「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

9/30 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(8)
9/29 映像文化論「アニメ『ドラえもん』大幅リニューアルの是非」(1)
9/28 
競馬学特論「G1予想・スプリンターズS編」
9/27 
歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(7)
9/26 演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(9月第4週分)

9/25 社会経済学概論「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(15・最終回)
9/23 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(6)
9/22 社会経済学概論「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(14)
9/21 競馬学概論 「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”」(19)
9/20 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(5)
9/19 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(9月第3週分)
9/18 
社会経済学概論「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(13)
9/16 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(4)

 

9月30日(月) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(8)
第2章:オリエント(2)〜
古代バビロニア王国

※過去の講義のレジュメはこちら
 →第1回第2回第3回第4回(以上第1章)/第5回第6回(以上インターミッション1)/第7回

 前回は、メソポタミア文明の誕生からウル第3王朝滅亡までの歴史と、その当時の人たちの生活実態についてお話しました。今日はその続きという事になります。

 最後のシュメール統一国家であるウル第3王朝の滅亡後、メソポタミアは一種の戦国時代となります。
 この時代の主役となったのは、ウル王朝を滅ぼした勢力の1つであるセム系民族の一派・アムル人。彼らはメソポタミアに定着した後、各地の都市国家を支配下に置いて行きました。
 その都市国家の中でも、メソポタミア南部のイシンやラルサが有力となりましたが、この2つの国によるメソポタミアの再統一はなかなか果たせませんでした。その間のメソポタミアは、大小20以上にも及ぶ国々が乱立し、いつの間にか200年の月日が流れて行ったのでありました。

 しかし、この膠着した状況の中で密かに力を蓄え、新しい時代の担い手となるべく表舞台にその姿を現した1つの国がありました。それがあの古代バビロニア王国であります。
 このバビロニアの建国は、紀元前1894年頃。初めは首都バビロンを中心とするごく狭い領土しか持たない都市国家だったようです。それからは、有力な国家の隙を突く形で徐々にその領土を広げて行きますが、お世辞にもメソポタミアを統一する有力候補と言えるような規模ではありませんでした。
 ところが紀元前1792年(異説あり)、バビロニア王国にハンムラビという名の王が即位すると、それまでのムードが一変します。
 ハンムラビは、慎重さと大胆さを兼ね備えた有能な王でありました。まず彼は、即位後30年もの間、ほぼ内政に専念して国力を充実させる事だけ考えたのです。しかしそれから外征に転じるや、それまでのスローペースからは信じられないようなハイペースで、次々とメソポタミア中の国々を飲み込んでゆきました。
 何しろ、それまで200年以上分裂状態が続いていたメソポタミア南部を統一するまで僅かに2年。その後も休む事無く北へ北へと侵攻し、更に3年後にはメソポタミア地方の大半を勢力下に置いてしまったのです。まさに電光石火の早業とはこの事でありましょう。
 こうしてバビロニア王国は、メソポタミア地方で久々に現れた統一王朝となったのでありました。その後もハンムラビがこの世を去るまでの間、彼の綿密な計算に基づいた的確な統治によって、王国は大いに栄えることになります。

 そのハンムラビ王の統治については、大量に残された当時の文献資料によって、かなり細かい部分まで窺い知る事が出来ます
 普通、1人で“天下統一”を果たすような王と聞けば、我々は玉座にふんぞり返って威張り散らしている乱暴な王様…という印象を抱きがちであります。が、ことハンムラビに関しては、そんな貧困な発想をしてしまった自分に恥じ入ってしまいそうなほど、きめ細やかで行き届いた政治を行っていたようであります。
 論より証拠、ハンムラビ王が直接部下に発した命令文をいくつかご覧頂きましょう。

 まずは1つ目。今で言う民事訴訟に関する命令書であります。

 ハンムラビは、シン=イディンナム(駒木注:地方長官の名前)に以下のように命ずる。

 賦役負担者のラルムという者が次のように訴えて来た。
 「金融業者がある土地の権利を主張してきました。しかしその土地は、私が以前から所有しているものなのです。それにも関わらずこの業者はその土地の大麦を刈り取ってしまいました」

 このような訴えがあったので、宮殿内の記録を探させたところ、「2イク(駒木注:土地の広さの単位)の土地をラルムへ」と記された粘土板が今見つかった。
 もしも金融業者がラルムから借金の抵当として土地の権利を主張しているのならば、土地をラルムに返し与えるように命ぜよ。そしてその金融業者を処罰せよ。

 この命令書から少なくとも2つの事が分かります。
 まず、今で言う裁判所が設けられ、その裁判所の最高責任者はハンムラビ王本人である事
 そしてもう1つは、この頃には土地台帳のようなものが既に作成され、宮殿内で専門の係員によって管理されていたという事
 ちなみに、この命令書では金融業者を罰するようにとなっていますが、それは「賦役負担者(公共事業に従事する一種の公務員)に国から与えられた土地は、借金の抵当に入れることは出来ない」という法律がハンムラビ法典38条に定められているからです。このハンムラビ法典については後に詳しく説明します。

 次に挙げるのは、役人の不祥事についての2枚の命令書です。

 ハンムラビは、シン=イディンナムに以下のように命ずる。

 シュラマン=ラ=イル(駒木注:役人の名前)は、次のように報告して来た。
 「収賄事件が発生しました。つきましては、収賄した本人と、これらの事件について知識のある証人の身柄を確保しています」

 この報告に基づき、今からお前のもとに、このシュラマン=ラ=イルと何人かの役人を派遣するので、この粘土板を読み次第、直ちに調査を開始せよ。
 もし、収賄の事実が明らかであるならば、賄賂として贈られた銀や物品に刻印をしてこちらに届けるように。また、収賄をした本人と証人を連行せよ。

 

 ハンムラビは、シン=イディンナムに以下のように命ずる。

 商人のイリシュ=イビが次のように訴えて来た。
 「30グルの大麦を代官のシン=マギルにお貸しし、借用書も取り交わしたのですが、3年間催促しているにも関わらず、返済して頂けません」

 私はこの訴えの際に彼が提出した粘土板を検討した。その結果、シン=マギルには借りた大麦とその利息を払う義務があると判断するに至った。
 そういうわけなので、お前は返済すべき大麦をイリシュ=イビに立て替えて支払っておけ。

 役人の不始末は、為政者にとっては4000年前でも頭を痛める問題であった事だったようであります。
 それにしても、収賄をした者の取調べから滞納した借財の肩代わりまで、王という仕事も楽ではないようです。
 ちなみに、この不祥事を起こした役人の名前は、これ以降の行政文書からは一切出て来なくなるようです。彼らの運命はどうなったのか……いやいや、考えたくもありませんね。

 最後にもう1通。こんな命令書もあります。

 ハンムラビは、シン=イディンナムに以下のように命ずる。

 ダナヌム運河の近くに土地を保有する者たちを集めて、ダナヌム運河を清掃させるように。なお、この清掃は今月中に終わらせる事。

 ここまで来ると、王の仕事ではなくて町内会長の仕事であります。
 それにしてもいつも命ぜられてばかりの地方長官、相当な多忙さが目に付きます。このポジション、今で言えば知事や市長にあたるポジションなのでしょうが、この地位に就く人は相当の激務を強いられた事でありましょう。思わず過労死の心配をしてしまいます

 ……とまぁこのように、ハンムラビ王時代のバビロニア王国は、極めて安定した状態でメソポタミアに君臨していたようでありますが、やはりこの時代の行政の充実振りを示す材料として忘れてはならないのは、『ハンムラビ法典』でありましょう。
 この『ハンムラビ法典』、皆さんはまず真っ先に「目には目を、歯には歯を」という言葉で知られる“復讐法”の原則を思い浮かべられると思います。また、高校で世界史を選択された方などは、「加害者と被害者の身分差によって刑罰が違う」という事などもご存知かも知れません。これは確かに事実でありまして、傷害罪の罪は被害者に負わせた怪我と同程度の傷を負うと規定されていますし、貴族が奴隷を殺害しても罰金刑に処せられるだけであります。
 ただ、この2つのポイントだけに囚われてしまいますと、「なんだ、『ハンムラビ法典』って随分な法律だな」…などと思ってしまうのですが、これは大きな誤解であります。『ハンムラビ法典』は、当時の常識に沿った形で制定された、非常に整備された法律書なのです。一見乱暴な規定も、当時の常識が現代社会と違うだけでありまして、これは責めるに値しません。
 『ハンムラビ法典』がよく整備された法律書であるという事は、この法典の第1条から第5条までが訴訟法である事からもよく分かります。その条文によると、「殺人罪(死刑相当)の虚偽告訴をした者は死刑に処せられる」とあり、極めて厳しい法運用を国民に求めている国側の姿勢が見てとれます。決して“野蛮な原始人が作った乱暴な法律”では無い事を理解するべきであります。
 第一、加害者と被害者で刑罰の軽重が違うのは今の日本でも同じ事であります。同じ殺人でも、幼子とその母親を殺せば間違いなく死刑か無期懲役でありますが、“善良な”一般市民がヤクザを2〜3人殺した場合なら、最悪でも10年程度で出て来れます。

 …さて、この他、『ハンムラビ法典』に収録された法律を大雑把に挙げて見ますと、殺人・傷害・窃盗・誘拐・強盗に関する刑法の他、結婚と持参金・離婚と財産分与・相続・養子縁組と廃嫡・姦通などについて定めた民法に相当するもの兵士の権利と義務についての法律土地の譲渡・賃借についての法律金銭の債務・債権についての法律、賃金の規定を定めた労働基準法的なもの奴隷に関する法律など、まさに微に入り細に入り、であります。
 そんな300条近くに及ぶ法律の中でも、特に興味をそそられるのは「酒場に関する法律」というものであります。
 しかもこの法律が極めて厳しい酒場の店主が酒を水で薄めて売った事が判明すれば水死刑犯罪者をかくまったりした場合は焚刑であります。また、女性聖職者が酒場に立ち入った場合も焚刑に処されます。
 …どうしてこんなに厳しい法律ばかりなのかと言いますと、この酒場が極めて特殊な施設であったからであります。
 この施設では、酒を呑むだけでなく娼婦を買うことも出来、しかも交渉次第では娼婦に子を産ませることも出来たのです。言わば、代理母斡旋センターであります。
 法典に拠れば、非嫡出子でも相続権は嫡出子と同等のものと規定されてありますので、娼婦に産ませた子であっても後継ぎにするのに何ら支障はありません。恐らく、今で言うところの不妊カップルは酒場で後継ぎを確保したのでありましょう。常識が違うとはいえ、田嶋陽子センセイが聞いたら脳卒中で昏倒しそうな話であります。

 まぁ、何はともあれ、こうして古代バビロニア王国は優秀な王に支えられて繁栄を謳歌していたわけであります。
 そして、繁栄し、成熟した国家では学問や芸術などが発展するもの。それはバビロニアでも例外ではありませんでした。
 まず、この時代に大きく発達したのが天文学でありました。天文学は、当時の宗教を支えた占星術の発達の他、正確な暦の発明にも繋がり、また現代に至って歴史の年代を特定する際にも大きく役立っています。バビロニア王国の成立やハンムラビ王の即位年が細かく分かっているのも、その当時の星の動きが詳細に記録されているからであります。
 また、このバビロニアの天文学と占星術が、およそ1800年の時を超えてキリスト教の誕生に大きく関わる事になるのでありますが、それはその時のお話としておきましょう。

 そしてこの時代で特筆すべき物がもう1つ。ジッグラトと呼ばれる、塔のようなピラミッドのような宗教建造物であります。
 ここまで触れる機会を得てきませんでしたが、メソポタミア文明の社会では、各都市や各国家に守護神が定められており、それを祀る宗教や神殿が存在していました。ジッグラトとは、その神殿の役割を果たす建造物であります。
 ジッグラト自体は、シュメール国家の時代から建造されていましたが、特にこのバビロニア王国で建築されたジッグラトは立派なものだったと伝えられています。昔話で『バベルの塔』のお話(神様に会いに行くために高い塔を建設するが、神の怒りに触れて失敗する…という筋書き)がありますが、このバベルの塔のモデルになったのが、実はこの古代バビロニアのジッグラトだったのではないか…と思われています。どうやら、後になって荒れ果ててしまった所まで、『バベルの塔』の話とソックリなようでありますが……。

 ──さて、いつもながら冗長に話し過ぎたようであります。ハンムラビ王の時代に別れを告げて、時計の針を進めることにしましょう。

 こうしてハンムラビ王の下で大いに栄えた古代バビロニア王国でありましたが、ハンムラビの死後間もなくして、早くも王国には衰退の兆しが見て取れるようになります。またしても外部からの異民族侵入と、内政の混乱に伴う反乱の勃発であります。
 それでも、ハンムラビ王が次代の王たちに残した“遺産”が大きかったのか、王国はハンムラビ王の死んだ(紀元前1750年)後、およそ150年間その命脈を保ちますが、やがて、紀元前2000年頃からアナトリア半島に成立していたヒッタイト王国の侵攻を受けて滅亡してしまいます。
 不可解な事にバビロニアの滅亡後間もなくしてヒッタイトは本国に引き上げてしまうのですが、“空き家”となったバビロニアには、その東方の山脈で暮らしていたカッシート人が侵入し、独自の国を建国します。
 この後は、そのヒッタイトカッシートに、メソポタミア中部に侵入してきたミタンニを加えた、3つの民族による“三強時代”が訪れる事になるのですが、それはまた次の機会のお話とします。

 さて、次回はちょっと舞台を南の方へ移しまして、エジプト文明の成立についてお話をしてゆきたいと思います。(次回に続く

 


 

9月29日(日) 映像文化論
「アニメ『ドラえもん』大幅リニューアルの是非」(1)

 講義の実施が遅れてしまい申し訳有りません。準備していた題材を最終段階まで来てボツにしてしまったので、こういう事態になってしまいました。

 ちなみにボツになった題材は、『林家いっ平真打ち昇進に伴う、海老名家の地殻変動』でありました。
 その内容はと言えば、史上最年少の真打ち昇進の栄光も今や昔、「ヘイ、ニッキ!」と叫んだり、ヒロミに虐待されたりする場面しか印象に残らない落語家ならぬ落伍家林家こぶ平支障師匠”について触れつつ、そこから例によって話をすっ飛ばして落語界最凶の名を欲しいままにする立川流の過酷な昇進システムについてお話する講義でありました。
 …しかしこの講義、「『赤マルジャンプ』に2回掲載されたきりで消えてしまった若手マンガ家(28歳)のその後の人生」並に、マイナーな上に湿っぽい話しか出てこない事に気がつき、敢え無くお蔵入りになってしまったのでした。
 何しろ、滞納した上納金の残り132万円を貯めるために2年以上も街頭バイオリン漫談で小銭を稼いでいる元前座と、同じ元前座でも、三遊亭円楽一門に弟子入りし直したら2年で真打ちになっちゃった人との対比など、涙無しではお話できません。

 ……というわけで、結局今回の講義のテーマとなりましたのが、表題の通り、アニメ『ドラえもん』のリニューアルについてのお話でありました。
 まずはこちらのニュースをご覧下さい。

 アニメ「ドラえもん」改造計画 ミニドラ出演で人気回復だ

 来年放送25年目を迎えるABC系「ドラえもん」(金曜後7・00)が視聴率悪化に苦しんでいる。局側は「新たなファンの獲得を」と、オープニング曲をリニューアルするなどの改造計画を進めている。四次元ポケットのように即解決となるか―。

 番組は1973年に一時、読売テレビ系で放送された後、79年4月から現在の形でABC系でスタートした。80年代に30%を超える高視聴率(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、大人気となった。
 しかし、最近は少子化の影響などで大苦戦。毎年春休みの映画もこの2、3年の興行収入は減少傾向にある。そこで制作サイドは”新ドラえもん”づくりに乗り出した。その第1弾が、9月20日、10月4日、18日の放送分での「ミニドラ」出演。ミニドラは3匹の小型ロボットで、ちょこまかした愛らしいキャラクター。
 6月放送したドラえもんの妹「ドラミ」主演作が好評だったのを受けての企画。ドラミ同様、女性に人気のサブキャラだが、あまり登場していなかった。
 また10月4日からは「こんなこといいな〜」のオープニング曲がアップテンポのロック調になり、歌詞も3番の歌詞にかわる。エンディングは声優・大山のぶ代の歌から、人気フォークデュオ「ゆず」の新曲に交代するという。
 さらに今年大みそかのスペシャル番組を”25周年”の本格スタートに位置付け、さまざまな企画が進行中という。(スポーツニッポンより)

 一時期は平均視聴率が20%を遥かに超え、久米宏がゴネだす前の「ニュースステーション」と共にテレビ朝日の屋台骨を支えたアニメ『ドラえもん』の視聴率が低迷した……というショッキングなお話、そして懸命に巻き返しを図るテレ朝の意気込みについて採り上げたニュースでありました。

 確かにテレビ朝日さんの気持ちは分かります。何しろ、ここ最近のテレ朝は視聴率低迷に喘いでいるのです。
 最近の各時間帯の平均視聴率では日テレ、フジテレビ、TBSといった主要民放各局とは水を開けられ、かつては“業界のお荷物”などと言われたテレビ東京ともドッコイドッコイという始末。そんな時に看板番組の視聴率まで低迷されては、そりゃたまったものではありません。

 しかし、このリニューアル作戦はどうでしょう?

 ハッキリ言って「いかがなものか」と、……いや、「どういうこっちゃねん!」と、……いやいや「『逮捕しちゃうぞ』ドラマ化する前にお前ら逮捕監禁されてしまえ! ファンをナメとるのか、あのドラマ!」と、全然『ドラえもん』と関係無い怒りまでぶつけてしまいそうなリニューアル策ではないでしょうか。

 まず、「女性層を意識した」とされる“ミニドラ”の採用でありますが……。
 真面目な話、このプランどんなもんでしょうか? 
 これはまぁ、確かに「とりあえず若い女に媚び売っときゃ、(視聴)率上がって、スポンサーもついてウハウハよ」…的な、テレビ業界にありがちな話ではあるのです。しかし、『ドラえもん』に限っては実効性は薄いように思うのです。
 何しろ『ドラえもん』は金曜日の19時という時間帯であります。このプランでのターゲットとなるべきOL層にとってみれば、TVなんか観ている暇は無い時間帯のはずです。
 よく考えてみて下さい。残業サボってまで観たいと思いますか、『ドラえもん』。「今日の合コンに坂口憲二似のイケメンが来る」と聞いても、ミニドラ目当てで自宅に直帰しますか、OLの皆さん?
 ……この辺り、テレ朝サイドの認識の甘さが見え隠れしているような気がしてなりません。若い女性たちは忙しいのです。日曜早朝の『セーラームーン』の再放送を観るために、土・日だけ早寝早起きするアレな人たちとは訳が違うのであります。

 ……そして、それ以上に大問題なのがテーマ曲問題であります。
 まずエンディングは、駒木が初見の際にテツandトモと間違えてしまった事で知られる“ゆず”。更に、今回の記事には載っていませんでしたが、“アップテンポのロック調”の主題歌を唄うのは、なんと被り物系コミック演歌デュオの東京プリンであるというショッキングなニュースが入っています。
 いや、別に“ゆず”がどうとか、東京プリンがどうとか言いたいのではありません。
 「何故、『ドラえもん』の主題歌を唄うのが彼らなのか?」
 ……というのが問題なのであります。人気回復のためのテコ入れならば、もっとそれっぽい人選があって然るべきでしょう。
 別に、宇多田浜崎を連れて来いとは言いません。椎名林檎さんに巻き舌で『ドラえもん』唄われても困ります。ましてや、「映画版の主題歌唄った事あるから」…といって武田鉄也を起用されたら、駒木はハンガー片手に決闘を挑むことでしょう。
 それでも、もっと『ドラえもん』のイメージに合った人選は出来ないものでありましょうか? 少なくとも今回の人選は、経済閣僚に共産党の議員を起用するようなミスマッチであります。このままでは新規視聴者の開拓どころか、余計に『ドラえもん』離れが進むような気がしてならないのですが……。

 と、このように、今回の『ドラえもん』リニューアル策は、BBS荒らしのように“?”マークが羅列されるくらい疑問を抱かせるものでありました。
 …しかしそれにしても、もっと効果的なアニメ『ドラえもん』のテコ入れ策は無いものでしょうか?

