であろう。しかしもし、また共催W杯が実施される事になった時は、今回のような滑稽な悲喜劇が繰り返されない事を祈るのみである。

 さて、韓国のサポーターについての話はこれで締めくくるとしよう。こんな連中(敢えてこう言う)が応援する韓国代表チームが不正ジャッジで偽りの快進撃を見せつけたところで、怒りと憎しみこそ湧けど、応援する気持ちになどなれなかった人が、それこそゴマンといたことがこれでご理解頂けると思う。

 しかし、この問題はこれで終わりではない。
 日本で、この韓国代表に関する問題を大きくこじらせた“A級戦犯”は、不正ジャッジの審判団でも、韓国代表選手や韓国サポーターでもなく、日本のマスコミ連中であった。これについても、時間を使ってお話したいと思う。

(追記7/2:韓国サポーターによる問題行動のエピソードで、まだあと2つ紹介し忘れていたものがありましたので、蛇足ながら追記させてもらいます。
 まず1つ目。決勝トーナメント1回戦のアメリカ×メキシコ戦で、座席の空白を埋めるべく動員された韓国サポーターが、全く自国とは関係無い試合であるにも関わらず、太極旗を振りかざし、「テーハミングク!」と場違いに叫んで大顰蹙を買ったというエピソードがありました。
 そして2つ目。準決勝を直前に控えたドイツチームの練習において、時間制限付の公開練習だったにも関わらず、制限時間を過ぎて退場の指示をされても平気な顔をして翌日の応援の準備をしていたマナー違反の韓国サポーターがいた、という話も報道されています。
 まさに枚挙に暇が無いくらい数がある問題行動のエピソードなのですが、現地に滞在した人によると、韓国の人たちは、ひとたびサッカーを離れると、極めてフレンドリーでマナーを守った善良な市民だったそうです。まさにサッカーが全てを狂わせてしまった、という事なのでしょうか。どうして普段通りの道徳心がサッカーを通じて発揮できなかったのか、と考えると非常に残念でなりません)


 ご覧のように、またしてもロングランの講義になってしまいましたので、再度中断いたします。続きは明日付の講義の中でお送りいたします(月曜日付講義に続く

 


 

6月29日(土) 競馬学概論
「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”(15)」
懺悔番外編:宝塚記念3歳馬挑戦史

珠美:「さて、ご覧のように今日は番外編となります。しかも『懺悔番外編』(苦笑)。どうしてこんな事になったかは、博士から直接説明して頂きましょう」
駒木:「え〜、談話室(BBS)によくいらっしゃる受講生の方は、もうご存知だと思いますが、問題の発端は先週の競馬学講義でした。

駒木:「(前略)……3歳馬の挑戦と言うと、ここ10年ではたった1度、6年前にマル外牝馬のヒシナタリーが挑戦してる。この時は斤量52kgで、13頭中10番人気の4着と健闘してるね。3着のダンスパートナーとハナ差だから、この4着は価値が高いと言っていいんじゃないかな……(以下略)」 

 ……頭ボケボケの未明に行った講義とはいえ、とんでもないボーンヘッドでした。
 この箇所に関して、講義の直後から受講生の方たちの指摘が相次ぎました3歳馬(注:以下、旧表記時代の馬齢も新表記で統一します)の挑戦はもっとたくさんあるじゃないか、そんな指摘でした。
 そうです。宝塚記念における3歳馬の挑戦は、ヒシナタリー以外にも、まだたくさんありました。その中には駒木が実際に競馬場で生観戦した年のレースもあり、まったくお恥ずかしいばかりであります。
 そこで今回は、そんなチョンボの罰符代わり「宝塚記念3歳馬挑戦史」をお送りする事になりました。どうぞよろしくお願いします」
珠美:「……というわけで、今日はいつもの競馬学概論講義とは違うスタイルでお送りしますね。普通なら、私がレースの概要や出走馬の紹介をして、それを博士に解説して頂くんですが、今日はそれも博士にやって頂くことになります。そういうわけで、私は単なる進行役に徹させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。
 では博士、まずは宝塚記念の概要を、3歳馬の出走条件のお話を中心にお話して下さいますか?」

駒木:「うん。宝塚記念が創設されたのは1960年(昭和35年)のこと。4年前に創設されたグランプリ・有馬記念の成功を見て、「これはイケる」と思った競馬関係者が、その関西版を作ってみようって思ったという、ある意味安直なアイディアだったらしい(笑)。ファン投票による出走馬選定、というのもそういう理由からだね。
 で、創設当時の条件は、阪神競馬場の芝1800m距離は徐々に延長されて第7回から2200mになった。そして気になる年齢上の出走条件は、意外な事に当時から3歳以上なんだよね」
珠美:「えっ、第1回から3歳馬に門戸が開かれていたんですか?」
駒木:「そうなんだ。ただその時は、1968年の第9回から出走条件が4歳以上に変わってしまう。レースの施行時期がダービーの翌週とか翌々週になってしまったからなんだ。それまでの8年間で3歳馬が勝ち馬になった事もなかったし、それなら古馬のローテーションに合わせて、春の天皇賞から狙いやすい涼しい時期に施行しようということになったんだと思う。今と逆の発想だね。今は3歳馬が挑戦しやすいように、ダービーから狙いやすい時期に施行してるわけだから」
珠美:「なるほど……。同じレースでも、考え方次第によって、随分とスタイルが変わってくるものなんですね。
 あ、ところで博士、その第1回から8回までは、3歳馬の挑戦はあったりしたんですか?

駒木:「え〜とね、とりあえず手元に第1回から第5回までの出走馬全成績表があるんだけど、それが結構挑戦してる3歳馬は多いんだよね。
 まず第1回は3頭で、第2回は4頭立てだったんだけど、それでも1頭出てる。その後も第3回に1頭、第4回に4頭、第5回も1頭。第4回に出走が多かったのは、この年から第8回まで斤量が賞金別定になったんで、軽量で出走できる二線級の3歳馬が集まったんじゃないかと思うよ。
 このあたり、もうちょっと詳しい話が分かれば良かったんだけどね。大阪のJRA広報センターまで通えば、もっと詳しい資料が見つかったと思うんだけど、そこまで通う余裕が無かったんだよ。その辺は、また時間が作れたら続編をお送りするという事で」
珠美:「分かりました(笑)。
 ……それでは、それから次に出走条件が3歳以上に変更されてからのお話をして頂きましょう」

駒木:「はいはい。また条件が3歳以上になったのは1987年の第28回から。でも、時期がダービーから中1週という過酷なローテーションだったことと、古馬の出走馬レヴェルが高めだったのもあって、挑戦する3歳馬はなかなか現れなかったんだ。出走条件の再変更後、実際に3歳馬がエントリーしたのは1991年が初めての事だったよ。
 …それじゃ、1991年宝塚記念の出馬表を見てもらおうかな。馬名欄が薄緑になっているのが3歳馬だよ」

馬  名 騎 手
メジロライアン 横山典
イイデセゾン 田島良
ホワイトストーン 田面木
タイイーグル 安田隆
イイデサターン 村本
オースミシャダイ 松永昌
ミスターシクレノン 角田
ショウリテンユウ 西浦
バンブーメモリー
10 メジロマックイーン
(単枠指定)
武豊

珠美:「単枠指定っていうところに時代を感じさせますね(笑)。まだ馬券が枠連しかなかった頃に、同枠馬の出走取り消しでトラブルになるのを避けたり、オッズが割れるようにする狙いなんでしたっけ?」
駒木:「そうそう。一定の評価は受けてた一方で、『JRAが強い馬を予想してるのと一緒だ』って批判もあったりした。馬連が定着した今では、もう昔話だけどね」
珠美:「それでは、この年のレースと、出走した3歳馬についてのお話をして頂けますか?」
駒木:「レースの模様は詳しく解説したいところだけど、時間の都合もあるから簡単にね。
 この年の宝塚記念はメジロライアンが唯一のG1勝利を飾ったレースとして有名だね。ライアンは、ここまでG1レースを5回走って、2着2回、3着2回、4着1回という典型的なイマイチ系名馬。2回の2着は、ダービーとオグリキャップの引退レースになった有馬記念。もう典型的な引き立て役なんだよね(苦笑)。
 でもこのレースは、そんなメジロライアンが主役を務めた数少ない機会だった。なにせ、3コーナーから先頭に立って、先行していたホワイトストーンを競り落とした上にメジロマックイーンを完封だからね。
 このG1勝ちが無かったら、引退後の種牡馬としての価値も下がっていただろうし、そうしたらメジロブライトとかの代表産駒は生まれていなかったかもしれない。それを考えると値千金の勝利だよね。
 あ、あともう1つ。このレースは杉本清アナウンサーが、始めて『私の夢』、つまり自分の馬券の軸馬を放送中に公開したレースとしても知られてる(笑)。『あなたの夢はメジロマックイーンか、ライアンか、ストーンか。私の夢はバンブーですってね(笑)。結局、杉本さんの夢はシンガリ負けだった」
珠美:「(笑)」
駒木:「あと、2頭の3歳馬についてだね。この年挑戦したのは、皐月賞・ダービー3着馬のイイデセゾンと、僚馬・イイデサターンイイデの冠名を持った馬はこの年3頭ダービーに出走してるんだけど、その内の2頭だね。イイデの馬主さんは、初めて買った馬の中にこの年の3頭がいたらしいんだから、凄い幸運だよねぇ。
 で、中1週で果敢に宝塚記念に挑んだわけだけど、イイデセゾンなんか、これがデビューから19戦目。ローテーションもキツかったし、さすがに上がり目が無かったみたいだね。相手も当時の古馬最強クラスが出ていたわけだから、力関係も厳しかったイイデセゾンは見せ場無く流れ込みで7着。イイデサターンは逃げ潰れて9着に惨敗しているよ
珠美:「…ハイ、ありがとうございました。それでは時間もありませんし、次のレースの解説をお願いします」
駒木:「その次に3歳馬が挑戦したのは1994年だね。これも出馬表を見てもらおうか」

馬  名 騎 手
インターマイウェイ 田島信
ナイスネイチャ 松永昌
ステージチャンプ 南井
ゴールデンアワー 山田泰
ダンシングサーパス 熊沢
ネーハイシーザー 塩村
サクラチトセオー 小島太
アイルトンシンボリ 藤田
アラシ 土肥
10 マチカネタンホイザ 柴田善
11 ルーブルアクト 清山
12 ベガ
13 ビワハヤヒデ 岡部
14 イイデライナー

珠美:「あ、またイイデの馬ですね」
駒木:「そうだね。このイイデライナーも大概なハードスケジュールだよ。ずっと使い詰めで皐月賞、京都4歳特別、ダービーと来て、中1週で宝塚記念。この馬主さん、エグいことするよねえ(苦笑)。まぁ、数を使う事では有名な大久保正陽厩舎だってこともあるけれどもね。
 この年は、ビワハヤヒデが単勝1.2倍の圧倒的人気を背負って、それを裏切らずに正攻法で完勝。この頃から弟ナリタブライアンとの兄弟対決が話のタネになって来たりしたね。
 で、イイデライナーは良い所無く12着惨敗。ダービーが2ケタ着順だった事もあって最低人気だったし、まぁ仕方ないって所かな」
珠美:「えーと、そして次がヒシナタリーの出走した1996年ですね」
駒木:「そうなるね。じゃあ、このレースは出馬表を見てもらって、あとは最低限の話にとどめようかな」

馬  名 騎 手
カミノマジック 菊沢仁
レガシーワールド 芹沢
ヒシナタリー 熊沢
サンデーブランチ
ゴールデンジャック
サージュウェルズ 大崎
ダンスパートナー 四位
フジヤマケンザン 村本
マヤノトップガン 田原
10 ホマレノクイン 石橋
11 オースミタイクーン
12 カネツクロス 的場
13 ヤマニンパラダイス 河内

珠美:「一見、豪華メンバーに見えるんですけど、実はそうではないんですよね、このレースは」
駒木:「そうだね。レガシーワールドもヤマニンパラダイスも、故障や年齢的な衰えで力を失ってしまってたからね。この年の出走馬では、純然たるG1級と言えるのがマヤノトップガンだけ。そして結果もトップガンが単勝2.0倍の1番人気に応えて完勝を果たしている。で、ヒシナタリーは4着健闘。この年から7月開催になってローテーションが楽になった事や、恵まれた相手関係を考慮したとしても、よくやったの一言じゃないかなぁと思うよ」
珠美:「それではどんどん先にいきましょう。次は1999年ですね」
駒木:「談話室でも言ったんだけど、この年は現場で見てるんだよなあ(苦笑)。ちょっとしたスランプで7番人気に落ちてたステイゴールドからの勝負馬券を握ってて、絶叫した記憶が生々しく残ってる(笑)。結局、2着から7馬身差の3着だったんだけどね(苦笑)」

馬  名 騎 手
ステイゴールド 熊沢
ヒコーキグモ 安藤勝
オースミブライト 蛯名
スエヒロコマンダー 藤田
グラスワンダー 的場
インターフラッグ 河内
マチカネフクキタル 佐藤哲
スターレセプション
スペシャルウィーク 武豊
10 キングヘイロー 柴田善
11 ローゼンカバリー 菊沢徳
12 ニシノダイオー 村本

珠美:「だんだん競走馬として親しみのある馬名が多くなって来ましたね」
駒木:「そうだね。で、この年の宝塚記念は、グラスワンダーがスペシャルウィークを競り落として1着。前年の有馬記念からのグランプリ連覇達成となる。人気の2頭が人気通り走ったんで、馬連配当は200円。ちょっとギャンブルとしてはゲンナリする結果だよね(苦笑)。
 このレース唯一の3歳馬・オースミブライトは、テイエムオペラオー・アドマイヤベガ世代だね。皐月賞2着、ダービー4着からの参戦。上位2頭から離されながらも3番人気に推されたんだけどね、やっぱり古馬の壁は厚くて、流れ込みがやっとの6着に負けてる。クラシックの伏兵クラスじゃ連絡みは厳しいメンバーだったよね。今年の出走馬レヴェルだったら、ひょっとしたかもしれないけど、まぁ仕方ないね」
珠美:「そして最後は昨年・2001年ですね。……って、博士、去年の出来事忘れてちゃダメじゃないですか(苦笑)」
駒木:「まったくだよねえ(苦笑)。去年のレースも現場で観てるんだよ。オフ会徹夜カラオケ明けというとんでもないシチュエーションだったんだけど(笑)」

馬  名 騎 手
ミッキーダンス 河内
ダービーレグノ
メイショウドトウ 安田康
テイエムオペラオー 和田
トーホウドリーム 安藤勝
ホットシークレット 柴田善
ダイワテキサス 岡部
エアシャカール 蛯名
ステイゴールド 後藤
10 アドマイヤカイザー 芹沢
11 アドマイヤボス デザーモ
12 マックロウ 藤田

珠美:「懐かしいというか、記憶に新しいというか、そんなレースですよね」
駒木:「ホットシークレットが逃げて、それをメイショウドトウが早めに捕まえて優勝。ところがオペラオーがズブくてねぇ。直線半ばからようやく伸びてきたんだけど、最後は2着も怪しかった。メイショウドトウは悲願のG1初制覇。なんか、メジロライアンとちょっと似てるのが面白いね。
 ダービーレグノはシンザン記念の勝ち馬皐月賞でも5着と健闘してたんだけど、やっぱりこの年は、その程度の馬が活躍できるにはレヴェルが高すぎたね。ブービーに負けてるけど、仕方ないと思うよ」
珠美:「……と、これで全部終わりましたね。博士、お疲れ様でした」
駒木:「あー、しんどかった(笑)。こんな事がもう二度と無いように頑張りますので、これからもまたよろしくお願いします。
 ……といったところで、今日の講義を終わります。ご清聴どうもありがとう」

 


 

6月28日(金) スポーツ社会学(ニュース解説特別編)
「2002年W杯・韓国についての諸問題」

 ※お断り※ 今日の講義は「ニュース解説」との連動企画であり、駒木ハヤト本人の主観的意見が中心の内容となります。客観性を欠く部分があるかと思いますが、コンテンツの性格をご理解ください。また、文体は常体(で、ある調)となります。


 まずは重複を恐れずに、W杯準決勝・ドイツ×韓国戦の結果を振り返っておこう。

 スコアは1−0でドイツの勝利。試合内容は後でまた述べるとして、掛け値無しに素晴らしい試合であった。

 その素晴らしい試合を演出した立役者は、やはり主審を務めたスイス人のメイヤー氏ということになるのだろう。90分以上もの間、一貫して極めて公平なジャッジを下し続けた彼は、まさにこの試合の最高殊勲者と言って差し支えない存在であった。
 試合開始直後こそ、様子見が過ぎて試合を“流し”すぎる所が見られたが、それにしても韓国・ドイツどちらかに有利だったというわけではなく、あくまで平等にアドバンテージを重視したレフェリングだった。
 そして、しばらくしてからは毅然と両チームに対して反則の笛を吹くようになった。立て続けに韓国のファールを裁いたかと思えば、その韓国にもペナルティエリア前からの直接フリーキックを与えた。それも観る者全てに納得のゆく理由によってである。
 彼のジャッジの中でも圧巻だったのは、後半40分の韓国ゴール前での判定だった。メイヤー氏は、ゴール前でのドイツ・ノイビルの転倒に対して、何ら躊躇する事なくシミュレーションのイエローカードを切った。間もなく映し出されたリプレイには、確かに自らの意思でダイビングしているノイビルの姿が映し出されていた。
 一歩間違えると、取り返しのつかない誤審騒動を生み出しかねないギリギリの判定。それを考えるとノーホイッスルで済ませたいのが人情だが、それでもマイヤー氏は笛を吹き、カードを出した。「審判とは、レフェリングとは何か?」という問いと、その答えを同時に見た思いがした。
 そんな勇気ある主審を支える2人の線審もよく働いた。試合終盤にどちらがボールを場外に出したかの判定で細かなミスが相次いだ以外は無難に職務を全うした。
 結局この試合、審判が試合の結果に直接影響を与えた場面は皆無であった。これは本来、至極当たり前の事なのだが、それを敢えて書かなければならないところに、今回のW杯にはびこる問題の根深さがある。

