「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

12/31 犯罪社会学「田原成貴(元)調教師・覚せい剤所持&使用で逮捕・シリーズ完結編」
12/30 集中講義・競馬学特論「2001年中央競馬総括」
12/28 マーケティング概論「駒木博士、冬の思い出」
12/27 映像文化論「してはいけない“2本立て”についての考察」(3)
12/26 演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(12月第5週分)

12/25 
映像文化論「してはいけない“2本立て”についての考察」(2)
12/24 
映像文化論「してはいけない“2本立て”についての考察」(1)
12/23 
経済学(一般教養)「マクドナルド・『平日半額』終了の波紋」
12/22 
集中講義・競馬学特論「G1予想・有馬記念編」
12/21 
法学(一般教養)「日本国女帝誕生へ向けての諸問題」(4)
12/20 
馬事文化学特論ステイゴールド号・G1制覇記念企画・ショートストーリー「Stay Gold Forever」《作:栗藤珠美 監修:駒木ハヤト》
12/19 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(12月第4週分)
12/18 
メディア・リテラシー概論「ニュース購読・『あの人は今こうしている 工藤兄弟』」(2)
12/16
 
メディア・リテラシー概論「ニュース購読・『あの人は今こうしている 工藤兄弟』」(1)

 

12月31日(月)/1月1日(火・祝) 犯罪社会学
「田原成貴(元)調教師・覚せい剤所持&使用で逮捕・シリーズ完結編」

 え〜と、諸事情有りまして、この講義は2001年最後の講義であり、2002年最初の講義ということに相成りました。せめてボリュームだけは2日分に相応しいものとしたいと思いますので、ご了承を。

 さて、そんな講師の不徳の限りを尽くしたような“2日合併”講義は、せめていかにも仁川経済大学の社会学講座らしい題材を……というわけで、競馬関連の社会学を講義したいと思います。
 今年の競馬界は、馬やレースといった“表舞台”に関しての話題には良いものが多かったのですが、所謂“舞台裏”の話には暗いものが多かったような気がします。地方競馬場の相次ぐ閉鎖決定や、野平祐二元調教師の死去、さらに安藤勝己騎手のJRA騎手試験不合格事件etc……。
 しかし、その中でも飛びぬけて印象的な出来事だったのが、田原成貴調教師(当時)の起こした不祥事に関する話題でした。
 覚せい剤取締法違反で逮捕、起訴という衝撃的なその不祥事の内容は、当然、ワタクシ駒木にも強烈なインパクトを与えました。当時は『最後の楽園』というサイトをプライベートで運営していた駒木は、その中の「今日の特集」というコンテンツの中で、計6回にわたって採り上げ、記事にしました。(現在、アーカイブにて公開中。未読の方は、こちら《正編》とこちら《後日談》を先にご覧下さい)
 ただし、この時はまだ公判が始まる前ということもあり、残念ながら未完の形でまとめざるを得ない状況でした。
 ですが、先日ついに判決公判があり、この事件が決着の時を迎えました。
 そこで今日はシリーズ完結編。この事件の顛末と、そして田原成貴のこれからについて語ってみたいと思います。

 田原成貴の初公判が行われたのは12月10日の事でした。
 捜査段階で、物的証拠が揃っているのに、およそ1ヶ月間黙秘権を行使、ダンマリを決め込んだ田原は、警察・検察に対する心証が最悪でした。普通、覚せい剤犯罪の初犯では、実刑判決が下る事は稀なのですが、“ひょっとしたら危ない”というところまで事態は悪化していました。
 そのためでしょう、起訴されてからというもの、田原サイドは(恐らく弁護士のアドバイスに従って)態度を一変させます。これまでとは手のひらを返したように素直に罪を認め、反省のポーズを取り始めました。もっとも、これは反省したり謝ったりするのが死ぬより嫌いな田原のやることですから、本心からとった行動とはとても思えません。しかし、競馬のケの字も知らないエリート育ちの裁判官の目くらいは誤魔化せるとは思っていたのでしょう。確かにこれは有効な手段でありました。ですがまぁ、駒木は、保護司の前だけでは素直な態度をとる高校中退の非行少年を見ている元担任、みたいな心境になってしまうのですが。
 話がややズレました。初公判です。
 その初公判、田原は判決後の身元引受人・本宮ひろ志氏を証言台に立たせるなど、執行猶予を“勝ち取る”ためにあの手この手を使います。この辺り、三田佳子の次男が、唐十郎氏を身元引受人にしたことで、再犯にも関わらず執行猶予判決を受けた事を研究しての行動なのでしょうか。
 では、その証人2人がどのような証言をしたのかを検証してゆきましょう。
 まず、身元引受人でマンガ家の本宮ひろ志氏の証言から。彼は、田原を自分のマンガ原作者として“雇用”し、原作・田原成貴作品の連載も立ち上げると明言しています。

「やったことは仕方ない。彼にはこれからはゆっくり歩いてゆっくり考えてゆっくり生きていこうと諭しました」

 「やったことは仕方ない」で済むのなら、モンテスキューも三権分立を訴えなくて済んだ気がしますが、そこんトコ、どうよ? ……いや、失礼。しかし思わず2ちゃんねる用語を使いたくなるような証言ですなあ。
 それに、「ゆっくり歩いてゆっくり考えてゆっくり生きていこう」ですか。何だか往年の標語「ゆっくり走ろう・東京都」を思い出させるフレーズですが。そういえば、昔、ビートたけしさんが作ったギャグで、「眠くなったら車を停めて、頭スッキリ覚せい剤」なんてニセ標語がありましたね。まぁ、さしずめ田原は「辛くなったら仕事を捨てて、頭スッキリ覚せい剤」てなところでしょうが。
 それに、ゆっくり生きるならば、締め切りに追われるマンガ原作者生活よりも、禅寺かどこかへ出家した方が余程効果的だと思いますが。……あ、本宮氏の信仰を考えると禅寺はまず無理ですか。鎌倉時代からの因縁がありますものね。…今からでも遅くないですから、禅寺はナシにしても身元引受人を瀬戸内寂聴さんに切り替えたらどうでしょうかね? 関係諸氏にはご検討願いたいと思います。

 さて、次に妻・裕子さんの証言です。本来なら、完全な“シロウトさん”をイジる槍玉に挙げるのは本意では無いのですが、今回は心を鬼にして採り上げたいと思います。

「元々スポーツマンらしい人。調教師の仕事は過酷で精神的に追い込まれたのだと思う」

 記者を呼び出して、しかもムチの柄で不意打ちして前歯を叩き折るチンピラのどこがスポーツマンらしい人なのか、『朝まで生テレビ』で討論したい気持ちで一杯になりました。まぁマイク・タイソンあたりを基準にすれば、そう言えなくもありませんけど、それはそれで裁判の証言としては最悪だと思います。
 また、中央競馬では、200人以上の調教師さんたちが日夜頑張って仕事に励んでいらっしゃいます。辛いことがあっても、せいぜいカンチューハイを呑んで気を紛らわす位で頑張ってるんです。ですから調教師の皆さんも、シャブチューハイやった奴にそんな事言われたくはないでしょう。
 しかし、こんな証言でも情状酌量の材料になるんですから、さすがは法治国家日本でございますね。いやはや、感動の余り鼻水が出ます。

 …と、以上が弁護側証人の証言でした。ただ、これはあくまでも証人の話。肝心なのはやはり、被告人本人の証言です。それでは、報道された田原成貴の法廷での証言を検証しましょう。 

★覚せい剤所持・使用の動機について
「調教馬の耳に発信機をつけたことで、JRAから理由の説明のないまま罰金50万円の処分を受けてむしゃくしゃしており、スカッとしたかった」

 この他に、「この事件のため、来年度以降の入厩予定馬が相次いでキャンセルされ、厩舎の存続は無理だろうと思っていた」との証言もありました。そりゃそうです。例えば、保護者や担任に内緒で、校長が生徒のカバンに発信機を着けるような学校に誰が子どもを学ばせたいと思いますか。
 …それに、理由の説明ってアンタ、そりゃ「危ない」からに決まってるでしょうが。そんなもん、「中に出したら妊娠するかもしれない」くらい明白な事だと思いますよ。
 と、「むしゃくしゃしており、スカッとしたかった」ですか。なんかジャイアンがのび太を殴る理由と同じですね。脳ミソは小学5年生並なんでしょうか。知能テストを実施して、結果を提出したら刑が軽減されるかもしれませんぞ。  

★覚せい剤の使用に関して
「2度とも針は刺したが液は注入していない。陽性反応が出たのは2回目にどんな味がするかなめてみたからだ」

 講義が長引いて冗長になるのを避けるため、多くは申し上げませんが、
 「俺はその場にいたが、レイプには参加してない。観てただけ」
 と、いうチーマー時代の東幹久の証言と肩を並べる“迷言”だと思います。

★常用を裏付けるとされた注射痕について
「10年前に落馬で入院。1カ月以上点滴を打っていたのでその跡です」

 まぁ、確かに彼は長期入院してましたので、この証言は信ずるに足りるでしょう。ただ、1つ付け加えますと、覚せい剤の常用者は、注射痕を残さないように爪の間に針を刺し込んで注射します。

 …だから、どうというわけではありませんが。

★逮捕時に覚せい剤と注射器を所持していた事について
「捨てるつもりだったがどこに捨てていいか分からず持っていた」

 そりゃあ「ゴミはゴミ箱に」でしょうが。バカボンパパは植木屋、くらいの常識です。
 また、「資源ごみはリサイクルに」ですので、覚せい剤の水溶液を入れていた容器は、水洗いの上、リサイクル用のゴミ箱に入れるべきでしょう。
 …って、そんな幼稚園児でも分かるような事をいちいち言わせないで頂きたいですね。ここは大学なのですぞ、一応は。

 圧巻はナイフ所持に関する証言でした。

「やくざビデオを見ていて友人から借り、北海道の友人に見せに行くつもりだった」

 こんなバカがいるから、ゲームやマンガを葬り去ろうと考える辻本清美チックなオバハンPTAのご婦人方が現れ出でるんですよ、まったく。
 しかし、今はそんな事を言ってる場合ではありません。それに続く証言が大変なことになっているのです。

「7日にJRAから(労使関係で)責められたことでむしゃくしゃしていたし、キリをつけたかった。男らしく捕まるつもりでゲートに向かった」

 「友人に見せに行くつもり」と「男らしく捕まるつもり」……証言内容が全然一致してません。支離滅裂です。この際、裁判を中断してもう一度薬物検査をした方がいいと思います。

 で、証言の最後には突如号泣しまして、

「私の罪は許されるものではない。二度と罪を犯さないし今後、待ち受けるいばらの人生を妻と子供を守りしっかり生きていくことを誓います」

 などと締めました。これまでの証言とその検証を踏まえてこの発言を読むと、行間に込められた真実が浮かび上がってくるようで感慨深いものがありますね。我が仁川経済大学の、国語の入試問題にしたいくらいです。

 ……と、いうわけで初公判は終わり、即日結審。残るは27日の判決公判のみということになりました。
 そんな中、田原成貴が調教師として在籍していたJRAが、判決を待たずして彼の調教師免許を取り消します。これは、田原自身が自らの罪状を認めたことなどが決め手となり、調教師免許取り消しの要件を満たしたためです。これにより、田原は即日失職。選挙に落ちた自由連合の候補者のような状態となりました。
 そして、運命の判決公判。文字通り“墜ちた英雄”となった田原に下された判決は、

 被告人田原成貴を懲役2年に処す。ただし、その刑の執行を3年の間猶予する。

 …でした。俗に言う「執行猶予3年」というものです。執行猶予は実質、無罪に等しい判決ですので、田原成貴はこれで自由の身となりました。
 執行猶予の理由としては、「反省しているし、社会的制裁(調教師免許取り消し)も受けている」という月並みなもの。どうして裁判長は、駒木の拙文をチェックしていただけなかったのか、それこそ吉野家で小一時間問い詰めたい心境なのですが、終わってしまった事です。仕方ありません。

 さて、最後にこれからの田原成貴について、少々述べて今日の講義を終わりたいと思います。

 田原成貴はこれからマンガ原作者、つまり作家としての道を歩み始めるわけですが、果たして展望は開けるのでしょうか?
 と、いいますのも、彼の著作の中でも名作の誉れ高いエッセー集「競馬場の風来坊」シリーズは、ゴーストライターを使った著作であることが、出版業界の常識となっています(後にガクンとクオリティが落ちてからは本人の著作だとのことですが)。文才そのものが疑わしいと言うわけです。それに、競馬界を追放された人間の書いた競馬エッセーなど誰が有り難がるでしょうか?
 また、マンガの原作も既に数作手がけていますが、これも競馬の専門的知識については、さすがに舌を巻きますが、やはり肝心のストーリーテリングに関しては凡百の作家を超えるまでのレヴェルには達していない、というのが現実です。作品が競馬に関するものに限られるというのも大きなハンデですし、限りのあるネタをどう使い回ししてゆくか、という悲しい現実に近い将来ぶち当たる事にもなるでしょう。
 結局のところ、彼は騎手なのです。それ以外の何ものでもありません。その天職を捨ててしまったこれからの彼の前途は、奇しくも彼自身が初公判で語った通り、いばらの人生となるでしょう。それだけは間違いありません。そんないばらの人生を、人一倍プライドだけ高い彼がどうやって生き抜いていこうとするのか……? 
 また、ひょっとしたらこの講義で田原成貴を扱う事になるかもしれませんね。その時、彼がどのような肩書きで呼ばれているか、その辺も含めて注目してみたいと思います。それでは、今日の講義を終わります。(この項終わり)。

 ……

 えーと、明日の講義ですが、明日は本来ならゼミ(演習)ですが、1日ずらして、別の講義をやりますので、よろしく。

 


 

12月30日(日) 集中講義・競馬学特論
「2001年中央競馬総括」

 2001年の中央競馬は、先週の有馬記念をもって閉幕しました。地方競馬でも、昨日の29日に年内最後の重賞レースである東京大賞典が行われ、こちらも事実上閉幕しています。よって、今週の競馬学特論は、これを受けて今年の競馬、特に中央競馬の総括を行いたいと思います。
 本日の講義は二部構成。
 まず前半で、年度代表馬などのJRA賞の私家版を発表したいと思います。後日発表される公式版と見比べてもらえれば一興かと思います。
 そして後半では、当講座を担当する講師・駒木ハヤトの、今年・2001年における馬券収支の詳細を公開します。普段はなかなか窺い知る事の出来ない他人の馬券戦線の顛末を見る絶好の機会ですので、どうぞお見逃し無く。

 それでは早速、前半の「2001年度JRA賞・私家版」の選定に移りましょう。
 「JRA賞」ですので、対象は中央競馬所属馬のみとなります。審査の対象となるレースも、原則として中央競馬開催のレースに限りますが、海外の重賞レースや地方ダートグレード競走(=中央・地方統一重賞)は、審査対象として考慮するものとします。
 それでは、一覧表からご覧頂きましょう。当講座選定のJRA賞・私家版はこうなりました。

2001年JRA賞・私家版(駒木ハヤト選定)

年度代表馬 ジャングルポケット
最優秀4歳以上牡馬 ステイゴールド
最優秀4歳以上牝馬 トゥザヴィクトリー
最優秀3歳牡馬 ジャングルポケット
最優秀3歳牝馬 テイエムオーシャン
最優秀2歳牡馬 アドマイヤドン
最優秀2歳牝馬 タムロチェリー
最優秀父内国産馬 (該当馬無し)
最優秀短距離馬 トロットスター
最優秀ダート馬 クロフネ
最優秀障害馬 ゴーカイ
ベストレース(私家版のみ) ジャパンカップダート

