「社会学講座」アーカイブ
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講義一覧
10/14 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(13)
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10月14日(月) 歴史学(一般教養) |
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ではまず、古代エジプト社会と切っても切り離せない関係である宗教からお話してゆきましょう。 前回の講義でも触れましたが、エジプトの宗教は典型的な多神教であります。まずは天地創造の神・アトゥムがいて、彼が大気の神・シューと湿気の女神・テフヌトを産み、更に彼らが大地の神・ゲブと天空の女神・ヌトを産んで……というようにたくさんの神々が生まれ、そこからギリシア神話のような役職別の神や、各都市の守護神などへと繋がる形になっています。 あと、古代エジプトの文化に関わる神として忘れてはいけないのは、冥界の神・オシリスであります。 余談ですが、当時のミイラ作りについて、「エジプトはナイルの賜物」の名言で有名な歴史家・ヘロドトスが、詳細なレポートを残しています。 こうして人々は漏れなく不死の魂となる事が可能になったわけですが、一般市民にミイラが解放された頃から“冥界裁判”の思想が生まれます。どうやら「余りにも冥界に人が殺到するので、入口で数を間引いているに違いない」…という極めて現実的な発想が宗教の一思想に発展したようであります。 これも以前の講義で述べましたが、この時代にはピラミッドやスフィンクス、更には神殿などの巨大建造物が建てられました。この建造物の設計のために、測地術や幾何学も発展したようです。 ……と、途中から酷く駆け足になりましたが、古代エジプトの文化はこれ位にしておきましょう。次回は再びメソポタミア文明に立ち戻り、群雄割拠の歴史を追いかけてゆくことにしたいと思います。(次回へ続く) |
10月13日(日) 伝統文化論 |
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受講生の方たちのリクエストにお応えしまして、一旦はボツにした、東京の落語界における落語家の出世事情を採り上げる事になりました。
今は亡き天才落語家・林家三平の次男で、先日“真打ち”に昇進したばかりの落語家の林家いっ平と、その一族にまつわる醜聞記事であります。 落語界で“真打ち”と言えば、3段階ある身分制度の最上位にして、寄席でトリ(一番最後の出番にしてメインイベント)を務める資格を与えられる存在であります。 そんな“業界最高位”の真打ち落語家を2人抱える事になった故・林家三平一家に、突然確執の火種がくすぶり始めたわけですから、今回のニュースは穏やかな話では無いように思えます。 が。 今回のニュース、心ある落語ファンからしてみれば、「んなモン、どうでもいいんだよ。全く下らねぇ」…の一言で片付いてしまう話だったりするのです。 ここまでで、受講生の方の中には、「あれ? “真打ち”って、落語がちゃんと出来なくちゃなれないものじゃないの?」…と疑問をお持ちになった方も多数いらっしゃるでしょう。その疑問、ごもっともであります。 この事は、まず今から挙げます数字をお聴き頂ければ、何となく問題の概要が見えて来ると思われますので、紹介いたしましょう。 しかしよく考えてみますと、ハッキリ言って私たちは160人も落語家を知りません。モーニング娘。メンバー12人のフルネームは言えても、12人の落語家の名を挙げられる方はどれほどいらっしゃるでしょうか? ましてやその中で、落語協会所属に限定するとなれば……。 それにしても何故、このような事態になってしまったのでしょうか?
