「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

2/15 競馬学概論「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(6)
2/14 労働経済論「役に立たない? アルバイト時給案内」(9)
2/13 演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(2月第2週分)
2/12 歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(29)
2/10 文学と人間心理「福岡で『恋の五行歌展』開催」
2/9  労働経済論「役に立たない? アルバイト時給案内」(8)
2/8  競馬学概論「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(5)
2/7  文化人類学「2002年度フードファイター・フリーハンデ」(2)
2/6  
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(2月第1週分)
2/5  特別演習「第2回世界漫画愛読者大賞への道」(3)
2/3  歴史学(一般教養)「学校で教えたい世界史」(28)
2/2  労働経済論「役に立たない? アルバイト時給案内」(7)
2/1  
競馬学概論「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(4)

 

2月15日(土) 競馬学概論
「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(6)
第2章:ライブリマウント(後編)

※過去のレジュメはこちらから→ビワハヤヒデ編(第1〜3回)/ライブリマウント編(第4回第5回 

駒木:「いよいよライブリマウント編も今日で最終回だね」
珠美:「来週の講義はフェブラリーSの予想ですから、タイミングバッチリですね(笑)」
駒木:「企画段階では全くそんなつもりは無かったんだけどね(苦笑)。埋もれた馬を探してたら偶然こうなったって感じ。まぁ結果オーライって事でね。先週の僕の競馬の成績と同じだ(笑)」
珠美:「『当てた』じゃなくて『当たった』ってところですか(笑)」
駒木:「まぁそんな感じだね。……と、無駄口叩いてないで本題へ移ろうか。とりあえず今週も成績表をドン! ……と、出してくれるかな」
珠美:「ハイ。じゃあ、ドン!(笑)」

ライブリマウント号・全成績(略式)
<詳細はこちらのリンク先を参照>
日付 レース名 着順 騎手 1着馬(2着馬)

93.11.14

新馬戦

/14 石橋

(マヤノファンシー)

93.12.26 さざんか賞(500万下) /16 石橋

ビコーペガサス

94.01.15 寒梅賞(500万下) 3/12 石橋 エイシンオクラホマ
94.02.13 飛梅賞(500万下) /12 石橋 (ゴールデンジャック)
94.03.13 すみれS(オープン) 11/13 石橋 イブキテヂカラオー
94.04.24 葵S(オープン) 6/14 石橋 マルカオーカン
94.05.08 京都4歳特別(G3) 8/14 石橋 イイデライナー
94.06.11 北斗賞(900万下) /7 石橋 パリスケイワン
94.07.03 羊蹄山特別(900万下) /10 藤田 (フォスターホープ)
94.07.24 タイムズ杯(オープン) 4/10 藤田 マキノトウショウ
94.08.14 巴賞(オープン) /12 石橋 フォスターホープ
94.09.04 シーサイドオープン(オープン) /12 藤田 マキノトウショウ
94.11.26 花園S(1500万下) /16 石橋 (リドガイ)
94.12.17 ウインターS(G3) /16 石橋 (バンブーゲネシス)
95.01.16 平安S(G3) /8 石橋 (ヤグライーガー)
95.02.18 フェブラリーS(G2) /16 石橋 (トーヨーリファール)
95.04.13 帝王賞(重賞) /15 石橋 (アマゾンオペラ)
95.08.16 ブリーダーズGC(重賞) /9 石橋 (キソジゴールド)
95.10.10 南部杯(重賞) /10 石橋 (ヨシノキング)
95.12.21 東京大賞典(重賞) 4/16 石橋 アドマイヤボサツ
96.01.24 川崎記念(重賞) 3/10 石橋 ホクトベガ
96.03.27 ドバイワールドC 6/11 石橋 シガー
96.06.30 札幌記念(G3) 13/14 石橋 マーベラスサンデー
96.08.15 ブリーダーズGC(重賞) 8/10 石橋 メイショウアムール
96.09.07 シーサイドS 9/12 石橋 キョウトシチー
97.02.16 フェブラリーS(G1) 10/16 石橋 シンコウウィンディ
97.03.20 名古屋大賞典(重賞) 5/12 石橋 メイショウアムール
97.04.12 プロキオンS(G3) 15/16 石橋 バトルライン
97.05.03 アンタレスS(G3) 10/16 石橋 エムアイブラン
97.05.28 かしわ記念(G3) 9/11 石橋 バトルライン
97.06.24 帝王賞(G1) 11/12 南井 コンサートボーイ

珠美:「……前回は、ライブリマウント号の全盛期ということで、95年末の東京大賞典までをお話して頂きました。今日はその続きですね」
駒木:「そうだね。96年の川崎記念から引退レースになった97年の帝王賞までを追いかける事になるんだけど、ただ見ての通り、晩年のこの馬は余りにも寂しい成績でね。こういう場で話すべき内容がそれほど多いとは思えないんだ。だから、今日は96年3月の第1回ドバイワールドカップを中心にした話にしようと思ってるんだ」
珠美:「なるほど、分かりました」
駒木:「でもまぁ、一応は時系列に沿ってレースを追いかけていこう。珠美ちゃん、川崎記念から紹介よろしく」
珠美:「ハイ。南関東公営の川崎競馬場2000mコースで行われたこのレースに、既にドバイワールドカップの出走が内定していたライブリマウントが“本番前の一叩き”の意味でエントリー。単勝1.7倍の抜けた1番人気に支持されました」
駒木:「前走の東京大賞典で負けたとは言っても、適距離に戻ったら大丈夫だろうって認識だったんだね。ちょうど1年前、ライブリマウントがいくら勝ってもなかなか1番人気になれなかったのと丁度逆のパターンだ」
珠美:「しかし、このレースでライブリマウントはまたもや敗北を喫します。勝ったのはあのホクトベガで、2着のライフアサヒに5馬身差をつける圧勝。ライブリマウントはそのライフアサヒから更に1馬身遅れた3着でした」
駒木:「いよいよピークが過ぎちゃったか? …って感じになったかな、さすがにね。『こんなんで、ワールドカップは大丈夫かいな』ってところ。
 ちなみに、ホクトベガはこの時明け5歳。前の年には伝説になった18馬身差の圧勝のエンプレス杯があったんだけど、本格的なダート路線転向はこのレースから。そしてこの後は、悲劇的な最期を遂げる翌年のドバイワールドカップの直前までダート重賞10連勝という大記録を伸ばし続ける事になるんだよね。
 ……まぁ、今から考えると、このレースで日本ダート最強馬のバトンタッチをしていたって事になるんだろうね。当時はまだホクトベガがどこまで強いのか判っていなかったけれども」
珠美:「そして、いよいよドバイワールドカップですね。今では年に一度の大イベントとして定着した感がありますけど、ライブリマウントが出走した時はまだ第1回ですよね。このレースが計画されてから実際にレースとして開催されるまで、色々とあったと思うんですが……」
駒木:「そうだね。じゃあ、その辺りの出来事も含めて話していこうかな。ではまず、レースの成り立ちについてから話してみよう。
 このレースは文字通り、ドバイ──西アジア・アラブ首長国連邦(UAE)のレースだね。──何だか、『学校で教えたい世界史』やってるみたいだな(笑)」
珠美:「(笑)」
駒木:「……で、この国はそれまで国際的な競馬が行われていない砂漠の国だったんだけど、その代わり、世界一の馬主がいて、その所有馬たちの“基地”があったんだ。
 その馬主っていうのは、UAEの王族・シェイク=モハメド殿下。あの青一色の勝負服でおなじみのゴドルフィンの実質的オーナーでもある人でね。1980年代からかな、国家事業の石油採掘で得た収益金を使って、とにかく世界中から凄い馬を買い漁ったり自分でも生産したりして、そして生産馬をまた世界中に派遣して、大レースという大レースを根こそぎ勝っていった…というとにかく凄い人。使い切れない程の金がある人の道楽って凄まじいよね(笑)。
 ……で、そのモハメド殿下が、今度は『自分の国でも凱旋門賞やブリーダーズCのような世界を代表するレースを開催したい』と考えた。これまた凄い話だよね(笑)。で、その結果創設されたのがこのドバイワールドカップってわけ」
珠美:「個人で世界一の大レースを作ってしまったわけですか(笑)」
駒木:「呆れるしかないよね(苦笑)。……まぁそういうわけで、モハメド殿下はあらかじめ砂漠のど真ん中にナドアルシバ競馬場を建設しておいて、『ここでワールドカップ開きますから、世界中のホースマンの皆さん、馬連れて来てくださ〜い』…って告知を出した」
珠美:「でも、そんなに簡単に世界中から馬が集まるものなんですか?」
駒木:「さぁそこだ。現在の国際レースのルールとして、最低2年間はどんなレースも国際的にはノーグレード、つまり正式な国際重賞競走とは認めてもらえない…というものがる。これはレースの国際グレードが、そのレースの過去2年で上位4頭に入った馬の国際フリーハンデの平均値を元にして決定されるからなんだけどね。
 だからこのドバイワールドカップも、第1回から最低2回は“国際オープン特別”として行わなければならない。つまり、レースの格で世界中の名馬を引き寄せる事は不可能だったんだ」
珠美:「はぁー、そうだったんですねー」
駒木:「だから、馬集めには名誉じゃなくて実用的なモノで釣らなければならなかった。要はだね(笑)。招待した馬と人はアゴアシ付きで、しかも1着から6着までに出す賞金の総額は世界一にしちゃった。具体的な金額を出せば1着賞金240万米ドル、総額400万米ドル。今はもっと上がってるけどね。他の大レースの賞金額に抜かされそうになる度に賞金を釣り上げてるから(笑)。
 で、後は世界中に張り巡らされたモハメド殿下のコネというコネを使いまくって、“営業活動”を続けて行った。その結果、他の世界的大レースと日程を出来るだけズラしたというのも良かったのか驚くほど凄いメンバーが集まったんだよ」
珠美:「こちらに出走馬の資料がありますので紹介しますね。
 ……まずダート競馬の本場・アメリカ合衆国からは3頭。これは南北アメリカ大陸代表という扱いでした。
 中でも注目を集めたのは、前年のブリーダーズカップ・クラシック勝ち馬で、G1レース10勝、しかも当時13連勝中と、「世界一のダートホース」の名を欲しいままにしていたシガー。中間に挫石するトラブルがあったのですが、なんとか出走に漕ぎ着けました」

駒木:「まさに目玉中の目玉だったね。この馬を呼んで来た時点で、このレースの成功と将来は約束されたようなものだった。主催者サイドも相当な働きかけをしたようだけどね」
珠美:「この他のアメリカ代表馬はルキャリエール、ソウルオブザマター。共にアメリカ競馬の第一線で活躍している超一流馬でした。
 ヨーロッパ地区代表はイギリスから2頭。そのうち有力と言われていたのが、現在日本で種牡馬としてお馴染みのペンタイア。この頃の芝世界最強馬と言われたラムタラのライバルとして活躍し、自身もアイルランドのチャンピオンSなどのG1タイトルがあります。
 オセアニア地区代表は1頭で、オーストラリアのデーンウイン。G1レースを5勝した他、ジャパンCへの出走経験もありましたから、名前をご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 そしてアジア地区代表がライブリマウント。経歴はこれまで博士にお話して頂いた通りなんですが、このレースでの前評判はどうだったんでしょうか?」

駒木:「ぶっちゃけた話、単勝オッズは最低人気だった(苦笑)。UAEはイスラム教国だから馬券は売らないんだけど、イギリスのブックメーカーが馬券を売っててね。資料によると、81倍から101倍ってところだったらしい。向こうの感覚で言うと、『こんな馬来るかよ、バカ』ってところだろうね(苦笑)」
珠美:「あらら、それは……」
駒木:「まぁ、これが日本馬のダート競馬・国際デビュー戦だったからね。当時は芝のレースですら、『日本馬は地元では互角だが、アウェイでは不利』っていうのが一般的認識だったし、これはまぁ仕方ない。
 ほら、第1回のジャパンカップにインド代表がいたじゃない。“インドのシンザン”オウンオピニオン。海外の関係者にしてみれば、ライブリマウントもオウンオピニオンと大差無かったのかも知れないね。“日本のシガー”ってところか(笑)」
珠美:「……そして、迎え撃つUAE代表が4頭。有力と言われていたのはアメリカ産のホーリングで、イギリスのG1を2勝していました。ダート競馬での能力には疑問が残っていたものの、鞍上にデットーリ騎手を迎えて万全の体制でレースに臨んでいました。この他、“アラブの秘密兵器”と噂されていたタマヤズなどを含めて、以上11頭でレースが行われました」
駒木:「この他、ギリギリで出走を回避した馬の中にも、アメリカのデアアンドゴーとかフランスのペニカンプみたいな超一流馬がいて、文字通りワールドカップと言うに相応しいレースになった。凄いよね。使える資金が潤沢だったからこそなんだろうけど、この営業力の少しでもJRA関係者にあれば、ジャパンカップももう少し良いメンバーが揃うと思うんだけどなぁ(苦笑)」
珠美:「……それでは、いよいよレースの内容ですね。レースはアメリカのルキャリエールがハナを切ったんですが、そのすぐ後ろにライブリマウントがマークする形になりました。積極的なレース振りですね」
駒木:「こういう場合、作戦は2つ。とにかく積極的に行って、イチかバチかの大番狂わせを狙うか、シンガリで脚を貯めて上位入着を目指すか。この時は前者だね。良い度胸してるよなぁ(笑)」
珠美:「その後ろにデーンウインとホーリングがいて、シガーはその2頭を前に置いた5番手。他の有力馬は中位からやや後方に待機というレースでした。
 しかし勝負所からはシガー、そしてソウルオブザマターが進出して来て、直線半ばからはマッチレースの様相。そんな中、ライブリマウントはバテながらも必死に入着圏内をキープしようとします

駒木:「結局、勝ったのはシガー。ソウルオブザマターに一度並ばれたところをゴール前に差し返して、逆に半馬身差をつけた。これで14連勝達成なんだけど、恐ろしいレース振りだよ、まったく。
 実はこの馬、引退後に種牡馬入りしてみたら生殖能力が無いことが判って、結局1頭も産駒を残せないまま隠居してしまったんだけど、今考えても実に惜しいよねぇ」
珠美:「ライブリマウントはギリギリ賞金圏内の6着でした」
駒木:「ついた着差が18馬身3/4。でも一応は勝ちに行ったレースなんだから、よく粘ったとも言えるんじゃないかな。
 さっき、オウンオピニオンの話を出したけど、ライブリマウントがオウンオピニオンと違う所は、ちゃんと最低限の結果を出して後輩たちに道を開いてあげたところ。もし、ライブリマウントが大差でブービーやシンガリに負けていたら、ひょっとしたら次の年から何年も日本の馬は出走出来なくなっていたかもしれない。そういう意味では値千金の6着入着と言ってあげたいね、僕は
珠美:「こうして、ライブリマウントの最初で最後の海外遠征は終わりました。この後、ライブリマウントは休養を挟んで国内戦線に復帰するのですが、今度は考えられないくらいの大スランプに陥ってしまいます……
駒木:「成績は一覧表をご覧の通りだね。ホクトベガがかつてのこの馬のように大活躍をしている中、そしてホクトベガが非業の死を遂げた後も我慢強く現役生活を続行したんだけれども、遂にかつての輝きを取り戻す事は出来なかった。最終的には辞め時を逸してしまった…という事になるんだろうねぇ。こういうフェードアウトの仕方って、辛いよねぇ。それまでどれだけ頑張っていても、物凄く印象悪くなっちゃうしね」
珠美:「……引退した後は種牡馬入りを果たしましたが、産駒にもそれほど恵まれていない感じですか?」
駒木:「そうだねぇ。今だと芝もG1クラスでこなすクロフネとかアグネスデジタルみたいな馬がいるからねぇ。まぁせめて静かで幸せな余生を、そしてこの馬の栄光が後々まで語り継がれる事を祈りたいね
珠美:「この講義がそのきっかけになれば嬉しいですね」
駒木:「そうだねぇ。大それた希望だとは思うけどね(笑)」
珠美:「……それでは、今日の講義は終了ですね。来週はフェブラリーステークスの予想ですか?」
駒木:「役に立たない予想するくらいなら、埋もれた名馬を掘り返した方が良いような気がして来たなぁ(笑)。でもまぁ努力は惜しまず、予想の方を頑張ってみるよ」
珠美:「私も頑張ります。それでは、お疲れ様でした」
駒木:「ご苦労様」 (この項終わり/次回へ続く

 


 

2月14日(金) 労働経済論
「役に立たない? アルバイト時給案内」(9)

※前回までのレジュメはこちらから→第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回  

 さぁ、またしても困ったお時間がやってまいりました(笑)。今日もクソゲーム屋話・人物紹介の続きです。
 もう既に講義というよりも、ただの雑談と化した雰囲気もありますが、元々授業や講義なんてのはそっちの方が面白いわけでして(笑)、今日もまたサービス精神を発揮してお話を続けたいと思います。

 ──さて今回は、前2回でお話した「店長」と「ポンカス息子」のプロデューサーであるところの母親、即ちオーナーの人となりについてお話をします。
 日常、我々はよく「親の顔が見てみたい」…などと申しますが、このクソゲーム屋では好きな時にその「親の顔」が見られたわけで、そういう意味では非常に行き届いた職場ではありました。まぁ、「んなトコ行き届かせる前に息子の教育を行き届かせんかい!」…と夕日に向かって叫びたくはなりますが。

 で、そのオーナーですが、一言で言えば「イヨッ! さすが2人の遺伝子供給者!」と言いたくなるようなお方でした。
 まぁ、50代のいい年こいた大人でありますから、ドラ息子2人に比べると人当たりは良かったです。ちゃんとアルバイトにも丁寧語を使いますし、常識的な人付き合いをしてくれました。ですから、まぁ普通にしていれば、ファミリーの中で一番接しやすい人であったのは確かです。もっとも、「このファミリーの中で一番接しやすい」というのは、「AV女優の中で一番清純」みたいな価値しか持ちえないんですけれども……。
 しかし、本質的には同じ遺伝子ですから、少しでも自分の意に添わないことがあると、カメラに映った井手らっきょがたちまち全裸になる如く、たちまちオツムが大噴火します。
 ある時、本部から配達された新品商品の箱の中に、発注していたモノが無かったと言うことで、オーナーが本部へ電話問い合わせをしたのですが、以下はその時の遣り取りです。

 オーナー:「○○っていう商品が届いてないんですが」
 担当者:「そうですか。でも念のため、もう1度確かめてもらえますか?」
 オーナー:「もう1度確かめろって、アンタ、私を疑ってるの !? それって失礼と違う?