 さて、審判だけでなく、本来の主役である両チームの選手たちの戦い振りについても振り返っておこう。
 まずは忘れてはならない事がある。この試合、出場した両チームの選手たちはよく戦ったという事だ。それがW杯の準決勝に相応しい試合であるかどうかは別にして、2つの国のナショナルチームがぶつかり合う試合としては申し分の無い内容だったと思う。
 試合は地力と選手の平均身長で勝るドイツが、ほぼ終始主導権を握る展開になった。もはや定番となった、セットプレーからのヘディングシュートだけではなく、ドリブルでゴール前深く切り込んでゆく場面も数多く観られた。もちろん、ピンチの度に最高のプレーでそれを跳ね返した守護神・カーンの働きも特筆すべきものだ。
 ただし、試合を素晴らしいものにしたという点においては、韓国イレブンの懸命のプレーの方が貢献度は大きかっただろう。散発的ながら破壊力のある攻撃が度々見られたし、積極的なインターセプトや、ゴール前でドイツの得点を必死に阻もうとした守備は見事であった。
 これからW杯における韓国の試合について多くの批判を述べていくのだが、これだけは先に言っておきたい。韓国代表チームは実力のあるチームであった。少なくとも、決勝トーナメントで世界の強豪を相手に善戦健闘するだけの資格と能力は十分すぎるほど有るチームだった。
 このチームにとって悲劇だったのは、いくつかの負けるべき試合が、本来有り得ない理由で勝ち試合になってしまった事と、その事実に対して適切に対応する術を持たなかった事、さらに儒教の国に全く相応しくない腐った心を持ったボスを戴いてしまった事だった。韓国代表メンバーとヒディング監督、彼らは加害者にして、同時に被害者であった。それだけは我々も忘れてはならない事である。

◆───────◆

 今回のW杯において韓国に関する話をする時、やはり真っ先に扱うべきなのは、審判と誤審についての問題であろう。
 もともとサッカーはシステム上、誤審が起こりやすいスポーツではある。広大なピッチの中で、同時多発的に選手同士の接触が起こり、ボールが肉眼だけでは捕捉困難な高速で変則的な動きをするこのスポーツに、用意された審判はわずか4人、しかも実際に試合を裁くのはその内の3人に過ぎない。サッカーのレフェリングが非常に大変な作業であるという事は、これだけでもよく分かろうというものだ。
 しかし今大会は、その点をいくら深く考慮しても誤審が多すぎた。部活動の練習試合ならいざしらず、世界で一番の大舞台で繰り返される審判たちによるボーンヘッドの嵐。関係者たちは必死に「審判だって人間だ。人間のする事にはミスがつきものだ」と庇ったけれども、本来そのセリフはデメリットを被った側が発言すべき言葉だろう。

 そして、そんな誤審問題が、特に集中して降りかかったのが、ホスト国にしてアジア勢初のベスト4に進出した韓国絡みの試合であった。
 さてここで、それが暴言と受け取られるかもしれないという事を承知で、敢えて言う。
 一連の韓国絡みの試合で問題となった数多くのジャッジ、これらに“誤審・ミスジャッジ”という言葉を当てはめるのは間違っていると思うのだ。
 本来“誤審”とは、もっとランダムで、大きな偏りが無く、ミスであるという事以外に何ら他の意図が感じられないモノである。だが、韓国絡みの試合はその範疇を大きく逸脱していると言わざるを得ない。韓国が絡んだ試合で問題となったジャッジは、ほぼ全てが決定的な場面で発生したもので、それも全て韓国に極めて有利に働くジャッジであり、韓国チームを勝たせよう、または勝つためのヘルプをしようという意図すら感じさせるものであった。最早これは“誤審”ではない。それらは“不当判定・イリーガルジャッジ”と呼ばれるべきものである。

 まず今回の不当判定問題の発端となったのが、1次リーグ最終戦の韓国×ポルトガル戦であった。
 ただこの試合、駒木は不覚にも日頃の疲労蓄積が祟って、試合の全てを直接見届けたわけではない。そのため、以下の記述は伝聞や報道によるものが中心となる。もしもその内容に明らかな間違いがあった場合は、忌憚無く指摘して頂きたい。随時追記をしていこうと考えている。
 さて、この試合は前半でポルトガルに退場者が出たが、にも関わらず長い時間0−0の状態が続き、戦況は膠着状態となっていた。ところが後半、それもかなりの時間が経過したところで、ポルトガルは2人目のレッドカードによる退場者が出て、11人対9人となる事を強いられた。韓国に決勝点が入ったのはそれから間もなくの事だった。
 サッカーをよくご覧になる方ならご存知だろうが、サッカーで11人対9人になるという状況はかなり珍しいケースである。
 これは、退場者を出したチームの選手たちが2人目の退場者にならぬよう気を配る事もあるが、何よりも主審がかなり意識的にそういう事態を避けようと努力するからに他ならない。退場処分は個人に対する最終手段的なペナルティであり、それと同時に試合そのもののバランスを壊しかねない重大な判定である。そうそう濫発していいものではないのだ。ましてや2人目の退場処分となれば、尚更である。
 しかし実際にポルトガルは2人を失い、そして敗れた。9人でも時折チャンスを作ったりもしたが、ここまで人的な不利を被っては勝利は遠すぎた。
 そして勝った韓国は、1次リーグの勝ち点を7としてD組リーグを1位通過。逆にポルトガルは3位敗退となった。引き分けなら2位でリーグ通過となったポルトガルにとっては、まさに痛恨事と言っていい試合だった。

 とはいえ、この試合に関しては、その後の試合に比べると、不当ジャッジだと深く追求する声は少ない。
 あまり不平の声が上がらなかった理由としては、この試合で韓国が敗れていたとしても1次リーグを通過していた事をまず考えなくてはならないだろうし、それに加えて、ポルトガルの2人に対する退場処分が明らかに誤った判定であると指摘するには材料が乏しいという事が挙げられる。本当にレッドカードを出すほど重大な反則が犯されたのかどうかは別にして、確かに反則行為があった事は認められたからだ。
 それに、そもそもこの試合は、ホスト国が1次リーグ通過を賭けた試合であった。結果的に韓国は負けても救われる形になったが、戦前の予想では「負ければ即アウトに近い」とされていた事を見逃してはならない。

 これまでのW杯では、第1回以来、全てのホスト国がファースト・ラウンドを勝ち抜けている。
 これは勿論、これまでの開催国の大半が欧州と南米のサッカー強豪国に占められていた事や、全戦ホームで戦える有利さがあったも確かだ。だが、それより何より、「ホスト国は、出来る事なら1次リーグくらい通してやろう」という暗黙の了解めいたものが関係者の間に浸透していた事、これが殊のほか大きいのではないかと思われる。
 こう言うとオカルトっぽい印象を与えてしまうが、それは強豪国とバッティングし難いように設定されている組み合わせ抽選の方法からも窺う事が出来るし、実際にレフェリーの露骨な温情を貰って1次リーグを通過した、スペイン大会でのスペインのような前例だってある。
 箸にも棒にもかからないのなら仕方ないが、“あと一歩”という所まで来たのなら、さりげなく後押ししてやろう
……そういう意図めいたもの──それも公然の秘密に近い──が時々顔を出す。これもW杯の隠された一面である。敗れたポルトガル側が、全くと言っていいほど判定に対する不平を漏らさなかった事も、それなら納得がいく。

 さて、これを聞いて、皆さんはどう思われるだろうか?
 何とも言えない複雑な心境に至った方、「そんな事はあるはず無い!」と反発心を抱いた方、色々だろう。
 ただ、駒木はこの「ホスト国1次リーグ温情説」が事実だったとしても、別にサッカーやW杯に対して幻滅する事はない。当事者同士が納得しているのならば、それもまた良し、とさえ思う。
 これは駒木が競輪ファンであるという事も大きく作用しているのだと思う。競輪もまた、真剣勝負の中に地元選手を有利にしてやろうという暗黙の了解が働くスポーツである。レースの組み合わせも地元選手が若干有利になるように作為されるし、それを他地区の選手たちも尊重する。そしてその上で、「俺はプロだ。実力があれば勝てるはずだ」と、苦しい条件を跳ね返して正々堂々と1着を狙う。そこには人間の温かみと清々しさがある。その素晴らしさを駒木は知っている。そして恐らく、競輪選手たちと同じような境遇に身を置くサッカー関係者も同じ事を考えているはずだ。

 だから、ここで“全て”を終えていれば良かったのだ。
 そうすれば、「ホスト国1次リーグ通過のために、ちょっとだけやりすぎた例」が1つ増えるだけで、平穏無事にW杯は進行していったはずである。だが愚かしい事に、“全て”はここから始まってしまったのだ。
 競輪では、確かに地元選手有利のレースが組まれる。だが、地元選手を勝たせるために、他地区の選手を無かったはずの反則で失格にしたり、写真判定の結果を歪めて発表したりする事は無い。物事には、やって良い事と悪い事があるのである。

 しかし、その後の韓国の試合では、明らかにやってはいけない事、あってはならない事が起こってしまったのだ。

 …それではこれから、W杯72年間の歴史に残る汚点になるであろう幾つかの出来事、それについての話を進めてゆく事にする。
 
 決勝トーナメント1回戦・韓国×イタリア戦。
 会場やTVで試合を見守る我々の視界の中に、美形揃いのイタリア選手とは正に対照的な容姿の男が映りこんで来た。野球評論家のパンチョ伊東氏をスペイン系の顔にしたような小太りの男、それがこの試合の主審を務める、エクアドルのモレノ氏だった。
 試合開始のホイッスルを鳴らしてからの彼の行動は一貫していた。一貫して韓国寄りのジャッジを採り続けた。それは確実に、そして執拗に。
 ボールを持った韓国の選手が、イタリア選手と交錯して倒れる。すると、ほぼ必ずファウルの判定が下る。時には窮屈な胸ポケットからイエローカードも引っ張り出されたりもした。
 一方、イタリアの選手が韓国の選手に倒されても、なかなかホイッスルは鳴らされない。それが相当分かりやすいファウルでない限り、試合は韓国のインターセプトで続行された。イタリアの選手が臀部に足裏でタックルを受け、選手交代を強いられるほどの傷を負ったケースでも判定はノーファウルだった。
 それでも地力で圧倒的に勝るイタリアは、セットプレーから力ずくで1点をもぎ取り、自軍のゴールが脅かされても鉄壁の守備で得点を許さなかった。だが、長時間不当な逆境に置かれたツケは、最後の最後に回って来た。
 後半終了間際、ゴール前でDFが、普段では信じられないような連続のクリアミスを犯した。それを見逃すほど韓国の選手は無能ではない。ボールは静かに枠の中に飲み込まれていった。
 こうなれば、もう全ての流れは韓国のものだった。そりゃあそうだ。韓国は12人目のプレイヤーであるサポーターに加え、13人目の非常に頼れる男が、勝手に自軍に助太刀してくれたのだから。
 13人目の韓国プレイヤーによるトドメの一撃は延長戦に炸裂した。既にイエローカードを突きつけられていたイタリア・トッティのゴール前の転倒に対して、シミュレーションのイエローカード。つまりはレッドカードである。
 猛烈に異議を唱えるイタリアの選手たち。尋常ではない勢いだった。その激昂の理由はリプレーが映し出されて判明した。転倒したトッティは、確かに相手DFと接触して倒れていたからだ。ノーファウルならまだしも、これでシミュレーションは確かにおかしい。ましてやこんな重要な場面で退場処分を下されるほど悪質なプレイではない。
 このリプレーに対して、日本のTV中継の無能な解説者は「審判は良く観てますね」と放言していた。これに騙された視聴者も多かったはずだ。恥ずかしながら駒木も騙されかけた。試合終了直後、駒木に正しい指摘をしてくれたのは、一介のサッカーファンである友人だった。何から何まで滅茶苦茶な話である。
 これで11人、いや13人対10人。その後の結果は、もう言うまでもないだろう。

 …試合終了直後から、一部の地域を除く世界全土から怒りの声が巻き起こった。FIFAには数十万通の抗議メールが殺到し、サーバーをパンクさせた。欧米のマスコミも「スキャンダルだ」と書き立てた。マスコミ連が無邪気に「韓国快挙」と報じていた日本でも、水面下では、この試合における不当ジャッジと不当な結果について糾弾する声が次々と上がっていた。
 そして、どこからともなくこんな声が聞こえた。
 「次もあるぞ」
 ある人は「まさか」と思い、またある人は「だろうな」と思った。どちらにしろ、人々はただ目の前で起こる出来事を見守るしかなかった。

 それから4日が経った。その間、先の試合に対する批判の声は、強くなれど弱くなる事は無かった。
 そんな状況の中、数千万、いや数億の猜疑心に満ちた視線を浴びせられながら、準々決勝・韓国×スペイン戦がキックオフの時を迎えた。
 この試合に先立って、FIFAのプラッター会長は審判委員会に対して、「国籍に関係なく、有能な審判を起用するように」と異例の申し入れをしていたが、結局果たされなかった。各地域の審判委員が、「自地域から審判を」という地元エゴ丸出しの要求をゴリ押ししたと言われる。もしそれが真実だとすると、この試合は試合開始前に“終わって”しまっていた事になる。一体、誰のためのW杯なのだろうか。
 それでも試合は始まる。ゲームの主導権を握ったのは、やはり地力上位のスペイン代表チームだった。韓国イレブンも勿論健闘してはいたが、絶対的な実力差はどうにもならなかった。韓国はなかなかシュートすら打たせてもらえなかったが、スペインの攻撃は幾度となく韓国のゴール前に迫った。
 いや、実際にゴールネットを揺らす場面もあった。だが、本当にあったかどうか分からないようなファウルの判定によって取り消されてしまったのだ。リアルタイムでは“疑惑の判定”とは気付き辛い場面ではあったが、少なくとも延長戦で起こった出来事の予兆は既にあったという事になる。
 そして延長戦。ここに来て、これまでナリを潜めていた線審たちが突如としてスペイン代表に牙を剥き始めた。スペインが作った決定的チャンスやゴールが、次々とたった1本の小旗によってリセットされてゆく。ゴールデンゴール方式の延長戦で、少なくとも2回の決定的チャンスが取り消される異常事態。スペイン代表の監督と選手たちは、まず落胆し、それから猛烈に怒った。しかし、試合の結果だけはどうにも動かしようがなかった。
 気が付けば、勝負はPK合戦に委ねられていた。本当に馬鹿げた試合になってしまった。
 そして馬鹿げた試合のケリをつけたのは、やはり馬鹿げたレフェリングだった。
 PK合戦、スペインの4本目。ボールを蹴るまでゴールライン上から前に出てはいけないはずのゴールキーパーがスルスルと前へ歩み出て、シュートを弾いた。一部始終を見ていたはずの主審は、何事も無かったように試合を進行させた。韓国の“記録上の”勝ちが決まったのはそれから間もなくしての事だった。
 
 試合終了と同時に、スペインの監督と選手たちが次々と審判に詰め寄った。彼らの表情は怒りを通り越して悲しみに満ちていた。実際、控え室に戻ってから号泣した選手もいたらしい。そう、まさにこれは悲劇だった。
 そして、その映像が全世界に流れた直後から、またしても世界中から怒りの声が沸き上がった。起こっている事が誤審以上の何かであることは、もう疑いようが無かった。イギリスのマスコミなどは、「これは陰謀である」とまで書き綴った。たった2、3の試合によって、W杯の意義と価値が否定されそうになるという、大変な所にまで事態は進展していようとしていた。こんな重大事をまともに採り上げようともしなかったのは韓・日・中のマスコミくらいである。(追記6/30:中国のマスコミは、韓国から抗議受けるくらい激しく誤審報道をしていたそうです

 そんな不穏な空気の中、FIFAもようやく本気で強権発動の決意をし、来るべきドイツ×韓国戦の審判を、ヨーロッパの実力あるベテラン審判で固める事に決めた。審判は中立地域から、という原則を曲げてまでの特別措置。どこまで問題が重大化していたか、これだけとってみてもよく分かる。
 この特別措置が英断であったのは冒頭で述べた通りである。本当にギリギリの所で、W杯はW杯である事を許されたのだ。

 こうして、この不正ジャッジ騒動は一応の収拾を見た。真相解明の動きは大会終了後、徐々に始まり、そして恐らく全てが明らかになる事なく沙汰闇になるのであろうが、ここでも推測程度だが、一連の不正ジャッジについての分析をしておこう。
 まずポイントとなるのは、この不正ジャッジが、何らかの圧力によって審判たちに強要されたものであるかどうかであろう。ただ正直言って、その可能性は低いのではないかと思っている。少なくとも、韓国代表の現場サイドから買収などのオファーは無かった(と信じたい)。もしあったとするならば、背広組の最上層部、ドイツ戦の審判たちにすらイチャモンをつけたあの連中だろうと思われる。
 それよりも可能性が高いのは、買収のような直接的な圧力ではなく、FIFAや審判委員会の内部で、「なんとなく韓国有利にジャッジをしなければならない雰囲気」が、やはり韓国サッカー界の最上層部によって形成されていたというケースだ。これだと直接手を下さなくても、「ここで韓国サイドの心証を悪くするのは得策ではない」と審判たちやその上司たちに判断させるだけでいい。何しろ韓国はFIFAの副代表を擁するサッカー“政治”大国である。権力のある者が無い者を意のままに操る事の容易さは、我が日本の政治家と官僚の癒着構造を見れば一目瞭然だ。