…さて、まず落語家志望者が弟子入りしたい師匠を決めたならば、寄席の通用門で出待ちするなり、自宅に押しかけるなり、移動中の自動車に体当たりするなどしてコンタクトを取り、入門を志願します。 “前座”となった彼には早速、落語家の仕事場である寄席での仕事が与えられます。最近は数が減りましたが住み込みの弟子ならば、当然、師匠宅の日々の雑用もこなさなければなりません。 一つ、「お先に勉強させて頂きます」などの業界用語のをT・P・Oに合わせて完璧に使いこなす事。 ──と、ここまでしても、1日の寄席仕事で貰える日給は、3000円から4000円強といったところ。それでも以前に比べると待遇は良くなっていると聞きますから壮絶であります。 で、この苦難の日々を1年、2年、3年…と乗り越えて、その中で落語の修業も怠り無くこなしていれば、やがて師匠連から「コイツもいっぱしの噺家になったじゃねえか」とお墨付きを頂き、ここで1度目の出世・“二ツ目”昇進と相成ります。 そして長年の悪戦苦闘の結果、落語が相当のレヴェルに達することが出来れば、いよいよ“真打ち”昇進になります。 ──と、なるはずなのですが、現状がそうではないのは説明した通りであります。希少価値があるはずの真打ちがウジャウジャと溢れ、中には“真打ち”になっても、生涯でトリを務めたのは昇進披露公演の時だけだった…なんて話も珍しくない始末であります。 実は、この理由は情けないほど単純明快であります。 なんと、この落語家の昇進システム、現在は年功序列で実施されているのです。つまりは一度入門してしまえば、慶応幼稚舎から慶応大学へのエスカレーターよろしく、“前座”から“真打ち”までまっしぐらなのです。 半ば余談でありますが、ごくたまにアクセントを付ける為か、本当に凄い実力を持った落語家を抜擢して“真打ち”に押し上げるケースもあります。但し、東京の落語界では、“二ツ目”までは入門順が業界内の序列で、“真打ち”になると昇進の順番がイコール業界内の序列になってしまうので、余りの抜擢は小泉内閣の脱派閥人事並の摩擦を生み出すことになります。 また、この年功序列出世制度は、落語協会以外の団体でも見受けられます。 ……と、ここまでをお聴きになって、「なんだなんだ、落語界ってそんな世界なのかよ」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。 それこそが、立川談志が旧来の出世制度に異議を唱え、落語協会から独立して結成した業界第4の団体・“落語立川流”であります。 それでは時間が参りましたので今回はここまでにしまして、次回はこの立川流の出世事情についてお話してゆきましょう。(次回へ続く) |
10月12日(土) 競馬学特論 |
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珠美:「いよいよ今週から秋のG1シリーズが開幕ですね、博士」
駒木:「おや、2人揃って▲無しか。まぁ、今回ばかりは仕方ないって感じだけどね」
※駒木博士の“敗戦の弁” ※栗藤珠美の“喜びの声?” |
10月11日(金) 歴史学(一般教養) |
※過去の講義のレジュメはこちら おことわり:講義中に付記する年号が、参考書や「世界史B用語集」に記されているものと異なる場合がありますが、これは別の資料を参考にして講義を行っているためです。
さて、前回の講義でお話したように、異民族ヒクソスの侵入、そして約100年にも及ぶ支配を受けるという屈辱を味わったエジプト人ですが、実はこの経験は、彼らにとって大きな転機となったのでありました。 といいますのも、被制服民となった屈辱感はその人々に色々な感情を呼び起こしますが、エジプト人の場合、これは幸いな事にナショナリズム的な愛国心・闘争心に昇華されたのであります。 いつの間にか、恐らくは当事者たちも知らない間に、エジプトはオリエント最強クラスの軍事国家に成長していたのです。それは“黄金時代”と言って差し支えない輝かしい時代の始まりでありました。 ヒクソスを撃退した(紀元前1552年ごろ)後、即ち第18王朝以降の古代エジプトを新王国時代と言いますが、この時代にほぼ共通したスタンスは、“最大の防御は攻撃なり”であります。 この機動的な対外戦略が可能になったのは、先に述べた強力な軍隊を持っているだけでなく、エジプト国内でのファラオの地位が堅固であったという事も大きかったようです。 