 いや、確かに人格は疑われているでしょうけどね。

 ……で、そんな“激論”の結果、現実はどうだったかと言いますと、それは「オーナーがその商品の到着が翌日に変更されていた事を忘れていた」…という、お粗末なもの。事の顛末を脇から見ていた駒木は、交通安全を呼びかけてる土屋圭一(元首都高の走り屋)並に人の事言えんオバハンやな」と、しみじみ思ったのを覚えております。
 で、困った事に、このオーナーの“怒りのツボ”は予測不能な所に埋まっており、まるで初代「燃えろ! プロ野球」のストライクゾーンみたいなものなのです。時には駒木が指示された仕事を黙々とこなしていたというのに、突然、
 「ちゃんと言った事やって! 怒らなやらへんのやったら、いくらでも怒るよ!」
 ……などと理不尽な罵倒をかまして来られ、大変に逆上した事がありました。これにはさすがの駒木もブチギレ状態に至りまして「オバハン! アガっとるくせに(※以下、検閲削除)…と、綾小路きみまろでも言わない下品なブラックジョークをぶつけそうになったものです。

 
 そしてこのオーナー、人格以上に金銭感覚と経営センスが狂いまくっておりました。えぇ、強烈です。

 これについては、次回以降でお話する予定の内容も含まれておりますので、ここではその狂い振りを象徴するエピソードを各1つずつ紹介しておきたいと思います。

 ☆オーナーの金銭感覚を示す具体例

 オーナーが自分のパチンコ成績について語りました。

 「私ねぇ、パチンコで勝つたび、そのお金を専用の口座に入れてるのよ。今、200万円くらい貯まってるんかな。凄いでしょ、私、これまで200万もパチンコで勝ってるのよ」

 ……この理論が破綻している事、分かりますよね? 分からなかったらウチの受講生としては失格でございますよ。
 まぁ、答え合わせがてら説明しますと、このオバハンは、「勝った時の浮いた金」を「勝った金」と勘違いしているのですね。
 数学の公式風にまとめますと、こうなります。

 「勝った金」「勝った時に浮いた金」−「勝った時に投資した金」−「負けた時に投資した金」

 つまり、このオバハンが「200万勝った!」と言う時には、投資金がゼロでないといけないんですね。
 そりゃあ、落ちてるパチンコ球を拾ったヤツだけでパチンコやってりゃあ言えるかも知れませんが、それはギャンブルで勝ったと言わずに犯罪で巻き上げたと言います。

 ☆オーナーの経営感覚を示す具体例

 駒木がこの店で働いていたのは、ちょうど「ドラクエ7」が発売になった時期なのですが、これは発売日から1〜2週間ほど経った時の、オーナーと「店長」の会話です。

 「店長」:「『ドラクエ7』が売り切れてんねんけど、どうする?」
 (注:オーナー家族は職場と家のケジメが著しくついていません
 オーナー:「あー、それなんやけどな。ドラクエ、新品で売っても利益率低いから儲からへんねんだからもう入れんでもエエかなって思うてな」
 「店長」:「そやなー。俺、どっちでもエエで

 補足説明いたしますと、この時期には既に店の経営は迷走を始めており、新品商品は「ドラクエ7」を除いては在庫過多の状況でありました。言わば、「『ドラクエ』売らんで、何売るねん!」…といった状況だったのですが……。

 ちなみに、こういう会話がなされていたすぐ側では、この頃「ドラクエ7」と同じように在庫過多状態になっていた「FF9」の中古を、在庫無しのような高値でバシバシ買い取りしていたりしました。爆笑問題の田中に来てもらって思う存分ツッコんで欲しい光景ですよね。

 
 ……このような金銭感覚と経営方針が徹頭徹尾貫かれて、このクソゲーム屋は運営されてゆきました。結果は火を見るより明らかでありますが、それはまた次回以降でジックリとお伝えしたいと思います。

 と、以上がこのエピソードの主要人物であるところの、オーナーファミリーの紹介でした。

 この他、登場人物としては駒木を含めた5人のアルバイト、それから面接を担当してくれた本部社員の「ドロンズ兄さん」などがいますが、ごく普通の良い人の紹介をしても面白くもなんともありませんので割愛します。

 では、次回からいよいよ本編に突入です。どうかお楽しみに──  (次回へ続く

 


 

2月13日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(2月第2週分)

 ちょっとばかり、のっぴきならない事情がありまして、講義の開始時刻が遅れています。(現在14日午前5時)
 もともと毎週の事ではありますが、途中から振替講義になると思いますので、ご了承ください。

 先に言っておきますが、今週のレビューは「世界漫画愛読者大賞」の1作品のみになります。デキ次第では「週刊ヤングジャンプ」に掲載された尾玉なみえさんの新作もレビュー対象作にする予定だったのですが、高い評価を出せそうに無いので今回は見送ります。ん〜、「卵管」は良かったんですけどねぇ(笑)。
 で、他には、いつも通り情報系の話題と「ジャンプ」・「サンデー」少年2誌の“チェックポイント”をお送りします。


 それではまず、情報系の話題から。
 初めに新人賞関連を。今週は「週刊少年ジャンプ」系の月例新人賞・「天下一漫画賞」02年12月期の審査結果が発表になっていましたので、受賞者・受賞作を紹介しておきましょう。 

第76回ジャンプ天下一漫画賞(02年12月期)

 入選=該当作無し
 準入選=該当作無し
 佳作=該当作無し
 審査員(秋本治)特別賞=1編
  
・『発進 !! ストイック兵器ブサイボーグ !!』
   川口幸範(23歳・長崎)
 最終候補(選外佳作)=6編
  ・『PICTURE GHOST』
   佐藤幸輝(19歳・宮城)
  ・『シャイニングエッジ』
   内野正宏(27歳・神奈川)
  ・『水 ─WATER─』
   田中秀作(19歳・福岡)
  ・『DAIKON』
   伴ダナー(20歳・兵庫) 
  ・『インベイション』
   松尾雄太(16歳・長崎)
  ・『無刀拳』
   岩井俊之(31歳・滋賀)

 なお、受賞者の過去の経歴は以下の通りです。

 ◎審査員特別賞川口幸範さん第64回「天下一」(01年11月期)で編集部特別賞を、第68回(02年3月期)「天下一」で審査員(武井宏之)特別賞をそれぞれ受賞

 ……川口さんは、これで3回目の特別賞受賞。佳作の壁の前に相当な苦戦を強いられている印象ですね。今回は「少年誌向けではない」という作風が足枷になってしまったようですね。難しいものです。

 さて、次に新連載の情報を。
 基本的な事項は既報ですが、「週刊少年サンデー」の次号・12号から、黒葉潤一さんの短期集中連載・『電人1号』が開始となります。
 おそらくは、先日まで連載されていた『少年サンダー』作画:片山ユキオ)と同様、5回程度の連載になると思われますが、この時の人気次第では本格連載もあり得る話ですので、良い作品を期待したいものです。

 そして3点目。「週刊少年ジャンプ」前編集長・高橋俊昌氏の死去に伴う、今後の「ジャンプ」編集部の体制についての情報です。
 今週発売の11号では、いわゆる連載作家陣の巻末コメントが全て高橋氏の追悼コメントとなっており、更には、本来なら編集者の近況を掲載する欄に、高橋氏の上司である「ジャンプ」発行人・鳥嶋和彦氏の追悼文が掲載されていました。いかに今回の出来事が大きな衝撃を与えたものであったかを物語る1ページであったと言えるでしょう。
 また、背表紙の編集人(=編集長)欄を見ると、鳥嶋氏が発行人と兼任する形になっていましたので、ここはとりあえず鳥嶋氏が暫定的に編集長に復帰し、来るべき新体制までのワンポイント・リリーフを勤める事になったようです。一種の非常時体制ですが、まぁ妥当な線ではないかと思います。
 この話題については、新しい動きがあり次第、随時このゼミで情報提供をしてゆきますので、ご注目下さい。


 ……それでは今週もレビューと“チェックポイント”の方へ。まずは「ジャンプ」と「サンデー」の“チェックポイント”からどうぞ。

☆「週刊少年ジャンプ」2003年11号☆

 ◆「ジャンプ」今週のチェックポイント◆

 今週の「ジャンプ」は、『HUNTER×HUNTER』取材休載なのに新人読み切り無し。これはたまたま載せられるような原稿が無かったのか、それとも方針変更なのか、どっちなんでしょうねぇ?

 ◎『ヒカルの碁(第2部)』作:ほったゆみ/画:小畑健【現時点での評価:A/雑感】

 いやぁ、久々に熱い『ヒカ碁』を見ました。本当は静かなテーブルゲームを、ここまでスピード感と迫力溢れる描写をするとは、さすがです。
 しかし、この北斗杯ってコミ5目半なんですね。まぁ会場が日本だから日本式ってわけでしょうが、今年から日本もコミ6目半になったんで、どのあたりからか変更させる事になるんでしょうけど。でも、コミが変わると、マンガの中で使用する昔の棋譜の結果も変わってくるんですよね。半目勝負だったら勝敗逆転だし。う〜ん、どうするんでしょうねぇ、これ。
(追記:ご指摘を頂きました。単行本で「コミは5目半で統一する」旨の記述があったそうです。『ヒカ碁』ではプロ試験においても東京本院のリーグ戦だけに限っていたり、独自の世界観で描かれているので、これもまぁアリと言えばアリでしょうか。しかし問題ナシとは言えない話ですけどね)

 ◎『シャーマンキング』作画:武井宏之【開講前に連載開始のため評価未了/雑感】

 シュールだなぁ、今週は(笑)。真面目に読ませたいのか、笑わせたいのか、両方なのか、ようワカランです(笑)。
 あ、分かった事もありました。
 「いい大人にはのび太君が穿くような半ズボンは似合わない」
 コレ、重要ですな(笑)。そりゃあ、葉も「うええええ?」だわ。

 ◎『プリティフェイス』作画:叶恭弘【現時点での評価:B+/雑感】

 なんだ、結局は2週間前に立てた仮説(夏緒が乱堂の正体を知って協力者になる)がキッチリ当たっちゃったなぁ。何だか競馬で審議の結果、繰り上がりで馬券が当たった…みたいな感じが(苦笑)。
 しかし今週もパンツだらけですな。まぁ良いんですけど(笑)。昔、『しあわせのかたち』作画:桜玉吉)が、人気対策のために毎週意図的にパンチラシーンを出していたっていうのを髣髴とさせるような……。

『Ultra Red』作画:鈴木央【第3回掲載時の評価:/雑感】

 “関東の噛ませ犬(笑)”東堂院光のヘタレぶりをみて、
 「ここは『なんやてー!』って叫ばなきゃダメでしょ」
 …と、思った人は多かったはずです(笑)。

 

☆「週刊少年サンデー」2003年10号☆

◆「サンデー」今週のチェックポイント◆

 ◎『ファンタジスタ』作画:草葉道輝【開講前に連載開始のため評価未了/雑感】

 ん〜、全体的には地味な話が続くんですが、こまめにヤマ場がありますよね、この作品。小エピソードを積み重ねてゆくというのは長編の基本ではあるのですが、週刊連載ではなかなか難しいはず。伊達に何年も連載続けてないって事でしょうね。

 ◎『鳳ボンバー』作画:田中モトユキ【現時点での評価:B+/雑感】

 なんか最近、妙にキャラの平均美形率(ナンジャソラ)が上がってる気がするんですが、これも一種のテコ入れなんでしょうかね(笑)。まぁ確かに読んでる途中に男性読者がどこかを凝視する場面は飛躍的に増えた気がしますが(笑)。
 でも、せっかくの野球マンガなんだから、もっとスカッと野球しているところが観たいこの頃。そういう意味では、これから始まるオープン戦は個人的に楽しみです。

 

☆第2回☆
☆「世界漫画愛読者大賞」最終エントリー作品☆

 ◎エントリーNo.2 『鬼狂丸』作画:新堂まこと

 今週も「世界漫画愛読者大賞」の最終エントリー作品についてのレビューをお送りします。

 今回のレビュー対象作・『鬼狂丸』新堂まことさんは、大阪府出身・在住の25歳。今回の作品がデビュー作になる、全くの新人さんだそうです。
 新堂さんは印刷会社のデザイン部に勤務した後、マンガ家を目指して3年前に退職。現在は持ち込みや投稿などを続けつつ、マンガ漬けの毎日であるそうです。
 ……前回の「愛読者大賞」では、新人賞の受賞歴があるも燻ってしまった“敗者復活組”の人が多かったですが、今年はここまで連続して脱サラ組のエントリーになっていますね。しかし、どっちにしても「これでいいの?」と思ってしまう傾向ですよね(苦笑)

 では、レビューの方へと移りましょう。

 まずですが、これは有り体に言ってお粗末としか言いようがありません。部分部分では上手く描けているように見える箇所もありますが、描写の難易度が少しでも高くなると、途端に絵柄が荒れ始めます。特に、アクションシーンが多いというのに、殴られた顔面の描写がとんでもなく稚拙なのが気になります。
 持ち込み・投稿を続ける中、独学で画力を高めるというのは難しかったのかも知れないのですが、こうしてプロの卵としてデビューしてしまったからには、批判を受けても仕方ない事ではないかと思われます。

 次にストーリーこちらも正直言って、問題点が相当あると言わざるを得ません。
 中でも最も大きな問題点は、「作品内の世界観と、そこで起こった出来事の間にリアリティが薄い」というところです。同じ城の中で生活している主人公と継母の間で命を遣り取りするならば、もうちょっと情報戦的な要素が絶対に入ってくるはずです。主人公側も彼の命を狙う側も、お互いの城内事情に疎すぎるんですよね。
 例えば、主人公は冒頭で3人の家来から待ち伏せを受けるわけですが、「城内で相手になるのは数名」と分かっているはずの強者を相手にするにしては、これはちょっとお粗末過ぎる相手です。しかもそれで「大丈夫」ってどういう事ですか(苦笑)。普通なら毒殺か色仕掛けで攻めると思うんですけどね。よしんば、そういう間抜けな相手であるとしても、そうである旨の伏線が必要であるはずです。
 で、他にもこういう違和感のあるシナリオが全編に渡って続きます。血を見て凶暴化する場面とそうでない場面の分け方、父親・安槌仁隆の意味不明な行動など、作者にとって都合の良いように話が流れてゆく傾向が強く見られます。これではキャラが立っていようと全く活きて来ません。

 さて、評価のお時間です。絵、ストーリー共にプロとしては“赤点”の内容。ただ、マンガとして成立しないほど酷い作品でもありませんので、C寄りB−くらいの評価でよいのではないかと思います。

 以下、投票行動の公開です。

 ・「個別人気投票」支持しないに投票。(現時点では週刊連載に耐え得る作品ではないとの判断です。勿論、通常の人気アンケートにも票は入れていません)