 そういうわけで、次回の講義では、当講座の考案した『ドラえもん』リニューアル案を提示してみたいと思います。どうぞご期待下さい。(次回へ続く

 


 

9月28日(土) 競馬学特論
「G1予想・スプリンターズS編」

珠美:「いよいよ秋のG1シリーズが始まりましたね♪」
駒木:「そうだね。でも、まだ何だか9月からG1レースっていうのは違和感が残って仕方が無いんだけれどさ(苦笑)」
珠美:「そうですねー。どうしてもG1レースは10月後半から始まるものだっていう感覚が抜けきらないですよね。
 でも。予想の方は違和感が無いようによろしくお願いしますね(笑)」

駒木:「はいはい(苦笑)。でもねぇ、馬場状態が違和感ありまくりだから困ったモンだよね。まぁ一応、馬場状態が悪くなる事を考慮して印は打ってあるんだけれどね」
珠美:「新潟競馬場の芝コースは、今日(土曜)の最終レースの時点で稍重でした。ただ、その時も雨が降っていましたし、それからさらに馬場状態が悪化した事も考えられます
 また、明日(日曜日)のお天気ですが、新潟競馬場近辺のお天気は曇り一時小雨ということになっています。まとまった雨は降らないでしょうが、晴れ間が覗く事も考え難いようです」

駒木:「微妙だなぁ……(苦笑)。今回のレースは、良馬場だったら、とても予想が簡単なんだけれど、このままいくと、そう簡単には行かないだろうねぇ。馬場が勝負の綾になる可能性もあるしね」
珠美:「馬場が悪い時は、どのような点に気をつけて予想をすれば良いでしょうか? やっぱり展開面にも影響が出て来るものなんですか?」
駒木:「芝コースの場合なら、余程悪くならない限りは展開に与える影響は少ないんじゃないのかな。一応、馬場が渋ると逃げが有利になっては来るんだけどね。
 それよりも、個々の馬の道悪に対する適性を考慮した方が良いね。馬の中には、良馬場でも馬場が荒れ気味だと全然走らない馬だっているくらいだから」
珠美:「なるほど、分かりました。では、出走表に従って、博士に1頭ずつ解説をして頂きますね」

スプリンターズS 新潟・1200・芝

馬  名 騎 手
×   サニングデール 福永
    ディヴァインライト 田中勝
    ゴールデンロドリゴ 岡部
ビリーヴ 武豊
    サイキョウサンデー 四位
トロットスター 蛯名
    サーガノヴェル 吉田
    リキアイタイカン 武幸
アドマイヤコジーン 後藤
    10 シベリアンメドウ 柴田善
11 ショウナンカンプ 藤田

駒木:「頭数自体は寂しいけれど、上位どころの馬は粒が揃ったね。またここに来て生粋のスプリンターの数が増えてきたし、面白いレースが期待できそうだね」
珠美:「それでは、枠番ごとに解説していただきますね。まずは1枠1番のサニングデールからお願いします。前売りでは単勝3番人気に支持されています」
駒木:「あれ? この馬3番人気なんだ。随分と競馬新聞で厚い印が打たれているなぁ…とは思っていたんだけど、そこまで人気するのかぁ。
 …う〜ん、確かに現在絶好調で、道悪実績もあって(オープン特別1着)、前走の函館スプリントSでショウナンカンプを負かして…って感じで、勢いは感じられるんだけどね。でも函館のレースはショウナンカンプがマトモに走ってないレースだからねぇ。他の負かした馬は二線級ばっかりだし、持ち時計も1分8秒9じゃあね。いくら3歳馬だとしても、G1を勝とうって馬にしては実績が乏し過ぎる感じがするなぁ。今回は斤量が3キロ増えるってハンデもあるし。
 道悪が残って他の有力馬が1〜2頭凡走したら出番が回ってくるかもしれないけれど、普通に考えたら3連複の3着要員ってところかな」
珠美:「意外と厳し目な博士のジャッジでした。…次は2枠2番のディヴァインライトをお願いします」
駒木:「一応、高松宮記念2着の実績がある馬だし、今年もそれほど大負けしてるわけじゃないんだけれども、『やっぱ、でもなぁ…』って言いたくなっちゃうね(苦笑)。
 まずこの馬、本質的には1200mは向かないんだよ。器用な馬なんで、ソコソコはこなしているけど、ベスト距離はマイルから中距離のはず。で、高松宮記念2着の時は、人気薄に乗じてインを掬った形だった。実力勝負だと今一歩足りないんだよね。
 あと、更に言えば今回休養明けで、ちょっと急仕上げ気味かなって印象があるね。大穴開ける可能性も無いわけじゃないけど、劣勢は否めないってところかな」
珠美:「3枠3番のゴールデンロドリゴはどうでしょう?」
駒木:「2連勝で勢いには乗っているんだけどねぇ……。でも、今回は相手がこれまでとは違いすぎるよね」
珠美:「ちょっと厳しいですか……。では、次に4枠4番のビリーヴを。この馬が単勝1番人気です」
駒木:「この夏一番の昇り馬だね。しかも勢いだけじゃなくて、実力の高さが伝わって来るレースをしているのが強みと言えそうだ。
 今回もデビュー以来絶好調と言えるデキで、しかも展開も絶好。鞍上も帰国以来絶好調の武豊騎手とくれば、1番人気もうなずけるところじゃないのかな。
 ただこの馬、条件馬時代に不良馬場で4着に負けてるんだよね。その時は走り辛そうだったっていうから、今回みたいな、荒れてる上に道悪の馬場は大きくマイナスだ。地力で圧勝する可能性も十分なんだけど、道悪のせいで馬群に沈む可能性もある。この馬から馬券を買うのは、まさにギャンブルって言えそうだね(苦笑)」
珠美:「なるほど……。ちょっと不安が残る感じですねー。私の◎なんですけど、また嫌な予感が…(苦笑)。
 …さて、次は5枠5番のサイキョウサンデーですが、いかがでしょう?」

駒木:「う〜ん、叩き2走目で上向いてはいるみたいだけど、この馬は実力の最大値が割れてしまっているからねぇ。このメンバーじゃ、恵まれても掲示板かな」
珠美:「…それでは、次は6枠。ここから1枠につき2頭になります。6番のトロットスター、7番のサーガノヴェルの解説をお願いします」
駒木:「トロットスターは今年絶不調なんだけど、どうしちゃったんだろうねぇ。まぁ1200m専門の馬ってことで京王杯SCと安田記念は度外視できるんだけど、それでもキャリアを考えたら寂しい成績だよね。
 でも調教の様子を見る限り、年齢的な衰えとかそういう感じも見えないし、結局は展開と馬の気合一つだと思うんだよ。休養明けの絶不調でアッサリ勝ってしまった一昨年のこのレースの例もあるし、全く無視は出来ないと思うよ。
 サーガノヴェルは、この春の2戦が圧巻だったんだけど、ちょっと夏から調子を崩してしまったみたいだね。しかもその不調がまだ尾を引いてる感じで、どうにも旗色が良くないね。個人的にはジックリと立て直してから再チャレンジして欲しいって感じ」
珠美:「さぁ、時間もありませんし、どんどん行きましょう。7枠の2頭、8番のリキアイタイカン9番のアドマイヤコジーンをお願いします。アドマイヤコジーンは単勝2番人気ですね」
駒木:「リキアイタイカンは追い込み一辺倒の馬。足を貯めて末脚に賭ければ、高松宮記念4着みたいに健闘するケースもあるかもしれない。ただ、今回は体調が万全じゃないみたいだね。
 アドマイヤコジーンは今年絶好調だね。6歳になってようやく本来の力が発揮できるようになったって感じかな。休み明けに走る馬でもあるし、道悪も不良馬場でも気にしない。セールスポイントは一杯あるよね。
 ただ、今回気になるのは、調教を見たトラックマンが、『走るフォームが縮こまって見える』って言うんだよね。走り方が本物じゃないらしいんだよ。これが果たしてレースになってどう出るかがカギになるんじゃないのかな。この馬もビリーヴと同じように好走するか凡走するか極端に分かれそうだ」
珠美:「あのー、そんな両極端な馬2頭に◎と○を打ってる私はどうすれば良いんでしょう?(苦笑)」
駒木:「ご愁傷様(苦笑)。」
珠美:「わ、もう外れる事前提で話してませんか、それ?(苦笑)……もういいです。私は武豊騎手を信じますから(笑)。
 では、最後に8枠の2頭をお願いします。10番シベリアンメドウと、11番3番人気・ショウナンカンプです」

駒木:「シベリアンメドウ陣営が『道悪だったらウチの馬でも勝負になるよ』って言ってるみたいだね。でも、道悪になったら道悪になったで、この馬より強い馬がゴマンといるはずなんだけどなぁ。どう考えても実力が足りないよ
 ショウナンカンプはどうやら復調ムードに入ったみたいだね。そうなると、またスピードの絶対値にモノを言わせて逃げ切りを図る事になるんだろう。展開も随分楽そうだし、春の再現も十分だよ。
 ただこの馬の場合、やっぱり気になるのは道悪だろうなぁ。確かにスピードタイプって気はするし。けど、まだ判断材料が少ないし、余り悲観しすぎるのも問題と思うんだよね。
 ……まぁ今回のレースはこの馬に限らず、とにかくどの有力馬にも全幅の信頼が置けないのが問題だよね。これはもう走ってみないと分からない。ただ1つ言える事は、あまり大金賭けちゃいけないよって事かな(笑)」
珠美:「なるほど(笑)。…では、最後に馬券の買い目の方をよろしくお願いします」
駒木:「印は5頭に打ったけど、馬券は11、4、6の馬連3頭BOXと3連複1点。ただ、状況によっては6と9を入れ替える事があるかもしれないけどね」
珠美:「私は4-9、4-11、9-11、4-6の馬連4点ですね。夏の馬券学講座を踏まえて、私も買い目を絞ることにしました」
駒木:「それじゃ、講義を終わろうか。良いレースを期待したいね」
珠美:「そうですね。では、お疲れさまでした」


スプリンターズS 結果(5着まで)
1着 ビリーヴ
2着 アドマイヤコジーン
3着 11 ショウナンカンプ
4着 ディヴァインライト
5着 ゴールデンロドリゴ

 ※駒木博士の“敗戦の弁”
 結果的には惜しい1着−3着なんだけれど、反省点だらけの予想になってしまったなぁ…。もしも駒木の予想を参考にしていらっしゃった方がいたなら、心からお詫びを申し上げます。
 まず、馬場状態の読み違え。新潟競馬場って、乾きと水はけが良いんだなあ…。まるで甲子園球場みたいだ(苦笑)。
 次にアドマイヤコジーンの取捨選択と展開の読み違え。まさかあそこまで積極的に行った上で2着に粘りきるとは思ってなかった。それにアドマイヤを差す予定だったトロットスターが凡走したのも痛かった。まぁ、何にしろチグハグな予想をやっちゃいました。せっかく良いレースだったのに勿体無い事しました。本当に反省です。出直してきます。

 ※栗藤珠美の“喜びの声”
 本命サイドの決着でしたけど、3連単でも的中していたかと思うと、本当に嬉しいです! やっぱり駒木博士より武豊騎手を信じてて良かったと思います(笑)。
 ……あ、でも「ビリーヴが3着の方が配当金が高いから、それでお願い!」って一瞬考えちゃったのは内緒ですよ(笑)

 


 

9月27日(金) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(7)
第2章:オリエント(1)〜メソポタミア文明の誕生

※過去の講義のレジュメはこちら→第1回第2回第3回第4回(以上第1章)/第5回第6回(以上インターミッション1)


 それでは今回から、古代から順に追って地域別の歴史を述べていくことになります。
 この大長編の大河ドラマみたいなお話をどう扱うか、こちらとしても迷うところではありますが、ここは「どの順番で話しても、結局ヤヤコシイ」と開き直りまして、せめて参考書ベースで混乱しないように、「世界史B用語集」の目次に従ってお話してゆきたいと思います。

 よって、今日からお話するのは古代オリエント史。ここから講義を始めてゆくことにしましょう。

 …さて、この“オリエント”とは、古代ローマ人が使っていた言葉で“日の昇る方向”、つまり東方世界という意味であります。現代で言えばトルコを含む西アジアとエジプト古代の四大文明でなぞらえれば、メソポタミア文明とエジプト文明の地域を合体させたものになるでしょうか。
 現代では、豊富な資源に恵まれながらも世界の中心からはやや外れた印象のあるこの地域ですが、少なくとも古代においては世界を代表する先進地域でありました。現在とは全く趣の異なった当時の雰囲気を、少しでも感じ取って頂けると幸いです。

 では、その古代オリエント史の中でも最も古い歴史を持つ、メソポタミア地方からお話をしてゆくことにします。そう、歴史の授業でまず真っ先にティグリスユーフラテスという2つの川の名前を覚えさせられる羽目になるあのメソポタミア文明があった地域です。
 中には学生時代、「なんでメソポタミアだけ川が2つなんだよ!」…などと唸った事のある方もいらっしゃるかも知れませんが、実は“メソポタミア”という言葉には「(2つ)の川の間の地域」という意味がありまして川が2つあるのはむしろ当たり前なのであります。つまり、メソポタミア文明とは、「ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域の文明」…ということになりますね。
 この2つの川は、現在のイラクにあるペルシア湾に流れ込む川で、上流に遡るに従ってやや東西に広がってゆき、最後はシリアを経てトルコ領内まで辿る事のできる大河であります。よってメソポタミア文明のエリアは、ペルシア湾からトルコのあるアナトリア半島(別名:小アジア)まで広がる地域となります。日本の九州と本州がスッポリ収まるほどの範囲ですね。
 ただ、厳密に言えば“メソポタミア”ではありませんが、現在のシリア〜イスラエル(パレスティナ)〜ヨルダンなどの地中海東岸地域一帯にも古代文明が誕生・発展したため、この地域もメソポタミア文明に併せて扱うのが普通です。少し複雑ですが、よく覚えておいて下さい。

 さて、このメソポタミアの地域的特徴としては、まず“雨が極端に少ないにも関わらず、灌漑農業に適した土地と水源に恵まれていた”ことが挙げられます。
 雨が少ないのに農業が栄えたのは、ティグリス・ユーフラテスをはじめとする大河のおかげです。川は養分をタップリ含んだ土を上流から運び、人々はそれをベースに畑を耕します。また、水源も川から確保できます。川から用水路を引いての灌漑農業です。これだと、中途半端に雨水に頼る行き当たりばったりの農業よりも、ずっと豊かな麦畑が出来上がるというわけです。
 前にもお話しましたように、灌漑農業は文明誕生に繋がる重要な要素の1つです。この農業の発達が大量の余剰食料を産み、それが文明の誕生に繋がったのは言うまでもありません
 そして、もう1つの地理的特徴としては、文明の中心地が天然の障害物の無い平野部中心であった”…ということも見逃せません。
 こういう土地は、人が住み易い代わりに外敵からの攻撃に弱く、そのため、この地域では頻繁に侵略戦争が繰り返される事になりました。この事は、これから歴史を追いかけていく内に嫌でも実感されると思います。

 ……さて、それでは地域の特徴について述べ終わったところで、いよいよ古代メソポタミアの歴史について述べていくことにしましょう。

 このメソポタミア地帯に人がまとまって住み始めたのは紀元前10000年前後と言いますから、まだ旧石器時代です。そこで人々は、野生の麦などの植物を採集したり、動物や川魚を捕まえて食料にしていたものと思われます。
 その内、どこでどうしたのか、紀元前7000年前後には灌漑以前の原始的な農耕や、動物を家畜にすることを覚え、それに応じて人の住む集落の規模が段々大きくなってきます。紀元前6000年前後には、場所によっては既に灌漑農業が始まっていたのではないかとも言われていて、この地域の“先進性”が窺えます。

 ちなみに、このメソポタミアの狩猟・採集〜原始農耕時代の遺跡が、各地で発見されています。特に有名なものとして、メソポタミア北部のジャルモ今のイスラエル・死海の北側にあるイェリコなどがあり、そのような遺跡では、鎌や石臼などの様々な石器土器などが発見されています。
 遺跡の中には、各時代ごとの遺構が時代ごとに層になっているものもあります。その地層ごとの分析を進めてみると、時代によって住人の文化が全く違う事から侵略戦争があった事が分かったり、土器の発達のプロセスなどが判明したりと、文字誕生以前の歴史を考察するための貴重な史料となっています。

 …ただ、この頃はまだ“文明以前”の状態であります。メソポタミア地方が文明化へ向かって大きく変革を始めるのは紀元前4000年以降、やはり灌漑農業がメソポタミア各地に普及し始めてからのことでありました。
 この灌漑農業の発達が人々の集住を促し、ついにメソポタミアのあちこちに都市国家と言えるものが完成するのが紀元前3000年代の終盤あたり。この頃には文字の使用も始まり、ここでいよいよ文明時代の到来となります。

 このメソポタミア文明の第一の主役となるのがシュメール人と呼ばれる民族です。普通、民族は使用している言語を基準にして大まかな分類をするのですが、このシュメール人に関しては詳しい事がまだ判っていません。また、シュメール人の前にメソポタミアに住んでいた先住民がいたのではないか…とも推測されています。
 で、このシュメール人が、メソポタミアの南部、ペルシア湾からおよそ300〜400km内陸に入った所に都市国家を築きました。年代はつい先程も述べましたが、紀元前3000年代の終盤です。
 この文明初期の都市国家としては、その栄えた順番にウルク、ウル、ラガシュの3都市が有名です。ウルクは世界最古の叙事詩文学『ギルガメッシュ叙事詩』の舞台として名を残し、またウルでは王の墓と見られる大規模な遺跡が発見されています。