この新王国時代エジプトが1回目のピークを迎えたのは、第18王朝の第5代ファラオ・トトメス3世(在位:紀元前1490〜36頃)の時代でした。 この若きファラオは、まず第一に優れた将軍でありました。シリア・パレスティナ地方へと兵を送り、これを次々と占領・植民地化してゆきます。それまでこの地方を勢力化に置いていたメソポタミア地方の強国たちも、時には黄金の戦車に乗って先陣を切って戦ったと言われるこのファラオの前には、一様に沈黙せざるを得ませんでした。 ところで、この頃の文献には、当時のエジプト進出を裏付ける、少し面白いエピソードが残っています。 話を戻します。この“常勝将軍”トトメス3世の第二の姿は、優れた政治家としての知性派ファラオとしてのそれでありました。 こうして、有形・無形様々なものを残して、トトメス3世はこの世を去ります。その後、散発的に支配地域で反乱が発生しますが、ほとんどの場合、それらは難なく鎮圧されました。それくらいトトメス3世が残したエジプト“帝国”の組織が頑丈だったのです。これが、後の世の歴史家たちが、彼を“古代エジプトのナポレオン”と称する由縁でもあります。いや、ひょっとしたら彼はナポレオンをも超える才能の持ち主だったかも分かりません。 しかし、この世には全てにおいて完璧なものなど存在しないのも事実であります。そしてこの時の強固な王朝も、思わぬところから足元を掬われてしまいます。そのポイントは宗教にありました。 他の地方の古代王朝がそうであるように、古代のエジプトでも宗教は支配者と密接な関係を持っていました。 しかしこの状況を、当のファラオが見過ごすわけがありません。歴代の政権では、神官人事を巡るファラオ派と反ファラオ派のせめぎ合いが絶えず起こり、遂には強硬な手段に打って出るファラオが現れました。 このアメンホテプ4世が行った事績は、大雑把に言って2つに集約されます。 まず1つ目は新宗教・太陽神アテン信仰の創始であります。なんと、ファラオ権力と密接に繋がる宗教を自ら立ち上げてしまったというわけです。アメン=ラー神の力を弱めるのではなく、更に強い力を持つ宗教を作る事で、結果的にアメン=ラー神官の権力を弱めようとしたのです。コロンブスやコペルニクスが卒倒しそうな発想の転換であります。 これだけでも分かりますように、アメンホテプ4世の“アマルナ革命”は徹底的なものでありました。 この“革命”は、彼の17年間に及ぶ治世を通じて実行に移されました。しかし、言い方を変えれば、“アマルナ革命”は、彼の17年間の治世を最後に途絶えてしまいます。“革命”は失敗でした。 失敗の理由はいくつか有ります。 このようにして、アマルナ革命政権はアケナテンの死後間もなくしてガタガタになってしまいました。元々この“革命”は、極度のワンマンタイプであったアケナテンだからこそ出来た事でもあり、彼の死後までこれを維持する事は不可能だったのです。 出来たばかりの都・テル=エル=アマルナは廃され、首都は古都・メンフィスへと再び移されました。また、「アテンの生きた似姿」という意味の名の幼王・ツタンカーテンは、皆さんにも馴染みの深いツタンカーメン(「アメンの生きた似姿」)という名に改名させられます。 余談でありますが、このツタンカーメンの墓の発見と発掘に際して、関係者やその近親者が20人以上も急死したために、「発掘者は“ファラオの呪い”に殺されたのだ」…などという噂話が囁かれたりしました。 特筆すべきなのがこの王朝の第3代ファラオ・ラメス(ラムセス)2世(ラムセス)2世の治世(紀元前1290〜24年頃)で、この時、エジプトは新王国時代の2度目のピークと言うべき繁栄を迎えたのでありました。 しかし、せっかく訪れたこのピークも、長くは続きません。いくら優れた君主が現れようとも、既にエジプトは国全体が病んでしまっていたのです。いや、老衰していたと言うべきでありましょうか。 ……以上で古代エジプト王朝の変遷についての話を終わります。次回は古代エジプトの文化についてお話する事にしましょう。(次回へ続く) |
10月10日(木) 演習(ゼミ) |
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今週もゼミの時間がやってまいりました。 ではまず、情報系の話題から。