 ・「総合人気投票」「グランプリ信任投票」でこの作品を支持する事はありえません。


 ……というわけで、今週のゼミは以上です。
 来週で扱う「愛読者大賞」のエントリー作は『摩虎羅』。読者審査員を務められた銀次さんがおっしゃるには、ある意味『エンカウンター』的要素を含んだ作品とのことです。駒木も既に「バンチ」を購入して読んでみましたが、全く同感です(苦笑)。まぁ、詳しくは次週にて。

 


 

2月12日(水) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(29)
第3章:地中海世界(10)〜ギリシアの盟主・アテネの成立とその歩み《続々》

※過去の講義レジュメ→第1回〜第19回第20回第21回第22回第23回第24回第25回第26回第27回第28回 

 全体の10%行っているかどうかだと言うのに、早くも10回目を数えてしまった「地中海世界」編ですが、今日も古代アテネ社会の変遷についてお話をします。次回からペルシア戦争という、この章におけるヤマ場の1つがやって来るため、“尺あわせ”で短縮気味の講義となりますが、ご了承下さい。

 さて、前回は僭主・ペイシストラトスと、その後の息子たちによる政治について講義をしました。ペイシストラトスの子・ヒッピアスが暴政の末に追放され、スパルタまで介入しての大混乱となった…といった辺りまで話が進んでいたかと思います。
 ここまでこの講義を受講されている方にとって、アテネの政局大混乱とニュー・ヒーローの誕生の繰り返しは、もうお馴染みになってしまっていると思いますが、今回もその例に漏れず、新たな有能の士が表舞台に登場して来ます。その男の名はクレイステネスと言いました。

 クレイステネス貴族出身の政治家で、ヒッピアス追放後に台頭して来た有力者の1人です。彼は一時、政敵の圧力によって亡命を余儀なくされたりもしましたが、巧みに一般民衆を味方につけて勢力を挽回し、紀元前508年(ヒッピアス追放の14年後)にアテネの実質的政治指導者の地位に就きます
 前々回の講義でしたか、アテネの財産政を築いた政治家・ソロンについて「保守政党的な改革者」と申し上げましたが、このクレイステネスは「革新(もしくはリベラル)政党的な改革者」(もしくはリベラル)政党的な改革者」と言うに相応しい人物です。彼は制度疲労を起こしている政治システムに見切りをつけ、現実に即した新たな制度を創り上げました。今風に言えば、“構造改革”という言葉がピッタリ合うのではないかと思われます。

 そんなクレイステネスが行った施策は、大きく分けて2点あります。

 まず1点目は部族制の改革です。
 この講義では初登場の部族制ですが、これはアテネのみならず、多くのポリスでは建国前後から維持されていたシステムでした。
 部族の数は、もともとの民族(イオニア人、ドーリア人など)によって異なりますが、イオニア人のポリス・アテネの場合4つの部族に分かれていました。これら各部族は、それぞれ共通の祭神や血縁で結束しており、その部族から出た有力貴族を一致団結して支持するのが常でした。つまりは貴族政治の基礎となるものであったわけです。
 しかし、昔ながらの貴族政が既に時代遅れであると感じていた(事実、これより100年前から貴族政は時代遅れになっていました)クレイステネスは、この部族を事実上解散させてしまいます。かのソロンやペイシストラトスでさえ手のつけられなかった旧弊に大ナタを振るったのです。
 彼の“構造改革”は、まず旧来の4部族を解散させた上で、それとは全く別で形式的な10の部族を新たに設け、全市民をシャッフルします。そして、その10の部族は更に人口で三等分された3つのグループに分けられ、市街部・内陸部・沿岸部の三地区にそれぞれ分散させられました。すると、各地区に10ずつ、合計30のグループが出来上がる事になりますね。このグループを(デーモス)と呼びました。
 この結果、アテネは4つの血縁的な部族から、10の形式的な部族と30の単なる住所を表すだけの区に再構成されました。これによって貴族政の基盤は完全に崩壊し、実質的な終焉を迎えます。
 これ以後のアテネでは、各部族から50人の議員が選抜された500人議会(任期1年、再選は生涯1度のみ)が実質的に政治を行い、それを全男性成年市民からなる民会がサポートする形で政治が行われてゆきます。すなわち、後々まで語られる、アテネ民主政の基礎が出来上がったのであります。

  と、こうして民主政の基礎を創り上げたクレイステネスは、次にそれを守るための制度を設置します。日本語では「陶片追放」の名で呼ばれている、オストラキスモスの制度です。すなわちこれが、クレイステネスの改革の2点目となります。 
 このオストラキスモスとは、アテネの市民全体で政治家や軍事有力者を監視する制度で、端的に言えば民主政を破壊する独裁者──つまりは僭主になりそうな人物を、実際にそうなる前にアテネから追放してしまおう…という、かなりダイナミックなシステムです。
 この制度の下でアテネの市民は、「こいつは僭主になってしまいそうだ」…という人物の名前を陶器のカケラに刻み付け、所定の投票箱へ無記名で投票する事が出来ます。この投票の結果、票数が定数(“一定期間で総計6000票”、または“総票数6000の時点で開票して一定数の得票”など、諸説あり)に達した人物は、アテネから原則10年間追放され、政治にタッチする権利を失います。これによって、多数の市民に好まれざる1人の人物に権力が集中する事が避けられるようになったわけなのです。(ただし、ポリス存亡の危機があった時などは、民会の決議によって追放は随時解除されましたが)

 しかし、ここまでの内容で「おや?」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。こんな疑問を抱かれた方もいらっしゃるでしょう。
 「アテネの僭主政って、意外と良い政治システムじゃなかったんですか?」
 ……そうです。確かに僭主政は、現代人が抱きがちなイメージほど悪いものではありませんでした。が、ここでもう一度、この当時のアテネの状況を思い返してみて下さい。クレイステネスが民主政を始めるたった15年ほど前に、アテネは僭主ヒッピアスの暴走のせいでスパルタの軍事介入を受けるという大混乱を経験していたではありませんか。
 新旧問わず、国家というものは直前に大コケした政治システムを極度に嫌悪します。例えば、現代の日本(というより東アジアのほぼ全体)では旧帝国時代のシステムが嫌悪されているのはご存知の通りですよね。
 この時のアテネも恐らくこの状態だったと思われます。直前に大コケした僭主政を嫌い、“最新トレンド”である民主政を守る気持ちが形となって、オストラキスモスという強力な“独裁者候補監察制度”が誕生したのでありましょう。

 そして実際、このオストラキスモスは数十年ではありましたが、その意図するように働き、アテネの民主政を(半ば無理矢理にではありましたが)守り抜く事が出来たのです。
 しかし時が経ち、この制度の精神が忘れ去られた後には、オストラキスモスは単なる政争の具と化し、追放されるべきでない有力者までが組織票で追放に遭うという事態になってしまいます。これはまた、語るべき時に詳しくお話する事にしましょう。

 ……というわけで、クレイステネスはアテネの社会システムに大改造を施し、それを軌道に乗せる事に成功しました。この安定した状態が今しばらく続けば、アテネの、いやギリシアの歴史も大分変わったと思われるのですが、現実はそれを許してはくれませんでした。

 ──クレイステネスの改革が始まって、まだ10年も経たない紀元前500年。ギリシア本国から地中海・エーゲ海を隔てたアナトリア半島の西端にある植民市・ミレトスから、この地を事実上支配下に置いていたアケメネス朝ペルシアに対する反乱の火の手が上がります

 ギリシアにとって長く、そして辛い戦争が、今まさに始まろうとしていました── (次回へ続く

 


 

2月10日(月) 文学と人間心理
「福岡で『恋の五行歌展』開催」

 今日の講義は、いつものコッテリとした続き物ではなく、コッテリとした単発モノの講義をお送りします。四六時中コッテリですかウチは。

 ではまず、こちらのニュースをご覧下さい。 
 恋を主題に、自分の思いを五行の歌(詩)で表現するというコンクールが開かれ、その優秀作品を発表する展覧会が福岡で開催された…というニュースです。

 自身の言葉で恋を五行でつづった「恋の五行歌展」が14日まで、福岡市・天神のイムズで開かれている。五行歌の会(本部・東京)が公募し、寄せられた1500歌の中から選ばれた最優秀など16歌を含む80歌を展示している。 

 <中略>

 作品は九州を中心に全国から寄せられた。五行歌の会主宰の草壁焔太さんらが審査した。 (朝日新聞福岡版より引用)

 「五行歌の会」という、そのまんま直球勝負なクラブ名が印象的ですね。「オフィスへらちょんぺ」みたいで良いじゃないですか。
 で、この、私たちが普段聞き慣れない「五行歌」というものですが、「五行歌の会」の公式ウェブサイトに掲載されていた説明文によると、

 「五行歌は、音数も自由です。長くても、短くてもかまいません。ただ、詩歌の感じになっていればよいということになっています」

 …とのこと。なんだか最近の小泉首相の答弁並に随分と投げやりな定義付けではありますが、要は“語呂合わせもオチも無くていい大喜利の「あいうえお作文」”と思えば良いようです。

 で、今回の「恋の五行歌展」の最優秀作はこの歌でした。

 卑怯で
 美しいその
 指の背で
 ほどかれたい
 夜がある

 選考にあたった「五行歌の会」主宰・草壁氏の、この作品に対する選評は、「きわどい内容ながら、隙なく完成されていて、その度合いとエロスの極限の内容が同時に存在する不思議さがある」……というもの。
 文学の道を志しておきながら、詩に対する感性だけはどうにもならず愚鈍の極みである駒木にも、確かにこの歌の際どさといったものが窺い知る事が出来ます。だってほら、4行目の「ほどかれたい」「しごかれたい」になると、風俗に行く金が無くて自室で悶々としている貧乏青年の主張になってしまうではありませんか。本当にギリギリですよね。

 ……この他、ニュース記事の中では“秀作”5作品が紹介されていますので、こちらでも引用しましょう。

 「分厚くて/木の香りがする/選んだ家は/あなたの胸板/そのままだった」

 「たった一言/好きと言うのに/何回/深呼吸/しているんだろう」

 「君のかたちに/添うように/せめて/なめらかな/嘘(うそ)となる」

 「かたくなな眉間(みけん)に/口づけて/あなたを/するり/ほどいてあげる」

 「来いよ恋/はやく恋/すぐ恋/今恋/どんと恋」

 ……さすがに“秀作”らしく、どの歌も味わい深いものばかりですね。
 特に駒木の目を惹いたのは2番目の歌困った顔で立ち尽くす女の子の前で、顔を真っ赤にしたニキビ顔のチェリーボーイが、両手に持ったラブレターを引き千切らんばかりに震わせながら「ゼーハーゼーハー」と荒い息を過呼吸気味にブチかましている情景が鮮やかに浮かんで来ました。
 しかし一番最後の歌、これは歌そのものよりも、この歌を“秀作”に持って来る選者の度量の深さの方を褒めてあげたいです。ちなみに駒木はこの歌を見た瞬間、大阪ローカルCMで有名な居酒屋・「やぐら茶屋」を思い出してしまいました。♪はぁ〜あ、どんと恋!

 ちなみに駒木は、“最優秀作”や“秀作”から漏れて“佳作”に留まった、88歳の田中潔さんが亡き妻を思って作った歌

死の床で君は
小声でささやいた
私は幸福でした。ありがとう。
その一言で
私は今も幸せ

  ……が一番のお気に入りです。少なくとも「どんと恋」よりは上だと思うんですが、やはり駒木の詩や歌に対するセンスというのはどこかおかしいようです。

 ──しかし、ここで余計な事と承知の上で一言申し上げさせて頂きたいのですが、駒木にとってはこの五行歌、語呂が合っていないのがどうにも気になって仕方ありません
 いや、まぁ文学の世界には自由律俳句という完成された世界もありますので、それが悪いといっているわけでは決してありません。ですが、それでもこういう短詩を読んでいると、日本伝統の七五調が恋しくなってしまうのです。

 この七五調、よほど日本語の発音と相性が良いのか、日本の文学で七五調を採用しているジャンルは数多くあります。万葉集の時代から存在する短歌をはじめとして、俳句、川柳、都都逸などなど。そして、口語・散文が中心となって久しくなった現在でも、七五調は日本語の世界に深く根付いています。

 例えば、間もなく発売される椎名林檎さんの最新アルバムのタイトルです。その名も「加爾基 精液 栗ノ花(カルキ ザーメン クリノハナ)。どうです、見事な七五調ではありませんか! 21世紀の最新Jポップの世界にも日本の伝統文化は息づいているのです。

 春風や 加爾基 精液 栗ノ花

 朝顔に 加爾基 精液 栗ノ花

 五月雨の 加爾基 精液 栗ノ花

 ……どうです、上に季語をつけるだけで松尾芭蕉も顔負けの趣深さ。まさに元禄文化と平成文化のコラボレーションであります。

 しかも七五調はJポップシーンだけのものではありません。今ではスポーツ新聞の三行広告でも七五調が採用されているそうです。
 例えば、駒木が最近になって存在を知った三行広告のフレーズに、

顔騎・3P・フェチ・匂い

 ……といったものがありました。これも素晴らしいまでの七五調となっています。
 ちなみに「顔騎」とは「顔面騎乗」の略語。裸の女性が男性の顔面に座るというプレイで、特にマゾの気がある国会議員の皆さんに好まれているようです。

 そして、この一見、文学と全くかみ合わなさそうなフレーズでも、日本の古文学との融合が可能です。

 旅行けば 顔騎・3P・フェチ・匂い

 ──まさに「旅の恥はかき捨て」。せっかく旅行に来たんだから、割り勘でホテトル呼んじゃおうぜ! 出張費あるからオプションもバリバリだぜ! ……という出張中の営業部・体育会系若手サラリーマンを詠んだ一句です。

 柿食えば 顔騎・3P・フェチ・匂い

 ──セックスは衣食住と同列に扱うべき、人間にとってなくてはならない文化である…という性の解放のメッセージを含んだ作品ですね。いや、素晴らしい。

 すずめの子 顔騎・3P・フェチ・匂い

 ──これなどは、生命の神秘を題材に選んだ哲学的な作品でしょうか。

 月見して 顔騎・3P・フェチ・匂い 

 ──気持ちは分かりますが、野エロは犯罪です。


 ……どうです、見事なもんじゃありませんか。まさに何でも来い、「どんと恋」の七五調です。
 あ、今気付きましたが、「──すぐ恋/今恋/どんと恋」って、七五調ですね。やっぱりこの、「笑点」で林家こん平が詠んだ後に円楽師匠から「そんなのガラじゃないよ」と言われて座布団全部持って行かれそうな歌が“秀作”になった要因というのは、どうやら七五調にありそうですね。うーむ、恐るべし、七五調

 と、一応の結論が出たところでお時間となりました。それでは最後に五行歌の会関係者、並びに椎名林檎様へのメッセージを発信しながら、今日の講義を終わらせて頂きます。

 ネタにして ゴメンなさいと 土下座する

 お粗末様でございました。 (この項終わり)

 


 

2月9日(日) 労働経済論
「役に立たない? アルバイト時給案内」(8)

※前回までのレジュメはこちらから→第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回 

 さて、受講生よりも講師の方がやけにノリノリ&暴言・放言上等…という、実に困ったお時間が今週もやってまいりました(笑)。

 「観察日誌」でも書いてもらった通り、先週の水曜日に件のクソゲーム屋の跡地を見に行ったんですが、まぁ現場は完璧な廃ビル状態でした(笑)。もう1年以上入居者が無く、「テナント募集中」の看板すら剥がされたままという惨状。
 しかも、その負のエネルギーの侵食は止まる所を知らず、すぐ横のガソリンスタンド、裏のお好み焼き屋、斜め向かいの焼肉屋までがご臨終という恐ろしさ。数十m先の回転寿司屋に至っては、初めの店が潰れ、居抜きで入った次の店も潰れ、今度は鉄板焼き屋としてオープン準備中という始末です。もお何と言いますか、まるで中世ヨーロッパの黒死病に襲われた村を思わせる異様な光景でありました。
 この分だと、その内にすぐ近くの役所と交番まで倒産するかも知れません。あな、恐ろしや。

 ……まぁ冗談はさておきまして、クソゲーム屋であります。前回は「店長」の紹介をしたところで時間切れとなりましたが、今日も経営陣ファミリーの人となりを紹介してゆきましょう。