 それでは、順番に選定理由を述べてゆきたいと思います。
 年度代表馬は一番最後に。
 というわけで、最優秀4歳以上牡馬部門から。候補に挙げたのはステイゴールド、アグネスデジタル、トロットスター、レギュラーメンバー、テイエムオペラオー、メイショウドトウの6頭でした。
 まず、トロットスターはG1を2勝しているのですが、共に国内G1、しかも例年に比べて若干レヴェルの低い短距離戦線でのものですので、脱落。レギュラーメンバーもG1を2勝していますが、2つともG1の中では“格下”の地方競馬でのG1ですので、こちらも脱落としました。オペラオーとドトウは、実力は認められるものの、今年に限っては強調できる実績に欠け、こちらも脱落としました。
 で、残るは2頭。G1勝ち数で言うと、アグネスデジタルが3勝(香港国際C、天皇賞・秋、南部杯)に対し、ステイゴールドは香港国際ヴァーズの1勝のみ。しかもアグネスデジタルは、ダートから芝まで、しかも国際競走を含む活躍を見せており、強調できる点も多くありました。しかし、ステイゴールドはグレードこそ国際G2ながら、実質はブリーダーズCターフに勝るとも劣らないレヴェルだったドバイシーマクラシックに勝っており、これは国内G1に換算すると2勝分以上の価値があると判断、年間通じての活躍という点も加味し、こちらを受賞としました。
 最優秀3歳牡馬は、G1を2勝したジャングルポケット、マンハッタンカフェ、クロフネの3頭による争いとなりました。クロフネは、ジャパンCダートの圧勝が高い評価を得ていますが、もう1つのG1勝ちが、中央競馬G1の中でも屈指の低レヴェルとされるNHKマイルCであること、そしてダービーでジャングルポケットに5着完敗を喫していることなどから脱落としました。
 残る2頭は、3冠レースと古馬混合のチャンピオン決定戦的なG1競走を1つずつ勝っており、実績面では甲乙つけ難い状況です。しかし、ダービーやジャパンCといった、王道中の王道を歩んできたジャングルポケットに敬意を表して、こちらを受賞としました。
 残りの部門は順当でしょうから、理由は割愛します。父内国産馬部門は、受賞するならナリタトップロードなのですが、中途半端な成績で受賞させるくらいなら、ここは心を鬼にして「該当馬無し」とすべきだと判断しました。
 また、ベストレースは、「何度でも観てみたい中央競馬のレース」を基準にして選定しました。“好勝負”という点ならエリザベス女王杯も捨て難いのですが、レース後の爽快感という点を考慮すると、こういった結果になりました。
 そして最後に年度代表馬。ジャングルポケットステイゴールドの一騎討ちになったのですが、秋シーズンの3歳馬VS古馬の勢力関係を考えると3歳馬が優勢ですし、「年度“最優秀”馬」ではなく、「年度“代表”馬」であることを考えると、日本競馬界の花形であるダービーを勝ち、今年の重要テーマの1つであった世代交代を成し遂げた急先鋒ということで、ジャングルポケットを選出した次第です。
 恐らく、本家のJRA賞とは食い違う点も出てくるでしょうし、受講生の皆さんとも意見が異なることもあるでしょうが、これも1つの見方であるとの認識をしてもらえれば、と思います。

 ……

 では、続きまして後半戦です。
 この「競馬学特論」は、中央競馬のG1レース開催週に予想や観戦記を掲載してきました。講義の開講の時期が遅かった事もあり、今年に関してはあまり充実した講義とはなりませんでしたが、それでもある程度密度の濃い講義が実現できたのではないかと思っております。
 しかし、受講生の中には、
 「そんなに偉そうに能書きを垂れているアナタは、どれほどのモンなのか?」
 と、思われている方も多いと思われます。
 そこで、今年の駒木ハヤトの馬券収支決算を公開して、皆さんに判断してもらおうかな、と、そういうわけです。
 で、以下はその収支決算表になるのですが、多くの方は馬券の購入金額の少なさに驚かれるかもしれません。しかし、これは駒木が「1点100円、3点買い」を基本戦術にしているからです。(ただし、G1レースはこの限りではありません)
 競馬というギャンブルは、25%という高い控除率のために、長期的な観点で言えば負けて当たり前の設定になっています。それを考えると、賭け金を増やす事は自殺行為に他なりません。また、巷に蔓延る「馬券購入額が大きいものほど偉い」という根拠不明の認識に対するアンチテーゼの意味合いも含めて、駒木は100円馬券のスタンスを貫いています。
 というわけで、その点を認識した上で、収支決算表をご覧下さい。

 ★表1・月別収支決算表(単位・円)

投資
金額
回収
金額
月別
収支
累計
収支

1月

3600 5760 +2160
2月 2200 910 -1290 +870
3月 4500 2540 -1960 -1090
4月 4800 7160 +2360 +1270
5月 5300 4840 -460 +810
6月 3600 840 -2710 -1900
7月 2800 0 -2800 -4700
8月 8月は全休
9月 2600 6280 +3680 -1020
10月 4600 4650 +50 -970
11月 5400 5300 -100 -1070
12月 5700 4330 -1370 -2440
総合 45100 42660 回収率94.59%

 ★表2・G1と他のレースの収支対比(単位・円)

種別 投資
金額
回収
金額
種別
収支
回収率
G1 11100 7360 -3750 66.31%
その他 34000 35310 +1310 103.85%

 ★表3・月別馬券的中率(単位・レース、カッコ内はG1レース)

購入
回数
的中
回数
的中率

1月

12 4 33.33%
2月 6(1) 2(0) 33.33%
3月 13(1) 5(1) 38.46%
4月 14(3) 5(2) 35.71%
5月 15(3) 5(1) 33.33%
6月 10(2) 3(1) 30.00%
7月 9 0 0%
8月 全休
9月 13 5 38.46%
10月 13(3) 5(1) 38.46%
11月 16(4) 7(3) 43.75%
12月 16(3) 6(1) 37.50%
総合 124(20) 47(10) 37.90%

 では、簡単に解説などを。
 総合的な観点から見ると、7月のスランプが全てだったかな、という気がします。他の月は安定して30%台後半〜40%台前半といった、3点買いとしてはハイアベレージといえる数字を叩き出しているのに、この月だけはいかにも酷すぎますね。
 また、的中率の割に金額の収支がバラついているのは、的中した馬券の配当(倍率)が違うからです。配当金が3ケタ(倍率一ケタ)の堅い馬券しか的中しなかった月は赤字ですし、中穴馬券がゲットできた月は黒字になっています。ギャンブル社会学の世界では、「本命党とは、緩やかにそして必ず負ける人たちのことを言う」というのが常識なのですが、この収支を見ると、それが間違っていない事がよく分かると思います。特に、G1レースは的中率50%なのに、買い目が多いのと、エリザベス女王杯(20.5倍)以外は全て3ケタ配当だったことで期待値(約75%)割れの惨劇に。G1だけはどうしても当てにいってしまうので、こういう事態も覚悟の上なのですが、やはり数字と言うのは冷酷なものですね。
 と、いうわけで、今年は回収率約95%の“大健闘の末惜敗”となりました。来年のこの時間で、高らかに勝利宣言ができるように頑張りたいと思います。
 この競馬学特論は、来年の中央競馬G1レース開幕までしばらくお休みとなります。その間は「競馬学概論」として、別企画を立ち上げますので、これからも毎週土曜日をお楽しみに。それでは、今日の講義を終わります。(この項終わり)

 


 

12月28日(金)マーケティング概論
「駒木博士、冬の思い出」

 使い尽くされて鬱陶しい言葉ですが、年の瀬です。師走とも言います。世の先生方も走るほど忙しいということなんでしょう。
 ところで、一応ワタクシも世間的に“先生”と呼ばれる身分であるのですが、自分が走る時と言えば、「締め切り1分前です」の声を聞いて馬券・車券売り場に駆け込む時くらいなもので、もっぱらお馬さんや自転車に乗った人たちが走るのを眺めていることの方が多い始末です。どうやら、師走という言葉が間違っているか、ワタクシが先生の資格が無いかどちらかのような気がしますね。

 しかし、自分がここ数年間、“師走”をどう過ごしたかを振り返ってみますと、去年は高校の仕事が無くなってフテ寝、一昨年はマンガ喫茶のバイトで『じゃりん子チエ』全巻読破中と、今年同様全然走ってない師走も多いのですが、本当に“師走”していた冬もあったことを思い出したりしました。
 それは今から3年前、ワタクシが甲南大学の文学部に籍を置きつつ、学習塾の非常勤講師で馬券資金稼ぎをしていた頃の話になります。

 学習塾の“かきいれ時”というのは、何と言っても夏・冬・春の長期休暇であります。“集中講座”の名の下に、普段学校に行っている時間帯に子どもを塾に集めることで、出来るだけ多くの授業料を回収しようと言うわけです。
 教室のキャパシティギリギリまで生徒を詰め込み、講師・職員を過労死寸前まで酷使して“売上げ”を伸ばそうとするわけですから、当たり前のように授業のクオリティは下がり(その反面、嫌なテンションだけ上がりますが)、生徒もいつもより息苦しい思いをする事になります。ですが、んな事関係ありません。塾だって慈善事業じゃなくて商売でやってるわけですから、稼げる時に稼げるのは当然の事。母の日前後にカーネーション相場が上がるが如く、正月前後はボーリング場の料金が跳ね上がるが如く、コミケ当日は秋葉原周辺とヤフーオークションが熱く燃え上がるが如く、世の中全ての営利団体は、稼ぎ時には手段を選ばないものなのです。学習塾も例外ではないわけです。
 とはいえ、学習塾業界というものは、同じ地域に同業者が複数巣食っているのが普通であります。ですから自然と、“金の成る木”である普段塾に通っていない子どもを、複数の塾が激しく争奪することになります。言わば新宿歌舞伎町の裏通りと同じ状態ですね。
 そこで、学習塾はあの手この手を使って“営業”をします。塾生から紹介された友人の授業料を割り引くといった、風俗店で言うところの「『サンスポ見たヨ』で1000円引」にあたるサービスや、DM・テレアポといったお馴染みの手段などが良く使われる手段ですが、ワタクシが所属していた塾では、古典的なチラシのポスティング(団地・マンションのポストにチラシを放り込んでゆく)が行われていました。
 しかしコレ、ただのポスティングではありません。
 余計なコストの発生を避けるため、ポスティングをするのは塾の“先生”方です。普段は教室で授業をしている人たちが、下はバイト君から上は教室長に至るまで、全員でチラシを撒きに行くのです。一般企業で言えば、課長さんが暴走族上がりのバイトと混じってティッシュを配ってる、みたいなものでしょうか。
 普段は身分不相応に偉そうぶっている“先生”方ですから、これがチラシを撒くために走り回っていると言うのは滑稽であることこの上ない話ですので、作業の“決行”は、自然と夜中になります。塾の正規業務が終わった午後11時30分頃、約10人の職員が10000枚のチラシを分配して、
「散!」とばかりに近所中へちらばってゆくことになるのです。
 この真夜中のポスティング作業、夏はまだいいのですが、冬期講習の募集チラシを撒く時は12月、つまり今頃です。ハッキリ言ってアホほど寒いんです。
 しかももっと寒い事に、この作業、バイトの時給は本来の授業時給ではなく、雑用等に適用される事務時給が適用されるのです。その時給額、実際に金額を書くと生々しいので、ボカして書きますが、松屋でカレギュウ+生野菜+玉子を食ったら綺麗サッパリ無くなる額でした。「時給750円以上」で不平不満が絶えなかった、今から3年前の話です。
 こんな時給で、しかも厳寒の中ですから、出来るだけ作業を早く終えようと皆、夜の町を駆け巡ります。新聞配達の少年のようにチラシの束を抱えてひた走る塾のセンセイ。そう、この頃、まさにワタクシは「師走」の中にいたのです。

 ……気が付けば、思い出話で講義に代えてしまいました。なんて手抜きなんでしょうか。申し訳ございません(高嶋弟風に)。

 しかし、最後にもう一言言わせてください。

 このポスティング作業、何が一番辛いか。
 この作業では、大の大人が10人がかりで10000枚のチラシを撒くわけです。これで文字通り“千客万来”になれば、苦労も報われる、本部から臨時ボーナスも出る、というわけなのですが……。
 結論を言う前に、まずこちらをご覧下さい。出会い系サイトの管理人が、10000人分のアドレス名簿を購入してDMを送り、その結果をレポートしたものです。
 10000人にDMを送ってみたものの、実際に獲得できた会員は僅かに5件。しかもその約8倍のウィルスメールが届くという悲惨な事態に、管理人の無念と痛さが伝わってくる思いです。
 塾で行ったポスティングも似たような結果でした。このチラシの反映率──実際に契約に結びついた率──は0.1%。つまり、新入生の獲得はわずか10人にとどまったということです。この結果を知った途端、職員一同が脱力したのは言うまでもありません。

 現在、その塾ではポスティング作業はほとんど行われなくなったそうです。コスト削減に勤しむこのご時世、それも当たり前の話なのですが、そんな話を聞いた時、ワタクシは何やら複雑な心境になるのです。(この項終わり)

 


 

12月27日(木)映像文化論
「してはいけない“2本立て”についての考察」(3)

 いきなり余談です。
 どうも昨日、今日あたりから一部の検索エンジンで当講座がヒットするようになったみたいで、講義記録(アクセス解析)にも報告が載るようになりました。
 しかし、その中で「矢井田瞳のCD売上げ」でヒットしていたのが気になります。
 …気になる、というか、謝っときます。ごめんなさい。

 ……

 さて、気を取り直して講義へ移りましょう。
 前回は、最もやってはいけない『2本立て』である、混ぜてはいけない“洗剤化学反応”パターンの前フリをしたところで終わったのでした。今回は、その解説から始めます。前回までの講義内容は、こちら(第1回)とこちら(第2回)を参照のこと。

 この“洗剤化学反応”パターン、いきなり比喩から入ってしまったために、イマイチ全体像が見えて来ない人がいるかもしれませんので、そこから解説しておきましょう。
 元来『2本立て』というものは、その1本だけではインパクトが弱くて集客能力の乏しい映画作品を、2本同時上映することでその弱点を補強するために行われます。ですから、同時上映される2本の映画はインパクトが強すぎてはいけないわけです。
 例えば、理科教師が原発からウランを盗んできて原爆を作り、警察・国を脅迫する話の『太陽を盗んだ男』や、ヴェトナム戦争帰りで不眠症のタクシードライバーが、惚れた女性をポルノ映画に連れて行ったり、選挙演説中の候補者を撃ち殺そうとしたり、少女売春を取り仕切るマフィアと殺し合いをしたりする『タクシードライバー』などは、絶対ダメなわけです。西村知美が大写しになったポスターに「ダメ、ゼッタイ」とでも書いて、貼り出さにゃならんほどです。
 これでもまだピンと来ない人のために、ごく最近の映画を例に取りますと、『ハリーポッターと賢者の石』と『シベリア超特急2』を同時上映してはイケナイ、ということです。お分かりでしょうか?

 ですが、その禁忌を破り、“混ぜたら危険”の洗剤を混ぜた主婦が風呂場でもがき苦しむように、客席中の客、特に子どもをもがき苦しませてしまった事例があるのです。しかも、あのスタジオジブリです。あの宮崎駿と高畑勲なんです。
 ……時を遡る事13年前、スタジオジブリが、子どもをターゲットにしたほのぼのファンタジー・ストーリー『となりのトトロ』を製作し、東宝の配給により上映する事になりました。ユーモア溢れるキャラクター、牧歌的でギスギスした雰囲気など皆無のストーリー。『トトロ』の魅力は、瞬く間に日本中の子どもたちを魅了し、多くの家族連れが映画館に足を運びました。子どもは「トトロ、トトロ♪」などと口ずさみながら、館内に吸い込まれていきました。

 しかし、それは巧妙な罠だったのです。

 館内の子どもたちが『となりのトトロ』のエンディングを観終わり、とても幸せな気分に浸っていたその時、終戦直後の駅構内で衰弱死する少年の姿が大写しになったのです。
 『火垂るの墓』の上映が始まった瞬間でした。

 90分後──

 館内のドアが開け放たれ、子どもたちが出てきました。しかし、そこにはもう「トトロ」の「ト」の字もありません
 聞こえてくるのは、嗚咽、号泣、すすり泣き。まるで自分の学校に宅間守がやって来たかのような阿鼻叫喚の情景がそこにありました。
 これ以降、スタジオジブリが同時上映を避けるようになったのは言うまでもありません。『となりの山田くん』の時も、“単品”で勝負したところを考えると、子どもたちだけではなく、スタジオジブリの上層部にも、『トトロ』→『火垂るの墓』コンボは、相当なダメージとトラウマを残してしまったようです。

 …これが、日本映画史上に残る悲劇の顛末だったのですが、これと似た状況が起きようとした事もありました。まさに日本映画史の“キューバ危機”とも言うべき出来事でした。
 それは、かの畑“ムツゴロウ”正憲氏がプロデュースした動物映画・『子猫物語』。PTAなどの受けも良く、“子どもに見せたい映画”として高い評価を得た映画だったのですが、これも一歩間違えると『トトロ』→『火垂る』と同じ道を歩むところでした。
 と、いいますのも、この映画にはメイキング版が存在していまして、一歩間違えると──敢えてこの表現を使いましょう──『子猫物語』本編と同時上映されて、とんでもないことになるところだったのです。
 この『子猫物語』、主役はチャトランという名の子猫です。何故チャトランか、というと茶色のトラ猫だからで、何故茶色のトラ猫が主役になったかというと、茶色のトラ猫は猫の中でも非常に数が多いからなのです。……察しの良い方は、もうお分かりですね?