この内、野寺寛さんは、02年3月期に続く5ヶ月ぶりの最終候補残りとなりました。「設定もストーリーもありがち」と、審査員が誰かを考えると非常に痛い講評(苦笑)なのが気になりますが、映画や小説など色々なタイプの話に触れて、精進してもらいたいものですね。 今日は新人賞関連でもう1つ話題を。 ☆「週刊少年ジャンプ」2002年45号☆ ◎新連載『Ultra Red』(作画:鈴木央) “短期打ち切り→復活して長期連載となるも、やっぱり打ち切り”…という異例の展開を辿った作品『ライジングインパクト』の鈴木央さんが、8ヶ月ぶりに週刊連載復帰となりました。 まず絵柄に関しては、前作『ライジングインパクト』と全然変わっていません。一応、前作とは違う雰囲気のキャラクターを出そうという努力の跡は窺えるのですが、どう考えても『ライジングインパクト』をどうしても想起させられてしまいますね(笑)。まぁ、「どの作品を見ても同じ顔」ってマンガ家さんも結構多いですから、これをマイナスポイントに挙げるのは酷だとは思います。 そしてストーリーはというと、一言で表現するなら“手垢付きまくり”の話。マンガ喫茶に陳列している『ベルセルク』くらい手垢がベットリと付いてしまっています。 結局、この作品の“将来”は、これから如何にして既成の作品にないオリジナリティを出してゆくかにかかっているような気がします。格闘シーンの描写だって悪くないのですから、ストーリーの展開次第では思わぬ佳作・良作になる可能性もあるでしょう。とりあえず、あと2回、様子を見せてもらうことにしましょう。 現時点での評価は、B+といったところでしょうか。 ◆「ジャンプ」今週のチェックポイント◆ ◎『A・O・N』(作画:道元宗紀)《第1回掲載時の評価:B−》 詳しくは次回の後追いレビューで述べたいと思いますが、とにかくアンバランスな作品だという事は理解できました。物凄く不親切なマンガなのだけれど、分かり易い点はとても分かり易い。本当にイビツです。 ◎『BLEACH』(作画:久保帯人)《開講前に連載開始のため、評価未了》 今週は、少年マンガでよくある“主人公の秘密特訓”及び“能力のインフレ”への導入ではあるのですが、それが全く陳腐に感じられないのは、構成力と演出力が高いという事なのでしょう。 久保さんは、中途半端なコメディよりもゾクゾクするようなシリアス物の方が向いているのかも知れませんね。 ◎『ホイッスル!』(作画:樋口大輔)《開講前に連載開始のため、評価未了》 後日談で主要キャラ総ざらえという、典型的な最終回風ストーリーだったわけですが、“無理矢理放り込みました”…という感じにならなかったのは良かったと思います。最後の最後に意地を見せた形ですね。樋口さんは実力のある作家さんだと再確認できる最終回でした。それを考えると、日韓戦からのストーリー展開を間違えてしまったのがつくづく悔やまれます。 第1回から最終回までの総合的な評価は、A−寄りのB+といったところでしょうか。返す返す、打ち切るには惜しい作品だと思います。 ……にしても、風祭は何の病気(ケガ)で、倒れたんですかね?
☆「週刊少年サンデー」2002年45号☆ ◆「サンデー」今週のチェックポイント◆ ◎『一番湯のカナタ』(作画:椎名高志)《第3回掲載時の評価:A−》 やや人気伸び悩みの気配とあって、今回は“これでアンケート悪かったら打ち切りね”的なセンターカラーだったんですが、それにしても近年稀に見る大テコ入れを見せてくれました。ステップワゴンをフォーミュラーカーに改造するような方向転換です。後はこれが突破口になる事を祈るだけです。 ◎『からくりサーカス』(作画:藤田和日郎)《開講前に連載開始のため、評価未了》 次から次へと伏線や謎を処理していってるわけですが、この辺りのストーリーや設定はいつ思いついたんでしょうかねぇ。もし、連載開始前から頭の中にあったとしたら、藤田さんは神だと思います(笑)。
……といったところで今週のゼミを終わりたいと思います。来週は『遊☆戯☆王』の再開があるんですが、これについてはレビューを行わず、随時“チェックポイント”で述べていく形を取りたいと思います。 では、また来週。 |
10月9日(水) 歴史学(一般教養) |