 今日紹介するのは、オーナーファミリーの三男坊。彼はこのクソゲーム屋唯一の平社員にして最凶の人物で、この店にバイトとして勤めた人間全員が極めて明確な殺意を抱く…という人間のクズであります。
 誰が呼んだか、というか駒木が命名した彼奴の仇名「ポンカス息子」。ポンカスとは麻雀用語で、ポンされた後1枚だけ余った使いようの無い牌の事。そこから転じて、「天カスよりも使い途が無くてチンカスよりも知名度が低いカスの中のカスという意味で使用されたものでした。

 ……この仇名、今から考えたらさすがに酷いと思いますが、その当時はバイト連中の総意をもって実際に職場内で使用されていたのですから仕方ありません。
 思えば、ビザンツ帝国の皇帝にも「糞」という仇名をつけられた人物が実在しました。そしてこの「ポンカス息子」も1人の歴史上で実在する人物であります。実在の人である以上はその人物像を歪めて記述してはいけません。朝日新聞でもないのに歴史的事実は歪曲してはいけません北朝鮮はパラダイスではなかったのです! 日本人は拉致されていたのです! よって、この「ポンカス息子」という言葉も、決して意図的に隠蔽されてはならないのです! 分かりましたか、皆さん! 
 ……「分かりません」と言った人の方が多いような気もしますが、すぐ隣でヒップ・ホップをMDウォークマンから派手に音漏れさせている金髪・顔面ピアスだらけの若者にそうするように、ここは敢えて見て見ぬ振りをさせて頂きます。

 ──というわけで、「ポンカス息子」です。

 まず彼奴の年齢ですが、当時確か21〜2歳だったと思います。長兄の「店長」と同様に専門学校を出たまでは良いのですが、本人の不徳と親の過保護の致すところで就職先が得られず、かといってバイトする気も無いままで、ずぅっと家に引き篭ってゲームばかりして過ごしていました。ハイそうですね、入った筋金すら腐食していそうなロクデナシですね。
 で、この親が所有するゲーム屋の仕事で数年遅れの社会人デビュー。何より恐ろしいのは、このクソゲーム屋そのものが、この「ポンカス息子」の就職先として設けられたものだったという事です。先日、「ニュースステーション」で失業保険の掛け金を湯水の如く蕩尽させている特殊法人の特集をやっていましたが、この店は言ってみるなら私立特殊法人というわけです。公立の特殊法人と違う点は、公立の方では働く人が甘い汁を吸えますが、私立の方は苦汁しか吸えない所にあります。

 そして彼は、原則的に仕事が出来ません。というか、しようともしません。
 3勤1休で定時出勤こそして来ますが、店でやっている事は「仕入れ予定の商品を吟味する」ためのエロゲー雑誌の閲覧と、「起動チェック」のために来客テストプレイ用のTVゲームに興じる事の2つのみ。駒木は業界のド新人だったので詳しく存じ上げませんが、起動チェックという作業には“マイ・メモリーカード”が必要なんでしょうか?
 母親であるオーナーが公休日の時などは状況が更に悪化しました。お客様が来店され、テストプレイ用のゲームに大変興味を示されている時でも完全無視。モニターTVのスピーカーから「波動〜け、昇〜竜け、昇〜竜拳!」見事な合成音声の勇ましいラップを奏でさせる有様です。
 ……と、そこへ「店長」がやって来まして、それを見ていた駒木も「お、さすがに兄貴らしくビシっと決めるかな?」…と思っておりましたところ、なんと今度は兄弟揃ってヌケヌケと対戦プレイなど始めるではありませんか! この時ばかりはさすがの駒木も、「お前らの知能はファミコン版ドラクエ4のクリフト以下か、このアホンダラ!」…などと、はしたない罵りを浴びせ掛けたくて仕方ありませんでした。

 ……しかし、そこで終わるならば、この「ポンカス息子」も「心底使えない困った奴」止まりです。が、そこで終わらないのがポンカスがポンカスたる由縁なのです。
 彼奴は先ほども言いましたが、クソゲーム屋の正社員です。という事は駒木たちアルバイトの上司という事になります。バカ殿でも殿、みたいなものですね。
 で、このポンカスは最低なことに、親の七光りで得られた“正社員”というポジションを利用して、バイトに上司風を吹かせまくるのです。
 初めは「ポンカス息子」も引き篭もりの特性か、バイトとの接触を極力断ち、ジッと大人しくエロゲー雑誌を読んでいました。が、やがて「バイトは立場上自分に逆らえない」と言う事に気がつくや、小林よしのり氏が描く川田龍平のような歪んだ笑みを浮かべつつ、ゴチャゴチャと上司命令(!)を連発するようになったのです。
 しかも本当に最低なのは、その際の「ポンカス息子」の行動パターンです。このボケポンカスは、駒木ら自分より学歴の高い大学卒のバイトには執拗に嫌がらせをする一方で、自分より学歴の劣る高卒のバイトには優越感を浸らせながら“お目こぼし”をしてやるのです! 嗚呼、なんと醜い心でしょうか!

 ……受講生さんの中には、背筋に怖気が走った方もいらっしゃるかも知れませんね。でも駒木はそんな輩がいる職場で2ヶ月働いていたのですしかも時給750円で。

 もっと語りたい事はあるのですが、ちょっとこれ以上続けて「ポンカス息子」について語っていると、頭がおかしくなって満員の地下鉄の中で車掌アナウンスのモノマネなどしてしまいそうになりますので、他のエピソードは別の日に回しまして、今日はここまでにしたいと思います。

 そして次回は、この「店長」と「ポンカス息子」をこの世に産み落とした母親──クソゲーム屋のオーナーについてお話したいと思います。この講義で不快になった方、申し訳有りません。今後、受講されるのが辛かったら、このシリーズだけは自主休講なさっても結構です。

 では、次回もお楽しみに(「渡る世間は鬼ばかり」の、石坂浩二のナレーション風に)。 (次回へ続く

 


 

2月8日(土) 競馬学概論
「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(5)
第2章:ライブリマウント(中編)

※過去のレジュメはこちらから→ビワハヤヒデ編(第1〜3回)/ライブリマウント編(第4回

駒木:「はい、今年に入ってから全く馬券が当たらず、『こんな講義してるヒマあったら、キッチリ予想しろ』と言われそうな駒木です」
珠美:「博士、また自虐的な事を……(苦笑)」
駒木:「最近、言われそうな文句を先に言うクセがついちゃってね(笑)。……まぁいいや、時間も無いし、さっさと本題に移ろう」
珠美:「…ハイ。今日も交流競走時代初期の名ダート馬・ライブリマウント号の現役時代を追いかけてゆきます。まずは改めて同馬の成績表をご覧下さい」

ライブリマウント号・全成績(略式)
<詳細はこちらのリンク先を参照>
日付 レース名 着順 騎手 1着馬(2着馬)

93.11.14

新馬戦

/14 石橋

(マヤノファンシー)

93.12.26 さざんか賞(500万下) /16 石橋

ビコーペガサス

94.01.15 寒梅賞(500万下) 3/12 石橋 エイシンオクラホマ
94.02.13 飛梅賞(500万下) /12 石橋 (ゴールデンジャック)
94.03.13 すみれS(オープン) 11/13 石橋 イブキテヂカラオー
94.04.24 葵S(オープン) 6/14 石橋 マルカオーカン
94.05.08 京都4歳特別(G3) 8/14 石橋 イイデライナー
94.06.11 北斗賞(900万下) /7 石橋 パリスケイワン
94.07.03 羊蹄山特別(900万下) /10 藤田 (フォスターホープ)
94.07.24 タイムズ杯(オープン) 4/10 藤田 マキノトウショウ
94.08.14 巴賞(オープン) /12 石橋 フォスターホープ
94.09.04 シーサイドオープン(オープン) /12 藤田 マキノトウショウ
94.11.26 花園S(1500万下) /16 石橋 (リドガイ)
94.12.17 ウインターS(G3) /16 石橋 (バンブーゲネシス)
95.01.16 平安S(G3) /8 石橋 (ヤグライーガー)
95.02.18 フェブラリーS(G2) /16 石橋 (トーヨーリファール)
95.04.13 帝王賞(重賞) /15 石橋 (アマゾンオペラ)
95.08.16 ブリーダーズGC(重賞) /9 石橋 (キソジゴールド)
95.10.10 南部杯(重賞) /10 石橋 (ヨシノキング)
95.12.21 東京大賞典(重賞) 4/16 石橋 アドマイヤボサツ
96.01.24 川崎記念(重賞) 3/10 石橋 ホクトベガ
96.03.27 ドバイワールドC 6/11 石橋 シガー
96.06.30 札幌記念(G3) 13/14 石橋 マーベラスサンデー
96.08.15 ブリーダーズGC(重賞) 8/10 石橋 メイショウアムール
96.09.07 シーサイドS 9/12 石橋 キョウトシチー
97.02.16 フェブラリーS(G1) 10/16 石橋 シンコウウィンディ
97.03.20 名古屋大賞典(重賞) 5/12 石橋 メイショウアムール
97.04.12 プロキオンS(G3) 15/16 石橋 バトルライン
97.05.03 アンタレスS(G3) 10/16 石橋 エムアイブラン
97.05.28 かしわ記念(G3) 9/11 石橋 バトルライン
97.06.24 帝王賞(G1) 11/12 南井 コンサートボーイ

駒木:「先週はデビューから3歳9月のシーサイドオープンまで話をしたんだよね」
珠美:「そうですね。デビュー戦の圧勝から芝戦線での停滞、そして本格化する直前までを振り返っていただきました」
駒木:「今日採り上げる範囲は、全盛期のライブリマウントってことになるね。3歳11月からの7連勝と、その直後、まさかの惨敗を喫した東京大賞典までの話をする事になるね。
 中でも詳しく採り上げたいのが、7連勝中のラストにあたる南部杯。恐らく日本競馬最後のローカル・チャンピオンになるだろう、トウケイニセイという馬のエピソードも絡めながら講義を進めていこうと思う」
珠美:「……
分かりました。それではよろしくお願いします。
 ──ではまず、休養明け緒戦の準オープン戦・花園ステークスから。この1800mのレースを、中位待機から4コーナーで進出してゆくという余裕たっぷりのレースで差し切り勝ち。ここから華々しい7連勝がスタートすることになります」
駒木:「ポイントは、ここからライブリマウントの戦法がマイナーチェンジされているところだよ。以前のライブリマウントは、どちらかと言うと先行ジリ脚タイプだったんだけど、このレースを境に中位から後方に待機して、3コーナーからロングスパートするようになった」
珠美:「(詳細な成績表を見ながら)……あ、本当ですね。連勝が始まる前と後では道中の位置取りが少し違いますものね。
駒木:「まぁ、後に公営競馬に出走するようになってからは先行のレースに戻るんだけどね。でもこれは脚質転換というより、出走馬の実力差が大きすぎて、自然と先行する形になってたんだけど」
珠美:「……でも博士、これだけで随分と走り振りが違って来るものなんですねー」
駒木:「まぁ、理由はそれだけじゃないだろうけどね。でも、ちょっとした走り方や騎手の御し方の違いで成績が随分と違って来る事はよくあるんじゃないのかな。ほら、例えば珠美ちゃんが大好きだったステイゴールド。武豊騎手が乗った時の末脚は、他の騎手が乗った時とは雲泥の差があっただろう?」
珠美:「あ、なるほどー……」
駒木:「だから、ライブリマウントはこの頃に自分の脚の使い方っていうか、能力の発揮の仕方を覚えたんだろうね。主戦の石橋騎手も完全にこの馬を手の内に入れたのか、勝ち方に無駄が無くなってる。どのレースも0.3秒以内の着差で、キッチリ差し切っているか、抜け出してから余裕を持って粘り込ませているか。……こう言っちゃアレだけど、普段の石橋騎手からは想像も出来ない緻密さだよね(苦笑)」
珠美:「えー、その件に関しましては、私からはコメントを控えさせて頂きます(苦笑)。……そして、オープン入りを果たしたライブリマウントは、当時数少なかったJRAのダート重賞競走を1つ1つ狙い撃ちしてゆきます
 まず12月に冬の中京開催のウインターステークス(G3)、次に年が変わって1月京都の平安ステークス(G3)、そして2月には当時G2競走ながら、ダートレース最高グレードの競走だったフェブラリーステークス。コースも距離もバラバラなんですが、全部同じような勝ち方で3連勝を飾ってしまいました。凄いですねー」

駒木:「コースが違うって事はダートの質も違うわけだからねぇ。例えば京都のダートは軽いんだけど、冬の東京は湿気を含んで砂が重くなる。で、距離が1600mから2300mだもんなぁ。どうもこの馬は本質的にはマイラーだったみたいなんだけど、それで2300mもこなすわけだから感服するね。今ほどダート戦線の層が厚くなかったといっても大したもんだと思うよ」
珠美:「あら? でも博士、この3レースともライブリマウントは2番人気なんですね」
駒木:「そう。ウインターと平安はバンブーゲネシスが、フェブラリーはフジノマッケンオーが1番人気だったんだよ。どっちも前からダート重賞で実績があった馬だったから仕方ないとは言えるけどね。でも、フェブラリーステークスで完勝してから周囲もようやくこの馬がNo.1ダートホースだという事を認めるようになった
 だから、本当の意味で“王者・ライブリマウント”としてのビクトリー・ロードが始まったのはここからってわけだね」
珠美:「こうしてJRAのダート・チャンピオンとなったライブリマウントは、今度はこの年から本格的に開始した中央・地方交流競走へと矛先を向けるようになります」
駒木:「全国各地の公営競馬場に道場破りしに行く感覚だね(笑)。
 ……というのも、当時は公営競馬同士の交流競走もあまり無かったから、全国各地に競馬場ごとのチャンピオン・ホースがいるって感覚だったんだよね。で、ライブリマウントは中央競馬のローカル・チャンピオンとして、全国各地のチャンピオンたちに戦いを挑みに行ったってわけだ」
珠美:「そんなライブリマウントの“道場破り”の1箇所目は、いきなり公営競馬の最高峰・大井競馬場でした。以前から中央競馬との交流競走として伝統を築いていた大レース・帝王賞にエントリーしました」
駒木:「今でも春の大一番だよね、帝王賞は。で、この時の相手は南関東のチャンピオン・アマゾンオペラ。その後にアブクマポーロとかトーシンブリザードとかが出て来ちゃったんで、今では影が薄いんだけど、それでも立派なチャンピオン・ホースだよ」
珠美:「そのアマゾンオペラも、全盛期のライブリマウントには敵いませんでした。ライブリマウントは『大井は先行有利』のセオリー通りに3コーナーで先頭に立つと、アマゾンオペラの追撃を悠々と完封して5連勝を達成します」
駒木:「密度の濃い5連勝だよねぇ(笑)。今だったらどれだけ話題になるか分からない。……ていうか、この時も話題にはなったんだけど、別の地方にもう1頭強い馬がいたからね。『日本一を名乗るなら、この馬を倒してから名乗れ!』……って感じだったかな」
珠美:「それがこの後に登場する、岩手のローカル・チャンピオン・トウケイニセイというわけですね」
駒木:「そういう事だね」
珠美:「では、そこまで話を進めてゆきましょう。…この後ライブリマウントは再び4ヶ月の馬体調整休養を摂り、今度は8月のブリーダーズゴールドカップに出走します」
駒木:「これはホッカイドウ競馬の大一番だね。今あるジャパン・ブリーダーズカップの原型のようなレースで、アメリカのブリーダーズカップみたいなのを日本でもやろうっていう試みのレースだった。体制が整う前に馬産地に大不況がやって来て計画倒れになっちゃったんだけどね(苦笑)」
珠美:「このレースでは残念ながら道営や他地区の主力クラスが欠場してしまったため、JRA所属馬の争いになってしまいました。そして、この時のライバルはキソジゴールド。大変遅い出世の後にダートの強豪に昇り詰めた馬だったんですが、この時はライブリマウントが終始先行して完勝しています」
駒木:「キソジゴールドは、この後旧表記9歳……だから8歳になってG2のオグリキャップ記念を勝ったりするほどの強い馬だったんだけど、この時は相手が悪かったねぇ」
珠美:「これでライブリマウントは6連勝。そしていよいよ、この馬の道場破りも最終関門となりました。岩手は水沢競馬場の南部杯。迎え撃つは先ほどから何度も登場しています、トウケイニセイです」
駒木:「ここで簡単にトウケイニセイの経歴を紹介しておこうか。
 トウケイニセイは父トウケイフリートという、生粋の“岩手血統”で、当然デビューも岩手県競馬だった。ただ、2歳9月にデビュー勝ちを収めた直後に重度の屈腱炎にかかってしまって、それから1年半を棒に振る。よくぞ1年半も引退させずに待ち続けたもんだと思うけど、それだけ期待されていたんだろうね。
 復帰は4歳の4月。で、ここからトウケイニセイは18連勝というとんでもない記録を樹立する」
珠美:「18連勝ですか。凄い話ですねー」
駒木:「まぁ、これには少しカラクリがあるんだけどね(苦笑)。復帰直後のトウケイニセイはそれまでの経歴が1戦1勝だから、当然最下級条件からの出発になるよね。で、公営競馬はクラス分けが細かいから下級条件の馬は本当に弱いんだけど、その代わりに賞金も低いから出世に時間がかかるってわけ。
 だから、こういう高い素質を持った馬が最下級条件から出発した場合、自然と連勝記録が伸びる事になる。中央競馬なら、未勝利戦から始まる各条件をそれぞれ4〜5回走る感覚かな」
珠美:「それでも凄いと思うんですけど、私は(笑)」
駒木:「まぁね。勝ち続けるってのはそれだけで凄い事だし、トウケイニセイは屈腱炎が燻った状態のまま戦っているわけだから、調教もロクに出来ない状況だったんじゃないのかな。結局、トウケイニセイは岩手から一歩も出ないままで競走生活を終えるんだけど、その理由に『中央の芝や他の競馬場では脚元に負担がかかるから、怖くて出せない』というのがあったと思うよ」
珠美:「それは本当に凄い話ですね」
駒木:「だからライブリマウントが重賞5連勝しても『まだまだ』なんだよ(笑)。 
 ……で、トウケイニセイはその後1回だけ不覚を取って2着に負けた他はトントン拍子で出世してオープン入りを果たす。それからはモリユウプリンスっていうライバル馬にも恵まれて、実績を積む一方で人気も急上昇。たちまち岩手のアイドル・ホースになっていったんだよ。
 で、この南部杯を迎えた時点でのトウケイニセイの戦績は41戦38勝。しかも2着3回でオール連対だ。岩手ローカルとは言え、重賞勝ち鞍も11を数える。まさに最強のローカル・チャンピオンと言っていいだろうね。
 ただ、惜しむらくは交流競走の開始がこの馬にとっては遅すぎた。何しろ、この時──ライブリマウントの挑戦を受けた時には8歳(旧表記9歳)だったわけだからね。まだこの時もバリバリの現役だったとは言っても、やっぱりギリギリのレヴェルでは衰えが始まっていただろうからね」
珠美:「その博士がおっしゃる『ギリギリレベルの衰え』が出てしまったのでしょうか。この南部杯はライブリマウントが1着、トウケイニセイは精彩を欠いて3着に終わります。トウケイニセイにとっては42戦目での連続連対記録ストップでした」
駒木:「この時の公営競馬ファンの失望ぶりったら無かった。精神的支柱が崩れちゃったわけだからね。まぁ確かに、1つの時代が終わりを告げた象徴的なレースだったね。
 ちなみに、トウケイニセイはこの後、岩手ローカル重賞の桐花賞を引退レースに選んで、見事有終の美を飾っているよ。最終成績は43戦39勝、2着3回3着1回、そして重賞12勝。本当に偉大な馬だった」
珠美:「こうして、誰もが認めるダートの王者となったライブリマウントですが、残念ながらと言うか、これが現役生活の中におけるピークだったようです。
 この後に出走した年末の大一番・東京大賞典で、ライブリマウントは1年3ヶ月ぶりの敗北を喫します。3着でした」