 撮影当時のエピソードを一部紹介しましょう。
 チャトランが脚を引きずるシーンが上手く撮影できなかった時、ムツゴロウさんがおもむろにチャトランを抱き上げ、「よし、皆、後ろ向いてろ」と、言う。訝しげにスタッフが後ろを向いて数十秒、今度は、「もういいぞ」という声がする。で、前を振り返ると、そこにはリアルに脚を引きずるチャトランの姿があった……などといった風景。
 あるいは、チャトランが小さな木箱か何かに乗せられて川を漂流。最後には、滝に飲み込まれてチャトラン大ピンチ! というシーンの撮影。チャトランは本当に滝に飲み込まれてしまい、その後何のフォローも無いまま、「次いってみようか」……などといった風景。

 ……こんなのを同時上映した日には、文部省推薦どころか、グリーンピースが動物王国を襲撃すること請け合いです。よかったですね、やらなくて。

 とまあ、こんな感じで、アクの強い作品を同時上映してしまうと、いくらもう片方の映画がほのぼのしてようが、教育的配慮に富んでようが、全てが台無しになってしまうわけです。
 しかし、映画業界の偉いさんもバカじゃありませんから、こんな“悲劇”はそう起きるものでもありません。大抵は、『子猫物語』のように、事前に危機は回避されるものなのです。

 ところが。
 『トトロ』の悲劇から13年、またも東宝がやってしまいました。まずは、同時上映される2本の映画のタイトルをご覧下さい。

 『とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険』
 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

 ……『とっとこハム太郎』についての説明はあまり必要でないと思います。小学館の児童雑誌に連載されているマンガのアニメ映画化で、主題歌はミニモニ。が担当しています。典型的な子供向け癒し系アニメですね。
 もう一方の『ゴジラ──』。今作は、これまで『ガメラ』シリーズのメガホンを取ってきた金子修介監督が、念願の『ゴジラ』シリーズの監督に就任しての第一作になります。今作の中での大きな狙いの1つとして挙げられるのが、“怪獣に殺される人々の痛みがリアルに伝わるような演出”で、観ている人の胸を締め付けるようなシーンが続出します。
 もう、余計な説明は不要でしょう。まさに『トトロ』→『火垂る』コンボの再現です。あの生き地獄のような風景が、デ・ジャヴのように蘇るのです! 
 事実、試写会において、『ゴジラ』の上映中に、ハム太郎目当ての幼い子どもたちは悲鳴をあげ、泣き叫んでいたそうです。可哀想に。

 この講座を受講されている方の中で、将来は映画に携わる仕事がしたい、と考えている人がいるかもしれません。そんな方はお願いですから、この悲劇を繰り返さないようにして下さい。後生です。

 さて、例によってとりとめが無くなってしまいましたが、時間です。これで「映像文化論」の講義を終わりたいと思います。(この項終わり)

 


 

12月26日(水)演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(12月第5週分)

 さぁ、今週もゼミの時間となりました。今週は先週と逆で、「週刊少年ジャンプ」がお休み(翌週分が今週金曜に繰り上げ発売)のため、「週刊少年サンデー」を対象としたゼミとなります。
 しかし、それだけでは余りにも内容が乏しいので、先週できなかった「週刊少年ジャンプ」の次回打ち切り予想を実施したいと思います。

 ……

☆「週刊少年サンデー」2002年新年4.5合併号☆

 ◎新連載「焼きたて!! ジャぱん」作画・橋口たかし

 形式上は新連載ですが、今年に短期集中連載されていた同名作品の再開です。
 「週刊少年ジャンプ」では、中堅作家の新連載を立ち上げる際には、まず同じ設定の読み切り作品を描かせ、そのアンケート結果を検討した上で話を進めることがありますよね。その「サンデー」バージョンが、この“短期集中連載→アンケート次第で連載再開”なのです。アンケート内容が良ければ、晴れて週刊連載ですが、もしも逆の結果となった場合は月刊サンデーに“左遷”され、それも半年ほどで打ち切られる、という悲劇が待っています。「ジャンプ」の10週打ち切りシステムばかりが目立っていますが、エゲつないシステムは「サンデー」にもあるのです。
 と、いうわけで、この作品は“勝ち組”になるわけなのですが、個人的な意見を言わせてもらうと、まさかこの作品が“勝ち組”に入るとは思いませんでした。自分の見識の無さを深く恥じる次第ですが、それでも言いたいことはあります。
 この作品、ハッキリ言ってしまうと、「ミスター味っ子」のアニメ版を、題材をパンに特化して再現しただけなのです。
 演出過多、分かり易すぎる予定調和の展開。確かに「ミスター味っ子」連載&放映当時には、その手の作品が受け入れられる余地があったと思うのですが、この21世紀ではどんなものでしょうか? ……まぁ、短期集中連載のアンケートが良かったわけですから、受け入れられていると判断できるのですが、それにしても……(汗)。確かに絵は綺麗ですし、とびきりつまらないわけではないのですが……。
 そういえば、今週「マガジン」で始まった作品は、「北斗の拳」の世界観で「西遊記」をやるような設定でした。そういうのが流行りなんでしょうか? 新人マンガ賞ではオリジナリティを求めているはずの編集サイドが、実際に連載を起こす段階で、既存の作品の焼き直しをしていたんでは……(汗)。
 7段階評価は、とりあえず私情を抜いて
Bに。それにしても、先週開始の『疾風の橘』もそうですが、イタい主人公のマンガが多いですねえ、「サンデー」って(苦笑)。

 ……

 新連載&読み切りレビューは以上。次に「週刊少年ジャンプ」の次回打ち切り予想へ移ります。
 さて、この予想なんですが、これは、あくまでも駒木ハヤト個人の予想です。考え方は人それぞれであることは当たり前ですので、ご自分の好きな作品が打ち切り予想だったとしても、気を悪くしないように。

「週刊少年ジャンプ」次回打ち切りダービー
(“枠順”は、新年第3号掲載順)

作品名 作者
  ROOKIES 森田まさのり
  遊☆戯☆王 高橋和希
  NARUTO 岸本斉史
  ONE PIECE 尾田栄一郎
  シャーマンキング 武井宏之
  テニスの王子様 許斐剛
もののけ!ニャンタロー 小栗かずまた
  BLEACH 久保帯人
  ヒカルの碁 ほったゆみ/小畑健
ソワカ 東直輝
サクラテツ対話篇 藤崎竜
  Mr.FULLSWING 鈴木信也
  ライジングインパクト 鈴木央
  BLACK CAT 矢吹健太朗
× ボーボボボ・ボーボボ 澤井啓夫
HUNTER×HUNTER 冨樫義博
  ストーンオーシャン 荒木飛呂彦
  こちら葛飾区亀有公園前派出所 秋本治
世紀末リーダー伝たけし! 島袋光年
  ピューと吹く!ジャガー うすた京介
  ホイッスル! 樋口大輔

 ★駒木ハヤトの見解★

 次回打ち切り開始は、恐らく2〜3ヵ月後。打ち切り該当作は、あと8〜10回程度の“命”となる。
 現連載陣のストーリーマンガ部門は、話に区切りがつくまでに時間がかかりそうな作品が多い。また、人気下位の作品には、打ち切り話を持ち出し難いベテラン作家がズラリと並んでいるため、どうやら“受難”は新連載作品とギャグマンガ部門に絞られそうだ。
 本命は、現連載陣から『世紀末リーダー伝たけし!』とした。最近人気低迷が顕著だし、内容のテコ入れが頻繁に起こり始めている。残念ながら、そろそろ連載終了のタイミングが見えてきた。
 新連載の3作品も有力候補。それぞれの作品に問題点がある上、現連載陣の層が厚く、前回の打ち切り戦線同様、新連載作品が全滅、ということも考えられる。
 伏兵としては、ここ数週間でアンケート順位がガタンと落ちた『ボーボボボ・ボーボボ』や、最早掲載されている方が珍しい『HUNTER×HUNTER』など。

 ……

 と、いうわけで、賛否両論ありそうな今日のゼミでしたが、いかがでしょうか? 感想・異論などありましたら、BBSやメールなどでよろしくお願いします。
 それでは、今日の講義を終わります。

 


 

12月25日(火)映像文化論
「してはいけない『2本立て』についての考察(2)」

 さて、綱渡り的に連日講義を実施できていますが、なんだか最近、“1人で閉店寸前の日焼けサロンを切り盛りして過労死寸前“なこの人と自分がダブるような気になって来ました。
 
おそらく、年内に1〜2度、休講をさせて頂く事になるかと思いますが、どうかよろしく。

 ……さて、そんな世迷言はさておき、昨日の講義の続きです。
 「不思議の海のナディア・劇場版」「電影少女・実写版」の同時上映・『2本立て』の命運は如何に? というところからですね。
 如何に? …などと、1日引っ張って、いろいろな表現を考えてみたものの、この映画を劇場で実際に観た時の印象が一番的確だと思いますので、それを採用させてもらいます。
 

 

 ウワァ・・・・・・

 

 ……そもそも、TV版全39話で、完膚なきまでに完結させてしまったお話を、もう一度中途半端なところで蒸し返す事に無理があったのです。いや、そんな事だけでは語りきれないものがありました。
 別の作品に喩えてみれば、こうなります。

 ……

 レトロブームに乗って、『巨人の星』の続編、しかも劇場オリジナル版の製作が決定。『巨人の星・マスターズリーグ編』と題して話を作り始める。
 しかし、よく考えてみたら、どう考えても星一徹は死んでいる年齢明子ねえさんも更年期障害が出て来るような年齢で、共に登場不可。
 ライバルたちも持病の腰痛や中年太りで精彩を欠く。弟妹たちが立派になって稼ぐ必要がなくなった左門に至っては、性格まで陽気に変わってしまってて世界観台無し。仕方ないので新しくライバルを登場させるが、結局は引退したロートルなので盛り上がらず。
 そもそもマスターズリーグは各チーム16試合しかないので、あっという間にお話が終わってしまう。映画は90分あるのに、このままだと50分くらいでまとまってしまいそう。どうしようもないので、TV版の映像をつなぎ合わせて回顧シーンを作り、それで30分以上誤魔化して一件落着(と思い込もうとした)
 こんな感じなので、企画書段階で既にTV版やオリジナル版の作家・スタッフは「やってられん」と自主的に降板。その降板した人たちのアシスタントや弟子にお鉢が回ってきて、尻拭いをさせられる羽目に。
 その上、ギリギリになって「今更、『巨人の星』で客が集まるか?」という上層部の鶴の一声で、急遽同時上映作品を作る事が決定。どうせグダグダになるんだから、知名度高い作品でお茶を濁そうということになり、『ああっ女神さまっ』の映画版、しかも時間がないので、素人をオーディションで集めて実写で撮る事にする。
 と、いった裏事情を全てオフレコにして劇場公開。そして夜逃げ同然に撤収。

 ……

 こんな感じです。

 まあそんなわけですから、映画の出来は酷かったです。どのくらい酷かったかというと、尻拭いをさせられた映画版の主要スタッフの方々は、それ以来ガイナックスの作品に名を連ねる事が無かった、と言えばお分かり頂けるでしょうか?
 もっと端的に言いますと、同時上映の『電影少女・実写版』は全然ストーリーもキャストも覚えていないけれども、『ナディア・劇場版』よりまだマシだった事だけは明確に覚えているのです。
 
さらに分かりやすく言いますと、クソ不味いラーメン屋で食った、味のしない餃子……いや、これ以上は止めておきましょう。武士の情けです。

 ……話の本筋から大幅に脱線しましたが、このように、“合わせ技一本”型の『2本立て』は、えてして失敗に終わる事が多いのです。
 が、この『ナディア』&『電影少女』のように、“警告2つで反則負け退場”ならば、まだ物笑いの種になるだけで済むのですが、それだけでは済まない場合もあります。
 それは“洗剤化学反応”パターン。混ぜちゃいけない2つの作品を混ぜてしまったがために、両方の作品が台無しになってしまう、という悲しいパターンです。次回、最終回はこのパターンによって巻き起こされた悲劇について語りたいと思います。
 明日はゼミ(演習)ですので、続きは木曜日に。それでは今日の講義を終わります。(この項続く

 


 

12月24日(月・休)映像文化論
「してはいけない『2本立て』についての考察」(1)

 時間と体調が煮詰まっておりまして、今日も短縮授業になります。ご了承ください。

 ……

 最近は減りましたが、映画業界には『同時上映』、つまり『2本立て』というものがあります。

 『2本立て』の類型としてまず挙げられるのは、メインの作品に付属する形で、その作品に関連した短編〜中編映画が同時上映されるパターン。
 その一例としては──若干古い話で恐縮ですが──「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」のロードショー公開時に、短編の「SDガンダム」が同時上映された、ということが挙げられます。同じ「ガンダム」関連のギャグ作品で客を掴んでおいて、メインの「逆襲のシャア」に繋いでゆく、という好連携でした。
 また、春恒例の映画「ドラえもん」も、このパターンの『2本立て』または『3本立て』を実施するのが常です。しかも同時上映には、“単独では商売にならないが、それでも是非映画にしてみたい作品”が用意されたりするので、年季の入った“20年選手”のドラえもん・藤子不二雄愛好家をも唸らせる事が多々あります。 

 『2本立て』の類型で次に挙げられるのが、単独では今少しボリューム・インパクトに欠けると思われる作品2つを“抱き合わせ”して、“合わせ技一本”を狙う『2本立て』です。
 この場合、同時上映される2本の映画には直接関連が無いことが多いというのが特徴です。傾向の異なる2作品を上映する事により、それぞれのファン層を映画館に集結させようという考えがあるのでしょう。
 ただしこの類型の場合、プロデュース側は「2作品共に、少なくとも“技あり”級の出来にはあるだろう」と考えていても、実は“有効”や“効果”がせいぜいで、結局は2作品の固定ファン、しかも大きなお友達しか映画館に来なかった、なんてケースが多々見られます。「東映まんが祭り」のように、「ハナから“有効”3つで判定勝ち狙い」な企画物は別として、目論見が外れて大失敗に終わる事が多いのが、この類型です。
 ですので、この類型は、無神経にホイホイと実例を挙げてしまうと、痛々しい上に少ない固定ファンの怒りを買ってしまうため、おいそれと作品名を挙げる事が出来ないのが辛いところです。
 しかし、玉虫色のまま話題を先に進めるのもアレですので、ここは晒し上げても支障の無い、“技あり2つどころか警告2つで退場”だった実例を紹介しておきましょう。
 作品名を挙げますと、「ふしぎの海のナディア・映画版」「実写版・電影少女」。ああ、受講生の皆さんの「ウウウゥ……」と呻吟する声が聞こえてくる気がします。
 「ふしぎの海のナディア」は、ガイナックスとNHKエンタープライズによって製作され、年間(39回)にわたって放映されたアニメーションで、今もって名作との賞賛の声が絶えない作品です。今年2001年にはDVDで復刻されるなど未だに注目度も高く、また、ディズニーの最新作『アトランティス』の事実上の原作としても有名な作品ですね。
 これらのことを考えると、「ナディア・映画版」は外しようの無い名作となるはず…でした。しかし、映画版製作の決定が遅かったことに加えて、TV版の製作も遅れに遅れていましたし、作ってるのがそもそもがガイナックス、ということもありまして、現場はたちまち修羅場と化してしまいました。その影響もあったのでしょう、制作サイドは「ナディア」単品での上映を断念、“抱き合わせ”形式の同時上映となったようです。しかし、その「電影少女」も急な話だったせいでしょう、早々とアニメでの製作を諦め、時間のかからない実写版ということになりました。
 と、このように、マンガ「MAJOR」の聖秀学園野球部のような様相となったこの2作品、公開されるや否や、ドえらいことになってしまうのです。

 ……と、どうドえらいことになってしまったかはまた明日に。今日はここまでにしておきましょう。(この項続く

 


 