※過去の講義のレジュメはこちら 今回も前回に引き続き、古代エジプト王朝の歴史について、述べてゆきましょう。前回は古王国時代の終焉まで見届けましたので、今日はその続きから始めます。 古王国時代における最後の王朝・第6王朝が崩壊した後のエジプトは、一転して群雄割拠の状態に置かれます。古代のエジプトは、元々からして地方分権の傾向が強かったため、ファラオの力が衰えると、たちまち“先祖返り”が起こってしまうというわけです。 ちなみに、この時期にも一応ファラオは存在していたのですが、多分に名目的な存在であり、実権はほとんど無かったと思われます。つまりは、エジプトという“箱”と、ファラオという“看板”はありますが、中はグチャグチャの状態と言うわけであります。 ……さて、このような極度の混乱期(第7、8王朝時代)が10数年続いた後、今度は上エジプトに2つの王朝が立つ、“南北朝時代”が90年ほど続きます。(第9、10王朝と第11王朝) 中王国時代のエジプトは首都をテーベに置き、歴代のファラオたちは古王国時代のような中央集権国家を再び建設すべく、内政・外征に力を尽くします。しかし、中間期に権力の旨味を知ってしまった地方の実力者たちの抵抗は厳しく、暗殺の憂き目に遭ったファラオもいたようであります。 しかし、中王国・エジプトの盛期は短いものとなってしまいました。紀元前19世紀に入り、以前のような官僚制中央集権国家が成立したまでは良かったのですが、無能なファラオが後継者となった際に、権力を宰相などの官僚に牛耳られるというパターンまで再現されてしまったのです。 これから250年弱続く第二中間期は、エジプト統一王朝の誕生以来1300年余りにして、初の異民族王朝が成立した時代であり、エジプト人にとっては屈辱にまみれた時代でもあります。 被支配民族になる屈辱を受けたエジプト人が立ち上がるのは紀元前1570〜50年頃で、旧都テーベに成立していたエジプト人の地方政権(第17王朝)が、エジプト解放を旗印に独立戦争を開始。次第にヒクソスを圧倒して、最後はパレスティナにまで遠征して、これを滅亡にまで追い込みます。 これ以後のエジプトは新王国時代という事になります。この時代は、古代エジプト史の中で最も語るべき部分の多いところでもありますので、これは次回に多めに時間を取ってじっくりお話したいと思います。では、また次回に…(次回へ続く) |
10月7日(月) 歴史学(一般教養) |
※過去の講義のレジュメはこちら
さて、この少し前にお話したメソポタミアの歴史では、「攻め易くて守り難い地形ゆえに、侵略と王朝交代が多い」…というのが特徴でした。 そんなエジプトに、部族国家を統合した統一王朝が初めて誕生したのは紀元前3100〜3000年頃。上エジプトの北辺にあるテュニスという都市を首都にしたのでテュニス朝とも呼ばれます。 そして紀元前27世紀半ば、第3王朝成立とほぼ時を同じくして、首都が下エジプトの大都市・メンフィスに移転されます。これをもって古王国時代の到来とします。 この時代におけるファラオの強大な権力を文字通り天下に知らしめているのが、ファラオ1人ごとに建造された巨大なピラミッドの数々であります。 余談ですが、我々の貧困な想像力では、「ピラミッド建築」と聞くと真っ先に、「重労働を強いられる奴隷が、厳しい役人にムチ打たれている」様子を思い浮かべてしまったりしますが、これは、誤解を受けて文献を残した歴史家の著述を読んで更に誤解をした作家諸氏の過失であります。 ……さて、このようにファラオが権力を一身に集めて栄華を誇った古王国時代のエジプトですが、徐々にファラオを取り巻く状況は変化して行きます。 |
10月6日(日) 映像文化論 |
※前回のレジュメはこちらから さてさて、前回の講義から早1週間。ついにアニメ『ドラえもん』のリニューアルが決行されました。その内容は──! ……と、今回は威勢の良い冒頭の文句を用意しておりました。が、前回の講義終了後から、 ──そんなわけで、駒木にとっては、1週間経ってみたら講義の存在意義が根底から揺らいでいた…という最悪の事態に。「こんなことだったら、林家こぶ平兄弟の悪口言ってた方がマシだった」と頭を抱えてしまいました。 しかし、一度講義を始めた以上は簡単にポシャらせるわけにもいきませんので、ここは急遽企画を変更し、 「こんな『ドラえもん』リニューアルは嫌だ!」 ……という、「週刊少年ジャンプ」の投稿欄みたいな路線で穴埋めを試みたいと思います。受講生の皆さんのおっしゃりたい事は分かりますが、西村知美のマラソンを観るような気持ちで、どうぞしばらくお付き合いの程を……。 ◆その1:「ジャンプ」のマンガみたいなリニューアル(その1) いつも通りの平和な日常を謳歌するドラえもんやのび太たちの下へ、突如23世紀からやって来た人々が侵略して来る。彼らは、自分たちが住む世界を過去ごと塗り替えてしまおうという過激派集団だった。 と、思ったら、今度は24世紀から敵がやって来る。 