駒木:「苦労してチャンピオンになって、せっかくこれから防衛を重ねようって時にねぇ。今から考えたら距離がいかにも長すぎるんだけど(当時の東京大賞典は2800m)、それまで全く弱みを見せなかった馬がコロリと負けたもんだから、動揺は隠せなかったね。ここと、次の川崎記念を勝っておけば、これほど『埋もれた名馬』になる事は無かったと思うんだけど」
珠美:「……というところで、続きは次回と言うことですね?」
駒木:「そうだね。来週は第1回のドバイワールドカップの話を中心に講義を進める事にしようかな。じゃあ講義を終わります。珠美ちゃん、ご苦労様」
珠美:「ハイ、お疲れ様でした」 (次回へ続く

 


 

2月7日(金) 文化人類学
「2002年度フードファイター・フリーハンデ(2)〜総括」

 ※第1回(早食いの部・確定レイト)のレジュメはこちらから。 

 先週の第1回に引き続いて、「2002年度フードファイター・フリーハンデ(以下「FFハンデ」とする)」をお送りします。
 今回は総括ということで、まず始めに「FFフリーハンデ」の全選手レイト一覧表を公開した後、例によって蛇足ながら、駒木の視点によるフードファイト界における2002年の動きと今後の展望について一筆お届けします。

 ではまず、ハンデ一覧表から。レイアウトの都合上別ページとなりますので、リンク先を辿ってご覧下さい。

こちらをクリックして下さい
(新しいウィンドゥが開きます)

  

 では、以下より総括文です。文中では敬称略・文体を常体に変更してお送りします。


 既に何度も述べた事ではあるが、何度でも繰り返さねばならないだろう。02年春以降のフードファイト界は、未曾有の氷河期と言うべき状況に晒された。
 そんな文字通り“お寒い”状況を象徴する出来事と言えば、やはりフードファイトを扱ったテレビ番組の激減が挙げられるだろう。「TVチャンピオン・大食い選手権」や「フードバトルクラブ」といったフードファイト競技会中継は中止となり、バラエティ番組においても、フードファイトに関わる企画は皆無ではないがほとんど見られなくなってしまった。
 そしてこの状況は、今のところ全く改善の兆しは見られない。恥ずかしながら、昨夏の「FFフリーハンデ・中間レイト」の総括文では、「秋には『大食い選手権』が復活するのではないか」…という旨の楽観的な展望を述べてしまったのだが、現時点では、昨秋の復活どころか今年での再開すら全くメドが立っていない状況である。
 まさに熱しやすく極端に醒めやすい日本のテレビ業界の性格を体現したような出来事ではある。が、そのような脆弱な基盤に依存する他なかったのがこれまでのフードファイト界だったわけなのだから、これはテレビ業界だけを責めるわけにはいかないだろう。バブル経済崩壊の理由を政府の失策だけに求める事が不毛である事と同様に、フードファイト界にも簡単に“切られる”だけの理由があったという事なのだ。
 これからのフードファイト界にとって大切な事は、まず自らを省みて、修正すべき点を抜本的に改革することである。今の内にやるべき事を完遂しておけば、近い将来、節操の無いテレビ業界が再びフードファイト界に振り向いた時に、業界はこれまでとは比べ物にならない繁栄を実現する事が出来るだろう。
 もっとも、一部では既にそのような考えに至り、改革を始めようとする動きが徐々に持ち上がっているようだ。これはまた後に改めて紹介することにしよう。

 ──さて、そういうわけで、テレビを主体とした活動を封印されてしまったフードファイト界ではあるが、そんな厳しい環境の中でも地道な活動を続けている選手たちもいる。

 そんな選手たちの中で、1人代表的な存在を挙げろと言われれば、加藤昌浩の名前を真っ先に挙げねばならないだろう。
 加藤は件の死亡事故以降も全くモチベーションを落とす事なく、それどころか更に意欲を増したかのような様子で全国各地のローカル系競技会への一般参加を続け、時には1日2大会(!)のペースで一選手としてベストプレイを尽くした。ローカル系の競技会は早食い系競技がメインのため、早飲み・大食いを得意をする加藤にとっては実力がフルに発揮できる環境とは言えなかったが、逆にそれが他の一般参加者と勝負するための絶妙のハンデに働いて勝負の面白さが増し、結果としては競技会を大いに盛り上げる事になったようだ。
 加藤の極めて精力的な、それでいて地に足のついた活動振りは、このフードファイト氷河期に生きる選手たち──特にトップクラス入りを目指している中堅クラスの──にとっては一つの指針と言って良いのではないかと思う。どれだけ苦しい状況に置かれても活動の仕方はいくらでもある。問題はどれだけ本人が「やろう」と思うかである。その事を教えてくれた加藤には心から賛辞を贈りたい。

 勿論、この他にもトップクラスの選手たちによる地道な活動は数多く見られた。02年秋以降、沈黙するテレビ界と対照的に、全国各地では徐々にローカル系競技会や“大食いイベント”の数が増えており、そこへトップクラスの選手が司会やゲストとして出向き、ある種の普及・啓蒙活動を行うというケースが多く見られている。
 そういう舞台で活躍しているのは、主にFFA(フードファイター・アソシエーション)勢やタレント事務所に所属する新井和響などで、彼らは個人とは別に外部との交渉窓口を持っている。これは02年春までのフードファイト・ブームで築いた“貯金”であり、彼らはそれをを上手く活用できているようだ。多少意味は異なるが、「備えあれば憂いなし」といったところであろうか。

 しかし、一たびフードファイト界全体の様子を俯瞰してみれば、その勢力がピーク時に比べて退潮著しいのは明白である。どれだけ地道に活動を続けようと、一般の認識からすればフードファイトは既に“過去のモノ”となっており、今では最もマスコミ媒体に露出の多い小林尊ですら、夕刊紙の手にかかれば“あの人は今”である。やはり失われたものは非常に大きかったのだ。
 そして退潮を迎えた業界というのは、ジャンルを問わず大きな“うねり”のようなものが巻き起こる。それまで業界内で大手を振っていた人物や団体が、本当に呆気なくその実力を失い、フェードアウトしてゆく事になってゆく。
 それはこの度のフードファイト界でも例外ではなく、02年秋になって遂にその類の出来事が起こった。岸義行主宰の「日本大食い協会」が突如その活動を停止し、岸本人も表舞台から姿を消したのである。

 この活動停止劇はまさに青天の霹靂であった。ある日、突然岸の、そして「日本大食い協会」の公式ウェブサイトである「大食いワンダーランド」から、メインコンテンツであったBBSを含む大半のコンテンツが削除されたのである。しかもこれは何ら予告する事無しに行われた。岸の周辺の事情を知る人物によると、このコンテンツ削除はBBSの管理人である別府美樹にも無断で行われたそうで、どうやら岸の独断専行で実施された“暴挙”のようである。
 では何故、岸はそのような行いをするに至ったのか。現時点で岸が何らコメントを発していないため、全ては推測で語る他ないのであるが、それでも多くの状況証拠を総合してみると、「(02年秋に開催予定だった)第2回『全日本大食い競技選手権』の開催遅延とその理由が説明出来ず、思い余って隠遁した」…という説に行き着く。
 実は駒木も「大食いワンダーランド」のBBSには度々出入りしていて、以前は積極的に書き込みをする事すらあったのであるが、今回のBBS閉鎖が強行される直前も書き込み内容の閲覧のために件のBBSを“訪問”していた。
 その時点のBBSはかなり荒れ気味で、2ch掲示板でも“荒らし”扱いされるような暴言を連発する輩が現れ、岸や別府に対して「全日本大食い競技選手権」の開催の遅延とその理由の開示を強行に迫っていた。しかし、後で述べるように、その理由は岸らにとっては到底開示できるようなものではないため、彼らは沈黙を守る他無かった。だが、それでは“荒らし”の詰問は止む所を知らないし、やがて早期の事態収拾を望む他のBBS参加者も理由の開示を求めるようになった。状況は末期的局面へと猛スピードで突き進む。そして、間もなくBBSと岸らは忽然と姿を消した。それは、あっという間の出来事であった。

 ……それにしても、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。また、「全日本大食い競技選手権」の開催が遅延し、その理由が開示できない訳は何か?

 その部分を解き明かすためには、岸のフードファイト業界における活動と他の関係者との関わりについて語らなければならない。
 だが、実はこの話題については、何をどう話しても支障が出るという厄介なもので、どこまで詳細に語るべきか非常に迷うところである。だからこそ、駒木も今まで語る事を躊躇し続けていたのであるが。しかしこの度、フードファイト界の将来の事も考慮して、必要最小限の範囲でこの“禁断の地”に踏み込む事にする。どうかご了承を願いたい。

 そもそもの話、この岸義行ほど、業界の内と外で評判が異なる人物も珍しかった。彼はフードファイト・ファンの間では絶大な信頼を得ているにも関わらず、業界内での評判は外でのそれと全く対照的であったのだ。
 特に岸との確執が顕著だったのは、FFA勢や新井和響といったフードファイト界の主力選手たちで、実のところ彼らと岸とは1年以上前からほぼ絶縁状態にあったらしい。
 この事は一般のファンの方たちには信じられない事かも知れない。何しろここ1年の間にも、岸と彼らが同じイベントやテレビ番組に出演していたのだから。が、少なくとも“本番中”以外の時間では、両者の間に接点は全く無かったと言っていい。これは、この度の騒動の中で新井和響──岸とトーク番組で共演した事もある──が残した「岸とは第1回『全日本大食い競技選手権』以来、接点がなかった」という旨のコメントからも窺い知れる事である。

 この確執の出発点は、いみじくも新井が語ったように、第1回の「全日本大食い競技選手権」にあったそうだ。
 この競技会は主催者の岸の他、小林尊、白田信幸、山本晃也ら当時のトップクラスほぼ全員が参加した大規模な大会で、件の新井も司会を務めていた。そして、競技会そのものも極めて盛況の内に滞りなく終了したのであるが、どうやらその直後に問題が発生したらしい。
 その問題の内容は非常にデリケートな部分も含むので詳述は差し控えるが、少なくとも岸が参加選手・スタッフの信頼を失うに十分なトラブルであった事だけはお伝えしておく。

 そして、この芽生えた確執にトドメの一撃を打ち込んだのが、その直後に実施された「フードバトルクラブ2nd」であった。そう、フードファイト・ファンの間では未だに解決されていない論争が燻っている、あの競技会である。
 さて、この「フードバトルクラブ2nd」において、岸は2つの“疑惑の行動”を起こしている。
 1つ目は2回戦で行われた、45分間の体重増加競技・「ウェイトクラッシュ」での計量時に重りを持って体重計に乗ったという疑惑である。かつて写真週刊誌でのインタビューで匿名の指摘がなされた事があったのを覚えている方もいるだろう。ただ、これに関してはあくまで“疑惑”という範疇らしく、“刑事裁判ならシロ”という段階であるようだ。
 そして2点目が、準決勝「シュートアウト」のVS山本晃也戦でのテーマ食材選択の件である。蕎麦アレルギーで寿司嫌いの山本相手に、わんこ蕎麦と握り寿司を指定したあの“ラフプレー”だ。ただ苦手なだけの寿司はともかくとして、下手をすれば死に至る可能性のある蕎麦を食材に選ぶと言うことは、やはり到底褒められたものではないだろう。(事実、この行動は、業界内で岸派とされる選手ですら激しい不快感を抱くものであったと聞く)
 この件についてはファンの間でも喧々諤々の論争がなされ、岸が「私が山本君が蕎麦アレルギーだと知っていたと言ったことがありますか?」という極めて微妙なコメントを発した事もあって未だに結論が出ていないのであるが、実のところ業界内では「岸は山本の蕎麦アレルギーを既に知っていたはずだ」という認識が定説化している。その根拠は、先述の「全日本大食い競技選手権」の際に岸が出場選手に詳細なアンケートを採っていた事、また、山本の蕎麦アレルギーが、この時点で既に大半の主力選手に知れ渡っている“業界内の常識”であった…という事などからである。
 ちなみに、この時放送された内容の中に、小林尊が「知っててやってるから」と言ったものがあったのだが、これは明らかに「岸が山本の蕎麦アレルギーを知っていて、その上で蕎麦を指定したんだから」と解釈すべきセリフである。根拠はもう説明しなくても良いだろう。
 (※蛇足ながら補足:「フードバトルクラブ」では蕎麦アレルギーを持つ選手の参加は禁止されているが、山本晃也の場合は「全日本大食い競技選手権」の際、視察に来ていた番組関係者から出演を打診されたそうである。この件における山本の“自業自得”を責めるのは簡単だが、事はそれほど単純ではないと申し上げておく)

 ……ここまで述べても、まだ「それでは100%クロとは言えない」と思われる方もいるだろう。しかし事実として、この「フードバトルクラブ2nd」を境に、岸は完全に業界内における信頼を失った。これだけは確かである。
 そしてそれ以後、岸と他の主力メンバーとの距離は広がる事はあれど、狭まる事はなかった。空前のブームに乗って多くの選手が派手な活動を繰り広げる中、岸は執拗にブームの火を消そうとする奇妙な役回りを演じたのは記憶に新しいところだろう。
 この後に岸は、業界内で(そんな事が起こっているとは露も知らない)一般ファン向けに研究会を発足させたが、これも間もなくしてメンバーが“岸派”と“反・岸派”に分裂し、やがて研究会そのものも自然消滅に陥ったようである。駒木も“反・岸派”の研究会メンバーからメールを頂いた事があるが、文面の至る所から「失望」の二文字が滲み出ていて胸が痛くなったものであった。