 ……だが、これらはあくまでも推測である。必要以上に根拠の無い事を述べ立てるのは、もうこれ以上は控えておくことにする。

 とにかくこれは悲劇であった。本来なら正々堂々と勝負を挑んでいった韓国代表の選手たちは同情されるべき存在だったのかもしれない。だが、残念ながらそうはならなかった。少なくとも日本のサッカーファンの多くは韓国代表に憎しみにも似た感情すら抱いた。それは何故か?
 それは彼らが“外から与えられた勝利”に対して余りにも無邪気に喜びすぎた事が1つ。そして彼らを取り巻く環境、特に韓国サポーターと韓・日のマスコミの態度が非常に劣悪だったことがもう1つだ。
 日本のサッカーファンたちは、不正ジャッジ問題で大変なストレスを溜め込んだところへ、現実とあまりに乖離した一方的な韓国代表賛美を見せ付けられたのである。そこで辛抱が利くほど人間の心は出来が良くはない。坊主憎けりゃ袈裟まで…ではないが、怒りのベクトルは韓国代表チームに対して向けられるようになってしまった。

 では、日本の、そして世界のサッカーファンを憤慨させた韓国サポーターとマスコミの劣悪な姿は、果たしてどのようなものだったのだろうか?
 それでは以下から、この件についてもしばらくの間述べていく事にする。


 申し訳ありませんが、余りにも長文になりすぎ、講義1日分のスペースでは収まりきらなくなってしまいました。続きは日曜日にお送りする事にさせてもらいます。(続編に続く

 


 

6月27日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(6月第4週分)

 さて、今週もゼミの始まりなのですが……。

 困りました。レビュー対象作がありません(苦笑)。
 なんと、「ジャンプ」と「サンデー」からはレビュー対象作が無しという事態に……。
 一応「ジャンプ」には、『ピューと吹く! ジャガー』の代原として、『しゅるるるシュールマン』がまた今週も載ってるんですが、先週お知らせした通り、今回からこの作品はレビューの対象から外す事にしましたのでレビューしません。

 ただ、先週予告しました通り、「週刊コミックバンチ」で、あの「世界漫画愛読者大賞」グランプリ受賞作『エンカウンター〜遭遇〜』の連載が始まりましたので、そちらのレビューを行いたいと思います。

 …と、いうわけで、たった1作品のレビューとなりましたが、事情が事情ですので、どうぞご理解下さい。

 さて、まずは情報系の話題を少しだけ。
 先週のゼミでも少しだけ関連情報をお知らせしましたが、今週発売の「週刊少年サンデー」30号で、『KUNIE』作画:ゆうきまさみ)と、『どりる』作画:石川優吾)の2作品が同時打ち切り最終回となりました。
 これに関して、ゆうきまさみさんが公式ウェブサイトで、「一敗地にまみれて」という、そのまんまの(笑)題名のコラムを発表しています。(情報提供:最後通牒・半分版さん)
 コラムの全文はリンク先を参照して頂きたいのですが、思い切り話の風呂敷を広げたところで打ち切りが決まってしまい、伏線も何もかも放棄して終わらせざるを得なくなってしまったようです。まさに「志半ばで…」と、いったところでしょうか。
 しかし、何気なく書かれたコメント、「長いことやってると、こんなこともあるですね」。これ、非常に贅沢な一言だと思えるのは駒木だけでしょうか?
 まぁ、ゆうきさんは個人的には大好きな作家さんですので、次回作を期待して待ちたいと思います。

 また、終了した2作品の穴埋めですが、これは来週から5週連続で読み切りシリーズが始まると予告されておりました。ですので、新連載が始まるにしてもその後という事になりそうです。

 ……さて、それでは今週のレビューへ。1作品だけですが、全力で頑張ります。文中の7段階評価はこちらをどうぞ。

 《その他、今週の注目作》

 ◎『エンカウンター〜遭遇〜』(週刊コミックバンチ2002年29号掲載/作画:木之花さくや)

 もはやこの社会学講座とは切っても切れない関係となりました、この作品。第1回「世界漫画愛読者大賞」のグランプリ受賞作が、連載作品となって「バンチ」に再登場となりました。

 作者の木之花さくやさんのプロフィールと、「世界漫画愛読者大賞」エントリー作品となった、同名の読み切り作品の内容等については、3月13日付ゼミのレジュメを参照して下さい。

 さて、早速内容についてお話してゆきましょう。
 まず絵柄に関しては、特に問題は無いでしょう。さすがに長年キャリアを積まれて、連載も随分こなされている方だけあって、しっかりとした作画になっていると思います。ただ、いしかわじゅん氏に言わせると、「あんまり上手いとは思わない」だそうですが(笑)。

 そして次に、問題のストーリーです。読み切り掲載時は、話作りの基本がなっていなくてシナリオが破綻しまくっていたわけですが、果たして仕切り直しとなった今回はどうでしょうか?

 さて、もう結論から先に言ってしまいますが、「とりあえずはマズマズのスタートを切ったな」というところです。
 まず冒頭の巻頭カラーで、百年戦争の時代のイングランド人がインダス川流域で遺跡を発見して云々、という歴史的考証メチャクチャなクダリを見た時は果たしてどうなってしまうのやらと思いましたが、本編に入ってからは、読み切りの時のような無茶で強引なストーリー展開は影を潜め、かなり読み進め易い作品にはなっていました。
 そうなった理由としては、前回は1回で1つのエピソードを無理矢理決着させなければならなかったのに対して、今回は1年以上の連載と言うことで、じっくりとストーリーを展開させていけるという“ゆとり”があるからではないか、と思っています。恐らく、単行本1冊分で1つのエピソードを終わらせよう……などといった、ベテラン作家さんらしい構想があったりするのでしょう。
 ただ、これは逆に言えば、まだキッチリとした評価を下す事が出来るところまでストーリーが進んでいない、とも言えると思います。実際、この第1回は伏線を張るだけ張りまくっただけ、という感もあり、この伏線をどう収拾していくかを見届けないと、この作品の良否を判断するわけにはいかないような気がします。
 何しろこの作品には、読み切りの時に話を破綻させた“前科”があります。さらに今回でも、地下鉄の駅に入るだけで“電気酔い”のためにフラフラになっていた主人公が、その後には平気な顔して同じ地下鉄の線路を歩き回ってる…という矛盾をやらかしています。こんな事が他の伏線を処理する時に起こってしまったりすると、もう目もあてられぬ悲惨な事態に陥ってしまうでしょう。
 ですから、今回の評価は保留もう2〜3回様子を見て、いくつかの伏線を消化したところまで話がすすんでから、改めて評価を下したいと思います。

 あ、あと気になった点がもう1つ。
 この作品、新連載第1回ながら、ストーリー自体は読み切りの続きという事になっています。つまり、3ヶ月以上前に掲載された読み切りを、今の読者が読んでいる事が前提になっているわけです。これはちょっと不親切が過ぎると思うのですが、どうでしょうか? 
 駒木は当然の事ながら、読み切りを読んでいて、ストーリーも設定もほぼ頭に入っていますからスムーズに読めました。しかし、そうじゃない人(今回初見の人)にとっては、ひょっとしたら何もかもがチンプンカンプンだったのではないかと心配になってしまいます。
 何だか揚げ足取りみたいでアレなんですが、ちょっと気になったもので……。

 

 ……というわけで、唯一のレビューが評価保留という締まらない形になってしまいましたが、それも正確な評価を下すためですので、どうぞご理解ください。

 それではまた来週。来週は「ジャンプ」も「サンデー」も読み切りが掲載されますので、そちらのレビューが中心になると思います。 

 


 

6月25日(火) 文化人類学
「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権展望」

 今日は約2ヶ月半ぶりの文化人類学講義になります。

 ではまず初めに、“ちゆインパクト”後に受講されるようになった方のために、当社会学講座の文化人類学講義について説明しておきましょう。

 当講座では文化人類学の一貫として、フードファイト(大食い、早食い、早飲み)を研究対象にしています
 講義を実施するのは、主にTVでフードファイトの競技会が放映された時で、その内容はTV観戦レポート選手たちの戦い振りに関しての考察、さらには「フードファイター・フリーハンデ」のような選手たちの能力分析などです。
 また、研究に際しては「フードファイトは新種の競技スポーツである」という独自のスタンスをとっております。この点に関しては、ひょっとすると受講生の皆さんの認識と異なる部分があるかもしれませんが、講義を受講される中で幾らかでもご理解頂ければと思います。
 説明は以上です。

 ……では、説明が終わったところで、さっそく本題に移りましょう。
 毎年、アメリカの独立記念日である7月4日にニューヨークのホットドッグ店「ネイサンズ」では国際ホットドッグ早食い選手権が行われます。
 この選手権、詳しい概要に関しては後でまた紹介しますが、一言で表現するならば“世界最大規模の国際フードファイト競技会”という事になります。ホスト国アメリカは勿論のこと、イギリス、ドイツ、カナダ、そして世界一のフードファイト大国・日本などから各国・地区の予選を勝ち抜いた猛者たちが集結し、12分間でネイサンズのホットドッグをどれだけ食べられるかを競います。
 そして、その模様は毎年、アメリカの大手ニュースチャンネル・CNNを通じて全米及び世界各地へ配信されます。そのため、普段はフードファイトに全く無関心である日本の一般マスコミですら、この競技会の結果は結構な扱いで報道されたりします。W杯サッカーでアメリカがベスト8に進出したニュースすら1分足らずで済ませてしまうCNNですが、この国際ホットドッグ早食い選手権に関しては、ウェブサイトでも動画ニュースが配信されるくらい大きく扱ってくれますCNNではW杯サッカーよりもホットドッグ早食いの方が格上なのです。フードファイト愛好家としては、嬉しい反面、果たして世の中それでいいのかと思ってしまったりもするのが、この競技会なのです。

 さて我が日本では、今年の春に発覚した痛ましい事故のために、現在フードファイト業界は沈滞気味であります。が、当然の事ながら海を隔てたアメリカ合衆国ではそんな影響など微塵も無く、今年も7月4日に選手権が実施されます
 そしてその選手権には、昨年驚異的な大会レコードで初優勝を果たした日本代表の小林尊選手が、今年もまた優勝最有力候補として出場します。諸般の事情により、TV局による特番放映はありませんが、それでもCNNを通じて我々の前に雄姿を見せてくれる事でしょう。

 そこで今回の講義は、このネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権について採り上げ、また、大会直前の展望をお送りしたいと思います。

 ……それではまず、このネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権(以下:ネイサンズ選手権と略します)とは、どのような競技会か、というところからお話をしてゆきましょう。

 このネイサンズ選手権は、世界中に現存するフードファイト競技会の中で最古、もしくはそれに近いものと思われる非常に長い歴史を持っています。
 第1回のネイサンズ選手権が開かれたのは、アメリカが第一次世界大戦に参戦する直前(第一次大戦そのものは1914年に開戦)の、1916年の独立記念日・7月4日のことでした。また、会場であるネイサンズも、この年に1号店が開店しています。
 当時の参加者はわずかに4名。それも全てがヨーロッパ系移民1世でした。その選手権開催の趣旨は、時勢を反映して“アメリカ生まれの食べ物であるホットドッグを食べる事で、ヨーロッパ系移民たちのアメリカに対する愛国心をアピールするため”というもの。つまりは「愛国心ナンバーワン決定戦」だったというわけです。今となっては信じられませんが、アメリカのフードファイト史は、多分に民族的・政治的な問題の影響を受けてスタートしたことになります。
 そしてこの第1回大会が好評だったのか、これ以後、ネイサンズでは毎年独立記念日にホットドッグの早食い選手権を実施するようになりました
 それから現在に至るまで、選手権の開催が行われなかったのは、第二次世界大戦の激化に抗議するため中止された1941年と、国内の社会不安などに抗議するために中止された1971年の、わずかに2回だけ。驚くべき事に、それ以外の年は戦時中だろうが世界恐慌の真っ只中だろうが開催されていた事になります。それを考えると、そりゃ日本も戦争で勝てるはず無いわな、と思ってしまいますよね。日本では食料の配給が滞って芋の蔓とか食ってる頃に、アメリカではホットドッグの早食いやってるわけですから、こりゃあ話になりません。
 それに、よく考えれば今年も全米同時多発テロの9ヵ月後であり、対アルカイダ戦争の余波がまだくすぶっている段階。これが日本ならば、ほぼ間違いなく自粛しているような状況でしょう。そんな中でも開催できるというのは、アメリカという国の大らかさに加えて、もともとこの選手権が「愛国心ナンバーワン決定戦」という趣旨を持っていたためだと思われます。
 もっとも、随分前から愛国心丸出しの国家発揚イベントという性格は薄れていて、今では一種のお祭り的なフードファイト・イベントという認識を持たれています。海外から代表選手を招くのもそういうわけでしょうね。

 ところで、現在のネイサンズ選手権は、IFOCE(国際大食い競技連盟)なる団体が運営しています。
 この団体は、かつてネイサンズ選手権で活躍した元選手らによって結成されたアメリカ最大手のフードファイト団体で、さらにその会員として、全米各地及び各国のフードファイト競技会主催者が加盟しています。ちなみに、日本は「TVチャンピオン・大食い選手権」を主催しているテレビ東京のみが会員として名を連ねています。
 そしてネイサンズ選手権は、このIFOCEが運営するフードファイト競技会の中で唯一の国際競技会であり、それゆえに格別のグレードを誇っています。一応の大会参加資格は18歳以上というだけですが、実際に本大会に出場するためにはIFOCEやその会員が主催する、全米15箇所と英・独・加・日4カ国で行われる予選を勝ち抜いて代表枠を確保しなければなりません(前年度優勝者は予選が免除されて無条件で出場。その他にもIFOCE推薦枠が存在するようです)

 さて、このネイサンズ選手権ですが、ここ数年はホスト国アメリカを日本勢が圧倒する状況が続いています。
 一説によると、日本人選手は1980年代の後半からネイサンズ選手権に出場していて、7年連続で日本勢が優勝するなどの大活躍していたとも言われていますが、詳しい事はよく分かりません。ある意味、神話のような話ですね。(追記:1986年に富永弘明氏が優勝し、フジTVの番組で放送されたという事実が判明しました。ただし、他の年の大会については依然として不明です)
 日本でテレビ東京主催による予選が行われ、正確な記録が残されるようになったのは1997年から。この年、日本は3つの本戦出場枠を与えられ、中嶋広文・新井和響・村野達郎の3選手が日本代表として選出されました。そして本大会では、中嶋広文選手が、ホットドッグのパンとソーセージを別々に食べる“東京スタイル”を駆使し、12分間でホットドッグ24本1/2という世界レコードを樹立して優勝新井和響選手も24本で準優勝を果たし、日本勢の見事なワン・ツーフィニッシュとなりました。今から考えると、この年の選手権は、フードファイト大国・日本の原点となるものだったと言えるでしょう。
 しかしこの大会後、中嶋選手とテレビ東京の間でトラブルがあり、両者がほぼ絶縁状態になるという最悪の事態となりました。その結果、中嶋選手はディフェンディング・チャンピオンとしてネイサンズ選手権に翌年以降も出場する一方で、彼が出場する以上はTV画面に彼の姿を映さなければならないテレビ東京は大会参加をボイコットすることに。中嶋選手が98年に二連覇を達成した後、99年にアメリカ人選手に敗れて(準優勝)現役を引退するまでの2年間、この憂慮すべき状況が続く事となりました。
 中嶋選手の現役引退に伴い、テレビ東京による日本予選が再開されたのが2000年です。この年も日本は代表枠3を与えられ、3年前の準優勝者にして「TVチャンピオン」早食い選手権者だった新井和響、さらに藤田操赤阪尊子を加えた、日本フードファイト界を代表する3選手が本大会出場を果たしました
 そして本大会では新井和響選手25本1/8の新記録で悲願の初優勝。残る日本勢2人も、藤田操選手が準優勝で赤阪尊子選手が3位と、日本人選手が表彰台を独占するという慶事となりました。まさに空前絶後の大偉業と言えましょう。
 その翌年、2001年の日本代表枠は前年度優勝の新井選手を含めて2つ。代表枠削減の理由は不明ですが、駒木個人の推測としては、前年の表彰台独占のような事態が続くとホスト国アメリカの立場が無いので、日本に“遠慮”をしてもらったのではないかと思っています。
 この年の日本代表は、新井選手と、前年末にデビューして以来、国内メジャータイトルを総ナメにしていたスーパールーキー・小林尊選手。特に、デビュー以来無敗の快進撃を続ける小林選手の戦い振りに注目が集まりました
 そんな注目を集めた本大会で、我々は信じられない光景を目にする事になりました。
 それは、これまでの常識を根底から覆すような小林選手のビッグ・パフォーマンス。前年に新井選手が樹立したばかりのレコード・25本1/8を前半の5分でアッサリと更新するや、とうとう最後は
50本まで記録を伸ばしてしまったのです。新井選手も王者の意地を見せて記録を伸ばすも31本まで。新世紀に相応しい豪快な王座交代劇となったのでした。