今度はスネ夫やジャイアンだけじゃなく、ドラえもんも殺される(壊される)が、敵を倒したら蘇生出来る事が分かっているので、観ている方も安心しながらバトルを堪能できる。 24世紀人を撃退したところで、ドラえもんから「もうちょっとだけ続くんです」のメッセージ。 次の舞台は4年後。16歳になったのび太は高校生に。原形を留めないほどカッコ良くなっている彼は、当然しずかちゃんを彼女にしていて、デート中に絡んでくる不良を2秒で半殺しにするくらい逞しくなっている。 今度は更に8年くらい経って、のび太に子供(ノビスケ)が出来ている。ノビスケは4歳くらいなのに、既にのび太と同じくらいの潜在能力を持っている。 また4年くらい経って、今度は27世紀人が来襲。のび太親子が協力してやっつける。 ドラえもんからまた「もうちょっとだけ続くんです」のメッセージ。その直後、のび太が何故か放浪の旅に出て、物語終了。 ◆その2:「ジャンプ」のマンガみたいなリニューアル(その2) 普段通りの毎日を過ごしていたのび太だが、ひょんなことから、「世界小学生バトルオリンピック」なる格闘技大会の日本代表に認定されてしまう。 その後ののび太は、オリンピックで知り合ったアメリカ代表とタッグを組んで世界中を渡り歩いたりするが、大きな試合に遅刻して、オリンピックのチャンピオンベルトを取り上げられる。空位の王座を巡って「世界小学生バトルオリンピック・ザ・ビッグファイト」開催。 今度は“7人の悪魔に心を売った小学生”が現れる。 黄金のマスクを巡って、新しい敵が来襲。 唐突にタッグリーグ戦開催。死んでたキャラが何の脈絡も無く蘇ったりしてて、段々いろいろな部分がおかしくなって来る。 実は大財閥の家柄だった野比家の遺産を巡って、最後のバトルが勃発。 15年後、「野比のび太2世」というマンガが連載開始。アニメ化。 ◆その3:某ギャルゲーみたいなリニューアル ある日、突然のび太の家に12体のドラえもんが集結。のび太をそれぞれ別々の言い方で呼んで“かわいがる”。 「のび太くん」 ◆その4:つんくプロデュースの主題歌 藤子キャラクターを動員して、シャッフルユニット結成。3つのグループが、月替わりで主題歌を担当。F先生のキャラとA先生のキャラが混在して、色んな意味でドえらい事に。 ☆グループA(3人)☆ ☆グループB(5人)☆ ☆グループC☆ ……さて、いかがだったでしょうか? やはり、ここまでやっても思うのは、 |
10月5日(土) 競馬学概論 |
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駒木:「G1レースの合間だけど、今週もはりきって競馬学の講義を始めよう」
珠美:「…なるほどー、確かに粒揃いのメンバーですね。あ、でもやっぱり90年代以降の馬に偏ってる気が……」
駒木:「1位はナリタブライアン。文句ナシ…とは言えないけれども、確かに1位選出の資格はあるだろうね。故障した後の不振でミソを付けたけど、絶頂期は天井が見えないくらい強かったしね。G2レースに出てくると格の差で違和感感じるくらい強い馬だったよ」
駒木:「17戦して着外が1回だけの優等生ホース。ダービーも勝って、天皇賞の春秋連覇もやって、ジャパンカップまで勝ってるのに、年度代表馬どころか部門賞も獲れてないんだよね(苦笑)。引退レースは引退レースで、武豊騎手が勘違いするくらいの僅差で2着になって締まらない終わり方だし、どうもツイてない感じ。
駒木:「正真正銘、実力もカリスマ性も全て兼ね備えた、史上最高のアイドルホースだね。正直、この馬が投票1位になるんじゃないかと思ってたんだけど。
駒木:「G1レース1勝きりで4位かぁ。いわゆる“悲運の名馬”系ってことになるのかな。殉職警察官が2階級特進するみたいなもんで、レース中の事故で死んだ馬は、どうしてもファン投票になると人気が上がる傾向があるね。
駒木:「競走生活の前半は無敵の二冠馬として、後半は“ホームラン”か“三振”かって感じのクセ馬として、共にインパクト絶大。特に93年の有馬記念は1年ぶりの復帰戦で優勝って事で、オグリキャップの引退レースと並ぶ“奇跡の復活”劇として名高いね。記録にも残るけど、それ以上に記憶に残る馬だったなぁ」
駒木:「5位のトウカイテイオーの父親が登場だ。史上4頭目の三冠馬にしてG1レース7勝のスーパーホース。
駒木:「今度は2代目の三冠馬登場だね。パーフェクト連対、着差はつけなくても大レースでは必ず負けない“ナタの切れ味”。今こういう馬がいてくれたら、予想が楽で良いんだけどなぁ。配当は恐ろしく低くなるだろうけど(笑)。