 ともあれ、こうして岸は業界内で孤立した存在となった。「大食いワンダーランド」閉鎖直前の時点では、彼と親しいフードファイト選手は、主流派から外れた数名だけだったと聞く。これでは第2回の「全日本大食い競技選手権」など開催出来るはずもない。そして、その事情を自分の口から公言できるはずもない。岸と「日本大食い協会」はフードファイト界から消えるべくして消えたのである。

 ……やや余計な事を書き過ぎたかも知れないが、これが事の次第である。今後、岸がFFA勢と交わることは全く考えられず、もしテレビ局主催のメジャー競技会が復活したとしても、彼の居場所はどこにもないであろう。岸の大食い系競技における才能は捨てるに惜しいが、ここまでトラブルを起こしてしまっては、フェードアウトするのも致し方ない気がする。

 
 ──さて、ネガティブな02年の回顧はこれくらいにして、03年度の業界展望に話題を移そう。
 
 冒頭でも述べた通り、03年でもまだテレビ業界における“フードファイト復権”のメドは立っていない。恐らくは、どこかが鈴を付けさえすれば、なし崩し的にフードファイト番組の復活が実現するのであろうが、そのようなアテにならない果報を寝て待つのは愚の骨頂である。業界内の関係者たちは、切り株に衝突するウサギを待つ代わりに業界内の地盤固めを地道にこなしていくべきであろう。
 そしてその事は小林尊を始めとする主力選手たちも先刻承知であり、彼らは既にFFAを活動母体にした、テレビに頼らない大規模競技会の実施を構想中であるらしい。つまり、今から他のスポーツと同じような道を歩み直そうというわけである。
 この“道”は決して楽な道程ではない。むしろ、不満を抱きながらもテレビ業界に依存していた以前までの方がどれだけ楽か分からないだろう。しかし、真の意味でフードファイトをスポーツの範疇にまで押し上げるには避けては通れない“道”でもある。これから数多くの障害が待ち受けているだろうが、決して怯む事無く、為すべき事を全うしてもらいたいと思う。
 さしあたって為すべき活動は、昨年末の「Q-1グランプリ」のように、スポンサーや協賛団体を得ながら、純粋なフードファイト選手だけによる競技会を実施してゆく事だろう。イベント色の濃いローカル系競技会と一線を画し、「本当のフードファイトとはこういうものである」という事を多くの人に知らしめ、普及させていく事が大事である。そして可能ならば、数百人規模の小会場でFFA主催の公式競技会を実施し、スポーツ団体としての実績を1つ1つ積んでゆくべきであろう。
 これらの活動における最終目標は勿論、FFA主催競技会をテレビ中継し、それによって得られる放送権料で業界の運営を実現する事である。現時点からすれば夢物語に過ぎないゴールではあるが、「いつか達成すべき目標」を設定するならば、これくらいスケールが大きな方が良いのではないだろうか。

 とにかく現時点のフードファイト界はどん底である。だが、どん底になっても業界そのものが消滅しなかったという事は幸いであった。生きている限り、望みはある。望みはある限り、それを自ら捨ててはいけない。今後のフードファイト界に望みあらん事を、幸あらん事を祈りつつ、02年度の年間総括を締め括る事にする。


 ……というわけで、本当に長くなりましたが、これをもって「2002年フードファイター・フリーハンデ」を終了します。次回は7月4日のネイサンズ国際終了後の「03年度中間レイト」となります。では、講義を終わります。(この項終わり)

 


 

2月6日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(2月第1週分)

 いつの間にか月が変わって2月最初のゼミとなりました。この「現代マンガ時評」については、業務縮小となる4月以降も形を若干変えて継続するつもりでいますが、現体制ではあと丸2ヶ月・今回を入れてあと8回という事になります。
 そして、そのラスト8回を飾る…というわけではありませんが、今回から8週連続で第2回「世界漫画愛読者大賞」最終エントリー作品完全レビューを行います。曜日の都合でレビューの実施はほぼ1週間遅れてしまうのですが、その点はどうかご容赦下さい。

 ……では、今週も情報系の話題から。ただ、今週は賞レースや新連載関係の話題が無かったため、雑多なモノが中心となります。

 まず1点目話題になりそうな(というか、もうなっていますが)読み切り情報から。
 現在、「週刊少年サンデー」で『美鳥の日々』を連載中の井上和郎さんが「少年サンデー超増刊」4月号で発表する特別読み切りのタイトル『葵デストラクション !! 2』に決定しました。
 『葵──』と言えば、井上さんが昨年「サンデー」本誌で発表し、好評を博した読み切り作品で、結果的に『美鳥の日々』連載獲得の決め手となった陰の出世作です。事実上の主役がほとんど少女のような外見の父親…という強烈な設定で、特にネット界隈での大フィーバーを巻き起こした“怪作”なのですが、遂に続編が発表されることになりました。
 なお、「サンデー」では本誌連載に繋がらない読み切り等は単行本に収録されない可能性が極めて高いですので、ファンの方は実際に雑誌を購入し、場合によってはスクラップ編集などされるのが宜しいかと思います。

 次に2点目。これは情報と言うより半ば雑談なのですが……。
 昨日、駒木はマンガ喫茶に立ち寄って、あれやこれやと新刊単行本をチェックしたのですが、その中の1冊・『A・O・N』作画:道元宗紀第1巻にて興味深い記述があったので紹介します。
 この『A・O・N』の1巻は本編の他、かつて道元さんが増刊号で発表した読み切りが掲載されていたのですが、その作品紹介文の中で“打ち切り作家の経済事情”的内容が書かれていました。以下、要点をまとめてみました。

 新人作家が10週前後(道元さんの場合は9週)で連載が打ち切りになった場合、経費が(個人差は有るが)300〜350万円ほどかかる
 しかし連載終了時点ではそれに見合った収入は得られないため、とりあえずは借金を抱えてアシスタント生活に逆戻りする羽目になる。

 ……大手出版社における新人の原稿料は1ページ1万円が相場(ただし、カラー原稿は倍額)だそうなので、1週平均20ページとして10週で200万強。「ジャンプ」では、その他に僅かな専属料や研究費等が出るそうですが、これは焼け石に水でしょう。「週刊連載作家は原稿料では暮らしていけない」という話を時折聞きますが、それはこういう理由なのですね。
 で、頼みとなるのは単行本の印税ですが、さすがのジャンプコミックスでも打ち切りマンガにそう多くの部数を割り当てるわけには行かないでしょうから、先述の赤字分を埋めるのがやっとではないかと思われます。特に道元さんの連載デビュー作・『奴の名はMARIA』全1巻でしたので、ひょっとすると赤字補填もままならなかったかも知れません
 ちなみに、今回収録された読み切り作品は、道元さんが『奴の名はMARIA』終了直後にアシスタントをやりながら1人で執筆した中編作品。道元さんなりに苦労して描いた作品だったようですが、担当編集者の反応は「こういう連載に出来ない作品は2度と描かないでくれ」だったそうです。何だか、こちらまで陰鬱な気持ちにさせられる話ですよね(苦笑)。

 ところで、道元さんと同じように打ち切りを連発し、「ジャンプ」を“追放”処分になったと言われていた尾玉なみえさんですが、この度「週刊ヤングジャンプ」の方で読み切りながら復帰が決まったそうです。来週・2/13発売の11号に掲載されるという事ですので、ファンの方は是非ともチェックして下さい。

 ……以上、情報及び雑談のコーナーでした。では引き続き、今週のレビューと“チェックポイント”へと移らせてもらいます。
 今週は「ジャンプ」と「サンデー」の両本誌にはレビュー対象作がありませんので、この2誌に関しては“チェックポイント”のみの実施です。
 ですので、今週のレビュー対象作は他誌から。まず先にお知らせした「世界漫画愛読者大賞」レビューが1本で、あとは今週ようやくチェック出来た「少年サンデー超増刊」2月号から、藤田和日郎さんの特別読み切りのレビューをお送りします。計2本のレビューですね。

 では、まず“チェックポイント”から順番にお届けします。どうぞ、よろしく。

☆「週刊少年ジャンプ」2003年10号☆

 ◆「ジャンプ」今週のチェックポイント◆

 今週号の巻末コメント、見事なまでに新年会関連で埋め尽くされていましたね(笑)。よほど印象深い新年会だったのか、それとも新年会に出るために仕事漬けで他にネタが確保できなかったのか……。
 そんな中、ひっそりと謝罪している冨樫義博さんも、らしいと言えばらしいですが(笑)。

 ◎『テニスの王子様』作画:許斐剛【開講前に連載開始のため評価未了/雑感】

 しかし、このマンガのセリフはどうしてここまでダサいんでしょうか(苦笑)。徐々に作品の“高橋陽一化”が進行しつつあるのが、心配なようで楽しみなようで……。

 ◎『プリティフェイス』作画:叶恭弘【現時点での評価:B+/雑感】

 とんでもない勢いでの急展開。先週やったストーリー予想なんか微塵も当たらなかったですね(苦笑)。
 しかし、この展開はどう収拾つけるんでしょうか? 普通、日常コメディ物で急展開というのは最終回目前の目印だったりするんですが、今の掲載順を見る限りでは、どう考えても先に終わりそうな作品が3つばかりありそうですものねぇ。

 ◎『ピューと吹く! ジャガー』作画:うすた京介【開講前に連載開始のため評価未了/雑感】

 久しぶりのハマー解禁。やっぱり主要キャラが全員出揃った方が良い感じですね。
 そういや、確かに学校のリコーダーに入ってました、クリーニングロッド。でも当時は使い方が分からずに「指揮棒?」とか言って不思議がってましたが。笛汁がボトボト落ちるほど笛吹いてませんでしたし、垂れたところで怯むような神経では男子小学生なんてやってられません(笑)

☆「週刊少年サンデー」2003年10号☆

◆「サンデー」今週のチェックポイント◆

 ◎『きみのカケラ』作画:高橋しん【現時点での評価:B−/雑感ほか】

 かなり力の入ったセンターカラーです。この前の『一番湯のカナタ』作画:椎名高志)もそうだったんですが、人気がそんなにあるわけでもない作品が唐突にセンターカラーをもらった時は、連載終了の理由作りである事がままあるんですよね。今回で23話ですから、最短コースなら次の入れ替えで打ち切りという事もあり得ます。
 ただ、単行本1巻の作者あとがきによると、この作品は既にシナリオが完成されていて、しかも全体としてはそう長い話ではないとの事です。となると、編集部側も耐え難きを耐えて最後まで面倒見る可能性も出て来ますね。

 また、その大量加筆単行本ですが、各所の細かい描写をまんべんなく追加しているという印象で、単行本オリジナルの追加エピソードは皆無でした。
 ただ、だからと言って、加筆した分だけストーリーそのものが分かり易くなっているかというと、それも“?”でして、結局高橋さんは何のために加筆用のネームを切ったのか、激しく悩ましいのですが……。結局、床屋がミクロン単位でスポーツ刈りの毛を切り揃えるようなモノなんでしょうかねぇ。
 ちなみに、『きみのカケラ』1巻の推定売り上げ部数10万部台前半だそうです。「サンデー」系作品の1巻にすれば売れている方ではあるのですが、労力と経費を考えると恐ろしく割に合わない話だと思います(苦笑)。

 ◎『モンキーターン』作画:河合克敏【開講前に連載開始のため評価未了/雑感】

 この全日本選手権編は、正直言って最初ダレ気味かと思ったんですが、最後の最後でキッチリと一盛り上がりしましたね。淡々とした構成でそれなりに迫力を出して見せ場を作るんですから、さすがです。

☆第2回☆
☆「世界漫画愛読者大賞」最終エントリー作品☆

 ◎エントリーNo.1 『軍神の惑星』作画:谷川淳

 作者の谷川さんは千葉県出身の33歳。「バンチ」誌上に掲載されたインタビュー記事によると、映像関係の専門学校からテレビドラマ製作の道へ進むも、27歳の時にマンガ家へ方向転換。アシスタントをしながら試行錯誤しつつ現在に至る……とのことです。どうやら今回が実質的なデビュー作ということになるのでしょうか。
 このインタビュー記事だけで判断するのはアレですが、マンガ家を志した直接の理由が「映像関係の仕事、しばらくやってみたけど向いてないんじゃないかと思って」というのは、正直に告白する事を含めていかがなものかと思ってしまったりもしますが(苦笑)。

 ……では、作者紹介はこれくらいにしまして、いつも通り絵とストーリーに分けてレビューさせてもらいます。

 まずですが、実質デビュー作にしてはなかなか手慣れていると言って良いのではないでしょうか。パワードスーツ等のメカ系描写も出来ていますし、少なくとも及第点は出せるものと思います。
 谷川さんはアシスタント経験が長い上、恐らくテレビドラマ業界時代にも絵コンテでも切っていたでしょうから、その辺りは下積みキャリアの賜物と言ったところなのでしょう。
 ただ、少し注文をつけさせてもらうならば、人物の表情や動きの表現が乏しかったり、あるいは無駄ゴマが多いため、全体としてどことなく散漫な印象を受けてしまうところがある事でしょうか。緊迫感のあるべきシーンが、そのためにやや間延びして見えてしまったのは残念でした。

 次にストーリーですが、端的に言って、こちらも絵と同じくなかなか良く出来ているのではないでしょうか。ページ数に見合った人数に主要キャラクターを絞り、また、キャラそれぞれの行動に一貫して必然性があるという点は高く評価できると思います。話が途中で切れてしまったのは残念ですが、(オムニバス形式でない、長編作品という)ストーリーの性格を考えると、それも止む無しでしょう。

 しかし、やはりストーリー面にも問題点が残されています独自性・オリジナリティが極めて弱く、今後のストーリー展開に大きな期待が抱き難いという点がそれです。
 というのも、この作品の基本的なストーリーの骨組み──モチベーションが低かった主人公が親しい人間の戦死・戦傷によって戦意を燃やす、または運命の悪戯によって旧友同士で矛を交える──は、(既に各方面から指摘されているサンライズ系アニメ作品だけでなく)アニメ・SF問わずあらゆるジャンルの“王道パターン”として使われて来たものなのです。
 といっても、この作品をいわゆる“パクり”と言っているわけではありません。既存の作品の傾向を自分の中で消化し、とりあえずは別の形にして発表しているわけですから、これは“オマージュを捧げた作品”とするべきでしょう。そして、オマージュとしての完成度は極めて高いものとさえ言えます。
 ですがこの作品のストーリーは、オマージュを捧げた作品という“だけ”であって、それ以上でも以下でもありません。“+α”の要素が見られないのです。それ故に、今後のストーリーに抱く期待感が乏しくなってしまいました。これは、作品そのものとしては勿論、「最低1年間の連載を前提とする」というこの賞の性格から考えると、大きな減点材料と言わざるを得ません。

 さて、悪い癖が出てしまい、また長いレビューになってしまいました。早いところ最終的な評価に移りましょう。
 作品の完成度としては一級品、しかし独自性が乏しいためにインパクトが乏しく、絵にもやや問題あり……というところで、評価はB+とさせてもらいます。

 ところで、今回は駒木も“参政権”を活用して読者投票に参加する事にしましたので、その投票行動も公開したいと思います。

 ・「個別人気投票」支持しないに投票。(続編を読んでみたい気持ちはあるが、看板作品としての長期週刊連載ではなく、単行本1〜4冊程度の長さになる短〜中期の連載で読んでみたい。なお、通常のアンケート投票ではこの作品に1票を投じた)
 ・また、「総合人気投票」「グランプリ信任投票」でこの作品を支持する予定は今のところありません。

 《その他、今週の注目作》

 ◎『美食王の到着』作画:藤田和日郎/「少年サンデー超増刊」2月号掲載)

 「サンデー」本誌で『からくりサーカス』連載中の藤田和日郎さんの作品が、特別読み切りで増刊号に登場しました。
 以前「サンデー」の記事で週休0.5日を公言した藤田さんですが、ここ半年取材休みを取っていない事を考えると、恐らくは合併号休み返上でスケジュールを詰めたものと思われます。何と言うか、恐ろしい人ですね(苦笑)。そりゃあ、そんな師匠の背中を見てたら弟子もスクスクと育ちますわな。
 で、この作品ですが、一言で申し上げるなら「とんでもない傑作」です。日頃、駒木は「連載中の作家が描いた特別読み切りに傑作なし」と申し上げていたのですが、ある意味喜ばしい事にその例外が生まれました。