 ……と、こんな歴史を歩んできたネイサンズ選手権。今年は第85回大会となります。それでは今回の日本代表選考状況と本大会展望をお送りします
 まず国内代表の選考についてですが、今年も例年通り、テレビ東京による国内予選が実施される予定でした。しかしこれが諸般の事情により中止となり、代表枠を返上することとなりました。
 そういうわけで、一時は代表派遣そのものも危ぶまれたのですが、今年設立された日本初のフードファイト選手プロダクション・FFAのバックアップにより、前年度チャンピオンの小林尊選手が無事出場できることとなりました。また、FFAサイドは、FFAの主力選手である高橋信也選手のIFOCE推薦枠での出場も要請。IFOCEはこれを一旦は許可したのですが、IFOCE側が会員であるテレビ東京との関係を考慮したのか、後に高橋選手の出場許可を撤回してしまいました。というわけで、残念ながら今年の日本代表は小林選手ただ1人という事になります。
 随分と手薄になってしまった日本勢ですが、だからといって、フードファイト大国・日本の牙城は揺らぐ事はありません。ここ最近、保持していた国内主要タイトルを失うなど、その栄光に若干の翳りが見えてきた小林選手ですが、外国勢との実力差は歴然としています。余程のアクシデントや有力新人選手の登場が無い限りはV2の可能性が極めて濃厚でしょう。むしろ焦点は、昨年樹立された12分間50本という超人クラスのレコードを更新できるかどうか。日本のフードファイトのレヴェルはこの1年で飛躍的な向上を遂げていますから、おそらく今年もとんでもない記録が生まれるのではないかと思われます。

 そんな注目の第85回ネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権は、現地時間の7月4日正午、日本時間の7月5日未明に行われます。恐らく日本では7月5日の午前中にはCNN経由で結果と映像が見られることになると思いますので、受講生の皆さんも注目してください。

 それでは、予想外に長くなりましたが講義を終わります。(この項終わり)

 


 

6月24日(月) 教育実習事後指導(教職課程)
「教育実習生の内部実態」(5)

 すっかり間延びした展開で失礼しております。ついに5回目に突入してしまいました。出来れば7月早々には決着させたいと思っております。

 これまでのレジュメはこちらから↓
 第1回第2回第3回第4回

 さて、今日は実習生控え室でのお話をしてみたいと思います。

 実習生は学校内では、原則的に現役教員に準じる扱いを受けます。朝の職員朝礼にはキチンと出席しなければなりませんし、授業が全て終わっても、俊足の帰宅部の生徒のように、チャイムが鳴り終わる頃には校門の外、というわけにはいきません。職員室には実習生用の出勤簿まで用意されていて、キチンと毎日捺印しなければなりません。実習期間中は、特別な事情が無い限り、ちゃんと8時間働くまで校内にいなければならないのです。
(実は駒木はその“特別な事情”により、教育実習で“半休”を頂いた事がありますが、それはまた次回か次々回にて述べることにします)

 ただし当然の事ながら、職員室に実習生の机はありません。実習生は、控え室と称される部屋を全員で1つ与えられ、そこで授業準備などの雑務をこなす事になります。
 控え室には、大抵は小会議室などが割り振られるようですが、駒木が実習した時は何故か進路指導室が控え室に使われました。我が母校は、生徒の3/4以上が漫然と大学を目指し(しかもその過半数は浪人する漫然さ!)残りの1/4は自分で専門学校をチョイスするような学校でしたので、進路指導はさほど重要なセクションでなかったのですが、それにしてもその間の進路指導はどうするのだろうかと不思議に思ったものです。

 さて、その進路指導室ですが、大体カラオケボックスのパーティルームくらいの中途半端な広さでありました。そこへ長机とパイプ椅子を人数分入れて緊急の控え室を作り上げます。
 まぁ、それはいいんですが。しかし、駒木が実習をした年は総勢20人と言う大所帯でしたので、進路指導室は隙間無く机と椅子に埋め尽くされた、まるで映画に登場するマフィアの幹部会のような妙な密集隊形になってしまいました。ビートたけしがいたら、「ファッキンジャップくらい分かるんだよ」とか言いながら発砲しそうな感じです。これで男子校だったら目も当てられない惨状でしたが、このシリーズの第2回で述べました通り、駒木の実習の時は男女構成が2:18という、バブル景気時代の不動産屋が来店した六本木キャバクラのVIPシート状態でした。
 それはもう“両手に花”どころではありません。特に駒木は何故か上座の中央を確保してしまいましたので、両翼に花のショットガンフォーメーションを引き連れるクォーターバックのような壮観となりました。ましてや、近くの女子実習生が胸元の開いた服などを着てきた日には、マンガ『プリティフェイス』の主人公・乱堂政よろしく頭がクラクラしたものです。
 …………あ、なんだか、男子校で実習した方から、スペイン人とイタリア人から韓国人に対するような怨念と殺気が発せられるのを感じましたので、これ以上は止めておきましょう…。

 ただ、言っておきます。男女比は確かにキャバクラ状態でした。女子実習生は揃って美人でもありました。が、当然の事ながら女子実習生はキャバクラ嬢ではありません。日本国内で最も男女同権と言われる職業・公立学校教諭を目指す、勇ましい女性達であります。

 ──そう、そこはまさに女の世界でありました。
 和気藹々とした空気の中でも、確かにアイデンティティがぶつかり合い、共鳴し、火花を散らす、そんな場のムードであります。
 そう、それはまさにドラマ『ショムニ』のような光景でありました。しかも女子実習生は18人いますから、江角マキコ演じる坪井千夏率いる庶務二課が、およそ3セットいる計算になります。
 皆さんはどう思われますか? 江角マキコと戸田恵子が3人ずついる職場アンパンマンの声がいつでも聞けて便利、などと言ってる場合ではありませんぞ。
 まぁ、駒木は1浪していた上に塾講師経験者だったために他の実習生からは一目置かれていましたし、同じ世界史の実習生Gさんが、容姿・行動共に京野ことみ演ずる塚原佐和子そっくりだったということもあって、まるで石黒賢演ずる右京友弘のような気分でいられました。しかし、もう1人の男子実習生、現役組で気弱なK君などは、まるで森本レオ演じる課長さんのように肩をすくめっ放しの日々を送るハメになってしまいました。彼が2週間、控え室でロクに喋る機会が無かったことを今更ながらに思い出します。

 ところで受講生の皆さんは、「よく、そんなに細かく役柄を当てはめられるなあ」とお思いかもしれません。しかし、答えは簡単です。実習中、ずっと「この人はどのキャラか?」と考えっ放しだったのです。
 この娘は坪井千夏、この娘は徳永あずさ(戸田恵子)、で、この性格キッツイ娘は杉田美園(戸田菜穂演ずる秘書課リーダー)……などといった具合。これは言ってみれば、実習中の密かな楽しみでありました。
 しかし、この作業をやっていて困った事がありました。適役になる実習生が見当たらない配役があったのです。

 それは、宮下佳奈。ドラマでは櫻井敦子が演じた、大人の女の色気をパチスロのモーニングサービスの様に大放出する、“フェロモン女王”というキャラクターです。
 まぁ、色気振りまきまくりの実習生、というのもフランス書院文庫みたいな話でアレですから、それはそれでいいのですが、なんだか画竜点睛を欠くような感が否めませんでした。

 ん〜、残念だなあ。あと一息なのに……
 とまぁ、そうやって人知れずにちょっと落胆していた駒木でありました。
 が、しかし。
 間もなくしてその落胆は驚きに変わりました。

 ……それは実習期間を半ばも過ぎた時に催された、恩師を交えたプチ同窓会の席でした。会場は、せっかく全員成人したのだからと居酒屋となりました。
 参加したメンバーは、先生数名に加えて駒木と同期の女子実習生が5名ほど、といった構成。メンバーの中に坪井千夏型や徳永あずさ型が混じっていたこともあり、宴はあっという間にたけなわになってゆきました。
 が、その中で、控えめにビールが注がれたグラスを静かに傾ける女子実習生が1人実習生控え室でも終始無口で大人しくしていたCさんでした。彼女は、駒木が『ショムニ』の配役をあてはめようとしても上手く出来なかった数少ない実習生でもありました。
 あー、この娘、こんな時でも大人しいんだなあ…などと思った、その時です。
 Cさんは、ふと思い立ったように、おもむろにハンドバッグを取り上げると、その中からシガーケースを取り出し、1本のタバコを口に運びました。そして、ニコッと大人の笑みを浮かべて一言。
 「……すいません。火、貸していただけます?」
 その瞬間、確かにフェロモンが居酒屋中に充満するのを感じました。
 それが、配役コンプリートの瞬間でありました。
 

 ──さて、いかがだったでしょうか? 受講生の方で教育実習を経験された事のある方はどんな控え室の雰囲気だったのか、また談話室でお話を聞きたいと思います。
 では、次回はいよいよ実習の根幹、授業実習についてのお話をしてみたいと思います。(次回へ続く) 

 


 

6月23日(日) 文献講読(小説)
『夏、雲ひとつ無い夜に─』(4・最終回)

※この講義は小説です※

 第1回はこちら、第2回はこちら、第3回はこちらから。

 「──おぉ、お疲れさん」
 シツレイシマス、という裏返った声と共に監督室に入って来た中林を、その部屋の主はそんな言葉で迎え入れた。
 穏やかで気さくな印象を与える一方で、いざとなれば有無を言わせぬだけの威厳をも含んだ低い声。
 そして、白髪混じりの短髪に覆われた、やや浅黒い小皺だらけのその顔も、見る人に声の持つそれと同じ印象を与えることだろう。普段は人懐っこい柔和な表情をしているが、そのベースには、確かにえも言われぬ迫力が秘められている。
 「まぁ、もうちょっと楽にせえや」
 監督は、いかにも管理職が使うような大きなデスクに着席したまま、少し関西弁交じりのイントネーションで中林に語りかけた。一般企業で言えば、「社長室にやって来た平社員の図」、ということになるのだろう。
 確かに中林はガチガチに緊張していた。まるで儀式でVIPを待ち構える自衛隊員のような姿勢でデスクの前に立ち尽くしていた。
 楽にせえ、と言われても無理な話だった。監督と話をするのは入団以来3回目くらいだったし、一対一でとなると初めての事になる。それに加えて、今回は呼ばれた要件が要件だということもある。
 いつまで経っても“気をつけ”の姿勢を解こうとしない中林を見て、監督は失笑と微笑の中間のような笑みを浮かべ、それからおもむろに口を開いた。
 「3週間、お疲れさん。どうやった? 一軍の現場は?」
 「あ、はい──」
 返事をした後、息を思いっきり吸い込んでいまい、むせかえりそうになりながら、中林はなんとか言葉を繋げた。
 「とても楽しかったです……あ、いや、こんな風に言っちゃいけないのかも知れないっすけど、何て言うか…、プロに入ってこんなに野球が楽しいと思えたことなんて無かったです。出来る事なら、ずっと一軍にいたいと思いました!」
 緊張の余り、自分でも何を言ってるか分からないまま、まくし立てていた。一番最後の部分は、そんな中で発した、今の彼なりのせめてもの抵抗だった。
 中林が話しているの言葉に、監督は眉一つ動かさず耳を傾けて、それからまた、おもむろに口を開いた。
 「そうか。そう言ってもらえると、こっちとしても一軍に呼んだ甲斐があったっちゅうもんや──」
 監督はそこまで言った後で一瞬間を開け、少しだけ表情を硬くして続きを口にした。
 「──けど、悪いな。お前には明日、二軍に戻ってもらわんといかん」
 中林にとって、それは予想されていた言葉だった。
 しかし、いざ本当に言われてしまうと、やはりショックはとてつもなく大きかった。目の前が真っ暗になるという感覚を、中林は初めて体験した。刑の執行を宣告された死刑囚もこんな気分なんだろうな、とショート寸前の頭で中林は思った。
 「まぁ、そんな世界が終わったような顔するな。お前が二軍に戻るのは3週間前から決まってたやろうが」
 「──え?」
 監督の言葉に対して、中林の口から思わず声が漏れた。一瞬で正気を取り戻すような一言だった。
 「なんや、何も聞いてなかったんか?」
 「あ、いえ──」
 中林は3週間前、彼の一軍昇格を告げた時に二軍監督が言った言葉を思い出した。
 「……そういえば、『3週間勉強して来い』って言われたような気がします」
 それを聞いて、監督は途端に怪訝な顔をした。
 「あぁ? なんやアイツ、そんな言い方しとったんか。困ったヤツやなぁ」
 そう言った後、今度は表情を柔和なものに戻して、中林に語りかけた。
 「まぁええわ。誤解の無いように説明しとこか。ケガ人が出て1人入れ替えると決まった時に、俺から注文出したんや。戦力の補充はせんでええから、とりあえず夏場の長期遠征でも夏バテせえへんようなイキのええ若いヤツを1人よこしてくれ、とな。試合の方は代走か守備固めくらいで使えるだけで構わんから、目一杯ベンチのムードを盛り上げてくれそうなヤツがおったら、是非よこしてくれ。そう頼んだんや」
 ──おい、なんだよ、それ……
 想像もしていなかった真実。それを知って、中林は全身の力が抜けていくのを感じた。
 ──それってなんだよ、俺は初めから全く期待されてなかったってことかよ。なんだよ、バカみてぇじゃん。勝手に1人で気合入れて試合でハリキったりして、アウトになりかけて、何度も頭から滑り込んでユニフォームドロドロに汚して……。何やってたんだ、俺。何バカやってたんだよ、俺は……
 ネガティブな感情の嵐が一気に押し寄せてきた。涙腺が刺激される。目から熱いものがこぼれ落ちそうになるのを、中林は必死にこらえた。
 そんな中林の気持ちを知ってか知らずか。監督の話は続いていた。
 「──まぁ、事情を知らんかったんやとしたら、悪い事したな。でもまぁ、これもプロの世界の厳しさやと思って諦めてくれ。お前もプロの端くれやったら、その辺は分かるやろ?」
 「………ハイ」
 中林は、かすれた声でそう答えるのが精一杯だった。
 それから監督の話は、中林が明日するべきことについて、ということに移った。遠征の疲れがあるだろうから明日の午前中一杯まではゆっくり休んで、二軍宿舎に戻ってからも午後の練習は出なくていいということ。分かっているだろうが、帰る前にちゃんと然るべき所に挨拶は済ませておくこと。一軍選手に支給されたバットで、感覚が合わないという理由で使われない物があるから、よかったら持って帰っていいということ。監督も、こういう形で二軍に戻ってゆく中林を気の毒に思っていたのだろうか、かなり微に入り細に入り、といったアドバイスになった。しかし、当の中林はそれをまともに聞ける心境ではなかった。心がこもった風に聞こえる生返事をしながら、もうこうなったら早くこんな息苦しい場から出てしまいたいと思っていた。
 「──まぁ、そんな感じやな。気をつけて帰れよ」
 「ハイ。ありがとうございます」
 やっと終わったか、という心の声を飲み込んで、中林は「それでは失礼します」と言ってその場を辞そうとした。が、中林が「そ」を口に出す瞬間、監督の方から再び口を開いた。
 「ところで中林、ちょっと訊きたいことがあるんやけどな」
 「ハイ?」
 「お前、正直に言ってみ。今日、試合に出たあの場面、何かやろうと狙っとったやろ?」
 20年選手をも萎縮させると言われる、監督の静かな迫力に満ちた声。中林は背筋が凍りつくのを感じた。
 「あ…いえ……」
 二の句が、接げない。
 「俺もこの世界でメシ食ってもうすぐ40年になるけどな。あんな景気悪い顔で決勝のホーム踏んだヤツは初めて見たぞ」
 そう言って、監督はニヤリと笑った。しかし、目は笑っていなかった。
 緊張と恐怖で冷や汗すら引いてしまいそうな状況の中、中林はポツリと呟いた。いざ喋る段になると本音が出てしまう彼らしい言葉になった。
 「……ハイ、狙ってました」
 言った瞬間に「マズいな」と思った。チームプレーを無視したことを認めたことになるからだ。しかし、もう仕方ない、どうせ二軍に落ちる身だと、中林は腹を括った。
 だが、彼の耳に飛び込んできたのは怒鳴り声ではなくて笑い声だった。
 ガッハッハー、という豪快な笑い声の後、監督は困ったような嬉しいような複雑な顔で「おい、お前なぁ」と中林に呼びかけた。
 「ハイ?」
 「お前なぁ、そういう時は腹の底でそう思ってても口に出したらアカンのやぞ」
 「……すいません」
 「まぁええ。そういうトッポい所も若さに免じて許したろ」
 中林は、その「許したろ」の一言で、初めて場の緊張が緩んだように感じた。
 「…どうしても良い所見せたくて、やりました。すいません」
 「謝らんでええ。それくらいでないとプロは務まらんからな。俺はただ、そういうのは口に出したら面倒になるぞ、て言うただけや。ホラ、『口は災いの元』って言うやろ?
 まぁ、スタンドプレーやりやがってって怒ってたヤツはおったけどな。マズい結果さえ出さんかったら、後はどうにかなるもんや」
 監督の話を聞きながら、中林の頭の中では守備走塁コーチの顔が浮かび上がっていた。スタンドプレー云々と言ってたのは、多分あの人なんだろうなと思った。
 「──おい、中林。お前は今日の結果に不服やったかも知れんけどな、俺はお前の働きを評価しとるんやぞ」
 「あ、ありがとうございます!」
 思ってもみなかった言葉だった。先刻とは別の種類の涙が溢れ出そうになった。
 「──お前が必死になってホームを狙おうとするその気持ちやプレーがやな、相手のピッチャーに4つ目のボール球を投げさせるプレッシャーを与えたはずやと思うんや。…まぁそりゃあ、お前よりもバッターボックスの方を気にしてたのは確かやろうけどな。それでもあの場面で3塁ランナーにチョロチョロ動かれると嫌なもんなんやぞ」
 「は、ハイ!」
 「…で、それでや。今、俺がお前に何を言いたいかが判るか?」
 「……え?」
 突然の質問に、口をポカンと開けて呆然とする中林。しかし、監督はそうなることを見越していたかのように、諭すような口調で言葉を繋げた。
 「…今日のお前は、試合の中で分かりやすい結果を出そうと躍起になってたな。まぁ、それも間違いとちゃう。あの場面でお前がホームスチールでもやってたら、それこそ大ヒーローや。
 けどな、野球っちゅうのは目に見えるもんだけが全てやないんやぞ。さっき俺が言ったみたいに、目に見えんプレッシャーを相手に与えることもできるんや。
 例えば大投手と言われるような選手はな、マウンドに立つだけでバッターを萎縮させるような迫力があるもんや。大打者と言われる人も同じや。もちろんそれは、実力に裏打ちされた自信が相手に伝わってそうさせるんやけどな、野球に限らず何にでもそういうことはある。
 なぁ中林よ。お前も今日みたいに危ない橋渡りながら頑張るのもええけどな、せっかく速い足持ってるんやったら、ただ塁に立ってるだけでピッチャーにプレッシャー与えるような選手になってみたらどうや? あいつは足速い。2塁からでも普通のヒットでホームに戻って来る。塁に出るだけで怖い。…そういう存在になってみい。そうなったら、今度はバッターボックスに立った時も怖いと思ってもらえるようになるぞ。外野守るにしても、『あいつ、足速いから守備範囲広いんやろうな』と思ってもらえる。な、そうなったらこっちのもんや。
 ……とりあえず、今回はこれで二軍に戻ってもらうけどな、今度は相手にとって怖い選手になって、また一軍に戻って来い。その時は3週間やない長い付き合いしようやないか」
 中林は直立不動で監督の言葉を聞いていた。体中に力を入れていないと、どうにかなってしまいそうだった。そして、話が終わると、
 「…ありがとうございます!」
 と言って、高校球児のように深々と一礼した。
 監督はそれを見て、「ん」と満足そうにうなずくと、もう一度「気をつけて帰れよ」と言って退室を促した。しかし、中林はそれに応ぜず、
 「──監督、最後にお願いしていいですか?」
 と、言った。監督は、また怪訝な顔をしたが、「なんや、言ってみい」と、部下の発言を促した。
 「監督、俺の荷物、宿舎まで運んでいただけませんか?」
 「何?」
 何を言っとるんだ、コイツは、という顔をする監督を無視するように中林は続けて言った。
 「俺、今から宿舎まで走って帰ります。帰って練習したいんです。よろしく、お願いします!」
 すると監督は、先刻よりも大きな声でガハハと豪快に笑うと、
 「よっしゃ、分かった。確かに引き受けたから、気ィつけて帰れよ」
 そう言ってまたガハハと笑うと、中林に改めて退室を促した。彼は「ハイ、ありがとうございます!」と、もう一度深々と礼をした後、入室の時とは違い、張りのある大きな声で「失礼します」と言って、一目散に廊下を駆け出した。
 廊下に出ると、一軍の選手が帰り支度を済ませて球場の外へ出ようとするところだった。中林は先輩たちに「失礼します」を連発しながら人の波をすり抜け、ただただ全速力で廊下を走りぬけた。呆然とした一軍選手たちの顔が、やたら可笑しかった。
 やがて、外に出た。試合が終わって既に小一時間。選手用出入り口は観客の目につかない所にあることもあって、さすがに辺りは静寂に包まれていた。あるのは、アスファルトで舗装された地面と、殺風景な球場の風景。
 「──よし!」
 中林は一度立ち止まり、一声あげて、それから両手で自分の顔をバシバシと張りとばしてから、もう一度駆け出した。
 ──相手が怖がるような選手、か。
 中林は走りながら、監督から聞いた言葉をもう一度噛みしめていた。
 果たしてそんな選手に自分はなれるのだろうか、という不安はないわけではなかったが、それ以上に体中から得体の知れないエネルギーが溢れ出て、それをたちまちに打ち消した。
 ──またいつか、ここに……。
 走ったまま、中林は後ろにそびえ立っている球場を振り返った。明日からまた、ボロボロの二軍用球場での日々が始まる。でも、いずれここに戻ってやるんだと思うと、それも気にならなくなった。ついさっきまでブルーだったのに自分は単純だなと思うと、また可笑しくてたまらなくなる。ついには堪えきれなくなって、声を出して笑った。思いっきり笑ったら、自然と顔が上を向き、空を見上げるような形になった。
 夏、雲ひとつない夜に、満天の星空が浮かび上がっていた──(完)