12月23日(日・祝)経済学(一般教養)
「マクドナルド『平日半額』終了の波紋」

 今日は諸事情ありまして、短縮授業となります。ボリューム的に多少問題ありかもしれませんが、ご理解下さい。

 ……

 さて、我々が有馬記念に浮かれている最中、とんでもないニュースが配信されました。
 デフレ時代の象徴とされた、マクドナルドの平日半額キャンペーンが今年一杯で終了する、というものです。
 ハンバーガー65円、チーズバーガー80円、フィレオフィッシュ120円。その、それまでの固定観念を大いに揺さぶるような価格設定は、全国中の人々を大いに沸かせました。「半額に出来るんなら、どうして今までやらなかったんだ。お前ら、ボッタクリか?」とか、「それって、ある意味『休日倍額』ってことだよね?」…などといった、ごもっともな指摘心無い声を浴びせる人もいましたが、大多数の人たちには快く受け入れられたのでした。中には、喜びの余り「ハンバーガー100個食ってやる!」と、マクドナルドへ押しかけるグループが続出。その自爆テロにも似た行為は、全国のマネージャートレーニーを恐怖のどん底へ陥れたりしたものでした。
 しかし、それももう終わりなのです。
 もっとも、キャンペーンが終了するからといって、値段がそのまま倍額になるというわけではなく、例えばハンバーガーは80〜100円近辺で平日・休日関わりなく販売される事になるそうです。
 どうでもいい話ですが、アスキーの株価がその辺りに下がって来てますね。ハンバーガー1個の価値しかない株価の会社……。アスキーの関係者の心情、お察し申し上げます。

 ですが、よく考えてみれば、マクドナルドが「バリューセット」などの値下げ戦術に出た頃の価格設定は、「ハンバーガー100円、チーズバーガー120円」でした。この時はこの時で大盛況となり、特に競馬場・ウインズ近辺のマクドナルドには、午前中で複数の福沢諭吉とお別れしたお父さん方が殺到。本来、垢抜けているはずの店内の雰囲気をハローワークのように変えてしまった、という笑えない微笑ましいエピソードもあったりしました。
 そして、この大盛況を受けて、マクドナルドは更なる値下げ戦術に踏みきった、という経緯がありました。一説によると、この時、藤田田社長(当時)は初めて、「安くすれば物はたくさん売れるんだ」と気付いたそうです。いやはや、偉い人の心理構造は分かりませんな。
 ちなみに、このたびのキャンペーン終了の際に経営陣から出た言葉は「安いだけで売れる時代は終わった」だそうです。そりゃそうかもしれませんが、そういう事は、一度モスバーガーに行ってから言って貰いたいと思います。

 まぁ、ハンバーガー65円という設定が、利益を出すためにはかなり厳しかったというのは否定しません。
 原価や人件費などを考慮すると、ハンバーガー1個あたりの純利益は2円とか3円とかといったレヴェルであったと聞きます。それが、先般の狂牛病騒動や、円安による仕入れコスト増大などが積み重なって、キャンペーンの存続を断念させたのかもしれませんね。
 とりあえず月並みな言葉ではありますが、マクドナルドさんには頑張って欲しいものです。

 余談ですが、マクドナルドと同様に薄利多売でデフレ社会を生き抜いてきた企業の代表格が、100円ショップのダイソーを経営している大創産業です。
 この会社のコンセプトは、「原価1円の物を100円で1個売るよりも、原価99円の物を100円で100個売るほうが簡単」というものです。
 そのためには、本来原価100円を超えるような商品を、常識から外れたような大量発注・大量仕入れでコストダウンを図るのだとか。
 一例を挙げますと、ダイソーでは「ことわざ事典」のような小冊子を販売してますが、この小冊子、9億5000万円分仕入れたそうです。9億ですよ、9億。9円置くんとちゃいまっせ……などと、トミーズ雅も狼狽するような額であります。
 仕入れ単価が95円とすると、なんと1000万部。数家庭に1冊置いてある計算になる、空前の大ベストセラーになります。○○の○○や、○○○○の信者が、教祖の本を書店でビックリマンチョコのような大人買いを炸裂させても、せいぜい数十万部。その格差たるや甚大であります。

 大創産業様、新たに本を出版する時には、どうぞ当駒木研究室にご相談を。9億5000万円分、何でも書かせてもらいますゆえ。

……などと、いったところで今日の講義は終わりたいと思います。本当に中身が無くて、自分でも呆れかえる次第ですが、文句は、冒頭で述べた「諸事情」を作った、アメリカンボスと江田照男騎手にお願いします。(この項終わり)

 


 

12月22日(土)集中講義・競馬学特論
「G1予想・有馬記念編」

駒木:「さあ、いよいよ有馬記念だね。香港国際競走が盛んになったり、地方競馬の東京大賞典に“1年で最後のG1レース”の地位を奪われたりで、以前に比べたら少々影は薄くなったけれども、それでもやっぱり、競馬ファンにとって有馬記念は特別なレースなんだよね」
珠美:「そうですね。でも博士、競馬関係者の皆さんは、『特別なのはダービーだ』って、よくおっしゃいますけど…?」
駒木:「関係者はね。でも、競馬ファンにとっては、やっぱり有馬記念だよ。全部の馬が全力投球で臨んで来るし、何より印象的なレースが多い」
珠美:「そういえば、オグリキャップのラスト・ランとか、トウカイテイオーの復活とか、色々ありますね」
駒木:「僕が生まれたばかりの頃の話だけど、テンポイントとトウショウボーイの壮絶な一騎打ち、なんてのもあった。今でも『日本競馬史上、最高の名勝負』と言われているレースだよ。そう言えば、去年の有馬記念も凄かった」
珠美:「今年も出走している、テイエムオペラオーとメイショウドトウが鼻差の接戦を演じたレースでしたね」
駒木:「直線半ばでは、九分九厘オペラオーが惨敗すると思ったんだけどねぇ。“名馬”と呼ばれる馬たちが突発的に大負けする典型的なパターンにハマったんだけど、馬群を割るようにしてオペラオーが突き抜けて来た時は、本当にシビれたよ」
珠美:「私はその頃、卒業論文の準備に追われてて、テレビで観るのがやっとだったんですけど、それでもよく覚えてます。今年はどうなんでしょうね?」
駒木:「それは後々…ということで。さぁ珠美ちゃん、出馬表を皆さんにお見せして」
珠美:「ハイ、分かりました。それでは、有馬記念の出馬表です」

有馬記念 中山・2500・芝

馬  名

騎手

    アメリカンボス 江田照
  × トゥザヴィクトリー 武豊
    ホットシークレット 横山典
  マンハッタンカフェ 蛯名
ナリタトップロード 渡辺
    ダイワテキサス 柴田善
    メイショウオウドウ 飯田
    テイエムオーシャン 本田
    シンコウカリド 田中勝
  10 トウカイオーザ デムーロ
  11 イブキガバメント 河内
12 テイエムオペラオー 和田
13 メイショウドトウ 安田康

珠美:「有馬記念は、中山競馬場の芝コース・2500mで争われます。コーナー6つとゴール前の急な坂を2回通過するという、特徴のあるコース設定ですね」
駒木:「そう。だから追い込み馬が不利なんだよ。後ろから行く馬は、少なくとも4コーナーから仕掛けていかないと間に合わない。純粋に直線だけの競馬で先頭に届いたのは、それこそ去年のオペラオーぐらいだね。そういう意味でも、去年は凄いレースだったんだ」
珠美:「なるほど、分かりました。…さて、いよいよ本題に入るんですが、今日は特別に、出走馬13頭を1頭ずつ詳しく検討してゆきたいと思います。それでは博士、よろしくお願いします」
駒木「うん、よろしく。じゃあ、枠順の通りに行こうか。その方が最後が締まる気がするし」
珠美「ハイ。それでは、まずは1枠1番のアメリカンボスですね。アメリカンボスは、これまで32戦8勝、うち重賞を4勝しています。特に今年は、年明けからAJC杯と中山記念のG2レースを連勝して好スタートを切ったんですが、その後どうしたことか7戦連続着外と調子を落としています。ちなみに、去年の有馬記念は6着です」
駒木:「7戦連続着外はね、G1レース以外はそれほど悲観する負け方ばかりじゃない。元々、1着か着外かって傾向のある馬だからね、それほど気にしなくていいでしょう。でもね、結局のところ、この馬の地力じゃG1レースに勝つのは難しいんじゃないかと思うんだ。典型的なG2クラスという気がする。だから、今回は相当苦戦させられるんじゃないかな」
珠美:「…分かりました。次は2枠2番、トゥザヴィクトリーです。戦績は18戦6勝で、重賞は今年のエリザベス女王杯など4勝しています。それと、今年春のドバイワールドカップで2着に健闘したのは記憶に新しいところですね」
駒木:「そう、ドバイワールドカップ2着。それを考えたら、このメンバーでも見劣りすることは全く無い。前走は折り合いを欠いて暴走してしまったけれど、今度は主戦の武豊JKに戻るから、そんなことは無いと思うんだ。ただ、この馬ね、最後の最後に末脚が甘くなるんだよね。もしも、ゴール200m前までで強さを競うんなら、この馬は世界最強クラス。100mでも相当なもの。でも、ゴールする時には……ということだね(苦笑)。牝馬相手にはそれでも凌ぎきれるだろうけど、このメンバーに入ったら、どうだろう? ちょっと微妙かな」
珠美:「次、いきますね。3枠3番はホットシークレット。25戦6勝で、重賞2勝です。最近では宝塚記念で、2着のオペラオーに鼻差3着と大健闘したことが記憶に新しいですね」
駒木:「うん。その宝塚記念は、阪神競馬場で生観戦していたんだけど、本当に驚いたよ。いくらスローペースといっても、相手が相手だからねぇ。少なくとも、ただ逃げるだけの逃げ馬じゃない。しっかりした地力を持っている馬だよ。けれど、今回は放牧明け、しかも調子がイマイチときてる。残念だけど、今回はペースメーカー役で終わってしまいそうだね」
珠美:「4枠から1つの枠に2頭ずつになりますね。まずは4番のマンハッタンカフェから。キャリアこそ8戦と少ないんですが、今年の菊花賞を勝った、現3歳世代の頂点に立つ馬の1頭です」
駒木:「菊花賞でアッサリ差し切り勝ちを収めたかと思ったら、その前のトライアルは、伸びあぐねて4着なんだよ。どうもラストスパートを仕掛けるタイミングが難しいみたいだね。こういうのを“異議申し立ての激しい馬”って言うのかな。まぁ、そういう意味では、これまでの4勝したレースの全てに跨っている蛯名JKが乗ってくれるのは有り難いね。今回の有馬記念でも、有力馬のうちの1頭だよ」
珠美:「ついに博士から『有力馬』という言葉が出ましたね。次もそうなんでしょうか? 同じく4枠の5番、ナリタトップロードです。22戦5勝で、一昨年の菊花賞など、重賞4勝をあげています。テイエムオペラオーとは12回も対戦していて、まさにライバルというところでしょうか?」
駒木:「それなんだけど、対オペラオーとの12戦で先着は僅か2回、しかもオペラオーが本格化する以前の3歳時のものなんだよね。4歳になってからは、いくら頑張っても全然歯が立たない。もう完全に勝負付けが済んでしまっている感があるんだ。確かに、日本を代表する馬の1頭ではあるんだけど、未知の魅力が無い分、旨みには欠けるね。唯一、一泡吹かせるとすれば、マイペースで大逃げした時だろうけど、今回はホットシークレットがいるからねえ。まぁ、オペラオーやドトウに、何かアクシデントがあった時の2着候補かな」
珠美:「…ハイ。それでは次は5枠の2頭ですね。6番のダイワテキサスは、これが引退レースになる8歳馬。52戦11勝で重賞を5勝しています。昨年の有馬記念で3着に入って、みんなを驚かせました。7番のメイショウオウドウは26戦6勝、重賞2勝。前走、鳴尾記念を逃げ切って、アッと言わせたばかりですね。何だか、みんなを驚かせるのが得意なお馬さん2頭ですね(笑)」
駒木:「ダイワテキサス、頑張ってるよねえ。あんまり馬券に絡まない範囲で頑張ってるから、余計に好感度が高い(笑)。去年の有馬記念3着は別にして、地力そのものはG2、G3なら勝ち負け出来るけど、G1だと若干、力不足。残念だけど勝ち目は薄いね。メイショウオウドウは、もともとグラスワンダー(有馬記念2連覇など、G1レース4勝の名馬)相手に鼻差の2着とか、ここ一番での実力は評価されてきた馬なんだけど、とにかく成績にムラがある。距離適性に問題があるし、強い馬1頭だけマークすればいいG2と違って、強い馬だらけのG1だと、やはり苦戦は免れないだろうね。前走のような奇襲戦法は通用しないだろうし……」
珠美:「これで勝ったら、本当にビックリってことですね(笑)。それでは次は6枠。こちらも2頭いっぺんにいきましょう。8番はテイエムオーシャン。桜花賞、秋華賞を制した、今年の3歳2冠牝馬です。それらを含め成績は、9戦6勝、重賞4勝。ただし、これは全て牝馬限定の重賞ですね。これをどう解釈するか、博士にお聞きしたいところですね。そして9番がシンコウカリド。7戦3勝、重賞1勝と、ちょっと寂しい成績なんですけど、その重賞はマンハッタンカフェを破ったセントライト記念ですね。これもどう評価すればいいかお聞きしたいと思います」
駒木:「牝馬のチャンピオンっていうのは、格付けが難しいんだよね。ヒシアマゾン(牝馬チャンピオンにして、有馬記念2着、ジャパンC2着など)とかエアグルーヴ(牝馬にして天皇賞・秋を制覇した名牝)みたいに、牡馬真っ青の強い牝馬がいる一方で、同じ桜花賞馬やオークス馬でも、牡馬に混じったらローカルG3が精一杯の馬がいる。本当、難しいんだよね。テイエムオーシャンの場合、今のところは判断が難しいね。でも、馬鹿正直なレースしか出来ないんで、それを考えると不利は不利だね。シンコウカリドはねえ…。勝った相手がどうであれ、やっぱりG2はG2なんだよね。今年の春でも、マックロウとかトウホードリームとか、G2で大金星をあげた馬はいたけど、G1には届かなかったでしょ? 競馬は走ってみないと分からないけど、えてしてそういうものなんだよね」
珠美:「6枠の2頭はやや苦戦、というところでしょうか。さて、7枠も2頭まとめて、ということで。10番のトウカイオーザは13戦6勝。前走のアルゼンチン共和国杯で嬉しい重賞初制覇を果たしています。また、あのトウカイテイオーの弟ということでも注目されていますね。そして11番はイブキガバメントです。30戦7勝で、重賞はG3を1勝しただけなんですが、最近地力強化が顕著な“昇り馬”ですね」
駒木:「2頭とも差し・追い込み馬なんだけど、タイプは全然違うね。まずトウカイオーザは、瞬発力に限界がある代わりに、競り合いとか泥仕合に強いタイプ。一方、イブキガバメントはスローペースからの切れ味勝負で能力を発揮する、典型的なスピードタイプだね」
珠美:「同じ差し馬でも、色々個性があるんですね」
駒木:「うん。だから、予想を立てる時は、そういう点まで気を配らないといけないんだよ。で、この2頭の能力なんだけどね、まずトウカイオーザは、勝ったアルゼンチン共和国杯というのがまずクセモノでね。ハンデ戦の上、G1級の馬が全然出てこないので、勝っても有り難味が無いんだよねぇ。また、この馬の場合、モノサシ代わりになる馬がアドマイヤボスなんだけど、この馬がG1では5着以内に入るのがやっとなんだよ。それを考えると、ちょっと力が足りないかなぁ、という気がもする。イブキガバメントは、道中のペースがどれだけ緩くなるかにかかっているね。ペースが遅くなって、馬群が密集すればするほど有利になる。常識的に考えるとG1では厳しいんだけど、ホットシークレットが出遅れたりして、変な展開になったりすると出番があるかもしれない。そういう点では、人気薄だけど、トウカイオーザよりこの馬の方に妙味があるね」
珠美:「何だか、私が不安になっちゃうような分析でした(苦笑)。それでは、最後に8枠の2頭。こちらは敬意を表して1頭ずつ紹介しましょう。まずは12番テイエムオペラオー。25戦14勝、G1レース7勝を含む重賞12勝は、もちろん出走馬中、最高の実績です。いよいよオペラオーのラスト・ランですね」
駒木:「うん。まず、これはメイショウドトウにも言えることなんだけど、現役生活の間、一度も大きな怪我も無く競走生活を全うさせてくれた厩舎スタッフの皆さんに最大限の敬意を表したいね。レースでよく走る馬というのは、脚にかかる負担も大きいんだ。ここまで走る馬で骨折や屈腱炎にならないのは奇跡に近いことなんだよ。それから、もう一つお礼を言いたいのは、何一つメリットも無いのに、オペラオーの現役生活を1年間延長してくれた竹園オーナーだね」
珠美:「あれ、そうなんですか? レースの賞金とか考えると、メリットも大きいと思うんですけど……?」
駒木:「何言ってるの! 金銭的なメリットを考えたら、さっさと種牡馬にしてしまった方がどれだけ得か。どうして外国の名馬が3歳や4歳で引退するか分かるかい? 競走馬やってるより、種牡馬やってる方が金銭的にメリットがあるからなんだよ。例えば、オペラオークラスだと、種牡馬としての価値は少なくとも十数億円にもなるはずなんだよ」
珠美:「十数億円……。それは凄いですね…」
駒木:「だろ? それこそG1レースを10勝したって追いつかないんだよ。金銭的なメリットだけを考えたら、オペラオーは去年の有馬記念を勝って、年間8戦8勝を達成した時点でスパっと辞めちゃえば良かった。そうすれば、金銭的にも最高の評価をしてもらえたはずなんだ。それをだね、レースに負けて金銭的な評価が目減りするリスク、もっと言えば、レース中や調教中の事故で命を失うリスクを背負ってまで、現役生活を続行させたんだ。これは普通、出来ない事なんだよ」
珠美:「…分かりました。軽はずみな発言は以後慎みますね(苦笑)。さて、もう言うまでもないんですが、オペラオーの能力や、このレースでの展望はどうでしょう?」
駒木:「前にもこの講義で話したけれど、ここ2戦の惜敗は、『負けてなお強し』の内容。連勝を続けていた時に、かなり危なっかしいレースをしていた事を考えると、逆に頼もしいくらいだ。もちろん今回も優勝の最有力候補。それこそ去年の有馬記念のような最悪の展開にならない限り、2着は外さないと思うよ」
珠美:「…だ、そうです。そしていよいよ最後、大外13番のメイショウドトウです。28戦10勝で、G1勝ちこそ、今年の宝塚記念だけなんですが、G1レースにおいて、1着オペラオー、2着ドトウ、というケースが5回、しかも連続でありました。まさにオペラオーの宿敵という存在だと思います。そして、この馬もこれがラスト・ランになります」
駒木:「この秋は天皇賞が3着にジャパンCが5着か。でも、天皇賞は休み明けの上に、ペースメーカー役を強いられるという酷な展開。ジャパンCは前半で大きな不利と、実力負けじゃないのは確か。むしろ、大崩れしていないのを褒めてあげたくらいだ。当然、この馬もオペラオーと同じく、このレースの最有力候補の1頭だね。強いよ、やっぱり」
珠美:「…ハイ、ありがとうございました。以上で各馬のレビューが終わりまして、いよいよ予想に移りたいと思います。ここで皆さんには、もう一度出馬表を見ていただいて、博士と私の予想印をチェックして頂きたいと思います。では、まず博士からなんですが、ちょっと変わった印がありますね。“注”って何ですか?」
駒木:「馬券は絶対買わないけど、来るかもしれないってこと(苦笑)。今回に関してはね、私情だけで言うなら、オペラオーとドトウの2頭で思う存分マッチレースをさせてあげたいんだよ。オペラオーとドトウのワン・ツーで決めないといけないレースだと思う。あ、当然、実力が抜けていると判断したから印を打ったんだけどね。この2頭に割って入ろうなんて、野暮な事この上ないんだけど、それでもマンハッタンカフェあたりがいかにも野暮ったい存在なんだよねえ(笑)。6年前のマヤノトップガンに勝たれた時が思い出されて仕方が無い。ちょうど、あの時のトップガンも、今のマンハッタンカフェと似たような存在だったからね」
珠美:「と、いうことは馬券的には4、12、13のボックスですか?」
駒木:「一応はね。でも、事実上は12-13の一点。4-12は、配当が低くて手を出す気にはなれないね」
珠美:「分かりました。でも、いつになく博士は張り切ってらっしゃいますね」
駒木:「実は、このレースに年間トータル黒字がかかってるんだよ(笑)。1年を締めくくる大勝負だからね。そりゃ気合も入るってもんさ」
珠美:「(笑) さて、私は◎、○は同じなんですが、▲にはトウカイオーザを抜擢しました。出来の良さとデムーロJKの腕を信じます。後は押さえでナリタとトゥザヴィクトリーを。マンハッタンカフェは、菊花賞の結果が実力勝負じゃなかったと判断して消しちゃいました。馬券の買い目は、12から13、10、5、2と、あとタテ目の10-13ですね
駒木:「おや、大分予定をオーバーしてしまったね。それじゃソロソロ講義を終わりましょう」
珠美:「皆さんも、頑張ってくださいね♪」