 この作品の最大のポイントは、主に新本格ミステリ小説で使われている叙述トリック(わざと誤解を招く文章表現を使って、読者のキャラクターに対する認識を狂わせる技法。特に綾辻行人氏がよく使用する)を見事なまでにマンガ、しかもミステリではない作品に応用してしまった点にあります。
 叙述トリックは本来、キャラクター像の構築を読者の想像に委ねるという小説の特性を利用した技法で、逆に言えばマンガには極めて不向きな技法と言えます。ところが、この作品ではその叙述トリックを高い完成度で実現しています。しかも「叙述トリック使いました!」とばかりにそれをメインに押し出しているわけではなく、ストーリー演出の一環としてサラリと使いこなしているわけで、その奥の深さには本当に唸らされます。
 また、この作品が素晴らしいのは叙述トリックだけではありません。短編読み切り作品の弊害とも言えるキャラクター説明やモノローグ過多の嫌らしさを、演劇仕立てにする事で──この辺りは『からくりサーカス』の応用でしょうが──見事に解消し、と同時に、一見すれば少年マンガにしては残酷な話を軽快な印象のエンターテインメント作品に転じさせているのも、まさにお見事としか言いようがありません。

 とにかくこの作品は、作家・藤田和日郎の才能と技巧の限りを尽くされた名作中の名作です。受講生の皆さんも、この作品を読む機会があれば、是非ご一読の上、脳裏に焼き付けてもらいたいと思います。
 評価は大変迷いましたが、そのずば抜けた技巧を評価して、A+寄りのAという開講以来の最高評価を付けさせてもらう事にします。本当に素晴らしい作品でした。

 
 ……というわけで、今週のゼミは以上です。次週も1本ないし2本のレビューということになるのではないかと思います。

 


 

2月5日(水) 特別演習
「第2回世界漫画愛読者大賞への道」(3)

 ※前回までのレジュメはこちらから→第1回第2回

 昨年の11月17日以来、長らくお休みしていたこのシリーズですが、3ヶ月ぶりに復活、そして最終回という事になります。

 中断の理由は色々あったのですが、どうしても揚げ足取りみたいな内容になってしまうのに嫌気が差した…という事もありますし、読者審査会へ実際に参加された銀次さん詳細なレポートを作成して下さったので駒木のやる事が無くなってしまった…という部分もありました。
 しかし、ここに来て今回の「世界漫画愛読者大賞」で期待が膨らむ要素がいくつか表われて来ましたし、少しばかり皆さんに紹介したい情報も得る事が出来ましたので、僭越ながら1回限りの再開をさせてもらう事にしました。とはいえ、コアな読者の方たちには「もう知ってるよ」的内容になってしまうのではないかと思いますが、対象を普段「バンチ」を読まない層まで幅広くとった講義ということで、どうかご理解下さい
 また、毎週木曜日の「現代マンガ時評」では今年も最終選考エントリー作品のレビューを行います。そういう意味では、今日の講義はそのガイダンスも兼ねる事になりますね。

 ……では、既に「バンチ」誌上で大分前に発表済ですが、ここで改めて最終選考にエントリーされた8作品の顔ぶれを紹介しておきましょう。

第2回(03年度)「世界漫画愛読者大賞」
最終選考エントリー作品
(掲載号順)

『軍神の惑星』作画:谷川淳
『鬼狂丸』作画:新堂まこと
『摩虎羅』作画:茜色雲丸&KU・SA・KA・BE
『華陀医仙 Dr.KADA』作画:曾健游
『極楽堂運送』作画:佐藤良治
『大江戸電光石火』作画:弾正京太
『東京下町日和』作画:山口育孝
『ちゃきちゃき江戸っ子花次郎の基本的考察』作画:赤川テツロー

 本来10個あった最終エントリー枠は8つしか埋まらず、何かと論議を醸していたフリースタイル部門に至っては、全作品が読者審査会までで落選という極めて厳しい結果となりました。
 この事は、それまで「バンチ」誌上で「応募作はハイレベル」という旨の記述が連発されていた事を考えると、なんとも異様な厳しさと言えます。駒木も発表当時は「随分と大胆に方針を転換したものだなぁ」と思っていたのですが、先述の銀次さんから実際にお話を伺いますと(注:先日実施した当サイト主催のチャットミーティングに銀次さんが出席して下さったのです)、これは銀次さんをはじめとする読者審査員の側から主催者サイドに相当なプレッシャーをかけた結果なのだとか。どうやら今回は読者審査会がかなり重要な役割を果たしたと言えそうです。

 で、その最終エントリー8作品について大雑把ながらジャンル分けをしてみますと、

 ●現代劇人情モノ系 2作品
 ●ファンタジー系 2作品
 ●時代劇系 2作品
 ●ギャグ系 1作品
 ●SF 1作品

 ……ということになります。(注:ジャンル分けにあたっては「バンチ」ウェブサイトの紹介文を参考にしているため、実際と異なる可能性があります)
 前回目立ったスポーツ系作品がゼロとなり、代わって時代劇とファンタジーが2作品ずつエントリーされました。時代劇もファンタジーも応募作品数が多かったという側面はあるものの、注目できる要素だと思われます。

 また、今回の最終エントリー作品は、最終選考進出が確定した時点で、編集者との協議の上で相当量の加筆修正が行われました
 なるほど、先ほど紹介した銀次さんによるレポートに掲載されていた『軍神の惑星』の主な加筆修正部分一覧表を拝見してみますと、各所に渡って効果的な修正がなされているように思えます。作品への編集サイドの介入は何かと言われる事が多いですが、少なくともこの作品に関しては、それが良い方向に働いているようです。
 この加筆修正は、応募作を修正する度合いによって作品ごとの有利不利が出る(=元々の応募作に修正の余地が少なかった作品が結果的に不利となる)…という問題点は残されているものの、「一般読者により良い作品を提供しよう」という意図が窺える事は高く評価出来るのではないかと思います。それに、連載になればどちらにしろ編集者が作品に介入するわけですから、早い内から編集者と連携した結果を提示しておくのは決して悪い事では無いのではないでしょうか。

 ところで前回においては、最終候補まで残った応募者の多くが長年のアシスタント経験、または過去に他誌の新人賞受賞歴があった事が大変印象的でしたが、今回の最終エントリー組においてもチラホラとそのような情報が入って来ています
 「週刊少年ジャンプ」系の新人賞について大変詳しいシェルターさんが書かれた1月22日付日記において、2人の応募者についての経歴情報が掲載されていました。以下、その要約です。

 ◎『華陀医仙 Dr.KADA』の曾健游さん

 ・第51回(96年上期)で手塚賞準入選を受賞し、受賞作・『福亨千萬年』が1996年の「ジャンプ」増刊サマースペシャル掲載、及びジャンプコミックス・デラックス「めざせ漫画家! 手塚・赤塚賞受賞作品集」18巻に収録。
 ・当時の年齢から換算すると現在30歳
 ・また、99年〜00年に「週刊少年マガジン」の月例新人賞で選外佳作にもなっていたらしい(詳細不明)。

 ◎『極楽堂運送』の佐藤良治さん(同姓同名の別人でなければ…という前提アリ)

 ・第28回(84年下期)手塚賞で佳作、第31回(86年上期)手塚賞でも佳作をそれぞれ受賞し、86年の「ジャンプ」増刊サマースペシャルでデビュー。
 ・初受賞から18年余。単純に考えても相当な年齢であると思われる。

 駒木の頭の片隅にも、おぼろげながら「かつて香港の人が『ジャンプ』の新人賞を獲った」…という記憶があったのですが、それがまさか曾さんだったとは正直驚きです。
 あと、こういう話を持ち出すと、必ずベテラン編集者と応募者のコネが話題になってしまうのですが、銀次さんから伺った話によると、少なくとも今回の読者審査会に限っては、審査結果にコネクションが影響した事は全く無かったとのことです。(それどころか、一番コネがありそうな応募者が呆気なく落選したそうです)
 
 
 ……というわけで、今回は最終エントリー作品について色々とお話をさせてもらいました。
 応募総数の激減や突然の投票形式変更など数多くの懸念材料を抱え、一時は「どうなることか」と思われた第2回の「世界漫画愛読者大賞」ですが、各方面からの懸命のリカバリーによって、何とか体を成すところまで漕ぎ着ける事が出来たようです。
 とはいえ勿論のこと、このイベントの最終的な成否については、最終エントリー作品の出来を見て判断しなくてはなりません。果たしてこの賞が意義深いものになるのか、それとも以前と同じ轍を踏む羽目になってしまうのか。それについては、あと7週間かけてジックリと吟味してみたいと思います。

 それでは、いよいよ語る事も尽きましたし、ここで一旦区切りとさせて頂きます。今後は舞台を「現代マンガ時評」に移しまして、各作品のレビューをしてゆきながら「愛読者大賞」の成否について述べてゆく予定です。そちらも是非ご受講下さいますよう、よろしくお願い致します。(この項終わり)

 


 

2月3日(月) 歴史学(一般教養)
「学校で教えたい世界史」(28)
第3章:地中海世界(8)〜ギリシアの盟主・アテネの成立とその歩み《続》

※過去の講義レジュメ→第1回〜第19回第20回第21回第22回第23回第24回第25回第26回第27回

 前回からギリシア一のポリス・アテネの歴史をお送りしていますが、今回は改革者・ソロンの引退後に訪れた混乱を収拾する人物が現れたところからお話を始めましょう。

 その混乱するアテネに現れたニュー・ヒーローは名前をペイシストラトスと言い、アテネの中でも最も貧しい人たちが住む山地部出身の人物でありました。
 彼は紀元前561年に歴史の表舞台に姿を現すや、アテネの行政を事実上1人で統括する要職に昇り詰めます。

 ……と、ここで「あれ、ちょっとおかしいぞ?」と思った方は鋭い。よく講義の内容を覚えてらっしゃいます。
 念のため、もう1度復習しておきましょう。前回でお話しましたように、当時のアテネはソロンが創始した財産政──不動産を多く所有する有力者が定員10人のアルコン(統領)などの要職を独占する制度──が導入されていました。つまり、ペイシストラトスのように貧家の出の人物が、しかも1人で行政を統括するなどという事は、当時のアテネの制度では到底不可能なのです。

 ……では、どうやってペイシストラトスは政権を奪取出来たのでしょうか? 
 何だか頭の体操みたいになって来ましたが、答えは簡単。彼はその制度を無視し、あれやこれやの手で掻き集めた兵隊を動員して力ずくでアテネの独裁者になったのでありました。
 一説によれば彼は、メガラ(古代ギリシアの代表的ポリス)との戦争に勝利を収めて名声を得た後、架空の反対勢力をでっち上げて公認の護衛兵を獲得し、その力をもってクーデターを起こしたようです。当初の政権運営は不安定で、初めて政権を奪ってから15年の間に2回短期間の失脚を経験しています。しかし、そのたびに不死鳥の如く蘇り、遂には紀元前525年に自然死するまで政権を維持したのですから、世界史上でも稀有な存在と言って良いのではないかと思われます。

 このペイシストラトスのように、非合法的手段──つまりクーデターでポリスの政権を奪い、独裁者になった人物を“僭主”と呼びます。僭主政治は、スパルタ率いるペロポネソス同盟の主要ポリス・コリントで紀元前7世紀に発祥した政治形態で、古代ギリシア世界ではたびたび見られるものであります。
 「クーデターで政権を奪った独裁者」…などと聞くと、大半の方は「そんなの暴政に違いない」と顔を歪められるかと思われますが、さにあらず。この時代の僭主独裁政治は、他の政体と比較してもなかなか優れた制度であったようです。
 よくよく考えてみれば、君主独裁政治が暴政に陥る場合、その原因の大半は「君主がアホやから」という点に帰結し、「独裁制度が間違っていた」というケースは稀であります。事実、世界史を辿ってみますと君主独裁政治の下で繁栄した国は幾らでも存在します
 要するに、独裁という政体は“諸刃の剣”であって、当たり外れの差が大きいのです。そして、この時のアテネは“当たり”を引きました。後世の歴史書では“ここからアテネの栄光が始まる”…のようなコメントがチラホラと見受けられるようになるのです。

 ではここで、そのペイシストラトスが挙げた政治上の実績を紹介しておきましょう。

 まずは農業の振興。かねてからの混乱で亡命した有力者の土地を一旦国有化し、それを無産市民や小農に再分配することで中小農民を育成しました。特に困窮する貧農には最大限の配慮をし、種子の貸し出しや税率の低減、さらには土地問題を審議するための裁判所出張サービスまでしたそうです。この辺りは“庶民派君主”の面目躍如といったところでありましょうか。
 当時の社会における中小農民とは、即ち貴重な軍事力。ペイシストラトスの農業政策とは、農業生産力と戦力を同時に高めるという正に一石二鳥の政策でありました。

 次に商業の奨励。アテネのあるアッティカ地方は、元々それほど農業に向いた土地ではありませんでした。ですので、商業の発展はアテネにとって死活問題であります。勿論、当時のアテネの有力者の多くは大商人だったわけですから、そちらの対策という意味合いもあったでしょう。
 ペイシストラトスにとって有利だったのは、彼がトラキア地方(ギリシアと小アジアを繋ぐ海岸沿いの部分)に太いパイプを持っていた事で、ここを足掛かりにしてギリシア世界の外からの穀物貿易を大いに栄えさせたとされています。彼の時代にアテネはギリシアでナンバー・ワンの商業大国となります
 半ば余談ですが、彼が成り上がる過程で所有する事になったトラキア地方の金山は、独裁者たる彼の地位を支える資金源になっていました。2度の失脚から立ち直る事が出来たのも金山のおかげだとのことです。政治家には“金脈”がつきものですが、本物の金脈を握っていた為政者も珍しい話ですね。

 そしてペイシストラトスは、更に文化の面でも功績を残していますパン・アテナイ(アテネ)や、ディオニソスの秘儀などの宗教的イベントを大々的に開催し、その祭りの中で全ギリシア規模の文化祭のようなものを催す事で、アテネの国力を周囲にアピールすると共に観光事業まで推進したようです。

 ……と、このように、ペイシストラトスの時代にアテネは飛躍的な発展を遂げました。先に紹介した後世の歴史家の筆もそんなに誇張されたものではない事がお分かりになると思います。
 しかし、これも先に述べましたが、独裁政治は諸刃の剣であります。無能な人物が君主の座に就いてしまった途端、国は大いに荒れてしまうのです。
 ペイシストラトスの死後のアテネが、ちょうどそんな感じでした。独裁制の大いなる欠点である“世襲君主制”によって、アテネの2代目僭主となったペイシストラトスの2人いた息子たちが瞬く間に国を傾かせてしまったのです。特に壮絶な兄弟喧嘩に生き残ったヒッピアスが独裁を敷いた際には「アテネは暴政と化した」とされています。

 このイレギュラーは他のポリスにとっても痛恨事だったようで、当時の全ギリシア情報センター&政治ご意見番と言われるデルフォイ神殿で、「アテネを解放せよ」という神託が下っています。
 そしてこれを受け、ギリシアもう一方の雄・スパルタが軍を率いてアテネに介入し、間もなくヒッピアスを追放させてしまいました。鎖国主義のスパルタが動いたと言う事実が、当時のアテネがどれほど強大なポリスに成長していたかを示す格好の証拠であるように思えます。

 こうしてまたもや混迷の政情となったアテネですが、ここでまたしても1人の有能な政治家が現れ、アテネを見事に軌道修正させます。度重なるアテネの浮き沈みの激しさには呆れ返るばかりですが、それ以上にその生命力の強さにはただ驚くばかりであります。
 アテネは強国とは言え、1つの都市国家に過ぎません。それなのに、この人材の豊富さはどうでしょうか? 21世紀に生きる日本人としては心底羨ましい思いがします。

 では、やや短くなりましたが今回はここまで。次回はアテネ民主政の成立まで話を進めてゆきたいと思います。(次回へ続く

 


 

2月2日(日) 労働経済論
「役に立たない? アルバイト時給案内」(7)

※前回までのレジュメはこちらから→第1回第2回第3回第4回第5回第6回

 この講義シリーズの最終章となります、世紀末的ゲーム屋の回想話、今回が2回目です。
 今更アレな話ですが、駒木はこの話の舞台となるゲーム屋に対して心の底から湧き出る憎悪を抱いておりまして、講義中たびたび1500人以上の前で話すとしては極めて不穏当な暴言を口走る可能性があります。大体、水沢アキが森本レ──じゃなくて、ブッシュ米大統領がイラクについて喋ってる…くらいの感覚で聞いて頂けると有り難いです。