 


 

6月22日(土) 競馬学特論
「G1予想・宝塚記念編」

珠美:「いよいよ春シーズン最後のG1レースになりましたね。宝塚記念の直前予想です」
駒木:「散々だった春シーズンも漸く終わるのか。長かったねぇ(苦笑)」
珠美:「本当に今年は皆さんに御迷惑をかけてばかりでした。最後ぐらいはビシッと当てたいものですよね。
 あ、でも、博士と私の本命馬が重なると当たらないジンクスが……(汗)」

駒木:「あー、本当だ。またカブってるねぇ(苦笑)」
珠美:「ハイ。そうなんですよねー(苦笑)。
 あ、博士と私の予想はこちらの出馬表をご覧下さい」

宝塚記念 阪神・2200・芝

馬  名 騎 手
  ローエングリン 横山典
×   テンザンセイザ 四位
ダンツフレーム 藤田
× エアシャカール デザーモ
    マチカネキンノホシ 岡部
×   フサイチランハート 江田照
    トウカイオーザ 熊沢
  ホットシークレット 柴田善
ツルマルボーイ 河内
    10 ミツアキサイレンス 川原
    11 アクティブバイオ 後藤
    12 トウカイポイント 小林淳

駒木:「他の印はバラバラなのに、どうして本命だけカブっちゃうかな(苦笑)」
珠美:「ホントですね(苦笑)」
駒木:「まぁ、ここで言っても始まらんし、藤田騎手とダンツフレームにジンクスを破ってもらうしかないよね。
 …じゃあ、愚痴ばっかり言ってないで本題に移ろうか。珠美ちゃん、いつも通り進行をお願いするよ」
珠美:「ハイ、分かりました。それでは今日も博士に1頭ずつ解説していただきます。まずは1枠1番、唯一の3歳馬・ローエングリンからお願いします」
駒木:「まずは3歳馬が果敢に挑戦してくれた事に敬意を表したいね。これでこのレースの興味深さが大分変わってきたと思うしね。
 で、この馬の評価なんだけれども……。
 3歳馬の挑戦と言うと、ここ10年ではたった1度、6年前にマル外牝馬のヒシナタリーが挑戦してる。この時は斤量52kgで、13頭中10番人気の4着と健闘してるね。3着のダンスパートナーとハナ差だから、この4着は価値が高いと言っていいんじゃないかな。
 ヒシナタリーのこの時点での主な実績は、G3フラワーC勝ちと、NHKマイルC6着ってところかな。後になって古馬の牡牝混合重賞やら阪神牝馬特別(G2)やら勝ってるから、潜在能力はソコソコ高かったんだろうけど、当時としては二線級という評価だった。それでこの健闘だから、『やっぱり斤量差は大きいんだな』って言われたもんさ。
 そして今回のローエングリン。当時よりも斤量差は1kg有利になって、なおかつメンバーにも恵まれてる。実績面を見ると、重賞勝ちこそ無いけれどもヒシナタリーとほぼ互角と考えて良いだろうね。ペースを抑えて逃げられそうなのも有利のはずだし、上位に食い込む可能性は十分過ぎるほどありそうだ。でもねぇ……」
珠美:「でも、何ですか?」
駒木:「いくら前途有望な未来のG1馬候補とは言え、今年の出走馬レヴェルが低いとは言え、格下相手のオープン特別を2勝しただけの3歳馬が宝塚記念勝っちゃうのは、いくら何でもファンタジーの世界だって思ってしまうんだよねぇ。何と言うか、W杯で日本や韓国が優勝しちゃうみたいな、そんな違和感。僕は掲示板止まりかなって、そう思っているよ」
珠美:「…逃げるのはこの馬と考えて良いですか?」
駒木:「そうだね。普通にスタートを切れば、自然とハナを切る形になるんじゃないかと思う。ハナに立てさえすれば、まぁ競りかけられることも無いだろうね。あとは決め手勝負になった時にどれだけの脚が使えるかだろう」
珠美:「…なるほど、分かりました。それでは、次に2枠2番のテンザンセイザをお願いします」
駒木:「3歳時は京都新聞杯を勝った後にダービー6着。そして京阪杯を勝って、4歳になってから重賞3着が2回か。前々走の大阪杯は好位でのケイバを試して失敗したものだから度外視するとしても、ややG1だと格下感は否めないよね。
 それでも、決め脚だけは強烈だからねぇ、この馬。今回は2着争いが相当混戦になりそうなんで、地力無視の瞬発力勝負になった時なんか、この馬がギリギリ突っ込んで来てもおかしくはないと思う。あくまで伏兵だけどね」
珠美:「では、次に私たちの本命馬、そして前日前売りオッズ1番人気3枠3番ダンツフレームをお願いします」
駒木:「安田記念は2着に負けたとは言え、あっぱれな内容だったよね。元々がクラシック戦線でジャングルポケット辺りと互角以上の勝負を繰り広げてた馬。本調子になればアレぐらいは走って当然だったんだ。
 で、今回だけど、気が付いたら回避馬が相次いで、いつの間にかこの馬が一番格上になってしまってた(笑)。元々が中〜長距離で活躍していた馬だから距離延長はむしろプラスだろうし、地力勝負と決め手勝負、どちらでも対応できる奥の深さも有る。馬自体のデキも、ここしばらくでは最高のものだし、文句無しの最有力候補だと思うよ。
 問題を挙げるとすれば、これまでの実績を見ての通り、土壇場での勝負弱さがあるところかな。足元すくわれて取りこぼすパターンが怖いといえば怖い。元々、G1勝って当たり前のレヴェルじゃないわけだしね」
珠美:「楽しみ半分、怖さ半分ってところでしょうか(苦笑)。それでは次に4枠4番、今回のメンバー中、唯一のG1ホース・エアシャカールの解説をお願いします。意外と博士の評価が低いのが気になるんですけど……」
駒木:「うん。思い切って評価を下げたからね。
 このエアシャカール、皐月賞と菊花賞を勝って、ダービーではハナ差の2着本当にあと一歩で三冠馬に手が届いた馬なんだけど、この世代でクラシック走っていた馬は、揃ってその後が大不振でねぇ。マル外のアグネスデジタル、エイシンプレストンが国内外で大活躍したのとは正に好対照なんだ。もし、この馬が三冠馬になってたら、“史上最弱の三冠馬”という有り難くない称号を貰うのは必至だったと思う。だからG1を2つ勝ってるって言っても、多少の修正が必要だと思うね。
 この馬の特徴としては、とにかく決め脚が無いってこと。上がり3ハロンのタイムが35秒を切ったのは1回しかない。その1回にしたって34秒9だからね。直線半ばで抜け出した後に、後ろから来た馬にズブズブと差されるのがこの馬の負けパターン。その代わりハイペースでも35秒台の脚が使えるから、決め脚タイプの馬が道中で脚を使わされて伸びあぐねる流れになると強いんだな。
 ただ、今回のレースはどう考えても決め手勝負だからねぇ(苦笑)。3〜4番手から早目先頭に立って、ゴール前でバタバタと交わされるのが目に浮かぶんだな(苦笑)。果たして交わされるのは1頭なのか、2頭なのか。しかも調教の様子を見るとデキもイマイチみたいだから、一旦先頭に立つ事も無く失速する可能性も少なくない。ちょっと悲観的な見方しか出てこないんだよね。だから僕の評価は×印止まりってわけ」
珠美:「騎手が外国人のデザーモ騎手というのはどうなんですか?」
駒木:「うん。それはプラスだね。ひょっとしたら、これまで見せた事の無い新味を出してくれるかもしれない。ただ、前々走の大阪杯でデムーロ騎手が乗って、見事に負けパターンにハマっての2着だからねぇ(苦笑)。だから、過大な期待を抱くのはちょっとね
珠美:「この講義ではいつもの事なんですけど、不安になって来ました(苦笑)。印を変えたい心境です(笑)」
駒木:「それは僕も同じだよ。解説してる内に結論を変えたくなる事がしばしば有ったりするから(苦笑)。でも、そんな事だから予想が当たらないんだな、きっと(笑)」
珠美:「(苦笑)。では、次は5枠になりますね。ここからは2頭ずつの解説でお願いします」
駒木:「まずはマチカネキンノホシだね。本当はこの馬にも×印くらい打たなきゃなって思うんだけどね。京都記念ではテンザンセイザに先着しているし。
 でも、何て言うのかな、この馬には意外性が無いんだよね。もうパフォーマンスの最大値が固定されてしまっているって感じ。この馬って、大体G2の中〜下位クラスなんだよね。G2でもG1のステップレースになると、途端に勝てなくなる。それを考えたら、このレースも入着止まりかなって気がするんだな。
 それとは逆に、『ひょっとしたら…』と思わせるのがフサイチランハート。条件馬生活が長かったんだけど、それがオープンに挑戦するなりAJCCを勝ち切って、ダイヤモンドSでも57.5kg背負って2着でしょ。前走は実力考査には全く当てにならない目黒記念だし、休み明けで苦手の道悪だから度外視できる。問題はAJCCもダイヤモンドSも大したメンバーじゃなかったって事なんだけど、実質上のキャリアが少ない分だけ面白味があるんだ。特に今回は2着争いなら大抵の馬でも食い込める余地が有るし。まぁ、大穴狙うならこの馬からってところかな。騎手も穴ジョッキーの江田照男騎手だし」
珠美:「……では、次に6枠の2頭をお願いします」
駒木:「トウカイオーザは、有馬記念で穴人気したくらいの期待馬だったんだけど、この春シーズンで能力が割れてしまった感じ。そもそも唯一に近い実績がアルゼンチン共和国杯。このレースと目黒記念は本当に実力考査に役立たないからねぇ。本来G2で入着級の馬だとしたら、このメンツでもちょっと足りないんじゃないかな。
 で、去年のこのレースであわやテイエムオペラオーに先着するかどうかまで健闘したホットシークレット。この馬、凡走する時はとことん凡走するからイメージは悪いけど、結構強いんだよ。本来の格はダンツ、エアシャカールの次くらい。それを考えたら随分と人気が低いって言えるよね。
 それにこの馬、逃げ一辺倒じゃなくて、条件さえ整えば好位差しでも十分戦えるんだよ。だから、ハナに立てなくても勝ち目が無いわけじゃない。ただ、その場合はエアシャカールと追い比べをするという難題が待ち構えてはいるんだけど。あ、もちろんハナを切れれば当然有力候補だね」
珠美:「そのホットシークレットがハナを切れる確率はどれくらいあるんでしょうか?」
駒木:「どうだろうなぁ。ハナを切りたいとは思ってるから、最初から控える事は無いと思う。やっぱりスタート次第だね。大体2〜3割ってところじゃないのかな」
珠美:「微妙ですねー」
駒木:「微妙だね(苦笑)。でもまぁ、今回の僕の予想は、エアシャカールが凡走する事を前提にしてるようなもんだからね。全てが微妙なんだよ(笑)」
珠美:「なるほど、分かりました(微笑)。それでは次に7枠の2頭をお願いします」
駒木:「まずはツルマルボーイだね。金鯱賞でエアシャカールを破った昇り馬。本来ならこういう馬は、G1馬の陰に隠れて4〜6番人気くらいになるんだよね。それでいてこういう馬は、2着に突っ込んで来て中穴メーカーになる事がよくあるんだ。これは不思議な事に、理屈じゃなくて何故か2着に飛んでくるんだよな。
 けれども、今回は出走馬の層が薄いから妙味が薄れちゃったよねぇ(苦笑)。でもまぁ、ローゼングリンが穴人気してくれたお陰で、まだ馬連はどの組み合わせも10倍以上あるのは有り難いね。オイシイと言えばオイシイ。本来はジャングルポケットとかサンライズペガサスがいて、そういうオッズになる存在なんだからね。
 この枠もう1頭のミツアキサイレンスは、どうやらピークを過ぎててデキ不足みたい。元々がそれほど地力に恵まれた馬ではないだけに、ちょっと苦戦だね」
珠美:「…ハイ。では、最後に8枠の2頭についてお願いします」
駒木:「アクティブバイオは日経賞でマンハッタンカフェに勝ってるんだけど、大凡走した実力馬に先着しても自慢にならないしねぇ。それに今年の日経賞は、マンハッタンカフェを除けばオープン特別並みの低レヴェルだった。天皇賞では大敗してるし、目黒記念は2着でもアテに出来ないレースだし……。ちょっとセールスポイントに欠けるかな。
 トウカイポイントは中山記念をレコード勝ちしてるんだけど、どうやら1800mがベストで、この距離は守備範囲外みたいだ。陣営も弱気ムードだし、ちょっと買い被れないね。
 …僕からは以上だよ」
珠美:「……ハイ、ありがとうございました。それでは最後に馬券の買い目を紹介して講義を締めくくりたいと思います。まずは博士からお願いします」
駒木:「はいはい。印を見て分かるように、今回はタテ目無し。思い切ってダンツフレームから心中だ。3を軸に9、8、4、2、6の5点。3-4で決まっちゃったら赤字だけど仕方ないね」
珠美:「私は3、4、9、1の4頭6点BOXです。私も3-4だと赤字ですね。でも、もう当たれば何でも良いです(苦笑)」
駒木:「ミもフタもないなあ(苦笑)。まぁ、メンバーは寂しいけど、気持ちの良いレースが観たいね。サッカーがアレだけに、クリーンで公正なレースを是非お願いしたいね」 
珠美:「そうですね。良いレースを期待しましょう。では博士、お疲れ様でした」
駒木:「うん。お疲れ様。これで講義を終わります」