有馬記念 結果(5着まで)
1着 マンハッタンカフェ
2着 アメリカンボス
3着 トゥザヴィクトリー
4着 13 メイショウドトウ
5着 12 テイエムオペラオー

 ※駒木博士の“敗戦の弁”
 完敗です。ま、どうやったって獲れない馬券なんで、悔しいという感情すら湧きませんが(笑)。有馬記念の馬券と同時に、今年の年間トータル黒字も失敗に終わったけど、まぁ、勝負事だからこういうこともあるよね。実力をつけて、また来年再挑戦。
 マンハッタンカフェは、予想以上の野暮ったさを見せ付けてくれました(苦笑)。これは、まぁいい。誤算は、オペラオーが去年と同じ展開にハマった事と、メイショウドトウまで後手後手になっちゃったこと。もう少し前で競馬出来たはずなのに、それが出来なかったあたり、広義の意味で衰えがきていたのかもね。
 アメリカンボスは…。まぁ、展開利と8枠2頭の凡走に助けられたってことで。でも、2着に来るくらいなら勝っちゃった方がスッキリしたのにねえ。

 ※栗藤珠美の“反省文”
 
ええと……。私の勝負馬券は、馬体重発表の時点で終わってしまいました……(半泣)。
 それに、マンハッタンカフェに勝たれちゃった時点で、私は何もいう事が出来なくなりました。勉強不足でした。また、来年ゼロから出直したいと思います。
 本当に反省文になっちゃいましたね(苦笑)。

 


 

12月21日(金)法学(一般教養)
「日本国女帝誕生へ向けての諸問題」(4)

 え〜、この一週間というもの、ギャンブル社会学から始まりまして、工藤兄弟、マンガ時評、珠美ちゃんのショートストーリー、そして今日は皇位継承権問題で、明日は有馬記念予想。
 まぁ、何と言いますか、我ながら色んな事をよくやるな、と(笑)。と言うか、お前に節操は無いのか、と(苦笑)。……まぁそんな事を、徹夜続きでクラクラする頭で思ったりもするわけですが、とにかく命続く限りやるしかないな、と。そう覚悟を決めたりしてるわけです。

 さて、今日は1週間振りに「一般教養・法学」の講義です。もう内容を忘れてしまってる人もいるかと思いますので、レジュメ(第1回/第2回/第3回)で復習してから受講して下さい。

 では、講義に移ります。前回からヨーロッパの皇位(王位)継承権事情について述べていっていますが、今日はフランスの皇位・王位継承権事情について解説しましょう。この「法学」は、長期に及ぶ事が確定していますので、じっくりと話を進めてゆきたいと思います。
 ……
 フランスは現在、大統領制の共和国ですが、他のヨーロッパの国のご多分に漏れず、かつては王制を採っていました。現在のフランスに、国王という最高権力者が君臨していた期間は、間に中断を挟みつつ、約1300年に及びます。
 古代ローマ帝国の衰退と、アジアからフン族という強固な民族が西進して来た事に伴って、4世紀から始まったゲルマン民族の大移動。その影響は、今もって北西ヨーロッパの人々が“ゲルマン系”という名称で括られるほど大きなものになっています。
 そのゲルマン民族の内、現在のフランス北部に定住した人々がフランク族。現在のフランス人の祖先にあたります。フランク族の成立には諸説ありますが、その地方に分散していた中小民族が、リーダーシップを持った一勢力の下で結集したもの、という説が有力とされているようです。
 その初代リーダー、即ち初代国王とされているのがクローヴィスという人です。彼がフランク族の盟主の地位に就いたとされている481年をもって、フランク王国が成立した、というのが現在の世界史の常識です。受験にも出ます。あ、ここは大学ですから、そんな事は関係無いですね。
 注意してもらいたいのは、この時点ではフラン“ク”王国であって、「フランス」という言葉は、まだ無かった、ということです。どこから名前が変わったのか、というところも気にかけながら、話を進めてゆきましょう。
 さて、フランク王国時代の王位継承ルールですが、これはゲルマン民族大移動時代からの伝統が引き継がれていました。
 それは、「領土などは、後継者の数だけ分割して相続させる」というもので、言ってみれば、男子の数だけ王国を頭割りして配分する、という随分乱暴なものでした。所謂「分割相続」というやつです。
 このルールですと、相続争いが起こらない代わりに、相続した後に兄弟、伯叔父・甥、従兄弟同士で血を見る争いが発生する、という大きな問題を抱えてしまいます。そして、争いが無かったら無かったで、今度は領土がどんどん細かくなっていって、弱小国の集合体になってしまう、なんていう事にもなりかねません。この、「分割相続→国全体が弱体化」という道を辿って、衰退していったのが、日本の鎌倉幕府だったりします。
 しかし、この不便な制度を、フランクの国王たちは守り続けます。もっとも、幸か不幸か、フランクの兄弟たちは仲が悪く、分割相続が行われるや、たちまち争いが発生して、いつの間にか領土が再統一されているというパターンが続きました。
 フランク王国はその後、クローヴィスが始めたメロヴィング朝にかわって、カロリング朝が成立します。これは、“宮宰”と呼ばれる王の側近が、教皇の支持を受けて、メロヴィングの王位を奪ったものでした。
 このカロリング朝の2代国王・シャルルマーニュ(カール大帝)の時、フランク王国は全盛期を迎え、今のドイツやイタリアを含めた広大な領土を手に入れます。その力を認めたローマ教皇は、自分のボディーガード兼パートナーとして、476年に滅亡して以来、空位になっていた西ローマ帝国の皇帝位にシャルルマーニュを推挙します。これが西暦800年のことでした。
 そうして、一躍強大国となったフランク王国=西ローマ帝国だったのですが、それも長くは続きませんでした。そう、「分割相続」の発動です。
 これには、シャルルマーニュが築いた大帝国が余りにも広大すぎたために、領土を一つの国として維持する事が出来なかった、という物理的事情もあったのですが、それにしても勿体無い話ではありますね。
 結局、フランク王国は3つ(西フランク、東フランク、イタリア)に分裂。やがて分裂した王国の後継者も途絶え、とうとう987年を最後にカロリング朝フランク王国は滅亡します。
 カロリング朝が滅亡した後の旧フランク王国は、西フランクがフランス、東フランクがドイツとなって、新しい国としてリスタートします。『裏ニュース!』が『連邦』になったようなものと理解してもらえれば結構です。
 西フランク王国改め、フランス王国として再出発したこの国の最初の仕事は国王決めでした。プロレスに喩えれば、空位になった王座を巡っての大バトルロイヤル大会開催、みたいな感じでしょうか。“伯”と呼ばれた旧王国の地方長官の中で新国王選びが行われ、その結果、「最も派手に異民族をやっつけた」という理由で、パリの“伯”だったユーグ=カペーという人が国王に選ばれました。これがカペー朝フランス王国の誕生です。何だか“「立会演説会でキメたギャグが上手かった」という理由で当選した生徒会長”みたいで有り難味が無いですが、それは当時のフランス人も同じことを考えていたようです。初めの数百年間は、国王が直営地のパリから一歩出た途端、普通の人と大して変わらなくなってしまう……などといった、京阪神からはみ出た日本共産党のような悲しい状態だったらしいです。
 フランス王国になってからの王位継承ルールは、前回とりあげたイギリスのルールとほぼ同じ。違う点といえば、王制が無くなるまで女子の王位継承が実現しなかった事くらいでしょう。これには、フランス王家は比較的子宝に恵まれていた、ということが大きな理由になっていたのではないでしょうか。
 それでも、「王家断絶→臨時ルール発動」というケースも無かったわけではなく、カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝、という2度の王家交代劇が発生しています。特に、カペー朝断絶の際には、イギリス国王のエドワード3世が、「臨時ルール」を口実にフランス王位の継承権を主張し、ヴァロワ朝との間に百年戦争が発生した、というドラマも起きています。
 フランスの王制は、ブルボン朝第3代国王・ルイ14世の時に絶頂を迎えますが、やがて革命の時代に、押し流されるように力を失い、1848年を最後に消滅します。その後、紆余曲折を経て、現在は「第五共和政」と呼ばれる民主主義政府によって、フランスは統治されています。
 余談ですが、フランスは2度(1804〜14、15/1852〜70)にわたって、「フランス帝国」と呼ばれる時代がありました。あのナポレオン=ボナパルト(ナポレオン1世)と、その甥・ナポレオン3世が皇帝に君臨した時代です。しかしこの帝国は、2度とも初代限りで終わってしまっているため、皇位継承のエピソードはありません。
 と、いうわけで、フランスは「分割相続制」→「イギリス式長子(男子限定)相続制」という変遷を遂げていったのでした。
 ……
 さて、次回はフランク王国から分かれたもう一つの国、ドイツの王位継承制度についてお話を進めていきたいと思います。それではまた、来週の「法学」の時間に。(この項続く

 


 

12月20日(木)馬事文化学特論
ステイゴールド号・G1制覇記念企画
ショートストーリー・「Stay Gold Forever」
《作:栗藤珠美 監修:駒木ハヤト》

 私、那須千草が、その馬──ステイゴールドと出会ったのは、5年近く前の阪神競馬場だった。
 私はその時大学2回生で、ちょうどその頃付き合っていた彼氏とのバレンタインデー・デートで競馬場に行った時だったから、季節もちょうどその頃だったんだと思う。
 大学生が競馬場でデートだなんて、ちょっと変に思われるかもしれないけれど、それには少しばかり特別な事情がある。
 と、いうのも、その彼氏が通っていた大学というのが「仁川経済大学」というトコで、日本で唯一、競馬をカリキュラムに取り入れているという、ちょっと、いや、相当ヘンな学校だったのだ。
 この仁川経済大学──正式名称は長いので、「仁経大」と略して「にけだい」と呼ぶのだそうだ──の学生は、男も女も、果ては付属高校の生徒までも、週末のレジャーはもちろん、デート、アルバイトに至るまで、大学近くにある阪神競馬場で済ましてしまうらしい。で、私たちもご多分に漏れず、事あるごとに競馬場でデートをしたっていうわけ。ま、初めは驚いたけど、それなりに楽しいデートばっかりだったから、今では少し良い思い出になっている。
 で、そのステイゴールド。
 どうして私がこの馬を克明に覚えているのかといったら、ステイゴールドはその日のレースで、最後のコーナーを曲がりきれずにあさっての方向へ飛んでいって、騎手を振り落としてしまったのだ。
 ただ1頭、文字通り別次元の走りを繰り広げるステイゴールドと、周りの人たちがあげるどよめき、そしてこの馬の馬券を握っていた彼氏の悲鳴……。
 これが、私の頭の中に、このステイゴールドという馬を強く印象付けたきっかけだった。どれだけ彼にレクチャーを受けても、競馬の専門的なことは全然覚えられなかった私だったけど、こんな事があったら1頭の馬の姿と名前くらいは覚えてしまうってものだ。
 その後、競馬場デートの時にステイゴールドが走るたび、私は本当なら買っちゃいけなかった馬券を、ステイゴールドから少しだけ買った。どういうわけか、私が馬券を買った時のステイゴールドは強かった。あのアクシデント以来、決してステイゴールドの馬券を買わなかった彼の羨望の眼差しを浴びながら、嬉々として払戻しの機械に並んだのをよく覚えている。
 でも、私のステイゴールドにまつわる記憶は、一旦そこで途切れる。その年の夏ごろに、仁経大生の彼氏と別れてしまったからだ。その別れについて、特別なドラマがあったわけじゃない。ごく普通の2人の若い男女がごく普通に出会って、ごく普通にお付き合いをして、ごく普通にお別れした、ただそれだけのこと。
 彼と会わなくなって、私の生活は色々と変わったけれど、その変化の1つとして、私は競馬場に行かなくなった。私にとって、競馬や競馬場は、あくまでもデートの手段や場所でしかなかったのだ。ステイゴールドという馬もその“付属物”に過ぎなかったということになる。ただ、それはあくまでもその時のお話だけれど──