 この頃はまだ多くの都市国家が乱立して、思い思いの発展を遂げていた時期でありますが、都市同士の交流も頻繁にあり、次第に剣を交えることも増えてゆきました。
 そして紀元前2400〜2350年頃には、ラガシュと近くにあったウンマという都市の間で大きな戦争が勃発し、最後はルーガルサゲジという王に率いられたラガシュが勝利します。また、この王は勢いに任せて周辺の主な都市国家を片っ端から占領し、遂にはメソポタミアの勢力図まで一変させてしまいました
 ルーガルサゲジが作ったのは、メソポタミア南部全域に広がる数十の都市からなる大きな国家で、このような複数の都市を含んだ国家の事を“領域国家”と言います。ちなみに規模の大小は違いますが、現代世界にある国も、バチカンやモナコなどのミニ国家を除いて、そのほとんどが領域国家であります。

 こうしてメソポタミアにはラガシュ統一王朝が完成した事になるのですが、この国は間もなくして滅んでしまいます他民族の侵略に遭ったのです。
 これ以後のメソポタミアでは、堰を切ったように侵略戦争と力ずくでの王朝交代が繰り返されます。まさにこれは、攻め易くて守り難いというメソポタミアの地理条件を証明するような出来事でありましょう。

 まず、このラガシュを滅ぼしたのは、サルゴン1世という名の王に率いられたアッカド人たちでした。
 このアッカド人は、メソポタミアのやや南、アラビア砂漠との間にある草原地帯を原住地とし、そこからメソポタミア北部に移住して来たセム系と呼ばれる民族集団の一派です。地域的な条件から考えるに、都市国家時代からシュメール人と交流があったのではないかと思われています。
 こうして樹立されたアッカド統一王朝は、有能な王・サルゴン一世に支えられて大いに繁栄します。旧ラガシュ国家の領土に加えてメソポタミア北部をも統一して領土を広げ、さらにはインドやアラビア半島東岸のオマーンからも交易船を迎えて貿易をしたと伝えられています。
 しかし、サルゴンの死後は領内で頻繁に反乱が発生し、徐々に政情が不安定になって来てしまいます。その後は「好戦的で野蛮な民族であった」と称されるグディ人の侵入が激しくなり、結局、アッカド王国は130年余りでその歴史に幕を閉じることになります
 このアッカドを滅ぼしたグディ人は、メソポタミア北部で大いに猛威を奮ったのでありますが、政治的に成熟していない民族だったようで、統一国家を作る事は出来ませんでした。それどころか、あまり混乱が生じなかったメソポタミア南部からは力を蓄えた都市国家が再び現れ、グディ人は数十年で駆逐されてしまいます。
 こうして文明が蘇ったメソポタミアでは、シュメール人の築いた古都・ウルから優れた王が相次いで現れ、再び統一王朝が成立することとなりました。これがウル第3王朝と呼ばれるものです。“第3”というのは、都市国家時代からのカウントで3番目の王朝という意味であります。
 このウル第3王朝は、あのハンムラビ法典のベースになった、世界最古クラスの法典・ウル・ナンム法典が著されるなど、非常に整った行政組織が完成されて大いに栄えたのでありますが、この地域の宿命とも言うべき外敵の侵入は防ぎようがありませんでした
 このウル王朝は、王朝成立から70年ほど経った頃から、北方からは都市国家・イシン、西方からはセム系民族の一派・アムル人、そして東方からはイラン高原に住む民族・エラム人という三方包囲に晒されて国力を失い、紀元前2004年頃に成立後約100年で滅亡します。

 この後しばらくのゴタゴタを経て、かの有名なバビロニア王国が成立するのでありますが、それは次回に譲ることにしましょう。
 ここでは、その代わりといってはナニですが、シュメール人の作り上げた古代文化の姿を紹介して、今日の講義の締めとさせて頂きます。

 …それでは文化についてですが、まずはシュメール人の生活を簡単にお話しておきましょう。

 初めに住居から。
 彼らの住居は、主に日干しレンガと呼ばれる、粘土をレンガ状に形を整えて天日で干しただけの物を材料にして建築されていました。
 勿論、粘土を固めただけですから、雨が降ると崩れてしまいます。よくそんなので平気だなぁ…と思われるかも知れませんが、この地域は雨がほとんど降らないので、これでも十分というわけです。
 ちなみにこの辺りは、現代でも日干し煉瓦造りの家が見られます。それだけこの地域に適したものであると言えますが、地震等の天災に弱いという致命的欠点を抱えています。今年イラクで発生した大地震では日干しレンガの家が多数倒壊し、多くの犠牲者を出してしまいました。

 さて、特筆すべきなのは食生活です。高度に発達した灌漑農業に支えられて、かなり豊かな生活をしていたと推定されています。

 何しろ、紀元前2300年代のラガシュ時代から遺された公式行政文書によると、大麦の収量倍率(種モミ1粒で収穫できるモミの数)76.1倍というのだから驚きであります。ちなみに、古代ローマや中世ヨーロッパでは6倍程度がせいぜいだったとされていますから、その差たるや絶大であります。
 この高収穫の秘密は、畑を耕す鍬をウシに引かせ、さらにその鍬にホースを通して効率良く種を撒く…という条播法にありました。この方法が欧米社会で導入されたのは近代に入ってからですから、どれだけこの文明の農業が高度に発達していたか、よく分かります。
 かつての学者の中には、この凄すぎる数字を認めない人もいます。「数千年前の人間がそんな事できるわけがない」という“常識”の抵抗に屈した人たちです。が、今では調査が進んでこの数字が正しかった事が証明されています。
 ただ、この高い収量倍率は、年を追うごとに下がっていってしまいます。これは、地中の塩分濃度が上がり、農作物の発育に悪影響を与えてしまう塩害のためで、最後にはこの地域も農業には適さない土地になってしまったと言います。

 しかし、この時代はまだ幸せな時代でした。高い収量倍率は、大量の麦の余剰を産み、この頃のメソポタミアでは世界初のビールブームが訪れます。公的文書によると、16種類の銘柄が記録されていると言いますから驚きです。当時のシュメール人の定番朝食メニューはパンとビールだったと聞いてしまうと、もはや羨ましい話とさえいえます。
 また、麦以外の食料も豊富でした。川からは魚が獲れましたし、ヒツジやウシなどの家畜から肉を得る事も出来ました。野菜や果物も豊富に出回っており、タマネギ、ニンニク、キャベツ、キュウリといった今の日本でもお馴染みのものや、アラビア特産の高栄養果物・ナツメヤシも食べていたようです。

 しかし、良い事ばかりでもありません
 というのも、メソポタミア文明を支える2つの大河はかなりきまぐれで、大洪水を起こして畑や家屋を押し流してしまったり、または肥沃な土と水を運ばずに凶作を招いてしまった事もよくあったようです。それ以外にも頻繁な戦争もありますし、シュメール人たちは、破滅と隣り合わせの束の間の豊かさを謳歌していた…というのが現実だったのかも知れませんね。

 人々の生活についてはこれくらいにしておいて、次は文字についてお話しましょう。
 メソポタミア文明の文字は楔形文字。まだ紙が無く、代わりに粘土板を使用しなければならないという環境の中で生まれた文字で、粘土板にヘラのようなもので“▼”と“━”の形を刻み、その刻み方のパターンを変えて様々な種類の文字を表現します。
 素人目に見ても非常に複雑な字である事は明白で、当時の人たちはさぞかし苦労しただろうなぁ…と思わずにいられないのでありますが、このスタイルの文字は、後世の歴史家・考古学者にとって非常に有益なものでありました。
 何しろ、文字が刻まれた粘土板は、火事があっても消失しないのです。しかも焼き固められて余計に頑丈になるというわけで、メソポタミア文明の遺跡からは、この時代のものとしては膨大な量の文献資料が遺されています。先程の収量倍率についても、文献資料が元になっているわけです。
 ちなみに、膨大な文献のおかげで、メソポタミア文明の文字は完全に解読がされていますが、余りにも文献の数が膨大すぎて、その全てを解読するのには最低でもあと数十年かかると言われています。これぞまさにパラドックスでありますね。

 また、文字と共に数字も発明されています。ただ、メソポタミアの数字は変形60進法というべき複雑怪奇なもので、必ず計算間違いが起こると思えるほど煩雑です。
 何しろ、数字の単位が1、10、60、600、3600、36000……といった具合なのです。例えば10万を表現するためには、36000を現す数字を2つ、3600の数字を7つ、600の数字を4つ、60の数字を6つ、10の数字を4つ書く事になります。これでは四則演算すら覚束ないはずで、当然の事ながら、メソポタミア式数学は後世の文明には一切の影響を与えていません。

 この他には、この頃には既に太陰暦週7日制があったとされています。ただ、天文学についてはバビロニア王国時代に発達するものですので、そちらでお話することにしましょう。

 ……というわけで、最後はとりとめが無くなってしまいましたが、このような社会で人々は時には楽しみ、時には苦しみながら生活していたわけです。
 それでは今回はここまで。次回はバビロニア王国とハンムラビ王の治世を中心にして講義をしたいと思います。それでは、また次回に……。(次回へ続く

 


 

9月26日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(9月第4週分)

 9月最後の「現代マンガ時評」です。
 今週もレビュー対象作が少ないんですが、来週から「ジャンプ」と「サンデー」で新連載が開始されるので、“嵐の前の静けさ”という感じでしょうか。
 …とはいえ、ただじっと大人しくしておくのもアレですので、今週は「ジャンプ」「サンデー」以外の雑誌掲載作から1作品レビューを実施します。“ちゆインパクト”前から受講されている方には馴染みのある作品の後追いレビューです。どうぞご期待をば。

 …さて、それでは先に情報系の話題を手早くやってしまいましょう。

 まず、「週刊少年サンデー」系の月例新人賞・「サンデーまんがカレッジ」7月期の審査結果発表がありましたので、受賞者と受賞作を紹介しておきましょう。

少年サンデーまんがカレッジ
(02年7月期)

 入選=該当作なし
 佳作=2編
  
・『グリーン・グリーン』
   黒田高祥(22歳・東京)
  ・『アサシン』
   藤野君人(21歳・東京)
 努力賞=4編
  ・『Ghost fit』
   高崎大輔(26歳・兵庫)
  ・『ムササビが飛ぶ』
   椎名愛(19歳・宮城)
  ・『アレス』
   石黒友行(23歳・大阪)
  ・『稲荷山山奇劇』
   高倉マメ(20歳・福岡)
 あと一歩で賞(選外)=該当作なし

 今月は、“粒揃いながら大粒無し”…といった感じでしょうか。どうもこの賞は、「ジャンプ」の「天下一漫画賞」に比べると、リピーターの数が少ないのが気になるんですよね…。
 一応、最終審査まで残った人には担当が就くらしいんですが、果たしてどこまで本気で新人さんと付き合っているのか、ちょっと心配になったりします。まぁ、ベテラン作家中心の「サンデー」は、放任されても本気でやる気を見せる新人だけ育てれば良いと思っているのかも知れませんが……。

 続きまして、新連載の情報を。既に情報系サイトなどでは報じられている情報ばかりですが、復習の意味もこめてここで扱っておきます。

 まず、これは先週のゼミでも簡単にお話しましたが、次週から「週刊少年ジャンプ」・秋の新連載シリーズが始まります。ただし、今回も2作品の“小規模改造”です。
 次号44号(10/1発売号)では道元宗紀さん『A・O・N』が、そして45号(10/8発売号)では鈴木央さん『Ultra Red』がスタートします。共に扱いが難しい格闘系の作品だけに、作家さんの腕の見せ所と言えそうです。

 そして「週刊少年サンデー」では、次号44号(10/2発売号)から、皆川亮二さん『D-LIVE』がスタートします。『ARMS』を円満終了させて以来の連載復帰というわけで、また骨太の作品で「サンデー」に彩りを添えてくれそうです。
 しかしこの作品、どうも設定とか見てると「バンチ」の『エンカウンター』と似ているような似てないような…なんですよね(笑)。なんだか、最近の「サンデー」って攻撃的ですね。他誌で伸び悩んでる作品と同じタイプのものをぶつけて潰しにかかってるというか……(苦笑)。

 では、今週のレビューへ。今週は「週刊少年ジャンプ」から読み切りを1本そして「ジャンプ」「サンデー」以外の他誌から1本計2本をお送りします。勿論、“チェックポイント”もお送りします。
 レビュー中の7段階評価の表はこちらをどうぞ。

 

☆「週刊少年ジャンプ」2002年43号☆

 ◎読み切り『暗闇にドッキリ』作画:加地君也

 今週も「ジャンプ」では中編読み切りが掲載されました。連載未経験ながら、キャリアだけなら既に中堅という微妙な位置にいる(笑)、加地君也さんの作品です。
 加地さんは、1997年3月の「天下一漫画賞」で佳作を受賞し、その受賞作『天翔騎馬』で、97年夏の「赤マルジャンプ」においてデビューを果たしています。 
 しかしその後の活動は散発的で、99年春の「赤マル」で原作付の読み切りを、そして本誌00年18号でも読み切りを発表しただけに終わっています。今号の巻末コメントにもありましたが、今回の作品が実に2年ぶりの「ジャンプ」登場ということになりますね。

 それでは作品レビューへ。

 まず。偉そうな言い方で恐縮ですが、ギリギリのところで「プロとして人前でお見せする絵」のレヴェルには達しているのではないかと思います。キャリアの長い作家さんですし、完成度の面で言えば平均点以上でしょう。
 ただ、何と言ったら良いのか、絵柄が与える印象が妙にアマチュア臭いんですよね。喩えて言うなら、高校・大学の漫画研究会チックというか……。妙にマンガ的な表現ばかり手慣れていて、本格的な絵の稽古が不足している…と言えばお分かりになるでしょうか? 
 そのため、場面ごとの絵のタッチにメリハリが効いているようで効いていないんです。だから、緊迫感を持たさなきゃならないシーンで今ひとつ迫力が沸いて来ない。すると、作品全体のインパクトも弱くなってしまうんです。
 今更、絵柄の大改造と言っても難しいかも知れませんが、本気で連載作家を目指すなら、修正しておかないといけない点だと思います。 

 次にストーリーですが、こちらも話の筋立て自体は及第点をあげられるレヴェルには達しています。テンポも良くて、マンガと言うよりライトノベルを読んでいるような軽い感触が楽しめます。ただ、余りにも話の展開がセオリー通りなので、ヘヴィーな読者には物足りないかも知れませんが……。
 ただ、それより気になったのが主役キャラの個性が弱すぎる点です。
 この作品の主役級キャラ2人は、ハッキリ言ってしまえば、同系統の別作品(マンガ、ライトノベル問わず)で頻繁に見受けられるパターンのキャラクターです。特に女陰陽師の道満みたいな“傲慢で守銭奴”キャラなんて、それこそ掃いて捨てるほどいるんですよ。
 ですから、こういうキャラクターを使う以上は、他の作品のキャラと差別化を図らないといけません。生い立ちでも良いですし、いわゆる“萌え”要素でも構いません。とにかく目立たなくちゃダメなんです。そうしないと、オリジナルのキャラではなく「『○○』の△△っぽいキャラ」としてしか認識してもらえなくなるんです。
 そして、このマンガに出てくるキャラは、まさにこの「〜っぽい」キャラばかりなんですよね。そのために、ただでさえステレオタイプな話が余計に類型的に見えてしまっています。キメ台詞も空虚に聞こえてしまうし、読者がキャラクターに感情移入出来なくなってしまうんです。

 駒木は、「キャラクターさえ立てば何とかなる」という昨今の風潮には大反対です。しかし、よほど凝ったミステリでもない限り、魅力的で個性的なキャラクターのいない話が良い話になるわけが無い…とも思います。どうすれば、読者が満足する話になるのか、加地さんにはその辺りをもう一度熟慮して頂きたいところです。

 評価はB寄りB−。この人が果たしてここから“化ける”ことが出来るのか、今しばらく様子を見てみたいと思います。

◆「ジャンプ」今週のチェックポイント◆

 ◎『ヒカルの碁』作:ほったゆみ/画:小畑健《再開後第3回掲載時の評価:A

 ヒカル×社戦のモデルになった対局が判明しました。なんとTV東京の「新鋭早碁トーナメント」で放送された対局だったらしいです。いやー、観たかったなあ。
 黒番と白番、どちらが勝ったか分かってしまうんで言えませんが、敢えて少しだけヒント(ネタバレ防止の為、隠してます。ドラッグして反転させてください)
 「うん、もったいないな。コイツ、これだけ打てるのに結局選手にはなれないわけか──」
 標準語を話す人(つまり東京・日本棋院側)が“コイツ”呼ばわりするのは、ヒカルと社、どちらだと思いますか?
 恐ろしく奥が深いですよね。鳥肌立ちます。

 ◎『アイシールド21』作:稲垣理一郎/画:村田雄介《第6回掲載時の評価:A−

 回を追うごとに話作りが手慣れていきます。今回はインターミッションをやりながら、決してわざとらしくなく基本的なルール説明をやっています。そして、この基本的なルールを説明しないままに、違和感無く1試合描ききっているという点も見逃せません。
 あと1ヶ月くらいこのクオリティが維持できたら評価をAに上げます。

 

☆「週刊少年サンデー」2002年43号☆

◆「サンデー」今週のチェックポイント◆

 ◎『きみのカケラ』作画:高橋しん《評価は保留中》

 何だか、主役よりも少佐(エリザベス)の方がキャラ立っちゃってません?(笑)。確固としたモデルが存在する分だけ、キャラが立ちやすいのかも知れませんが、これは良いんだか悪いんだか……。

 ◎『365歩のユウキ!!!』作画:西条真二《第3回掲載時の評価:

 見事なまでの打ち切り最終回でした(笑)。
 ああいう最終回と言えば、「ジャンプ」の『武士沢レシーブ』作画:うすた京介)の“打ち切り最終回パロディ”を思い出してしまうんですが、これはギャグなのか、それとも天然なのか……。
 しかし、あの最終ページに書かれた後日談ですが、あれを全部マンガで描くとなると10年以上掛かるような気がするんですけどね(笑)。

 

《その他、今週の注目作》

 ◎連載第18回『キメラ』(「スーパージャンプ」2002年20号掲載/作画:緒方てい《第3回までの暫定評価:B+

 ※このレビューには、例外的に駒木の私情が入っています。客観性を欠いた部分があると思いますが、いつものレビューとは別物としてご覧頂けると幸いです。

 『キメラ』のレビューは実に久しぶり、実に7ヶ月ぶりということになりました。それというのも、「次に取り上げる時は、『キメラ』が大化けした時です」…という事を皆さんにお約束したからでした。それは逆に言うなら、『キメラ』が大化けしない限り、二度とこのレビューで取り上げる事が出来ない…という事でもあったのです。長い空白の理由は、つまりそういう事です。
 この7ヶ月の間というもの、駒木は『キメラ』を読むたびに失望の繰り返しでありました。なにしろこの作品には、過剰に説明的なセリフ、仰々しい割には中身の無い設定、一本調子なストーリー展開…といった、典型的な三流ファンタジーの要素を網羅してしまっていたのです。
 駒木は、この『キメラ』と、荒削りな中に強烈な表現力が光り輝いていた緒方さんのデビュー作・『キカイ仕掛けの小町』との落差を見るにつけ、「どうしてこんな事になってしまったんだろう」…などと、落ち込んだものでありました。傲慢かも知れませんが、「自分の目は節穴だったのだろうか」…と悩んだりもしました。