宝塚記念 結果(5着まで)
1着 ダンツフレーム
2着 ツルマルボーイ
3着 ローエングリン
4着 エアシャカール
5着 マチカネキンノホシ

 ※駒木博士の“勝利宣言&講義の訂正(苦笑)”
 久々に気持ちの良い的中でした。終わってみればいかにも宝塚記念らしい組み合わせの決着と言うか、何と言うか。
 ただ、談話室で受講生の方に講義内容に誤りがあると指摘を受けましたので、訂正しておきます。画竜点睛を欠くとはこの事だ、嗚呼(涙)。
 まず、もう訂正しましたが、5歳世代のマル外はアグネスフライトではなくアグネスデジタルです。デジタルって言ったつもりだったんですけど、レジュメを読み返したら確かにフライトと(苦笑)。お詫びして訂正します。
 あと、3歳馬の宝塚挑戦は99年のオースミブライト(6着)がありました。過去10年の上位5着までの一覧表を見つつ、記憶の糸を辿っていたので完全に頭からぶっ飛んでいました。申し訳ございません。今後は、より一層正確な講義を心がけますのでどうぞよろしく。

 ※栗藤珠美の“喜びの声”
 
印を付けた4頭が上位独占! もう最後の直線がこんなに楽しいレースなんてどれくらい振りだったでしょうか(笑)。これでローエングリンとダンツフレームが入れ替わってくれていれば良かったんですけど、それは贅沢すぎる注文ですね(苦笑)。

 


 

6月21日(金) 教育実習事後指導(教職課程)
「教育実習生の内部実態」(4)

 講義の開始が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。どこがどう調子が悪いと言うわけではないのですが、どうも全体的にバイオリズムが悪いようで……。
 まぁちょっと休んだら、少しはマシになりましたので頑張っていきます。
 では、これまでのレジュメはこちらから↓
 第1回第2回第3回

 
 さて、前回まででオリエンテーションの話は終わりまして、いよいよ今日からは実習そのものの内容に話を進めていきます。

 通常、教育実習が始まってから2〜3日までは、一日中、教室の後ろで現役教員の授業を見ることになります。
 この授業見学、誰の授業を見るかは原則的に実習生に任されますが、少なくとも見学する授業の2/3以上は自分の実習担当教諭のそれとなります。まぁ、これは自然な成り行きでしょう。
 となると、ここで大事になって来るのは、やはり担当教諭の力量であります。このシリーズの第2回でも述べましたが、ここで“ハズレ”を引くと非常にイタい実習期間を過ごすハメになってしまいます。まぁ、最近は教員の世代交代も進み、我が目を疑うような酷い教員は随分と減りました。ごくまれに“使えないヤツ”が混じっていても、そういう人は担当教諭にはなりませんので、これから公立学校で教育実習を受ける方は安心して下さい。もっとも、教員の採用が全てコネで決まるような某自治体だと、どうだか判りませんが……。

 そもそも、どうして昔はダメ教員が多かったのかというと、これは終戦直後の混乱期からベビーブーム世代の就学期にかけての長い間、学校現場は慢性的な人手不足に陥っていたからなのです。
 昭和50年くらいまでは採用試験の倍率も恐ろしく低く、時代によっては自動車運転免許のペーパーテストのような難易度であったこともありました。いわゆる“デモ、シカ教師”(教師でもなっておこうか/就職活動が不調で教師しかなれなかった)という言葉はそういう事情で生まれた言葉です。
 もちろん、志高い素晴らしい先生が圧倒的に多いのですが、その一方で、始業式の日に校門前で「日の丸・君が代反対」のビラを配る時だけ張り切っているような、さらには「授業もせず、会議中も何も言わず黙っていれば、本当に立派な先生なのにね〜」などと言われるような人も確かにいたりしたものです。
 ちなみに、教員採用が最も“ダイナミック”だったのは、昭和20年代前半、学制が改められて新制中学が発足した時だったそうです。なにしろ何も無いゼロのレヴェルから全てを作り上げなければなら無い状況です。先の戦争で多くの犠牲者が出た関係上、人手が足りないという事もありましたので、それはもう「教員になってもいい」という人には片っ端から教員免許を与えて即時採用をしていたとのこと。
 例えば駒木の父親は、師範学校の予科で1年ほど過ごした後に軍需工場へ動員されて、18歳でそのまま終戦を迎えました。師範学校で主に学んだ事と言えば劣悪な戦闘機と軍艦の作り方だった…という父でしたが、師範学校の学生であっただけで「エリートだ」と大変歓迎され、弱冠20歳で中学校に正規採用されました。
 今から聞くと物凄い話ではありますが、その当時は、遠足費を片手に今は亡き神戸中央競輪場へ消えていく先生方も多かったと聞きますので、確かに父はエリートだったのでしょう。
 「安上がりで酔っ払うために、仕事がハケた後、職員室で安焼酎を呑んですぐに校庭を走り回ったりしたなあ。朝、目が覚めたら朝礼台の上やった
 ……と、当時を振り返って話していたのは聞かなかった事にしたいと思います。

 閑話休題。
 そんな中、駒木の担当教諭であったT先生は、前にも述べました通り、大変素晴らしい先生でありました。当時、塾でのキャリアが3年を数え、ちょっとした道場破り気分で実習にやって来ていた駒木の性根を叩き直すには打ってつけの先生だったと言えます。
 そのT先生は、実習生相手でも物腰が大変に低く、言葉遣いも丁寧で、そしてとんでもなく面白い授業をする方でした。なにしろ駒木、実習中にこんな事を言われました。
 「私、T先生のおかげで世界史が好きになったんよ。だから、駒木先生の授業で世界史を嫌いにさせんといてね」
 これを聞いて、さすがの駒木も笑いが引き攣りました。本当にT先生の授業は面白いのです。50分間喋りっ放しでも生徒を飽きさせない巧みな話術に、それを支える大学教授顔負けの博識。とても実習生に真似できるものではありませんでした。
 一方、当時の駒木は、歴史学ゼミの学生とはいえ競馬史&ギャンブル史が専攻。しかも歴史の勉強よりも競馬場や雀荘でのフィールドワークの方に熱心なバカ学生だったわけでして、バックボーンの太さが違いすぎるのです。唯一の救いは、3年の塾講師経験のおかげで最低限の話術と板書のテクニックだけは身に付けていた事でしょうか。ともかく、駒木は授業を任されるようになってから大変な思いをするハメになりました。まぁ、これはまた次回以降の講義でお話したいと思います。

 さて、このT先生のさらに凄いところは、自分がそれだけ素晴らしい授業をされるのに、しきりに駒木に「他の先生の授業も精一杯見せてもらうようにして下さい」と言って下さった事でした。それだけではなく、「このN先生は生徒に評判の良い日本史の先生だから」と、別の先生を紹介して下さったりもしました
 見逃されがちですが、教育実習はプロの授業をタダで気兼ねなく見学できる唯一の期間。プロデビューしてからは、見学したくてもなかなか出来ないのです。それを考えると、実習中にたくさんの優秀な先生の授業を見ておくというのは、とても大事なことなのです。物事は何でもそうですが、まずは優れたお手本の模倣から始めて、それから独自のモノを築き上げてゆくもの。その意味において、優れたお手本を1つでも多く確保しておくのは、将来にとってとても大切な事なのです。
 現に今、駒木の高校での授業スタイルは、この時のT先生とN先生の授業が元になっています。ただ、駒木の力量が足りなくて、まだまだ「お手本にさせてもらってます」とも恥ずかしくて言えない状況でありますが……。

 さて、時間が時間ですので今日の講義はこれまで。次回は実習生控え室の話などをしたいと思います。(次回へ続く

 


 

6月20日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(6月第3週分)

 それでは今週のゼミを始めます。今週は「週刊少年ジャンプ」に代原が2つ掲載された事に加え、「週刊ビッグコミックスピリッツ」からも佳作を“発掘”できましたので、久々に充実したレビューをお送りできるのではないかと思います。

 さて、ではまず情報系の話題から。「週刊少年サンデー」の月例賞・「サンデーまんがカレッジ」3・4月期分の結果発表がありましたので、まずはそれからお送りしましょう。

少年サンデーまんがカレッジ
(02年3、4月期)

 入選=該当作なし
 佳作=1編
  ・『カムワケミ・クラマ』
   涌井良平(27歳・千葉)
 努力賞=4編
  ・『とかげ』
   山田幸司(24歳・東京)
  ・『Lost lonely wolf man』
   四位晴果(20歳・福岡)
  ・『THE KEY』
   岡田きじ(22歳・埼玉)
  ・『弥生』
   鳥居靖志(23歳・神奈川)
 あと一歩で賞(選外)=3編
  ・『ミヤコオニ』
   島田佳則(20歳・大阪)
  ・『腹減り十文字』
   門品聡人(22歳・新潟)
  ・『俺はバカじゃない。』
   冨田雄太(20歳・千葉)

 さて、「サンデー」と言えば、ヒットメーカー・ゆうきまさみさん『KUNIE』が、次号30号で打ち切り(←恐らくですが)終了となります。
 編集部サイドも、「まさか、ゆうき作品がハズれるとは……」と思っていたのか、ズルズルとスローテンポで1年以上連載が続いた上での中途半端な打ち切り。うーん、これは「サンデー」の悪い面が出ちゃった感じですかねえ。
 さらに『どりる』作画:石川優吾)も間もなく終了しそうな感じで、どうやらしばらく後に新連載シリーズが始まるようですね。果たしてラインナップはどんな感じになるのでしょうか。

 打ち切り&新連載といえば、「ジャンプ」の次期打ち切り争いが、ますます熾烈になって来た感がありますね。今期新連載の内、『ヒカルの碁』と『プリティフェイス』はどうやら人気面から続行が濃厚。つまり以前からの連載作品がその分ワリを食う事になります。
 その上、打ち切り枠から除外と思われるベテラン勢の作品が軒並み人気低迷気味なので、人気中位の作品でも打ち切りの恐れがあるんですよね。今のところ、有力打ち切り候補なのが『少年エスパーねじめ』『世紀末リーダ伝たけし!』の2作品。巻末の作者コメントや話の展開から考えて、『──ねじめ』は“当確”と考えられます。さて、あと1作品はどれなんでしょうか。まさに戦々恐々ですねぇ……というか、『ねじめ』打ち切りとは何事ぞ! という人が結構いそうですね。コアなファンが多いのに、どうしてこうなっちゃうんでしょうかねぇ。

 さて、それではレビューに移ります。今回は「ジャンプ」から3作品、そして“その他”枠から「週刊ビッグコミックスピリッツ」の1作品をレビューします。
 文中の7段階評価はこちらをどうぞ。

 

☆「週刊少年ジャンプ」2002年29号☆

 ◎読み切り『ジュゲムジュゲム』作画:いとうみきお

 2000年から2001年にかけて、『ノルマンディーひみつ倶楽部』を連載していた、いとうみきおさんの復帰作となります。
 いとうさんは、“和月組”と呼ばれる、和月伸宏さん連載『るろうに剣心』のアシスタント出身。そして1998年に増刊デビュー。資料不足のため、ひょっとしたら間違ってるかもしれませんが、ジャンプ作家の方では珍しく、手塚&赤塚賞や天下一漫画賞の受賞を経ずにデビューされている方のようです。
 増刊や本誌に読み切りを3作品掲載した後に『ノルマンディー──』で初連載。人気は中〜下位をウロウロしている感じでしたが、この連載は46回続きました。

 さて、作品のレビューに移りましょう。

 まず絵柄なんですが、以前に比べて若干洗練された感じがします。ただ、これは以前からの特徴なのですが、やや絵に動きが感じられ難いような気がします。多分これは“止め絵”っぽいコマやシーンが多いからなのだと思いますが。

 次にストーリーです。
 全体的に見て「要所要所に気を配っているな」という事が察せられる作品ですね。力作だと思います。冒頭にまず見せ場を持って来て、そこで同時に主人公やその能力をさりげなく紹介した辺りのテクニックは、正にプロの仕事と言えるでしょう。シナリオの流れも矛盾してませんし、ラストシーンも良い感じの演出がなされています。話作りの基本はちゃんと完成されています
 ですが、だからと言って「この作品は面白いのか?」と訊かれると、う〜ん……と首を傾げてしまうところだったりします。そうです。この作品は、上手いんだけれど面白くないのです。
 この作品の最大の欠点は、主人公と主人公の能力(グラナダの科学技術)に魅力が感じられないというところにあります。これは、主人公の“キャラ立ち”が不足している事と、設定の説明が不十分であった事が大きく関係しているのでしょう。謎の多い主人公も結構なのですが、せめてもう少し主人公絡みのエピソードを増やして読者の感情移入を喚起しないと、ストーリーの面白味が生きて来ないのではないかと思います。主人公がグラナダの科学技術を集めている動機を明らかにするなどすれば、もっと深みが増したと思うのですが……。
 後、シリアスなシーンに不釣合いなマンガ的表現が挿入されたり、冒頭の英語セリフが失笑するくらいお粗末だったのも減点対象です。これも読者の感情移入を阻害してしまっています。

 最終的な評価はBにしたいと思います。佳作・秀作の一歩手前という感じの作品で、この評価に留めざるを得ないのは非常に惜しい気がします。次回作でのリベンジを期待しましょう。

 
 ◎読み切り『あつがり』作画:菅家健太

 今週号はなんと4作品が休載。まるで「週刊ヤングマガジン」のような状態になってしまいました。一昔前の「ジャンプ」なら考えられないお話ですが、これも時代の流れなのでしょうか?

 さて、そんな休載ラッシュの中、代原が2作品掲載されました。まずはその内の1作品目、先日発表された赤塚賞(2002年度上期)で佳作を受賞した『あつがり』からレビューしていきましょう。
 作者の菅家健太さんは、おそらくこれがデビュー作となる新人作家さん。果たして、作品の出来栄えはどうなのでしょうか……?

 まずは絵柄なのですが、ハッキリ言って発展途上ですね。というか、サインペンでペン入れした作品に佳作を出しちゃう赤塚賞っていうのも、ある意味凄い話だと思いますが(笑)。
 当然これからは、つけペンの使い方などを覚えるところから修行しないといけないと思います。乗り越えるべき山はかなり高く、そして多いことでしょう。

 次に内容。これは赤塚賞受賞作ですので、一応はギャグマンガの範疇に入るのだと思いますが、どうもギャグ作品としてはかなりインパクトが弱い気がします。一応はボケとツッコミが成立していて、ギャグマンガのスタイルにはなっているのですが、ギャグがギャグになりきれていない感じがしますね。
 むしろこの作品、思い切ってノリを暗くして、ホラーにしちゃった方が良かったのかもしれません。全身火だるまの人間が身近な存在としてやって来る、という設定は、笑いというより恐怖というような気がしますし。
 総合的な実力は別にしてアイデアを着想する力はあると思いますので、あとはそれをどんな形でどう活かすか。これが菅家さんに課せられた課題だと思います。

 評価はB−前途は多難ですが、磨けば良いモノを持っている人だと思いますので、挫折すること無く精進してもらいたいですね。

 
 ◎読み切り『しゅるるるシュールマン』作画:クボヒデキ

 代原の2作品目は、なんと先週に引き続いて、問題(のある)作『しゅるるるシュールマン』です。このゼミでは4回目の登場となりますね。

 しかし、どうしてこんな低レヴェルの作品がこうも度々掲載されるのか、駒木は不思議でなりません。他に載せる作品が無いだけなのか、それとも担当者が懸命にプッシュしているからなのか……。

 ところで先日、とあるマンガ家志望の受講生さんからメールを頂きました。そこには、
 「自分は『しゅるるるシュールマン』が面白いとは思えないんですが、余りにも頻繁に掲載されるので、これは自分のギャグ感覚を修正しないといけないかと思っていました。でも、『現代マンガ時評』の評価を見たらちょっと安心できました(苦笑)」
 ……という内容が。
 そのメールを読んだ時の駒木の心境は、まさにこんな感じでした。↓

・゚・(ノД`)・゚・


 このゼミで前途有望なマンガ家の卵の方を救う事ができて、とても嬉しく思います(笑)。これからも頑張ってくださいませ。

 で、今回の『──シュールマン』についてのレビューですが……。

 相変わらずシュールには程遠い普通のギャグ。しかも勝負ネタで大コケしてしまい、比較的キレている小ネタが全然活きて来ないという最悪のパターンです。さらには離島に住んでる人に失礼な表現までやらかしてしまい、駄作以前のシロモノになってしまっています。