 それから私は間もなくして、他の人がそうするように就職活動を始めた。なけなしのバイト代と親からの援助で揃えたリクルートスーツを着て、慣れない敬語と“面接用語”を駆使し、かなりたくさんの会社で入社試験を受けた。私が高校生の頃からずっと続いていた不景気のせいで随分苦労させられたけれど、1年弱の“戦い”の戦果は、私なりにソコソコ満足の行くものだった。
 その後は、これも就職活動を終えた大学4年生にお決まりの、ゼミ旅行、卒業旅行、海外旅行。まるで何かに憑りつかれたように、親しいんだか親しくないんだか分からない同じゼミの女友達と、それこそ世界中至る所を半ば意地になって巡り歩いた。今から考えたら、香港とかオーストラリアとか、競馬が盛んなところにも行ったのだけれど、ステイゴールドのことすら忘却の彼方に見送ってしまっていた当時の私には、「旅先で競馬」なんて発想は、それこそ微塵も思い浮かばなかった。
 そうやって私は、どこにでもいる普通の女子大生と同じように青春を謳歌し、そして貸衣装の袴姿で卒業証書を受け取った。記念写真を撮りながら「また、会おうね」と約束し合った、同じゼミの女の子たちとはそれ以来一度も会っていない。ま、それもありがちなことだ。
 そして、私は社会人になった。決して甘く見ていたわけではなかったけれど、それからの日々は、本当に辛いことばかりだった。
 新入社員なら誰もが憧れる“花形部署”に配属された女子“総合職”の私。でも、そんな言葉に酔うことが出来たのもほんの一瞬で、研修期間が終わってからというもの、来る日も来る日も「9時5時? 有給休暇? それって何?」って感じで、雑用と社内外の苦情処理に忙殺される日々が私を待っていた。
 それだけじゃない。同じ課の先輩社員が口説いて来たのをあしらった翌日以降、私を誹謗中傷する根も葉もない噂が会社中を駆け巡ったりとか、ミーティングで私が提案したアイディアが好評で喜んでいたら、いつの間にか、それが直属の課長が次長へ昇進する決め手になっていたりとか、マンガやTVドラマでお馴染みの経験は3ヶ月弱で一通り済ませてしまったりした。
 朝起きて、仕事に行って、夜帰って寝る。毎日がその繰り返し。今から考えたら、よくそんな生活に耐えてこられたものだと思うけれど、多分その時は、今が辛いとかどうとか、そんなことを考える気力すら奪われていたのだと思う。
 そう、そう言えばあの日も。
 あの日も、そんな辛い日々の中の出来事だった。

 入社して約半年経った10月下旬のある日曜日。その日の私は、遠い昔に神様が決めた休日なんてお構いなしで、クレームのあった顧客の会社へお詫びに出かけ、その足で帰社して会議に(雑用係として)出席、という無茶苦茶なスケジュールを強いられていた。
 元々ギリギリの時間設定だったのに、訪問先の会社でクドクドと苦情をぶつけられたせいで、そこを出た時には既に“手遅れ”の時刻になってしまっていた。かと言って、それで遅刻していいという理由になれば苦労はしない。私は泣きそうになりながらタクシーに飛び乗った。手取り15万ソコソコの私のお給料から考えると、多分経理に回したって落ちないタクシー代はかなり痛い出費だったけれど、その結果得られる数千円の金額がプリントされた領収書は、遅刻の言い訳ができる“武器”になりそうな唯一の物だったのだ。
 私が「なるべく急いで下さいね」と言ったにも関わらず、運転手さんはヘラヘラと笑うだけで一向に車の速度を上げようとしなかった。それどころか、「ちょっと失礼」なんて言ってラジオのスイッチを入れ、おまけにボリュームまで上げたりするものだから、私は思わず、「ちょっと! 私が上げて欲しいのはラジオのボリュームじゃなくて、車のスピードなんだってば!」って叫びそうになった。
 『……さて、いよいよ天皇賞・秋の発走時刻が迫ってまいりましたが……』 
 しかも、ラジオから流れていたのは競馬中継だった。「何、この人? 仕事中に競馬なの?」とは思ったけれど、もうここまで来ると、怒りを通り越して呆れかえると言うか、すっかり体中の力が抜けてしまった。私はただ、後部座席に身を任せながら、「ああ、なんて私は運がない女なんだろう」なんて、自分自身を嘆くしかなかった。
 と、その時──
 『…そして、今度こそ1着の欲しいステイゴールドなんですが……』
 その馬名を耳にした瞬間、記憶の奥の奥へと追いやられていた1頭の馬とその思い出が、私の頭の中で一気に蘇った。そう、それはまだ私がどこにでもいる普通の大学生だった頃の──
 気が付いたら私は、後部座席から身を乗り出して、ラジオに耳をそばだてていた。
 「え? ステイゴールド…?」
 その途中で、私が思わずポロっと口にした言葉を運転手さんは聞き逃さなかった。彼はルームミラーで私の様子を窺いながら話し掛けてきた。
 「あれ? お客さんも競馬やるんですか? 若い女の人なのに、珍しいねえ」 
 「あ、いや、その……知ってる馬の名前が出てきたもので…」
 「へえ、ステイゴールド? 渋いなあ」
 私には何がどう渋いのか分からなかったけれど、この運転手さんが、私が唯一名前と姿を記憶している馬を知っていることが単純に嬉しかった。
 「でも、どうやろね。どうにもパッとせえへん馬やから…」
 「え? ステイゴールドって弱いんですか?」
 「いや、そういうわけやないけどね。でも、何て言うかなぁ。イマイチって言うか、パッとせえへんて言うか…」
 運転手さんの話こそ、何だかパッとしなかったけれど、どうも今のステイゴールドは、私が直に見ていた頃の強いステイゴールドじゃないことだけは、何となく分かった。
 それから間もなくして「天皇賞・秋」のレースが始まった。運転手さんは「頼むで、セイウンスカイ」なんてブツブツ呟きながら、ソワソワしていた。
 『…セイウンスカイは伸びないか? ちょっと苦しそうだ! セイウンスカイ、ピンチ! 先頭はステイゴールドか、ステイゴールド先頭か? ……大外からスペシャルウィーク! スペシャルウィークが一気に追い込んで来た! 武豊だ、スペシャルウィークだ! スペシャルウィークかステイゴールドか、スペシャルウィークだ! スペシャルウィークが交わして1着ーッ!!』
 ラジオの向こうで何があったのか、私にはあまりよく把握できなかったのだけれど、ステイゴールドは惜しいところで負けてしまったらしい、ということだけは判った。
 「あぁ……これで昨日、今日とタダ働きやがな…」
 運転手さんはハンドルを握ったまま、ガックリと肩を落とした。フロントガラスにボンヤリと映った運転手さんの表情が暗かったのは、最近勢いを増した不景気のせいではなさそうだった。
 間もなく、タクシーは会社の前に到着し、私は財布の中を確かめつつ、領収書を要求した。
 運転手さんは不景気な顔をしたまま領収書を切り、少し憮然とした声で、
 「やっぱり、ステイゴールドはアカンかったね。1着が獲れずに2着とか3着ばっかりや。これやと、ステイ“ゴールド”やなくてステイ“シルバー”かステイ“ブロンズ”に改名せんとアカンで」
 と、言って私にお釣りと領収書を手渡した。馬券が外れた恨み言だったんだろうけれど、その運転手さんの言葉は、やけに私の耳に堪えた。
 そのせいもあったんだろう、その日の会議で私はいつも以上にミスをして、いつも以上に怒られた。もちろんタクシー代は経費で落ちず、領収書は遅刻の言い訳にはなったけど、他の人から白い目で見られることには変わりは無かった。
 すっかり空が暗くなって、ようやく地獄のような会議から解放された私は、今度は電車に乗って、一人暮らしをしているワンルームマンションへ帰ろうとしていた。その電車の中で不規則な振動に揺られながら、いつの間にか私はステイゴールドのことを考えていた。
 別にとりたてて感慨があったわけじゃなかった。多分、懐かしさとその日に起こった出来事がない交ぜになって、その結果、どうにもステイゴールドのことが気になって仕方が無かったんだと思う。
 もしも、私がそこでその気持ちをやり過ごし、また仕事ばかりの日常に帰っていたら、もう私の人生の中でステイゴールドが出て来ることは二度と無かったかもしれない。けれど、自分でも不思議なことに、その日の私はなぜかステイゴールドにこだわった。気が付いたら私は、1年浪人して仁経大に通っている友人の香織──実は、例の元・彼氏はこの子の紹介だった──に電話をかけ、ステイゴールドについての資料を見せてもらう約束を取り付けていた。

 「……ごめんね、急なお願いで」
 そんなことを言いながら部屋を訪れた私を、香織は不思議そうな顔をして出迎えた。
 「いや、資料とかは、どうせ大学で使ってるから別にええけど。でも、いきなりどうしたん?」
 「いや、ちょっとね」
 理由を話さない私──そりゃそうだ。理由なんて私だって知らない──を見て、香織はいかにも腑に落ちない表情をしていたけど、それでも「競馬四季報」という、漢和辞典みたいな分厚い本を私に差し出した。
 香織曰く「中央競馬で走っている馬の成績が全部載ってる」というその本の、ちょうど真ん中辺りのページに、ステイゴールドの成績一覧が載っていた。
 「………あ」
 思った言葉が、そのまま口を突いて出た。
 「これ、私だ……」
 「え? 『私』がどうしたって?」
 近くで見ていた香織が、もっと不思議そうな顔をして話し掛けてきた。でも、私はそれに答えないまま、ずっと同じ言葉を繰り返していた。
 「これ、私だ……」
 私が競馬場に行かなくなってからのステイゴールドは、「阿寒湖特別」というレース──香織の説明によれば、“校内快足ナンバーワン決定戦”程度のレースだそうだ──を勝って以来、全く勝てなくなってしまっていた。私がタクシーの中で聴いた「天皇賞・秋」が22連敗目のレースだった。
 一所懸命、どれだけ頑張っても結果が出ない。誰も認めてくれない……。「競馬四季報」の成績表が語るステイゴールドは、ちょうどその頃の私と同じように、必死にもがいて苦しんでいる姿を映し出していた。

 それ以来、ステイゴールドという1頭の競走馬は、私の、かけがえの無い心の支えになった。
 私は、それまで存在すら知らなかった競馬雑誌を買い、ステイゴールドが次にいつレースに出るのか調べることが習慣になった。そして、ステイゴールドがレースに出るたびに馬券を買うようにもなった。素通りする事はあっても、中に足を踏み入れることは決してなかった、「ウインズ」という馬券売り場にも入るようになった。昔みたいに、私が馬券を買ったらステイゴールドが活躍する、なんてことはなく、相変わらずステイゴールドは、あの10月に“再会”したステイゴールドのままだったけれど、私はそんなステイゴールドに自分を投影し、親近感を覚えていたわけだったから、それはそれで良かった。
 ステイゴールドはその後、泥沼のような連敗を28で止めて、ついに「阿寒湖特別」以来の勝利を収めた。もちろん私は、我が事の様にそれを喜んだ。的中した馬券で儲けたお金でシャンパンを買い、1人、部屋で祝杯をあげる、なんてことまでした。そんな私は、相変わらず職場でもがき苦しんでいた。
 そんな私とステイゴールドとの“蜜月”が、一転して崩壊の危機を迎えたのが今年、2001年の春のことだった。
 1月の「日経新春杯」というレースで、約8ヶ月ぶりの1着を獲っていたステイゴールドは、私がそれまで聞いたことの無かった、UAEのドバイという都市で開催された国際招待レースに参加した。ステイゴールドはそこで、世界中から集まったチャンピオン・ホースを抑えて1着を獲ってしまったのだ。
 電話でこの報せをくれた香織は、
 「良かったね、これでステイゴールドも世界チャンピオンよ」
 と祝福してくれたけど、そんな声とは裏腹に、私はなぜだか酷い虚脱感を感じていた。嬉しいはずなのに、ステイゴールドの快挙を喜ぶことが出来なかった。
 私は、この自分の心について、どうしてこんなことになったんだろうと一晩自問自答した結果、1つの答に行き着いた。
 私はステイゴールドに嫉妬していたのだ。
 その頃になっても、私は相変わらず職場では苦しみ続けていた。不景気で新規採用が滞ったために、私はいつまでも最年少のままだったし、会社の体力低下はストレートに社員の待遇低下を招いていた。待遇低下は社内の人々にストレスを積もらせ、そのはけ口は立場の弱い人間に向けられていた。当然、私はその“はけ口”の1人だった。
 私がそんなふうに苦しんでいたのに、一方のステイゴールドは、知らない間に世界チャンピオンになってしまっていた。いつも私のそばにいてくれたはずの存在が遠くへ行ってしまった。私が行けない所までスイスイと行ってしまった。……そんな事実を突きつけられて、私は嫉妬心を抱いてしまったのだった。
 幸か不幸か、この後のステイゴールドは、また以前の惜敗続きのステイゴールドに戻ってしまって、私とステイゴールドとの関係が切れてしまうことはなかった。それでも、自分の分身にも似た存在に嫉妬心を抱いてしまったという事実は、私の心に深い影を落としていた。

 始まりがあれば、いつか終わりがある。ステイゴールドが年内で引退すると聞いた時、私はそんな当たり前のことを再確認させられた。ステイゴールドはもう7歳。私が学生時代に出会った時は、前途有望な若馬だったステイゴールドも、今では大ベテランになってしまっていた。
 それよりなにより、私を驚かせ、そして失望させたのが、引退レースは日本ではなく、香港の国際レースで迎えるということだった。引退レースは年末の「有馬記念」だと確信し、親戚・祖父母の1人や2人を死人扱いしてでも中山競馬場に駆けつけるつもりだったのに、香港ではどうしようもない。「観戦ツアー」なるパック旅行もあるにはあったけど、入社以来、減ることはあっても増えることのない無いお給料とボーナスでは、とてもじゃないけど海外旅行は無理な話だった。
 どうにかレースを観る方法は無いかと香織に尋ねると、どうやらレース当日の競馬場とウインズで、衛星生中継するみたいだと教えてくれた。その日もまた、日曜日だというのに、みっちりと仕事の予定が入っていたけど、私はどうにかしてステイゴールドの引退レースを見届けることに決めた。それは、もちろんステイゴールド最後の雄姿をリアルタイムで見ておきたい、という素直な願望もあった。でもそれよりも、春、ステイゴールドが世界チャンピオンになった時、私が抱いてしまった嫉妬心と決着をつけたいという気持ちの方が強かった。
 引退レース・「香港国際ヴァーズ」でのステイゴールドは、1着馬の最有力候補になっていた。もう一度、ステイゴールドが私に手が届かない存在になった時、その時、私はどんな心境になるのだろう─? 
 もしも、また私がステイゴールドの活躍を妬むようなことがあったなら、その時は、私なりに“罪”を償うため、勤めている会社を辞めるつもりでいた。自分が心の支えにするようなかけがえの無い存在に、一度ならずに二度までも醜い感情を抱いてしまったなら、それは私のこれまでの生き方が間違っていたということなんだから……

 レース当日、例によってスケジュールは遅れ、仕事が全て終わった時には、最寄りのウインズまで駆け足で行っても厳しい時刻になってしまっていた。それでも私は諦めず、懸命に走った。今日だけは遅れちゃダメだ。今日だけは絶対に……。私はついに道の途中でパンプスを脱ぎ、ストッキングを履いただけの裸足で街中を駆けた。みるみるうちにストッキングは破れ、かかとからは血もにじんで来たけど、その時の私に、そんなことを気遣っている余裕なんて無かった。
 火事場の何とやら、というのだろうか、奇跡的に私は「香港国際ヴァーズ」の発走に間に合った。ぜぇぜぇと息を切らしながら、両手に持っていたパンプスを履き直し、既にモニターの前に集まっていた10数人の中に混じって、ステイゴールドのラスト・ランが始まるのを待ち構えた。
 それからすぐにゲートが開き、レースが始まった。ステイゴールドは全馬一団となった馬群の真ん中辺りに待機して、スパートのタイミングを図る展開になっていた。先頭との差もそんなに開いていなくて、ステイゴールドにしてみれば、いつでも射程圏に捉えることのできるポジションをキープしていた。「これなら多分……」私の心の中で期待感が大きくなっていった。
 ところが、第3コーナーから第4コーナーにかけて、逃げていた馬がスルスルと馬群との差を広げ始めた。
 「え? え?」
 狼狽する私をよそに、逃げている馬とステイゴールドとの差は開く一方。最後の直線に入った時には、7〜8馬身くらいの大きなビハインドになっていた。まだ、ステイゴールドが差を詰める気配は無い。どう見たって、大ピンチだった。