 が、そんな7ヶ月間の駒木の苦悩を吹き飛ばしてくれたのが、この『キメラ』連載第18回でした。そこには、かつて駒木が見た“輝き”がありました。
 読者がページをめくった時の視覚効果まで意識したページ割りや、文学作品を映像化したかのように巧みな場面構成力、更には、無駄なセリフを極力排した中で、ここぞという所で効果的に働く決めゼリフ。これまでの『キメラ』に見え隠れした陳腐さは、もうどこにもありません。埋もれかけていた緒方さんの才能が、今ようやく、その姿を現したのでした

 勿論、今回1回だけで、これまでの“負債”が解消されたとは言えないでしょう。それでも、緒方さんの実力の最大値を再確認できただけでも大きな収穫と言えると思います。

 作品全体の評価はB+のまま。ただし、この回だけに関して言えば、A評価としても良いと思います。

 
 
 ……ちょっと最後のレビューは、お見苦しい点があったかもしれませんが、どうかご容赦を。
 次回は新連載2本に加えて、後追いレビューや「ジャンプ」代原レビューと盛りだくさんの内容になりそうです。どうぞお楽しみに。では、また来週。

 


 

9月25日(水) 社会経済学概論
「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(15・最終回)

 気が付けば、当社会学講座開講以来、屈指の長期シリーズになってしまった(しかもシリーズ開始当初とは題名すら違う)この「アルバトロス風雲録」ですが、いよいよ今回が最終回となりました。
 ただ、前回までの『クィーンコング』→『アメリ』というコンボが余りにも強烈過ぎますので、その後のエピソードについては、打ち切りマンガのエピローグみたいにやや駆け足で追いかけてみたいと思います。

 ……しかし、「タモリ倶楽部」大コケ映画特集に、我らがアルバトロスも『クィーンコング』で参戦していましたねぇ。まず初っ端に出て来た“主な配給作品”に、『人肉饅頭』、『ネクロマンティック』、『キラーコンドーム』とあったのがいきなり笑えました。まぁ、『アメリ』は別扱いでネタになってましたから他に書きようなかったんでしょうが(笑)。
 番組で話されていた内容は、当講座で既に紹介したエピソードが中心だったんですが、それでも実際に関係者から話を聞くと生々しいものですね。
 あ、そう言えば番組内では「『クィーンコング』にかけた費用は合計で1億ほど」…となってましたが、叶井氏の雑誌コラム「数億の赤字を被った」みたいな事が書かれてましたので、当講座ではそちらを採用したわけです。どうぞご了承下さい。

前回までのレジュメはこちら↓
  第1回第2回(ここまでは競馬の話)第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回


 …『アメリ』の超大ヒットで、会社存続の危機から一転、法人税対策のためか銀座の一等地にビルを買ってしまったアルバトロス。その後は、まるで売れた後のグラビアアイドルが水着写真集を封印するかのように、汚れた過去を事実上無かった事にしてハートフル映画路線に挑んで行きました。

 しかし、これがなかなか上手くいきません。『アメリ』以後に公開されたアルバトロスの映画は、まるで2001年上半期に戻ったかのように大コケを連発します。
 それもそのはず、“普通の映画”に対する感覚を全く持ち合わせていない叶井氏は、感動系ストーリーの映画を買って来たつもりでも、世間的には“ただのエロ映画”としか映らないモノを買い付けてしまうのです。

 まず3月、「プライベートレッスン・青い体験」という、ミニスカート姿のメイドを梯子に上らせて、それをエロ主人が下から覗くイタリア映画のような題名の韓国映画を公開します。が、その内容があまりにも過激すぎたため、女性向けの映画だったにも関わらず、R-18(成人映画)指定を受けてしまい、見向きもされずに終わります。
 そして4月、“『アメリ』から始まった新生アルバトロスの銀座OL、主婦の客獲得展開の第2弾”(叶井氏のコラムより)というフランス映画「翼をください」を公開しますが、こちらもエロ風味が強すぎて撃沈。連日の不入りに“グッズ付き割引当日券発売”というテコ入れまでしますがそれも空しく、公開開始からわずか5週間で上映打ち切りの憂き目に。

 ……と、いうわけで“新生”アルバトロスは、AV女優を廃業して歌手になったは良いが、箸にも棒にもかからずにストリップ嬢へ逆戻りした桜木ルイのような逆噴射振りを披露。せっかくの“『アメリ』貯金”をどんどん吐き出してしまう結果になってしまいました。

 そして、この頓挫で開き直ったのか、それともただの逆切れなのか、アルバトロスはこの2本の映画をハズしたあたりから、ハートフル路線と同時進行の形で、再びかつての“エロ・グロ・ナンセンス”路線も歩み始めますアルバトロスの二重人格化です。

 まず未公開映画のDVD販売部門では、有名アメリカンコミック作品の世界観をゴチャ混ぜにしたような映画・『ファウスト』や、観た人を必ず不快にさせると評判の『ファニーゲーム』、さらには映画の題名にちなんで天本英世氏に推薦コメントを求めるも、「出せるかこんなモンに!」と担当者が怒鳴りつけられたという作品・『死神博士』などを続々とリリースします。また、過激映画専門レーベル“アルバトロス・コア”も創設し、マニア層へのアピールも怠りません。
 そして劇場用映画でも、25年前の究極アメリカン・バカ・エロ映画『ケンタッキーフライドムービー』を、“字幕監修・みうらじゅん”という一点だけをウリにしてロードショー公開。単館のレイトショーのみ1日1回上映にも関わらず、新聞に全面広告を打つという荒業も披露しました。
 ちなみにこの映画、公開初日が雨天の上にW杯の3位決定戦当日というハンデにも関わらず、なんと大入り満員を記録し、関係者を驚愕させます。しかし、その翌日以降は観客10数人になり、やっぱりコケてしまったとか。どこまでも素で笑わせてくれます、アルバトロス

 ……しかし、この真面目路線とバカ路線の融合、何だか当社会学講座とダブって見えてしまい、頭が痛いですね(苦笑)。
 今だって、本格的な世界史の講義とこんなバカ講座を隔日で実施していますし、以前などは「徹底検証! 世界漫画愛読者大賞」『アメリ』並の大ヒットをかました数日後に「モー娘。の陰毛をネットオークションで売ってみろ」なんて趣旨の講義をやって顰蹙を買った事もありましたしねぇ……。
 しかも、最近になって真面目路線に傾いている所までソックリ。もう何だか、親近感すら沸きますね、まったく(苦笑)。

 ……と、感慨にふけるのはこれくらいにして、話を元に戻しましょう。

 こうしてアルバトロスは、2つの顔を使い分けて映画業界を渡り歩いていく道を選びました。
 この秋なども、『少女首狩事件』などという90年代前半のアルバトロスに立ち戻ったかのような映画のDVDをリリースする一方で、なんと宮崎駿氏の絶賛を受けて“スタジオジブリ・第1回洋画出資作品”となった、チェコの大作戦争映画・『ダークブルー』を公開予定です。何と分かりやすい両面作戦でしょうか!

 そして来年以降も、劇場用映画では真面目路線をアピールする予定のようです。
 新レーベル・“アルバトロス・キッズ”(!)第1作となる予定のフランスの大ヒット感動ムービー・『バティニョールおじさん』や、中国の文化大革命時代を舞台にした大作映画・『小さな中国のお針子』、そしてベッカム好きの少女が主人公のハートフルストーリー・『BEND IT LIKE BECKHAM』などを続々公開予定です。

 しかも喜ばしい事に、こういう真面目路線を歩んでいても、アルバトロスらしさが全く消えているわけではありません

 まず『バティニョール──』は、子役が全く可愛くない映画で、しかも叶井氏が「お薦めは動物の解剖シーンと言ってしまったため、日本ではコケる可能性十分
 また、『小さな──』に至っては、邦題に“お針子”という放送禁止用語が入っているためにマスコミを使っての宣伝活動が全く出来ないという大ハンデを背負い込んでしまいました。
 そして「2003年の5月にもなって、今更ベッカムかよ!」…というツッコミが入ること間違い無しの『BEND IT ──』大コケする可能性は言わずもがなであります。この映画、数百万ドルというメジャー映画並の買い付け価格だったらしいので、ひょっとしたら『クィーンコング』の再現も有るかも知れません

 まさに戦々恐々の映画業界を体現する配給会社・アルバトロスですが、どれだけ大コケをかまそうと、彼らの姿はいつでもポジティブです。だからこそ、扱っている映画がドロドロしていても、その姿が清々しいのです。
 このシリーズでは結構失礼な事を述べ続けましたが、これも駒木流のエールであります。これからもアルバトロスには、どんどん話題作・意欲作を配給し続けていって欲しいと思います。

 それでは最後は「知ってるつもり !?」風に、叶井氏が雑誌のコラムで発表したコメントを聞きながら、このシリーズを締めくくりましょう。どうもご清聴、有難うございました。

 今回のオレのカンヌ滞在は12日間という長丁場。前半3日間は例の巨乳中国モデル主演の『小さな中国のお針子』の監督、女優、男優のインタビュー。で後半でいつものごとく、変態映画探し!ってあるのか?そんなの。と、思うでしょ?ところがちゃんとあるんだよ!っていうか見つけたんだよ。もの凄い映画を!オレの買い付けする映画の基準は想像を絶するもの。まさにこの作品はそれに相応しい。それはエビ・ボクサーもの!どうよ?エビだよ、エビ!全然意味不明でしょ!しかもこの映画、高いんだよ!30万ドル!どーなの?この値段設定は?って感じなので、まだ買えてないんだよ。まさに交渉の真っ最中!それにしてもエビ・ボクサー、ヴィジュアルはエビの手にボクシンググローブがはまってるだけ!なんの映画かまったくわかりません!こういう映画こそアルバトロスのためにある作品なんだよ。 

  …………やっぱりダメか、この会社。

 (この項終わり)

 


 

9月23日(月・祝) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(6)
インターミッション1
偉大なる発見者たちの苦悩(後編)

 ※過去の講義のレジュメはこちら→第1回第2回第3回第4回(以上第1章)/第5回

 今日も前回に引き続き、非常に貴重な考古学上の発見に携わりながらも、学会から正当な評価がされずに不遇をかこった人たちの話をお送りします。

 さて、今回お話するのは、旧石器時代の洞窟壁画にまつわるエピソードです。洞窟壁画といえば、本編ではごく簡単に、「アルタミラやラスコーといった遺跡に、現代人顔負けのリアルな絵画が描かれ──」…といった感じで述べていただけだったと思います。
 その時は、話の流れ上致し方なかったのでありますが、せっかくこうしてわざわざ時間を割いたのでありますから、ここで少しばかり、洞窟壁画そのものについての解説をしておきましょう。

 この洞窟壁画は、西ヨーロッパ──特に現在のフランス南部からスペイン南部──で多数発見されており、人々が文字を持たなかった時代の貴重な文化遺産として、大変高い評価を受けています。
 これらの洞窟絵画は、文字通り洞窟の、それも普段は人が住んでいなかったような奥深いエリアに描かれているケースが多く、また、その題材には動物がよく選ばれていました
 そのため、洞窟壁画はただの芸術ではなく、何らかの儀式的・呪術的な意味合いを持っていたはずである…とする説が優勢です。題材に選ばれている動物が、狩猟の対象になっていたウシやシカである事もまた、その説の信頼性を高めさせています。つまり、「今年はウシやシカがよく獲れますように…」という願掛けをするためのモノだというわけですね。いかにも、不安定な食糧事情を強いられていた旧石器時代らしい話だと言えそうであります。

 …では知識も深まったところで、話を“洞窟壁画の発見”の方に移しましょう。
 しかし先に述べましたように、これらの絵画というのは普段人目につかない所に描かれているのが常でありまして、なかなか発見できるものではありません。特に、「人目につかない所に(洞窟壁画が)ある」という事実すら知られていなかった頃などは、計画的な探索と発見などはほぼ不可能であります。
 そのため、洞窟壁画は偶然に発見されるケースが非常に多いです。まさにヒョウタンから駒、洞窟から壁画といったところでありましょうか。
 …そして、世界で初めて発見された旧石器時代の洞窟絵画もまた、全くの偶然から発見されたものでありました。

 ──時は1879年、場所はスペインのアルタミラ。同国の北部に小さな領地を持つ田舎貴族・ドン=マルセリノ=デ=サウトゥオラ子爵は、5歳になる娘を伴って、領地内にある洞窟を訪れていました。
 …と、ここで、どうして貴族であるサウトゥオラが洞窟などに足を踏み入れているのか疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。
 実は彼、前年のパリ万国博覧会で旧石器時代の石器や骨角器を見て以来、すっかり旧石器時代オタクになってしまっていたのです。で、石器を眺めている内に自分も石器を掘り出してみたくなり、遂には自分の領内から洞窟を探し出し、暇を見つけては石器を発掘しに出かけるようになったという次第。日曜大工ならぬ日曜考古学者といったところでしょうか。

 その日の探索は先に言いましたように、子供を連れての家族サービスの一貫だったわけですが、自分の興味の有る事に没頭し始めると子供の事なんてそっちのけになってしまうのが世の父親の常。気がつけば娘は、一心不乱に石器を探す父親の側から離れ、好き勝手に洞窟内を走り回るようになりました。
 やがて、どれくらいの時間が経ったでしょうか、突然娘が父親を呼びつけました。

 「パパ! パパ! こんな所にウシさんがいるよ!」

 勿論、洞窟にウシなどいるはずがありません。サウトゥオラ子爵は、娘を適当にあしらいながら石器探しを続けます。
 しかし、娘はしきりに父親を呼んでききません。

 「パパ! 本当よ! ウシさんがいるんだってば!」

 その娘の余りのしつこさに根負けした子爵は、やれやれと腰を上げて娘の側へ向かい、娘が「ここ! ここ!」と指さす方向へランプを掲げました。すると──

 そこには、確かにウシがいました洞窟の天井いっぱいに写実的なウシの絵が描かれていたのです。しかも色鮮やかなカラー彩色で。

 これこそが、史上最年少の“考古学者”によって見つけられた遺跡・アルタミラの洞窟壁画でありました。

 ……ところで、洞窟壁画の発見は、この例に限らず子供によるものが多いのが特徴です。好奇心旺盛な子供たちが、大人が入ろうとしなかった洞窟に紛れ込んで大発見をしてしまう…というわけです。
 実は、受験参考書などでアルタミラと並んで紹介される事の多いラスコーの洞窟壁画も、発見者は4人の少年たちでした。

 さて、5歳の子供によるアルタミラ洞窟壁画の大発見です。
 ……この出来事、これは確かに微笑ましい出来事ではありました。が、学会はあくまでもシビアに判断を下します。それを発見したのが誰であろうと、疑問を挟む余地が有るならば容赦なく指摘をぶつけて来ます。それは、このアルタミラ遺跡も例外ではありませんでした

 この遺跡に対して、学者たちが大きな疑問を抱いたのは、洞窟に描かれた壁画の完成度が余りにも高かった事でした。
 何しろ、この手の旧石器時代の絵画が見つかったのは、これが初めての事でありましたので、この洞窟壁画を判断する確固たる基準が存在しないのです。手探り状態の中で決め手になるのは、その時代なりの“常識”でありました。そう、ネアンデルタール人やジャワ原人を闇に葬り去ろうとした、あの“常識”であります。

 アルタミラの洞窟壁画について学会の下した結論は、「旧石器時代の人間に、こんな高度な絵など描けるはずが無い」…というものでした。単刀直入に言いますと、現代人がイタズラで描いたニセモノだというわけです。
 しかも遺跡の“共同発見者”であるサウトゥオラ子爵にとって都合の悪い事は(逆に学会にとっては都合の良い事は)、子爵の家にお抱えの画家が住み込んでいたことでした。しかもその画家は言語障害で口がきけない人間で、どんな秘密を抱えていようと決して他人に口を割る事は無かったのです。

 余りにも揃いすぎた不利な材料。サウトゥオラ子爵は、一転して窮地に追い込まれました──。

 ここで、この哀れな地方領主の名誉の為に弁解しておきますと、件の画家は完全な“シロ”でありました。
 何しろ、彼が言語障害に至ったのは、幼い頃に洞窟で生き埋め事故に遭って、大きな精神的ショックを負った為だったのです。そんな彼が洞窟に足繁く通って、精微な絵を描く事など出来るはずがありません

 ただし、彼はこの騒動が持ち上がってから、「自分が描いたと噂されている絵とはどんなものだろう?」…と思い、勇気を振り絞って問題の洞窟に足を運んでいます。そして壁画を見るや、その絵の素晴らしさに驚愕し、
 「これは上手い! 壁の凹凸を巧みに利用しているぞ。なんて素晴らしいんだ!」
 …と、無意識のまま絶叫し、弾みで言語障害が治ってしまったという、壁画の発見以上に信じ難いエピソードが残されています。 

 しかしそんな事など顧みられる事も無く、結局、サウトゥオラ子爵は、学会やマスコミから猛烈なバッシングを受ける事になってしまいました
 そんな子爵の名誉が回復されたのは20年余り後1900年代に入ってからアルタミラと同様の洞窟壁画遺跡が続々と発見されたのが決め手になりました。当時の研究者たちは、その時になってようやく20年前の己の無知を恥じたと言いますが、最早、詫びなくてはならない相手は、とうの昔に天に召された後でありました……。

 
 ……さて、世界史の陰に隠れた“悲劇”の数々、いかがだったでしょうか? 
 ちょっとスッキリしない話ばかりで恐縮ですが、普段何気なく参考書等で目にしている歴史用語に、実は色々な人の人生模様が内包されているんだという事を知って頂けると幸いです。

 それでは、次回からは再び本編に戻って歴史の講義を続けます。
 その次回は、メソポタミア文明の発祥について色々な話をしてみようと思います。(次回へ続く

 


 

9月22日(日) 社会経済学概論
「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(14)

 ※前回までのレジュメはこちら↓
  第1回第2回(ここまでは競馬の話)第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回

 前回は、アルバトロス史のみならず、日本映画業界史上に残る大コケをぶちかました『クィーンコング』についてお話しました。それはもう、笑いどころと呆れどころ満載の超絶バカ映画でありました。

 しかし、この映画で全く笑えない人もいました。そう、アルバトロスの関係者たちです。

 何しろアルバトロスは、ここ数年の興行成績の不振を打破するため、この『クィーンコング』に数億もの予算を注ぎ込んでいました。
 つまりは一発逆転のホームランを狙ったわけなのですが、しかし物理的にバットに当てられないようなクソボールではどうしようもありませんでした。『ドカベン』の岩鬼のような“悪球打ち”を誇るアルバトロスであっても、二塁への牽制球は打てっこありません