 それに、今回気が付いたのですが、クボさんは、ギャグをセリフだけに頼りすぎているような気がします。
 良く出来たギャグマンガを複数読めば判ると思いますが、優れたギャグ作品は、セリフで笑わせると同時に絵でも笑わせています。複合技です。これがギャグマンガの基本です。
 ところがクボさんは、「無表情で面白い事を言う」というのをシュールと大勘違いしているのか、それが全く出来ていないんです。これでは良い作品が出来るはずがありません。

 評価は当然ながらC今後、この『しゅるるるシュールマン』が掲載されたとしても、余程劇的な内容の変化が無い限り、もうレビューは行いません。これ以上この作品について述べる事は、駒木にも受講生の皆さんにも利益が無いと思いますので。

 

 《その他、今週の注目作》

 ◎『立位体前屈物語』(週刊ビックコミックスピリッツ2002年29号掲載/作画:河谷眞

 6月6日付ゼミで、小学館の「新人コミック大賞・少年部門」で大賞受賞作が出たとの結果報告をしたのですが、実はヤング部門にも大賞受賞作が出ていました。それが、この『立位体前屈物語』でした。
 作者の河谷眞さんは、現在30歳という遅咲きの新人作家さん。年齢などから他誌での実績がある可能性もありますが、残念ながら、少なくとも河谷眞名義で主だった活動実績を探し出す事は出来ませんでした。

 さてこの作品、体力測定テストでお馴染みの立位体前屈を1つの競技スポーツに仕立て上げてしまったらどうなるか? というテーマで一本の作品に仕上げてしまったと言う怪作です。
 普段、フードファイトを通じて、“スポーツらしくないものをスポーツとして認識する事の面白さ”を知っている駒木にとって、このアイディアはまさに我が意を得たり、といったところでありました。
 妙に細かい“スポーツ立位体前屈”の競技理論や、トレーニング理論の描写も素晴らしいですし、立位体前屈という、本来スポーツとは全く縁遠いモノなのに、話を「天賦の才能と体格の重要さ」という、スポーツにとって至極普遍的なところに持っていくあたりも見事です。
 そして、この作品で最も優れているところは、「本来スポーツじゃないものをスポーツにする時に生じる一種のバカバカしさ」という点を忘れていない、というところです。この作品をクソ真面目なスポ根モノとして描いてしまったら、読者の多くは引いてしまったでしょう。しかしこの作品は、内容の部分部分は真面目なストーリーマンガでありながら、全体を俯瞰してみると見事なナンセンス・ギャグマンガに仕上がっているのです。このセンスは只者じゃないな、といった感じです。
 絵柄と話の内容が妙にマッチしているのも見逃せません。どこまでが計算で、どこまでが偶然ハマったものなのかは判りませんが、とにかくこの作品は全ての要素において成功していると言って良いでしょう。

 評価は卓越したセンスとオリジナリティを高く評価してAを進呈。新人マンガ賞の読み切り作品としては間違いなく最高ランクに推せるものです。

 

 ……というところで、今週のゼミを終わります。次回はいよいよ、このゼミとは因縁の深い『エンカウンター』が新連載となります。当然レビューで扱う予定ですので、お楽しみに。 

 


 

6月18日(火) メディアリテラシー特論
「『探偵ファイル・電脳探偵マル秘レポート』に対する論題・その後」
※追加講義はこちらをクリック

 今日の講義は、今月10、11日に実施した講義である、メディアリテラシー特論・「『探偵ファイル・電脳探偵マル秘レポート』に対する論題〜宮村優子裏ビデオ解題」の続編・後日談的なものとなります。

 11日付講義で予告しました通り、駒木は「探偵ファイル」の『──マル秘レポート』担当である山木さん宛にメールを送付し、講義で取り上げた疑問点と問題点について釈明を求めました。
 そしてメール送付から2日後、山木さん本人からメールの返信がありました。
 その内容は、必ずしもこちらの望みに応えたものではなかったのですが、比較的迅速に本人から返信を頂いた事で、多少なりとも誠意のようなものは感じられました。その点については感謝したいと思います。

 それでは、以下に山木さんからのメールを全文掲載させてもらいます。本来ダイレクトメールを公の場に発表する事は、かなりキワどい行為ではあると思うのですが、今回は事情が事情だけに、どうかご理解頂きたいと思います。

 初めまして、駒木ハヤト様。

 ※第1段落
 貴重な御意見、ありがとうございました。「探偵ファイル」にて広報業務および、コンテンツの編集をしている山木と申します。

 ※第2段落
 駒木様のHPは拝見させて頂きました。大変素晴らしいですね。 これからもサイト運営頑張って下さい!
 
 ※第3段落
 では、駒木様より御指摘の有りました事に対する、当方の見解を伝えさせて頂きます。 
 まず一貫して言えることは、当サイトコンテンツの全ては当方の現役スタッフ が収集してきた情報ないし映像で有り、その際には『情報提供者』がいることがあります。
 そして当方は、情報を持ってきたスタッフと『情報提供者』を守るべき立場で有りますので、個別の御指摘に対してお答えすることは基本的に有りません。これらはメディアで有れば、ある程度共通していることですのでご了承ください。
 
 ※第4段落
 我々の与える影響が大きいということは、御指摘の通り、そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、現代社会においては、ネット、現実社会共に、自己の意思で世間の事象を判断し、それに対して結論を出すこと、いわば「自己責任」社会であります。当方は、自己の資本にて、その取材した現象を良心に基づいて掲載しており、それをどう考えるかは、新聞、雑誌に書いてあることを全て真実と考える人がいないのと同じように、サイトを見ている一人一人が考えるべき問題だと思います。
 私どもは、私どもの考えを強制しているわけでも、また、世論操作をするつもりもございませんので、そこのところをご理解いただければ幸甚でございます。

 ※第5段落
 ただ、当方が掲載した内容により、該当者と思える方が「名誉が失墜した」「事実無根だ!」と言うならば、しかるべき所にてハッキリさせる用意は有りますし、敗訴した場合は謝罪も賠償も致します。これが、メディアの一員としてサイト運営をしている当方の責任の取り方です。
 
 ※第6段落
 以上が当方の見解となりますので、駒木様がHP上で論じて頂くのは自由ですし、どのような記事を作成なさっても、報告の必要はございません。
 
 ※第7段落
 それはともかく、駒木様からの貴重な御意見、誠にありがとうございました。
 これからのサイト運営の参考にさせて頂きます。
 これからも探偵ファイルを、宜しくお願い申し上げます。
 
 探偵ファイル  山木

※文中赤字の段落番号に関しては、便宜上駒木が加筆したものです。原文にはありません。

 ……以上です。

 さて、このメールに関して、駒木にも言いたい事は少なからずあるのですが、敢えてこの場では発言を差し控えたいと思います。その代わり、受講生の皆さんでこのメールの中身を吟味し、是非を判断し、価値を測定し、皆さんなりに、このメールに対するメディアリテラシーをしてもらいたいと思います。これはこの講義で皆さんに出題する宿題です。


◆追加講義(6/19)◆

 談話室(BBS)でも発言しましたように、ここで駒木の山木さん(「探偵ファイル」)からのメールについての意見を発表したいと思います

 まず、どうして昨日の時点で駒木がコメントを出さなかったのか、また、ダイレクトメールをネット上に公開する事の是非について書いておきたいと思います。

 初めに、どうしてコメントを出さなかったのか、という事についてです。
 これに関して言いますと、実は当初、コメントを発表するつもりでいたのです。当然、内容も既に頭の中にはありました。しかし、敢えて一旦中止したのです。
 何故かと言いますと、この講義はいつもの情報発信型講義とは異なり、「メディアリテラシー」、つまり情報を公平・客観的な姿勢で自主的に判断する事の大事さについて扱ったものだからです。
 ありがたい話ですが、現在当講座では1日約700名(ユニークアクセスで)の方に受講していただいています。そんな中で、駒木が今回のメールや『電脳探偵のマル秘レポート』について何か書きますと、その700人の内のかなりの方が、駒木の意見の影響を受けてメールや『──マル秘ファイル』に対する評価を行ってしまうでしょう。しかしそれでは、メディアリテラシーの趣旨とは大きくかけ離れてしまうのです。
 別に駒木は、自分の書く文章が影響力を持つなどと自惚れた事を考えているわけではありません。影響力を持っているのは活字そのものです。恐ろしいもので、どんなデタラメな事を書いていても、それが活字の形で媒体に乗ってしまうと、それだけで本当っぽく見えてしまうものなのです。
 ですから、コメントを出さなかった事は、駒木1人の個人的な意見によって、数百人の考えに影響を与えるのが怖かった、という事。これだけです。他に二心はありませんので、どうぞご理解ください。

 そして今回、昨日までの意見を覆しててコメントを発表する理由ですが、これは、談話室での皆さんの意見を伺う内に、いくらどんな理由があるとは言え、この問題の当事者である駒木がコメントを出さないという事は無責任極まりないと感じるようになったからです。やはりメールを受け取った本人として、何らかのコメントを出しておくのが“スジ”である、そう考えたからです。
 そういうわけでコメントを出しますが、これはあくまでも駒木の個人的な意見で、唯一の正答ではありません。あなたがもし「これは違うんじゃないの?」と思われたら、多分違うのでしょう。「そうだその通りだ」と思われるなら、その通りなのかも知れません。あくまで、数多の意見のワン・オブ・ゼムである事をご承知置きください。

 次に、ダイレクトメールをネット上で公にする事についてです。まず初めに言っておきます。このメールをネット上で公開する事は「探偵ファイル」さん、および山木さんには無断です。許可は取っていません。だから「キワドイ行為」と書いたわけです。本来、私信を無断で公開する行為は、少なくともマナー違反であるとは思います。
 ですが、少なくとも今回に関しては、マナー違反というには当たらないものだと解釈しています

 理由を述べます。まず、今回のメールは純粋な私信ではなく、メールの第1段落にありますように、「『探偵ファイル』にて広報業務および、コンテンツの編集をしている山木」さんから、つまり任意団体の渉外担当者からのメールです。一般企業に喩えれば「株式会社○○広報担当××」さんからのメール、という事になります。これはダイレクトメールであるとは言え、かなりパブリックな性格を持つメールと言って良いと思います。この種のメールは、必要に応じては公にしても良いと考えるのが駒木の考えです。
 また、駒木は今回のシリーズの中で、山木さんに質問状を送る事、回答を求める事、並びにその回答によってはこちらが謝罪する事をあらかじめ予告しています。ですから、山木さんも回答した内容の全て、または一部を公開されるのは承知していたと思うのです(敢えて言うと、だからこそ今回のようなメールを書いたのだと思います)。
 さらに、メールの一部抜粋や要旨を公開しただけでは、駒木が意図的、または無意図的にメールの内容を歪めてしまう恐れがあります。それならば、いっそのこと全文を公開した方が逆に誤解が無くて良いのではないか、と判断しました。
 最後に、このメールには個人のプライバシーに関わる情報は書かれておりません。公開した際に明らかな不利益を被る人がいない以上、公開をはばかる必要は無い、と駒木は思います。

 ……以上の理由から、今回はメール全文公開という形に踏み切りました。その辺の事情をご理解いただければ幸いです。

 さて、それではメールについてのコメントですが、まず有り体に言うと、「見事にあしらわれたな」といったところでしょうか(笑)。もっと影響力の大きなサイトで騒ぎになったりしたら、対応も違ったのでしょうが、まぁ、妥当な所ではないかと思います。想定内の回答でありました。むしろ、わざわざメールを返信していただいた事に感謝すらしているくらいです。

 ただ、内容に関しては納得し難い点がいくつかありますので、蛇足を承知で段落ごとに少しずつコメントしていきたいと思います。

 まず、第3段落から。
 この段落の内容で、「情報提供者を守る」というところがありますが、それは駒木も賛同するところです。当社会学講座でも、文化人類学講義(フードファイト関連)の中で業界関係者のオフレコ情報を扱う事がありますが、その場合、まず考える事は情報提供者に迷惑をかけないでおこうという事です。協力者の恩に仇で返すような事はしたくないというのが人情ですし、仁義だと思います。
 ただ、情報を収集して来て記事を書くスタッフまで守る、というのはどうかなと思います。特にこのメールの場合は、「広報担当の山木さんがライターの山木さんを守る」という、官房長官が政府首脳の弁護をするような感じになっちゃってますしね。
 そりゃあ、「この記事を揉み消さんと、どうなるか判っとるやろうな」的な不当圧力からスタッフを守る事は確かに必要だと思います。しかしかといって、今回のように、論理的に考察を重ねた疑問点や問題点の指摘までガードしてしまうというのはどうかなと。ちょっと過保護すぎやしないか、と駒木は思いますが。
 
 次に第4段落です。
 この段落の内容、特に情報の取捨選択に対する自己責任云々といったところ、確かに肯ける所ではあります。
 例えば、今回のシリーズのメインテーマであった宮村優子裏ビデオ問題。この問題は、様々なマスコミ媒体(特にB〜C級エロ雑誌)で採り上げられて記事になってしますが、その大半がデタラメです。中には平気で「このビデオが出た当時、宮村優子さんはヌードモデルを派遣するプロダクションに入っていた」なんてヌケヌケと嘘八百を書いてる雑誌もあったりします。
 で、そんなデマを信じてしまった事から不利益を被ったとしても、誰もそれを補填してくれません。確かに情報判断は自己責任というのは原則です。
 ただ、それを情報発信をする側が言ってしまってはオシマイです。情報発信側が「情報判断は自己責任があるので、情報の真偽は自分で判断してください」云々と書く事はすなわち、自ら発信した情報の価値を著しく落とす事になりますし、単なる言い訳を言っているだけになってしまいます。
 いつもの講義のノリで言うなら、「安全日だと思うけど、中出しは自己責任でお願いね」と言われて中出しする奴が何処にいるのか、という話です。「安全日だと思う」という情報も信頼できなくなって、出るモンも出なくなります。
 情報発信を生業とするのなら、「情報判断は自己責任だが、自分の発信する情報はこちらが責任を持って正しい情報をお伝えする。だから信頼してください」とするだけの気概が欲しいところだと思います。少なくとも駒木はその気概だけは持って講義に臨んでいますので、これからもどうぞよろしく(笑)

 第5段落。これは、クレームは記事で取り上げられた当事者からのみ受け付けます、ということだと解釈できます。まぁ正論でしょう。アクセス数が1日700〜800程度のサイトのツッコミにいちいち答えてられるかってところなのかもしれません。ただ、そうした正論で疑問点や問題点をウヤムヤにされてしまったのは残念です。

 第6段落。
 と、いうわけでまた論じさせてもらって、記事にさせてもらいました(笑)。

 ……で、結論なのですが。
 駒木は、この『電脳探偵のマル秘レポート』は、雑誌「噂の真相」を読むのと同じようなスタンスで読めばいいのかな、と思いました。どちらの媒体も、1人ないし少数の協力者からの情報を100%正しい事と仮定して記事を書いているようですし。
 「噂の真相」の記事が、大嘘記事と大スクープの玉石混交であるように、『マル秘レポート』も玉石混交なのでしょう。ただ、余りにも石が多すぎて、玉が玉であると判るのは、事実が他の媒体で公になってからであろう、というのはアレだと思いますが(笑)。

 駒木からのコメントは以上です。先程も述べましたが、これは駒木個人の意見に過ぎません。いつも講義でお送りしている客観的な情報ではなくて、あくまで主観的な意見です。ですから、情報判断の自己責任云々は別にして、“これはたった1人の人間の意見表明に過ぎない”という認識をお持ちいただけるようお願いします

 それでは、長々と話しすぎました。これで本当にこのシリーズを締めくくりたいと思います。ご清聴、ありがとうございました(この項終わり)

 


 

6月17日(月) 教育実習事後指導(教職課程)
「教育実習生の内部実態」(3)

 早くも3回目だというのに、実習そのもののエピソードに突入する気配が全く無くて恐縮ですが、もうしばらくご辛抱を。次回あたりからお届けできると思います(笑)。

 とりあえず、これまでのレジュメはこちらから↓
 第1回第2回

 ……さて、今日は引き続きオリエンテーションの模様からです。
 実習生同士や担当教諭との顔合わせも済んだところで、今度は学校のお偉いサンによる講話の時間となります。普段の大学生活では絶好の睡眠タイムですが、この場では一転して、相手チームにコーナーキックを与えた日本イレブンのように“集中”しなくてはならない時間帯となってしまいます。何せ、教員免許に必要な3単位が懸かっているのです。

 さて、まずは校長先生のお話。こんな事、現役教員である駒木が言うのもアレですが、実習生の立場に戻って言わせて貰いますと、いきなりの睡魔登場であります。
 そもそも、公務員として出世するということは、イコール失点が少なかったという事でありまして、それは挨拶や講話などにも反映されるものなのです。つまり、公の場では当り障りの無い話が出来る人ほど出世する、と。
 そのいい例が政治家の談話や講演ですね。政局を眺めていますと、国会や講演会などで面白い事を言おうとしている人から順番に失脚していくのがよく分かります。

 さて、その校長先生、講話だけなら良かったのですが、自分の話が終わった後、実習生全員に「実習に臨むに当たっての抱負を話してみろ」という御無体な指示をお出しになりました。もうその校長先生は定年退職なさってますので好き勝手言いますが、まったくとんでもないジジィであります。
 その時点で塾講師経験3年の駒木ならともかく、これまで人前で喋った経験の無い他の実習生にしてみれば、たまったもんじゃありません。そんなの、トミーズ健に1人で漫談してみろと言うようなものです。

 結局それからしばらくの間、会場は初心者が謡う詩吟発表会、もしくは泡沫候補の政見放送のような様相を呈する事となってしまいました。それに対して、校長が更に当り障りの無い講評など付けるものですから、場の空気が固まる事、固まる事……。
 ……で、駒木の出番は一番最後にやって来ました。本当はこんなモノなど適当に済ませたかったのですが、こういう時に限って、ムクムクとサービス精神が沸いて出るのが駒木の困ったところであります。
 「じゃあない、やったるか」
 おもむろに所定の位置に着いた駒木、それまでの19人とは全く違うスタンスに立ち、オリジナリティに富んだ数分間のスピーチを展開させて頂きました。気分はアントニオ猪木。「どうですか? お客さーん!」であります。校長の反応やいかに?
 