 ──さて、それでは本題に移りますが、まずはこのクソゲーム屋の経営陣の紹介からお送りしたいと思います。「クソゲーム屋」などと言うと、まるで「たけしの挑戦状」の中に出て来る店みたいになってしまいますが、実際にそうなのでこのまま続行しましょう。
 で、良識ある受講生の皆さんには信じられないかも知れませんが、今から紹介する人たちは実在します
 世の中には時々ビックリするようなエピソードがあるものです。「憧れのブランキー・ジェット・シティと同じレコード会社!」と喜んで東芝EMIに入った椎名林檎さんに、その東芝EMIの初代担当が吐いた言葉「ブランキー? 誰それ?」だった…という凄まじい話が有るくらいです。特に就職前の学生の皆さんには、「人生はバーリ=トゥードである」と、この講義から学んで頂けると幸いです。

 
 それではまず初めに「店長」から紹介しましょう。前回にも少し登場しました、オーナーの長男です。
 何故“店長”をカギカッコで括ったかと言うと、肩書きは店長なのに店の経営に関する決定権を全く持っていないからです。
 ある時など、プライベートな用事を抱えてケツカッチン状態の駒木が「以前言っていたように(数日前に内諾を得ていました)、今日は用事があるので早退させてもらいます」と告げたところ、「それは俺の一存では決められんなぁ」…などと言われてしまいまして、ほとほと困った事がありました。元子オーナーに院政を敷かれていた時代の三沢光晴全日本プロレス社長でも、もう少しは無茶が利いたと思います。

 「店長」は当時で駒木よりやや年上でしたので、ちょうど今の駒木と同い年くらいだったでしょうか。30歳に近い20代後半だったと記憶しています。
 で、彼の履歴書的な経歴は、

 ◎大学へ行くための様々な数値が足りず、専門学校へ行ってそこを卒業。
   ↓
 ◎在学中ゲームばっかりしていたので資格も取れず、就職し損ねる。いつまでもブラブラしていられないので仕方なく「ゲームが好きだから」と、ゲームセンターのアルバイト店員に。
   ↓
 ◎パチンコにハマり、それをキッカケにゲーセンを辞め、パチンコ店の店員(正社員)に。

 ……というもの。仕事を決める理由が全部「○○が好きだから」というのがシビれますね
 確かに好きなモノを仕事にするのは有意義な事ではあります。駒木が身を置く教育業界にも、「大人と違って純真無垢な子供が好きだから教師を志しました!」…という、「他のアイドルは知らないが、○○ちゃんはバージンに違いない」的勘違いを抱いてやって来る人がいたりしますが、それでもまだ心意気だけは買えるものがあるでしょう。
 しかし、この「店長」の場合は趣味と仕事を混同しているわけでして、これは言ってみれば「自分、ロリコンなので学校の先生を目指しました」とか、「とにかく女の○○を見るのが好きなので産婦人科医に!」…みたいなものです。

 で、そんな一切管理職経験どころかマトモな社会人経験すら乏しい人間が、「オーナーの長男だから」という理由だけで駒木たちアルバイトを束ねる店長に。これだけでも経営コンサルタントが聞いたら胸ポケットから「救心」を取り出しそうなシチュエーションですが、そこへ追い撃ちをかけるのが、この「店長」の性格でした。ここで当時、駒木が書いていた日記の一文を引用しましょう。ストレス溜まりまくってましたので、余裕も無い暴言になってますがご了承下さい。

──このオッサン、自分の知ってる事と出来る事は、全部他人も知ってて出来て当たり前…と勘違いしてるフシがある。で、短気で気配りを知らず、気まぐれ。うわあ、絵に、いや文字に書いたような悪人ではないか。

 今になって冷静に振り返りますと、余裕が無いだけ的確だな…と思ったりもします。ええ、誇張抜きでこのまんまです。化粧品会社・DHCのCM風に言えば、「学研の学習雑誌が選ぶ、担任にしたくない先生の性格 第1位!」みたいなモンでしょうか。さぁ、皆さんも切羽詰った口調で音読を。ハイ、がっけんのがくしゅうざっしがえらぶたんにんにしたくないせんせいのせいかくだいいちい〜! 最後の「いちい〜」だけ上げ調子で叫ぶところがミソです。

 ……さすがにこれ以上好き放題言っていると、嫌味のある人格攻撃になっちゃいますので控えますが、とにかくこれが「店長」です。
 そして、何が恐ろしいかと言いますと、この「店長」がクソゲーム屋経営陣3名の中で最もマシな人だった…という事なのです。ロッコツマニアの無人島脱出がただのプロローグだった…みたいな話で恐縮ですが、真実は小説よりも奇なりなのです。

 と、いうわけで残る2人の“登場人物紹介”に移るところなのですが、このままだと余りにノリが良すぎて講義がとんでもなく長引きそうなので、今日はここで区切ります。その代わり、次回は長丁場の講義も覚悟していますので、どうぞよろしく。 (次回へ続く

 


 

2月1日(土) 競馬学概論
「駒木博士の“埋もれた(かも知れない)名馬”列伝」(4)
第2章:ライブリマウント(前編)

 ※過去のレジュメはこちらから→ビワハヤヒデ編(第1〜3回)

駒木:「さて、今週から新章に突入だ」
珠美:「採り上げる馬はライブリマウントですね。こんな事を言ったら叱られるかも知れませんが、確かにこの講義にピッタリの競走馬という気がします(笑)」
駒木:「この馬と入れ替わるように天下を獲ったホクトベガの方が何かと有名になっちゃったからね。でも、誰が何と言おうと、この馬が交流競走時代の“初代ダート無差別級王者”である事は間違いないところだよ。『この馬を語らずしてダート競馬を語る事無かれ』…ってところかな。まぁそんな事を言い出したら、オールドファンの皆さんに『アンドレアモンは?』とか、『おいおいフェートノーザンを忘れとるぞ』とか言われてしまいそうだけどね(苦笑)」
珠美:「マイナーだった時代のダート競馬に思い入れのある方って、結構いらっしゃいますものね」
駒木:「そうだね。僕もそうだけど、マイナーなものに思い入れが出来てしまうって人、割と多いんだよね。
 で、このライブリマウントって馬は、ちょうど競馬界が業界ぐるみでダート競馬をメジャーなものにしようと働きかけ始めた頃にピークを迎えた馬ってことになるのかな。ダートがマイナーだった時代の最後のチャンピオンであり、メジャーになった時代の最初のチャンピオンであり…ってところかな」
珠美:「……ではここで、ライブリマウント号の全成績を、例によって一覧表で振り返っておきましょう」

ライブリマウント号・全成績(略式)
<詳細はこちらのリンク先を参照>
日付 レース名 着順 騎手 1着馬(2着馬)

93.11.14

新馬戦

/14 石橋

(マヤノファンシー)

93.12.26 さざんか賞(500万下) /16 石橋

ビコーペガサス

94.01.15 寒梅賞(500万下) 3/12 石橋 エイシンオクラホマ
94.02.13 飛梅賞(500万下) /12 石橋 (ゴールデンジャック)
94.03.13 すみれS(オープン) 11/13 石橋 イブキテヂカラオー
94.04.24 葵S(オープン) 6/14 石橋 マルカオーカン
94.05.08 京都4歳特別(G3) 8/14 石橋 イイデライナー
94.06.11 北斗賞(900万下) /7 石橋 パリスケイワン
94.07.03 羊蹄山特別(900万下) /10 藤田 (フォスターホープ)
94.07.24 タイムズ杯(オープン) 4/10 藤田 マキノトウショウ
94.08.14 巴賞(オープン) /12 石橋 フォスターホープ
94.09.04 シーサイドオープン(オープン) /12 藤田 マキノトウショウ
94.11.26 花園S(1500万下) /16 石橋 (リドガイ)
94.12.17 ウインターS(G3) /16 石橋 (バンブーゲネシス)
95.01.16 平安S(G3) /8 石橋 (ヤグライーガー)
95.02.18 フェブラリーS(G2) /16 石橋 (トーヨーリファール)
95.04.13 帝王賞(重賞) /15 石橋 (アマゾンオペラ)
95.08.16 ブリーダーズGC(重賞) /9 石橋 (キソジゴールド)
95.10.10 南部杯(重賞) /10 石橋 (ヨシノキング)
95.12.21 東京大賞典(重賞) 4/16 石橋 アドマイヤボサツ
96.01.24 川崎記念(重賞) 3/10 石橋 ホクトベガ
96.03.27 ドバイワールドC 6/11 石橋 シガー
96.06.30 札幌記念(G3) 13/14 石橋 マーベラスサンデー
96.08.15 ブリーダーズGC(重賞) 8/10 石橋 メイショウアムール
96.09.07 シーサイドS 9/12 石橋 キョウトシチー
97.02.16 フェブラリーS(G1) 10/16 石橋 シンコウウィンディ
97.03.20 名古屋大賞典(重賞) 5/12 石橋 メイショウアムール
97.04.12 プロキオンS(G3) 15/16 石橋 バトルライン
97.05.03 アンタレスS(G3) 10/16 石橋 エムアイブラン
97.05.28 かしわ記念(G3) 9/11 石橋 バトルライン
97.06.24 帝王賞(G1) 11/12 南井 コンサートボーイ

珠美:「ライブリマウントは、結局G1タイトルは獲得できなかったんですよね……」
駒木:「そうだね。今のグレードを当てはめたらG1レース3勝ってことになるんだけどね。巡り合わせが悪いと言うか、何と言うか……。
 中央・地方間の交流レースが本格的に始まったのが95年からなんだけど、ダートグレード競走の制度が完成したのは97年4月。しかもライブリマウントの全盛期には、中央のダート重賞ではフェブラリーSのG2が最高で、まだG1レースは無かったんだよね。
 まぁ、それよりもう少し昔になると、中央のダート重賞はG3レース3つだけで、地方競馬の交流レースも大井の帝王賞と道営競馬のブリーダーズゴールドCくらいしか無かったから、それを考えると多少はマシだと言えなくも無い。
 ……だから、ライブリマウントの走った時代は本当に過渡期なんだよ。ダート競馬の全てが変わろうとしていた時代ってところかな」
珠美:「この馬が出走した96年のドバイワールドCも、その年が第1回でしたものね」
駒木:「そうそう。今じゃ当たり前のように年中行事化してるけど、その頃は開催する事自体が驚きだったんだよね。第1回って事で国際格付けもついてなかったし。
 ……まぁその辺の話はおいおいする事にして、とりあえず今日は、ライブリマウントがデビューしてから本格化する直前までを振り返ることにしよう。ただし、ビワハヤヒデの時と違ってレース数が多いから、端折るところは端折らせてもらうけどね」
珠美:「ハイ。それではデビュー戦となった新馬戦から振り返っていきましょう。ライブリマウントのデビュー戦は2歳11月の京都開催。血統がダート向きということで、ダート1400mでのデビューとなりました」
駒木:「父親がグリーンマウント、母親が公営下級条件のシナノカチドキだからね。この時点での種牡馬成績を見ると、ダート向きというより『芝がダメ』と言った方が正しかったかも知れない。まぁ妥当な選択だと思うよ。兄弟の多くが中央勝ち馬だったから中央デビューだったんだろうけど、地方競馬スタートになってもおかしくない血統だよね」
珠美:「…で、そのデビュー戦ですが、泥が飛び交う不良馬場をものともせずに、2着に10馬身の大差をつけて1番人気に応えます
駒木:「勝ち時計(1分24秒7)も、新馬戦の標準より随分と早いね。本格化するのは随分後だったんだけど、やっぱり素質の片鱗はこの頃から窺えたってわけだ。
 でも当時は『でもダートだからなぁ』…っていうのが、どうしても先に来るって言うかね。だから当時はそれほど注目された馬というわけではなかった」
珠美:「デビュー2戦目は年末の500万条件特別・さざんか賞でした。しかし、今度はライブリマウントが0.9秒差で2着に完敗します。勝ったのは、後に短距離のG1戦線で活躍することになるビコーペガサスでした」
駒木:「後にビコーペガサスはG1になったばかりのフェブラリーSに出走するんだけど、その時の最大のウリが、『デビュー2戦目でライブリマウントに圧勝!』って内容だったんだよ。まぁ、まだお互いに完成前の段階で争ったレースだけを評価するなんて、かなり乱暴な論法なんだけどね。それでもいくらか説得力が有ったんだから、ある意味立派な敗戦だったと言えるかも知れないね(笑)」
珠美:「この後のライブリマウントは、軽くソエ(成長途上で見られる軽い骨膜炎)が出て順調さを欠いたそうです。年明けの寒梅賞で3着に敗れます。でも、そのソエが治まった翌月の飛梅賞では後のオークス2着馬・ゴールデンジャックを完封して、3戦でこの条件を卒業してオープン入りしました。ちょっと足踏みしましたが順調な出世と言えるのではないですか?」
駒木:「そうだね。ただ、この時代のダート馬はここからが大変なんだよ。オープンに入ったらダート馬としての目標が無くなっちゃうんだな。今だったらジャパンダートダービーとか、いくらでもビッグ・レースがあるんだけど、当時は申し訳程度にオープン特別がチョボチョボあるくらいで、オープン入りした馬はとりあえずクラシックを目指さなくちゃならなかった」
珠美:「そうですね。実際のライブリマウントもここから芝戦線へと転じてクラシックを目指すことになります。でも、出走したレースがなんだか遠慮がちだと思えるのは私だけですか?(苦笑)」
駒木:「いや、珠美ちゃんの言う通りだと思うよ。こう言っちゃなんだけど、凄く遠慮してる(笑)。普通、ダートでもここまでまとまった成績でオープンに上がって来たんだから、ダメモトで重賞レースに挑戦してもいいと思うんだけどね。まぁ、芝の適性が無いのは文字通り折紙付きだから、この辺りは『使えるダートのレースが無いんで渋々』っていうところだったんだろう。8着以内に入ってカイバ代だけでも稼いでくれればって感覚だったんじゃないのかな」
珠美:「ライブリマウントは結局芝のレースを3回使うんですが、それぞれ11着、6着、8着と全て1秒以上の大差で完敗しています。でも博士のおっしゃる通り、賞金は少しずつ獲得しているんですね(笑)」
駒木:「オープン特別6着と重賞8着だから、両方で300万強かな。出走手当足したら400万円以上。馬主孝行な馬だなぁ(笑)」
珠美:「……そういうわけで、クラシック戦線でのライブリマウントは少し残念な結果に終わりました。それからは古馬との混合戦がある北海道開催へ転じて、中級条件戦からダート戦線へ復帰する事になります
駒木:「まだ中央開催が残ってるってのに、1回札幌開催の初日から参戦してるものね。もうなりふり構わずっていうか、妥協の余地なしっていうか(苦笑)。よほどダートに使いたかったんだろうね。まぁ、それは極めて正しい決断だったんだけれども」
珠美:「北海道開催は、この時期では厳しい古馬相手のレースになるのですが、ライブリマウントは互角以上に奮戦します。転戦緒戦の900万下(現:1000万下)特別の北斗賞2着の後、中2週で臨んだ羊蹄山特別では3歳馬としては高めの55kgのハンデを背負って1番人気で快勝。それからはレース数の少ない準オープンには目もくれず、果敢にオープン特別へ挑戦してゆきます」
駒木:「当時は交流競走も無かったし、重賞も少なかったから、オープン特別と言っても今とは値打ちが若干違ったはず。まぁ、ダート馬全体の層もそれほど分厚くなかったんで多少相殺しなくちゃならないけど、今の統一G3以上レヴェルはあったんじゃないかなと思うよ。文字通りの格上挑戦だね」
珠美:「ライブリマウントの古馬オープン挑戦は中2週、中1週、中3週というハードスケジュールだったんですが、斤量面に恵まれた事もあってか、それぞれ4着、2着、2着と健闘します」
駒木:「一言で言って上出来。それに尽きるね。でもまだこの時は全盛期とは比べるべくもない程度の完成度だった。それがこの後の数ヶ月でガラっと変わっちゃうんだから、馬って面白いよね」
珠美:「ハイ。先ほど博士がおっしゃったように、ライブリマウントはシーサイドオープン2着を最後に3ヶ月の馬体調整休養に入ります。デビュー以来10ヶ月間で12戦使い詰ということで、厩舎に置いたまま一度リフレッシュされたみたいですね」
駒木:「若い競走馬が少し休んでいる間に突然大きく成長する事がたまにあるんだけど、この時のライブリマウントもちょうどそんな感じ。この休養が明けた直後からライブリマウントの短くも栄光に満ち溢れた全盛期が幕を開ける事になるんだけど……」
珠美:「続きはまた来週、ですね(笑)」
駒木:「そういう事。今日はちょっと内容的に薄くてアレだったかも知れないけど、次回からは中身も濃くなるよ。とりあえず来週は7連勝中のライブリマウントを追いかける事になるのかな。ワールドカップは再来週だ」
珠美:「……ハイ、それではお疲れ様でした」
駒木:「うん、ご苦労様。今日の講義を終わります」
 (次回へ続く 


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