 …前にも述べたと思いますが、アルバトロスは社員総数7名の零細企業資本金は当然のように1000万円であります。そんな会社が数億の損失を出したわけですから、そのダメージの深さは甚大でした。
 恐らくこの時、アルバトロスの販売担当の方たちは、
 「ああ、これから損失をカバーするために、何本の『ザ・キャッチャー』や『深海からの物体X』みたいなビデオを売り歩かなければいけないんだろう……」
 …などといった陰鬱な気持ちに沈み込んでいたと思われます。この時期、アルバトロスの社内では『クィーンコング』「ク」「ィ」「ン」「コ」「グ」の字が禁句であった事は想像に難くありません。社内で誰かが
 「ちょっと銀行行って来ます」
 ……だなんて口を滑らせますと、社長さんが
 「何だ? 『クィーンコング』がどうしたァ!」
 と、叫び出し、たちまちオフィスで湯飲み茶碗がパリーンと割れる音がしたり、「社長ォ! お気を確かに〜!」などといった悲鳴が響き渡る事になったに違いありません。
 
 …ですがアルバトロスには、まだ1本の未だ公開されていない劇場用フィルムが残されていました。それは、たった1人でアルバトロスの社運を翻弄する男・買い付け担当の叶井俊太郎氏が、これまた多額の予算をかけて買い付けてきたフランス映画。このフィルムが、またしてもアルバトロスを大騒動に巻き込むことになります。ただし、今度は全く逆の意味においてでしたが──

 
 ここで話を『クィーンコング』の失敗前に遡らせます

 アルバトロスの映画買い付け担当・同社プロデューサーの叶井俊太郎氏は、来る日も来る日も新たなバカ映画・エロ映画・グロ映画・ナンセンス映画を発掘するために、エコノミー席で不味い機内食を喰らいながら、世界中の映画祭を飛び回っていました。特にその時期は、2001年下半期の興行に向けて、多額の予算を携えて大作映画を捜し求めていた頃とあって、叶井氏の意気込みはいつにも増して高かった事でしょう。その意気込みが『クィーンコング』に繋がってしまったのかと思うと頭が痛くなりますが、今はその事には触れません。
 …ある日、叶井氏は某所にて、とあるフランス映画の存在を知るところとなりました
 その映画とは、『エイリアン4』の監督を務めた鬼才・ジャン=ピエール=ジュネが、故国フランスに戻ってメガホンを取った新作映画。しかもキャリアの浅い若手女優を主役に抜擢した意欲作でありました。

 「おお、これは──」

 その映画についての簡単な資料を見るなり、叶井氏の脳ミソに内蔵された、阪神タイガースのスカウト担当の感性並に歪んだアンテナがビビビと反応しました。…といいますのも、この映画の監督であるジュネ氏の過去作品が、いかにも叶井氏好みのする映画ばかりだったのです。

 ジュネ氏の実質デビュー作となった作品は、1991年のフランス映画・『デリカテッセン』。近未来のパリを舞台にしたストーリーでした。
 賢明な受講生の皆さんなら、「近未来」「『デリカテッセン』(=高級惣菜)」「叶井氏好み」というキーワードを聞いただけで、おおよその内容は分かってしまうと思われますが、まさにそのご想像の通りと申し上げておきましょう。簡単なあらすじを紹介します。

 映画の舞台となった世界では、大戦争のために極度の食糧難になり、人々は食料を求めて日々バトルロワイヤルに挑んでいました。
 そんな状況下のパリへ、1人の男が職を求めてやって来ます。彼の名はルイソン。そして、彼が住み込みで就職したのは(ご期待通り)精肉店のアパートでした。
 彼はその店の主人の娘・ジュリーと恋に落ちますが、実はルイソンは店の従業員としてではなく、材料として“確保”されていたのでした。しかし、ルイソンを愛するジュリーは恋人の命を救うために彼を逃がし、肉食に反対する地下組織・『地底人』に助けを求めるのでした……

  …アルバトロス配給ならば『人肉集合住宅』とかいう題名で公開されていたはずのこの映画、辛くも他の配給会社に目をつけられていたために、無事、日本でもまともな評価をしてもらう事ができました。

 そして、この4年後に公開されたジュネ監督の第2作『ロスト・チルドレン』も、一風どころか四風も五風も変わった映画でした。
 お話のベースは、勇気ある1人の少女を主人公にした冒険モノなのですが、出て来るキャラクターが異色過ぎるのです。
 それは、出来損ないのクローン人間、脳髄人間、双子老婆の窃盗団、一つ目人間教団、殺人版ノミのサーカスetc──
 …この、不思議な世界観で繰り広げられる異色冒険ストーリーは映画を観た人の多くを魅了し、“知る人ぞ知る名作”としての地位を確立しました。ここで得た名声が、『エイリアン』シリーズの監督という、名誉ある仕事へと繋がっていくわけです。

 で、その『エイリアン4』においても、ジュネ氏の手腕が遺憾なく発揮されました。
 この映画が公開されるにあたっては、「1作目から20年も経ってるねんし、もう『エイリアン』は作らんでエエやんけ」…といった構造的な逆風が吹き荒れていたのですが、そんな中でも、ジュネ流の“美しきグロテスク”に魅せられた多くの人から“合格点”の評価を引き出したのでした。

 ──そんなジュネ監督の新作映画が、自らの手で日本公開できるかも知れない。

 それを知った叶井氏は、思わず生唾を飲み込んだ事でしょう。
 その上、叶井氏は主役が無名の若手女優という点にも目をつけていました彼は、手に持った資料に載っていた、大きな目が印象的なキュート系女優・オドレィ=トトゥの写真を見て、こう思ったのです。

 「おお、この女が、人を食ったり化物と絡んだりするのか! …なんてウチの会社に向いた映画なんだ !!」

 ──こうして、アルバトロスの社運を賭ける事になる映画フィルムは、“パッケージ買い”で叶井氏、そしてアルバトロスの手に渡ったのでした。

 しかしそれにしても、とんでもない社運の賭け方も有ったもんであります。もし将来、「週刊少年マガジン」で『叶井俊太郎物語』が描かれるならば、このシーンが如何に歪曲・捏造されるのか、今から楽しみでなりません。あ、作者は『魁! クロマティ高校』野中英次氏で是非

 …ところが、ホクホク顔で契約を済ませた叶井氏、実際に映画を試写してみると、ビックリ仰天。その映画、ジュネ氏の監督作品にも関わらず、人肉を食べる少女も、1つ目の怪物も、死骸の腹を食い破って襲いかかって来るエイリアンも出て来ないではないですか! 
 それどころか、主人公の女の子は偶然拾った宝箱を持ち主に届けたりして、人々を幸せにしたりしてしまいます。勿論、突然クワガタ入りのゲロを吐き出して悶絶したり、殺人キャッチャーと野球をやったりもしません。
 観る人を恐怖のどん底に突き落としたり、全国1万人の死体愛好者を喜ばせたりするために買った映画だったのに、何故だか知りませんが、観た人を幸せにしてしまうような気がしてなりません

 その危惧(?)は的中します。公開直前の完成試写会では、なんとスタンディング・オベイションまで起きてしまったのです! これまで、試写会の途中で気分悪くなってゲロを吐く客はいましたが、笑顔で拍手をした客なんていませんでした
 鳴り止まない拍手を聞きながら、ただ1人席を立たずに歓喜する観客たちを眺めつつ、叶井氏は思いました。

 「とんでもない映画買っちゃったよなぁ…。こんな映画、ウチのカラーと違う……」

 この、邦題を『アメリ』という映画、実は世界各地の映画祭でグランプリ受賞やオープニング&クロージング作品の名誉を受けた大人気映画で、2001年アカデミー賞の外国語映画賞部門フランス代表にまで選ばれていたのでした(翌年には改めてアカデミー賞の5部門にノミネート
 本国フランスでは国を挙げての大フィーバーとなり、大統領や首相まで映画館に足を運ぶと言う異例の事態にまで発展していたのです。
 …ですから、この映画は本来ならアルバトロスみたいな“人畜有害”配給会社ではなく、もっと大手の配給会社が買い付けるようなものでありました。しかし、監督があのジュネ氏であること、そして何よりアルバトロスの叶井氏が目の色を変えて買い付けに走ったという情報が入って来たのが大きかったようです。
 その結果、同業他社の買い付け担当者は、
 「うわ、叶井が欲しがるようなジュネの映画か! だったらきっと、主役の女の子がえげつない人殺しとかして、その肉を食っちゃうんだ!」
 ……と、誤解し、早々に手を引いてしまったのが真相でした。
 叶井氏が『アメリ』に関して行った事は、客観的に観て全て間違っていたのですが、それが巡り巡って最高の結果が勝手に飛び込んで来たわけです。本当に世の中、何が起こるか分かりません。

 結局、この『アメリ』は、単館上映系の映画館でロードショー公開されるや、話題が話題を呼んで映画館は連日大入り超満員。しかも主な客層は、これまでアルバトロス映画とは一番縁遠かったはずのF1(19〜29歳女性)です。
 人気がピークに達した頃になると、週末の上映館前では、映画館のスタッフが慌しそうに「『アメリ』のチケット、今日の分は完売しました〜!」とメガホンを持って走り回る姿が見受けられるようになりました。
 当初1館のみだった上映館数は、最終的には170以上にまで達しました。興行収入は15億円を突破し、全国の単館上映系映画館で興行収入の新記録を次々と塗り替えてしまうという、一軍に定着したての頃のイチローみたいな状態に。当然、追って発売されたDVDの売上げも莫大なものとなりました。

 この記録的な大成功で、アルバトロスは『クィーンコング』の赤字解消どころか、自社ビルまで建てようかという大儲け。まるで『こち亀』のオチ一歩手前みたいな状態です。
 当然、社員の待遇も変わります。これまでエコノミー席だった叶井氏の映画買い付け貧乏旅行は、一転してファーストクラス&スイートルーム大名旅行にグレードアップ。まさに、暗闇の中で靴を探すために万札でも燃やそうかという勢いの成金ぶりでありました。

 …しかし、そんな飛ぶ鳥を落として焼いて食ってしまいそうな勢いのアルバトロスや叶井氏にも、新たな悩みが発生していました。
 『アメリ』の成功で、これまで見向きもされなかった一般マスコミで大きく扱われるようになったのは良いのですが、『アメリ』以外に一般向けに話題が出来る映画が無いのです。

雑誌記者:「え〜と、叶井さんがこれまで買い付けた映画で、『これ!』というのはありますか?」
叶井氏:「『キラーコンドーム』かな」
雑誌記者:「え?」
叶井氏:「だから、『キラーコンドーム』。コンドームが牙を生やしてキ○タマとか食う映画です」
雑誌記者:「……今回の企画は『アメリ』一本で行きましょう!」

 ……アルバトロスに課された新たなるテーマ、それは『アメリ』と同じ路線でもう1回ヒット作を出す事でありました。
 しかし、バスケットボールでは英雄だったマイケル=ジョーダンも、野球では二流のマイナーリーガーが精一杯だったように、叶井氏がマトモでヒットしそうな映画を探してくるのは、『クィーンコング』を探してコケさせるよりも難しい至難の業だったのです。

 アルバトロスと叶井氏の苦悩が、また始まりました。次回へ続く

 


 

9月21日(土) 競馬学概論
「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”」(19)
1994年クリスタルC/1着馬:ヒシアマゾン

駒木:「さて、今週は時間も詰まってるのでショートバージョン。何頭もの一流馬同士が凌ぎを削った名勝負じゃなくて、1頭の馬の強さが際立っていたレースを1つ紹介しようと思うんだ。詳しく語る馬の数が減る分だけ、時間も節約できるというわけ(笑)」
珠美:「それでヒシアマゾンが勝ったクリスタルCというわけなんですね。確かに博士のおっしゃる通りのレースですよね」
駒木:「コアな競馬ファンの間では、未だに語り草になっているレースみたいだね。まぁメンバー全体のレヴェルはさておいて、見応えという面では確かに群を抜いていると思うよ。
 …まぁ詳しい話はこれからやっていくとして、とりあえず出走メンバーの紹介をよろしく」
珠美:「ハイ。それではさっそく出馬表をご覧いただきましょう」

第8回クリスタルC 中山・1200・芝

馬  名 騎 手
フジミケアンズ 的場
ミスターヘルプ 清山
インターイメージ 谷中
バンブーユージン 植野
ユーワマーブル 藤原
ヒシアマゾン 中館
フィールドボンバー 柴田善
タイキウルフ 岡部
ファイブナカヤマ 吉永
10 ガイドブック 田中勝
11 アイランドブルース 柴田政
12 トウショウルーイ 江田
13 ボディガード 松永幹
14 ミツルマサル 蛯名

駒木:「当時のクリスタルCは、G1に直結しないG3レースということでメンバーも地味になるケースが多かったんだけど、この年は比較的メンバーが揃っていた方なんじゃないかな。酷い年になると、後から見たらとても重賞レースとは思えないような時もあるし。
 …それじゃ、珠美ちゃんにレースと人気馬の紹介をしてもらおうかな」
珠美:「ハイ。最近はずっと言い忘れていたんですけど、このレースが行われた日も紹介しておきますね。1994年の4月16日です。……あら、当時は皐月賞ウィークの土曜日に施行されていたんですね。それじゃ、メンバーが揃わないのも仕方ありませんよね(苦笑)。
 ……さて、このクリスタルCは1987年に創設された、3歳限定の短距離G3レースです。今も昔も春の3歳短距離重賞戦線のトップを飾るレースということは変わり有りませんが、現在はニュージーランドトロフィーからNHKマイルCに繋がるG1戦線のステップレースとしての意味合いが強いようです。
 施行条件は、原則的に中山競馬場の1200m。ただし第2回の88年は、中山競馬場が改装中のために東京の1400mで争われました。施行時期に関しては、先に述べましたように、以前は皐月賞ウィークに行われていましたが、現在では4週間繰り上げられ、3月第2週に実施されています。これは、ニュージーランドトロフィーとのローテーションを意識してのものだと思われます。
 ……では、このレースの人気上位馬を紹介してゆきましょう。まずは1番人気にしてこのレースの主役となりますのがヒシアマゾン。ここまでG1・阪神3歳牝馬S(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)勝ちを含む、6戦3勝2着3回という好成績。前走のクイーンCで重賞2勝目を挙げての参戦です。このレースはあくまで通過点といったところでしょうか。
 2番人気はフィールドボンバー。前年の朝日杯3歳S(現:朝日杯フューチュリティS)をナリタブライアンの2着するなど、ここまで7戦3勝2着2回の成績。前走でクリスタルCと同一条件のオープン特別・菜の花Sを完勝しての参戦です。
 3番人気はトウショウルーイ。この年の1月にデビューしたばかりの馬で、ここまで3戦2勝。前走に中山1200mの500万下特別を0.7秒差で完勝したことが人気に繋がったようです。
 4番人気はタイキウルフ。前年の秋に福島でデビューして、新馬とオープン特別を連勝。しかし、その後の朝日杯と菜の花Sでは、人気を背負いつつも連続して2ケタ着順の大敗。そのためか、今回はやや人気を下げた形になりました。
 5番人気はボディーガード。前年夏の函館でデビュー(新馬戦1着)し、その後もデイリー杯3歳S(当時)で後の3冠馬・ナリタブライアンを破る殊勲を挙げる活躍を見せたのですが、極度の気性難を抱えていて成績が伸び悩んでいました。ここまでで8戦して2勝。負けたレースは全て4着以下というあたりに、この馬の個性が出ていたのかも知れません。
 ……私からは以上です、博士」