 「……まぁ、そういう意見もあるやろうね。それじゃ、まぁそういう風に各自頑張ってもらえたら、と」

 流すなよ、おい! (´口`;)/

 まったく、お前はランナーが2塁にいる時のイチローか! ……などといった、はしたないツッコミをカマしたい気分に駆られてしまいました。
 あれから4年の月日が流れ去りましたが、その“抱負発表会”は、駒木にとって未だにイタい想い出の1つであります。

 冷えた空気を引きずりながら、続いて生徒指導部長の講話となりました。
 この、リットン調査団の後に舞台に出る羽目になったココリコのような立場に立たされた生徒指導部長、さすがに関西人としてこれはイカンと思ったのか、「生徒指導のホンネとタテマエ」をテーマにぶっちゃけトークを炸裂させてくれました。

 「万引きとか、タバコね。法律で禁じられてるのは(指導するのに)手っ取り早いんやけど、ピアスとか茶髪みたいに、そうやないのが問題でねぇ。
 こっちも本音言うたらどっちゃでもエエんよ。エエんやけど、生徒指導上、取り締まらんわけにはイカンのやわな」
 

 
素晴らしい! (゜▽゜)/

 いやー、生徒に聞かせてあげたかったですな、この講話。あ、いや、本当に聞かせたらダメなんですけれども。

 駒木、この話を聞いて、学校の先生たちをちょっと見直しました(クドいようですが、バイト塾講師兼教育実習生の立場に帰ってます)
 大体、世間の皆さんは、「学校=融通利かない、塾=自由でノビノビ」なんていう固定観念に縛られている方が多いのですけれども、これは大きな誤解であります。
 塾というものは、組織の中で生徒指導に対する意識を統一する場がほとんどありませんので、生徒指導は講師個々の裁量に委ねられます。簡単に言うと、ユルい先生はどこまでもユルいし、キツい先生はどこまでもキツいという事なのです。

 駒木が所属していた学習塾グループの中に、見るからに「教育に命懸けてます!」という先生がいらっしゃいました。まさに“純粋まっすぐ”という形容があてはまる方で、教育業界に入らなかったら、おそらく共産党にでも入って、決して当選できない国政選挙に挑み続けるような人でありました。
 で、その先生なんですが、まぁ何につけても生徒に厳しいんですね。まるで親に代わって躾をするのが天命のように思ってる方でしたから。生徒がちょっと塾の帰りに寄り道した程度で、全人格を否定するような激しい叱責を加えるような感じですから、そりゃあもうって話です。
 人様の子どもにコレですから、自分の子どもにはもっと厳しい自分の子どもに謝らせる時は全て土下座(!)まるで遠山の金さんと下手人みたいな親子関係であります。

 ただまぁそれならそれで、厳しいのがその先生1人だけで、他の先生がフォローに回るなら構わないんですが、困った事にこの“天命”が部下のバイト講師にまで降り注いでしまうんですよね。その“純粋まっすぐ”先生が室長を務める教室の講師全員が“純粋まっすぐ”という、思わず起こった失笑も引き攣ってしまう状況に陥るわけです。
 ある時などその“純粋まっすぐ”バイト講師が、ホワイトボードのクリーナー(黒板消しのようなもの)が生徒に汚された、というだけで怒り心頭に至ってるところを見かけた事がありました。彼曰く、
 「クリーナーを洗ってくれた先生の真心をなんと思ってるんだ!」
 …だそうですが、クリーナーなんて5秒間の水洗いで綺麗になります大した真心自慢だなあ、としみじみ思ったものでありました。
 ちなみにそのバイト講師クン、日頃から不良ドライバー教育にも熱心でありまして、ムカついたドライバーは高速道路で出口に出たがっていても決して車線変更させない。ことによっちゃヘッドライト消したまま路地裏を追跡してやるんだと、自慢げに語っておりました。まったく、大した教育者であります。

 あ、言い忘れておりました。こんな話もあります。
 先程、“純粋まっすぐ”の親玉が子どもに土下座させると話しましたが、その子ども、幼稚園で自分にイタズラを働いた同級生を謝らせる時に土下座を要求したそうであります。謝る時は土下座。それが万国共通のルールだという“教育”の賜物でありました。
 まったく将来が楽しみであります。是非とも学校現場以外の教育業界で活躍してもらいたいと心から祈っております。ハイ。

 まぁ、そんなわけで、この辺りから早くも駒木の脳裏には「塾よりも学校で働く方が、やり甲斐ありそうだな…」という発想が浮かぶようになったのでした。そしてその心は、実習が進むに連れて益々大きくなっていったのですが、その辺の話はまた次回以降にて。(次回へ続く

 


 

6月16日(日) 文献講読
『夏、雲ひとつ無い夜に─』(3)

※この講義は小説です※
第1回はこちらから、第2回はこちらからどうぞ。

 マウンド上のピッチャーがセットポジションに構え、じいっと3塁ランナー中林を睨みつけた。
 このピッチャーは普段、“抑えの切り札”へ繋げる中継ぎ役を演じている。それがいつになく緊迫した場面に放り込まれたためだろう、中林の目から見ても、そのピッチャーが彼を睨みつけたその顔つきが、かなり強張っているように見えた。
 ──なんだ、コイツも緊張してるんじゃないか。
 一軍だろうが一流だろうが、しょせんは同じ人間じゃないか。そう考えると、それまで追い詰められていく一方だった心が幾分楽になっていくのを中林は感じた。そうなると不思議なもので、それまで見えていなかった周りの状況が掴めるようになって来る。この場で自分が一番冷静なんじゃないだろうかとすら思える。

 ピッチャーの視線がバッターボックスの方へ向けられた。いよいよ初球である。ただ中林は、いくらなんでもここでいきなりヤマ場が訪れる事はないだろうと考えていた。彼は普通より少し浅めのリードのまま、“待ち”の姿勢をとる。
 マウンド上に立ったセットポジションの男は、高々と膝を上げて、その足をそのままグッと前へ踏み込んだ。指先から白球が放たれる。それはまるで飛行機雲のように、ストライクゾーンの隅めがけて一直線に軌跡を描いて向かってゆく。見るからに力強いストレート。初球としては最高の球と言ってもいい。俺なら絶対に振らないな、と中林は思った。
 だが次の瞬間、ぶん、という音と、ぱきん、という音が響いたかと思うと、白い流れ星のようなモノが凄いスピードで中林の頭のすぐ上をすっ飛んでいった。
 「え?」
 西部劇で、主人公のガンマンに撃たれた事に気付かない間抜けな悪役が漏らすような声をあげ、中林はただただ超高速で飛んでゆく打球の行方を眺めていた。それは外野に入ったあたりから急カーブしてファールグラウンドに外れていき、最後にフェンスにぶつかってドーンという音を立てて止まった。観衆がドオォッとどよめく。
 中林は、ファールグラウンドをコロコロと転がっている打球を眺めたまま、フラフラと3塁ベースに戻っていった。まるで日射病にかかった子どものような足取りだった。
 ──おい。今の、何だよ?
 これが一軍の4番打者なのか、と中林は背筋が凍る思いをした。まったく、これではどちらが自分の敵なんだか判らない。自分がどんなに意気込んでいても、あんなにいとも簡単に打球を外野に運ばれてしまっては、あるはずの出番も無くなってしまう。
 彼はちらりと3塁コーチの方を垣間見た。「よしよし」と言わんばかりに満足そうな表情を浮かべていた。
 ──ちっ。いい気なもんだぜ。ただ勝ちゃあいいって人間は……。
 舌打ちだけは本当に音が立った。中林は、また挫けそうになる気持ちを奮い立たせながら、再びリードをとる。今度はやや大きめの距離を取った。
 2球目。初球とまったく同じ球に見えたが、今度はミットの前で外へ逃げてゆく高速スライダー。明らかに空振りを狙った球だったが、バットはハーフスイングになる手前で止められた。判定はボール。中林は、今度は小走りで帰塁した。
 3球目、これはいわゆる“落ちる球”だったが、コントロールミスかホームベース上でワンバウンドしてしまい、キャッチャーが辛うじて体全体を使って捕球した。バッターは悠然とランナーを止めるポーズをとる。これでは中林も動けない。三たびベースに足を戻す。
 これでカウントは1ストライク2ボール。俗に「バッティング・カウント」と呼ばれるものである。次のボールを見送った場合、ボールとなって1ストライク3ボールになるメリットよりも、2ストライク2ボールとなって追い込まれるデメリットの方が大きいため、バッターがヒッティングを試みるケースが多いことからそう呼ばれる。
 次が勝負だ、と中林は確信した。カウントに加えて、これまでの諸々の状況を考えると、次の球で打ちに来ない方が確かに不自然な話である。彼は、これまでに比べて明らかに長い距離のリードをとった。たちまち牽制球が飛んできたが、もちろん頭から滑り込んで塁審の「セーフ」という声を頂戴する。コーチの怒声が響いたが、聞いていないフリをした。ここで返事をしてしまったら、もう超積極的なプレーは出来ないからだ。この場面、中林はどこまでも冷静だった。少なくとも、本人だけはそのつもりでいた。
 仕切り直し。再び大きなリードをとるが、もう相手バッテリーが3塁を牽制するつもりは無さそうだった。キャッチャーが両手を使ったジェスチャーで低めに球を放るように要求していた。ワンバウンドぐらい気にするな、ということなのだろう。今は外野フライでサヨナラ負けになる場面である。
 球が投げられた。バッターは、やはり躊躇無くフルスイングしようとしていた。中林もためらい無くスタートを切った。ピッチャーゴロでもクロスプレーだという皮算用の結果が、彼の脳裏に浮かんだ。
 バットの旋回する、ぶん、という音が中林の耳に届く。
 ……しかし、初球の時とは違って、ぱきん、という音はしなかった。
 「〜〜〜〜〜〜〜!」
 会心のスタートが、一転して最悪のスタンドプレーと化した瞬間だった。止まらない足を懸命に制動しながら、中林は心の中で声にならない悲鳴をあげた。 
 フルスイングされたバットは空を切っていた。ボールは3球目と同じくワンバウンドする球。キャッチャーは、やや前のめりになりながら胸のプロテクターで球をはじき落とした。視線は既に飛び出した中林の方へ向けられている。2、3回手探りしてボールを掴んで立ち上がると、すぐさま豪快な野手投げで3塁へボールを放った。狩猟民族が、逃げる獲物にめがけて矢を放ったかのようだった。
 それに合わせて中林は懸命に頭からベースへ滑り込んだ。今度は無我夢中だった。客席がドッと沸いたのだけはなんとなく分かった。
 指先がベースに触れたのと、手の甲に三塁手のグラブが触れたのとは、本当に全く同時だった。中林は、「同時の時は、アウトとセーフどっちだったっけ?」と思い出しながら、顔を伏せたまま判定を待った。
 「セーフ!」
 塁審のカン高い声が耳に届いた。ほぼ同時に「そりゃないよ、ヒラさん!」という、三塁手が審判へ抗議する声も聴こえてきたが、その声は、さほど詰問しようというムードでは無かった。
 中林は野手の隠し球とベースタッチに気を配りながら立ち上がると、「ふう〜っ」と長い溜め息を吐いた。滑り込んでから今まで、息が詰まって呼吸が出来ていなかったのだ。ちらりとコーチの顔を窺うと、高校時代、野球部の監督に酒を呑んでいるところを見つかった時のその表情と同じような顔をしていた。中林は、試合が終わるまでコーチの顔は一切見ないでおこうと心に決めた。
 これでカウントは2ストライク2ボール。投手有利のカウントになったのだが、それで少し気持ちのタガが緩んだのだろうか、5球目は明らかに高めに外れたボール球になってしまった。もちろんバッターはそれを悠然と見送った。これでフルカウント。
 それからは、まさに根競べだった。バッターは難しい球をファールで交わしつつ、甘い球を待つ。もちろんバッテリーも、そうはさせじと厳しい球を投げ続ける。
 中林も、その根競べに無縁では無かった。4球目のクロスプレーでマークされてしまった彼は、何度も牽制球のターゲットにされた。この回から代走で出場したばかりなのに、ユニホームはもう、ファームで3時間の練習を終えた後のように酷く汚れてしまっていた。さすがに中林も、ややウンザリするところがあったが、それ以上に、自分が相手チームから脅威として認められている嬉しさの方が勝っていた。何だか、この数分間で自分がとても偉くなったような気がした。
 次はもう10球目だった。ランナーの様子を窺うピッチャーの表情には、明らかに焦りと疲れが浮かんで来ていた。決着の時は近そうだと、誰の目にも映った。
 白球がピッチャーの手を離れる。投げた本人自身はともかくとして、相変わらず力強い投球だった。さらにはスライド気味に外角低目へ流れていくイヤらしい球。文字通りの勝負球だった。
 その時中林は、自分のチームの4番は、この球をどうやって打つのだろうかと思った。好奇心というより、素朴な疑問だった。「こんな難しい球、どう打つんだよ」なんて、無責任なセリフを心の中で吐いて捨てた。
 そしてその球は──
 その素朴な疑問に答えること無く、ばしーん、という音を立ててキャッチャーミットに納まった。
 ──あれ?
 何が起こったのだろう、と中林は一瞬呆然とした。
 アンパイアの右手は上がらない。ミットを捕球体勢で構えたままうな垂れるキャッチャー。赤鬼から人間の顔に戻ったバッターは、ホームランを打ったかのようにバットを高々と放り投げて、満面の笑みで一塁へ駆け出した。数万の観衆から奏でられる“特殊効果”は、どよめきと歓声が入り混じったものだった。押し出しのサヨナラ・フォアボール。それがこの試合に用意された結末だった。
 ──おい、なんだよ、なんなんだよ……
 中林は立ち尽くしたまま、遠く離れた一塁側を眺めていた。無言で肩を落として3塁ベンチに引き上げていく野手たちの後ろでお祭り騒ぎが始まろうとしていた。
 ──ちょっと待てよ。4番バッターが、フォアボール選んだだけでヒーローなのかよ。何もしてねえじゃんか。俺はなんなんだよ。何のための代走なんだよ……
 1塁側ベンチにいた全員が、1塁ベース付近でヒーローの到着を待ち構えていた。そのヒーローは、ガッツポーズを客席に振りまきながら、余韻を楽しむようにゆっくりと歩を進めていた。一方、中林の周りは閑散としている。この対比は何だ、と彼は思った。
 「コラ! ボケ!」
 守備走塁コーチが中林を怒鳴りつけた。
 「お前がホーム行かねえと、試合が終わらねえだろうが!」
 くそっ、という声を飲み込んで、中林はジョギングのような歩調で10mほどの距離を行き、ホームベースを踏んだ。それと同時に1塁付近でお祭り騒ぎが始まったが、中林はそこへ入っていく気にはなれなかった。

 
 試合後のロッカールーム。まるでお祭り騒ぎが続いているかのように、歓喜で沸きあがっていた。
 そんな中、中林はなるべく目立たないように部屋の隅で着替えをして、帰り支度を進めていた。試合の後、例のクロスプレーについて、何人かの先輩に冷やかされたりしたが、それらには半ば事務的なお愛想で返しただけで、彼は試合が終わってからここまで、ほとんど会話らしい会話をしていなかった。失望感で埋め尽くされた頭では、雰囲気に酔う気分すら湧いてこなかったのだ。
 自分は、なんて小さい存在なのだろう──
 試合が終わってから中林は、ずっとそんな事を考えていた。どれだけ自分が意気込もうが、イチかバチかの勝負に出ようが、たった1つのフォアボールで全て無かったことにされてしまう自分の存在。確かに相手ピッチャーから何度も牽制球を投げられたりして、試合中にちょっとだけいい気になっていたりもしたが、今となって全てが分かった。それは錯覚だった。自分はなんて、どうしようもないくらいちっぽけな存在だった。
 そして明日から待っている、いつ終わるとも知れない二軍暮らし。これが中林の気をさらに重くさせていた。
 それは、一軍選手との力の差と自分の存在の小ささを見せ付けられた後に待っている、文字通り苦渋に満ちた泥まみれの生活。
 果たして自分に、これ以上プロで野球を続けていく価値があるのだろうか──?
 中林の頭に、色々なことが渦巻いては消えていった。
 野球を続けていっても、何も良いことが無いような、そんな気持ちすら起こっていた。
 どうしようもない絶望感。周りからの明るい声が鋭利な刃物のように姿を変えて、ひどく心の深くをえぐって来るような気がした。痛みの無い痛みが全身を駆け抜けた。
 「おい、中林!」
 ロッカールームの入口から、球団職員の呼ぶ声がした。
 ハイ、と言って彼が振り返ると、事務的な仕事をこなしています、といった表情をした職員が、廊下の奥にある監督室の方向を指さし、口を開いた。
 「中林、監督が呼んでるぞ──」  (次回へ続く


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