 その瞬間、私の頭の中で何かがバチンと弾けた。

 「頑張ってえ〜〜〜! ステイゴールド、頑張ってえぇ〜〜〜!!」
 こんな大きな声が出るんだ、と自分でびっくりするくらいの大音量で、私は絶叫していた。それと同時に涙が溢れ出して止まらなくなった。私の中で、色々な感情がグチャグチャになってしまっていた。ただ一つだけ、確かなこと。私はただ純粋に、ステイゴールドの勝利を願っていた。あの忌々しい嫉妬心は、もうどこにも無かった。
 「ステイ……ゴ…ル…ド……がんばっ……」
 もう、言葉にならない。私は口元を押さえながら、その場にうずくまった。周囲の視線が痛いほど突き刺さるのを感じる。そりゃそうだ。若い女の子が裸足で息を切らしてやってきたかと思ったら、今度は絶叫した挙句に号泣だ。こんなのを見て、おかしいと思わない方がおかしい。
 「あ! 来た! ステイゴールド!!」
 その時、観衆の1人、私と同い年くらいの男の人が声を上げた。涙で視界は霞んでいたけど、確かにモニター画面には、逃げ馬を単騎で追い詰めるステイゴールドの姿があった。まるでステイゴールドの背中に羽根が生えたような凄いスピード。その姿はまさに空駆ける天馬、黄金の翼のペガサスだった。
 「よし! 頑張れ!」
 「ほら、差せ差せぇ!!」
 「よっしゃ、行けるぞ!」
 いろんな人が、私の代わりをしてくれるようにステイゴールドを応援していた。それに応えるように、ステイゴールドはグングン差を詰めてゆく。そして────
 「よし! やったぁ〜〜!」
 「差したよな、差し切ったよな!」
 「おい、オネエチャン、良かったな、勝ったぞ! ステイゴールド、勝ったぞ!」
 周りにいた人が、歓喜の声をあげながら私にステイゴールドの勝利を伝えてくれた。近くでは万歳三唱まで始まっていた。
 「…ありがとう………ありがとう……」 
 号泣の後のひきつけを堪えながら、私はただただ、「ありがとう」と言い続けていた。
 もちろんそれは、私の分までステイゴールドを応援してくれた、モニター前の人たちに対しての感謝の言葉でもあったけれど、それ以前に、それ以上に、私はステイゴールドに「ありがとう」と言っていたのだ。
 私は、走っても走ってもどうしても勝てないステイゴールドを見て、「私と同じだ」と思った。でも、それは大きな間違いだったのだ。
 ステイゴールドは、頑張っても頑張っても結果が伴わず、周りから正当な評価されない状況にあっても、そんなことはお構いなしだとばかりに、一所懸命努力していた。いつか勝とうと頑張っていた。その名の通り、黄金のように輝き続けようと頑張っていたのだ。そして、今、ステイゴールドは本物の輝きを手に入れたのだ。それも、永久に目映く光り
ける黄金の輝きを。そう、ステイゴールドは、本物の“ステイゴールド”になったのだ。
 それに引きかえ、私はどうだっただろう? 自分の不甲斐なさを棚に上げ、不遇を恨み、それを嘆くばかりの日々。それどころか自分と似た存在を見つけて慰みものにしていたのだ。自分の力で、苦境をどうにかしようなんてことは全く考えずに……
 ステイゴールドは教えてくれた。苦労することだってある。すぐに報われないこともある。でも、大切なのは、諦めないこと、自分を磨き続けることなんだと。そうすれば、近くはなくても遠い将来、必ず報われるのだと。

 ──レースが終わってどれくらい経ったのだろう?
 ステイゴールドの雄姿を映し出していたモニターは、本来の仕事である阪神競馬場のレース放映を始め、私と一緒にステイゴールドの優勝を祝ってくれた人たちもまた、思い思いの方向へ散らばっていった。
 私は、まだ目尻に残っていた涙を手でぬぐい、しっかりとした足取りで歩き出した。いつもは痛い位に感じる冷たい北風も、今日は何だか心地良い。明日から、また辛い日々が始まるのかと思うと、ちょっぴり憂鬱になるけれど、でも、もう私はそれを嘆いたりしない。さあ、胸を張って歩こう。今は苦しいかもしれないけれど、その苦しみを糧にして、私もいつかは誰もがうらやむ輝きを手に入れてみせるんだ。
 そう、遠く海の向こうで、黄金の羽根羽ばたかせ駆けていった、あの努力家のペガサスのように──  (完)

参考資料・ステイゴールド号・全成績(略式)
日付 レース名 着順 騎手 1着馬(2着馬)

96.12.1

新馬戦

/14

ペリエ

マキハタスパート

96.12.21 新馬戦※1 16/16 ペリエ

オースミサンデー

97.2.15 未勝利戦※2 止/12 熊沢 ハリアップスキー
97.3.22 未勝利戦 /13 熊沢 パルスビート
97.4.19 未勝利戦 /18 熊沢 タマモイナズマ
97.5.11 未勝利戦 /18 熊沢 (トップラダー)
97.6.7 すいれん賞(500万下) /10 熊沢 (ビンラシッドビン)
97.6.29 やまゆりS(900万下) 4/13 熊沢 ナムラキントウン
97.9.6 阿寒湖特別(900万下) /14 熊沢 (ミナミノフェザント)
97.10.12 京都新聞杯(G2) 4/12 熊沢 マチカネフクキタル
97.11.2 菊花賞(G1) 8/18 熊沢 マチカネフクキタル
97.11.30 GホイップT(1600万下) /13 武豊 ファーストソニア
98.1.17 万葉S(オープン) /14 熊沢 ユーセイトップラン
98.2.8 松籟S(1600万下) /16 熊沢 アラバンサ
98.2.21 ダイヤモンドS(G3) /16 熊沢 ユーセイトップラン
98.3.29 日経賞(G2) 4/12 熊沢 テンジンショウグン
98.5.3 天皇賞・春(G1) /14 熊沢 メジロブライト
98.6.13 目黒記念(G2) /13 熊沢 ゴーイングスズカ
98.7.12 宝塚記念(G1) /13 熊沢 サイレンススズカ
98.10.11 京都大賞典(G2) 4/7 熊沢 セイウンスカイ
98.11.1 天皇賞・秋(G1) /12 蛯名 オフサイドトラップ
98.11.29 ジャパンC(国際G1) 10/15 熊沢 エルコンドルパサー
98.12.27 有馬記念(G1) /16 熊沢 グラスワンダー
99.2.14 京都記念(G2) 7/10 熊沢 エモシオン
99.3.28 日経賞(G2) /13 熊沢 セイウンスカイ
99.5.2 天皇賞・春(G1) 5/12 熊沢 スペシャルウィーク
99.5.29 金鯱賞(G2) /15 熊沢 ミッドナイトベット
99.6.20 鳴尾記念(G2) /10 熊沢 スエヒロコマンダー
99.7.11 宝塚記念(G1) /10 熊沢 グラスワンダー
99.10.10 京都大賞典(G2) 6/10 熊沢 ツルマルツヨシ
99.10.31 天皇賞・秋(G1) /17 熊沢 スペシャルウィーク
99.11.28 ジャパンC(国際G1) 6/14 熊沢 スペシャルウィーク
99.12.26 有馬記念(G1) 10/14 熊沢 グラスワンダー
00.1.23 AJCC(G2) /14 熊沢 マチカネキンノホシ
00.2.20 京都記念(G2) 3/11 熊沢 テイエムオペラオー
00.3.26 日経賞(G2) /10 熊沢 レオリュウホウ
00.4.30 天皇賞・春(G1) 4/12 熊沢 テイエムオペラオー
00.5.20 目黒記念(G2) /15 武豊 (マチカネキンノホシ)
00.6.25 宝塚記念(G1) 4/11 安藤勝 テイエムオペラオー
00.9.24 オールカマー(G2) 5/9 後藤 メイショウドトウ
00.10.29 天皇賞・秋(G1) 7/16 武豊 テイエムオペラオー
00.11.26 ジャパンC(国際G1) 8/16 後藤 テイエムオペラオー
00.12.24 有馬記念(G1) 7/16 後藤 テイエムオペラオー
01.1.14 日経新春杯(G2) /11 藤田 (サンエムエックス)
01.3.24 ドバイシーマクラシック(国際G2) /16 武豊 (ファンタスティックライト)
01.6.24 宝塚記念(国際G1) 4/12 後藤 メイショウドトウ
01.10.7 京都大賞典(G2)※3 失/7 後藤 テイエムオペラオー
01.10.28 天皇賞・秋(G1) 7/13 武豊 アグネスデジタル
01.11.25 ジャパンC(国際G1) 4/15 武豊 ジャングルポケット
01.12.16 香港国際ヴァーズ(国際G1) /14 武豊 エクラール
 ※1…レース中、故障を発症したため、1着馬より約6秒遅れでゴール
 ※2…4コーナーを曲がりきれずに逸走、騎手が落馬して競走中止
 ※3…最後の直線で、他の馬の進路を妨害し、落馬させたため失格。

 

 


 

12月19日(水)演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(12月第4週分)

 さて、水曜日は演習(ゼミ)・「現代マンガ時評」。
 いよいよ年の瀬ということもあって、合併号期間が始まりました。今週は「週刊少年サンデー」など数誌がお休みですので、「週刊少年ジャンプ」関連を中心としたゼミになります。

 それでは、まずレビューの前に、「週刊少年ジャンプ」の月例新人賞・「天下一漫画賞(01年10月期)」の受賞者、受賞作を紹介しておきましょう。実は先週号で発表されていたのですが、見落としてしまっていたのでした。申し訳ありません。

第63回天下一漫画賞(01年10月期)

 入選=該当作無し
 準入選=該当作無し
 佳作=該当作無し
 審査員・編集部特別賞=2編

  ・『ハンコ的英雄リンシャン』(小畑健賞)
   板倉雄一(19歳・神奈川)
  ・『デビルローン』(編集部特別賞)
   伊藤寿規(23歳・東京)

 最終候補(選外佳作)=6編
  ・『テンシとショウネン』
   天野洋一(20歳・岡山)
  ・『REAL HERO』
   原作:金沢陽嗣(24歳・神奈川)
   作画:内田朝陽(24歳・東京)
  ・『おじいさんの機械』
   亀野善寛(27歳・愛知)
  ・『雪ざんげ』
   根津愁(21歳・神奈川)
  ・『B−BOY』
   小田浩司(23歳・神奈川)
  ・『貫く者(スルー)』
   田川真理(18歳・東京)

 さて、それではレギュラー企画・『新連載・読み切りレビュー』です。レビューの最後に出てくる評価についてはこちらを参照のこと。

☆「週刊少年ジャンプ」2002年新年3号☆

 ◎新連載第3回『サクラテツ対話篇』作画・藤崎竜《第1回掲載時の評価:B

 どうやら、一話完結型のドタバタギャグマンガ、というのが現在のスタイルみたいですね。『封神演義』からストーリー部分を抜いたような雰囲気、と言えば良いかと思います。
 読んでいて不快感はありません。爆笑も無い代わりに、つまらないと感じる事も有りません。なので、“アクは強いのに影が薄い”という、珍しい作品になってしまいました。
 藤崎竜氏とその作品群は、一般ウケはしない代わりに、女性同人誌サークルを中心としたコアな固定ファン層を抱えています。しかし、この『サクラテツ対話篇』が、これまでと同じように固定ファン層へ受け入れられるかというと、やや疑問です。近いうちにテコ入れをして、『ジャンプ』内での存在感を増す努力をしてゆかないと、意外と短命な連載になるかもしれません。
 最後に評価ですが、第1回の時と同じく
B。良くも悪くも平均点、といった感じでしょうか。

 ◎読み切り『まげちょん』作画:浅上えっそ

 先週の『SAVE THE WORLD』に続いて、赤塚賞佳作入賞作の掲載です。例によって代原なのですが、いつもの『HUNTER×HUNTER』休載対応ではなく、なんと“落ち”たのは『ホイッスル!』でした。珍しい事もあるものですが、これが連載終了への伏線にならないようにしていただきたいものです。
 さて、この『まげちょん』ですが、同じく赤塚賞佳作に選ばれた『SAVE THE WORLD』よりはレヴェルが高いと思います。が、ギャグマンガにしては、肝心の笑いの要素がイマイチであり、インパクト不足は否めません。
 それは赤塚賞の審査をされたマンガ家さんたちにも共通の思いだったらしく、審査結果発表の記事に掲載された講評はこんな感じでした。


 テンポがよい。テーマを短く、もっと絞り込んで(赤塚不二夫氏)


 キャラをちゃんと作れる人だと思う(小栗かずまた氏)


絵はキレイで上手いかも。でも、全体の空気が妙に古い(うすた京介氏)

 ……誰一人「面白い」とか「笑えた」とか言ってないんですよね。マンガとしては良く出来ているが、ギャグマンガとしてはどうか、といったところなのでしょうか。
 この作品を読んだ直後、「ピューと吹くジャガー」を読んだのですが、やはり歴然たる才能の差が有るな、と感じてしまいましたね。
 評価は
Bに近いB−というところでしょうか。作者の浅上さんには精進してもらいたいですね。

 ………
 今日はちょっと短いですが、これで講義を終わります。本当は、「ジャンプ」の次回打ち切り作を予測・検討してみたかったのですが、次回以降に延期、ということでご了承ください。
 さて明日は、競馬の香港国際ヴァーズに勝ち、デビュー50戦目の引退レースで晴れてG1馬となった、ステイゴールド号に関しての特別企画です。何と、いつもの講義に代わって、助手の栗藤珠美ちゃんによるショート・ストーリーをお送りします。お楽しみに。(本日の講義終わり)

 


 

12月18日(火)メディア・リテラシー概論
「ニュース購読・『あの人は今こうしている 工藤兄弟』」(2)

 さて、昨日は突然の休講失礼しました。
 前回の内容ですが、詳しくはレジュメを読んで頂くとして、ここではごく簡単に振り返って、足早に話を先へと進めましょう。

 消えかけの双子タレント・工藤兄弟のデビューから今後の展望について書かれた記事を取り上げ、それが実はツッコミ処満載の提灯記事だった、というのが前回の内容でした。
 今回は前回の講義の最後で言った、この記事の欠陥についてのお話をしましょう。

 結論から先に言いますと、この記事は、「どうして工藤兄弟は『ガクンと露出が減った』のか書いてない」のです。だから中途半端な印象が否めないんですね。

 芸能界で露出が減るのには、必ず理由があります。
 例えば「キャラが被った」という理由。この類型の中でも有名なものには、「池谷幸雄が出てきたら森末慎二が消えた」件や、「浜崎あゆみが出てきたら華原朋美が消えた」件など。中には、「吉野紗香が出てきたら上原さくらが一旦消えたが、吉野紗香が未成年喫煙発覚で自滅したので、また上原さくらが復活した」という特殊なケースもあります。
 その他よくあるのは「一時的に上がった知名度ほど実力が伴っていなかった」と言うパターンなど。……あ、あんまり深く採り上げるのはアレですが、ご老人タレントに多いのは、「実はいつの間にか死にかけている、またはボケている」というパターンですね。MLBに詳しいヅラの人や、○森のオバチャマなどがそうです。この場合、再登場するのが先か、訃報が先か、という状態でありまして、えも言われぬ寂寥感に囚われてしまいます。