駒木:「昇り馬のトウショウルーイはともかくとして、他の4頭は、この時点では一流馬か準一流馬の成績なんだよねぇ。まぁ1年経ったら、ヒシアマゾン以外はみんな並の馬になっちゃうんだけど(苦笑)。
 ……そうだなぁ、この中で僕から付け加えるとすれば、タイキウルフかな。とにかく潰れるか逃げ切るかの、破滅的な逃げを打つ馬だった。でも、それでいてツインターボみたいな悲壮感は無かったんだよな。何て言うか馬鹿っぽい感じ(笑)。これはレース振りもあるんだけど、それ以上にパドックで毎回のように見せる馬っ気の印象が強いせいもあった(苦笑)」
珠美:「(苦笑)」
駒木:「あ、馬っ気ってのは、牡馬が発情してナニをデッカくしちゃう事ね。本当にデカいんだよなぁ、馬っ気の出たナニってのは(笑)。“馬並み”って言葉があるけど、馬のアレを見たらとてもじゃないけど敵わないって思うよなぁ(笑)。ねぇ? 珠美ちゃん」
珠美:「(顔を真っ赤にして)私に振らないで下さい!」
駒木:「おっと、失礼(笑)。…まぁ、素っ裸のメスが前にいて馬っ気出すってのは、同じ男として分からないでもないんだけど、コイツは牡馬に囲まれても馬っ気なんだよ(笑)。もう年がら年中、場所分別わきまえずに発情しっ放し。それでレースになったら性欲を発散するかのようにメチャクチャな逃げを打つもんだからさぁ。もうバカというかアホというか…(笑)。
 ……まぁそんなわけで、この時点では結構面白いメンバーのレースだったわけだね。で、そんなレースを独壇場にしちゃうんだから、やっぱりヒシアマゾンって凄い。そういうレースだね、これは。
 じゃあ、レース回顧に移ろうか。珠美ちゃん、いつものようによろしく」
珠美:「ハイ、分かりました。1200mのレースなので、回顧も随分とシンプルなものになりそうですけど(苦笑)。
 ……まずはスタートですが、10番のガイドブックが立ち遅れた他は揃っていました。その中からダッシュを利かせてバンブーユージンがハナに立とうとしますが、2番手で抑え切れないタイキウルフがスピードをグングン上げて先頭に立ちます。やっぱりこの馬が単騎逃げを打つ形になりましたね。
 その後ろは2馬身の圏内で7〜8頭が団子状態。ここにバンブーユージンとボディーガードがいました。ヒシアマゾンはそこからさらに2馬身後方で、中位からやや後方を追走。フィールドボンバーは更にその後ろで、やや折り合いを欠くバタバタした走り方になってしまっていました」
駒木:「追走振りにも、ナニゲにそれぞれの馬の個性が出てる感じがするね。中でも目立つのはやっぱり、騎手の制止を振り切ってハナに立っちゃったタイキウルフかな。岡部騎手に真っ向から歯向かうなんて、恐れ多い奴だよなぁ(笑)。
 この辺では、ヒシアマゾンがちょっと追走が辛そうにしているんだけど、これはやっぱり距離適性なんだろうね。前にも話した事あるけど、長距離馬が1200mとか走った場合、道中は追走に苦しむ替わりに直線の伸びが物凄くなる。それを考えると、この辺りも最後の見せ場の伏線になっているんだよね。改めて観てみると、やっぱり奥が深いなぁ」
珠美:「…3〜4コーナーで後方グループも前の馬群に接近して、さらに団子になった状態で、レースは早くも最後の直線の攻防へ向かいます
 直線入口から、タイキウルフがコーナーワークを利してリードを広げます。2番手以下との差は3馬身から4馬身。一見すると完全にセーフティリードを持って抜け出した格好ですね。一方のヒシアマゾンは、大外に持ち出して、そこから鋭い差し脚で追い込みを開始します。初め、6〜7馬身あったリードは、残り200mの時点で4馬身ほどに。そして順位もここで2番手まで浮上していました」
駒木:「先行グループは完璧にバテちゃってるよね。完全に追走一杯。だから余計にヒシアマゾンの追い込み脚が目立つんだよ。誇張でも何てもなくて、まるで巨大なチーターかなんかが馬に混じって走ってるような感じ
珠美:「残り200mを切った時点で、1着争いは完全にタイキウルフとヒシアマゾンに絞られました
 追い詰められた格好のタイキウルフですが、ここから粘りを見せ、ヒシアマゾンになかなか差を詰めさせません。残り100mの時点で、リードはまだ3馬身ほど残っていました
 しかし、ここからのヒシアマゾンが凄いんです。更に加速が掛かった感じで猛烈に追い込んで来ました。一完歩ごとに差を詰めて、残り30mくらいでやっと追いついたかと思ったら、ゴール前では逆に1馬身以上の差をつけてしまいました。あっという間の逆転劇ですね。
 …というわけで、1着ヒシアマゾン、2着タイキウルフ、そして3着は大きく離れてフィールドボンバーという結果になりました。フィールドボンバーもよく追い込んでいるんですが、ヒシアマゾンの前には形無しといったところでしょうか」
駒木:「最後の100mで、3馬身差を詰めて逆に1馬身以上の勝ち。6馬身でおよそ1秒差だから、約0.7秒ってとこか。距離にしたら6mくらいになるのかな。馬なら100mを6秒前後で走るんだけど、その6秒間でそれだけ違うんだから凄いよね。たとえタイキウルフがバテていて、ヒシアマゾンのスタミナがあり余っていたと考えても強烈だ。
 こういう抜け出した馬を追い込み馬が捕まえる形の大逆転劇っていうのは、古くはハイセイコーVSタケホープの菊花賞、新しくはステイゴールドの香港国際ヴァーズとかが挙げられるんだけど、このレースもG3レースとは言え、末席に名を連ねても良いんじゃないかと思うね。ファンを感動させるドラマは無いけれども、心地良い爽快感が感じられる名レースだね」
珠美:「それでは、最後にこのレースに出た馬のその後について、博士に話していただきましょう」
駒木:「まずヒシアマゾンだけれど、この馬はその後、90年代を代表する名牝にまで成長する。それも牝馬相手だけの名牝じゃなくて、歴戦の強豪牡馬に対しても一歩も引かなかったのは特筆に価するね。ナリタブライアンには完敗しちゃったけれど、古馬たちを翻弄した有馬記念(2着)は特に印象深いなぁ。
 …他の馬に関しては、あんまり良い話が出来ないのが残念なんだよね。
 まず2着のタイキウルフは、これからしばらくして屈腱炎を発症してしまい、早くしてターフを去る。最後は荒尾競馬にまで行って復帰を目指したんだけど、気持ちが途切れちゃったのか、酷い成績しか残せなかった。
 3着のフィールドボンバーは、その後ノド鳴りっていう気管の病気を患ってしまい、成績が安定しなくなる。ノド鳴りって病気は、特に乾燥した気候の時、馬の呼吸が不安定になって走りに影響するっていう厄介な疾病でね。雨の日にしか好走できなくなるから、もうそれだけで一流馬としての前途は断たれてしまったようなもんだった。
 第一、この後、重賞勝ったのはヒシアマゾン以外にはボディーガードしかいないからなぁ。そのボディーガードにしたって、極度の気性難で10回に1度くらいしかマトモに走れないんだから。
 …まぁそういうわけで、このレースはヒシアマゾンのために存在したレースと言っていいんじゃないかな。たとえそれが少し残酷な意味を含んでいるとしても…ね」
珠美:「……ハイ、ありがとうございました。えーと、来週の競馬学講義はG1予想ですよね?」
駒木:「そうだね。いよいよ秋シーズン到来。気を引き締めて頑張らないとね」
珠美:「ハイ。私も頑張りたいと思います。では、また来週よろしくお願いしますね♪」

 


 

9月20日(金) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(5)
インターミッション1
偉大なる発見者たちの苦悩(前編)

 ※過去の講義のレジュメはこちら→第1回第2回第3回第4回(以上第1章)

 
 ……さて、前回まで4回にわたって、先史時代の人類の歴史について述べて来ました。

 この“先史時代”とは、文字による史料が存在しない時代のこと。即ち、この時代に関する史料は、遺物や化石といった考古学的な物に頼らざるを得ません。駒木が数百万年〜数万年前の人類の歴史について色々な事を述べることが出来るのも、多くの考古学者さんたちが遺物や化石を掘り出してくれたお陰なのです。

 そういうこともありまして、先史時代の歴史を特定できるような考古学的発見をした人は、その事によって歴史にその名を遺すことになります。歴史学上の功労者、というわけです。
 が、今現在“功労者”として名を残す人たちの中には、過去において様々な理由で、長い間不遇をかこって来た人も多く見受けられます。酷いケースになると、死後しばらく経ってからようやく名誉が回復された、まるでジャンヌ=ダルクのような人までいる始末であります。
 どうしてそんな事になってしてしまうのかと言いますと、それはその人が発掘した歴史的発見が余りにも凄過ぎたためであります。人間、自分の理解を超えた出来事に出会った場合は、それを否定する事で処理してしまうもの。その発見が成された当時の常識を根底から覆す歴史的大発見が成された場合、その発見に対しては正当な評価が成されることは滅多にありません。それどころか、その発見はデタラメなものとして葬り去られてしまうのです。
 そしてまた、葬り去られるのはその大発見をした人も同じであります。挙げた成果が“デタラメ”になってしまう以上、その大発見者は“世の人を惑わすインチキ野郎”という事になってしまうのであります。そんな哀れな偉人の名誉が回復されるのは、然るべき時間が経ち、“常識”がその大発見に追い付いて来るのを待たなければならないのであります。

 ──今日の“インターミッション”では、そんな“凄すぎる大発見”をしてしまった、哀れな偉人たちとそのエピソードをいくつか紹介してみたいと思います。いつもとは趣向の異なる「学校で教えたい世界史」を、どうぞお楽しみ下さい。

 

 さてさて、先史時代に関わる考古学上の発見といえば、やはり人骨や人骨化石がメインという事になりましょう。
 人類はどこから現れ、どのような道筋を通って、今の我々に辿り着いたのか──? …この疑問は、歴史学・考古学にとってまさに“見果てぬ夢”。永遠の研究テーマなのであります。
 21世紀の今日、私たちは、この講義の第1回と第2回でお話しましたように、霊長類の誕生から現生人類の誕生までの大まかな進化のルートを知るまでに至りました。しかしそれでも現時点では、どの種の猿人が我々の直接の祖先であるのか…ということすら、分かってはいません。推理モノの小説に喩えてみるならば、殺人事件の犯人が大阪から東京まで行った事は分かっているが、どの乗り物で、どういうルートを通って行ったのかが全く掴めていない段階…といったところでしょうか。
 とはいえ、今から200年前の時点では、そんな大まかなルートどころか、人類誕生の手がかりすら全く見えない状態でありました。そこから我々は、考古学上の発見から大きなヒントを得、それを基に現在の“大まかなルートは分かっている”状態にまで漕ぎ着けたというわけです。そこまでに要した期間を考えると、それはそれで大したものだと言えるのではないでしょうか。
 が、先に述べましたように、そんな“大躍進”の原動力となった考古学上の発見、またはその発見をした功労者には、必ずしも正当な評価が下されて来たとは限りませんでした。新発見があると、とりあえず新聞記事になって賞賛されるようになったのは、ごく最近になってからの話なのです。

 それでは、話を始めましょう。まずお話するのは、先駆者ゆえに悲劇の主役となることを強いられた、1人の男の話であります。

 先史時代の人骨化石が初めて発掘されたのは、1856年のこと。世界史的にはナポレオン戦争の傷痕が癒え、ヨーロッパ世界の再構成が進んでいるあたり。我が日本では歴史的な開国からまだ2年、ハリスが日本に着任した年ということになります。
 そんな世界的に“激動期”という言葉を当てはめるに相応しいその年に、ドイツのデュッセルドルフからやや離れた渓谷から、少なくとも1万年以上は以前のものと推測される原始人類の人骨が発掘されました。その原始人類──後に、化石が掘り出された渓谷の名を取ってネアンデルタール人と名付けられる事になる──の骨は、地元の高校教師・フールロットの元に届けられ、翌1857年、彼の手によって「現生人類とは異なるタイプの、原始人類の骨」ということで学会に発表されます

 しかし率直に言って、この発見は早すぎました
 と、いいますのも、当時のヨーロッパではまだ、1万年以上も昔に人類が、しかも自分たちと異なるタイプの人類が存在したという説が受け入れられるだけの土壌は、まだ出来上がっていなかったのです。

 これは、他の何よりもキリスト教の影響が大きいと思われます。キリスト教の教典である2冊の聖書では、地球と人類の誕生とその歴史についても詳しく言及しています。キリスト教の信者ではない方でも、アダムとイヴの話や、ノアの方舟のエピソードを耳にした事があると思いますが、まさにそれであります。
 当時のヨーロッパでは、一部の例外を除き、ほぼ全ての人がキリスト教の信者でした。ということは、ヨーロッパ社会の大多数の人々は、聖書による人類の誕生とその歴史を何ら疑う事無く信じている…という事になります。それは学者だろうと誰だろうと関係はありません。学問と信仰はこういう時でも無関係なのであります。
 キリスト教の教えに従うと、人類は今の姿のままで神によって創造されたもの。ですから、当時のキリスト教徒にとっては、何万年も前に今の人類と違う種の人類がいた、なんてことは“あってはならない”事柄なのです。

 それでもしも、聖書やカトリック教会の決定事項に反する説を唱える“不届き者”が現れた場合、その人物は異端の人間として迫害されても文句は言えない状況でした。
 まぁ19世紀の近代社会ともなると、ガリレオ=ガリレイのように“地動説を唱えるだけで異端審問の末、火刑”…なんて事にはなりませんが、キリスト教に反した主張をする事がヤバいのは変わりありません。事実、この時代の人であるダーウィンも、自身の進化論を大っぴらに発表する事なく、著書もコッソリと本屋の片隅に並べているような感じでした。彼と彼の説が世の中に大きく広まったのは、彼の力よりも彼の説を支持した人たちの功績の方が、実は大きかったりするのです。

 そして科学万能の時代である現代でも、今もってキリスト教の教義を忠実に守ろうとする方もいらっしゃいます
 これは駒木が教育実習の際に、恩師T先生からお聴きした話なのですが、とあるミッション系の高校で、人類の進化について授業をした世界史の先生が、その日の放課後シスターに呼び出されたそうです。そして、そのシスターはおっしゃられました。
 「先生が何を教えられようが、私たちは関知いたしませんが、この世界は神様がお創り給うたものでございますので、それだけはお忘れなきよう」
 ……いや、皆さん笑ってはいけません。少なくとも駒木は笑えないのです。というのも、実は、駒木自身も似たような経験があるのであります。
 それは奇しくも件の教育実習。他の先生たちに授業を見ていただく研究授業の時に、駒木が「キリスト教やイスラム教もそうだが、大抵の宗教は死んでからの御利益を求めるものなので、熱心な信者は進んで殉教できるんだ」……なんて事を喋りましたところ、現世利益の思想が教義に組み込まれている仏教の某宗派を信仰されている先生から、後でお叱りを受けてしまったのであります。いかに宗教がデリケートなものか、身をもって体験させられたエピソードでありました。

 ……さて、話を戻しましょう。
 そんな状況下で、人骨の実物と共に学会に提示された、フールロットの「数万年前には我々と異なる種の人類が存在した」とする新説は、当時の大物学者たちから、猛烈な勢いで否定されます。

 とある学者の曰く、「これは確かにサルに似た動物の古い骨ではあるが、人類とは断定できない」
 別の学者の曰く、「これはナポレオン戦争の時に戦死した、ロシア軍コサック兵の遺骨だろう」
 また別の学者曰く、「新大陸かどこかから連れて来られた未開民族の人骨だ」
 そして歴史学会に引っ張り出されて来た、病理学の権威・ウィルヒョウがトドメを刺します。彼曰く、「これはクル病にかかって骨が変形した老人の遺骨である」

 ……学者の中には革新的な発想の出来る人もいましたが、それはごく少数派。ましてや唯一の物証である人骨が却下されてしまったとなっては、この新説が認められる余地は全く無くなってしまいました。フールロットは、門前払いの形で学会から放り出されてしまったのでした。
 その後、彼の説が再評価され、学会によって認められるのは1901年まで待たなくてはなりません。それは、フールロットが学会で敗れて44年後、そして彼がこの世を去ってから24年後の事でありました。

 ──ちなみに、ネアンデルタール人のケースとは対照的に、比較的スンナリと学会にその存在が認められたのは、かの有名なクロマニョン人でありました。その現生人類の祖先にあたる人間の骨が発見されたのは1868年。ナポレオン3世治下のフランスにおいて、鉄道工事の最中発見されました。
 見つかったのは、現生人類の特徴を持った5体の遺骨。骨はフールロットの時と同じように、現地の地質学者の元に届けられ、彼の手によって学会で発表されます。
 初めはこの時もまた、当然のように学会の猛反発を浴びたのですが、この時は折り良く、ヨーロッパ各地の旧石器時代遺跡から同様の人骨が多数見つかったために、“逆転勝訴”を勝ち取る事ができたのでした。ネアンデルタール人と違い、発掘される人骨の数が圧倒的に多い現生人類だったが故の勝利と言えましょう。しかし、それにしてもフールロットは悲運でありました。

 さて、次のエピソードに移ります。
 今度の話は、ジャワ原人発見にまつわるストーリー。その主人公となるのは、オランダの解剖学者・ウジェーヌ=デュボアであります。
 未だネアンデルタール人の存在が学会で否定されていた1887年まだ29歳であった彼は、大学講師の職を辞してまでして現在のインドネシアに乗り込み、原始人類の人骨化石発掘に挑んだのでありました。
 デュボアの行動は、客観的に見れば、ただの若さに任せた蛮行であります。しかし歴史というものは、往々にしてそんな無鉄砲な人間たちによって築かれて来たものでもあるのです。

 ところで、彼をそこまでインドネシアでの発掘に駆り立てたのは、ダーウィンの進化論信奉者として既に有名であったドイツの生物学者・ヘッケルによる1つの仮説でありました。その。当時にしては余りにも独創的過ぎる仮説は以下のようなものでした。

 「地球上に現れた原始生物が人間に進化するまでの過程は、24の段階に分けて考える事が出来る。
 その24段階の内、22番目がゴリラなどの類人猿で、24番目が人類である。両者の中間に当たる23番目には、サルとヒトとの中間的生物である“ピテカントロプス(直訳すれば『直立猿人』。しかし、20世紀に猿人の存在が認められてからは『原人』とされる)が該当する
 “ピテカントロプス”は(デュボアがジャワに渡る以前の時点で)発見されていないが、その化石は東南アジアのスンダ列島(スマトラ島、ジャワ島、バリ島、ロンボク島)のいずれかの島において発見されるはずである」

 当時の学者たちのほどんどは、この仮説を「全く根拠のないもの」として一笑に付します。
 事実、この仮説は間違いだらけでありました。ただ1箇所、『ピテカントロプスの化石がスンダ列島から発見される』という所を除いては──。

 デュボアによる発掘作業は、全く手がかりの無い中、スマトラ島を出発点に、あちこちと場所を変えながら5年にも及びました。そしてようやくジャワ島のトリニールという場所で、人類の物と推測できる大腿骨と歯の化石の発掘に成功したのでした。
 しかし5年かかったとは言え、スンダ列島の中からジャワ島を発掘場所に選び、さらに形の整った人骨化石を発掘するなど、奇跡以外の何物でもありません。それを証拠に、その後100年余りの間に、デュボアと同様にジャワ島に乗り込んで人骨化石発掘に挑んだ学者の中で、その思いを遂げる事が出来たのは僅か数人に過ぎないのです。何というか、運命めいた何かを感じさせるエピソードでありますね。

 …と、そんな少年マンガの主人公が起こすような奇跡に恵まれたデュボアでありましたが、ネアンデルタール人すら葬り去ろうとした歴史学会は、相変わらず冷淡でした。
 1895年、満を持して学会でピテカントロプスの存在を発表したデュボアに、またも痛烈な非難が浴びせ掛けられます。この時の反・デュボア派の大将格は、かのフールロットにトドメの一撃を喰らわせた、あの病理学者のウィルヒョウでありました。
 結局、デュボアはこのゴタゴタで業界全体に失望したのか、その後は第一線から身を引いてしまいます。彼の説が公に認められたのはそれから約30年も後の事。フールロットとは異なり、自説の勝利を目の当たりにすることは許されましたが、単身ジャワ島に乗り込んでいった血気盛んな29歳の青年は、もう還暦を過ぎた老人になってしまっていました。この時、彼の胸に去来したのは喜びだったのか、悔しさだったのか。今となっては、その真実を知る由もありません。


 この後20世紀に入ると、考古学会は猿人発掘の時代に入り、現在に至ります。
 猿人の人骨化石発掘に際しては、その第一発見者であり、アウストラロピテクスの名付け親でもあるレイモンド=ダート最大の“被害者”ということになりましょうか。
 ダートが猿人の化石を発見し、それを公の場で発表して以来、彼の元には狂信的なキリスト教の信者から脅迫状が殺到したそうです。彼らにとって“ヒトとサルのあいの子”など、存在してはならないものだったのです。
 その脅迫状には、「お前は今、地獄の業火に焼かれようとしている」という物や、さらには「お前に授かる子供はサルみたいな醜い生き物に違いない」…などというもの。赤ん坊なんて、生まれた時はどれもサルみたいじゃないか…とは思うのですが、脅迫状を出す方も必死だったのでしょう。
 ただ、ダートには有能な理解者が多く、程なくして次々と猿人の化石を発掘して、自力で反対派の抵抗を封じ込める事に成功します。運命のいたずらに思うところはありますが、ここは三度悲劇が繰り返されなかった事を素直に喜ぶべきなのでしょう。


 ──さて、こうして人骨やその化石の発掘にまつわる悲劇をについてお話して来ましたが、世界史における考古学上の悲劇は、人類の進化に関するものだけではありません。
 しかし、それを語るには今回の話が長くなりすぎました。とりあえず今回はここで中断し、続きは次回の後編に譲りたいと思います。次回はそれほど長くない範囲で収まると思いますので、どうぞよろしく。(次回へ続く) 

 


 

9月19日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(9月第3週分)

 今週もレビュー対象作は少ないんですが、この後すぐにお話しますように、もうすぐ「ジャンプ」「サンデー」両誌で相次いで新連載が始まりそうなムードになって来ました。
 「また凄いボリュームのゼミをやらなくちゃいけないのか」……などといった愚痴も出てしまいそうになるのですが、良作・佳作からパワーを貰って頑張ってゆきたいと思います。