駒木:「色々な意味において、オグリキャップの先輩格にあたる“元祖・アイドルホース”だね。人気だけで殿堂入りを果たしたのは、後にも先にもこの馬だけになるんじゃないのかなぁ。『少年マガジン』の表紙を飾ったってエピソードは、僕ら世代にとったら、凄いを通り越して“訳わかんない”の世界だ(笑)。
駒木:「16頭中、唯一の牝馬だね。一見すると、このメンバーでは格下かと思いがちなんだけど、とんでもない。(旧)5歳の秋シーズンは、牡馬に混じって天皇賞・秋1着→ジャパンC2着→有馬記念
駒木:「史上初、年間国内未出走で年度代表馬を射止めた馬だね。その座を競り合った相手がスペシャルウィークとグラスワンダーだったんで、賞レースは大いに揉めたんだけど、凱旋門賞を惜敗で2着した他、フランスのG1とG2を1つずつ制覇したんだから、そりゃそうかって気がする。
駒木:「ミホノブルボンの三冠を阻止して、メジロマックイーンの天皇賞・春3連覇を阻止した、90年代を代表する名悪役。ダメな時は本当にダメな馬なんだけど、ここ一番では超大物1頭に的を絞って、その馬を競り合いで仕留めるってスタイル。昼行灯だけど凄腕のスナイパーって感じ。まるでシティハンターだな(笑)」
駒木:「ステイヤーって言葉がこれほど似合う馬も少ないだろうね。先行しても良し、差しても良し。とにかく長距離だと負ける気がしない程強かった超実力派。
駒木:「同世代にスペシャルウィークやエルコンドルパサーが、1〜2歳違いにはエアグルーヴやテイエムオペラオーとかがいたせいだろうなぁ、どうしても目立たなくなっちゃうんだよ、この馬。
駒木:「杉本清アナウンサーと一括りで語られることの多い、ポスト・ハイセイコー世代のアイドルホースだね。オマケに日本競馬史で最も有名な“悲劇の名馬”でもある。こういう人気投票で上位に入ってこなくちゃ嘘だろって感じ。
駒木:「この馬も、メジロマックイーンに似て、強いしそれなりの戦績も挙げているんだけど目立たない馬だなぁ。あんまり祝福されるような形でG1を勝ってないせいなのかもしれない(苦笑)。
駒木:「最後のシーズンを国内だけで過ごして、しかも戦績が尻すぼみだったせいか、どうもファンの印象が良くない馬なんだよね。僕自身は、『海外には2番手格の若手(3〜4歳)が遠征して、ベテランの大将格は日本でドッシリ構える』って形がベストだと思ってるんで、全然その辺りは気にしてないんだけれども。まぁ、これは個人個人の主観の差だから仕方ないね。 珠美:「……というわけで、全馬出揃いました。あとは騎手と枠順の決定ですね……って、騎手はどうするんですか
!? どう考えても武豊騎手が乗らなくちゃいけない馬が4頭いるように思えるんですけど……」
珠美:「錚々たるメンバーですねー。…あ、でも、残された馬の主戦騎手が軒並み埋まっちゃいましたね…」
珠美:「うわぁ……。こうしてみると凄いメンバーですねー」 |
10月3日(木) 演習(ゼミ) |
ジャンプの新連載シリーズも始まり、サンデーでも新連載が始まり、ついでに「ジャンプ」で代原2本という、拷問を受けているかのような今週のゼミが始まりました。(苦笑)。 ……さて、今週は特にお伝えしなければならない話題もありませんし、早速レビューの方を進めていきたいと思います。 今週のレビュー対象作品は、「週刊少年ジャンプ」から新連載1本と代原読み切り2本、「週刊少年サンデー」から新連載1本と、連載3回目の後追いレビュー1本と、計5本のレビューとなります(ひぃ)。ちとレビューが多いので、今週は“チェックポイント”をお休みします。 レビュー中の7段階評価の表はこちらをどうぞ。
☆「週刊少年ジャンプ」2002年44号☆ ◎新連載『A・O・N』(作画:道元宗紀) 今週から「ジャンプ」の、秋の新連載シリーズが始まりました。まずその先陣を切って登場したのは、道元宗紀さんのプロレスマンガ『A・O・N』です。 まず絵柄から。 そしてストーリーの方は、絵柄以上に前途多難です(久しぶりに使う気がしますね、このフレーズ)。 というわけで、現時点での評価はB−が精一杯のところだと判断せざるを得ません。余程のドラスティックな変革が無い限り、第3回の時点で見限らなければならないだろうなぁ…という気がします。 ◎読み切り『もて塾へ行こう!』(作画:大亜門) 今週の“代原その1”は、今年の「ジャンプ」34号で、同じく代原の『もて塾恋愛相談』でデビューを果たしたばかりの、新人・大亜門さんの作品です。(デビュー作のレビューに関しては7月24日付ゼミを参照) …さて、この作品のレビューへ。