 では、彼ら工藤兄弟が露出度を減らした理由とは何でしょうか?
 それは「認知されているキャラが変わってしまった」というパターンです。もっと簡単に言うと「ヤンキーだとバレた」というわけですね。
 芸能界に元犯罪者ヤンキーが多いのは周知の事実ではありますが、だからといってヤンキー丸出しでTVに出られると、それはそれで活動が限定されてしまうわけです。「前科モンに『サライ』歌われても、感動でけへんよなあ」ということです。そういう意味から考えたら、今年の研ナオコは色々な意味でギリギリでした。
 これで演技力や貫禄が有れば、Vシネマ路線もアリなのですが、現実世界でチンピラだった人間には、Vシネマの世界でもチンピラ役しか回ってこないんですよねえ……。
 …と、閑話休題。
 さて、工藤兄弟がヤンキーだとバレてしまったのは、とある番組がきっかけでした。
 その番組とは「オールスター大運動会」。70年代に誕生して以来、中断を挟みながら幾度も実施されている、定番のスポーツバラエティー番組です。
 この番組、昔から芸能界の裏事情と深くリンクするという、ある種の業を抱えた番組です。“徒競走でジャニーズのアイドルに勝ってしまって、他の出番もろとも消されたお笑い芸人”など、多くの悲劇が生まれては公式データから抹消されてきたのは余りにも有名です。
 しかし、今回の件で問題となったのは、徒競走ではなく、学校の運動会でもお馴染の“男子棒倒し”でした。
 この競技に参加した事がある男子受講生の方は分かると思いますが、この競技、“吉野家の在るべき姿”のように殺伐としておりまして、本当にいつケンカが始まってもおかしくない危険な競技なのです。
 学校では小学生・中学生同士なので大事には至りませんが、これを大の大人、しかも経歴に問題の多いタレント連中でやってしまうと、たちまち“リアル『特攻の拓』の修羅場”的様相を呈してしまいます。一番酷い時には、現役プロレスラー元・グリーンベレーの外国人タレントが混じってしまい、テンションが嫌な方向性で最高潮。そこへ職務を全うしようとした某お笑い芸人が茶化した態度をとったところ、その元・グリーンベレーに身柄を制圧され、

 「俺はヴェトナムで人殺した事あるんや。お前も殺したろか!?」

 などと凄まれた、という笑えない話もあったりします。
 ちなみに、この元・グリーンベレーの人は、一時期、某・年2回開催の超長時間クイズ特番で、プロレスラーの藤原喜明“組長”と、ガチンコ相撲勝負をしていたことで有名です。しかし、この勝負、ヴェトコン・ヴェトミンを多数刺殺・絞殺して来た男と、数多の道場破りを2級障害者にしてきた男との一騎討ちなわけで、言ってみれば残虐超人同士の戦いです。まるで第20回超人オリンピック1回戦Bブロック第1試合・ラーメンマンVSブロッケンマンのような試合でして、よくよく考えてみればTV、しかも生なんかでは放送しちゃダメで、ひっそりとラジオ放送に止めておくべき試合だったのですが……。いやはや、知らないという事は恐ろしいですね。
 おっと、またも話が逸れました。まぁそんな危険な状況下でしたから、まさに一触即発。ちょっとした事が原因でケンカが始まってしまいます。ですから工藤兄弟も、オヤジ狩り仕込みの打撃技を繰り出すという事態に陥ってしまったわけです。
 しかもその抗争相手が何と坂本一生。そう、あの元・“新・加勢大周”です。なんだかなんだかハッキリさせてもらいたかった、あの彼です。消えたタレント同士で潰しあいしてりゃ世話ないですが、彼ら3人は小競り合いの後、よしゃあいいのに工藤兄弟が「ウチの事務所はデカいんだ。お前なんか芸能界から干してやるからな」という、器の小ささ丸出しの捨て台詞を吐くに及んで、とうとう収拾のつかないところまで事態は悪化してしまいました。
 この3人の因縁の対決は、テレビ東京系「浅草橋ヤング洋品店」で数回に渡り放映されたので、覚えている受講生の方も多いと思いますが、僕自身、とてもバラエティー番組とは思えない異様な雰囲気に、大層面食らったものでした。
 結局この一連の抗争が続く中、工藤兄弟は突如「笑っていいとも!」から降板します。まぁ、そりゃあ、こんな状況下で「お昼休みはウキウキウォッチング」と歌われても、聴いてる方は「お前らが歌うと、ちっともウキウキしねえよ」と、ささくれ立った気分になるだけですから仕方ありませんが……

 と、まあ、工藤兄弟のマス・メディアへの露出が減った理由を述べてきました。
 で、今回の記事に話を戻しますが、この“「露出がガクンと減った」理由”を知っているのと知っていないのとで、記事の解釈が随分と変わってくると思いませんか? ひょっとしたら、最初に記事を読んだ時には、「ふ〜ん、工藤兄弟も頑張ってるじゃん」と思った人もいたかもしれません。が、あらゆる角度から記事の検討を進めてきて、今、改めて記事を読み返してみるとどうでしょうか? 最終的な解釈は皆さんにお任せしますが、「何を眠たいこと抜かしとるねん、ボケ」と、『ナニワ金融道』の桑田はんのような一言を口走りたくなった人も多いのではないでしょうか?
 そうです。これこそ、メディア・リテラシーなのです。正しい知識を身に付け、歪んだ報道に惑わされる事無く、世の中を逞しく生きてゆきましょう。よろしいですね?
 とりとめのない講義になってしまいましたが、これで今回の講義を終わりたいと思います。(この項終わり)

 


 

12月16日(日)メディア・リテラシー概論
「ニュース購読・『あの人は今こうしている 工藤兄弟』」(1)

 今日の講義では、“メディア・リテラシー”という耳馴染みの薄い言葉を使いましたが、これは簡単に言うと“情報判断”ということです。使い古された言葉ではありますが、現在日本では情報が氾濫しています。しかしそれは、文章力も無いのにエリート面して断片情報を垂れ流す連中が過半数を占めていると思われるマスコミから一方通行で提供されたものばかり。我々はこれを鵜呑みにするのではなく、きちんと受け手の側でそれを噛み砕き、吟味して、真に有用な部分だけを吸収する──言わば、情報の消化活動が大切になって来ます。いざ、こちらから情報を出す時に、コーンの原型が残ったウ○コが出てきては困るから、ちゃんとよく噛んで食べましょうね、ということです。
 以上の目的で実施しますこの講義では、マスコミが報道したニュースをピックアップし、それについて様々な側面から検討を加えてゆく、という形式で進めていきたいと思います。

 さて、今日採り上げるニュースは、12月15日付の『日刊ゲンダイ』紙ウェブサイト・『ゲンダイネット』に掲載されていた、『あの人は今こうしている 工藤兄弟』です。では、まず早速冒頭の部分を紹介しましょう。

 ちょうど10年前、「ホリプロTHE1991オーディション・飛び出せ!日本男児」で発掘された一卵性双生児がいた。順一郎・光一郎の工藤兄弟だ。「笑っていいとも!」のいいとも青年隊でデビューしたふたりは女子中学生や女子高生に圧倒的な人気を誇ったが、最近はガクンと露出度が減った。今どうしているんだろう。

 所謂「消えたタレント」は、光る素材を発掘しては使い捨てする、流行り廃りの激しい芸能界には付き物と言えるでしょう。
 確かに数年前は我が物顔で芸能界を闊歩していたはずなのに、今では姿どころか名前も聞かない。「名前を聞かないなあ」などと言われ、「恐怖の追跡」さんで“捜索依頼”が出る人はまだマシです。
 例えば、ユースケ・サンタマリアとキャラが被ってしまい、一気に露出が減ったルー大柴
 あるいは「ニュースステーション」のレギュラーだったのに、(少なくとも番組内では)天下の久米宏に喧嘩を売ってしまい、マスコミ業界から抹殺された“ニュース界のアル・カイーダ”こと若林正人氏。
 さらには、人気や仕事量がネットバブル期の光通信の株価みたいな経過を辿った猿岩石
 …彼らは消えた、消えた、などと言われても、未だローカル局でレギュラーや準レギュラー番組を持っていて、一応は現役のタレントとして命脈を保っています。
 本当に「消えたタレント」と言うのは、偶然残っていた10年前のビデオを再見した時になって、ようやく「あ〜、いたなこんなヤツ」と言われるようなタレント、例えば一時期「笑っていいとも!」に出ていたものの、当時売り出し中の某アイドル女優と白昼堂々ゲーセンでディープキスをかましているところを見咎められ業界内“軍法会議”により芸能界から追放されてしまった荒木定虎のような人です。今ではそのお相手だった某アイドル女優も消えかかっており、実はここで実名を明かさないのも、ただ単に、すぐ名前が出てこないだけだったりする、というのが悲しいですが。
 そして、今回のニュースに登場する工藤兄弟、彼らも間もなく「消えたタレント」の仲間入りをしようか、という人たちです。しかし幸いな事に、こうして消える寸前にもう一度、鯨の息継ぎのように我々の前に姿を現してくれました。今回はこの機会を逃さず、彼らの人物像を探る事で、この記事のメディア・リテラシーをすすめて行きたいと思います。10代の頃の趣味が「場外馬券売り場でオヤジ狩り」だった彼らですから、やや身の危険を感じてしまったりするのですが、言論の自由を謳った日本国憲法を盾代わりにして、断固としてこの企画を進めてゆきたいと思います。

 さて、彼ら工藤兄弟は「ガクンと露出度が減って」しまってからどうしていたのでしょうか? 
 最近落ち目フジTV系「ものまね王座決定戦」で、員数合わせ要員として出演していたり、また、「芸能人競輪大会」に出場したはいいが、これまた消え去る寸前の芸人・ロッコツマニア宿輪(貧相な方)の落車事故に巻き込まれて本人も落車・転倒。ブチギレて、乗っていた自転車をブン投げて足蹴にしているシーンが日テレ系「電波少年スペシャル」で放映されていたり、はたまた、TBS系「筋肉番付」特番の芸能人大会ケイン・コスギの引き立て役に使われていたりしたのは確認されていますが、彼らがTV番組で、放映時間の全てで通して出演しているシーンは「笑っていいとも!」以来見ていない気がしますね、確かに。
 まぁ、一言で言うと「干されていた」わけなんですが、では彼らは、持て余した暇をどう使っていたのでしょうか? ニュース本文から抜粋してみましょう。

 「ボクらは役者とも芸人ともミュージシャンともいえない、いわゆるタレントでしょ。このままじゃいずれ先細りしちゃうと思うんです。で、ロックからポップスまで幅広くこなせるミュージシャンになるべく、ふたりでギターを始めました。正直、ここ1、2年は仕事もそんなに忙しくないし、ふたりして楽曲作りに励んでます」(兄の順一郎さん) 

 まず、自分自身がタレントとしてまだ先細りしてないと思ってる事が非常に新鮮ですが、それよりも重要なのはその下です。
 僕は音楽について専門的な知識には乏しいのですが、果たして、「ロックからポップスまで」というのは幅広いと言えるのでしょうか? 
 例えば、「詩吟からクラシック、果てはデスメタルまで」などと言われれば、「おお、確かに幅広い」となるでしょう。しかし、「ロックからポップスまで」というのは果たして……? 何だか、「モー娘。からフォルダー5まで幅広く」と言われているような感じがして、何となく彼の頭の悪さ違和感を感じてしまうのですが。
 それに、2人でギターを弾いて歌を唄うというのは、果たしてロックやポップスなのでしょうか?
 ギターを弾く2人組としてユニットを想像してみると……、

 和製サイモンとガーファンクル

 又は、

 1人足りないジ・アルフィー

 又は、

 人数が激減したジプシーキングス

 ……彼らが目指すのは、「ロックから(フォーク→音頭調のニューミュージック→ジプシー経由で)ポップス」みたいですね。いや〜、この欲張りさん!
 兄のミュージシャン転向宣言に続いて、弟は「地道に頑張ります」と、「これ以上地道やったら消えてまうで、キミ」と言いたくなるような謙虚な発言で続き、これを耳にした、この記事を担当した記者は「これがあの、暴力三昧に明け暮れていた工藤兄弟か!」と、驚きの余り、

 「ナント、実に謙虚な青年じゃないか。」

 …と、賞賛の声を送っています。
 ここは普通の人ならば、冷静に「そんなことしてる暇があったら道でも掃け」と言うところなのですが、この記者さんは非常に慈悲深いらしく、完全に応援モードに入っています。慈悲深くなるくらい原稿料をはずまれたのでしょうかね。

 さて、そもそもこの工藤兄弟、どのようにして身分不相応にも芸能界に入ってきたのでしょうか? この記事ではそれについても言及しています。

 工藤兄弟は東京出身。ともに「芸能界にはさっぱり興味はなかった」が、母親が「ホリプロTHE1991オーディション・飛び出せ!日本男児」に応募。「オモシロ半分に受けた」ところ、特別賞を受賞した。
 当時、順一郎さんは体育関係の専門学校の2年生。光一郎さんは「JUN」というファッションブランドの店員だった。

 「なんだ、『特別賞』か」と思われるかも分かりませんが、この手の賞レースでは、グランプリや準グランプリは、大手事務所の圧力で初めから決まっているのが通例で、彼らのようなコネ無しのヤンキー崩れ一般人は、「特別賞」と言う名の“裏グランプリ”で芸能界に引っ張られるものなのです。だから、彼らは最大限の評価を受けてスカウトされた事になります。
 しかし、このオーディションのグランプリ受賞者は誰だったのでしょうか? その名が杳として知れないところを見ると、かなりトホホな実験的なオーディションだったようです。
 まぁ、恒例の「スカウトキャラバン」で、無名時代の椎名林檎を地方予選で叩き落したホリプロのやる事ですから、何があっても不思議ではありませんがね。

 当時彼らは19歳。兄は体育大学じゃなくて体育専門学校だったり、弟もスポーツ一筋だったのに、高卒後は全く関係無いショップの店員になっていたりと、彼らの高校時代の評定平均が窺い知れる履歴がナニですが、まぁ、何はともあれ、彼らは芸能界の住人となりました。しかし……

 「ただ、ふたりとも将来は決まってなくて、“芸能人はおカネが稼げる。面倒見てもらえるなんてラッキー!”って軽いノリでこの世界に入っちゃったんです」(順一郎さん)
 かくして、92年、「笑っていいとも!」のいいとも青年隊でデビュー。
 「“なんでもやります”精神でバラエティー、ドラマ、映画、ラジオ番組と分野を問わずに出ました。ところが、これといった自分たちの活動の軸が見つからない。悩みましたね」(光一郎さん)

 活動の軸が見つからないとか言う前に、いいとも青年隊でデビューだった時点で、色んな事に気付けよ! とは思うのですが、これ以上言うと、本当に場外馬券売り場で襲撃されそうな気がしますので、止めておきましょう。
 結局彼らは約2年後、いいとも青年隊を降板した前後から急速にフェードアウト。

 順一郎さんは「芸能界をやめて、好きなサーフィンの仕事を探そうとした」こともあった。

 と、暴力芸能人の先輩、真木蔵人の後を追おうと考えた事もあったようですが、

 「だけど、ボクがやめたら弟も引きずり込んじゃうと思ってとどまったんです」

 などといった微妙な兄弟関係をほのめかしながら、芸能界残留を決意。しかし、

 「で、モノマネ番組に出てるうちに、音楽活動を軸にしたら、と考え始めた。これからはストリートライブも積極的にやるつもり。一日も早く、“ミュージシャン・工藤兄弟”を確立したいですね」

 ストリートライブをやるために芸能界に残留、というのは、いかがなものか、と思うのですがね。
 あのですね、ストリートライブ出身の歌い手は、ゆずとサムシングエルスだけで、もう十二分です。いや、っていうか、歌手になりたかったらボイストレーニングに行かんかい、このボケ。
 
……あ、失礼。取り乱しました。
 道端でギターかき鳴らして下手な歌を歌うくらいなら、まだ手相でも見てた方が金も儲かると思うんですが、まぁ、職業選択の自由は憲法で保障されてますから、もう何も言いますまい。

 ……と、このように、これから関西空港二期工事のような見通しのつかない事業に乗り出した工藤兄弟、一応、形だけでも応援してあげたいところです。
 しかし、応援したところで終わってしまってはこちらと同じになってしまいます。これは「メディア・リテラシー概論」ですので、このニュースを分析しなくてはなりません。
 このニュース、これまでの検討に従って、ライターが食い扶持を稼ぐための提灯記事と解釈し、記事そのものは適当にあしらっておけば、「工藤兄弟は実は謙虚」とか「工藤兄弟はミュージシャンになるために鋭意健闘中」などといった誤解を抱かなくて済みます。が、それだけではこの記事の大きな欠陥を見落としてしまう事になってしまいます。
 そう、この記事には大きな欠陥が存在するのです。
 では、その欠陥とは何か?
 ……もう察しの良い方はお分かりですね。それは明日の講義に、ということで。お時間です。今日の講義を終わります。 (この項続く


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