 では、今週も情報系の話題から。興味がある一方で、あまり聞きたくない打ち切りの話題を2つばかり

 まずは100%確定した情報から。
 「週刊少年サンデー」連載中の『365歩のユウキ!』作画:西条真二)が、来週発売の43号を持って打ち切り終了となります。西条さん本人がネットのBBSで「打ち切り」と明言していますので、これは間違いありません
 その西条さんの発言が「最後通牒・半分版」さんで全文引用されていましたので、失礼ながらそれを拝借させて頂きますと……

ありがとうございました。 / 西条真二

残念ながら「365歩のユウキ!!!」は連載終了となりました。
愛読者の皆様にはご迷惑をおかけして申し訳なくおもっております。
西条としては描きたいことは山ほど残っているわけですが、力量不足による人気低迷はいかんともしがたく、このような結果になってしまい残念でなりません。

次回作は打ち切り等にならないようにがんばるぞーー

※やっぱ努力成長ものの主人公ではなく、天才努力ものの主人公でやりたい・・・何もない主人公で第一回から人気を取るのは、至難の業です。

 ──う〜ん……。辛い気持ちはお察しするのですが、ちょっとそんな発言はプロとしてどうよ !? …と思ってしまったり。
 この作品が、仮に編集部や将棋業界側が主導しての企画だったとしても、一度ゴーサインを出したからには泣き言を言ってはいけないでしょう。仮にもキャリアを積み重ねてヒット作も出されたプロ作家さんなんですから……。それに、「何もない主人公で第一回から人気を取るのは、至難の業です」…と言うのなら、『ヒカルの碁』はどうなるんだって話になりますしね。
 駒木の個人的な見解を述べさせてもらいますと、この作品の失敗の原因は、何よりも西条さん自身の将棋に対する理解と、それをしようとする意欲の欠如から来たものだと思います。連載が始まった時点で、将棋マンガというジャンルは既にかなり手垢にまみれていたわけですから、ハッタリだけでは読者の目を誤魔化しきれない事くらいは分かってないといけないですし……。
 まぁ、ネガティブな意見はこれくらいにしておきましょう。今度はどの雑誌で作品を発表されるのか分かりませんが、次回作での巻き返しに期待したいと思います。

 そしてもう1つの話題は「少年ジャンプ」の打ち切り&新連載の情報なんですが、こちらは“駒木が確認していないが、恐らく確定情報”という事になりますので、あらかじめご承知おき下さい。(早売りをお買い求めの受講生さんがいらっしゃれば、メールで真偽の程をご連絡を。ネタバレになりますので、BBSでの発言はご遠慮下さい(新連載に関しては「週刊少年ジャンプ」の早売り版キャプチャ画像を確認しました)
 今回の“打ち切りレース”では、もう既に『世紀末リーダー伝たけし!』が、作者逮捕に伴う強制打ち切り終了という極めて異例の展開になっているのですが、どうやらもう1作品終了し、2作品の新連載が開始されるという事になりそうです。
 で、終了するのは4年以上の長期に渡って連載されてきた『ホイッスル!』作画:樋口大輔とのこと樋口さん本人がウェブサイトで連載終了をほのめかす発言をしたとの情報も入ってきております。CSとはいえアニメが放映中なのに打ち切りとは珍しいケースなのですが、長期に渡る人気低迷は如何ともし難かった模様です。
 この作品、個人的には割と好きな作品だったので残念なのですが、4年もかけて完結までの道筋が見えないというのは、やっぱり辛かったのかな…という気がします。
 そして、打ち切り2作品に代わって始まる新連載は、道元宗紀さんのプロレス物マンガと、鈴木央さんの格闘物マンガとのこと。『遊☆戯☆王』も同時期に連載が再開される模様です。
 新連載作家さんの経歴を簡単に紹介しますと、道元さん次原隆二さんのアシスタント出身。94年と99年に本誌で連載をしていましたが、それぞれ9回、17回の打ち切りとなっています。3年ぶり3回目となる今回の連載が、恐らく“最後のチャンス”になるのでしょう。
 一方の鈴木さんは、この春に『ライジングインパクト』の連載を終えたばかり。連載終了後に増刊や単行本の書き足しがあった事を考えると、随分短期間での復帰と言えそうです。
 しかし、新連載立ち上げる前に編集部内で意見折衝くらいしておけよ…と言いたくなるようなジャンルの被り方ですが、大丈夫なんでしょうか(苦笑)。
 まぁ、能書きは連載が始まってから…という事にさせてもらいますね。

 ……では、今週もレビューの方へ。
 今週は、「週刊少年ジャンプ」から読み切り1本「週刊少年サンデー」から新連載1本の、計2本のレビューをお送りします。勿論、「チェックポイント」もあります。 
 レビュー中の7段階評価の表はこちらをどうぞ。

☆「週刊少年ジャンプ」2002年42号☆

 ◎読み切り『だんでらいおん』作画:空知英秋

 2002年6月期の「天下一漫画賞」佳作受賞作・『だんでらいおん』が、増刊を飛び越していきなり本誌に掲載となりました。
 作者の空知さんは今年23歳。少年マンガ作家のデビューとしては、ちょうど良い位の年齢でしょうか。

 では、作品の中身に話題を移しましょう。

 まずですが、新人さんにありがちな無駄な線の多さがまだ見受けられますが、これはキャリアを積めば解消するでしょう。全般的に観れば、可愛い系の少女からイカついオッサン、更には爺さん婆さんまで色々なタイプの顔が描き分けられるなど、既に高いレヴェルにまで到達していると言えます。
 ただ欲を言えば、もう少しデフォルメ表現が出来るようになれば良いのにな…と思いました。やはりそれが出来ると出来ないとでは、活動の幅が大きく違ってくると思いますので。

 そしてストーリー面
 初めに結論だけ言っておきますと、これはとても素晴らしい作品です。今年の「週刊少年ジャンプ」系新人読み切りの中では1、2を争うハイレヴェルの作品と断言して良いでしょう。
 まず、テンポのメリハリが効いているのが良いですね。まったりしたシーンは、まったりと描かれていますし、カーチェイスではキッチリとスピード感が表現されています。コメディ的なギャグを挿入するタイミングや間も、本職のギャグ作家顔負けでしょう。
 そして何よりも、設定の構築とその説明の仕方が新人離れしている位に上手いです。説明的なモノローグは最低限にまとめ、後はストーリーを進めていく中でキャラクターの個性を読者に理解させていくという試みが見事にハマっています。それに、31ページの作品で主要キャラが4人というバランス感覚も見事。これはもう、生まれもってのセンスなんでしょう。
 「天下一漫画賞」の時の審査員・森田まさのりさんが絶賛したと言われるセリフ回しも、1つ1つのセリフが長すぎるという嫌いはあるものの、キッチリと人情噺に仕上がるように持っていけてる辺りに、確かに才能が感じられますね。
 敢えて改善すべき点を挙げるなら、ページ全体の構成力でしょうか。今回の作品では、いかにも最後の方でページが足りないような感じになってしまいました。(もっとも、最後にコマを小さくして調整するのは、手塚先生が『ブラックジャック』でよく使っていた“手”ではあるんですけどね)

 まだこの作品だけで過大な評価を下してしまうのは危険かもしれませんが、このまま大成すれば、冨樫義博さんのような、本格的なストーリーテラー型作家さんとしての大活躍が望めそうです。これから修正すべき点を修正して、連載を掴み取ってもらいたいものです。
 評価は、少し改善の余地があるという事を差し引いてもA寄りA−を進呈しても良いと思います。本当に次回作が楽しみです。

◆「ジャンプ」今週のチェックポイント◆

 ◎『ヒカルの碁』作:ほったゆみ/画:小畑健《再開後第3回掲載時の評価:A

 黒の初手が5の五で、白の初手が天元。
 良いですねぇ。敢えて有利ではない手を打ち、その上で相手をねじ伏せて勝とうとするという、エンターテインメント的で魅せるプロの碁を見事に表現してます。しかもたった2手で。…でも、実際にこういうプロの棋譜があるもんなんですね。(『ヒカ碁』の棋譜は、実在の棋譜から引用してるのです)
 原作のほったさん、こうやって、時々通好みのストーリーを提供する辺りが実に心憎いです。それでいて、初心者を無視しているわけでもありませんしね。

 ◎『BLACK CAT』作画:矢吹健太朗《開講前に連載開始のため、評価未了》

 えーと、今度は『あずまんが大王』『風の谷のナウシカ』ですか……(汗)。
 うーん、あれだけパクリ、パクリ言われてて、どうしてこんな軽率な表現が出来るんでしょうか、矢吹さん……。 
 駒木は、他の作品から強く影響を受けた作品でも割と拒否反応無く受け入れられるタイプなんですが、それでもここまで露骨に、先人に敬意も表さず、しかも使い捨てで他作品の設定やシーンを流用し続ける態度というのは、さすがに閉口してしまいます。
 これで作品そのもののクオリティが良ければ、まだ我慢するんですが、そういうわけでもありませんしねぇ。
 

☆「週刊少年サンデー」2002年42号☆ 

 ◎新連載『美鳥の日々』作画:井上和郎

 「サンデー」は、今週から井上和郎さん『美鳥の日々』が新連載となりました。
 井上さんは、新人コミック大賞で入選し、その後、藤田和日郎さんのチーフ・アシスタントを経てデビュー。既に月刊増刊で連載を経験している実力派の若手作家さんです。「サンデー」本誌でも、02年17号に読み切り・『葵DESTRUCTION!』を発表して、人気を博しています。(この作品のレビュー・評価については、3月27日付レジュメを参照)

 さて、ではこの作品の評価に話を移します。まず見事なまでに洗練されていて、既に第一線の作家さんと比べても上位にランクされるようなレヴェルに達しています。絵柄そのものも、いかにも「サンデー」向けといった感じで、全く違和感がありません。

 そしてストーリー面の評価ですが、これはストーリーそのものよりも基本的な設定についてお話した方が良いかもしれませんね。
 井上さんの前作・『葵──』でも、“見た目女の子(っぽい少年)、でも実は父親”という奇抜な設定がそのまま作品の魅力となったのですが、今回もまた、読者の意表をつくような設定が作品そのものを光らせています。
 その設定とは、主人公の右手が突然女の子(しかも主人公を片思いしている)の上半身に変わってしまう…というもの。ハッキリ言ってメチャクチャな設定なのですが、「こうなっちゃったんだから仕方ない」と強引に押し通してしまえば、「まぁマンガだから仕方ない」となってしまうものなんですよね。下手に自己満足的な理由付けをしてしまうよりも余程説得力があります。
 小説・マンガ・映像問わず、お話というものは、1つ奇抜な設定が決まってしまえば、後はその設定の範囲内で普通に話を進めていくだけで充分面白い作品になってしまいます。ですので、もうこの作品は、「右手が女の子」という設定がハマった時点でもう勝ちなのです。

 ちなみにこの設定、既に多くの人から「まるで『寄生獣』のミギーだ」という指摘がありますが、もっと詳しく表現すると、
 「『寄生獣』『南くんの恋人』を足して2で割って、『プリティフェイス』味のソースをぶっかけて、それを『週刊少年サンデー』風に仕上げた作品」
 ……と言った方が的確ではないかと思います。
 ただ、既成の作品と類似点はあるものの、仕上がったものは、そのどれとも違うものになっていますので、これはこれで立派なオリジナルと言っていいのではないかと思います。だって、『寄生獣』を「少年サンデー」風にしようなんて、誰が思います?(苦笑)。
 ただ、井上さんが『寄生獣』などからヒントを得てこの設定を作ったのかは、やや疑問です。ひょっとしたら、作品中にも出て来るフレーズ“右手が恋人”から発想していったら、自然と既成の作品に似てしまった…というのが真実に近いのかもしれません。

 …と、ここまで褒めっ放しですが、問題点が無いわけでは有りません
 それぞれの見せ場で作者側から読者に与えようとする効果(笑わせる、感動させるなど)が、まだ井上さんが意図する程には読者に伝わっていないような気がするのです。簡単に言うと、ちょっとチグハグ感が否めないんですね。
 この面が完成されてくれば、もう超一流レヴェルです。逆に言えば、まだ不完全なこの時点でも一流のレヴェルに達していると言うことです。

 現時点の暫定評価はA−。ただし、後追いレビューでは更に評価が上昇する可能性が残されています。
 
 

◆「サンデー」今週のチェックポイント◆

 ◎『焼きたて!! ジャぱん』作画:橋口たかし《第3回掲載時の評価:保留

 連載開始から半年以上過ぎて、ようやくこの作品のノリについていけるようになりました(苦笑)。
 徐々にオリジナリティも出てきましたし、アニメ版『ミスター味っ子』をオマージュしたコメディ作品という事で良いんじゃないかと思います。ただ、まだパン作りのウンチクに頼りすぎてストーリーに深みがない感じがするのですが、まぁノリ重視の確信犯と受け取る事も出来ますし、許容範囲じゃないでしょうか。
 しかし今回なんですが、いくら美味いパンが作れるからといって、食べた人を死なせちゃうような職人はどうなんでしょうか(笑)。いや、ギャグだと分かってますけどね。

 ◎『からくりサーカス』作画:藤田和日郎《開講前に連載開始のため、評価未了》

 師匠も弟子に負けずに奮起! …といったところでしょうか。
 藤田さんの紡ぎ出すストーリーいうのは、ちゃんと「作品を完結に向かわせるためのストーリー」になっているんですよね。
 「そんなの当たり前だろ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今の(特に少年誌で活躍している)マンガ家さんの大半は、「話を引き伸ばすためのストーリー」しか作れないのが現状なんですよ。「ジャンプ」編集部の引き伸ばし戦術は有名ですが、作家さんの中にも、ヒット作を連載し続ける事のメリットに溺れてしまう人がいたりしますからね。
 なので、こういう正統派のストーリーテラーの作品を読むと、とても安心させられるのです。

 ◎『モンキーターン』作画:河合克敏《開講前に連載開始のため、評価未了》 

 ちょっと嫉妬に燃え過ぎじゃないか、洞口Jr.? …と思ったんですが、冷静に考えてみたら極めて現実に近い姿かも…と思い直したり。駒木もあんな気持ちになった経験有りますよ。中学時代の運動会なんで、全然スケールは違うんですが(笑)。
 ただ、余りにもリアル過ぎるのも考え物かも知れません。もうちょっと爽やかな動機付けの対決が見たいなぁ……。

 

 ……というところで、今週のゼミを終わります。
 今回のゼミは、睡眠不足で頭がテンパってたせいか、好き放題言い過ぎたかもしれません(苦笑)軽率な発言をした事をお詫びしておきます。
 では、また来週。

 


 

9月18日(水) 社会経済学概論
「映画業界の異端児・アルバトロス風雲録」(13)

 シリーズ13回目であります。今日は時間もありませんので(資料整理に手間取り、この時点で午前3時30分。明日も昼からですが高校の仕事有)、早々に本題に移りたいと思います。

 ※前回までのレジュメはこちら↓
  第1回第2回(ここまでは競馬の話)第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回

 さて今日は、既にアルバトロス映画通となってしまわれた受講生の皆さんには、もう題名を聞いただけで興行成績が想像出来てしまうという、イギリス生まれの『キングコング』パロディ映画・『クイーンコング』についてお話をしたいと思います。

 アルバトロスが2001年の、そして劇場公開作品の不入り続きで赤字が累積しつつあった会社全体の命運を賭けた作品・『クイーンコング』ですが、この映画が撮影されたのはなんと1976年の事でありました。25年もの間、ずっとお蔵入りになっていたのです。
 …まぁ、『キングコング』のパロディを21世紀に入って撮影するなんて話は、高橋“ハングリーハート”陽一氏みたいにデフォルトで脳内タイムトリップする人でもない限りは有り得ないでしょうが。

 …で、お蔵入りの原因はというと、アルバトロス側の主張「実は、その映画は本家より断然面白かったからだ!(ビデオパッケージのキャッチコピーより)とあるんですが、そんなもんはアレやコレやの事件に対する北朝鮮側の弁明みたいなものでして、全く信用がなりません。
 何しろ、この映画最大の売り文句が、

「超豪華! 声の出演者、夢の共演!」

 ……映画の中身に関わる全ての要素を脇に追いやって、吹き替えの声優さんが一番のセールスポイント。それを証拠に、この映画は吹き替えオンリーであり、字幕スーパー版の上映はありません。「エリザベス=テーラーは日本語が上手だなぁ」…などと言うオッサンも多かった、終戦直後の映画界に回帰したかのような有様であります。
 何と言いますか、もうこの時点で既に、夜明け前の新宿歌舞伎町か渋谷センター街のような酸っぱい臭いが充満して来るではありませんか。

 あ、いや、確かに主役を務める声優さんは豪華なのですよ。

 まず主役には、アニメではカーロス=リベラ(『あしたのジョー』)、古代守(『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ)などの声を当て、吹き替えでもロジャー=ムーア出演の各作品や、『モンティ・パイソン』シリーズ等で人気を博した大御所・広川太一郎氏。
 “俳優が口を開けてなかったり、フレームの外にいるのにアドリブで(しかもオヤジギャグを)喋っちゃう”という、掟破りの力技に魅了されるファンも多い声優さんですね。「んなもん知らねぇ」とおっしゃる方も、「──しちゃったりなんかしちゃったりして〜」…の声の人だと聞けば、何となくはお分かりになるのではないでしょうか。

 そしてもう1人の主役級には小原乃梨子さん。声を当てた代表的なキャラクターに、野比のび太(『ドラえもん』)やドロンジョ(『ヤッターマン』)などがいるという、こちらも大御所の声優さんであります。

 ですから、吹き替えの声優陣には文句の付け所がありません。が、映画の売りとしてそれではアカンのですね。そんなの、紅しょうがだけが絶品の牛丼屋みたいなものですから。
 ホラ、80年代半ば、クソゲー全盛期のファミコン雑誌でよくありましたよね、苦し紛れのゲーム紹介。スポンサーの都合もあって正直にゲーム内容を説明するわけにもゆかず、「グラフィックが斬新」とか「マスコットキャラがカワイイぞ」とか、物凄い遠距離から攻めていって2ページを何とか食い潰したって感じの。『クイーンコング』のキャッチコピーはまさにソレなわけです。

 話はちょっと逸れますがファミコン時代のクソゲーで一番強烈だったのは、誰が何と言おうと『ゴーストバスターズ』でありました。
 クソゲーと言えば、誰でも『たけしの挑戦状』を挙げるんですが、あれはまだゲームになっていました。でも、『ゴーストバスターズ』はゲーム部分が全くの意味不明なんです。少なくとも小学生には、ゲームがスタートしてから何をどうすれば良いのか分からない。クソゲーと言うより“ゲーム以前”、いや“ゲーム以外”といったシロモノでした。
 この“ゲーム以外”のセールスポイントは、電源を入れた直後のタイトル画面と、そこに被さる「ゴーストバスターズ!」という合成音声、以上2つ。電源を入れて2秒後にはゲームの魅力が全て出尽くすというこの世とも思えない恐ろしい作品でした。
 この“最速”記録の更新は、今やCD・DVD時代に突入した家庭用ゲーム業界では最早不可能。永久不滅の大記録であります。
 