まず絵ですが、これは稚拙な面もありますが、ギャグマンガですし、ギリギリ許容範囲だと言えそうです。また、絵のレヴェルそのものよりも、ちゃんと背景を細かく描き込んでいる意欲を買いたいところです。 それでも、全てのファクターを総合すれば、「週刊少年サンデー」なら連載になってもおかしくないくらいのレヴェルには達しています。評価はB+寄りBといったところでしょうか。 ◎読み切り『隼くんと御鷹くん』(作画:原淳) “代原その2”は、こちらも本誌再挑戦組の原淳さん。エニックス系の雑誌出身で、単行本も出した経験のある作家さんですが、ここ数年は「ジャンプ」系の代原作家というポジションに甘んじています。 前回の作品掲載時(8月8日付ゼミ参照)は、原さんお得意の戦隊モノパロディで不発気味だったのですが、今回はスポ根モノのパロディという新境地を切り拓いてきました。 今は『ピューと吹く! ジャガー』があって、ショートギャグ枠が埋まってしまってますが、このままのレヴェルを維持できれば、ひょっとすると、なにわ小吉さんの再来…という事もあるかも知れません。まぁ、判断を下すにはもう一作見てみる必要があると思いますが……。
☆「週刊少年サンデー」2002年44号☆ ◎新連載『D−LIVE』(作画:皆川亮二/シナリオ:横溝邦彦) 『スプリガン』、『ARMS』という、「サンデー」としては異色路線の作品で立て続けにヒットを叩きだした皆川亮二さんの新連載が始まりました。 ではレビューへ。 今回の暫定評価はB+寄りのA−というところで。第3回、もしくは2番目のエピソードが終わった辺りで正式な評価を下したいと思います。 ◎新連載第3回『美鳥の日々』(作画:井上和郎)《第1回掲載時の評価:A−》 設定の余りの奇抜さに、連載開始直後(直前?)からウェブ上各所で話題沸騰の『美鳥の日々』の第3回後追いレビューです。 ここまで3回終わりましたが、衝撃的なインパクトの第1回と比べると、かなり大人しくなってしまったかなぁ…といった感じでしょうか。第1回のレビューの際には、「これだけ設定が奇抜だと、ストーリーは普通で構わない」と言いましたが、かといって完全に予定調和の範疇では物足りなさが残るのも事実。もう少し、この作品ならではの独自色のようなものを出せるようになれば良いのではないかと思います。 評価ですが、一旦A−寄りB+に落として様子を見たいと思います。これから様子を見ていく中で、内容が充実してくれば、またすぐにでもA−評価に戻すつもりです。 では、講義の実施が遅れましたが、今日のゼミはここまで。また来週、どうぞよろしく。 |
10月2日(水) 歴史学(一般教養) |
※過去の講義のレジュメはこちら 今回からしばし舞台を変えまして、古代エジプトの歴史についてのお話をお送りする事にします。 さて、エジプトは、周囲を砂漠地帯に囲まれた極めて少雨の乾燥地帯でありながら、古代を通じて小麦の穀倉地帯として大いに栄えた文明エリア…という、世界でも極めて特殊な地域であります。 ──その理由はただ1つ。ここは古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスの遺した、余りにも有名な一節をもって説明する事にしましょう。 「エジプトはナイルの賜物である」 赤道直下、現在のウガンダ南部を水源とする全長約6700kmの大河・ナイル川。古代エジプトの歴史は、この川の下流域・約1200kmを舞台にして展開されました。 このナイル川の特徴は、何と言っても年に1回下流域に発生する、緩やかで大規模な氾濫であります。 話しついでに、エジプトの独特の農法を説明しておきましょう。 こんな、奇跡としか言いようの無い恵まれた環境の中で、エジプト人たちは自らの文明を作り上げていったのでありました。 そうして“エジプト人”となった人々は、ナイル下流域の中でも、主に2つのエリアに集住するようになりました。 この2つのエリアでそれぞれ文化が発達し、やがて紀元前3500年頃にはノモスと呼ばれる部族国家があちこちに誕生します。ノモスはエジプト全体で40程度あったと言われ、それぞれに首長という統治者を持っていました。ノモス時代は、メソポタミアで言うところの、ウルクやウルなどの都市国家の時代です。 ……というわけで、次回からは古代エジプトの王朝史に突入して行きます。カリキュラムの都合もあり、しばらくは比較的まったりと進行していく予定です。どうぞ宜しく。(次回へ続く) |