 ……閑話休題。
 まぁそんなわけでして、映画そのものはというと、アルバトロス映画史上類を見ない内容の無さでありまして、ストーリー紹介が全くの意味を成さないという凄まじい映画でした。何しろ、アルバトロス映画通に「観終わった後、失笑する気力も失せる映画は初めてだ」と言わしめるのですから、他に言葉無しであります。

 とりあえず見せ場を紹介しておきますと、「俺んちのオレンジが台無しよ」、「ジェーンさんからお電話ですよ、ジェーンは急げ」、「便器ハツラツ、お元気ですか?」……などと随所で炸裂する“広川節”がやはりメインです。
 その他は、どう考えても戦隊モノ以下の着ぐるみ・クイーンコングや、それと対決する高校文化祭のクラス展示作品のような紙製の恐竜などを観て、とにかく力なく笑うしかありません
 あと忘れてはならないのは、2001年9月という世界的に微妙な封切り時期だというのに、堂々とスクリーンに映し出された高層ビルへの飛行機衝突シーンでしょうか。退屈の余り熟睡していた客も、このシーンだけは目が覚めたとの評判でありました。

 ……まぁ、そんなわけでしてこの映画は当然のように大コケします。封切り日に“クイーンコング祭り”なるイベントまで仕掛けるなど、果敢にプロモーション活動を展開したのですが、賢明な映画ファンは騙されませんでした。舞台挨拶があった封切り初日にして満員に至らず、2週目以降になると1回上映あたりの平均観客数が10人以下という状態になってしまったのです。
 結局、投資額数億円(単館上映映画に数億かける時点で、大神源太に投資する位の蛮行ですが)に対し、チケットの売上が1日平均数万円という、日本映画業界史上に残る大惨敗を喫して、『クイーンコング』は早々に上映打ち切りとなります。敗者復活を期して発売されたDVDも全く売れず終いで、アルバトロスは屋台骨が揺らぐほどの大損害を喰ってしまったのでありました。

 いや、それだけではありません。この『クイーンコング』の大コケで大きな被害を受けた人たちが、まだいらっしゃいました。金に転んでこの映画の推薦文を書いちゃった人たちです。

 「お嬢さん必見です! ウイットに富んだ面白さが新鮮! 最後は純粋なクイーン・コングに心打たれました」……みのもんた(司会者)

 「クイーン・コング強すぎます! 映像、衣装、メイクがレトロで可愛かったです。ファッションの参考にしたいな。おしゃれな女の子必見です」……乙葉(タレント)

 「今の時代に発掘されたクイーン・コング。今だからこそ最高に面白い」…オダギリ・ジョー(俳優)

 「映画が終わっても、しばらく立てなかった。うんこもらしてたから」…漫☆画太郎(マンガ家)

 詳細なコメントは避けますが、一言で表現すると、“墓標”ですな、コレ。

 ……さて、これでいよいよ切羽詰ったのはアルバトロスです。恐らくもう1度『クイーンコング』並の大コケがあれば、会社存続すら危うい状況だったことでしょう。

 しかし!

 アルバトロスはここから、今度は日本映画業界史上最大の場外逆転満塁ホームランを放って、不死鳥の如く蘇るのです。
 この起死回生の一撃となった映画とは──!

 ……もうネタも割れてる気もしますが、これは次回のお楽しみということにしたいと思います。では、また次の講義で…(次回へ続く

 


 

9月16日(月・休) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(4)
第1章:先史時代(4)〜文明の誕生まで

※過去の講義のレジュメはこちら→第1回第2回第3回

 7000万年前から始まった、この「学校で教えたい世界史」も、前回で4万年前の現生人類による“天下統一”まで辿り着きました。おお、なんと全体の99.95%がもう終わってしまったのですね(ぉ)。
 今回は、我々の直接の祖先、現生人類たちが文明時代に辿り着くまでの進歩の歴史をお送りしたいと思います。

 
 さて、旧人を“吸収合併”した、我らが現生人類たちは、ますます発達した知恵と生存能力を駆使して、文字通り世界中へと散らばって行きます。
 これまでも人類が分布していた地域は勿論の事、気候の厳しい極地周辺や、アフリカから陸伝いで行くには余りにも遠すぎたアメリカ大陸、さらには海を隔てたオーストラリア大陸にも人類が住むようになりました。つまり、この時代から人類は船を作り探検をしていたわけですね。
 よく世界史では、15世紀のヨーロッパ人の海路開拓“大航海時代”などと言いますが、それは世界史学における過剰なヨーロッパ中心主義の産物であります。“大航海時代”など、身近な例で喩えてみるならば、ド田舎に住む高校生が夏休みに1泊2日の東京旅行で原宿に行った事を、始業式の日に同級生を集めて自慢ぶっこいてるのと同じようなものであります。

 …と、このように人類は世界中に散らばって行ったため、現生人類の人骨や人骨化石が発見された遺跡は、世界各地でかなりの数が確認されています
 全てを挙げるとキリが無いので、高校の世界史教科書レヴェルに限定して紹介しますと、恐らく受験世界史では最も有名な新人の種である、南フランスのクロマニョン人北京原人と同じ地域の違う地層から発見された周口店上洞人北西イタリアのグリマルディ人アフリカ東南部のボスコップ人…などなど。また、日本でも静岡県の三ヶ日(みつかび)などの新人が存在していた事が判っています。

 また、人類が全く環境・気候の違う地域に分布し、それぞれの場所で代を重ねる内に、元々は同じ種の人類でも、環境に合わせて徐々に肌の色や顔の特徴が異なって来るようになりました。いわゆる人種の誕生です。
 人が人を差別する格好の“材料”になり、大量の血を流し、かけがえのない人命を失わせる事にもなった人種の差ですが、要は、より環境に適応していこうとする自然の摂理だったわけです。いかに人種差別が馬鹿馬鹿しいものか、これだけでもよく分かろうというものです。
 主な人種としては、ユーラシア大陸西部、アフリカ大陸北部が“原籍”のコーカソイド(=白人)ユーラシア大陸北部・東部、東南アジア諸島部、アメリカ大陸“原籍”のモンゴロイド(=黄色人種、ネイティブ・アメリカン)アフリカ大陸中・南部“原籍”のネグロイド(=黒人)、そしてオーストラリア大陸とその周辺部“原籍”のオーストラロイド(=アボリジニーなど)…が挙げられます。また、ポリネシア人や、いわゆるピグミーなども独立した人種とされています。
 ちなみに、我々の属するモンゴロイドの特徴としては、一重まぶた胴長短足といったヴィジュアル的にイケてないものが多いのですが、これは極寒の中でも体温を極力下げないための構造だったりします。ですから我々モンゴロイドは、デザイン的にはアレでも頑丈で機能重視の業務用電化製品のような、実用的なタイプの人種だと思って開き直っておきましょう。

 
 こうして世界各地に散らばった人類たちは、各地の環境に応じて各々の生活をして行くようになります。
 本来ならば、ここでも世界各地の人類の生活を追いかけていくのがベストなのですが、これも全部話しているとキリが無いですので、いかにも世界史的な、いわゆる“原始人”の生活の平均像的なものを紹介してみようと思います。

 現生人類が“天下統一”を達成し、世界中に散らばって行った約4万〜1万年前頃には、まだ農耕や牧畜は発明されていません。人々は狩猟・採集、または漁労などをして食料を得ておりました。このように自然の恵みから生きる糧を得ている状態を獲得経済と呼んだりもします
 この頃には、人々が使っていた道具も更に高度なものに進歩しています。当時はまだ打製石器しか存在しない旧石器時代なのですが、それでも現代の職人が作ったかのように精巧な石器が作成・利用されていたようです。また、石器だけではなく、動物の骨から作られた釣り針や刃物などの骨角器や、小型動物を仕留めるための弓矢も使用されていました。 
 また、洒落たところでは洞窟絵画なんてものもあります。有名なものにスペインのアルタミラや、フランスのラスコーなどが挙げられます。当時の絵画を見てみると、これが数万年前のものだとは思えないくらい、写実的で芸術的なものが多くあり、思わず唸らされます。
 そして人々は、いくつかの家族ごとにまとまってホルドと呼ばれる群を作り、そのホルド単位で食料の豊富な場所を求めて、移動しながら生活をしていたようです。20代後半以上の年代の人には、『はじめ人間ギャートルズ』に出て来るグループみたいなものがホルドだ…と思ってもらえれば良いと思います。

 ところで余談ですが、共産主義思想の基本となるマルクス主義的唯物史観では、獲得経済期の人類社会は身分差が無く平等であった…とされています。が、しかし、本当にそうであった事を示す根拠は何一つありません
 しかもよく考えてみれば、山で暮らすニホンザルの群を見ても分かるように、原始人類と同じく獲得経済で生活する類人猿の群には、ボスや幹部クラスのポストが存在するのが普通です。なので、むしろ原始時代の人間のホルドでも、サルなどと同じような上下関係があったと考える方が自然なような気がしないでもありません
 勿論、「サルからあらゆる面で進歩した人間は、そのような全人類的な身分制度を破棄した」…と考える事も可能ですが、“平等社会の中にボス的存在がいる”という設定の方が、現実的な共産主義社会に近くて興味深いですよね(笑)。

 ……さて、こうして世界各地でたくましく生き抜いて代を重ねていった人類たちは、ますますその生存能力を高めて行きました。現生人類までの人類は、環境に合わせて進化して自らの肉体を変化させていきましたが、それに対して現生人類は、己の発達した知能を活かして道具や生活様式を改良し、進化ではなく進歩するようになってゆきます

 まず進歩したのは道具、特に石器でした。
 現生人類の登場以来、相当に高度なレヴェルまで改良が進められていた打製石器は、約1万年前に至って、非常に細かい加工の施された剥片石器である細石器と呼ばれるものが作られるようになりました。この細石器が主に使われた時代を中石器時代と言います
 そして約9000年前になると、打製石器を砂や砥石で磨き上げた磨製石器が登場します。この磨製石器を主な道具として使用された時代を、石器時代の最終段階として新石器時代と呼びます
 この他に、この時期に発明された物として有名なものに、土器織物が挙げられます。特に土器は、生活のバリエーションを豊かにするかけがえのない道具となりました。

 そして道具の発達と並行して、不安定な狩猟・採集生活から、より安定した生活への移行が図られます。そう、農耕と牧畜の発明です。
 農耕・牧畜の発明は、考古学上の発見では約1万〜9000年前とされていますが、ある日突然農耕と牧畜が発明されたという事は考え難いですよね。ですから、恐らくそれ以前から原始的な“農耕っぽい植物の栽培”や“牧畜っぽい動物との共同生活”が行われていたと考えた方が良いでしょう。ただ、それは今後の研究の成果を待つ事になりますが……。

 さて、今から農耕・牧畜の発生についてのやや具体的な話をしてゆくわけですが、ここでも例によって一般的・平均的な話をします。実際には、農耕や牧畜が始まった年代にしても、地域によってまちまちですし、現代でもほぼ純粋な獲得経済で食料を得ている人々だって存在しているのですので、これを世界共通のお話だと誤解するのは止めて頂きたいと思います。

 まず、牧畜の話をしましょう。
 またここで注意してもらいたいのは、牧畜で食料等を生産する社会というのは、決して農耕社会よりも後進的な社会ではない…という事です。
 後でお話しますように、確かに農耕社会の方がダイレクトに文明や高度に発達した社会の誕生に繋がってはいくのでありますが、それはあくまで結果でありまして、スタート地点は全く同じであります。ただ単に、牧畜に適した環境に住む人々は牧畜をし、農耕に向いた土地では農耕社会が築かれた。ただそれだけなのであります。(それを考えると、未だに狩猟・採集で生計を立てている人たちを不当に低く扱うのも考え物でありましょう。彼らは、農耕・牧畜に適さない土地に住んでいるケースがほとんどなのです)
 ……とまぁ、そういう理屈からも分かりますように、牧畜社会は農耕に余り適さない、砂漠のオアシス地帯や大陸北方の寒冷地域から発生し、定着したと思われています
 どのような課程で野生動物を家畜化したのか、そのプロセスには謎が多いものの、とりあえずは信憑性の高い推測は成り立っているようです。
 まず砂漠オアシス地帯。ここでは、少雨によって水場や草の繁茂地を失ったヒツジやラクダが、“助けを求めて”人間の生活地域にやって来たところで、そこの住人たちに段階的に餌付けされたとの説が有力です。
 そして北方。この植物の生育が望めない地域では、狩猟が生命線であります。なので、北方の社会ではいくつかの集団が集まって、それぞれの集団の“狩猟用の縄張り”を取り決めるルールがあったのではないかと推測されています。そして人々は、その“縄張り”に棲む動物をマークしながら生活していく内に、その動物たちが狩りの対象から餌付けを経て家畜に転化していったのではないか…というわけです。
 この2つの説が本当に正しいかどうかは確かめようがありませんが、どちらにしろ農耕に適さない地域において、何らかのきっかけと手段によって牧畜が始められたのは事実であります。

 一方の農耕でありますが、これは当然、植物の生育・栽培に適した地域で始められたというのは想像に難くありません。
 “農耕”と言うと堅苦しく考えてしまいがちですが、種を埋めて適当に水をやれば、曲がりなりにも植物は育つわけでして、そんなに難しい話ではありません
 何しろ、人間だって何万年も植物の実を採集して食ってるわけですから、種が埋まった所から芽が吹き、さらには花が咲いて、再び実を成らせるという事くらいは早かれ遅かれ気付いているはずであります。要は、それらの事をある程度計画的に、そして家族やホルドを養える位の規模でもってやるようになれば“農耕社会の誕生”となるわけです。
 大昔の学者さんは、農耕は世界のどこかから発生して、それが世界中に広まっていった…と考えていたようですが、今では、大きく分けて4つの農耕文化が発生し、それらがバラバラに広まっていった(そして世界各地でそれらが融合していった)のではないかと考えられているようです。
 では、話ついでに、この4つの農耕文化も簡単に紹介しておきましょう。
 まずはタロイモバナナなどを育てる、東南アジア発祥の根栽農耕文化
 次に、アフリカやアラビア半島のサバンナ地帯発祥の、ゴマヒョウタンなどを育てるサバンナ農耕文化
 そして、地中海東岸からユーラシア大陸全体に広まって、後の文明社会を支えることになる小麦大麦などの地中海農耕文化
 さらにはアメリカ大陸で独自の発展を遂げた、ジャガイモトウモロコシなどの新大陸農耕文化
 ……現代社会では、ほぼ完全に融合しているこれらの農耕文化が、バラバラに発展、伝播していったというのは実に興味深い話でありますね。

 こうして農耕と牧畜を習得した人間たちは、これまでとは違い、食物を自らの手で生産する事が可能になりました。この事を生産経済への移行、または食糧生産革命と言ったりします。
 あ、言い忘れておりましたが、文化の伝播が進むにつれて、農耕と牧畜を両立して実行していた人たちも現れ、増加していきました。
 農耕にも牧畜にもそれぞれのメリットがあるわけですから、人々は自分が生活している環境に合わせて、農耕と牧畜を併用するのは、ある意味当然の事であります。また、農耕・牧畜両手段の併用だけではなく、交易や、時には略奪という乱暴な手段で農作物を得る牧畜民や、肉や乳を得る農耕民がいたことも間違いないでしょう。

 ……と、こうして獲得経済から生産経済への移行について話をして来たわけですが、ここからの更なる社会的な発展、つまり文明の誕生へ話を持っていくとなると、牧畜社会よりも農耕社会の方をクローズアップしなければなりません。逆に言えば、文明を誕生させるためには農耕社会でないといけない理由があるのです。
 この理由を説明するには、ストレートに“文明の定義”を紹介するのが一番だと思います。ここに、オリエント考古学者・ゴードン=チャイルドが示した、「文明とは次のような特徴を持つ」とする定義を箇条書きの形で挙げていきましょう。

 ・効果的な食糧生産をする能力を持ち、実行している。
 ・大きな人口が集住している。
 ・様々な職業が存在し、階級社会が成立している。
 ・都市社会が成立している。
 ・金属器を製造する技術力がある。
 ・文字を有する。
 ・記念碑的な公共建造物(エジプトのピラミッドや日本の古墳など)がある。
 ・ある程度の合理化学の発達が見られる。
 ・支配的な芸術様式が存在する。

 ──これでも分かり難いと思いますので簡単に言いますと……
 多くの人口がまとまって定住し、それだけの人々を養うだけの食料があり、それらについて管理・支配する権力者がいて、その中で政治システムや文化がある程度高いレヴェルまで発達した状態──これを文明と呼ぶのです。

 そして、文明誕生の第一条件である、大量の食糧生産と多人数による定住を実現させるためには、農耕、それも灌漑農業が必要不可欠でした。
 灌漑農業とは、河川などから用水路を引いて来て、作物を栽培する農法です。この農法は、安定して大量の収穫が望める一方で、用水路を作ったり維持するために多くの人手を必要とします
 つまり灌漑農業とは、食料大量生産と多人数の集住が同時に実現するという、文明誕生にとっては“一石二鳥”的なものなのであります。いわゆる“四大文明”が、いずれも灌漑農業の可能な大きい河川の流域に成立したのも、偶然ではないわけです。

 で、多くの人々が住む農耕社会が成立し、その運営が軌道に乗り始めますと、次第に余剰の生産物が蓄積されていきます。
 そしてこの余剰生産物は、宗教的・政治的な指導者や、農作物を略奪するために襲撃してくる外部者から人々を守るための戦争指導者、または精巧な道具や衣類などを作る事のできる職業的スペシャリストに分配されてゆきました。社会全体で特殊な才能を持つ人々を養うシステムの成立ということです。
 このシステムにより、彼らは農業から解放される替わりに、自分たちの仕事に専念する事が出来るようになりました。身分社会の成立と、職業の分化の始まりであります。

 ここまで来れば、もう後はトントン拍子です。人口は増え、生産高も更に増し、文化は発達し、社会システムは成熟して行きます
 そうして文明化が完成された状態になると、各々の社会は、城壁という国境線を持った小さな都市国家となります。今や“国民”となった人々は、土器や金属器を含む道具を使って生活をし、才能に応じて様々な職業に就き、文字を用いて記録を残す事も始めます。また有事の際には、王や貴族などの支配者階級の指導により、整然と軍隊が召集されて戦争へ向かうようになるのです。
 これらの都市国家は、各地域ごとに次第に統合され、やがて統一国家となっていくのですが、それらについては各地方の古代史に譲る事にしたいと思います。

 ……さて、ここまで4回を費やして、人類の進化から文明の発生までのお話をして来ましたが、次からはいよいよ世界の各地域で成立した古代国家についてお話をしてゆくことになります。
 が、そこへ話を進める前に、“インターミッション”として、先史時代の遺跡や遺物を発見した人たちについてのエピソードを1〜2回の予定でお送りしたいと思います。どうぞご期待ください。(次回へ続く


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